桜井昌一『ぼくは劇画の仕掛人だった』

ぼくは劇画の仕掛人だったぼくは劇画の仕掛人だった (1978年)
(1978/11)
桜井 昌一

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 桜井昌一著『ぼくは劇画の仕掛人だった』(エイプリル出版)読了。

 昨日読んだ『ゲゲゲの女房』に、著者の桜井昌一が印象的な形で登場してくる。

 桜井さんとはお互いお金のない時代に惨めさを分かち合った同士ということもあり、水木にとっても私にとっても、最も親しみを感じる人物です。



 と……。
 それで興味を抱いて、タイトルだけは知っていた本書を図書館の保存庫から出してきてもらって読んだというしだい。1978年に発刊されたもので、いまは入手困難であるようだ(古書では高値がついている)。 
 著者はマンガ家・辰巳ヨシヒロの実兄で、自らも元マンガ家。そして、小出版社・東考社の社主として、マンガを出版する側でもあった人物(故人)。

 本書は、前半が著者と辰巳ヨシヒロが貸本マンガの世界で名を成すまでの奮闘記。後半は、貸本時代からなじみのある大物マンガ家たちの思い出を綴った「列伝」となっている。
 辰巳ヨシヒロは、「劇画」という言葉の提唱者である。その実兄が「劇画」誕生前後をつぶさに振り返った本書は、マンガ史の史料としても価値の高いものだ。
 さきごろ手塚治虫文化賞を受賞した辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』は、本書の劇画版ともいえる(のだそうだ。私は現時点では『劇画漂流』は未読)。

 それにしても、水木しげるの自伝などを読んでも思うことだが、当時の貸本マンガ家というのは、たとえ売れっ子であっても一人残らず「ワーキングプア」である。のちに一流マンガ家となっていく人たちが、よくまあこんな劣悪な条件で必死にマンガを描いていたものだと思う。
 とはいえ、本書でいちばん面白いのは、貸本マンガ時代のビンボー話なのだが……。

 後半の列伝の、水木しげるの章から一節を引く。

 昭和三十九年から四十年は貸本業界の構造的な不況がどんづまりまでいって、貸本マンガにたずさわる作者たちの大量失業の時代であった。(中略)
 有能な多くの人たちが筆を折り、他の職業を求めて姿を消していった。退職金も貯金もなく、はじめから出なおそうとした人たち。それまでのめりこんで身につけた修練の腕は特殊なもので、世間的な判断ではその価値は皆無に等しい。ぼくと水木は確かに半分はマンガに絶望していたかもしれないが、おなじ悪い闘いをするにしても、この状況の中でマンガにたずさわっていられただけで、しかたなくほかの仕事をしなければならなかった人たちと較べれば、まだ幸運だったといわなければならないだろう。



 列伝には水木以外に、永島慎二、つげ義春、さいとうたかを、白土三平、佐藤まさあき、水島新司、山上たつひこらが登場し、それぞれ面白い。とくに、水島新司がマンガ家としてデビューするまでの苦労話はすさまじく、強烈な印象を残す。たとえば――。

 水島の話によれば、中学時代は家庭の貧しさのために、自分の教科書を買い入れることすらできなかったそうだ。水島は学年の各クラスの授業時間割を調べて、自分のクラスの時間割と対比し、他の学級の友人の空いている教科書を借り出して授業を受けなければならなかった。



 マンガが「ハングリー・アート」と呼ばれた時代の息吹を伝える好読み物。絶版のまま埋もれさせるには惜しい。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。56歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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