佐藤泰志『海炭市叙景』


海炭市叙景 (小学館文庫)海炭市叙景 (小学館文庫)
(2010/10/06)
佐藤 泰志

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 一昨日読んだ、佐藤泰志著『海炭市叙景』(小学館文庫/650円)の感想を。

 佐藤は1990年に41歳で自殺してしまった作家。この『海炭市叙景』は彼の遺作であり絶筆にあたる。自らの生まれ故郷でもある函館市をモデルとした架空の街「海炭(かいたん)市」を舞台に、そこに生きる無名の庶民たちの人生をスケッチしていく連作短編だ。
 さきごろ映画化された(公開中)のを機に、文庫化・再刊がなったもの。



 冬と春の季節を描いた短編18編からなるが、本来は全36編になる構想だったという。残り半分で描かれるはずだった海炭市の夏と秋の物語は、佐藤の死によって幻に終わった。

 私は今回初読。地味だが、たいへんよい小説だった。
 佐藤が本作の範としたのは、シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』(1919年)であるらしい。米オハイオ州の架空のスモールタウン「ワインズバーグ」を舞台に、そこに生きる老若男女の人生の哀歓を活写した同作は、連作短編の嚆矢でもある。

 ・・・・・・と、知ったふうなことを書いているが、恥ずかしながら私は『ワインズバーグ・オハイオ』を読んだことがない(これを機に読んでみよう)。私が本書を読んで思い出したのは、むしろピート・ハミルの『ニューヨーク・スケッチブック』である。

 この『海炭市叙景』はバブル経済真っ只中の時期に書かれたものたが、海炭市はバブルの繁栄から取り残された寂れた地方都市として描かれている。各編の主人公となるのも、その大半は、いまなら「負け組」に分類されるであろう貧しい庶民だ。
 だからこそ、発表当時よりもいまのほうが、作品の中の空気と時代の空気が見事にシンクロしている。作者の没後20年を経た今年になって映画化されたのも、一つにはそのためだろう。

 全18編は玉石混淆で、印象に残らないものもあるが、何編かは私の心を深く打った。
 いちばん気に入ったのは、路面電車のベテラン運転士のある一日を描いた「週末」。結婚したひとり娘に、もうすぐ初めての子どもが産まれる。そのことを気にかけながら、彼はいつもどおり電車を運転する。その仕事の様子と彼の心に去来するものを、佐藤は静謐な筆致で描いていく。
 たったそれだけの話で、ドラマティックな出来事など何も起こらないのに、なんと深く胸に迫ることか。普通の人々の人生の1ページ――ありふれてはいるが、当人にとっては特別な一日の輝きが、鮮やかな一閃で切り取られている。

 終点に行ったら、病院に電話を入れる。無事、産れていることを祈る。産れていたら、半日、休みを貰ってもいい。いや、貰おう。自分の新しい一日なのだ。家内にとっても敏子にとっても、洋二にとっても、彼の老父にとっても。
 列島中にある一つの街の中で、彼は一九五五年から電車に乗り続けてきた。今日の彼は、そのどの日よりも、あの夏祭りの花に埋まったミス・海炭市の娘さんを乗せる時よりも、数倍も注意をおこたらない。


 
 どこにでもある地方の寂れた街の、どこにでもいる庶民の人生の1ページを、作者は愛おしむように文章に刻みつけている。

 この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛しくなるのではないか。この小説にはそういう力がある。



 川本三郎さんが解説でそのように言うとおり、名作だと思う。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴31年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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