真鍋昌平『アガペー』



 真鍋昌平の『アガペー』(ビッグコミックス/638円)を読んだ。

 『闇金ウシジマくん』の真鍋が、2011年から19年にかけて、折々に発表してきた短編4編を集めた最新短編集。

 あえて『ウシジマくん』の最終巻(46巻)と同日発売にしたのは、〝ここに収められた4編がいずれも『ウシジマくん』と地続きである〟と読者に示すためであろうか。

 4編のうち2編は『スピリッツ』と系列誌に発表されたものであり、残り2編は講談社のマンガ誌(『ヤンマガ』と『モーニング』)に発表されたものである。
 それはともかく、4編とも、『ウシジマくん』を長期連載するなかで生まれた、ある種のスピンオフなのだと思う。

 コミックスの帯には、次のような惹句が躍っている。


『闇金ウシジマくん』と歩いた15年。著者が取材を通じて感じ取った「現実」を魂ゆさぶるドラマに昇華した傑作短編集



 『ウシジマくん』の濃密な取材で得た事実の中には、同作に描ききれなかったことがたくさんあるはず。その一部を活かしたのが、本作の4編なのだろう。

 ただし、『ウシジマくん』に多数登場した裏社会の人間たちは、ここには出てこない。もっと平凡な市井の人々の物語である。

 その分だけ『ウシジマくん』より薄味で、インパクトに欠けるうらみもある。が、ありふれた日常の中にふと顔をのぞかせる〝崩壊の予兆〟〝転落への裂け目〟を切り取る手際の鮮やかさは、『ウシジマくん』そのものだ。

 『ウシジマくん』なら、その崩壊や転落の様子まできっちりと描いた。
 対照的に、本書の4編はそこまで描かずに寸止めする。きわどいバランスの上に成り立った登場人物の日常が、日常のままつづいているところで幕となるのだ。
 ゆえに、「えっ? これで終わり?」という尻切れトンボ感もなくはない。が、私はこの〝不穏さを孕んだ日常〟の描写が気に入った。

 真鍋昌平が次の連載(『スピリッツ』での新連載がすでに決まっているらしい)で、『闇金ウシジマくん』的な作品を描きつづけるのか、それとも新境地を開拓するのか? その分岐点・汽水域のような短編集である。
 真鍋がどちらを選ぶのかは、本書からは判断がつかない。

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橋本治『蝶のゆくえ』



 橋本治著『蝶のゆくえ』(集英社文庫)読了。

 栗原裕一郎氏がツイッターで、本書収録の「ふらんだーすの犬」を次のように激推しされていたので、読んでみた。



 柴田錬三郎賞も受賞した短編集。
 表題作にあたるものはなく、『蝶のゆくえ』は収録作6編全体を曖昧に包むタイトルだ。

 6編のうち、「ふらんだーすの犬」が突出した印象を残す。これはたしかに傑作。最近も頻発している、実の母親とその内縁の夫による児童虐待死の話である。

 児童虐待を描いた小説は多いが、管見の範囲ではこの「ふらんだーすの犬」を凌駕するものはないように思う。

 何がすごいかといえば、虐待死というカタストロフに至るまでの母親と内縁の夫の心の中が、すこぶるリアルに、冷徹に描き出されていること。

 「おバカさんの内面を嘘くさくなく描くのは、知的な人を描くよりずっと難しい」と言ったのは斎藤美奈子だが(『文芸誤報』)、この2人はいわゆるDQNの典型であって、インテリたる作家にとっては内面を嘘くさくなく描くのが最も難しいタイプだろう。にもかかわらず、この小説では2人の心の動きが読者にちゃんと理解できる(共感はできないにせよ)ように描かれているのだ。

 そして、秀逸なラスト――。暗黒の物語に、「希望」とも言えないような一条の淡い光がそっと射し込み、深い余韻を残す。
 『フランダースの犬』の話が出てくるわけではないのにこのタイトルになったのは、このラストがアニメ版の有名なラストシーンを思い出させるからであろうか。

