夾竹桃ジン『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』



 昨日は、都内某所で脳科学者の中野信子さんを取材。

 これで今月は、池谷裕二さん、篠原菊紀さん、中野さんと、人気脳科学者3人を取材したことになる(で、後日、お三方への取材を一本の記事にまとめる)。

 同じ脳科学者であっても、それぞれ語り口・視点に個性があって、大変面白かった。


 夾竹桃ジン著(シナリオ:水野光博 取材・企画協力:小宮純一)『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』の全6巻と、続編『新・ちいさいひと』の既刊1巻をまとめ読み。

 仕事上の必要があって読んだのだが、とてもよいマンガである。
 アマゾンのカスタマーレビューではなぜか酷評が多いが(まあ、アマレビュなんかあてにはならないが)、私はウェルメイドな力作だと思った。

 たしかに、「人物造形がちょっとステレオタイプにすぎるかな」という粗は感じなくもない。
 主人公のありがな熱血キャラとか、児童相談所の女性所長が保身ばかり考えて「私の管理責任が問われます」と決まり文句のように言う点とか、キャラが単純すぎるのだ。

 しかし、それは作品全体から見れば小瑕で、読んでいるうちに気にならなくなる。

 「描かれている児相の現場対応にリアリティがない」という批判的レビューもあったが、私はむしろ、よく取材されていて、児相の現場の雰囲気がよく伝わるマンガだと思った。
 「マンガでわかる児童虐待」みたいな入門マンガではないのだから、ドラマティックにするために現実をデフォルメしてある部分も、当然あるだろう。が、それも許容範囲内だと思う。

 児童虐待を描いたマンガといえば、ささやななえの『凍りついた瞳』という傑作がすでにある。これは、いまのように児童虐待が一大社会問題になる前の時代の先駆的・問題提起的な作品であった。

■関連エントリ→ ささやななえ『凍りついた瞳』

 対して、『ちいさいひと』は、誰もが児童虐待の深刻さを知っている「いま」にふさわしい切り口で作られている。このような啓蒙的作品が少年マンガ誌に連載されているのは、なかなかすごいことではないか。

 
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ドリームス『ドリームス』『イマジン・マイ・サプライズ』



 昨日は、取材で長野県茅野市へ――。
 脳科学者で諏訪東京理科大学教授の篠原菊紀さんの取材である。

 東京はもう桜が散ってしまったが、茅野市は昨日あたりがちょうど満開で、つかの間お花見気分を味わった。


 ドリームスの『ドリームス』と『イマジン・マイ・サプライズ』を聴いた。

 ドリームスは、この2枚のアルバムを発表したのみで解散してしまった、幻のジャズ・ロック・バンド。
 マイケルとランディのブレッカー兄弟や、ドラムスのビリー・コブハム、ギターのジョン・アバークロンビーらが参加した、ある意味「スーパーグループ」である。
 もっとも、ブレッカー兄弟は「ブレッカー・ブラザーズ」としてのデビュー前であり、当時(1970年代初頭)はほぼ無名の若手ミュージシャンであったのだが……。

 私は、このバンドの名前だけは知っていたが、先日読んだ『ジャズ・ロックのおかげです』で市川正二が「ジャズロック名盤15枚」の一つに『ドリームス』を挙げていたことから、手を伸ばしてみた。
 折よく、昨年に「クロスオーヴァー&フュージョン1000」シリーズのラインナップとして、2作とも廉価でリイシューされたばかりだった。



 ブレッカー・ブラザーズには『ヘヴィ・メタル・ビ・バップ』というジャズ・ロックの名盤があるが、ドリームスのサウンドは同作とはまったく違う。
 全曲ヴォーカル入りで、どちらかといえば初期のシカゴやブラッド・スウェット&ティアーズのような「ブラス・ロック」に近い音なのだ。

