アイソトープ『Live at the BBC』



 アイソトープの『Live at the BBC』を中古で購入し、ヘビロ中。

 アイソトープは、1970年代中盤に3枚のアルバムを発表して解散した、ブリティッシュ・ジャズ・ロック・グループ。
 ブランドXに近い、イギリス特有の陰影を帯びたジャズ・ロックを聴かせる。ただし、ギタリストのゲイリー・ボイルが中心なので、ブランドXに比べてギターの比重が高い。

 本作は、2004年に突如発表された発掘ライヴ音源集。タイトルのとおり、BBCの音楽番組に彼らが出演した際の演奏を集めたものだ。
 1973年から77年にかけての音源で、最後の3曲はゲイリー・ボイルのソロ名義。ゆえに、アルバムの原題は「ISOTOPE AND GARY BOYLE」名義になっている。

 ジャケットはブートレッグぽいチープなものだし、一見、いかにも「寄せ集め音源のコレクターズ・アイテム」という印象だ。
 なので、あまり期待せずに聴いたのだが、これがじつに素晴らしいライヴ・アルバムだった。

 むしろ、どの曲もオリジナルアルバムよりも迫力ある演奏となっている。
 ゲイリー・ボイルのギターは冴え渡っているし、リズムセクションも素晴らしい。とくに、ドラムスは手数が多くて最高である。

 初めて聴いたときのハードドライヴィンな爽快感と、くり返し聴くほどに細部のよさがわかってくるスルメ的味わい――両方を兼ね備えたアルバム。
 ブリティッシュ・ジャズ・ロックのライヴ盤としては、ブランドXの名盤『ライヴストック』に匹敵する出来だろう。

 素晴らしいギタリストであるわりには、いまいち目立たないし知名度も低いゲイリー・ボイルだが(もう少しルックスがよければギター・ヒーローだったろうに)、もっと再評価されてしかるべきだと思う。


↑「Almond Burfi」。これは、ゲイリー・ボイルのソロアルバム『ザ・ダンサー』に入っていた曲。

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倉地克直『江戸の災害史』



 今日は、東大大学院教授のロバート・キャンベルさんを取材。都内某所のご自宅にて。

 キャンベルさんとは初対面である。
 日本語がご堪能、などというレベルを飛び越えて、我々日本人よりもはるかに深く、日本語と日本文学を理解されている方である。「いやはや、すごいものだ」と、お話を伺いながら感嘆。

 倉地克直著『江戸の災害史――徳川日本の経験に学ぶ』(中公新書/929円)を読んで取材に臨む。
 この本自体はキャンベルさんと直接関係ないのだが、今回の取材テーマの関連資料として。

 前に当ブログで『地震の日本史』(寒川旭)という本を取り上げたが、本書は地震だけではなく、火山の噴火・大火・津波・飢饉などさまざまな災害を広く扱っている。逆に時代レンジは狭まり、日本史全体ではなく、江戸時代300年に的を絞っている。
 2冊を併読すると、いっそう勉強になると思う。

 江戸時代は、大きな戦乱がなかったという意味では平和な時代だったが、一方では大災害が矢継ぎ早に起きた時代であった。
 その災害に人々がどのように立ち向かったのかを、幕府・各藩・地域社会・各家庭という4つのレイヤーから描き出して、読み応えがある。いまでいう「自助・共助・公助」が、江戸時代にもあったのだ。

 飢饉こそないものの、それ以外は江戸時代同様に災害が頻発する現在の日本――。そこに生きる我々にとって、江戸時代の災害対策の智慧から学ぶべきことは多い。 

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『ハドソン川の奇跡』



 クリント・イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡』を、映像配信で観た。
 2009年に起きた「USエアウェイズ1549便不時着水事故」を、乗客155人の命を救ったサレンバーガー機長(彼の愛称「サリー」が映画の原題)を主人公に描いている。

