新谷学『「週刊文春」編集長の仕事術』



 昨日は、取材で湘南の辻堂へ――。

 ついでに上野に足を伸ばし、国立西洋美術館で開催中の「アルチンボルド展」を鑑賞。
 辻堂と上野はけっこう離れているので、「ついでに」という感覚はわかりにくいだろうが、「上野東京ライン」という路線だと辻堂-上野間は一本で行けるのだ。

 夏休みでもあるので来場者が非常に多く、ゆっくり鑑賞できなかったのはちょっと残念だったが、なかなか楽しめた。

 奇想の宮廷画家ジュゼッペ・アルチンボルドの絵は、近くに寄ったときと離れて見たときの印象がまったく違うので、「一粒で二度おいしい」というか、「一枚の絵で二倍楽しめる」感じがする(小学生並みの感想ですが)。 





 行き帰りの電車で、新谷学著『「週刊文春」編集長の仕事術』(ダイヤモンド社/1512円)を読了。
 昨今のスクープ連発で世の注目を浴びる『週刊文春』の現編集長が、自らの仕事術を開陳したもの。

 『週刊文春』におけるスクープの舞台裏が明かされるのはもちろん、編集者として駆け出しだったころからの思い出を振り返っており、ちりばめられたエピソード自体に読み応えがある。
 たとえば――。

 山口組系若頭射殺事件の関連で、ある大物組長の取材をしたときには、こんなこともあった。取材の最後にその組長に写真撮影をお願いすると、「写真十年や」と断られた。「ワシらの世界では、近影が出るとそれだけ的にかけられやすくなるから、寿命が十年縮むんや」というのだ。その取材からまもなく、インタビューした幹部3人のうち2人が射殺されたときには本当に驚いた。



 昨年から今年にかけて続々と刊行された“『週刊文春』本”のうち、私が読んだのはこれが3冊目だが、3つのうちいちばん面白かった。

■関連エントリ
週刊文春編集部『文春砲』
中村竜太郎『スクープ!』

 「仕事術」本としても、編集者の仕事に限らない普遍的なノウハウが多数紹介されている。
 たとえば以下の一節などは、あらゆる営業仕事に通ずる極意だろう。

 1回断られたぐらいであきらめてはいけない。あなたの熱意はその程度のものなのか、ということだ。
 よく現場の人間にも言う。断られたところから俺たちの仕事は始まるんだ、と。「ファーストアタックは失敗だったけど、次はどういう口説き方があるか」を全力で考える。編集者や記者の仕事は、口説く仕事だ。そして、私たちの仕事にはマニュアルがない。「こうすれば口説ける」という答えはない。そこは、みんなそれぞれ考えることしかない。



 また、編集長としてどう人材育成してきたか、編集部の結束力をどう高めてきたかが随所で綴られており、リーダー論・組織論としても価値がある。

 印象に残った箇所を引用しておく。

 職人肌の編集長、デスクほど、「美しい雑誌」を作りたがる。だが、週刊誌は美しさより鮮度。突貫工事でもイキのいいネタを突っ込むべきなのだ。丁寧に積み上げたものを最後にガラガラポンする蛮勇もときには必要なのである。



 伸びる記者かそうでないかを見分けるのは簡単だ。例えば「あれやってくれ」と指示をする。その指示に対して「指示どおりやったけどダメでした」と報告に来る記者は、そこまでだろう。本当に優秀な人間は「言われたとおりやってダメだったけど、こうやったらできるんじゃないですか」と返す。「こうすれば、記事は形になりますよ」「実際、こうやってみました」とくれば言うことなしだ。



 社交辞令で終わらせない。これは、仕事ができる人の特徴だ。何よりスピードがすごい。「○○さん、今度紹介してくださいよ」「いいよ」と言って、その場で電話をかける。「今、俺の目の前に文春の新谷さんって人がいるんだけど、ちょっと今度会ってやってよ。電話代わるから」といきなり電話を渡されるのだ。
 私もデスクや現場から「人を紹介してもらえませんか」と言われたら、なるべくその場で電話をかける。スピード感が大切なのだ。「どうしようかな」とウジウジ寝かせていたらネタは腐ってしまう。



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ザ・ブレッカー・ブラザーズ 『ザ・ヘヴィ・メタル・ビバップ・ツアー'14・イン・ジャパン』



 ザ・ブレッカー・ブラザーズの 『ザ・ヘヴィ・メタル・ビバップ・ツアー'14・イン・ジャパン』(ワードレコーズ)をヘビロ中。
 2014年に日本で行ったリユニオン・コンサートの2枚組ライヴ盤である。

 ブラザーズの一翼であるマイケル・ブレッカーは07年に白血病で早逝してしまったから、そのままのメンツでのリユニオンは不可能なわけだが、マイケルの代役はランディ・ブレッカーの妻である美熟女サックス奏者、アダ・ロヴァッティが務めている。

