石川明人『キリスト教と日本人』



 石川明人著『キリスト教と日本人――宣教史から信仰の本質を問う』(ちくま新書/972円)読了。

 この著者(桃山学院大学准教授)は、とてもよい本を書く。
 私が彼の著書を読むのはこれが3冊目だが、過去2冊――『キリスト教と戦争』と『私たち、戦争人間について』は、それぞれ私の年間ベスト5には入る好著であった。

■関連エントリ
石川明人『キリスト教と戦争』
石川明人『私たち、戦争人間について』

 著者の専門は宗教論と戦争論であり、「宗教と戦争」をテーマにした著作が多い。
 本書のテーマは書名のとおり「キリスト教と日本人」であるが、やはり随所に「宗教と戦争」をめぐる話が出てくる。
 とくに、戦国時代のキリシタン大名を軍事的に支えたのが宣教師たちだった――つまり宣教師たちが積極的に「戦争協力」していた――という話は衝撃的だ。

 「あとがき」にはこうある。

 これはキリスト教の入門書ではなく、日本キリスト教史の解説書でもない。本書は、宗教とは何か、信仰とは何か、ということについての、長々とした「問い」そのものだと言ってもいい。



 本書の副題が「宣教史から信仰の本質を問う」であるのは、そうした意図ゆえなのだ。その意図は、第6章「疑う者も、救われる」にいちばんはっきりと示されている。 
 ただ、そこまでの5章は、「日本キリスト教史の解説書」として読んでも十分有益である。
 フランシスコ・ザビエルらによるキリスト教伝来から説き起こし、長いキリシタン弾圧を経て、現代日本におけるキリスト教まで、数百年の歴史が一望できるのだ。日本人とキリスト教をめぐる先行研究にも広く目配りされ、その研究史の概説として読むこともできる。

 著者自身もキリスト教徒だそうだが、内容に「護教」的な偏りはない。キリスト教史の暗部についても中立公平に記述しているのだ。それは本書のみならず、過去の著作にも共通する姿勢である。
 だが、そうした姿勢ゆえ、著者は他のキリスト教徒から批判されることもあるという。

 キリスト教徒の中には、その宗教に対して懐疑的なことも言う私のような者はキリスト教徒ではないと考える方もいらっしゃるようで、かつて、ある年上の信徒の方から、あなたには信仰がない、と言われたこともある(16ページ)



 敬虔なキリスト教徒からは、そう見える面もあるのかもしれない。が、非キリスト教徒の私から見ると、著者によるキリスト教の暗部への批判は、しごくまっとうである。

 たとえば、キリシタン弾圧を紹介するにあたっても、宣教師たちが仏教弾圧も指導した〝加害者〟としての一面を持っていたことを、公平に紹介している。
 また、宣教師の中に人格高潔な人もいた一方で、日本人と日本の宗教への蔑視を隠そうともしない傲慢な者もいたことが紹介されている。

 くり返し映画化された遠藤周作の『沈黙』など、物語の中のキリシタンと宣教師たちは、もっぱら〝迫害された善良な被害者〟としてのみ描かれてきた。それが一面に偏った像であることを、本書は教えてくれる。

 日本でキリスト教が受け入れられず、過酷な迫害がなされるようになったのは、もっぱら日本人の側の無理解と差別のみが原因というわけではない。キリスト教の側が一方的に純粋な被害者だったのかというと、決してそう単純な話でもないのである。
 かつて、ヨーロッパのキリスト教徒たちは、外国に行っては現地の宗教文化を排斥し、壊滅させ、反抗する原住民を虐殺してきた。暴力を用い、経済的に搾取し、同時に宣教師を送り込んで、キリスト教徒を増やしていった。(中略)
 しかし、日本はヨーロッパのキリスト教徒による侵略が当たり前だった時代に、それをさせなかった。あるいは、それをされずに済んだ。そのことが日本にキリスト教が広まらなかった理由の全てとは言わないまでも、重要な背景の一部であることは確かである。(228ページ)