 ヘタに大作にせず、96分の小品にまとめているところがよい。贅肉を削ぎ落とした、無駄のない映画だ。

 「映画も作戦も100分で終わるべきだ。それ以上はケツが痛い」
 ――矢作俊彦・司城志朗の名作『ブロードウェイの戦車』の主人公(傭兵隊長)・ジョウの名セリフである。
 すぐに2時間半超の大作にしたがる監督は、イーストウッドのサービス精神(「観客にいらざる負担をかけない」という意味のサービス精神)を見習うべきだ。

 絶体絶命の危機に際して冷静沈着に行動し、危機のさなかでもジョークを飛ばしたりすること――それはハリウッド映画がくり返し描いてきた、“アメリカ的男らしさ”の核だ。本作はまさに、そのような男らしさを描いた映画である。

 イーストウッドとしては、機長をストレートに「英雄」として描きたかったところだろう。また、これが1950年代の映画なら、機長は100%の英雄として描かれたに違いない。
 しかし、いまどきのハリウッドで実話を映画化する場合、それほど単純なつくりにはできないのだろう。

 映画は、「不時着がほんとうに必要だったのか? 他の空港への着陸が可能だったのではないか?」と疑う「国家運輸安全委員会」の官僚たちと、機長らとの“戦い”をストーリーの軸にしている。
 事故調査の過程で、ネチネチと意地悪く(観客にはそう映る)、「機長の判断ミス」という結論に持っていこうとする官僚たち。しかし、最後には彼らも機長の判断が正しかったと認める。
 ……そのような“面倒な手続き”を経ないと、機長を英雄として描くことはできなかったのだろう。

 アメリカという国の嫌な部分を象徴する官僚たちがスパイスの役割を果たすことで、結果的に見事な「アメリカ万歳」映画になっている。ひとひねりした愛国映画というべきか。

 不時着に至るプロセスの緊迫感、上空から見るニューヨークの街並みの美しさなど、見どころも多い。
 シンプルな実話を題材に、きっちり楽しめる映画にするあたり、さすがイーストウッドだ。

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峯島正行『回想 私の手塚治虫』


 
 峯島正行著『回想 私の手塚治虫――「週刊漫画サンデー」初代編集長が明かす、大人向け手塚マンガの裏舞台 』(山川出版社/2160円)読了。書評用読書。

 『週刊漫画サンデー』は、『少年サンデー』の小学館とは関係ない、実業之日本社から出ていたマンガ誌(すでに休刊)。いわゆる「マンサン」である。
 その創刊編集長であった著者が、同誌に多くの作品を発表した手塚治虫との思い出を綴ったもの。

 著者は、本書の最終編集段階にあった昨年11月、90歳で亡くなったという。
 そのような経緯を知るとケチもつけにくいのだが、あまり面白くなかった。

 いや、けっして悪い本ではないのだ。
 しかし、手塚治虫の逝去から30年近くを経て、ありとあらゆる「手塚本」が汗牛充棟のいま、その中で上位に位置するようなものではないと思う。

 「手塚本」がごまんとある(身もフタもないことを言えば、「手塚本」以外のマンガ家本は売れない)からには、よほど斬新な切り口で迫らないかぎり、屋上屋を架すだけになってしまう。
 本書の新しい切り口は何かといえば、手塚の「大人マンガ」への挑戦に的を絞っていることだ。

 「大人マンガ」といってもよくわからないだろう。
 これはかつて、少年マンガ・青年マンガ・劇画などという区分が未分化だった時代、マンガ一般が「児童マンガ」と呼ばれていたことから、それに対する呼称として生まれた言葉。子ども向けではない風刺マンガなどを総称して「大人マンガ」と呼んだのだ。

