岩佐義樹『毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術』



 岩佐義樹著『毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術』(ポプラ社/1404円)読了。

 著者は『毎日新聞』のベテラン校閲記者で、同社の「用語委員会用語幹事」も務める人物。
 本書は、著者の豊富な校閲経験をふまえ、ありがちな言葉の間違いを紹介し、正しい日本語を指南していくもの。

 したがって、文章読本を連想させる「すごい文章術」というタイトルには、やや違和感を覚える。
 もっとも、よい文章を書くために必要な知識が多数紹介されているという意味では、文章術の本と言えなくもない。

 私はもう30年もライターをやっているので、日本語についての知識は人並み以上にはあると思う。
 それでも、書いた原稿の言葉の誤りを校閲に指摘されるなどして、「えっ? これって間違いなんだ」と気付いた経験は、けっこうある。゜

 このブログの中にだって、探せば言葉の誤用はあると思う。それくらい、日本語は難しいのだ。

 本書に紹介されている言葉の誤用、不備についても、初めて知ったものがいくつかあった。

 たとえば、「居並ぶ」という言葉の「居」には「座る」という意味があるから、立って並んでいる人について「居並ぶ」と表現してしまったら、誤用になるのだという。うーむ、知らなかった。

 また、「姑息」は「卑怯」という意味に誤用されがちだが、本来は「一時しのぎ」という意味なのだとか。
 これも知らなかった。卑怯という意味で「姑息」を用いたことも、たぶん何度もあると思う。

 これらの知識を得ることができただけでも、本書を読んだ価値があった。
 ライターや編集者なら、一読の価値はある本。著者の文章も平明で柔らかいタッチで、好感がもてる。

関連記事

高橋順子『夫・車谷長吉』



 高橋順子著『夫・車谷長吉』(文藝春秋/1728円)読了。

 2015年に亡くなった私小説作家・車谷長吉の思い出を、妻で優れた詩人である著者が振り返ったもの。2人の出会いから永訣までが、ほぼ時系列で綴られている。

 もう10年以上前だが、私はこのご夫妻を某誌の「おしどり夫婦特集」で取材させていただいたことがある。そのときのことを思い出しつつ読んだ。

 2人は共に40代後半で晩い結婚をしたから、夫婦として過ごしたのは約20年。
 その間、車谷の直木賞・川端康成文学賞受賞、高橋の読売文学賞・藤村記念歴程賞受賞などがあり、思えば華々しい年月である。

 だが、その一方で、車谷の病や、私小説に描いた人から名誉毀損で訴えられるなどの筆禍が続き、波乱万丈の20年でもあった。

 本書は全体が6つのパートに分かれている。そのうち、愛の物語として最も胸を打つのは、結婚に至るまでの日々を綴った「Ⅰ」の部分である。

 高橋の詩「木肌がすこしあたたかいとき」に深く感動した車谷は、計11通もの絵手紙を一方的に送りつけるなどして、彼女への思慕をつのらせていく。
 それは、高橋を自らの「ミューズ(芸術の女神)」として渇仰するような、特異な恋のありようであった。

 一方、高橋も、車谷の小説を読んで次のように思う。

 これほどの小説を書く人が世に埋もれているのは、よほど頑固で風変わりな人ではないかと思った。それとともに、この人はおろそかにできない、という気持ちが湧いてきた。



 2人の結びつきは、互いの才能を認め合うところから始まったのだ。
 その意味で、与謝野晶子と鉄幹、パティ・スミスとロバート・メイプルソープの恋のような、「表現者同士の恋」の物語として強い印象を残す。

 本書には言及がないが、車谷が高橋について書いた「みみず」という名エッセイがある(『錢金について』所収)。
 作家として「埋もれて」いた車谷は、高橋との出会いを機に、三島賞を受賞するなどして脚光を浴びる。そのことで「あなたは私のミューズだった」と讃えると、高橋は「私なんて蚯蚓(みみず)ですよ。でも、蚯蚓は土の滋養になるのよ」と答えたという。