 「ザ・ヘヴィ・メタル・ビバップ・ツアー」と銘打たれているとおり、このときのツアーは、名盤『ヘヴィ・メタル・ビバップ』(1978年)の全曲再演がウリになっていた。同作は、ブレッカー・ブラザーズの代表作にしてジャズ・ロック史上の金字塔であり、私も大好きなアルバム。
 最近よくある、「往年の名盤・完全再現ライヴ」という、いかにも中高年狙いの企画だ。



 ただ、『ヘヴィ・メタル・ビバップ』収録曲の再演はアルバム全体(13曲)の半分以下であり、たんなる「名盤再現」の枠に収まるものではない。
 ノスタルジーを味わうというより、最先端のジャズ・ロック/ハイパー・テクニカル・フュージョンの好ライヴ盤として楽しめる。

 代役のアダ・ロヴァッティも含め、すべての奏者が素晴らしいが、とくに目立つのはテリー・ボジオのドラムス。最初から最後までキレッキレである。
 UK、ミッシング・パーソンズのころからボジオの叩きまくるドラムスが好きな私は、快哉を叫んだ。

 もっとも、「ブレッカー・ブラザーズはペットとサックスが主役であるべき」と考える人にとっては、「ドラムスが目立ちすぎ」かもしれないが。

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山川健一『ブルースマンの恋』



 山川健一著『ブルースマンの恋』(中公文庫)読了。

 1980年代には、ロックとブルースに造詣が深い小説家といえば、この山川健一が筆頭に上がったものだ。『ロックス』など、音楽小説の著作を次々に出していたし、ミック・ジャガーやキース・リチャーズにインタビューして本にまとめたりもしていた。

 私も、少年時代に山川の初期作品『壜の中のメッセージ』を読んで、「カッコイイなァ」とシビレたものだった。そもそも、ロックの世界を描いた小説自体がほとんどなかった時代だったし。

 だが、89年に花村萬月がデビューし、『ブルース』など音楽小説の傑作を発表し始めると、山川は途端に影が薄くなってしまった。小説家としての力量も、ロックやブルースに対する造詣の深さも、明らかに花村のほうが上だったからだ。
 山川は完全にポジションを奪われてしまったのである。

 ……以上は私が勝手に思うことで、世の中には「いや、俺は山川のほうが上だと思う」という人もいるだろうけど。

■関連エントリ→ 花村萬月『俺のロック・ステディ』

 本書の元本は、山川がまだコンスタントに音楽小説/音楽エッセイの著作を出していたころ――1989年に刊行されたもの。犬の写真を大きく用いた単行本のカバーが、とてもオシャレで印象的だったのを覚えている。



 当時の私はブルースが苦手だったからスルーしてしまった本だが、今回初めて読んでみた。

 小説ではなく、有名なブルースマンの生涯と作品を紹介していく音楽エッセイだ。
 マディ・ウォーターズ、エルモア・ジェームス、ロバート・ジョンソン、サン・ハウス、ハウリン・ウルフ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン(Ⅱ世)といった大御所中心の人選で、“人物素描の形式を借りたブルース入門”として読むことができる。

 女性誌に連載されたエッセイだそうで、ブルースについてほとんど何も知らない初心者にもわかりやすい書き方がなされている。
 さすがに作家だけあって、音楽評論家が書いたブルース本よりも人物紹介の仕方が手慣れている。

 ただ、山川の自分語りの比率がけっこう高くて、読んでいてウザい。
 自分語りをしても、それが面白く読めればいいのだが、まるで面白くない。「話が横道にそれた」としか感じられないのだ。
 自分語りを封印し、その分だけブルースマンたちの人生を深く掘り下げていたら、もっといい本になっただろう。

 
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ウェルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う』



 ウェルズ恵子著『魂をゆさぶる歌に出会う――アメリカ黒人文化のルーツへ』(岩波ジュニア新書/886円)読了。

 ブルースについてもっと知りたくて、関連書籍を読みかじっているのだが、これもその一つ。
 著者は立命館大学教授で、アメリカ文学・文化の研究者。

 アメリカ黒人音楽のルーツを探る本だが、音楽のみならず、黒人文化全体に広く目を向けている。たとえば、2章と3章は黒人たちに語り継がれてきた民話についての考察だ。

 高校生くらいを主な対象とした「岩波ジュニア新書」の一冊だから、語り口はすこぶる平明。それでいて内容は深く、私にとっても勉強になった。

 マイケル・ジャクソンの話から説き起こされている。年若い読者たちが興味を持ちやすいようにとの配慮であろう。
 自らの“黒人性”を削ぎ落とそうとしていたかのように見えたマイケルだが、それでも、彼の作品やアートには黒人文化からの強い影響が垣間見える、と著者は言う。

 たとえば、マイケルの「ムーンウォーク」は、奴隷制度時代の「リング・シャウト」(=黒人教会で、信者たちが輪になって歌いながらすり足で回り続ける行為)にまで、そのルーツを遡ることができるという。
 そのような目からウロコが落ちる指摘が、随所にある。