 本書は、キリスト教徒が読むと不快な面があるかもしれない。むしろ、非キリスト教徒にとってこそ興味深く読める本である。

 第6章「疑う者も、救われる」だけは、全体から見るとやや異質。ここではそこまでの5章分の議論をふまえ、「宗教とは何か、信仰とは何か」という根源的な問いが提起されているのだ。

 著者は、「何かを真理だと信じ込んで『疑わないこと』、すなわち『思考の停止』が信仰なのかというと、決してそう単純なものではない」(271ページ)とする。
 そして、神学者パウル・ティリッヒの著作をふまえ、次のように書くのだ。

 真剣に真理を探求している限り、懐疑は信仰と矛盾しない。誠実な求道の精神による疑いのみならず、虚無感や絶望による疑い、さらには神に対する呪詛のなかにさえ、「究極的な関心」(=信仰)がありうる。神への「疑い」も、疑いや否定という形でその人の目は依然として神に向けられているからだとされる。宗教批判さえ、逆説的に宗教的でありうる。
 つまり、疑う者も、救われるのだ。(276ページ)



 この第6章は、著者のことを「信仰がない」と批判したという、年長のキリスト教徒に向けた反論でもあるのだろう。

 「キリスト教と日本人」という切り口から、信仰の本質を真正面から問う力作。

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野口悠紀雄『「超」AI整理法』



 野口悠紀雄著『「超」AI整理法――無限にためて瞬時に引き出す』(KADOKAWA/1620円)読了。

 野口の「知的生産の技術」関連著作は、90年代のミリオンセラー『「超」整理法』以来、ほとんど読んでいる私(ただし、本業の経済学者としての著作はほぼ未読)。

 それらの中で真に独創的だったのは、最初の『「超」整理法』くらい。他の著書には駄本も少なくなかった。

 だが、これは久々に良書であった。「私にとっての良書」という限定つきだが……。
 本書で詳述されている、グーグルレンズを活用する情報整理術、スマホの音声入力を活用しての文章作成術は、私には目からウロコであった。
 ただし、グーグルレンズやスマホの音声入力をすでに知的生産に活用している人にとっては、「何をいまさら」な内容かもしれない。

 本書は、かつての『「超」整理法』『「超」勉強法』『「超」発想法』『「超」文章法』を、AIとスマホの時代に合わせてアップデートした内容といえる。

 とくに、音声入力を活用した文章作成のコツを明かした第4章「思考を整理する『超』AI文章法」は、私にはたいへん有益であった。私も音声入力で原稿を書いてみようと思う。

 私は、野口の『「超」文章法』を高く買っている。仕事柄、文章読本のたぐいはかなりの数を読んできたが、その中でも間違いなくベスト10に入る良書である。
 本書の「思考を整理する『超』AI文章法」の章は、『「超」文章法』と併読するとよいと思う。

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『全裸監督』



 以下は、上に書影を貼ったノンフィクション『全裸監督 村西とおる伝』(本橋信宏著)の感想ではなく、同書を基にNetflixで映像化されたドラマ『全裸監督』の感想である(同作はまだソフト化されていないため)。



 ちなみに、私は現時点では『全裸監督』未読。
 ただし、本橋信宏が村西とおるを描いたもう一つの著作『AV時代――村西とおるとその時代』 (幻冬舎アウトロー文庫)は、前に読んだことがある。

■関連エントリ→ 本橋信宏『AV時代――村西とおるとその時代』

 ツイッターのTL上で、『全裸監督』に言及しているほぼ全員が絶賛していた。そのことに背中を押され、観てみたしだい。
 なるほど、これは傑作だ。シリーズ1の全8話を、半日かけてイッキ見してしまうくらい面白かった。

 隅々にまで、ものすごくお金と手間ヒマがかかっている。そして、そのことが一目瞭然にわかる。
 たとえば、後半の舞台となる1980年代の新宿歌舞伎町をリアルに描くために、町ごと再現する大規模なセットを組んだという。スゴイ話だ。
 また、脇役にまで主役級の役者を使ったりして、キャストも豪華だ。