 車谷長吉にとってのミューズ・高橋順子が、万感の思いを込めて亡き夫との年月を綴った書。車谷作品の愛読者なら必読だ。

■関連エントリ
車谷長吉の作品
高橋順子『けったいな連れ合い』
高橋順子・佐藤秀明『恋の名前』

関連記事

上間陽子『裸足で逃げる』



 上間陽子著『裸足で逃げる――沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版/1836円)読了。

 琉球大学教育学部の教授で、主に非行少年少女の問題を研究してきた著者が、研究の一環として行ってきた少女たちへの聞き取り調査をベースにしたノンフィクション。

 全6章立てで、それぞれ“主人公”にあたる少女が登場する。
 少女たちは、親からネグレクトされて育ったり、援交で生計を立ててきたり、恋人からDVをくり返されたり……といった過酷な状況にある子ばかり。早くしてシングルマザーになった子も多く、キャバ嬢率も高い。恋人の男たちは、大半がドクズ。

 『闇金ウシジマくん』の「逃亡者くん」編(沖縄が舞台)に出てきたような話だなァ、と思いつつ読んだが、それくらい“沖縄のありふれた現実”だということだろう。

 47都道府県中、貧困が最も深刻だと言われる沖縄――。その貧困・暴力・虐待の連鎖の問題が、少女たちの肉声から浮き彫りになる。

 少女たちが苦境に立つたび、親身になって相談に乗り、身を削って手助けする著者の行動が随所で描かれ、頭が下がる。取材者・研究者という枠を踏み越えて、少女たちに深く関わっているのだ。
 元々、著者の調査は少女たちへの支援も兼ねたものだそうだから、当然といえば当然なのだろうが、なかなかできることではない。

 また、年齢的には少女たちの母親であってもおかしくないのに(失礼!)、著者がまるで同年代の友人のような雰囲気で会話している点にも、感服させられる。

 同じ問題を扱っても、中村淳彦が書くと少女たちを見世物にするような煽情的記事になるが、著者の文章には少女たちに寄り添うあたたかさが満ちている。

 難を言えば、少女らの言葉を記した部分が聞き取り調査の引き写しで、テープ起こしを読んでいるような味気なさとわかりにくさがある(逆に、調査のまんまだからこその生々しい迫力もあるが)。
 学術書ではなく一般向けノンフィクションなのだから、そのへん、「作品」らしくトリートメントしてもよかったのでは?

関連記事

『マリアンヌ』



 『マリアンヌ』を映像配信で観た。
 ロバート・ゼメキス監督、ブラッド・ピット、マリオン・コティヤール主演のロマンティック・スリラー。



 映画評論家・小野寺系さんの「ブラッド・ピット主演『マリアンヌ』は、名画『カサブランカ』の美しい“偽物”だ」という素晴らしいレビューを読んで、「お、これはよさそうだ」と思って手を伸ばしたもの。

 なるほど、随所に『カサブランカ』へのオマージュが忍び込ませてある点や、滅法いい男といい女が常に観客の視線を釘付けにするところなどは、ハリウッド黄金時代の古き佳き名画のよう。

 映画の前半で描かれるのは、スパイとしての任務(ドイツ大使暗殺)のために夫婦を装った2人の間に、いつしか愛が芽生えていくプロセス。
 後半は、2人が本物の夫婦となり、娘も生まれてから、妻のマリアンヌに二重スパイ疑惑がかかるという展開。「果たして、マリアンヌの自分への愛は本物だったのか?」――それを確かめていくラブ・サスペンスである。

 前半と後半で微妙にタッチが異なり、またそれぞれに名場面が随所にあって、並の映画2本分楽しめる。

 サスペンスとロマンスの配合具合もちょうどいいし、適度にアクションもあるし、仏領モロッコなどの異国情緒も味わえるし、映画としてゴージャス。

関連記事

柳本光晴『きっと可愛い女の子だから』



 柳本光晴の『きっと可愛い女の子だから』(アクションコミックス)を読んだ。
 例によって、Kindle日替わりセールで安かった(99円!)ので買ってみたもの。

 柳本は、この春「マンガ大賞2017」に輝いた『響~小説家になる方法~』の作者である。
 本書は、『響』で大ヒットをかっ飛ばす前に出された初期短編集だ。

 15歳の天才文学少女・鮎喰響(あくい・ひびき)の物語である『響』は、いま私が連載(『ビッグコミックスペリオール』)を楽しみに読んでいる作品の一つ。
 『響』のジェットコースター的面白さ(最近やや停滞ぎみだが、コミックス1巻あたりの面白さは非の打ち所がない)に比べると、この『きっと可愛い女の子だから』に収録の5編はまだ「習作」という趣だが、それでも十分楽しめる。