 ブルース(本書の表記は「ブルーズ」)についてのまとまった考察は最後の7章のみだが、その章におけるブルースの歌詞の読み解きは、さすがの深さ。

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『君の名は。』



 いまさらながら、『君の名は。』を初めて観た。今日から映像配信/レンタルが開始されたので。

 世界的大ヒットを記録しただけのことはあって、とてもよくできている。
 リアルな背景描写とキャラクターの適度なデフォルメの絶妙なバランスなど、アニメとしての美点も数多い。

 ストーリーの底流になっている「運命の赤い糸」伝説(赤い組紐に置き換えて、わざわざ視覚化されているところがうまい)は、中国発祥で東アジア全般に広く伝播しているのだそうだ。
 してみると、この映画が中国及びアジア各国でも大ヒットしたのは、そこに一つの要因があったのかも。

 「赤い糸伝説」を持ち出すまでもなく、「あたかも自分の半身であるかのような、完璧に理解し合える『たった一人の運命の人』が、世界のどこかにいる」という幻想は、人間がウブなうちは誰しも抱いているものだろう。

 その幻想が21世紀的意匠のもとに巧みにストーリー化されているのだから、大ヒットしたのも当然だ。
 この作品は、人がまだイノセントなころに抱いていた“恋愛感情の原初形態”とでもいうべきものを、思い起こさせるのだ。

 まあ、「運命の人なんて、どこにもいない」と苦く覚ってしまったオッサンの私には、観ていてこそばゆいような作品だったけど。

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『キングコング:髑髏島の巨神』



  『キングコング:髑髏島の巨神』を映像配信で観た。

 過去最大・身長31メートルのキングコングが大暴れする怪獣映画である。
 人間ドラマとしての深みなどは薬にしたくもないが、つかの間の娯楽としてハイクオリティ。



 私が初めてリアルタイムで観たキングコング映画は1976年のディノ・デ・ラウレンティス(プロデュース)版だが、41年前のあの作品と比べると、キングコングの動きなどのリアリティが大幅にアップ。

 キングコング以外の“怪獣”(人外魔境である「髑髏島」に棲む巨大生物)たちもみんな造型が素晴らしく、ヤツらが暴れまくる様子だけでも十分に楽しめる。

 ハワイやベトナムなど各地でロケしたという髑髏島の自然描写は、すごく美しい。
 また、ときおりオフビートな笑いが挟まれるのも、よいアクセントになっている。

 最初から最後まで、随所に見せ場が用意されていて、飽きない。
 序盤にキングコングがヘリコプターを次々と叩き落としていく場面の迫力だけで、並の映画のクライマックス級。見世物としての面白さはなかなかのものだ。

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萩尾望都『ポーの一族 ~春の夢~』



 日野原重明さんの訃報に接する。105歳での大往生。

 10年前、95歳のころに、日野原さんを取材させていただいたことがある。

 耳がまったく遠くなくて、こちらがいつもの声量(私は声が小さい)で話しても普通に会話が成り立った。

 聖路加国際病院の敷地内にある「トイスラーハウス」(創立者ルドルフ・トイスラーが住んでいた家を移築したもの)で取材したのだが、取材後、ハウス前を流れる小川を日野原さんがピョンと飛び越えて渡ったので、びっくりした。

 何よりも驚かされたのは、取材の途中で日野原さんが一瞬眠ってしまったことだ。イスに座ったまま、静かな寝息を立てて。
 「あのぅ……、先生、先生!」と呼びかけたらすぐに目を覚まし、何事もなかったように話を続けられた。

 私はそのとき、「これこそが長寿の秘訣なのだな」と感じた。つまり、いつなんどき、どこででも自在に睡眠がとれることが、日野原さんの特殊能力であったのだと思う。

 ともあれ、ご冥福をお祈りいたします。


 萩尾望都の『ポーの一族 ~春の夢~』(フラワーコミックススペシャル/700円)を読んだ。
 昨年の『月刊フラワーズ』での連載開始から大反響を呼んだ、伝説的名作の40年ぶりの新作。

 私は近年の萩尾作品にはあまり馴染めないのだが、1980年代前半までの作品は夢中になって読んだ。もちろん『ポーの一族』も。
 
 絵柄が昔とは(微妙に)変わってしまったことは致し方ないが、ストーリーと雰囲気は昔のままである。かつての『ポーの一族』が好きだった人なら、間違いなく楽しめる作品に仕上がっている。

 難点は、今回の作品ではアランが“ただのお荷物”になってしまっていて、キャラとしての魅力がほとんど発揮されていないこと。
 次作では、ぜひもっとアランに光を当ててもらいたい。

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サンダーキャット『ドランク』



 サンダーキャットの『ドランク』(BEAT RECORDS / BRAINFEEDER)をヘビロ中。

 世にも暑苦しいジャケットの中に収められた、世にも涼しげなブラック・ミュージック。こういう暑い日に流すと、部屋の温度が2、3度下がるような気がする。

 