 「ふらんだーすの犬」が強烈なので、ほかの5編はわりを食って見劣りがする。
 それでも、「金魚」は秀作だと思った。フランス文学を教える大学教授の家庭が、人もうらやむ外面とは裏腹に内側はグズグズになっている様子が、息子の嫁と姑の視点を中心に描かれている。

 「ふらんだーすの犬」とは対照的な上流インテリ家庭が舞台だが、こちらもやはり心理描写が冴えている。小説家としての橋本治のレンジの広さを、この2編は示しているのだろう。

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アンドレ・バーナード『まことに残念ですが…』



 アンドレ・バーナード著、中原裕子訳、木原武一監修『まことに残念ですが…/不朽の名作への「不採用通知」160選』(徳間文庫)読了。

 やや古い本だが、「読書猿」氏がブログで紹介していたのを見て読んでみた。

 欧米の古今の名作(小説、詩集など)が刊行される前、出版社の編集者から作者に送られた「不採用通知」の一節を集めたもの。

 もっとも、取り上げられた作品の中にはあまり知られていないものも多い。が、『大地』『白鯨』『アンネの日記』など、名作が数多く含まれているのはたしか。

 「あの名作でさえ、最初は編集者に価値を認められなかったのだから……」と、いまだ世に出ぬ作家の卵たちは大いに勇気づけられるに違いない。

 また、不採用通知の合間に、名作の不採用をめぐる面白いエピソードも集められている。そのうちのいくつかを紹介してみよう。

 バーナード・ショーが初めて書いた作品は、多くの出版社から断られつづけた。活字になったのは書いてから50年後――「出版社がわたしの名前が書いてあればどんなものでも出版するようになってから」だった。

 『ギネスブック』によれば、出版社に刊行を拒否された回数が最も多いのはスティーヴ・カントンの『ダスティ・ロード』という作品。その記録は、じつに314回(!)。

 ウィリアム・サローヤンが初めて原稿採用の通知をもらったとき、それまでにもらった不採用通知は高さ1メートルもの山になっていた。数にして、おそらく7000通以上。

 ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』は、刊行までに22の出版社に断られた。ジョイスが22歳のときに書いた同作が刊行されたのは10年後のことだった。

 世界で4000万部の大ベストセラーになった『かもめのジョナサン』は、刊行までに20数社に断られた。

 ジェイムズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のユニークなタイトルは、この小説が出版社から蹴られるたび、不採用通知を届けにきた郵便配達が決まって2度ベルを鳴らしたことからつけられた。

 詩人のリー・ペニントンは、出版社から送られてくるたくさんの不採用通知を笑いに変えるべく、さまざまな楽しみ方を考案した。
不採用通知をスクラップ・ブックに貼る。コースター代わりに使う。不採用通知の裏面を招待状にした「没」記念パーティを開く。食欲がなくなってダイエット効果が上がるように冷蔵庫に貼るetc.

 断りの文句自体がユーモアとウイットに富んでいて、面白いケースも多い。

 ナボコフの『ロリータ』に対する不採用通知には、次のような一節がある。

わたしがもっとも当惑するのは、作者がこれを発表したがっているという事実である。この本を出版するいかなる根拠も思い浮かばない。わたしはこれを千年間、石の下に埋めておくことを勧告する。



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富井真紀『その子の「普通」は普通じゃない』



 富井真紀著『その子の「普通」は普通じゃない――貧困の連鎖を断ち切るために』(ポプラ社/1620円)読了。

 著者は貧しい崩壊家庭に育ち、中卒で社会に出て10代でシングルマザーになり、一時は「夜の世界」に入って道を踏み外しかけた人。
 しかしその後、児童虐待防止活動や「子ども食堂」など、子どもたちやシングルマザーなどを貧困から救うための活動をするようになる。

 現在の社会活動(代表理事を務める「一般社団法人日本プレミアム能力開発協会」での取り組み)のことがメインの本かと思って手を伸ばした。だが実際には、著者の壮絶な半生を綴った自伝のほうがメインであった。

