車谷長吉著『飆風(ひょうふう)』(講談社/1500円)読了。
帯に「最後の私小説」と大書された、最新作品集。登場人物のモデルとなった俳人から名誉毀損で提訴された(のちに和解)、いわくつきの作品も収録されている。
表題作となった中篇「飆風」がすごい。
著者自らが強迫神経症と胃潰瘍を病み、夫人とともにその病と苦闘した時期の出来事を描いた作品。神経症に起因する幻覚・希死念慮なども、すごい迫力で克明に描かれる(鬱などの傾向がある人は読まないほうがよい)。
夫婦の歩みのなかでいちばん苦しかったであろう日々を、すべて小説の中にさらけ出すその「覚悟」に、ある種の感動を覚える。
このような作品を書きつづけることは命を縮める所業にほかならないから、車谷氏が“私小説からの撤退”を宣言したのも無理からぬことであろう。
「車谷が私小説を捨てるのは、小説家をやめるときだ」との声もあるが、私は、氏は私小説以外でもよい作品が書ける人だと思う。一昨年に上梓された優れた作品集『忌中』も、私小説ではなかったし。
最後に収められた講演録「私の小説論」も面白い。「車谷節」全開である。たとえば――。
【引用始まり】 ---
人間の「愚かさ」について考えるのが、文学です。
*
小説を書くことも、人の陰口、悪口を容赦なく言うところからはじまります。悪口を言い合っている時ほど、話が盛り上がる時はありません。だんだんに言葉は大袈裟になり、嘘が混じって来る。その「嘘」こそが、創作のはじまりです。
【引用終わり】 ---
ところで、今週、車谷長吉・高橋順子(詩人)夫妻を取材することになった。
中高年向け某誌の「夫婦特集」に企画段階からかかわっているのだが、その中の各界の「おしどり夫婦」へのインタビュー・コーナーで、車谷夫妻にご登場願うことになったのだ。
取材の機会さえ作れば会いたい人に会える(ことが多い)のが、ライターや編集者の特権の一つ。その特権を活用させてもらった、というわけだ。お会いするのが楽しみである。
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