 縦横無人(※)のベースプレイにスウィートな歌声が溶け込む酔いどれコズミックソウル

     ※原文ママ。「縦横無尽」の間違いだと思う。

 ――という、日本盤の帯の惹句そのままの音。全24曲が万華鏡のように変化していくのだが、アルバム全体に見事な統一感があり、一つの流れがある。

 ジャンルは違えど、どこか、ビーチ・ボーイズの『スマイル』や『ペット・サウンズ』を彷彿とさせる。たとえば、甘やかなメロディとハーモニーの底に流れる切ない寂寥感・喪失感とか。

■関連エントリ→ ビーチ・ボーイズ『スマイル』 
 


 マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスが参加した怒涛のポップチューン「Show You The Way」(↑)が象徴するように、サンダーキャットのアルバムの中でも際立ってポップで聴きやすい。

 久々に、「聴いていて時が止まるアルバム」に出合った。心地よさに時間を忘れて聴き入ってしまうのだ。

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寺尾隆ほか『図書館徹底活用術』



 寺尾隆監修『図書館徹底活用術』 (洋泉社/1620円)読了。

 先日読んだ坪井賢一『その手があったか! 時間がない人のための即効読書術』の巻末に、本書の広告(自社広告)が載っていた。それで興味を抱いて読んでみたしだい。

 監修者は、近畿大学中央図書館に30年間勤務し、おもにレファレンス業務を担当したという人物。現場を熟知するプロの視点から、効率的な図書館利用のコツを教える書である。

 ハマザキカク、南陀楼綾繁ら、図書館ヘビーユーザーのライター・編集者なども寄稿し、独自の図書館活用術を開陳している。

 有益な情報も一部にあるものの、全体的に図書館利用の初心者向けの内容で、仕事柄図書館を使い倒している私には物足りなかった。

 この手の本で私のイチオシは、千野信浩の『図書館を使い倒す!』(新潮新書)である。
 10年以上前に出た本なので情報が古くなっている部分もあるが、いまでも十分に「使える」本だ。

■関連エントリ
久慈力『図書館利用の達人』
井上真琴『図書館に訊け!』 

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宿野かほる『ルビンの壷が割れた』



 宿野かほる著『ルビンの壷が割れた』(新潮社)読了。

 8月下旬に発売予定の新刊を2週間限定で全文無料公開し、読者から本のキャッチコピーを公募するというユニークなキャンペーンで話題の作品。

 一気読みしてしまう程度には面白かった。覆面作家のデビュー作だそうだが、文章も展開も手慣れていて、「じつは現役の人気作家が変名で書いた」と言われても信じられる感じ。

 ヒロインは黒木華をイメージして書いたのかな。
 学生演劇の世界が舞台の一つになるのだが、黒木華は学生演劇のスターであったし、映像化するならピッタリだと思う。

 ただ、担当編集者の「ものすごく面白く、そして、ものすごく奇怪な小説でした。/あまりにすごいので、私はいまだ、この作品にふさわしいコピーを書けずにいます」という言葉は、大げさすぎ。

 この言葉から、人は「きわめて斬新な、常識はずれの手法で書かれた、これまでに読んだこともないような小説」を思い浮かべるだろう。
 私もそういう作品を期待して読んだ。しかし、斬新さはあまり感じられなかったし、べつに「奇怪な小説」でもなかった。むしろ、「湊かなえとか、沼田まほかるあたりが書きそうな小説だな」と思った。

 ネタバレになることは書けないが、最後のどんでん返しは無理がありすぎだと思う。ラストでズッコケた。
 あと、この作品だけで一冊にするには短すぎる気がした。紙書籍版は160ページと表記があるから、せいぜい中編程度の長さか。

 斬新さはないものの、よくできたエンタメではあると思う。
 このキャンペーンによって、「わりとよくできたエンタメ」が「ものすごく面白いエンタメ」に嵩上げされ、小型新人が大型新人に見えたとすれば、「大成功!」ということになるだろう。

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花村太郎『知的トレーニングの技術』



 花村太郎著『知的トレーニングの技術〔完全独習版〕』(ちくま学芸文庫/1404円)読了。てゆーか再読。
 1980年に別冊宝島の1冊として刊行された名著の文庫化である。



 私はフリーライターになりたてのころ――つまり約30年前に図書館で本書に出合い、強い影響を受けた。
 手元に置いておきたくて、版元の宝島社(当時は「JICC出版局」)に電話で問い合わせたら、「うちにも在庫がありませんし、重版の予定もありません」と言われてガッカリしたものだ(その後、古本屋で見つけて買った)。

 内容の一部が改訂されているとのことなので、文庫版も買ってみたしだい。2015年に文庫化されたものだが、私が買ったものは2016年の第6刷。けっこう売れているのだ。
 文庫の帯には、「あの伝説のテキストがいまよみがえる!」という惹句が躍っている。私同様、本書に影響を受けた人は多かったのだろう。
 有名なブログ「読書猿」の人も、本書に強い影響を受けた一人である。