 全体の3分の2ほどが自伝パートで、残り3分の1ほどが現在の活動の紹介だ。とはいえ、自伝パートにも読み応えがあるので、結果的には読んでよかった。

 著者のこれまでの半生がすさまじい。


 お金がない家でした。
 母は私を産んだ半年後に失踪。
 父は職を転々とし、給料をすべてパチンコに注ぎ込むギャンブル依存症。



 両親とも、絵に描いたようなドクズ。父親は著者の給与や出産助成金(!)まで盗んではパチンコに費やす。成人後に再会を果たした実母は、会ったその日に著者に金を無心する。

 そのうえ、現在の夫もまた崩壊家庭に育った人であったり、夫の前妻が薬物依存で何度も刑務所に入ったあげくに自殺していたり、実姉が3人の子どもを置いて浮気相手と失踪し、現在も行方不明であったり……。

 「貧困の連鎖」の恐ろしさを垣間見せる半生だ。
 そのような波乱万丈の年月を経て、著者が学ぶことによって貧困の連鎖を断ち切ろうと決意し、力強く歩み始めるまでが綴られている。

 とりわけ素晴らしいのは、著者が自らの貧困脱出だけにとどまっていない点。他の多くの子どもたち、貧しいシングルマザーたちを救うための利他行動にまで踏み出しているのだ。

 「貧困の連鎖は断ち切れると実証している人生が、ここにある。希望をありがとう」という、湯浅誠が本の帯に寄せた推薦の辞そのままの本である。

 一つだけ難を言えば、著者が性風俗で働いていた時期があることに本書では触れられていない(湯浅誠が2017年に「Yahoo!ニュース 個人」で書いた、著者についての紹介記事には出てくる)のは、いかがなものかと思った。

 おそらく、編集サイドの「よかれ」と思っての配慮でそうなったのだろう。
 だが、ほかのことについてはつらい過去もすべてさらけ出しているのだから、風俗経験についても赤裸々に書いてほしかった。そうであってこそ、同じような境遇の女性たちに希望を与える本になっただろう。

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佐藤優・片山杜秀『平成史』



 仕事の資料として読んだ(本書の一節を引用する必要があった)のだが、全体としてとても面白い良書であった。

 昨年(2018年)の春に出た元本を、平成の終焉に合わせて早くも文庫化したもの(昔は単行本の文庫化までには最低3年くらい間があったものだが、最近はやたら早い。本の消費サイクルが短くなっていることの反映だろう)。
 文庫化に際して、一章分の対談を新たに語り下ろしている。なので、いまなら文庫版を買うべき。

 対談時間は計20時間を超えるそうで、これは一般的な対談集よりも長め。この手の対談集はだいたい忙しい者同士で行われるから、6時間程度の対談で1冊にまとめる例も多いのだ。

 それだけに内容は濃く、随所に卓見と有益な情報がちりばめられている。

 平成の始まりから終わりまでの印象的な出来事(政治・経済から芸能まで、犯罪から流行まで)を一つずつ俎上に載せ、その出来事を両対談者がどう捉えているかを語り合っている。

 年表や図表も豊富で、平成史の資料としての価値も高い。
 また、本や映画について語られる部分も多く、ブックガイド、映画ガイドとしてもある程度は使える。

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ウォルター・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』



 ウォルター・アイザックソン著、土方奈美訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(文藝春秋/上下巻各2376円)読了。読むのに丸一日かかったが、それだけの価値がある本だった。

 世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』で知られる現代最高の評伝作家が、「万能の天才」レオナルド・ダ・ヴィンチを描いた話題作。

 レオナルド・ディカプリオ主演による映画化が、すでに決定しているという。本書の訳者あとがきで知ったのだが、ディカプリオが「レオナルド」という名になったのは、母親が彼を妊娠中に美術館でダ・ヴィンチの絵を観ていたとき、お腹の中から蹴ったことが由来なのだとか。

 著者はジョブズ以外にも、アインシュタインやベンジャミン・フランクリンなどの評伝を手がけてきた。イノベーティヴな天才を好んで描いてきた作家なのである。その彼がダ・ヴィンチに挑んだのも、自然な成り行きというものだろう。

 ダ・ヴィンチの評伝はすでに汗牛充棟なわけで、ありきたりなアプローチでいまさら評伝を書いても、屋上屋を架すことにしかならない。著者は美術にも造詣が深いようだが、美術の専門家ではないのだから、なおさらだ。

