アンドレア・ウルフ『フンボルトの冒険』



 アンドレア・ウルフ著、鍛原多惠子訳『フンボルトの冒険――自然という〈生命の網〉の発明』(NHK出版/3132円)読了。書評用読書。

 フンボルト海流やフンボルトペンギンなど、多くの事績・地名・動物等にその名を冠された、ドイツの博物学者・探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトの伝記である。

 多くの日本人にとって、フンボルトは「名前は知っているけど、何をやった人なのか、よくわからない」存在だろう。私にとってもそうだ。
 欧米等でも事情は同じらしい。本書によれば、フンボルトは「英語圏ではほぼ忘れ去られている」という。

 だが、存命のころには「世界でナポレオンに次ぐ有名人」とも呼ばれ、「科学界のシェイクスピア」などという輝かしい異名を持っていた。

 フンボルトの業績として、「等温線」の考案、「磁気赤道」の発見、「植生帯」「気候帯」の概念の提唱などがある。
 しかし、彼のなし遂げたことで最も重要なのは、「私たちの自然観を根本的に変えた」ことだと、著者は言う。

 自然の中のあらゆるものに関連性を見出し、「この壮大な因果の連鎖がある限り、独立して考えられるものは一つもない」と、フンボルトは書いた。現代の「生態系」の概念、地球を一つの生命体と見なす「ガイア理論」などは、フンボルトの自然観から生まれた“子ども”なのだ。

 フンボルトは、人類の営為によって気候が変わってしまう危険性を初めて指摘した。つまり、「環境保護運動の父」でもあるのだ。

 また、フンボルトは終生奴隷制否定論者であり、あらゆる民族は平等な価値を持つと考えた、先駆的な人権感覚の持ち主でもあった。

 フンボルトが独自の自然観を構築するまでの道筋を、著者は丹念に辿っていく。その自然観は、長期的な南米大陸探検など、フンボルトがくり返した探検調査によって培われたものだった。
 何度も命の危険にさらされた、書名通りの「冒険」であったそれらの旅を、著者はつぶさに描き出す。作家・歴史家である著者の文章は映像喚起力に富み、臨場感と豊かな詩情を併せ持っている。

 また、フンボルトが交友を結んだ綺羅星の如き人々――生涯の親友ゲーテや、南米解放の革命家シモン・ボリバル、第3代合衆国大統領ジェファーソンなど――の横顔も綴られ、それぞれ興趣尽きない。

 そして後半では、フンボルトが後代に与えた広範な影響についても、詳述されていく。
 ダーウィンは、フンボルトの著作に強い影響を受けて、歴史的なビーグル号の航海に出た。ダーウィンの進化論もまた、フンボルトの影響下にあるのだ。
 ほかに、『森の生活』のソロー、「生態学」の概念を提唱したヘッケル、自然保護の父ジョン・ミューアらがフンボルトの強い影響を受けていることが、それぞれ一章を割いて明かされていく。

 本書は丹念に書かれた第一級の伝記であり、科学史/科学ノンフィクションとしても抜群の読み応えがある。
 フンボルトの子ども時代が綴られる序盤はやや退屈だが、そこを超えれば、印象的なエピソードの連打で一気読みできるだろう。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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