 花村太郎は筆名で、本名は長沼行太郎という人なのだと初めて知った。
 1947年生まれ。別冊宝島版を書いたころは30歳そこそこだったことになるが、もっと年配の人だとばかり思っていた。文章に風格があったし、すごい博識ぶりが内容からうかがえたから。

 久々に再読してみて、改めて名著だと思った。「知的生産の技術」本としてはもちろん、文章論・読書論・教養論としても高い価値をもつものだ。
 インターネットどころか、ワープロすら一般的でなかった時代の書だから、情報として古びている面もなくはない。それでも、いまでも傾聴に値する卓見が目白押しである。

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末井昭『結婚』



 末井昭著『結婚』(平凡社/1512円)読了。

 3年前の著書『自殺』に続いて、2文字のシンプルなタイトルのエッセイ集である。

 『自殺』は、少年時代に母親を自殺で喪った末井が、自殺をテーマに綴ったエッセイ集であった。それに対して本書は、末井の2度の結婚生活のことを中心にしている。
 『自殺』も『結婚』も自伝的エッセイであり、重複する話も少なくない。また、末井の現在の伴侶である写真家・神蔵美子の自伝的写真集『たまもの』に出てくる話もある。

■関連エントリ
末井昭『自殺』
神蔵美子『たまもの』

 なので、末井の著書をずっと読んでいる読者にとってはやや既視感のある本だが、同じエピソードでも取り上げる角度は異なるので、十分楽しめる。

 本書は、微温的な「結婚の心構え」などとはかけ離れた内容である。なにしろ、末井も神蔵美子も、世間の一般的常識にはあまり頓着しない破格の人物だから。

 本書の元になったウェブ連載の執筆依頼を受けたとき、末井は「『読んだら絶対結婚したくなくなる本』だったら書きたい」と思ったのだという。

 たしかに、エッセイの中で回想される著者の両親の結婚生活などは、すさまじいものだ。

 父親は食欲と性欲だけで生きている下等動物のような人間でした。



 とか、すごいインパクトのフレーズが頻出する。

 また、末井の最初の結婚生活が破綻していくプロセスも、自らの古傷を刃物でえぐるように容赦なく書かれている。

 妻をしあわせにしようと思ってがむしゃらに働いたのですが、その結果、妻に嘘ばかり言うようになっていました。妻がしあわせを感じていたのは、ひょっとして僕が失業してアパートでゴロゴロしていたころだったかもしれません。お金はなかったけど、いつも一緒にいて、僕を疑うことは一切なかったはずですから。



 ダブル不倫の果てに再婚した神蔵美子との結婚生活も、いまは落ち着いているようだが、最初のころは精神的修羅場の連続である。

 ……と、そのような内容でありながら、読後には結婚の肯定的側面のほうに目が向く。「あとがき」に次のような一節があることは、象徴的だ。

 人は変わっていけること、結婚はそのチャンスだということを、この本を書いて改めて認識したように思います。



 巻末の高橋源一郎(結婚5回・離婚4回のベテラン!)との対談で、高橋は末井昭の文章を絶賛している。
 たしかに、強烈なエピソードを淡々としたユーモアにくるんで綴る、末井ならではの文章である。

■ウェブ連載の第1回のみ、いまも読める→ 結婚 Marriage 末井昭
  
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崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』



 崗田屋愉一(おかだや・ゆいち)の『大江戸国芳よしづくし』 (日本文芸社/535円)を、Kindle電子書籍で購入。
 
 浮世絵師・歌川国芳の無名時代を描いたマンガ。

 著者の崗田屋愉一は、2011年に「岡田屋鉄蔵」名義で発表した『ひらひら――国芳一門浮世譚』で注目を浴びたマンガ家(ちなみに女性)。……だそうだが、私はこの人の作品を読むのは初めて。

 浮世絵師を主人公にしたマンガといえば、一ノ関圭の『茶箱広重』『鼻紙写楽』、杉浦日向子の『百日紅』といった大傑作が、すでにある。ゆえに、いまから類似作を描くには、それらの傑作と比較されることでワリを食う覚悟で臨まなければならない。

 私も、心の中で比較しながら読まざるを得なかった。
 崗田屋愉一もきれいでうまい絵を描くが、一ノ関圭の絵の凄みには及ばない(一ノ関は「日本でいちばん絵のうまいマンガ家」の最有力候補だから、比べるのは酷)。

■関連エントリ→ 一ノ関圭『鼻紙写楽』

 また、杉浦日向子作品の心地よい力の抜け具合、余白の絶妙な使い方に比べ、崗田屋は1ページの中に情報量を詰め込みすぎ(文字が多すぎるし、コマ割りもやや細かすぎ)で、読んでいてちょっと暑苦しい。
 
