『デス・ウィッシュ』



 チャールズ・ブロンソン主演のヒット作、1974年の『狼よさらば』(原題は《Death Wish》)を、ブルース・ウィリス主演でリメイクしたもの。



 『狼よさらば』は大ヒットしたことからシリーズ化され、計5本が作られた。そのうちの第2作『ロサンゼルス』(原題は《Death WishⅡ》)は、なんとレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが音楽を担当している。

 オリジナルでは設計士だった主人公ポール・カージーの職業が、このリメイク版では外科医になっている。
 その設定変更は、「命を救う職業である医師が、悪人の命を奪う処刑人となるアイロニー」によって、物語のテーマに深みを与えている……ということはあまりなくて、メスや麻酔薬を「処刑」に用いるディテールの都合で変更したのだろう。

 オリジナルは遠い昔に観た記憶しかないが、「暗い映画だなァ」という印象が残った。
 まあ、家に押し入った強盗に妻を殺され、娘をレイプされた(本作ではその点が変えられ、娘は重傷を負って昏睡状態に陥る設定になっている)男が街の悪党を処刑していく話なのだから、暗い映画なのは無理もないが……。

 本作は基本設定こそオリジナルを踏襲しているが、随所に「黒い笑い」をちりばめて、わりと乾いた感触の映画になっている。
 主人公が妻を殺した悪党を殺す場面で、私は2回ほど爆笑してしまった。すごく不謹慎なことを言うようだが、爆笑するようなギャグが仕掛けられているのだ。

 主人公が銃を買いに行く銃砲店で、彼の相手をする爆乳美女店員ベセニーのセールストークも、ドス黒いギャグに満ちている。



 この映画は、警察に代わって悪を成敗する姿にカタルシスを得る単純な「勧善懲悪もの」ではあるが、同時に、アメリカの銃社会を痛烈に皮肉る批評性も秘めているのだ。

 また、スマホやYou Tubeがストーリー上重要な役割を果たすなど、細部が21世紀仕様にアレンジされ、そのアレンジが絶妙な効果を上げている。

 オリジナルの『狼よさらば』は、考えてみれば相当乱暴なストーリーである。家族の復讐のため銃を取ったはずの主人公が、妻殺しの犯人ではない「別の悪人」を片っ端から殺していく話なのだから。

 対して、本作の主人公は、自分とは関係のない麻薬の売人を射殺したりもするが、基本的には妻を殺した犯人たちへの復讐が主軸となる。ゆえに、本作のほうが主人公に自然に感情移入できる。

 また本作は、普通の外科医が突然射撃の名人に変わってしまう不自然さを避けるため、銃の扱い方の基本を知らずにケガをする場面を入れるなど、リアリティへの配慮がわりと細やかである。

 全体として、オリジナル『狼よさらば』より本作のほうが、エンタメとしてウェルメイドだと感じた。

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『止められるか、俺たちを』



 『止められるか、俺たちを』 をDVDで観た。



 若松プロの映画作りの現場を、早逝した紅一点助監督・吉積めぐみの視点から描いた青春群像劇。
 若松孝二になんら思い入れのない当方から観ても、なかなか楽しめた。

 門脇麦が演ずる吉積めぐみを主人公に据えたことは、正解だと思う。かりにこの映画から彼女を差し引いてしまったとしたら、なんともむさ苦しい映画になったことだろう。

 足立正生、秋山道男、荒井晴彦、大島渚から赤塚不二夫に至るまで、若松プロとその周辺にいた人々が続々登場し、ゴージャス。

 1960年代末から70年代初頭にかけての、熱い「政治の季節」の東京を描いた映画としても、みずみずしい。

 若松孝二が晩年に撮った作品『11・25 自決の日  三島由紀夫と若者たち』で三島由紀夫を熱演した井浦新が、本作では若松孝二を演じている。魂の込められた熱演である。

