mm(ミリメートル)

フリーライター前原政之の、感想日記(本・映画・音楽・マンガetc.)+日常雑記

『マザー・テレサ』

マザー・テレサ デラックス版マザー・テレサ デラックス版
(2006/02/24)
オリビア・ハッセー、ラウラ・モランテ 他

商品詳細を見る


 『マザー・テレサ』をケーブルテレビで観た。2003年に作られた伝記映画である。

 36歳から87歳までのマザー・テレサを演ずるのは、オリビア・ハッセー。これがなかなかハマリ役で、最晩年に近づくほど本物そっくりになっていく。

 脚本は手堅くまとまっている。マザー・テレサを、人間離れした聖者として描くのではなく、等身大の人間として描く視点がよい。この映画の中のマザー・テレサは、たぐいまれな利他心と人格の輝きをもつ一方で、弱さも欠点ももち、ユーモアも愛嬌もある女性として描かれているのだ。

 ただ、演出は平板で面白みがない。人物のクローズアップが妙に多かったりして、小ぢんまりとして画面に広がりが感じられないのだ。
 「なんだか、映画というよりテレビドラマみたいだ」という印象を抱いたが、それもそのはず、これはもともと3時間のテレビドラマとして作られたものを、映画館用に短く編集し直した作品なのだそうだ。
 パセティックで垢抜けない同じ音楽がしつこく流れるのも、やや耳障り。

 ……と、ケチをつけてしまったが、そうした瑕疵はあってもなお、ここに描かれるマザー・テレサの生涯はすこぶる感動的である。

 マザー・テレサはマハトマ・ガンジーによく似ている、と感じた。何が似ているかといえば、理想に向かって脇目もふらずに突っ走る姿勢である。

 人が理想を追い求めて進んでいくとき、いたるところで現実の壁にぶつかる。並の人間はそこで現実と妥協し、小幅な軌道修正をくり返して理想に近づこうとする(あるいは、理想を追うのをあきらめる)。
 だが、マザー・テレサにもガンジーにも妥協は一切ない。「現実の壁」をあくまで正面突破しようとするのだ。とくに、この映画の中のマザー・テレサは、まるで現実の壁など眼中にないかのようだ。
 困難に直面して、彼女は言う。「私の考え方はシンプルなの。(どんなに困難に見えても)主がそれを望まれれば実現するでしょうし、望まれなければ実現しないでしょう」と……。だから、現実がどうあれ、理想を目指して突き進むのだ。その姿はときにドンキホーテのようにも見える。

 マザー・テレサにしろガンジーにしろ、身近に仕えていた人たちはさぞたいへんだったろうと思う。「お願いだから、もう少し現実に目を向けてください!」と叫びたくなることもしばしばだったことだろう。

 この映画は、理想に向かってひた走るマザー・テレサが途中途中で現実の壁とぶつかる様子を、エピソードとして描いたものともいえる。
 それらの壁は、彼女の人格の輝きによって乗り越えられる場合もあれば、ドンキホーテ的な悲哀の印象のみを残すこともある。その両方をきちんと描くことで、通りいっぺんの偉人伝には終わらない深みが生まれている。
 
別窓 | 映画 | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<戸梶圭太『未確認家族』 | mm(ミリメートル) | マイルス・デイヴィス『ジャック・ジョンソン』>>

この記事のコメント

∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| mm(ミリメートル) |