「失敗じゃなかったよね、と2人で話しました。失敗じゃなかったと思います」
「離婚したけれど、失敗じゃなかった」――これはなかなか切ない、巧まざる名言ではないだろうか。
「失敗」でないとしたら、なんだろう? そう、たとえば「ミスキャスト」と表現しようか。
フランシス・コッポラの映画『ランブルフィッシュ』(1983)に、そんなセリフがあった。
「父さんと母さんはミスキャストだったんだ」
ミスキャスト――これは離婚にかぎらず、男女の別れをシュガーコーティングする表現としてはなかなか卓抜ではないだろうか。どちらが悪いわけでもない。どちらが被害者というわけでもない。ただミスキャストだっただけ、と……。
「そうね。たぶん、あなたと私はミスキャストだったのよ」
映画のワンシーンのような「粋な別れ」を演出するときに、ぜひ使ってみていただきたい。
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「ハリウッドでは、結婚生活よりも映画の撮影のほうが長くつづくこともあるのよ」と言ったのは、バーバラ・ストイサンドだった。
そのハリウッドにあっては「長つづきしたほう」なのが、トム・クルーズとニコール・キッドマンという美男美女カップルであった。
2人は1990年に結婚し、2001年に離婚。その際にニコールが笑顔で言い放った痛烈な捨てゼリフは、語りぐさになっている。
いわく――。
「これでやっと(高い)ヒールが履けるわ」
(Now I can wear heels.)
もちろん、トム・クルーズの身長の低さを皮肉った言葉である。
このセリフによって、ニコールは離婚経験のある世の女性たちを一気に味方につけ、すっかり株をあげた。
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女優の若尾文子が1968年に離婚したとき、記者会見でしつこく「離婚の原因」を聞く記者に向かって、ピシャリとこう言ったという。
「どうしても原因を聞きたいのなら、2日くらい家に泊まりこむつもりで取材にきていただきたいわ」
「なぜ離婚したのか?」、あるいは「なぜ結婚するのか?」――こんな問いに、ほんとうは一言で答えられるはずがないのだ。にもかかわらず芸能人は、それを一言で、しかもテレビ映えのする派手な言葉で答えるよう要求される。
若尾文子は、業界のそうした不毛な慣習に、優雅に唾を吐いてみせたのである。
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五月みどりは、かつて20歳年下の歌手・立花淳一と再婚したが、立花の浮気を理由に離婚した。その際、「誤解だ」を連発する立花を、記者会見で次のようにバッサリと斬って捨てた。
「誤解だなんて……。男らしくないわね。あたしは誤解で離婚するほど甘くは生きてこなかった」
生きざまがにじむ、凄みのある言葉といえよう。
ちなみに、五月のこの離婚に際し、当時出演していたワイドショーで、「浮気は男の甲斐性というけど、甲斐性のない男の浮気なんて……」とグサリとドスで刺すようなコメントをしたのが、冨司純子であった。
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タレントの高見恭子は、かつて離婚した際、記者会見でこう語った。
「楽しいこともたくさんあった。でも、幸せはクシャミをしている間にどこかへ飛んでいってしまった。……いまはただ、じっと傷口がふさがるのを待つだけです」
これもまた、心にしみる巧まざる名言である。ちなみに、いまの高見恭子は馳浩夫人。
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あのデヴィ夫人が、テレビ番組のなかでこんなふうに語ったことがある。
「娘には最低2回は結婚して欲しいと思っています。だって、最初の結婚なんてミステイクに決まってますもの」
ううむ…。
いかにもデヴィ夫人のキャラ全開で面白い言葉だけれど、同意はしにくいなあ(笑)。
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