山上たつひこ『追憶の夜』


追憶の夜追憶の夜
(2003/04)
山上 たつひこ

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 作者の名前を伏せたままこの小説を読んだら、誰も山上たつひこの作品だとは思うまい。ギャグ・マンガ『がきデカ』で一世を風靡した山上が、なんとハードボイルド・ミステリに挑戦した新作、それがこの『追憶の夜』(マガジンハウス/1700円)である。

 山上がマンガ家から小説家に転身して、すでに10年以上が経過している。その間、コンスタントに作品は発表してきたものの、大ヒット作を出すには至っていなかった。
 かくいう私は、マンガ家山上たつひこのファンではあるが、小説家としての山上のファンにはなれずにいた。私がこれまでに読んだ山上の小説は、『兄弟! 尻が重い』という最初の短編集と、マンガ家時代の傑作『イボグリくん』(『イガグリくん』のフラチなパロディ)をノベライズした『太平』(文庫版では『それいけ太平!』に改題)の2冊だけだ。2冊とも、筒井康隆をもっとシュールにしたような不思議な味わいで、そこそこ面白いとは思ったものの、それ以上新作に食指が伸びなかった。 

 ではなぜこの『追憶の夜』を読んだかといえば、書評家の井家上隆幸さんが「原?“直系”的クラシック・ハードボイルド」と評していたからだ(『噂の眞相』2003年6月号)。ハードボイルド・ミステリが好きで、原?は好きな作家の1人である私としては、読まずにはおれないではないか。

 そして、『追憶の夜』は期待を上回る傑作であった。

 山上は「アサヒコム」のインタビューで、この作品について次のように述べている。

「ぼくの事実上のデビュー作だと思っています。720枚(引用者注/実際に刊行されたものは920枚)ほどのハードボイルド小説。犯罪が題材になっていますが、警察の捜査記録のようなまがまがしいものではなく、情報と取材成果のてんこ盛りでもなく、心理描写と情景描写の積み重ねによるサスペンスの構築を目指しました」

 小説家になってからはずっと「山上龍彦」名義で作品を発表してきた山上が、この作品ではマンガ家時代の「山上たつひこ」という表記に戻している。この点にも、「小説家としての事実上のデビュー作」という自信のほどが示されている。

 物語は、23年前に起きた残虐な児童誘拐殺人をめぐって進む。
 その事件の犯人の娘であるという過酷な運命を背負って生きる美しいヒロインが、主人公の私立探偵の前に現れる。“父親が殺人犯として死んでいったあと、母と私たちの生活を陰から支えつづけ、やがて去っていった一人の男を探してほしい。私にとっては父親のように思えたその人に、母の死を伝えたいから、と……。
 だが、その男を追ううちに、探偵は23年前の誘拐殺人に潜む「謎」に気づく。事件は単純な誘拐殺人ではなく、背後にはもう一つの恐るべき真実が隠されていた。その真実とは……。

 一口にハードボイルド・ミステリといっても、ミッキー・スピレーンの『裁くのは俺だ』のようなアクション中心の通俗ハードボイルドから、ロス・マクドナルドの『さむけ』のように社会の病巣をえぐる文学的香気に満ちたハードボイルドまで、幅広い。この『追憶の夜』は、原?というよりはロス・マク系。アクションやワイズクラック(気の利いた軽口)はぎりぎりまで削ぎ落とされ、現代社会の病巣が生んだ禍々しい悲劇としての犯罪が描かれる。
 帯の惹句には「愛と悲劇、罪と血にまみれた冥界を、人の死にゆく道を探偵はさまよう」とあるが、まさにそんな印象の小説。夜の闇のような重い雰囲気が全編をおおう。だが、ラストには「救い」があり、読後感は悪くない。

 ミステリに対する讃辞として「隙のない緻密な構成」という評言がよく用いられるが、この作品にはずいぶん隙がある。本筋と関係のない脇の登場人物が延々と死刑制度の是非について議論する場面とか、探偵とヒロインの妹が狂言について延々と語る場面とか、「これがないほうが構成が引き締まるのに…」と思わせる部分が少なくない。
 だが、そうした隙はこの作品の欠点ではなく、むしろ魅力になっている。ストーリー進行上はムダでしかないそうしたディテールが、読んでいてじつに面白いのだ。

 この作品は、一義的にはエンタテインメントだが、単純な娯楽作ではなく、かなりスペキュラティブ(思索的)である。23年前の誘拐殺人事件の報道を探偵が丹念に追うくだりでは、犯罪報道のあり方について考えさせられる。たとえば、こんなセリフがある。

「犯罪事件の報道はすべてそうですよ。紋切り型の論調で、通りいっぺんの報道をしたらそれでおしまい。本当に世に知らしむべきは大筋の狭間にあるのに肝心なその部分にはスポットを当てない」

 また、死刑制度の是非について読者にも思索を促す作品であり、なにより、犯罪という不条理について深く考えさせる。

「被害者の家族には、“なぜ私達の肉親が殺されねばならなかったのか”というやり場のない怒りがある。加害者の家族にも形を変えた怒りがある。“なぜ私達の肉親は人を殺し、私達をこのような境遇に追いやったのか”という石つぶてを受ける側の絶望である」

 ――被害者家族と加害者家族の怒りと絶望が交差した地点で起こるドラマが、この作品の核を成している(ネタバレになるのでくわしくは説明できない)。

 暴力シーンの連続で読者にカタルシスを与える通俗ハードボイルドの対極にある、重く深みのある知的なハードボイルド。作者がかつて『がきデカ』を生み出した人物であることはとりあえず忘れて、堪能していただきたい。やはり、山上たつひこの才能は本物だった。
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。54歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴31年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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