「小学校英語必修化」の是非

 今日は、「小学校英語必修化」の動きについての記事の取材。月刊『子ども英語』(アルク)の山口隆博編集長にお話をうかがった。山口さんは、お立場上当然のことながら、「英語必修化」賛成派である。

 この問題についてのマスメディアの報道をみると、反対派の声ばかりが大きく取り上げられているように思えてならない。

 石原都知事は、定例記者会見で次のように述べたという。
「日本で一番バカな役所の文部(科学)省が、小学生から英語を教えるとか言っている。まったくナンセンスだ。…自分の国の言葉を完全にマスターしない人間が、外国の知識の何を吸収できるのか…国語の教育をやったほうがいい…国語に通じなかったら、人間の情操、情念、感性は培われない」

 ベストセラー『国家の品格』で知られる藤原正彦お茶の水女子大学教授も、次のように小学校英語を真っ向から否定している。
「小学校時代に一番大切なのは、国語と算数だ」「まずは自国の文化や伝統をしっかり身につけることが大事。英語を話せば国際人になるというわけではなく、問われるのは話す内容だ」(読売3月28日付)

 この2つが反対派の意見の代表的なものであり、『週刊文春』などのオジサン週刊誌も、反対派の旗を振る記事を作っている。

 一連の「必修化反対論」をみると、どうも話がズレていると思えてならない。
 中央教育審議会の外国語専門部会がまとめた必修化についての提言は、「小学校5、6年にかぎり、年間35時間(平均週一時間)程度、『教科』ではなく『総合的な学習の時間』の中などで行う」というものだ。にもかかわらず、反対論の多くは、「国語の授業時間を減らしてまで、子どもに英語を習わせることの是非」にまで話が広がってしまっている。
 
 小学校高学年で週一時間子どもに英語を学ばせると、そのことで国語教育に支障をきたす? 情操や感性を培う機会が損なわれる? 大げさにもほどがあるというものだ。

 石原都知事らによる必修化否定論に対する山口さんの反論は、たいへん説得力のあるものだった。その一部をご紹介。

・小学校英語必修化は、グローバル化をふまえた世界の趨勢であり、アジアでは日本とインドネシアを除いてすでに実施されている。OECD30ヶ国のうち、まだ必修化されていないのは日本だけである。だが、それらの実施国で、「英語必修化によって母国語の学力が弱まった」などという否定的事実は見られない。

・小学校英語の必要性は、じつは1986年の臨時教育審議会の答申にも盛り込まれていた。以来20年間、実現が先送りされてきたのである。そして、先送りされてきた20年間で、子どもたちの国語力は低下しつづけてきた。

・すでに、93.6%の小学校がなんらかの形で英語教育を取り入れている。また、保護者の70%が、英語必修化に賛成している。つまりは国民の大多数が英語必修化を支持しているのであり、これが選挙なら圧勝だ。
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コメント

”御爺さん”向けの『世界』ならもっと本格的な議論を多々見かけましたがw
  「報道記者、或いは外国と折衝を要する商社、技術職、学者等々の関係
 者にとって英語が仕事上で必要なのは論を待たない。ただ、大半の日本人
 にとって必要な事は殆ど日本語で用が足りる訳です。つまり、そうした一
 割程度の日本人にとって英語が必須であるからという理由だけで、国民全て
 が彼らの便宜を優先して英語を学ばなければならない、そのように考えるの
 は倒錯した考えだと思います」:
              『私にとっての20世紀』(加藤周一 岩波書店)

 うろ覚えだが、如上、加藤氏の言及があった筈。無論この一節は当時私にとっても、やや意外な発言だった。だが講読中心の戦前教育の中で――東大医学部卒の秀才とはいえ、氏の語学習得時期は大学入学後の自助努力に拠る訳だ――英独仏、を含め語学に精通できた加藤氏の到達点を見る限り、日本の国際化にとって足りないのは、科学的思考力を含んだ、維新以降に翻訳された日本語としての活字資源を活用する知恵(論理を通しての社会発展、自己解決を図る、その背景としての教養)を学ぶ事の方であって、英語が日本人の知性を国際化する物ではない、つまり「英語は思考を説明する手段であって目的ではない」と言う事だ。
 そしてこの点において、数理的思考力と日本語の重要性を説く立場は国粋的な感情論や暴論とは区別して然るべきだろう。さておき――。
 例えば、今日の英語教育普及を巡る発作的な拙速を強弁する保護者にとって理想的な状況設定、つまり同じような問題提起としてトルストイの小説を引く事が出来る。そこには、フランスの知性(当時の先端科学技術、思想)と仏語を通して、ロシアの社会問題を一挙に解決できると考えるロシア貴族の上滑り・他力本願が繰り返し描かれ強調されている。その批判の根底にあるのは、一から考えて解決する過程の積み重ね、その社会的重要性を説く事であり、即ちロシアの社会発展の程度、教育段階に応じた最適の処方箋をロシアの知性が見出す事こそが本道であると言う主張だろう。つまり事実を観察して正確に事象を分析する事の重要性であり、結局、猿真似で終わった接ぎ木では活着しないばかりか、場当たりに終わる。それでは根本的な社会発展、延いてはその国の社会文化の厚みには繋がらない、そうした視点に違いない――。
 これ以上は長くなるから以下、指摘だけに留めるが、早い話がロシア語よりも仏語が普及していた百年前の一部ロシア貴族社会において一先ず打ち消され決着を見た考えが、ロシアより遥かに英語を学ぶに困難な日本で喧しいと言うのは、加藤氏の指摘を待つまでもなく迂遠であるというより他はない。滑稽至極。教育上の実効性としても奇異だ:そして私個人の経験からいえば、大半の早期教育推進派の唱える水準でよいなら、センター試験程度の基礎があれば充分であり、それは試験制度の改善で対応可能だ。つまり、ある程度以上の学力があれば英作文にせよ、議論上のやり取りにせよ、小学校からの早期教育は必須ではない。

 私の雑感はさておき、ただ、少なくとも加藤氏の視点は、支離滅裂な罵声や美学を叫ぶ事が伝統主義だと思い込んでいる石原氏より冷静であり、さらにはココで引用された山口氏というかたの反論と比較しても説得力を欠く指摘だとは私は考えない:殊に、「選挙なら圧勝」なぞと多数決が常に正しいかのような短絡した事を言っている辺り、そもそも議論の合理性、合意形成を基にした民主主義を理解していないとしか考えられない。衆愚制や人気投票で専門性の検証ができるならテレビ番組の愚劣さや売れ筋本の低劣性は説明不能だ。
 無論、欧米価値への追従だけで独自の創造性を開拓しなくとも利益が得られる分野では途上国同然に英語教育一辺倒で行けば、”寄らば大樹”、そこ々は失敗はせずとも済むかも知れない。だが、日本は科学技術の水準にせよ高等教育の(箱物としての)普及程度にせよ、社会基盤としては欧米と伍していけるだけの潜在力は一応備えている。そして、国際的に日本が今以上に競争力を高めその存在力を増す為には英語教育の早期化よりも、むしろ日本語を通して独自の発想を掘下げ論理を通して自説を説明する能力、その養成が先決だと言う気がしてならないが、如何だろうか。
 ……ま、そりゃ、早期教育への反対論者を石原氏や藤原氏のような極右的な”激情家”に代表させれば、反対派全体を保守派や高齢者のアレルギと一括り、両断する事は容易い、そおゆう話でしょw
 長文ご容赦。
  • 2010-09-11│18:26 |
  • 弁天小僧 URL│
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前原政之 
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前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴31年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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