 「児童マンガ」の世界に王者として君臨していた手塚治虫が、昭和40年代、「大人マンガ」の世界で初めて本格的なストーリーマンガに挑戦したその舞台が『漫画サンデー』であり、著者はその挑戦を間近に見つめた伴走者であった。
 『漫画サンデー』から生まれた手塚の「大人マンガ」としては、『人間ども集まれ!』、『上を下へのジレッタ』、『一輝まんだら』(未完)などがある。

 その時期の舞台裏が綴られているという点で、本書はマンガ史の貴重な資料と言える。
 とくに、手塚もその一員となった「漫画集団」(大人マンガの作者が中心となったマンガ家団体)とのかかわりが詳細にたどられている点は、他の「手塚本」には見られない独自性と言える。

 ただ、本書には次のような瑕疵があると思った。

 第一に、「漫画集団」内の大物マンガ家であった横山隆一、馬場のぼる、小島功らについて、必要以上にくわしく書きすぎ。「これでは『手塚本』ではなく、漫画集団の本だ」と思ってしまった。

 第二に、本書後半は手塚のアニメへの挑戦と「虫プロ」の興亡についての記述がメインとなるが、そのような構成にする必然性がまったく見えない。

 虫プロ時代については、『虫プロ興亡記』(山本暎一)などの優れた書物がすでにあるし、著者はそのへんのことを直接見聞きしたわけではないから、既成の本の引用と再構成によるしかない。要は、おもな「手塚本」をすでに読んでいる者にとっては“知ってる話”ばかりなのだ。

 著者自身の手塚との思い出だけでは一冊にならなかったのなら、後半は『漫画サンデー』以外に載った手塚の大人向けストーリーマンガ(『陽だまりの樹』や『アドルフに告ぐ』など)の紹介・分析に充てるべきだった。
 そうすれば、「大人向けマンガの描き手としての手塚治虫」について、体系的に論じた本になり得ただろう。

 なお、最終章「小林一三の恩恵」は、阪急電鉄創業者にして宝塚歌劇の生みの親である小林一三が、手塚の作品世界にいかに大きな影響を与えたかが論じられており、読み応えがある。
 しかしこれとて、桜井哲夫が『手塚治虫――時代と切り結ぶ表現者』(講談社現代新書/1990年)の「宝塚という不思議な空間」の章ですでにくわしく論じていることであり、著者の独創とは言えない。

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上田知華+KARYOBIN『ゴールデン☆BEST』



 上田知華+KARYOBINの『ゴールデン☆BEST』(ワーナーミュージック・ジャパン/3024円)をヘビロ中。

 上田知華+KARYOBINについては、以前『MUSIC SOUP』というベストアルバムを当ブログで取り上げたことがある。
 が、昨年発売されたこの『ゴールデン☆BEST』こそ、まさに決定版というべき素晴らしい内容なので、改めて取り上げる。

 上田知華+KARYOBINのベスト盤はほかにも何種類か出ているのだが、どれも不満の残るものであった。
 KARYOBIN時代と上田知華のソロワークがごちゃ混ぜに入れられていたり、『究極のベスト!』というタイトルのくせに収録時間が40分に満たなくて名曲の漏れが多すぎたり……。

 それに対し、2枚組・133分収録の本ベストは、非の打ち所がない。

 ・上田知華+KARYOBINが残した6枚のアルバムから、まんべんなく選曲されている。
 ・最新リマスタリング音源で、音がよい。
 ・未発表ライヴ音源が、ボーナス・トラックとして2曲収録されている。
 ・オリジナルアルバム未収録のシングル曲(「シーユーアゲイン・初恋」)も収録している。
 ・上田知華のソロワークが混入しておらず、あくまで「上田知華+KARYOBINのベスト」になっている。

 ……といった多くの美点があるのだ。
 2曲収録されているライヴ音源(「メヌエット」と「オープン・ザ・ウインドウ」)も、演奏・歌唱ともに素晴らしい。

 『MUSIC SOUP』を取り上げたとき、

 私が好きだった「AVENUE」という曲(5thアルバム『ミス・ハート』のオープニング・ナンバー)が入っていないのが、ちょっと残念。



 と書いたが、本ベストには「AVENUE」もしっかり収録。
 のみならず、いまなお中古CDが3万円超の高値を呼んでいる『ミス・ハート』からも計7曲が収録されており、その点もうれしい。