 村西とおる役・山田孝之の体を張った熱演を筆頭に、役者たちもこぞって好演。
 もう一人の主人公ともいうべき黒木香役の森田望智(みさと)も素晴らしい。顔立ちはとくに似ているわけではないのに、物語後半での演技は黒木香になりきっている。

 村西とおるのサクセスストーリーの背後に、ビニ本→裏本→AVという80年代アダルトメディア興亡史が二重写しとなる……という構成もなかなかのものだ。

 ただ、原作はノンフィクションだが、本作は事実そのものを描いているわけではない。随所にフィクションが織り込まれているし、物語の都合に合わせて時系列が入れ替えられたりしている部分も多いのだ。

 たとえば、シーズン1の終盤で、村西と関わりを持つヤクザの古谷(國村隼)が殺人を犯したりする『アウトレイジ』的描写。このへんは当然フィクションである。

 また、ハワイでAV撮影を行ってFBIに逮捕された村西が、黒木香のAVデビュー作の大ヒットによって司法取引費用を捻出して釈放される描写。実際には逮捕前に黒木のデビュー作は大ヒットしており、ここにも時系列の改変がある。

 むろん、作品を面白くするためにはそうした潤色もあってしかるべきで、目くじら立てる気はない。ただ、本作が事実をありのまま描いているという勘違いはすべきではないだろう。

 あと、本作は世代によってかなり評価が分かれる作品だと思う。80年代アダルトメディアの興亡をリアルタイムで知っている人ほど面白く観られるが、いまの20代・30代には面白さが半分くらいしか伝わらない気がする。

 とくに、村西や黒木香が「時代の寵児」となったころの空気を肌で知っているか否かで、本作の受け止め方は大きく異なるはず。
 マンガ家の田中圭一氏がツイッターで、本作について「50代以上で村西とおる監督を知っている人は絶対に視聴すべし!」と書いていた。まさに、私のような50代にこそドンピシャな作品なのである。

 一つだけ難を言えば、村西とおるがあまりにもカッコよく描かれすぎている。

 本作の村西は、日本にある種の「性革命」をもたらしたダーティ・ヒーローとして描かれている。
 だが、本来はヒーローというよりキワモノ的な魅力の持ち主なのだろうし、ここに描かれていない暗部をたっぷり抱え込んだ人だと思う。

 ノンフィクション作家の佐野眞一が、『アエラ』の「現代の肖像」で村西を取材して描いたことがある(佐野の著書『人を覗にいく』に収録)。そこにはこんな一節があった。


 村西は、こと女優に対しては、本物の猫でも出せないような猫なで声を連発し、割れ物でも運ぶように扱うが、いざ男性スタッフに向き合うと、態度をガラリと豹変させる。ちょっとしたミスにも、二度と立ち直れそうにないくらいの雑言を吐き散らし、ときには殴る蹴るの行状にも及ぶ。村西の暴力に耐えかねて逃げ出したスタッフは一○○名を下らず、なかには、タバコを買いに出かけたまま姿をくらましたスタッフもいる。村西軍団はこのため、サンドバッグ軍団とも呼ばれている。



 村西のそのような一面は、ドラマ『全裸監督』には描かれていない。
 あるいは、近く作られるシーズン2では、そうした暗部まで突っ込んで描く腹づもりなのだろうか。

 また、シーズン2では、黒木香が自殺未遂をしてメディアから消えた背景(くわしい事情は不明だが、そこまで彼女を追いつめたのは村西に違いない)も赤裸々に描いてほしい。
 そこまでやってこそ、このドラマは真に傑作たり得るのだと思う。

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『こんな夜更けにバナナかよ』



 『こんな夜更けにバナナかよ』を映像配信で観た。



 大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した、渡辺一史の傑作ノンフィクションの映画化。
 難病「筋ジストロフィー」と闘う鹿野靖明(1959~2002)と、彼を支えるボランティアたちの日常を描いている。