 

 クラスで孤立しているオタク少女、勉強の出来ないガングロギャル、行き遅れの堅物女教師など、普通のラブコメなら脇役にしかならないような女の子達をあえて主役として扱った異色のラブコメ短編集



 ……というのが、版元がつけた本書の惹句。そのコンセプトは十分奏功している。

 いまの時点から本書を読むと、どの短編も『響』の原型、プロトタイプに見えてくる。
 とくに、短編「保健室にて」に出てくる黒髪メガネっ娘は「もう一人の響」という感じだし、「図書館LOVER」に出てくる高校文芸部の世界は、そっくりそのまま『響』ワールドである。

 『響』が好きな人なら、そのスピンオフを読む感覚で楽しめる好短編集。
 
関連記事

高田かや『さよなら、カルト村。』



 高田かやの『さよなら、カルト村。――思春期から村を出るまで』(文藝春秋/1080円)を読んだ。

 昨年刊行され話題を呼んだ、著者の自伝的コミックエッセイ『カルト村で生まれました。』の続編。

 正編は著者の「初等部」(一般の小学生期)時代の思い出が中心だったが、本書は中等部・高等部時代と、その後村を離れるまでのいきさつが描かれている。

 「ヤマギシ会」(という名前は作中には出てこない)の「村」が舞台になってはいるが、告発調ではなく、淡々としたタッチで自分の思い出を振り返っている……という印象は正編と同一。

 著者の絵がシンプルでふんわりしているため、陰惨な感じはまったくないが、内容はけっこう衝撃的である。

 たとえば、中等部になると村の子たちは親元を離れて共同生活をさせられるのだが、その中等部の「禁止事項」として、「①音楽を聴くこと ②男女交際 ③一般の本を読むこと」が挙げられていたりする。
 これ自体が児童虐待、人権侵害だろう。

 ただ、主人公(=少女時代の著者)ら子どもたちが、がんじがらめの規則の中でつつましいオシャレをしたり、大人の目を盗んで「一般の子」と同じ行動をしたりする様子が、随所で描かれる。そのことに、読んでいて救われる思いがした。

 村では基本、身だしなみ以上のおしゃれは禁止で、ヘアスプレーやワックスなどの整髪料はいっさいなく、唯一男子が近くに来る夕食前のお風呂上がりには、ワックス代わりにニベアをつけていた。(中略)
 学校で一般の子が使っているような本物のヘアスプレーが欲しかった。



 ……などという一節は、いじらしくて胸を衝かれる思いがする。

 終盤では、「地下鉄サリン事件」によってヤマギシ会もオウム真理教と同一視されて世の批判を浴びたり、学校法人を作ろうとしたりする変化が描かれる。
 その変化の中で社会との軋轢を経験し、村は少しずつ社会に向けて開かれていくのだ。

 19歳になった著者は、村の「理想」に疑問を持ち、一般社会で生きていくことを決意する。
 そのことで両親(も会員だった)や会と衝突する修羅場が描かれるのかと思いきや、村を出るまでのいきさつは意外なほどあっさりしている。

 「こんなにすんなり脱出できるのなら、カルトとは言えないのでは?」とも思ったが、それもまた、サリン事件以後のヤマギシ会の変化の賜物なのかもしれない。

 正編を読んで面白かった人なら、本書も面白く読めるだろう。

関連記事

佐々木閑『集中講義 大乗仏教』



 佐々木閑(しずか)著『別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教――こうしてブッダの教えは変容した』(NHK出版/299円)読了。

