殺人者たちの午後 (2009/10/14) トニー・パーカー 商品詳細を見る |
トニー・パーカー著、沢木耕太郎訳『殺人者たちの午後』(飛鳥新社/1785円)読了。
英国のジャーナリストが、10人の殺人者たちに話を聞いてまとめたインタビュー・ノンフィクション集。
英国には死刑制度がなく、登場する10人はいずれも終身刑を宣告された身。服役中の者もいれば、仮釈放でシャバに出ている者もいる。男もいれば女もいる。
著者のトニー・パーカー(故人)は、優れた聞き書きの技術から「テープレコーダーの魔術師」とも呼ばれた人なのだそうだ。
テーマとは裏腹に静謐な印象の本である。10編はいずれもモノローグ形式で構成され、読者は2人きりの部屋で殺人者たちの話を聞いているような気分になる。
殺人者を主人公にしたノンフィクションは日本にもよくあるが、その多くは煽情的で(※)、当の殺人者がいかに人でなしであるかをこれでもかとばかりに強調する。本書のアプローチはまったく逆で、少しも煽情的ではない。殺人者たちを我々と地続きの存在として、その等身大の人間像をリアルに描き出したものなのだ。
※「殺人ポルノ」という呼び方があるのを最近知った。戦場で人が殺される様子を撮影したグロ映像などを、「ポルノを楽しむように」楽しんでしまう(!)ことを指したもの。『新潮45』とかがやっている煽情的な犯罪ドキュメントも、一種の「殺人ポルノ」だと思う。
さりとて、「殺人者にも人権がある!」と声高に訴えるようなものとも違う。著者は、ヘンに身構えることなく、虚心坦懐に殺人者たちのライフストーリーに耳を傾ける。それも、1人に対して何度もくり返し取材をつづけて……。その結果、訳者の沢木耕太郎が言うように、「取材された殺人者たちの心の奥に触れているような感じがする」本になっている。
登場する殺人者の中には同情の余地があるケースもあれば、ないケースもある。見るからに粗暴な者もいれば、「なぜこの人が殺人を?」と不思議になるような者もいる。しかし、どのケースでも、一個の人間としての像が鮮やかに心に浮かぶ。「人間が描かれている」のである。
唾棄すべき殺人者の人生にすら、胸を震わせる一幕がある。
私が本書で最も強い印象を受けたのは、幼い息子を虐待の果てに殺してしまった男――すなわち一片の同情の余地もない殺人者が漏らした、次のような言葉。
あのタンスの一番上の引き出しには靴下やハンカチが入っている。そこに敷いてある新聞紙の下には、小さな封筒がある。セロテープで封をした茶色の封筒だ。もし火事になってすぐ逃げなきゃならなくなったら、あれだけはどんなことがあっても持って行く。この部屋にある物すべてを諦めても、あれだけは持って行く。
(中略)
でも、その封筒を開けたことも中身を見たこともない。ただの一度もないし、これから先も開けるつもりはない。俺が刑務所を出たとき、封をしたままローナがくれたんだ。受け取るとき、何が入っているのか訊ねると、教えてくれた。
その中身は、俺がジャックを殺してしまう二週間くらい前に、公園でローナが撮った俺とジャックの写真なんだ。
↑本書を読みながら思い出した曲、シャーデーの「ライク・ア・タトゥー」。シャーデーが酒場で元兵士の男に言われた、「人を殺したときの記憶が、いまもタトゥーのように心から離れない」という言葉から生まれた曲。
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