 さりとて、「これはブラス・ロックだ」と言い切ってしまえるほどロック寄りではなく、サックスなどは濃厚にジャズっぽい。
 一般的なジャズ・ロックのイメージにはあてはまらないが、ジャズとロックの要素がせめぎ合っているという意味で「ジャズ・ロック」としか言いようがない。じつに不思議で独創的なバンドである。

 シカゴほどポップではないから、大ヒットしなかったのもうなずけるが、いい曲目白押しで、渋い「大人のジャズ・ロック」として、半世紀近くを経たいまも十分鑑賞に堪える。


↑ファーストでいちばんジャズ寄りの曲「ホリー・ビー・ホーム」。


↑逆に、ブラス・ロック寄りの曲「トライ・ミー」。

 とくに、ファーストの『ドリームス』は素晴らしい。ルネ・マグリットの名画「ゴルコンダ」を用いたジャケもよい。
 隠れた名バンドであり、名盤だと思う。
 
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中山康樹ほか『ジャズ・ロックのおかげです』



 今日は、確定申告書を税務署に提出。

 〆切から約1ヶ月遅れただけ……というのは、私にしては上出来(笑)。
 還付金が返ってくる立場の場合、多少遅れてもノープロブレムなのである(ただし、収入がメチャ多くて追加の税金を払う立場=源泉徴収税額では足りない立場の場合、期限に遅れたら1日ごとに延滞金が発生し、どえらい目に遭う)。


 中山康樹、ピーター・バラカン、市川正二著『ジャズ・ロックのおかげです』(径書房)を読了。
 
 1994年刊。前から欲しかった本で、長らく入手困難(中古市場でも高値を呼んでいた)であったのだが、ようやく相場が下がって買えた。

 ジャズ・ロックの名盤を著者3人が各15枚ずつ選び、その解説をしていくパートがメインの本。
 そのパートの前に、ジャズ・ロックの定義をめぐって3人がてい談しているのだが、各人の定義が噛み合っておらず、微妙に食い違っている。

 ゆえに、3人が選ぶ名盤15枚のセレクトも、ほとんどは重なっていない。
 本書のカヴァーにも用いられているスティーヴ・マーカスの名盤『カウンツ・ロック・バンド』や、トニー・ウイリアムス・ライフタイムの『エマージェンシー!』などが、わずかに重なっているのみだ。

 そうしたズレ具合自体が、ジャズ・ロックという不思議であいまいなジャンルに対する一種の“批評”にもなっている。

 まあ、プログレッシブ・ロック、ブルース・ロックなどの他ジャンルも、その定義には相当あいまいな面があるわけだが、それにも増してジャズ・ロックはあいまい極まりないジャンルなのだ。

■関連エントリ→ 松井巧『ジャズ・ロック』『ブリティッシュ・ジャズ・ロック』

 3人の著者のうち、中山康樹の文章は終始おちゃらけていて、ひどい。しかも、笑いを狙った箇所がことごとくオヤジギャグ的ダダ滑りで、少しも笑えないし。
 2015年に亡くなった人なので死者に鞭打つようだが、「もっと真面目に書けや!」と言いたくなる。

 逆に、ピーター・バラカンのパートは、ジャズ・ロック黎明期のロンドンで青春を過ごした人ならではのヴィヴィッドな現場感覚に満ちており、面白い。「へーえ。イギリス人の目にはそう映るんだぁ」という驚きが随所にあるのだ。

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s-ken『Tequila the Ripper』



 s-ken(エスケン)の26年ぶりのニューアルバム『Tequila the Ripper』をヘビロ中。

 音楽ライターの内本順一さんがs-kenへのインタビューで書くように、「ニューオリンズ・ファンク、アフロビート、R&B、スカ、ブーガルー、ジャズ、パンク、ヌーベルシャンソンといったさまざまな音楽要素のうま味が煮込まれたアルバム」である。