 弦楽四重奏をバックにピアノ弾き語りをするという、J-POP史上、他に類を見ないユニークなスタイルを持った上田知華+KARYOBIN。彼女たちが遺した名曲群の素晴らしさを改めて認識させる、極上のベスト盤である。 

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平岡陽明『松田さんの181日』



 昨日は、私用で群馬県桐生市へ――。

 行き帰りの電車で、平岡陽明著『松田さんの181日』(文藝春秋/1750円)を読了。

 昨夏に刊行された初長編『ライオンズ、1958。』が素晴らしかった気鋭の新人の、2冊目の単行本。
 オール讀物新人賞を受賞したデビュー作「松田さんの181日」を中心に、昨年までに『オール讀物』誌上で発表されてきた短編を集めたものだ(1編のみ書き下ろし)。

 素晴らしいクオリティの短編集である。
 収録作6編のうち、「寺子屋ブラザー篠田」だけはピンとこなかったが(失敗作だと思う)、ほかの5編は甲乙つけがたい傑作だ。「力の抜き方」まですでに心得ている手慣れた筆運びは、新人離れしている。

 いずれの作品も、広義の「人情ドラマ」である。
 ほどよいユーモア、巧みな「泣かせ」(とくに、表題作「松田さんの181日」と、その続編にあたる「マリーさんの101日」のクライマックスは泣ける)、快調なテンポとリーダビリティ、キャラ立ちの妙……といった特長を兼ね備えているあたり、浅田次郎を彷彿とさせる。

 浅田次郎の後継者になり得る人だと思うし、近い将来、直木賞が獲れる人だと思う。

■参考→ 「西鉄ライオンズの黄金期を背景に男の友情を描く、渾身の初長編」(私が書いた平岡さんへのインタビュー記事)

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小谷野敦『本当に偉いのか』



 今日は、午前と午後で取材が一件ずつ。

 行き帰りの電車で、小谷野敦著『本当に偉いのか――あまのじゃく偉人伝』(新潮新書/799円)を読了。

 例によってAmazonのレビューには酷評が多いが、私はとても面白く読んだ。

 明治時代の「偉人」、世界史上・日本史上の「偉人」、現代の大物文化人など、「偉人」として扱われることの多い人々を一人ひとり俎上に載せ、“世間で言われるほど偉人ではないのでは?”と辛口批評していくコラム集。
 最後の第6章は「本当は偉いぞ偉人伝」と銘打たれ、“世間では過少評価されているが、じつは偉人だと思う”人を取り上げている。

 人物評コラムとしての出来不出来に、かなりバラつきがある。
 たとえば、ガンジー(本書の表記はガンディー)や坂本龍馬についての項は、大物偉人にもかかわらず扱いが雑で、「えっ、これだけ?」と拍子抜けする。とくに龍馬については、ほとんど“大河ドラマの中の龍馬像”に触れているだけで文章が終わっている。

 いっぽう、日本の文学者についての項目は、さすがに著者の専門分野だけあって、総じて読み応えがある。卓見が多いし、勉強にもなる。
 とくに、夏目漱石や中島敦に対する過大評価の要因を分析したくだりなど、なるほどと膝を打った。

 はじめは「明治の偉人」にするつもりだったが、範囲を広げて、だいたい物故者中心に、また明治以前、海外も含めて並べることにした。


 ――と「はじめに」にあるが、そうした経緯のせいか、第1章「上げ底された明治の偉人」が最も面白く、内容にも力が入っている気がする。
 最初の意図どおり、「明治の偉人」だけで一冊にすればよかったのに。