 だが、そのように先行作品と比べさえしなければ、これはこれで素晴らしいマンガである。

 物語のタテ軸は、浮世絵が好きでたまらない富裕な商人・遠州屋佐吉(実在の人物)と国芳が出会い、それを機に国芳が才能を開花させ、世に認められていくプロセス。
 そこに、殺人や役人の汚職などの事件がからんでヨコ軸となり、ダイナミックにストーリーが展開していく。

 市川団十郎(七代目)や遠山の金さん、鼠小僧次郎吉などというおなじみのキャラが重要な役どころで登場するなど、読者を飽きさせない工夫も随所にある。
 私のように浮世絵について門外漢でも、十分に楽しめる大人のエンタテインメントだ。

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未知庵『三時のお水』『きなこ体操』



 未知庵(みちあん)の『未知庵の1 三時のお水』『未知庵の② きなこ体操』(Nemuki+コミックス)を購入して、読み倒す。

 まったく知らなかったマンガ家なのだが、変なマンガばかり集めてウェブ公開している「劇画狼のエクストリームマンガ学園」で、未知庵の「餅」「乳」という2編を読み、すっかり気に入ってしまった。

 で、いま買えるこの人の作品集2冊を、あわててゲットしたしだい。
 朝日新聞出版の『ネムキ』、『Nemuki+(ネムキプラス)』に掲載された作品を中心とした掌編集である。

 どの話も、シュールで不気味でおかしい。一言で言えばキモ面白い。しみじみとくだらなくて、それでいて妙に深みもあり、読んだあとに余韻が残る。

 絵はとてもうまい。描き込みもていねいで、時に執拗な印象を受けるほど。劇画的な陰影に富む絵柄でシュールなギャグを連発するから、そのギャップのせいでよけいにおかしい。

 2冊合計して40編以上の掌編が収録されている。そのすべてが傑作とは言わないまでも、かなり高水準な作品集である。
 細部までよく作り込まれているから、アイデア勝負の作風なのに、何度も読み返しても面白い。

 時々、すごくツボにハマる場面がある。
 「少年ファラオ」(『きなこ体操』の表紙に描かれているキャラ)がよろめいてぶつかり、郵便ポストがボコっとひん曲がってしまう場面など、声を上げて笑ってしまった(読んでいないとなんのことかわからないだろうが)。



 量産のきく作風ではないだろう。この2冊に収められた作品も、古いものは2006年くらいに発表されていて、約10年を費やして2冊分になったという感じだ。
 次の作品集も気長に待っているので、ぜひコツコツと描き続けてほしい。

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ジョーゼフ・ジョルダーニア『人間はなぜ歌うのか?』



 ジョーゼフ・ジョルダーニア著、森田稔訳『人間はなぜ歌うのか?――人類の進化における「うた」の起源』(アルク出版/3132円)読了。書評用読書。

 グルジア(ジョージア)出身の音楽進化学者で、現在はメルボルン大学教授の著者が、音楽の起源、歌の起源についての新たな仮説を提示した野心的著作。

 地球上に歌わない民族はいないわけだが、「人はなぜ歌うのか?」は「人類の進化の過程における最大の謎の一つ」である。
 これだけ歌うことが一般的である以上、「歌うほうが生存に有利になった」という事情があったはずだが、その「事情」が何なのかがわからないのだ。

 大声で歌うことは、危険な肉食獣に人間の居場所を知らせてしまうことになるわけで、むしろ生存に不利であったはずだからだ(じっさい、鳥たちも地上に降りたときにはさえずるのをやめるし、ヒトは「地上に住んでいながら歌う唯一の種」なのだという)。

 では、人間はなぜ歌うようになったのか? 著者はその理由を、多くの先行研究をふまえたうえで、大胆に解き明かしていく。

 二部に分かれており、前半の第一部では、モノフォニー(独唱などの単旋律音楽)よりもポリフォニー(多声音楽)のほうが先行して存在したことが論証されていく。
 順序として、まず誰か一人が歌い始め、歌う習慣が広がっていくなかで複雑なポリフォニーも生まれていった……と考えるのが自然だろう。じっさい、従来はモノフォニーが先に生まれたと考えられてきた。
 著者はその常識を覆してみせたのだ。

 「はじめにポリフォニーがあった」という第一部の結論は、第二部の内容を理解するために必要不可欠なものである。
 ただ、一読者としての率直な感想を言えば、第一部は非常に退屈だ。歌のポリフォニー様式が世界各地に分布することなどが必要以上に詳述されており、「早く『人間はなぜ歌うのか?』という話に進め!」と言いたくなる。
 この第一部はもっとコンパクトにまとめて、一章程度にすべきだった。

 後半の第二部「人間はなぜ歌うのか?」になってようやく本題に入り、一気に面白くなる。

 著者が提示する、「歌の起源」をめぐる大胆な仮説は、“人間は、肉食獣に対する威嚇行動として、集団で歌い始めた”というもの。

 獣たちに比べて非力で足も遅い人間たちは、「ハンター」にはなり得なかった。ライオンなどの肉食獣が獲物を捕らえたとき、その獲物を横取りする「スカベンジャー(腐肉食者)」として生きのびるしかなかったのだ。