 多彩なサウンドでありながら、アルバム全体のイメージには統一感がある。大人のロック、夜のロック、そしてハードボイルドなロック……といったイメージである。
 「ジャックナイフより尖ってる」「夜を切り裂くテキーラ」「泥水の中で泳ぐ鮫たち」などという曲タイトルからしてハードボイルド小説のようだし、歌詞も音もそう。


↑オープニング曲「酔っ払いたちが歌い出し、狼どもが口笛を吹く」の、フィルム・ノワールのようなPV。

 「オールドディック」という曲もあって、これはおそらく、78歳の老探偵を主人公とした異色のハードボイルド(私も大好きな小説)『オールド・ディック』(L.A.モース作)に由来するのだろう。
 この曲が象徴するように、御年70歳のs-kenが自らをタフで粋な老探偵に擬したようなイメージが、アルバム全体に通底している。

 大げさにシャウトしたりはせず、たゆたうように、つぶやくように歌うs-kenのヴォーカルが、なんともカッコイイ。
 
 36年前のデビューアルバム『魔都』のころから、s-kenはまるで映画のようにイメージ喚起力に満ちた曲を作る人だった。
 このアルバムも、一曲ごとに映像とドラマが鮮やかに浮かぶ。そして、アルバム一枚を通して聴くと、一編の上質な映画を観たような感動が味わえる。



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『アンダーワールド:ブラッド・ウォーズ』



 『アンダーワールド:ブラッド・ウォーズ』を映像配信で観た。

 シリーズ第5作に当たる最新作。
 私は2003年の第1作がとくに好きである。その後の続編も、それぞれ水準以上の娯楽作ではあるが、1作目には遠く及ばない。

 本作もしかり。
 全体の雰囲気は1作目に近い感じで、その点は好ましいのだが、どうもストーリーが御都合主義でいただけない。とくに、一度死んだはずのヒロイン、セリーンがわけのわからん復活をするクライマックスはシラケた。

 とはいえ、このシリーズは物語に緻密な整合性を求めるべき作品ではなく、セリーンを演ずるケイト・ベッキンセイルのカッコよさを堪能するための映画である。その点ではかなり満足できた(逆に、ケイトがほとんど登場しない『アンダーワールド:ビギンズ』は、私にとって論外)。

 もっと身もフタもない言い方をすると、美しき女戦士・セリーンが、襲い来る敵をバリエーション豊かな方法でぶち殺しまくる痛快さこそ、このシリーズの魅力の核なのである。


↑セリーンが闘うシーンのみを集めたコンピレーション。

 ケイト・ベッキンセイルももう40代なので、1作目のころに比べたら老けたが、それでも十分にカッコイイし、美しい。

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『後妻業の女』



 昨日は久々のオフ。思いっきりダラダラとすごす。

 DVDで、『後妻業の女』と『ジョン・ウィック』を観た。どちらも、観終わったあとにはキレイさっぱり忘れることができ、心に余分な夾雑物を残さないエンタメ作品。ダラダラ観にふさわしい。

 『後妻業の女』は、黒川博行の小説『後妻業』の映画化。
 最近頻発している、高齢者の遺産を狙った犯罪を描いたものだが、ブラック・ユーモアが基調になっている点が特徴。私は原作未読なので、どの程度原作に忠実なのかはわからない。



 かつて『黒い家』でぶっ飛んだサイコパス女を怪演した大竹しのぶが、ここでも遺産狙いのサイコパス女を怪演。
 こういう役をやらせたら、日本で彼女の右に出る者はいない。本作でも、いくつかの場面では観る者を圧倒する迫力の熱演を見せる。

 映画としては粗の目立つB級作品でしかないが、大竹や尾野真千子らの演技合戦は楽しめる。
 ただ、トヨエツはミスキャストだと思った。平気で人を殺すような男にはとても見えず、どうしようもなく迫力不足なのだ。

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宇多丸『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』