 類書との差別化のため、著者が選んだ独創的なアプローチは2つ――。

 1つは、7200枚に及ぶダ・ヴィンチの自筆ノートの内容を精緻に分析し、それを中心に据えて生涯を辿っている点。著者は、公開を前提としていなかった自筆ノートの中にこそ、ダ・ヴィンチの内面が表れていると踏んだのだろう。
 過去の評伝が、絵画や公的な記録など、いわば〝外面に表れたダ・ヴィンチ〟を中心に据えているのとは逆のアプローチである(むろん、絵画や公的な記録などにも十分目配りされているが)。

 もう1つは、画家としての側面のみならず、科学者・軍事顧問・舞台演出家などとしての側面にも等価に光を当てて、総合的な〝人間ダ・ヴィンチ〟を描いている点である。

 「等価に」というところが重要だ。過去の評伝の多くには、画家としてのダ・ヴィンチに最も価値を置き、それ以外の側面を軽視するバイアスがあった。

 それらの評伝作家は、〝ダ・ヴィンチが舞台演出や空想的な発明などにうつつを抜かさず、画業のみに集中していたら、もっと多くの名画を完成させられただろうに……〟と嘆いてみせたりした。
 周知のとおり、ダ・ヴィンチには絵画作品を未完成のまま放り投げる悪癖があった。また、ある科学的探求に夢中になると、絵など眼中になくなることもよくあった。そうした事実をふまえての嘆きである。

 だが、著者はそのような決めつけをしない。ダ・ヴィンチを〝子どものような好奇心を持ちつづけ、その探求に生涯を費やした人〟として捉え、好奇心の迸りにこそ彼の天才性を見出すのだ。

 ダ・ヴィンチは、〝絵を描くしか能がないタコツボ的天才〟ではなかった。「空はなぜ青いのか?」から「キツツキの舌はどんな構造か?」に至るまで、世界のあらゆる謎に好奇心を向け、並外れた観察力や想像力を駆使してその謎を解くことに歓びを見出した人だった。

 〝画業が中心で、他は余技〟などと決めつけず、ダ・ヴィンチのあらゆる行動を虚心坦懐に辿った結果、著者は一つの結論に達した。それは、「芸術と科学、人文学と技術といった異なる領域を結びつける能力こそが、イノベーション、イマジネーション、そして非凡なひらめきのカギとなる」(序章)ということ。
 ダ・ヴィンチの並外れた創造性のカギも、その「異なる領域を結びつける能力」の高さにあったのだ。

 昨今、〝アートとサイエンスのバランスの重要性〟が指摘され、サイエンス偏重の姿勢からはイノベーションが生まれにくいという反省が、ビジネスの世界などで生まれている。

 ダ・ヴィンチは巧まずして、アートとサイエンスという異なる領域の往還を日々くり返した。そしてそこから、時代に何百年も先駆ける多くのイノベーションを起こしてきた。「アートとサイエンスのバランス」の最高のお手本が、そこにはあったのだ。

 今年はダ・ヴィンチ没後500年にあたる。はるか500年の時を越え、21世紀の我々が学ぶべきものが、ダ・ヴィンチの生涯にはちりばめられている。

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ボブ・ウェルチ『スリー・ハーツ』



 ボブ・ウェルチが1979年に発表した2枚目のソロアルバム『スリー・ハーツ』を再聴。
 ソロ1枚目の『フレンチ・キッス』が生涯最高の大ヒットとなり、一躍脚光を浴びるなかで作られたものである。本作も無事に「二匹目のドジョウ」となり、『フレンチ・キッス』には及ばなかったもののヒットし、ゴールド・アルバムになった。

 そんな経緯から、どうしても〝『フレンチ・キッス』の二番煎じ〟と見られがちなアルバムであり、私自身もあまり印象に残っていなかった。が、いまになって聴き返してみたら、なかなかよいのである。

 ボブ・ウェルチはソロ以前に、「パリス」というハードロック・バンドをやっていた。商業的成功はしなかったものの、ツェッペリンをもっとスタイリッシュにしたような都会的ハードロックで、隠れた名バンドであった。