 本日の「Kindle日替わりセール」で安かったので買ってみたもの。面白くて朝から一気読み。

 書名のとおり大乗仏教の概説書ではあるものの、そもそもの釈尊の教えがどういうものかについてもそれなりの紙数で語られるため、「仏教入門」として読むことができる。
 
 著者の大学での教え子である一人の社会人学生(30代男性)との対話を元にしているそうで、本文も問答形式になっている。
 そういう成り立ちのせいもあって、非常にわかりやすい。また、対話相手となった学生も聡明な人物のようで、著者に投げかける質問は時にすごく鋭い。

 仏教の「基本のき」から説き起こしたうえで、かなり高度な内容にまで踏み込んでおり、私にも目からウロコのくだりがたくさんあった。
 それでいて、語り口はあくまで平明で、そのリーダビリティは池上彰ばりである。

 著者は原始仏教が専門の仏教学者だから、ホンネでは大乗仏教を見下しているのかもしれない。が、少なくとも本書の中では、「誰かにとって救いになる教えには等しく価値があり、どの仏教が上だということはない」というスタンスをとっている。ゆえに、大乗仏教徒にも抵抗なく読める。

 「こうしてブッダの教えは変容した」という副題のとおり、釈尊の教えが大乗仏教に変容していくプロセスが丹念に理路整然と辿られており、変容の解説書として優れている。

関連記事

荻原規子『源氏物語 宇治の結び』



 昨日は、取材で京都へ(日帰り)――。

 行き帰りの新幹線で、荻原規子訳『源氏物語 宇治の結び』(上下巻/理論社/各1836円)を読了。書評用読書。

 『源氏物語』のラスト十帖である「宇治十帖」を、児童文学やファンタジー小説で知られる作家の荻原規子が現代語訳したもの。
 京都に行く新幹線の車中で読むのに、これほどふさわしい本がほかにあるだろうか? しかも、今回の取材先は宇治市の「宇治おうばく病院」であったし。

 荻原規子は以前にも、『源氏物語』の主要部分を「紫の上」を中心に再構成した、『紫の結び』という現代語訳を刊行している。本書はその続編というか、スピンオフというか。
 そもそも、「宇治十帖」は光源氏没後の物語であり、それ自体が『源氏物語』のスピンオフのようなものと言えなくもない。

 光源氏の末子・「薫」と、光源氏の孫で明石の姫君が産んだ「匂宮」という2人の貴公子が、宮家の姫君たちと恋をしていく物語。

 三角関係のラブストーリーである点など、現代の恋愛小説に通じる部分もある。
 林真理子も、「宇治十帖」をフランスの心理小説のようなタッチで現代に蘇らせた『STORY OF UJI  小説源氏物語』というのを書いている。

 色恋のことしか考えていない平安貴族の思考回路は、私にはまるで共感できない。それでも、四季折々の美しい風物の描写が随所に織り込まれ、愉しく読めた。

 荻原規子の訳は平明にしてスピード感があり、現代の読者を『源氏物語』の世界に誘う最初の入口としてふさわしい。

関連記事

平田俊子『低反発枕草子』



 今日は、時々やっている「世界の女性大使」というシリーズ記事の仕事で、マケドニア共和国駐日大使のアンドリヤナ・ツヴェトコビッチさんを取材。品川区のマケドニア大使館にて。

 マケドニアと聞いたとき、アレクサンダー大王を生んだ古代マケドニア王国しか思い浮かばなかった私。
 だが、現代のマケドニアは、旧ユーゴスラビア崩壊後の1991年に独立した、バルカン半島の新しい国だ。

 日本に大使館を開設したのもつい最近で、アンドリヤナさんは初代駐日大使である。まだ30代半ばで、日本に100人以上いる駐日大使のうち、最年少だという。

 アンドリヤナさんは、元々は日本映画の研究者兼映画監督で、日本大学大学院で博士号をとった。流暢な日本語を操り、京都大学で准教授を務めたこともある。日本文化に通暁している点などから、初代大使として白羽の矢が立ったのだ。