 宇多丸著『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』(新潮社/1620円)読了。

 『月刊コミック@バンチ』の連載コラムをまとめたもの。
 読者から寄せられた「こんな私にオススメの映画を教えてください」という相談に、人生相談の回答的なことを述べ、その回答の中で次々とオススメ映画を紹介していく……という趣向のコラムである。

 つまり、「うまくいけば、映画ガイドであると同時に人生相談本としても楽しめて、一石二鳥だ!」という企画意図なのだろう。
 その意図は残念ながら失敗していて、映画ガイドとしても人生相談本としても中途半端に終わっている。

 ラジオの映画コーナーでのトークをまとめた『ザ・シネマハスラー』はすごく面白い本で、映画評論集としても上出来だったが、本書は面白さが半減以下。読者からの質問にクダラナイものが多いし(「カツラを外すタイミングが分かりません!」とかw)、宇多丸の回答もわりと陳腐。

 また、一回のコラムで2本から数本の映画に言及しているため、一本一本に対する掘り下げが非常に浅く、その分つまらない。

 まあ、本書によって「この映画、観てみたい」と思うものが数本見つかったので、読む価値はあったと考えよう。

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押川剛『「子供を殺してください」という親たち』



 押川剛著『「子供を殺してください」という親たち』(新潮文庫/594円)読了。

 「精神障害者移送サービス」(強制拘束ではなく、対話と説得によって患者を医療につなげるものだという)の会社を営む著者が、仕事で接した育児・教育の「究極の失敗」事例の数々を紹介し、背景にあるものを探っていくノンフィクション。

 事例の多くは広義の「ひきこもり」だが、おとなしくて他者には無害なひきこもりではない。家族に日常的に暴力をふるったり、勝手に散財して巨額の借金を作ったり、自傷他害の恐れがあったりする、非常にシリアスなケースばかりだ。

 そのような我が子に長年振り回され、精根尽き果てた親たちが、最後に著者を頼ってくる。そして、中には「子どもを殺してください」とか「死んでくれたらいいのに」などという言葉を吐く親もいるのだという。

 全体の約半分を占める第1章が、ドキュメント形式の事例紹介になっている。
 そこで紹介される7つのケースが、どれをとってもまったく救いがない。著者が関わったことで何かが解決に向かったわけでもなければ、ラストに希望の光が見えるわけでもないのだ。

 まあ、「必ずひきこもりを直して見せます!」などと大言壮語する業者に比べたら、ある意味、正直で良心的と言えなくもない。
 が、高額な費用がかかるという著者の会社に、本書を読んで依頼をしようというひきこもりの親は、あまりいないのではないか。

 後半も、“子どもと正面から向き合わない親にも責任がある”という親への批判、精神科医療の専門家や医療機関への批判、精神保健福祉法改正への批判など、「あれが悪い、これが悪い」という話ばかり。ひとかけらも希望がない。

 読んでいてこれほど気が滅入る本も珍しい。このあと、最近出た続編『子供の死を祈る親たち』も読もうと思っていたが、やめた。

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深町秋生『卑怯者の流儀』



 風邪を引いて熱が出てしまった。昨日までの一日半寝ていたら、かなりラクになったが……。

 今回の風邪は、原因がはっきりしている。
 先週取材で札幌に行った際、「もう春だから大丈夫だろう」とスーツの上に薄いコートだけ羽織っていったら、現地はすごーく寒くて(雪も降った)ブルブル震えていたのだ。北海道の春を甘く見た報いの風邪である。


 寝床で過ごしていた間、仕事する気力も湧かなかったので、軽い本ばかり読んでいた。
 そのうちの一冊が、深町秋生の『卑怯者の流儀』(徳間書店/1836円)。警視庁組対四課――いわゆる「マル暴」のベテラン刑事・米沢英利を主人公とした、「悪徳警官もの」の短編連作だ。

 ヤクザなどから依頼を受けては、本来の業務とは関係ない“私的捜査”を行う。そのために警察の情報網などを不正利用することも厭わず、悪党どもから謝礼を受け取って私腹を肥やす……という、絵に描いたような悪徳警官の物語。
 全6編中のラスト2編で、かつては普通の熱血刑事であった米沢が道を踏み外したきっかけが明かされる。