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佐々木俊尚『21世紀の自由論』



 今日は西麻布のコスタリカ大使館で、ラウラ・エスキベル・モラ駐日コスタリカ共和国特命全権大使を取材。
 4年前からときどきやっている、各国の女性大使を1人ずつ取材していく「世界の女性大使たち」というシリーズの仕事だ(日本でいちばん有名な駐日女性大使であるキャロライン・ケネディ氏を取材しないまま、彼女が離日してしまうのは残念)。

 コスタリカは20世紀半ばに軍隊を全廃し、浮いた軍事予算を教育予算などに回し、平和国家として歩んできた。ゆえに「中米の奇跡」とも呼ばれる。
 世界に先駆けて政府に「女性省」を作り、女性の社会進出や人権保護にも国を挙げて取り組んできた。
 環境保全にも先駆的に取り組み、国土の4分の1以上が国立公園や自然保護区だという。
 語の本来の意味で「先進国」と呼ぶべき国なのだ。

 そのような国の駐日大使らしく、ラウラ大使のお話には随所に深い哲学が感じられた。


 行き帰りの電車で、佐々木俊尚著『21世紀の自由論――「優しいリアリズム」の時代へ』(NHK新書/842円)を読了。仕事の資料として。

 今日、明日と原稿の〆切で修羅場ってるので、感想はそのあとに書き加えます。

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水島治郎『ポピュリズムとは何か』



 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。

 行き帰りの電車で、水島治郎著『ポピュリズムとは何か――民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書/886円)を読了。仕事の資料として。

 ポピュリズムが破壊的作用を及ぼした2つの歴史的事件――イギリスのEU離脱と、米国のトランプ大統領誕生――が起きた直後に刊行されるにふさわしい、ポピュリズムの概説書である。
 トランプの当選が昨年11月で、本書の刊行日は昨年12月25日だから、トランプ当選後についての記述は突貫工事で加筆したのだろうが、そのことを感じさせない丁寧な内容になっている。

 著者はオランダ政治史、ヨーロッパ政治史が専門の政治学者だから、ヨーロッパのポピュリズムについての解説には厚みと説得力がある。
 逆に、日本のポピュリズムについては、橋下徹と「維新」への言及が随所にあるのみ。ただし、欧米や南米のポピュリズムについての解説がそのまま日本の状況にもあてはまるから、日本の政治を考えるためにも大いに参考になる。

 日本では、「ポピュリズム政治家」という呼び方自体が蔑称であるようなイメージがある。しかし、著者は「ポピュリズム=民主主義の敵」とするような単純な二元論には陥っておらず、ポピュリズムのプラス面も虚心坦懐に評価している。
 たとえば、ポピュリズム政党の台頭は、「ラテンアメリカではエリート支配から人民を解放する原動力となり、ヨーロッパでは既成政党に改革を促す効果も指摘される」という。

 ポピュリズムの歴史と現状、そして先行のポピュリズム研究を、著者はじつに手際よく概観している。
 英国のEU離脱とトランプ大統領誕生の背景にあるものを、見事にあぶり出した好著だ。

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中川淳一郎『バカざんまい』



 中川淳一郎著『バカざんまい』(新潮新書/821円)読了。

 『週刊新潮』連載のコラムの書籍化。
 世にはびこるさまざまなバカを「鋭いツッコミで成敗していく」「現代日本バカ見本帳」とのことだが、あまり笑えなかったし、痛快でもなかった。

 私は中川淳一郎がこれまでに出してきた、“ネットにはびこるバカども”を笑い飛ばす本はわりと好きだ。

■関連エントリ 
中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』
中川淳一郎『ネットのバカ』
中川淳一郎『ウェブを炎上させるイタい人たち』

 中川はネットニュース編集者であり、ネット言論については専門家だから、ネットに的を絞るかぎり、プロならではの鋭い視点が感じられた。
 しかし、本書のように社会全般にフィールドを広げると、たちまち底の浅さが露呈してしまう。

