モンスター (幻冬舎文庫) (2012/04/12) 百田 尚樹 商品詳細を見る |
百田尚樹著『モンスター』(幻冬舎文庫/760円)読了。
いまや超売れっ子らしいこの著者の小説を読むのは、これが初めて。
醜女が整形手術で絶世の美女になって……という話は、映画や小説、マンガなどにくり返し描かれてきた。そんな手垢のついた題材にあえていま挑むのだから、ストーリーや展開に過去の類似作にない新機軸が求められる。
本作のストーリーはありきたりだし、かなりご都合主義で無理のあるところもある。
そもそも、醜女だった時代からの想い人に近づくため、ヒロインが彼の住む街(ヒロインの故郷でもある)にレストランを開き、彼が客としてやってくるのをひたすら待つという設定が、なんだかよくわからない。
また、かつて醜女の自分を蔑み傷つけた男たちに、美女となってから復讐していくプロセスが、いかにも三流劇画的というかレディコミ的というか、俗で安っぽい(それなりに痛快ではあるが)。
しかし、そうした瑕疵を補って余りある美点をもつ作品である。
美点の第一は、整形手術を重ねて少しずつ美女に変わっていく過程の描写が、ものすごくリアルであること。おそらく整形業界に綿密な取材をして書いたのだろうが、整形のことなどまるでわからない男の私は、目からウロコが落ちまくった。
美点の第二は、「女性にとって美醜がどのような意味をもつのか?」というテーマを、ヒロインの心理を追うことで残酷なまでに鮮やかに描き出している点。
このテーマの優れた作品として思い浮かぶのは三島由紀夫の中編『女神』だが、本作もその点では『女神』に負けていないと思う。
ヒロインが美醜をめぐってつぶやくモノローグの中に、胸をつく痛切なフレーズがちりばめられている。たとえば――。
美人なんてたかが皮一枚と言う人がいる。たかが皮一枚! でもそれを言った人は美人を見る立場の人間だ。つまり男だ。皮一枚がどれほどすごいものか。それを本当に知っているのはとびきりの美人か、私のようにとびきりのブスだ。ほとんどの女性はそのすごさを知らない。
悲恋――何という甘い言葉。でも悲恋の悲劇が似合うのは美しい女だ。ブスには悲恋なんか似合わない。いやそもそもブスに悲恋はない。それは単なる喜劇でしかない。
もしも私の顔に大きな黒い痣があったり、あるいは火傷の痕があったり、大きな傷があったりすれば、私の不幸は絵になったかもしれない。生まれついての、あるいは後天的な不幸によって、二目と見られない顔の女だったら、もしかしたら悲劇のヒロインになれたかもしれない。
二匹の蝶がもつれ合うように飛ぶ姿を見て、悲しくてたまらなくなったことがある。虫でさえ恋を謳歌できるのに、人間である私は男の子には一生振り向いて貰えないだろう。ただ、美しく生まれなかったばかりに――。多分、虫の世界には美醜はないだろう。
東京は「美しい」ということが田舎以上に価値がある街だった。まさに「美人のための街」だった。「美しくない女」は貶められる街でもあった。とくに「若い女」に関しては、価値観の幅を極大までに拡げられた街だ。
(中略)
街全体が叫んでいた。「美しさこそ善」であり、「美しさこそ力」であり、「美しさこそ勝利」だと。この街で「女」というのは「美人」のことだったのだ。
なお、本作は先ごろ高岡早紀主演で映画化されたが(私は未見)、このヒロインは高岡のイメージとは違う気がする。もっと「見るからに整形美人」という女優がたくさんいるではないか。いや、それだとシャレにならないか(笑)。
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