 適度にコミカルで、適度にシリアス。
 海千山千の暴力刑事である米沢が、巨漢で柔道猛者の女上司(通称「関取」)にだけは頭が上がらない、というキャラ設定も面白い。

 悪徳警官である米沢にとって天敵の、警視庁人事一課(通称「ヒトイチ」)・奈良本京香監察官のキャラもよい。ひそかに「ゴースト」というあだ名で呼ばれている、不吉な雰囲気を漂わせる中年女――。
 全体に、『踊る大捜査線』的なわかりやすいキャラ立ちを、ドス黒い方向に転換させて用いている感じだ。
 
 全6編それぞれに工夫があって、「同じような話」がない点も好ましい。
  
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栗山英樹『栗山魂』ほか



 昨日は札幌ドームで、日本ハムファイターズの栗山英樹監督を取材。

 周知のとおり、日本ハムは大谷翔平、中田翔ら主力選手に故障続出で、昨日まで悪夢の6連敗。
 しかも、「7連敗をどう免れるか」という大事な試合の前の練習の合間に、試合と関係のない内容のインタビューを行うという、タイミング的にかなりシビアなもの。
 取材スタッフ一同、「監督がピリピリしていたらどうしよう」と緊張して臨んだ。

 が、ドームの「インタビュールーム」(という部屋がある)にやってきた栗山監督は、終始ていねいに、にこやかに質問に答えてくださった。
 監督就任以前に長くスポーツキャスターをされていたこともあり、取材陣への細やかな気配りもさすがであった。

 栗山監督の近著『栗山魂』(河出書房新社/1404円)、『「最高のチーム」の作り方』(KKベストセラーズ/1458円)と、これまでの取材記事多数を読んで、取材に臨む。

 このうち『栗山魂』は、「14歳の世渡り術」シリーズの一冊で、中学生くらいの子どもたちに向けて書かれた自伝。大人が読んでも十分感動的な内容である。

 インタビューのあとには練習の様子も見させていただき、その臨場感に興奮。
 そして、昨夜の試合ではやっと日ハムが連敗を脱出。私も、我がことのように胸をなでおろしたのであった。
 
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橘川幸夫『ロッキング・オンの時代』



 橘川幸夫著『ロッキング・オンの時代』(晶文社/1728円)読了。

 1972年、渋谷陽一らとともにロック雑誌『ロッキング・オン』を創刊した著者が、創刊からの約10年間の舞台裏を綴った書。

 私自身が『ロッキング・オン』を読むようになったのは1979年のことで(いまはもう読んでいない)、創刊当時のことは「伝説」としてしか知らない。が、私が読み始めたころの同誌には、草創期の青臭さ・文学臭がまだ濃厚に残っていた。普通の商業ロック誌でしかない現在の「ロキノン」とは別物なのだ。

 少年時代に毎月買っては貪るように読んでいた、あのころの『ロッキング・オン』の空気感が本書にも濃密に流れていて、懐かしくなった。

 創刊当時の著者や渋谷は、まだ大学生。出版界の常識も何も知らないまま、試行錯誤の連続で新しいメディアを創り上げていくプロセスが、読んでいてすがすがしい。

 今の学生であれば、世の中の仕組みをそれなりに理解しているから、いろいろ始める前に事業計画を立てたり、出資を募ったりすることもあるのだろう。当時は、そんなことを考える学生はいなかった。まずやりたいものを作る。あとは、成り行きで動いていくしかない。



 当時のことは、渋谷の著書『音楽が終わった後に』でも章を割いて綴られていたが、橘川の視点から見るとまた違う景色が見えてくる。

 『ロッキング・オン』という一雑誌の歴史であると同時に、「ロックがいちばん熱かった時代、70年代カウンターカルチャーの息吹を伝えるノンフィクション」(版元の惹句)として、読み応えのある一冊。