 中には面白いコラムもあるが(本書でもネット・ネタの回はわりと面白い)、首をかしげる主張も目立つ。

 たとえば、「『行列』を持ち上げるバカ」という項目があって、新製品を買うために行列する人々などを揶揄しているのだが、著者が自明の前提のように書いている次のことが、私には理解できない。

 行列に関しても「好きなものに情熱を注ぐのは悪くないネ」「新しいものに関心を示すのは見上げたもんゼ」みたいに持てはやす風潮があります。



 行列する人=善意の人という世間の了解、本当にそれでいいの?



 そんな「風潮」や「世間の了解」が、いったいどこにあるのだろう? むしろ世間全般が、行列する人たちに対して冷ややかなのでは?

 このコラムにかぎらず、“連載のネタに困って、無理くり「バカ」を作り上げているような苦しさ”が目立つ本である。

 この手の本では、呉智英の80年代のベストセラー『バカにつける薬』が最も優れていたと思う。
 同書の冒頭に収められたコラム「折々のバカ」は、「折々のうた」を模したスタイルでさまざまな「バカ」をやり玉に上げたものだが、見開き2ページのコラム(元は『噂の眞相』に連載されたもの)の中に見事な「文の芸」があり、感心させられた。

 本書にも呉智英に対する言及があるし、他の週刊誌では中川と呉智英が週替りでコラムを連載しているから、中川も当然『バカにつける薬』は読んでいるだろう。

 呉智英の「洗練された悪口の芸」を手本に、中川はもう少し芸を磨くべきだと思う。 

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中野信子『サイコパス』



 昨日は都内某所で、取材兼打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、中野信子著『サイコパス』(文春新書/842円)を読了。

 文春新書は、タイトルに飾り気やアクがなさすぎて損をしていることが多い。本書も、あまりにそっけないタイトルだ。まあ、逆にそのそっけなさを「潔い」と感じる人もいるだろうが。

 本書は、本文の前に構成者の名が明記されている。ライターの飯田一史氏が中野さんにインタビューして話をまとめたものなのだ。一般読者はそういうことを意識しないだろうが、私は仕事柄、構成者が気になる(ライターが構成した本であっても、構成者の名は出さないケースも多い)。
 本書の飯田一史氏は、じつにうまいまとめ方をしていると思う。

 これは、サイコパスの概説書として上出来な本だ。
 サイコパスの概説書としては、ロバート・ヘアの『診断名サイコパス』や、マーサ・スタウトの『良心をもたない人たち』あたりが、すでに「定番」としてある。ただ、2冊とも10年以上前の本だから、その後のサイコパス研究の進展がフォローされている本書のほうが、いまから読む最初の概説書としてはふさわしいだろう。

■関連エントリ→ マーサ・スタウト『良心をもたない人たち』

 心理学・脳科学を中心としたサイコパス研究の成果が手際よくまとめられており、読み物としてもなかなか面白くできている。
 著者の中野さんは脳科学者だから、第2章「サイコパスの脳」が、本書の「ウリ」ということになろう。

 ただ個人的には、「なぜ人類のなかにサイコパスのような個体が、一定の割合でいるのか」を考察した第4章「サイコパスと進化」を、いちばん面白く読んだ。

 サイコパスが淘汰もされず、爆発的に増えることもなく、一定の割合(研究によって幅があるが、だいたい1%前後)でいるということは、“人類という種の繁栄のためにサイコパスが必要だった”ということになる。
 その必要性とはなんだったのかを探っていくうちに、「なぜ人類は『心』を持つようになったのか?」を解く鍵につながっていく……という展開がスリリングである。
 
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中村平治『ネルー』ほか



 仕事でインド初代首相のネルーについて調べているのだが、日本語の資料が驚くほど少ない。評伝・ノンフィクションのたぐいでは、清水書院の「人と思想」シリーズの一冊(上に貼ったもの)しか生きておらず、それすら新刊では入手が難しい。