■参考→ 『ジャパンタイムズ』掲載の、アンドリヤナ大使へのインタビュー記事

「うーむ、世界にはすごい人材がいるものだなァ」と、感服させられる取材であった。


 行き帰りの電車で、平田俊子著『低反発枕草子』(幻戯書房/2592円)を読了。詩人で、小説なども書く著者によるエッセイ集。

 すでに還暦を超えているわりに、著者の文章はすこぶる若々しい。30代だと言われても信じられる感じ。
 詩人ならではの鋭敏・繊細な言語感覚が随所で光る、楽しいユーモア・エッセイである。タイトルからして面白い。

 歌人の穂村弘や翻訳家の岸本佐知子など、著者よりやや若いユーモア・エッセイの書き手と比べると、「妄想力」がいま一つというか、ぶっ飛んだ感覚はあまりない。
 が、どうということのない四季折々の日常を、読者が愉しめるエッセイに仕立て上げるテクニックは、端倪すべからざるものだ。

 それこそ、日本の随筆の原点たる『枕草子』を、21世紀に移植したような趣。爆笑ではなく微苦笑を誘う上品で淡いユーモアが、全編に横溢している。

 どことなく『枕草子』っぽい一節を、例として引いておく。

 夏の間は見るのも嫌だった毛布が、恋しくてたまらない季節になった。この世に毛布があってよかった。毛布なしでは生きていけない。毎晩ベッドに入るたびにそう思う。夏の間親しかったタオルケットのことは、とうに忘却のかなたである。今にして思えばあいつは軽くて薄っぺらなヤツだった。温もりを知らないヤツだった。
 毛布は違う。温もりだけから出来ている。どこをいつ触っても温かい。機嫌が悪くてきょうは冷たいなんてことはない。


  
関連記事

奥野修司『魂でもいいから、そばにいて』



 昨夜は私用で大田区蒲田へ――。

 行き帰りの電車で、奥野修司著『魂でもいいから、そばにいて――3・11後の霊体験を聞く』(新潮社/1512円)を読了。

 副題のとおり、東日本大震災の被災者たちの「霊体験」を取材した連作ノンフィクションである。
 著者は、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で大宅賞も受賞したベテラン・ノンフィクション作家。

 被災地では、亡くなったはずの人が現れる幽霊話が後を絶たない。私も現地で耳にしたし、被災地の霊体験に的を絞った類書も、すでにいくつか出ている。

 本書は、概要だけを聞くとキワモノ本に思えるかもしれないが、真摯なノンフィクションである。
 「霊体験本」というより、被災者の話に耳を傾けるうち、その人が語る霊の話(津波で亡くなった家族が、霊として現れる話)を中心にせざるを得なくなった……という趣。

 また、怪談・怖い話のたぐいでもない。
 序章で紹介される一般的な話の中には怪談めいたものもあるが、本文で紹介される霊体験は、いずれも取材対象者が愛する人の霊であり、彼らにとって怖い存在ではないからだ。むしろ彼らはみな、愛する人とまた「会える」ことを喜んでいる。

 これは、霊が科学的にあり得るか否かを問う本ではない。著者もそういう次元で書いてはいない。
 亡き家族が彼らの前に、まるで生きているかのようにいきいきと現れたこと――それは客観的事実ではないとしても、彼らにとってはまぎれもない真実なのである。

 16編の体験が収められている。
 わりと玉石混交で、サラッと読み流してしまったものもあるが、いくつかの体験は強烈な印象を残す。

 とりわけ、冒頭に収められた、妻と幼い長女を亡くした亀井繁さんの体験は、哀切な「愛の物語」として感動的だ。
 ひとり遺された夫が生きる希望を見失ったとき、妻と娘は夫を励ますかのように、霊として現れるのである(序章と1章がKindleの「無料お試し版」で読めるので、読んでみてください)。

関連記事

週刊文春編集部『文春砲』



 今日は午前中に、都内某所で社会起業家の慎泰俊(シン・テジュン)氏を取材。

 先日読んだ慎氏の著書『ルポ 児童相談所』が大変素晴らしかったので、編集者に「この人を取材してみたい」と言っておいたところ、一ヶ月経たずに実現したのだ。

 このように、「会ってみたい」と思う人に取材という形で会うことができる(ことが多い)のが、ライター稼業の醍醐味の一つである。


 行き帰りの電車で、週刊文春編集部編『文春砲――スクープはいかにして生まれるのか?』(角川新書/864円)を読了。

 大型スクープの連発によって世の注目が集まり、「『週刊文春』はどうしてあんなにスクープを飛ばせるのか?」という舞台裏を明かす本の刊行が相次いでいる。
 本書もその一つで、ドワンゴが作った『週刊文春』編集部のドキュメンタリー・ドラマがベースになっている。