 脚本(橋本裕志)がすこぶるウェルメイドである。最初から最後まで、少しも退屈がない。

 こんなふうに、障害者の日常を笑いをまじえて描く映画というのは、日本映画にはこれまで例がなかったのではないか(洋画なら『最強のふたり』などがあるが)。

 これまで、日本の映画やテレビドラマではもっぱら、身障者は哀れみの対象として、また、清らかで欲望も悪意も持たない、いわば〝純粋弱者〟として描かれてきたからである(邦画のわずかな例外は『ジョゼと虎と魚たち』くらいか)。

 しかし、自分では寝返りすら打てない重度身障者であっても、欲望もあれば悪意もある。あたりまえのことだ。本作はその「あたりまえ」を、軽快かつリアルに描いている。

 身障者を描いた映像作品としては、1979年放映の山田太一脚本作品「車輪の一歩」(連続ドラマ『男たちの旅路』の一話)が、画期的であった。
 それまでの「欲望も悪意も持たない清らかな身障者」像から離れた、等身大の身障者像が初めてテレビドラマに描かれた作品だったのだ。



 『こんな夜更けにバナナかよ』は、「車輪の一歩」から40年の時を経て、〝映像に描かれた身障者像〟の期を画した作品だと思う。

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『乾いた花』



 『乾いた花』を映像配信で観た。



 篠田正浩による、石原慎太郎の短編小説の映画化。
 和製フィルム・ノワールであり、〝ヌーヴェルヴァーグなヤクザ映画〟である。タイトルだけは知っていたが、初めて観た。

 1964年――つまり、前の東京オリンピックの年に作られた映画。
 いまから55年も前の作品なのに、すこぶるクールでスタイリッシュ。封切り当時に観ていたら、さぞ斬新に思えたことだろう。

 モノクロの画面に躍動する、光と影のダイナミックなコントラスト――。暗い夜の場面が多いのに、ヴィヴィッドな色彩感覚が感じられる。撮影が素晴らしい。

 組のために人を殺して服役し、出所してきたばかりのヤクザ・村木(池部良)と、賭場に現れては後先考えない金の張り方をする謎めいた若い女・冴子(加賀まりこ)。2人の出会いと別れの物語だ。

 賭博のスリルくらいにしか生の実感を感じられない2人が、少しずつ破滅に向けて歩を進めていくプロセスが、物語の主軸となる。

 一般的なヤクザ映画のようなカタルシスはなく、むしろ奈落の底に落ちていくようなデカダンスに満ちた、奇妙な味わいのヤクザ映画。

 「手本引き」など、ヤクザが仕切る賭博をじっくりと描いたギャンブル映画としても貴重だ。
 ハードボイルドな雰囲気を全身から発散する池部良がやたらとカッコよく、「妖精」と呼ばれていた若き日の加賀まりこがチャーミング。

 マーティン・スコセッシやフランシス・コッポラにも影響を与えた映画だそうだ。
 また、関川夏央原作の一連のハードボイルド劇画(『真夜中のイヌ』や『事件屋稼業』『海景酒店』など)も、明らかにこの映画に影響を受けている。
 たとえば、『事件屋稼業』にも「乾いた花」と題した一編があった(ストーリーは別物)。また、ハードボイルド短編集『海景酒店』所収の「東京式殺人」は、賭場のシーンやラストシーンなどが、明らかに『乾いた花』へのオマージュとして作られている。

 「東京式殺人」は当時、フランス人アラン・ソーモンが書いた脚本を関川が潤色したという形で発表されたが、ソーモンは架空の人物であることを、最近関川が明かした。

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谷岡一郎『ランキングのカラクリ』



 谷岡一郎著『ランキングのカラクリ』(自由国民社/1512円)読了。

 この著者の本は、前に『「社会調査」のウソ――リサーチ・リテラシーのすすめ』(文春新書)というのを読んだことがある。これはとても面白い本だった。

 本書も、『「社会調査」のウソ』の類書、応用編だ。
 社会調査論を専門分野の一つとする研究者である著者が、豊富な専門知識をふまえ、世にあるさまざまな「ランキング」の裏側を暴いた書なのである。

