島田雅彦『小説作法ABC』

小説作法ABC (新潮選書)小説作法ABC (新潮選書)
(2009/03)
島田 雅彦

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 島田雅彦著『小説作法ABC』(新潮選書/1260円)読了。

 島田雅彦が初めて書いた「小説の書き方」入門である。
 入門書とはいえ、対象読者のハードルはわりと高めに設定されている感じ。たとえば、小説家を夢見る高校生が本書を読んだら、「ムズカシイなあ」と途中で投げ出してしまいそうだ。

 「小説の書き方」入門としてどれほど実効性があるかは定かでないが、島田自身の小説観を一通り開陳した文学論としても面白く読める。

 本書を読んで改めて感じたのは、島田雅彦は作家としてよりもまず評論家として、ひいては文学研究者として非常に優秀であるということ。いまや島田も作家兼大学教授だが、最初から文学研究者としてアカデミズムの道を歩んでいたとしても一家を成した人だと思う。
 逆に言うと、評論家肌、研究者肌だからこそ、島田の小説はあまり面白くないのかも。

 島田は第1章で、文学を神話・叙事詩・ロマンス・小説・百科全書的作品・諷刺(サタイア)・告白の7種に大別し、それぞれの特色を論じていく。
 そして、「ロマンス」と「小説」を分かつものは「自己批評の精神」の有無であるとし、次のように述べる。

 私たちは、今日出版されているフィクションのほとんどを、便宜上、小説として受けとっていますが、そのじつ、小説になりきっていないものが大半です。自己陶酔しか感じられない小説は、ロマンスと分類されるべきなのだから。
(中略)
 しかし、主人公のなかに苦い自己認識があり、第三者の目から見れば自分の行動がいかに滑稽かを暴く批評意識が盛り込まれていたならば、それは小説の仲間であるとみなすことができるでしょう。



 ……と、このように文学史全体を鳥瞰したうえで、小説を書くための基本的技術が論じられていく。その中には、本質をずばりと衝いた至言がちりばめられている。
 たとえば、比喩表現についての次のような指摘――。

 自分が伝えたいと思っているイメージを、一発で相手の脳のなかに生じさせられる言語の使い手こそ、比喩表現の巧者です。手っ取り早くその奥義をお教えしますと、フィジカルな感覚、自分の肉体の感覚にダイレクトに訴えかけていくような比喩表現を使ってみることです。
(中略)
 比喩というのは、一文のみに使われるものではありません。単一の文章だけでなく、それらの文章が重なっていったときに、全体として匂い立ってくる比喩の効果というものも、たしかに存在するのです。それは、描写の戦略でもあります。比喩表現は、本来単発で使用されますが、そこにある種の規則性を持たせてやるといいのです。



 また、本題から外れた余談的部分にも、島田の批評能力が躍如としていて、思わず膝を打つ鋭い指摘が多い。たとえば――。

 なぜ韓流ドラマにおいて記憶喪失というテーマは頻出するのでしょうか。そのひとつの答えが、韓国には徴兵制があるから、ということになろうかと思います。つまり、韓国の男子は一九歳から三○歳になるまで、ほぼ二年半にわたって入隊します。二年半はけっこう長い。それまでの人間関係や生活スタイルや恋愛が、一旦断ち切られる感覚を持つはずです。ある種のワープをしたかのような、断絶の体験。青春の中断。とすれば、徴兵制のメタファーとしての記憶喪失が、物語に入ってくるのは当然ではないでしょうか。



 巻末には「番外編」として、自らのデビュー当時からの経験をふまえて「作家の心得」を説く文章が付されている。“自分は作家としてこのような覚悟をもっている”というマニフェストとしても読めるもので、島田らしからぬ熱い文章になっている。
 私には、この「番外編」がいちばん面白かった。次に引く一節など、感動的ですらある。

 七○歳を超えてなお、一日たりとて書かない日はない古井由吉氏の小説への執着はいったい何に由来するのか、私はかつて面と向かって訊ねたことがあります。氏は不気味な微笑とともにこういいました。
 ――憎しみだね。
 確かに世界に対する憎悪は強靱な執筆のエンジンになりうる。自分の存在を希薄にするような世界に対しては、おのが存在を呪いの言葉とともに刻みつけてこそ復讐になる。その意味で孤立無援は作家の勲章です。人気者は迎合という雑務をこなすうちに凡庸化するから、どれだけ憎しみを保っていられるかの勝負になるでしょう。そういえば、古井氏は大家への論功行賞としての文学賞一切を拒否しているそうです。賞欲しさのスケベ心が創作の邪魔になるという。こうなると、創作も個人的な宗教の色合いを帯びてきます。
 古井氏はこうもいいました。
 ――書くことがなくなってから、本当の作家になるんですよ。
 書くことがなくなったら、上がりというわけではないらしい。無論、大家は書かなくても、作家と見倣されるという意味でもない。書くことがなくなっても書き続けなければ、本当の作家ではないという意味です。三○年以上書き続けていれば、そのような境地に至るのです。古井氏がいう本当の作家は果たして、世界に何人くらいいるでしょうか? たぶん、世界に一○○人、日本では五人くらいではないでしょうか。



 この「番外編」は力が入っていてよいのだが、本書全体についてちょっと残念なのは、他の作家の作品や自作からの引用文がやたらと多いところ。必然性の感じられない引用も目立ち、ページ稼ぎにしか思えない。引用を全部取っ払ったら、ページ数は半減してしまうだろう。

 丸山健二の「小説の書き方」本である『まだ見ぬ書き手へ』は、ほかの作品からの引用をただの一つも用いずに書かれていた。その点でも、あの本は潔い名著であったと思う。

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コメント

巧みに自己の有り様を変貌させるから一貫性がない
>逆に言うと、評論家肌、研究者肌だからこそ、島田の小説はあまり面白くない

もしくは、かなり指向に偏りがあって、受ける人には大受け・・・、かも。
「傾国子女」という新作を出されましたが、こちらも島田さんらしい
作品でした。ちなみに島田さんの作品でググってたら、
http://www.birthday-energy.co.jp/
というところで論評しているのを見つけました。

状況や環境により、巧みに自己の有り様を変貌させる才能を
お持ちらしいです。
求められると仕事をしてしまうのでしょうかねぇ。
一貫性を保てないのが弱点かも。
  • 2013-05-04│22:11 |
  • 敦信 URL│
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。54歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴31年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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