 数々のスクープの舞台裏は、読み物として面白かった。とくに、ベッキー「ゲス不倫」記事の舞台裏を明かした章は、映画のようにドラマティックだ。

 ただ、昨年に類書の『スクープ!』(『週刊文春』の元エース記者・中村竜太郎の著書)を読んだときと同様、「週刊誌記者って、そんなにご立派な仕事なのかね?」という違和感が、最初から最後まで拭えなかった。

 昨年の映画『SCOOP!』(ヒットしなかったけど、よい映画だった)で、福山雅治演ずる写真週刊誌のパパラッチ・カメラマンは、「俺たちのやってる仕事は、ゴキブリ以下、ドブネズミ以下なんだよ」というセリフを吐く。
 そういう醒めた自己認識が、週刊誌記者・編集者にも必要ではないだろうか。

 そのような自己認識を持ったうえで、「ハイエナみたいな仕事だけど、俺たちなりの矜持を持ってやってるし、けっこう体張ってるんだぜ」と言う本だったなら、私も素直に楽しめただろう。
 しかし、本書に登場する『週刊文春』編集長やデスクの言葉は、妙にカッコよすぎるし、キレイゴトすぎる。

 本書の中でいちばん共感できたのは、ベッキーの不倫スクープに力を発揮した大山という女性記者が、次のように言う部分。

「今回の取材に限らず、人を傷つけているという自覚はありますけど、それに対して記者は、すいません、申し訳ありませんって言ってはいけないんだと思っています。ただ、こういう記事に関わったことで、自分は不倫をしてはいけない人間になったんだとも思いました。いままで一回も不倫をしたことはないですけど、こういう記事をつくった以上、しちゃいけない人間になっちゃったなって。自分がそれをしていたら、人のことを言っちゃいけないし、説得力がなくなってしまいますからね。何かの記事をつくるたびにそうした背負うものが増えている気はします」



 こういうまっとうな感覚を持った人が、『週刊文春』の中で少数派でないことを願いたい。

関連記事

『レッド・ダイヤモンド』



 『レッド・ダイヤモンド』を映像配信で観た。
 ハリウッドではなく、カナダ産のクライム・アクション映画。



 ブルース・ウィリス主演(※)のわりには話題にならなかったし、全編にB級感あふれる作品。

※厳密には準主演(しかも悪役)で、主演はマーク=ポール・ゴスラーなのだが、役者としての格の差からウィリスが主演みたいな扱いになっている

 凄腕の泥棒が仲間たちと組んで、時価総額5億ドルのダイヤモンド強奪作戦に挑む……という骨子といい、主人公を翻弄する女泥棒(『ジョー・ブラックをよろしく』のクレア・フォーラニ)の峰不二子的キャラといい、『ルパン三世』を彷彿とさせずにはおかない。
 じっさい、日本ではなくハリウッドで『ルパン三世』を実写映画化したとしたら、こんな映画になるかもしれない。

 ウィキペディアによれば、「この映画は多くの批評家から酷評されており、Rotten Tomatoesでは批評家レビューが珍しく0%の支持率を記録している」という。
 私は、そこまでひどくはないと感じた。主人公の窮地を何度も救う美女スナイパーを演じたジェナ・B・ケリーがカワイイし、つかの間の娯楽として平均点は十分クリアしている。
 ただ、脚本に粗が目立つし、アクションも全体的に安っぽい映画ではある。

関連記事

Guide 

   →全記事インデックス

Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

Counter 

メールフォーム

★私にご用の方はここからメールを下さい。

お名前
メールアドレス
件名
本文

最近の記事

マイ「神曲」ベスト100

カテゴリー

里親募集中

タイトルの由来

●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

Archives

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
24位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
19位
アクセスランキングを見る>>