 橘川は、読者からの投稿のみで成り立っていた「全面投稿雑誌」『ポンプ』の創刊者でもある。
 本書には、ソーシャルメディアの源流のような雑誌『ポンプ』の、草創期の舞台裏も綴られている。無名時代の岡崎京子(『ポンプ』にイラストを投稿していた)との思い出などは、大変興味深い。

 「参加型メディア」は今では「CGM(Consumer Generated Media)」と呼ばれ、一般的になったが、「参加型メディア」という言葉を使ったのは僕がはじめてだと思う。当時、言葉もなかったし、そういうコンセプトでメディアに向かっていた人は、他に知らない。


 
 ……と書いているとおり、橘川のメディアの未来を見通す慧眼は群を抜いていたと思う。

 これはうろ覚えで書くので細部は違っているかもしれないが、80年代初頭の『ロッキング・オン』で、橘川が打ち出した「ファクシミリ・マガジン」なるコンセプトに対し、渋谷陽一が批判をしていた。
 「ファクシミリ・マガジン」とは、“既成の雑誌の好きなページだけを読者が選んで買い、ファクスで送ってもらい、自分だけの一冊を作れる雑誌”……というアイデアだったと思う。
 それに対して渋谷は、「そういう“足し算の発想”ってダメだと思う」「いまあるもので間に合わせられるものって、けっきょく大したことはないんだ」などと批判したのだ。 

 だが、現時点から振り返れば、橘川の発想のほうが、ネット時代のメディアのありようを正確に予見していた。
 「note」のように欲しいコンテンツのみを個別に買ったり、好きなウェブページのみをブックマークして読んだりするという、いまではあたりまえのメディア享受の姿勢は、「ファクシミリ・マガジン」の発想そのものだ。
 ネットなど影も形もないころから、ネット時代のメディアを見通していた橘川の慧眼畏るべしである。

■関連エントリ→ 篠原章『日本ロック雑誌クロニクル』

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池上彰・佐藤優『僕らが毎日やっている最強の読み方』



 池上彰・佐藤優著『僕らが毎日やっている最強の読み方――新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意』(東洋経済新報社/1512円)読了。

 売れっ子2人が、互いの情報収集術・知的生産の技術について開陳した対談集。
 2人はこれまでにも多くの対談集を出しているが、その中で「ありそうでなかった」テーマである。

 新聞・雑誌・ネット・書籍……それぞれとの付き合い方のコツがおもに語られている。そのうえで、最後の章ではオマケ的に、人に直接会って情報を得るためのコツが語られる。

 両者とも、いまだに新聞からの情報収集に重きを置いている点が印象的だ。
 大新聞が軒並み部数を減らし、若い世代が購読しなくなったいまも、新聞が「『世の中を知る』ための基本かつ最良のツールであること」は変わらない、と……。

 これは、私もそのとおりだと思う。むしろ、新聞記事をネットで断片的にしか読まない人が増えれば増えるほど、新聞をちゃんと読む習慣を持つ人のアドバンテージは高まるだろう。

 全体に、内容が非常に具体的・実践的で、机上の空論や観念論が混入していない点が好ましい。ネットにしろ雑誌にしろ、具体的なサイト名や誌名を挙げたうえで“上手な付き合い方”が語られているのだ。

 学校教科書や受験参考書などを活用した、いわゆる「大人の学び直し」についても、一章を割いて語られている。その点で、現役世代のみならず、定年退職したシニア世代にとっても一読の価値があるだろう。

 何より、両著者自身がいまなお貪欲に学びつづけ、読書などのインプットに相当の時間を割いていることに、感服させられる。

 とくに佐藤さんは、「どんなに忙しくても、毎日4時間はインプットの時間を死守すること」を自らに課しているという。
 読書の時間として割り当てた時間には、「ネット絶ち」をして読書に集中。また、いまなおチェコ語の学校(週1回)とロシア語の学校(月1回)に通って、語学力のブラッシュアップをつづけているそうだ。