 『フレンチ・キッス』も、元々は『パリス3』――すなわちパリスのサード・アルバムにする予定で作り始めたものだったという。
 そのわりには、『フレンチ・キッス』にはハードロック的要素はほとんどない。わずかに、シングルヒットした「エボニー・アイズ」のギター・リフがハードロック的である程度。

 むしろこの『スリー・ハーツ』のほうが、「『パリス3』になる予定だった」と言われても信じられる。ポップでキャッチーな曲が並ぶアルバムではあるが、ボブ・ウェルチのギターは曲によってはかなりハードに弾きまくっているからだ。

 「チャイナ」のギターなんかもろハードロックだし、ビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」のカバーも、ハードかつファンキーなギターが渋い。



 ゆえに、パリスからボブ・ウェルチのファンになった人なら、甘々の『フレンチ・キッス』より、この『スリー・ハーツ』のほうが気に入るはずだ。「どうせ『フレンチ・キッス』の二番煎じだろ」と先入観で判断したり、悪趣味の極みのようなヒドいジャケットで食わず嫌いせず、一聴してほしい。

 ボブ・ウェルチのソロでよいのは、これにつづくサード・アルバム『ジ・アザー・ワン』まで。それ以降のアルバムは、無残なまでにクオリティが下がる。

 ボブ・ウェルチは2012年に拳銃自殺で生涯を終えたが、それは才能の枯渇でアーティストとして行き詰まったためではないかと、私は推察している。

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末井昭『自殺会議』



 末井昭著『自殺会議』(朝日出版社/1814円)読了。

 同じ版元から2013年に出た『自殺』の続編というか、スピンオフ本というか。

 子どものころに母親をダイナマイト心中で喪った末井昭は、そのことを起点に、自殺についての論客(末井に似合わない言葉だが)として遇されるようになった。『自殺』は、その分野の言論活動における最初の集大成であった。

■関連エントリ→ 末井昭『自殺』

 『自殺』は基本的にはエッセイ集で、エッセイの合間に末井によるインタビュー(相手は、両親を自殺で一度に喪った女性、長年青木ヶ原樹海をパトロールしていた作家の早野梓など)が入っていた。

 本書は、その対話部分のみを広げたような構成。「それぞれ自殺に縁のある方々」へのインタビューや対談が集められている。ゆえに、タイトルが『自殺会議』なのだ。

 登場するのは、統合失調症で自殺未遂の経験があるお笑い芸人の松本ハウス、母親を自殺で亡くした作家の岡映里、長男を自殺で喪った映画監督の原一男など、計11人。

 本書の根源的な企画意図は自殺防止推進にあるのだろうが、末井のことだから、「死んじゃいけないよ!」と声高に訴えるような内容にはなっていない。その点は前作『自殺』と同じ。

 「まえがき」にはこうある。

『自殺』を書く上でのモットーは「面白い自殺の本」でしたが、それはこの本にも引き継がれています。死にまつわる深刻な話をしているのに、ついつい笑ってしまうところもあるかもしれません。そういう箇所がありましたら、バカなことを言っているなと思って笑ってください。そうすれば、死にたい気持ちも薄らぐと思いますよ。



 本書の最後に収められた、画家・弓指寛治(母を自殺で喪ってから、自殺をモチーフにした絵を描き始めて脚光を浴びた人)との対談などはまさにそうで、自殺についての対談にもかかわらず、「(笑)」がたくさん出てくる。

 また、自殺の名所・東尋坊で自殺企図者を救う運動を長年つづけてきた茂幸雄との対談では、茂は対談中ずっと酒を飲んでおり、酔っぱらった状態で話をしている。茂の活動を「美談」として報じたい一般マスコミなら、そんなことはわざわざ書かないだろう。

 以上のようなことは、ほかの書き手が真似をしたら「不謹慎だ」と批判を浴びるだろう。末井昭のキャラだから許される特異な「芸」なのだ。

 随所にハッとするような卓見、ずしりと重いエピソードがあり、読み応えのある一書である(岩崎航、弓指寛治との対談はとくに深いと思った)。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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