矢野顕子『LOVE LIFE』

LOVE LIFELOVE LIFE
(1991/10/25)
矢野顕子

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 昨日のエントリを書くにあたって矢野顕子のアルバムをいくつか聴き直したのだが、1991年の名盤『LOVE LIFE』を久しぶりに聴いてみて、ちょっとビックリ。

 このアルバム全体が、「自分のもとから去っていく坂本龍一に向けたトーチ・ソング(失恋や片思いの哀しみを表現した歌)」で構成されていたのである(!)。ずっと愛聴してきたのに、いまごろそのことに気づいた。


 アルバム終盤の2曲、「愛はたくさん」と「LOVE LIFE」が「そういう曲」であることは、ファンの間では周知のことであった。

どんなに離れていても
愛することはできる(「LOVE LIFE」)



 とか、

泣きたい 今はただ 泣きたい
やがて すべて 忘れられる日まで
はなれてても 歌をうたいつづけているからね(「愛はたくさん」)



 などというストレートな「トーチ・ソング」になっていたから。
 
 だが、この2曲だけではなかった。ほかの曲も、歌詞をよく読んでみれば“隠れトーチ・ソング”になっているのである。たとえば――。

ほうきで掃き出す 家中のかなしみを(「BAKABON」)
     *
釣れるのは あなたの切れ端
抱き寄せて 連れて帰る
(中略)
ひとりだけでも 釣りに来れるようになった(「ANGLER’S SUMMER」)



 アルバム中最もアップテンポで、表面上は楽しさに満ちた「湖のふもとでねこと暮らしている」さえ、歌詞の中の「あなた」を坂本龍一と考えれば、じつはトーチ・ソングであることがわかる。

あの山のふもとで 犬と暮らしてるあなた
いつか犬と二人で 帰らぬ旅に出ても
わたしきっと あなたを きっと好きでいるから(「湖のふもとでねこと暮らしている」)



 「犬」とは坂本の愛人で、「わたし」と暮らしている「ねこ」とは少女時代の坂本美雨(坂本との間に生まれた長女。現・歌手)のことであろうか。
 そう考えると、この歌の牧歌的な楽しさの底に秘められた矢野顕子の哀しみに、胸をつかれる思いがする。

 また、名曲「いいこ いいこ(GOOD GIRL)」の次のような歌詞(これは糸井重里作詞だけど)。

たまにね ほんとに たまにね
おかあさんも なでられたい
ついでみたいに ささっとだけでも
そのくらい たまにでいいんだ
いいこ いいこ いいこ いいこ

おかあさんも ほめられたい



 これを、一般的な主婦の気持ちを表現した曲としてのみ私は聴いてきたけれど、じつは、坂本にとってただの「おかあさん」になってしまった矢野顕子の哀しみが反映されていたのではないか。

 矢野顕子は、アルバム1枚を費やして、去りゆく坂本龍一へのトーチ・ソングを歌い上げていたのである。坂本本人を含めて、わかる人にだけわかる形で……。

 そのことに気づかず、たんに楽しい曲として「BAKABON」や「湖のふもとで猫と暮らしている」を聴いてきた私は、ファンとして不覚であった。

 アルバムうしろのクレジットを見てみれば、献辞が「MY LOVE TO RYUICHI――」で始まっている。
 にもかかわらず、当の坂本はもう、プロデューサーとしてもミュージシャンとしても参加していないのだった。

 『LOVE LIFE』は、ポップス史上最も切なく美しいトーチ・ソング・アルバムである。
 その切実さにおいては、中島みゆきもカーリー・サイモンの『トーチ』(ジャズのトーチ・ソングを集めたアルバム。ジェイムス・テイラーとの離婚直後に発表された)も目じゃない。失恋直後もしくは片恋中の人は、ぜひ一聴されたし。
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コメント

Re: タイトルなし
かしこさん

コメントありがとうございます。

キョージュが先頃出した自伝『音楽は自由にする』を読まれましたか?
アッコちゃんのことはほとんど出てこないのですが、ごくわずかな言及の中に、印象深い言葉がいくつもあります。

“「矢野顕子という天才を救わなければならない」という、ある種の男気から僕は結婚したのです”(趣意)とか……。

まあ、離婚後も2人はよき友人であり、音楽家として互いを尊敬し合っているようですから、それが救いといえば救いでしょうか。
20年来のあっこちゃんファンです。実は今日久しぶりに「LOVE LIFE」を聞き返していて、私も同じ事を感じていました。すべての曲が、教授にあてたソングに聞こえますね。
16年前に行ったライブで、涙で声がつまってしまった曲がありました。ちょうど別居の時期だったんだなあ・・・
  • 2009-05-21│00:02 |
  • かしこ URL│
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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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