 そのため、人間たちはライオンなどの狩猟行動を見張り、彼らが狩りに成功したと見るや、みなで大声を上げて威嚇し、追い払おうとした。
 もちろん、肉食獣に殺される危険も大きかったわけだが、みなで大声を上げて威嚇する行動は「戦闘トランス」状態を生み出し、死の恐怖を忘れることにも役立った。
 そして、「歌の起源」が集団威嚇行動にあったからこそ、「はじめにポリフォニーがあった」のだ。

 なんというか、ロマンのかけらもない、身もフタもない仮説ですね(笑)。

 「歌の起源は威嚇行動」という説自体は著者以前にもあったようだが、その説を整合性のある一つの「ストーリー」にまとめ上げたのは、著者の手柄である。

 当否はともかく、話としては抜群に面白いし、著者の仮説に従えばいろんな謎の辻褄が合う。

 ただ、本書巻末の解説で岡ノ谷一夫(動物行動学者/東大教授)が苦言を呈しているように、著者の提示するストーリーには「若干の飛躍」がある。原始時代の人類の行動を、見てきたように語る危なっかしさがあるのだ。

 たとえば著者は、人間たちが肉食獣を追い払うための威嚇行動の一助として、派手な彩色のボディペインティングを施して威嚇効果を高めた、と主張している。
 そのへんもまさに「見てきたように」書かれているのだが、「想像の域を出ていないのに、断定的に書いていいのか?」と首をかしげたくなる。

 ……とケチをつけてしまったが、第二部の面白さはかなりのもので、音楽の好きな人なら一読の価値はある。
 
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ハウリン・ウルフ『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』ほか



 ハウリン・ウルフの『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』『ハウリン・ウルフ』『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』をヘビロ中。

 私はブルースについては初心者だから、アルバム・ガイドブックのたぐいを読むなどして、少しずつ過去の名作を聴いている段階だ。
 そのなかで最近気に入っているのが、ハウリン・ウルフ。マディ・ウォーターズとともに、1960年代のブリティッシュ・ブルース・ロックの面々に強い影響を与えた一人である。

 ハウリン・ウルフのアルバムは、総じてジャケットがオシャレだ。
 上に貼った『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』(1959年)や、「ロッキンチェア・アルバム」の別名で知られる『ハウリン・ウルフ』(1962年/↓)などは、ブルースというよりジャズの名盤のような上品な雰囲気。



 『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』(↓)の洗練されたイラストのジャケも、じつに魅力的。



 中身がドスの利いたダミ声のブルースだとは、とても思えない(笑)。

 『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』は、「2イン1」という表記のある盤を買うと、『ハウリン・ウルフ』の収録曲も全曲入っている(私もそれで聴いた)。
 この2作は極めつけの名盤で、「ザ・レッド・ルースター」や「スプーンフル」、「バック・ドア・マン」など、ストーンズやクリーム、ドアーズなどがカバーした名曲の数々が収められている。

 ただ、ロック経由で聴いた私のようなリスナーにとっていちばん聴きやすいのは、『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』のほうだ。

 これは1971年に、エリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツら、ブリティッシュ・ロックのスターたちがロンドンにハウリン・ウルフを迎え、「胸を借りる」形でセッションしたアルバム。
 ブルースというよりブルース・ロックのアルバムとして楽しめる。

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矢野顕子×上原ひろみ『ラーメンな女たち - LIVE IN TOKYO -』



 矢野顕子×上原ひろみの『ラーメンな女たち - LIVE IN TOKYO -』(Universal Music)を聴いた。

 6年前の『Get Together -LIVE IN TOKYO-』に続く、天才2人の競演ライヴ・アルバム第2弾。
 基本的には前作の延長線上にあるので、前作が気に入った人なら今作も気に入るだろう。

 互いにジャズを基盤にしながらも、ジャンルにとらわれない音楽を創り続けてきた2人らしく、ジャンル分け不可能なアルバムに仕上がっている。

 たとえば、今作には異なるジャンルの2曲を合体させた曲が3つもある。
 わらべうたの「おちゃらかほい」とウェイン・ショーターの「フットプリンツ」を合体させた「おちゃらかプリンツ」、美空ひばりの「真っ赤な太陽」とビル・ウィザースの「エイント・ノー・サンシャイン」を合体させた「真っ赤なサンシャイン」などである。
 それらの“合体曲”は、この2人でなければ絶対にさまにならないだろう。

 前作以上に矢野顕子のヴォーカルに比重がかけられている印象で、上原ひろみのピアノは一聴するとあまり目立たない。
 ただ、矢野の「飛ばしていくよ」で、原曲の打ち込み音を上原が正確無比な速弾きのピアノに置き換えていくあたり、ゾクゾクする凄みがある。