■関連エントリ→ 『11・25 自決の日  三島由紀夫と若者たち』

 タイトルは当時の若松プロの面々から大不評を買ったらしいが、私はけっこう好きだ(昔、暴走族の写真集に同題のものがあった)。



 門脇麦の熱演が素晴らしい。「何者かになりたいが、何者にもなれない」表現者の卵――その焦燥や痛々しさまでも表現して出色だ。

 白石和彌監督の前々作に当たる『サニー/32』は世にもクダラナイ珍作だったが、それでも、あの映画でも門脇麦だけは光っていた。

■関連リンク→ 『サニー/32』レビュー

 あと、サニーデイ・サービスの曽我部恵一が手がけた音楽(最後に流れる主題歌「なんだっけ?」も歌っている)がとてもよい。



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西村賢太『羅針盤は壊れても』



 西村賢太本人がいまどき珍しい「上製箱入り」にこだわったため、普通の単行本の倍の値段になってしまった、現時点の最新作。装丁も昭和初期あたりの文芸書を模したレトロなものになっている。
 電子書籍版は普通の値段なので、紙の本にこだわりがない人はそちらを買うとよい。

 収録作4編中、2編は過去作の再録。私は既読なのでスルー。
 新録作2編のうち、「陋劣夜曲」は凡作。ただ、相変わらずタイトルづけはうまいし、他愛のない話なのに読ませる筆力はさすが。

 表題作「羅針盤は壊れても」は中編といってもよい長さで、これがなかなかの出来だった。
 私は北町貫多シリーズの中でも、貫多が10代・20代のころを描いた〝青春もの〟が好きだ。これも22歳のころの話。

 例によって、日雇い仕事と酒と小説読みの日々が綴られている。バイト先での人間関係や仕事ぶりが微に入り細を穿って描かれるのも、いつものことだ。

 ただ、この「羅針盤は壊れても」は、〝私小説書き・西村賢太の誕生の瞬間〟を描いたとも言える内容であり、その点に特別な価値がある。

 田中英光の小説に耽溺する日々が描かれ、貫多が英光作品にどのような魅力を感じていたかが、はっきりと言語化されている。それは当時の貫多にとって、「心の止血剤として、どうしても必要不可欠のものだったのである」と……。

 貫多は、どこかで〝田中英光を知っている自分〟を誇りに思う気持ちがあった。
 かの創作世界を彷徨していると云う一点で、件の同級生に対する劣等意識を僅かに掻き消すことができた。(中略)
 所詮、その者たちは現時田中英光の私小説を知らず、おそらく向後も一生知ることがないまま朽ちることであろう。



 また、英光を真似て私小説を初めて書いてみる姿も描かれており、藤澤清造作品との最初の出合いにも触れられている。

 最初の私小説もどきを書き始めて、貫多はそれが「自分語りの真似事以上のものになっていない」ことに愕然とする。そして、当時の自分になぜまともな私小説が書けなかったかが、現時点の目から次のように冷静に分析されている。

 私小説は書く者自らを中心人物として据えている。そして優れた私小説は、そんな赤の他人のどうでもいい人生の断片を一見無造作にもプリミティブにも装いつつ、しかしその実は細かく効果が考え抜かれた、心憎いまでの上手い見せかたで提示している。そして、それがたまらなく面白い。
 結句それらは、思いきり端的に云えば、ひどく自己愛が強いように見せかけて、実際はえらく突き放しているのだ。この相反する二つのものが程良い塩梅で配合されているから、そこに妙味も生じているのだ。
 当然それは、多分に技術的な面に与るところも大であろうが、そこに至る、客観に徹した境地と云うのも不可欠であるに違いない。
 その境地を得ていない今の彼に、面白い私小説なぞ書けるはずがないのだ。



 このくだりは〝西村賢太の私小説論〟でもあり、彼の小説を研究しようとする者は避けて通れない一節になるだろう。
 「羅針盤は壊れても」は、今後、数多い彼の作品の中でも重要作になるに違いない。賢太らしい〝地を這うような青春小説〟としての出来もよい。

 なお、本書には「特別付録」として、随筆「蛇足少々」と掌編「一隅の夜」、くわしい著書リストを掲載した8ページの小さな折込が入っている(電子書籍版にはついていないので注意)。

 それによれば、本書は西村賢太にとって53冊目の単著だという。
 といっても、単行本の文庫化も「1冊」と数えているがゆえの多さなのだが、それでも、デビューから15年で50冊を超える単著があるというのは、いまどきの私小説書きとしてすごいことだ。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。55歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴32年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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