 その他、印象に残った一節を引用。

 小泉信三は、学問に対して「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」という言葉を残しています。漢方薬のように、じわじわと効いてくるのが基礎知識であり、教養というものなのでしょう。(池上氏の発言)


  
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『マイマイ新子と千年の魔法』



 
 『マイマイ新子と千年の魔法』を、映像配信で観た。
 高樹のぶ子の自伝的作品『マイマイ新子』のアニメ映画化であり、『この世界の片隅に』を作り上げた片渕須直監督の旧作。てゆーか、『この世界の片隅に』の前作に当たる(2009年作品)。

 いまになってこのアニメを観る人の9割方は、「『この世界の片隅に』が素晴らしかったから、同じ監督の旧作を観てみよう」と思った人であろう。私もそうだ。
 そして、その人たちの9割9分くらいがきっと同じ感想を抱いたであろうが、うーん……、『この世界の片隅に』には遠く及ばないなァ。

 繊細・緻密な自然描写は素晴らしく、その点は『この世界の片隅に』と共通である。
 とくに、コトリンゴの曲「こどものせかい」をバックに、舞台となる山口県防府市の自然のみが描かれるエンドロールは絶品で、ここだけでも独立した価値を持つ。



 しかし、自然描写以外にこれといった見どころはなく、大人の鑑賞には堪えないと感じた。

 ただ、「この作品がなければ、『この世界の片隅に』も生まれなかったのだろう」とは思った。『この世界の片隅に』という宝石の原石であり、あの作品へのジャンピングボードであったのだ。
 
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町山智浩『映画と本の意外な関係!』



 今日は、都内某所で企業取材。
 東京は、スーツを着ているだけで汗ばむほどの陽気。
 
 乗り換えのため原宿駅で久々に降りたら、外国人が多いのでビックリ。明治神宮に行く観光客が多いのだろうか? インバウンド倍増を実感。

 行き帰りの電車で、町山智浩著『映画と本の意外な関係!』(集英社インターナショナル新書/799円)を読了。

 集英社の季刊誌『kotoba』の連載「映画の台詞」と、同誌2016年春号の特集「映画と本の意外な関係」に寄せた原稿をまとめたもの。
 タイトルのとおり、映画に登場する本や、文学を引用したセリフ、原作の本との関係などから映画を論じている。

 呉智英の『マンガ狂につける薬』シリーズは、マンガと活字の本をセットにして論じたマンガ評論であったが、本書はその映画版という趣だ。

■関連エントリ→ 呉智英『マンガ狂につける薬 下学上達篇』

 映画はもちろんのこと、文学などにも造詣の深い町山氏ならではの本で、博覧強記ぶりに驚かされる。
 一回ごとの文章量は少ないため、本格的な映画評論というより軽い映画コラム集という印象だが、映画と本が両方好きな人間には間違いなく楽しめる一冊だ。

 私が本書でいちばん胸打たれたのは、映画『キャロル』を原作者パトリシア・ハイスミスの作品とからめて論じた一編。その一節を引く。

 同性愛が病気とされていた時代、それを押し殺して結婚した人々は苦しんだ。キャロルのモデル、キャサリン・センは51年に自殺していた。ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』(25年)のように。ハイスミスに同性愛の手ほどきをしたヴァージニア・キャサーウッドもアルコール依存症で死亡している。ハイスミス自身は『キャロル』を書くことで自分を肯定し、婚約を解消して、一生、女性だけを愛した。



 また、エコ・テロリストを描いた映画『ザ・イースト』を俎上に載せたコラムでは、次の一節に驚かされた。

 『ザ・イースト』はエコ・テロリストを称賛も批判もせず、ただ、観客に判断を委ねる。1995年から2013年までの十八年間で、アメリカ国内で起こったテロのうち、最も多い56パーセントは右翼過激派によるもの、次に多い30パーセントはエコ・テロリズムで、イスラム過激派による12パーセントを上回っている。



