失踪日記 (2005/03/01) 吾妻 ひでお 商品詳細を見る |
吾妻ひでお著『失踪日記』(イースト・プレス/1140円)読了。
ようやく復活を遂げたマンガ界の「ビッグ・マイナー」(高信太郎のネーミング)が、マンガ界から消えていた時期の生活を振り返って描いた話題作だ。
帯には次のようにある。
突然の失踪から自殺未遂・路上生活・肉体労働・アルコール中毒・強制入院まで。波乱万丈の日々を綴った、今だから笑える赤裸々なノンフィクション!
マンガ家自らの“究極のネガティヴ体験”を描いているという点で、この『失踪日記』はしばしば花輪和一の『刑務所の中』と比較して語られている。面白さからいっても『刑務所の中』に勝るとも劣らない。
①失踪後のホームレス生活、②配管工事の肉体労働をしていた時期、③その後マンガ家として一度復活するも、アル中になって強制入院させられた日々……の3つのパートに分かれている。
いずれも面白いが、ホームレス生活を描いた最初のパートがいちばん凄みがある。「世捨て人」の凄みである。
妻も子もあり、マンガ家としても一級の人気作家であったのに、すべてを捨てて吾妻は失踪した。これに比べたら、つげ義春の『無能の人』や車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』もまだ「ぬるい」というか、世を捨てきれていない感じだ(是非はともあれ)。
なにより、実体験のすごさに唖然とさせられる。
ゴミ箱をあさって食料を調達し、空き瓶の底に残った酒を集めた「あじまカクテル」を飲み、団地の水道でしょうゆの空きボトルに飲料水を確保する、といった生活。真冬に野宿していると「(寒さで)関節の筋肉が収縮してものすごく痛い」などというくだりもすさまじい。
テレビ化作品(『ななこSOS』や『オリンポスのポロン』)もあるほど活躍していた吾妻ひでおが、そこまで本格的なホームレスになっていたとは……。
このうえなく悲惨な実体験の数々が描かれているのに、きちんとギャグマンガになっている。声をあげて笑ってしまった場面も少なくない。
みじめな自分を笑い飛ばす、突き抜けたおかしさ。明るい自虐。人間という存在自体がもっている滑稽味が表現されているという趣なのだ。
そして、それはときおり笑いを超えて哀切さにもなる。
たとえば、ゴミから拾い出したリンゴが腐って発酵して熱を帯びており、そのぬくもりが「凍った手を温めてくれた」という一節など、文学的といってよい感興を呼ぶ。
不審者として警察に捕まった際、警官の中に吾妻のファンがいて、「先生ほどの人がなぜこんな……」と嘆かれるくだりも、しみじみおかしい。
その警官は色紙を買ってきて吾妻にサインを求めるのだが、そのときなぜか、「夢」という字を書き添えてくれ、と頼むのだ。それを吾妻はギャグとして描いているが、私小説ならしんみりとした名場面になるところだろう。
そして、アズマニア(吾妻ひでおマニア)にとって、この本にはもう一つの価値がある。途中に18ページほど、吾妻が自らのマンガ家生活を詳細に振り返ったくだりがあるからだ。
ここが、吾妻の創作の舞台裏を垣間見られてじつに面白い。
出世作『ふたりと5人』が吾妻本人には不本意な作品で、「出力20%くらい」しかやる気を出していなかったとか、意外な裏話満載である。
私が偏愛する70年代後半の作品群――『美美』『チョッキン』『ネムタくん』『シッコモーロー博士』『みだれモコ』など――の話も出てくるので、うれしい。このころの作品、私はすべてリアルタイムで読んでいた。
この本では、1969年のデビューから70年代末までの10年間が俎上に載っている。80年代のことについては、発刊が予告されている続編で振り返るのだろうか。楽しみである。
そしてまた、ここは失踪→アル中という「結果」をもたらした「原因」が描かれた部分でもある。花輪和一でいえば『刑務所の前』(『刑務所の中』の続編。服役の原因となった拳銃不法所持の顛末を描いている)に相当する。
飼い猫を見て、「猫はいいなァ。マンガ描かなくてもいいもんな」とつぶやく吾妻。人気マンガ家時代の「産みの苦しみ」が、赤裸々に、しかし飄々と表現されている。マンガ家のみならず、すべての分野の「表現者」必読(かも)。
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