 「世にはびこる多くのランキングは、遊びの範囲で楽しむものでしかなく、意味のないものなのだ」と、著者は言い切る。

 本書でやり玉にあげられるのは、「大学ランキング」「住みたい街ランキング」「理想の上司ランキング」「理想の父ランキング」「良い病院ランキング」「赤ちゃんの名前ランキング」など……。
 それらのうち、「大学ランキング」「住みたい街ランキング」「良い病院ランキング」あたりは、たしかに、マジメに受け取ってしまうと人生すら左右しかねないだろう。

 大マスコミや大企業などが手掛けるそれらのランキングに、いかにいいかげんでバイアスが多いかを、著者は指摘していく。
 とくに、大学ランキングに対する批判は、著者が長年大学の経営サイドに身を置いてきた人(大阪商業大学学長)だけに、緻密かつ執拗で、読み応えがある。

 個人的には、各種「幸福度ランキング」に潜むバイアスを指摘した部分が、大変有益であった。
 日本が幸福度ランキングで先進国中下位に甘んじている「謎」に、初めて得心のいく解答が得られた思いになった。

 なお本書は、指標と指数の違い、相関関係と因果関係の違いなど、統計学の基礎の基礎についてもくわしく説明されており、統計入門としても有益である。 

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澤村伊智『などらきの首』



 澤村伊智著『などらきの首』(角川ホラー文庫/690円)読了。

 「比嘉姉妹シリーズ」4冊目にして、初の短編集である。

 収録作6編がそれぞれタイプの異なる作品で、多彩。
 「ワンパターンには陥らず、どんどん新しい趣向に挑戦するぞ」という作者の覚悟を感じさせる。その意気やよし。

 のちに結婚する比嘉真琴と野崎の最初の出会いが描かれた「ファインダーの向こうに」、『ずうのめ人形』で非業の死を遂げた比嘉美晴(真琴の姉で琴子の妹)の小学生時代を描く「学校は死の匂い」、野崎が高校生のころに出合った最初の怪異を描く表題作……などが収録されている。

 一見、「比嘉姉妹シリーズ」と無関係に見える作品もある。
 「悲鳴」は、比嘉姉妹の誰も登場しない。だが、シリーズの愛読者なら、登場人物の一人が『ずうのめ人形』で呪いの発信源となった「あの女」であることがわかる。つまり、これは『ずうのめ人形』の前日譚なのだ。

 また、「居酒屋脳髄談義」は、途中までは居酒屋で3人のおっさんサラリーマンが部下のOLにモラハラ・セクハラ的議論を吹っかけるだけの話に見える。ところが、最後まで読むと、じつは比嘉姉妹シリーズであることがわかる仕掛けなのだ。

 澤村伊智は技巧的構成を得意とする作家だが、本書の6編にもその才がいかんなく発揮されている。
 「ああ、こういうオチね」と思わせておいて、その先にさらなるどんでん返しのオチがあったりして、トリッキーな仕掛けが幾重にもなされているのだ。

 私が気に入ったのは、「学校は死の匂い」「ファインダーの向こうに」「ゴカイノカイ」の3編。

 とくに「学校は死の匂い」は、今年の日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞したことでもわかるとおり、短編としてすこぶる完成度が高い。
 よくある「学校の怪談もの」のホラーと思わせておいて、じつはその怪談の裏には過去の隠蔽された事件が……というどんでん返しのミステリになる構成が見事。ラストシーンのゾワっとくる怖さも鮮烈だ。

 澤村伊智は短編もうまいなァ、と感心させられる一冊。

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澤村伊智『ししりばの家』



 澤村伊智著『ししりばの家』(KADOKAWA/1728円)読了。

 「比嘉姉妹シリーズ」の第3作。
 前作『ずうのめ人形』は、よくできてはいたが、いちばんキャラの立った姉・比嘉琴子が登場しない分だけ物足りなかった。

 対照的に、本作は琴子が出ずっぱりである。
 しかも、琴子がまだ霊能者として活動し始める前の小学生時代も、かなりの紙数を割いて描かれている。「琴子推し」の私としては、それだけで点が甘くなる。

