消えゆく「お蔭様」の心



 『毎日新聞』(1月21日朝刊)で、聞き捨てならない話に出合った。TBSラジオの永六輔の番組に、リスナーから次のような手紙が寄せられたというのだ。

 ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と。



 この手紙に対して番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だったものの、一方ではこうした考え方は珍しくないことを示す経験談も寄せられたという。たとえば、次のようなものだ。

 食堂で「いただきます」「ごちそうさま」と言ったら、隣のおばさん(客)に「なんでそう言うの?」と言われた。「作った人に感謝しているんですよ」と答えたら「お金を払っているんだから、店がお客に感謝すべきでしょ」と言われた。

 こういう話がラジオや新聞のネタになるのは、いまのところはまだ特異な事例であるからこそだろう。しかし、このような考え方をする日本人が急増しつつあるのだとしたら、ちょっと恐ろしい。

 「給食費を払っているのだから『いただきます』を言う必要はない」と考える母親は、宅配便や郵便を届けてくれた人に「ごくろうさまです」と言うこともないだろう。「(送った人が)代金を払っているのだから」と。

 「お金を払っている以上、感謝の意を示す必要はない」という考え方は、ある意味で合理的であり、「間違い」ではない。だが、そうした考え方をする人が多数派になったとしたら、恐ろしくギスギスした社会が現出するにちがいない。

 そういえば、何かのニュース番組で、「同じ電車賃を払っているんだから、年寄りに席を譲る必要なんかない」と言い放った女子高生を見たこともある。
 2つの事例は同根であろう。悪しき個人主義、行き過ぎた合理主義、肥大した権利意識という、共通の根から生まれた病葉(わくらば)なのだ。

 「お蔭様」という美しい日本語がある。
 これは、もともとは仏教用語であるらしい。仏教が生まれたインドで、強い陽射しの中を歩きつづけた旅人が、大きな樹の陰で一休みしたとき、その樹に感謝する――それが「お蔭様」の原義なのである。

 もとより、樹は陽射しをさえぎるために生えていたわけではない。それでも、旅人が涼しいひとときをすごせたのは、樹がそこにあったからにほかならない。だからこそ、心を持たない一本の樹に対してさえ、感謝の念を抱く。それが仏教的心性なのである。

 仏教の中核を成す概念に、「縁起」がある。いまでは「縁起がよい・悪い」という使い方が一般的となっているが、もともとの意味は「縁(よ)りて起こる」ということ。この世界にあるすべてのものは互いにつながりをもち、相互に依存し合っているという意味である。
 法華経の漢訳者として知られる鳩摩羅什(くまらじゅう)は、「縁起」を「衆縁和合(しゅえんわごう)」と漢訳した。これなら、本来のニュアンスが伝わりやすいだろう。

 誰しも、自分1人の力で生きているわけではなく、世界中の人々や動物や草木などによって「生かされている」。仏教ではそうとらえる。ゆえに、一本の樹に対してさえ感謝の念を抱くのだ。

 「お蔭様」とは、そのような感謝の念をさらに強調した言葉である。緑陰に象徴される“自分への見えない助力”に対して、「お」と「様」までつけていっそうの感謝を示したのは、日本人の独創なのだ。

 我々日本人は、物理的・金銭的な助力を受けていない相手に対しても、「お蔭様」をよく使う。

「ご主人、入院なさったんですってねえ。その後いかがですか?」
「お蔭様で先日退院しまして」

 そんなやりとりをかわすとき、相手は病気快復になんら物理的な貢献をしていない。それでも「お蔭様で」と言う。それは、相手が夫の容態を気遣ってくれたこと、ひいては「病気からの快復を邪魔せずにいてくれたこと」への感謝である。
 なにげなく用いている「お蔭様」という言葉の底には、「縁起」を重んじる仏教的心性があるのだ。

 「給食費を払っているのだから、『いただきます』を言う必要はない」と考える母親は、ふだん「お蔭様」という言葉を使っているだろうか? おそらく使ってはいまい。彼女はきっと、「何もしてもらっていないのだから、感謝する必要はない」と合理的に考えるはずだ。

 「お蔭様」が死語になったとき、日本はいまよりもずっと冷たい社会になるにちがいない。
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コメント

職業差別だから反対!
食事のときにだけ特別な感謝の行動をすることを義務教育の現場で行うのは「農業」「調理」を特別に感謝すべき高貴な職業と聖別するんだから、職業差別で、政教分離にも反してるでしょ。
道を歩くときに「道路工事してくれた人に感謝する」「アスファルトの原材料を汲み出してくれた油田労働者に感謝する」「舗装用の道具を作った技師に感謝する」ために「歩かせてくれてありがとう!」と言うように教育しないでしょ?
高度に分業化が進んだうえに、職業差別が禁じられた現代社会では当然の適応だと思いますよ。
  • 2010-12-30│03:46 |
  • kk URL│
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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