■関連エントリ→ 浜野喬士『エコ・テロリズム』

 
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池谷裕二『脳はなにげに不公平』ほか



 昨日は、東大で脳科学者の池谷裕二さんを取材。
 東大本郷キャンパスは、ちょうど桜が満開。昨日はポカポカ陽気でもあり、そのまま花見になだれ込みたくなったが、お花見気分だけ味わってガマン。

 池谷さんを取材するのは8年ぶりだ。
 現時点の最新著作『脳はなにげに不公平――パテカトルの万脳薬』(朝日新聞出版/1404円)と、2012年刊行時に買ったが積ん読してあった『脳には妙なクセがある』(扶桑社/1728円)を読んで、取材に臨む。

 2冊とも、脳科学および隣接分野の最新トピックを紹介しつつ、「脳科学の視点から見て『よりよく生きるとは何か』」を考察したサイエンス・コラム集である。
 科学読み物としての知的興奮と、その底にある哲学的な深みのバランスが素晴らしい。面白くてためになる。

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こだま『夫のちんぽが入らない』



 こだま著『夫のちんぽが入らない』(扶桑社/1404円)読了。

 話題のベストセラーである。
 タイトルの図抜けたインパクトがアイキャッチとなった面は当然あるにせよ、内容がよいからこそベストセラーになったのだと思う。

 ある一組の夫婦の、交際開始から現在までの20年の歳月を、妻の視点から綴った実話。
 エッセイと呼んでもよいが、私はむしろ私小説として優れた内容だと思った。

 ヘタな専業小説家がかなわないほど文章は巧みで、ちりばめられた自虐的ユーモアが心地よい。
 何より、主人公夫婦の“世間の片隅にひっそりと生きている”という佇まいが、妙に胸に迫る。

 私たちには親しい友人がおらず、のめり込むような趣味もなく、お互いが唯一の友人で、恋人だった。



 この一節を読んで思い出したのは、名作『無能の人』(つげ義春)の、「考えてみると私たちって親しい友達もないし親兄弟とも疎遠だし、なんだか世の中から孤立して、この広い宇宙に三人だけみたい」というセリフだ。
 つげ義春の世界に共感できる人なら、本作にも共鳴できるだろう。

 また、著者たちの置かれた状況(=「入らない」という状況)は特殊であるにせよ、もう一つ枠を広げて、たんに「セックスレスの夫婦」ならばたくさんいるわけで、その人たちにとっても共感を覚える内容だろう。だからこそのベストセラーなのだと思う。

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柚月裕子『孤狼の血』



 柚月裕子著『孤狼の血』(KADOKAWA/1836円)読了。
 2年前に出た本だが、「仕事の息抜きに面白い小説が読みたいな」と、なんとなく手を伸ばしてみた。

 ハードボイルド色の濃い悪徳警官小説である。
 「タイトルがダサイなぁ」というのが第一印象。いまどき「孤狼」って……。作者が主人公のことを「一匹狼」と規定する自己陶酔は、「イタい」の極みだと思う。それが許されるのは大藪春彦までだ。

 もっとも、本作の舞台は昭和末期の広島だから、「昭和っぽいタイトルにしよう」と、あえて狙ったダサさなのかもしれない。

 タイトルはともかく、中身は面白かった。
 暴力団と癒着し、違法捜査も辞さない、絵に描いたような悪徳警官・大上が、ストーリーが進むにつれてだんだんカッコよく思えてくる。粗野で下品な男という第一印象が少しずつ崩れ、その内面に隠したピュアな心が見えてくる……という構成は、なかなかのもの。400ページ超の長編を一気に読ませる。

 各章の冒頭に抜粋された「日誌」の意味が明かされるラストのどんでん返しも、きれいに決まっている。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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