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フリーライター前原政之の、感想日記(本・映画・音楽・マンガetc.)+日常雑記

『ぐるりのこと。』

 渋谷のシネマライズで『ぐるりのこと。』を観た。

 公式サイト→ http://www.gururinokoto.jp/

 いまや夏川結衣、南果歩、麻生久美子を抜いて「日本一の薄幸顔美人」の座に輝いた(私の中で)木村多江の映画初主演作。
 彼女が演じるのは、赤ん坊を喪った悲しみからうつ病になってしまう妻。ううむ、一世一代のハマリ役ですな。

 絶対観たいと思って前売り券を買っておいた映画。期待を上回る素晴らしい作品だった。

 木村多江は小さな出版社の編集者で、夫のリリー・フランキーは法廷画家。編集の現場とか法廷の雰囲気とかが、すこぶるリアル。登場するマスコミ人すべてに血が通っている感じ。「あー、いるいる、こういう人」とうなずく場面が山ほどあるのだ。

 1990年代初頭から2000年代初頭までの、10年間にわたる夫婦愛のドラマ。その背後に、夫が法廷画家として描く重大事件の被告たちの姿を通して、日本の10年間が浮き彫りにされていく。

 夫婦愛のドラマといっても少しもベタベタしていないし、クサくない。淡いユーモアをちりばめて、重い題材を軽やかに描いている。重さと軽さの配合具合が絶妙。

 木村多江ももちろんよかったが、それ以上に目を瞠ったのはリリー・フランキーの演技力。主演男優賞ものの名演である。
 序盤とクライマックスに、かなりの長廻しで夫婦のやりとりを撮った場面が出てくる。その2つのシーンが映画全体のキモといってもよいのだが、そこでの彼の間の取り方など、もう絶品。
 いやー、びっくりした。「作家の片手間仕事」の域をはるかに超えている。リリー・フランキーは画才も文才もあるうえに演技もうまいとは……。「多才」とはこういう人のためにある言葉だなあ。

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 「この映画の空気感、何かに似てるなあ」と考えていて、ふと思い当たった。高村光太郎の詩「梅酒」だ。

 

死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光を葆み、
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
(中略)
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒濤の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。



 いうまでもなく、『智恵子抄』の中の一編。集中最も名高い「レモン哀歌」や、「東京に空が無い」の一節で知られる「あどけない話」より、私はこの詩がいちばん好きだ。
 
 『ぐるりのこと。』は、心の病の世界から蘇生する“もう1人の智恵子”の物語なのかもしれない。夫婦が2人とも美大卒で、妻がふたたび絵筆をもつことによって癒されていくという設定も、監督が『智恵子抄』を意識していたがゆえではないか(光太郎は彫刻家でもあり、智恵子は画家だった。為念)。

 「狂瀾怒濤の世界の叫」にあたるのは、映画の中で裁かれる狂った殺人者たちの姿。だが、その「狂瀾怒濤」も、夫婦の静かな絆を「犯しがたい」のだ。 
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