 矢野顕子は「癒し系」イメージとは裏腹に、ソウルフルに熱唱しても素晴らしいシンガーである。
 そのことは私も重々承知なのだが、このアルバムはソウルフルに熱唱するタイプの曲ばかりが多すぎて、彼女の歌声がちょっと暑苦しく感じられる。それが今作の難点だと思った。

 ただ、どの曲も上原ひろみの編曲は素晴らしい。
 ラストを飾る「ラーメンたべたい」は前作『Get Together』でも演奏していたが、今作はスピード感あふれるスリリングなアレンジで、この名曲がじつにカッコよく生まれ変わっている。

 また、「東京は夜の7時」や「ドリーマー」(上原の『ALIVE』所収曲に矢野が歌詞をつけたもの)の“疾走するリリシズム”という趣は絶品だ。

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田中慎弥『孤独論』



 田中慎弥著『孤独論――逃げよ、生きよ』(徳間書店/1080円)読了。

 15年間のひきこもり生活を経て作家デビューをした著者が、孤独の価値と意義に焦点を絞った人生論。
 
 小説家に限らず、物書きというのはみんな孤独な稼業である。孤独に対する耐性がない人は、そもそも物書きに向いていない。
 私も一人で過ごすことがまったく苦痛ではないし、だからこそライターになったのだ。

 だから、著者が力説する孤独の価値については、深く同意する。
 ただ、孤独の持つプラス面に光を当てた人生論なら、近年になってたくさん出ているわけで(※)、これは屋上屋を架す本でしかないと思う。

※『孤独の価値』(森博嗣)、『孤独のチカラ』(齋藤孝)、『孤独が人生を豊かにする』(中谷彰宏)、『孤独のすすめ』(五木寛之)、『孤独がきみを強くする』(岡本太郎)などなど……。

 本自体も200ページに満たない薄いものだし、内容も薄くて、30分で読めてしまう。 
 人生論としても意外に陳腐で、「小説家ならもっと気の利いたことが言えないものか」と思ってしまった。
 一般的な人生論よりも、著者自身のひきこもり時代の思いなどをもっと掘り下げてほしかった。

 もっとも、本書はライターが著者の話を聞き書きでまとめたものなのだそうで、それもつまらなさの一因かもしれないが。

 作家の書いた人生論というと、丸山健二の80年代の著作『メッセージ――告白的青春論』などは、じつに面白い本であった。小説家の余技としても、あの程度の水準はほしいものである。
 
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坪井賢一『その手があったか! 時間がない人のための即効読書術』



 坪井賢一著『その手があったか! 時間がない人のための即効読書術』(洋泉社/1512円)読了。

 著者は元『週刊ダイヤモンド』編集長。
 多忙なサラリーマン生活のなか、時間をこじ開けるように読書をしてきた経験に基づく、実践的読書術が開陳される。

 「本が好きでたまらない」という感じが伝わってきて好感が持てるし、一般的サラリーマンに実践可能な方法に絞っている点もよい。つまり、「こんなやり方、金持ちの自由業者にしかできないだろ!」と言いたくなる記述が皆無なのだ。

 とはいえ、本書に書かれていることの大半――たとえば、電車内での読書のコツ、図書館活用法、定点観測としての書店巡回など――は、並レベルの読書好きならとうに実践していることであり、目からウロコが落ちるような新鮮味はない。

 私が本書で知った有益な情報としては、都心にある会員制の「有料自習室」は「読書室」として活用できる、という話と、薄い紙をホールドしておく「クリップスタンド」が便利だ、という話くらい。

 
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西村賢太『一私小説書きの日乗 不屈の章』



 西村賢太著『一私小説書きの日乗 不屈の章』(KADOKAWA/2052円)読了。

 「ただの日記」をまとめた『一私小説書きの日乗』も、本書で第5弾。
 前作から定価が2000円を超えるようになり(税込みで)、「こんな中身の薄い本で2000円は高いなァ」という印象が拭えない。このシリーズはもう文庫オリジナルにすべきだ。

 中身は相変わらずで、会った人、書いた原稿、食べたものなどが淡々と記録されていくのみ。

 このシリーズで読者としていちばん面白いのは、各出版者の編集者との生々しいやりとり。とくに、賢太は相手と険悪なムードになったことも包み隠さず書くので、そのへん、他人の口喧嘩を横目で見るようなスリルが味わえる。

 とくに本書では、賢太の天敵のような存在であるらしい『新潮』の編集長を口汚く揶揄する言葉が、くり返し登場する。
 さすがに名前までは書いていないのだが、「こんなことを書いていながら、よく新潮社にホサれないものだなァ」とある意味感心する。

 『新潮』に限らず、編集者から見たらつきあいにくい作家であるはずなのに、賢太が仕事に恵まれているのも、思えば不思議である。
 そんなに本が売れるわけでもないだろうに、本書のような「ただの日記」が着実に書籍化され、連載もいまだに続いているのも、不思議といえば不思議。なんだかんだ言っても「人気作家」なのだな。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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