 〝覚醒前〟の琴子は、霊が見えることにいつもビクビクしている気弱で根暗な女の子だった。それが、「ししりば」と遭遇する体験を通じて変わる。
 つまりこれは、最強の霊媒師・比嘉琴子の〝誕生〟を描く物語でもあるのだ。

 キングやクーンツらのモダン・ホラーの骨法を踏襲しながらも、澤村伊智は〝日本人にしか書けないホラー〟を書くことにこだわりつづけている。
 本作もしかり。 「呪われた家」という、ホラーとしては手垢にまみれきった題材を扱いながらも、ジャパネスクな味わいが絶妙なスパイスになっている。

 前2作もそうであったように、得体の知れない化け物の恐怖を主軸に据えながらも、終盤でその化け物の正体について、整合性ある謎解きがなされる。「なるほど。そういうことだったのか」という納得感がある。ホラーであると同時にミステリでもあるのだ。

 澤村伊智は技巧的な構成を得意とする人だが、本作も異なる視点の物語が同時並行で進行する凝った構成。

 また、「流れる砂」の描写が本作の鍵となるのだが、一行の文字数を厳密にコントロールすることによって、視覚的にも砂が流れていくような感覚を味わわせる箇所があるなど、文章も凝りに凝っている。

 加えて、本作はストーリー上、犬が重要な役割を果たすので、犬好きの私としてはそこも加点ポイント。

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藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』



 藻谷(もたに)浩介・NHK広島取材班著『里山資本主義――日本経済は「安心の論理」で動く』(角川新書/843円)読了。

 6年前(2013年)に刊行されベストセラーになった本だが、仕事上の必要があって、いまごろ初読。
 「40万部突破」だそうで、私の手元にあるものは2018年2月の第19刷。

 スタジオジブリの近藤勝也による描き下ろしイラストを用いた、特製の「全面帯(新書の全面を覆う帯)」で飾られている。
 全面帯は通常の帯よりコストがかかるため、よく売れた本や売れるであろう本にしか使われないのだ。

 中国地方限定で放映された、NHKのドキュメンタリー番組がベースになっている。

 「里山資本主義」とは、本のカバーに書かれた定義によれば、「かつて人間が手を入れてきた休眠資産を再利用することで、原価ゼロからの経済再生、コミュニティー復活を果たす現象」のことだという。

 これだと、ちょっとわかりにくい。
 「かつて人間が手を入れてきた休眠資産」とは、具体的には「里山」など〝自然の中の休眠資産〟を指す。
 安い輸入材に駆逐されて無用の長物と化していた里山の木材などを、これまでとは違う形で再利用することで、過疎地域に新しい自立の道を拓くのが「里山資本主義」なのである。

 本書で「里山資本主義」と対置されているのが、「マネー資本主義」。資本主義の爛熟の果てに生まれた、〝マネーゲームを中心に据えた投機的資本主義〟を指している。

 日本の中国地方山間部や、瀬戸内海の島しょ部、さらにはオーストリアの小さな地方都市で展開されている、「里山資本主義」による地域再生の事例が紹介される。

 田舎暮らしをロマンティックに推奨する本だけの本なら、山ほどある。そこから一歩踏み込んで、地方再生の方途としての〝田舎暮らし2.0〟を論じたのが本書なのである。

 リーマンショックと「3・11」によって、「マネー資本主義」の脆弱性が決定的に露呈し、〝経済的価値観のパラダイムシフト〟を求める機運が高まったことが、本書の背景になっている。

 ただし、本書は〝里山資本主義がマネー資本主義に取って代わる〟とか、〝原発に完全に訣別して自然・再生エネルギーだけで暮らす〟などという、「お花畑」な夢物語を述べたものではない。

 著者たちは「里山資本主義」を、「マネー資本主義の生む歪みを補うサブシステムとして、そして非常時にはマネー資本主義に代わって表に立つバックアップシステムとして」捉えているのだ。
 エコロジストにありがちな極端な主張に陥らない、冷静な論調に好感が持てる。

 何より、とかくネガティブに捉えられがちな日本の少子高齢化・地方の限界集落化などがポジティブに捉え直され、日本の未来に希望を抱ける書である。だからこそベストセラーになったのだろう。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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