 あとは、昭和期の大物ジャーナリスト・大森実が書いた「人物現代史」シリーズの一巻『ネール』くらいしかない(もちろん、ネルーが娘のために書いた『父が子に語る世界歴史』シリーズはまだ生きているが)。……ので、古書で手に入れた。
 
 ネルーの師匠であるガンジーに関する本が、21世紀の日本でさえ汗牛充棟であるのに対し、ネルーはほとんど忘れ去られているのだ。
 1957年にネルーがインド首相として来日した際には、国を挙げて大歓迎し、新聞は軒並み一面トップで報じていたのに……。
 ガンジー並みとまではいかなくても、ガンジーの半分程度の尊敬は払われてしかるべき人だと思うのだが。

 こうしたガンジーとネルーの「落差」の原因はさまざま挙げられるだろうが、枝葉を取り払って一言で言えば、「ガンジーはキャラが立っていたのに、ネルーはキャラが立っていなかった」ということに尽きるのではないか。
「カリスマ性」というものも、言いかえれば「プラスのキャラ立ちが際立ってる」ってことなわけだし。

 キャラ立ちというのは、政治家などのリーダーにとっては非常に大事なことだと思う。『リーダーのための「キャラ立ち」講座』というテーマで新書一冊くらい書けそうだ。



 もうあるか(↑)。いや、でもこれは「セルフブランディング」の本のようだから、私が思い描いているものとは違う。

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エフ=宝泉薫『痩せ姫』



 エフ=宝泉薫著『痩せ姫――生きづらさの果てに』(KKベストセラーズ/1944円)読了。

 摂食障害による「生きづらさ」を抱えた女性たちについて、さまざまな角度から綴った本。
 精神医学の視点から、あるいは社会問題として摂食障害を取り上げた本なら、これまでにもたくさんあっただろう。そうした過去の類書では当然、摂食障害は「治療すべき心の病」としてのみ扱われてきた。だが、本書はその点が大きく違う。

 著者は1964年生まれ(私と同い年)の男性であり、「痩せ姫」(摂食障害で極度に痩せた女性たち)の「容姿と精神性」に「特別な魅力を感じている」人物。いわば「痩せ姫萌え」の人なのである。

 そんな特異な嗜好をもつ著者が、「病気や不幸といった世間的枠組みに幽閉されているかのような痩せ姫たちの真の魅力を伝えることで、本人そして周囲になんらかの変化が生じ、その生きづらさが少しでも軽減されればと願って」書いたのが、本書なのだ。

 おそらく、世界的に見ても珍しい奇書。「摂食障害をこんなふうに扱うのは不謹慎だ」と眉をひそめる人もいるだろうし、「痩せ姫萌え? キモいおっさん!」と思う女性もいることだろう。

 だが、私は本書を大変面白く読んだ。書き手が本気で「売れようが売れまいが、誰にどう思われようが、俺はこの本を書きたくてたまらないんだ」と思って書いた本にしか出せない熱さが、全編にみなぎっている。著者のこの本に対する愛情が、ビンビン伝わってくる。

 本書は、著者がやっているブログ「痩せ姫の光と影」を通じた、たくさんの痩せ姫たちとの交流史でもあり、痩せ姫をめぐる文化史・メディア史でもある。そして、痩せ姫たちの生活のディテールと心のありようが、ヴィヴィッドに描かれた本でもある。

 痩せ姫というテーマをめぐって、こんなに豊かな文化的広がりを持つ本が書けるとは、私は想像すらしなかった。 
 
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広谷順子『その愛に』『BLENDY』



 シンガーソングライター・広谷(ひろたに)順子の『その愛に』と『BLENDY』を聴いた。1979年と翌80年に発表された、彼女のファースト&セカンドアルバムである。

 先日松任谷正隆の『僕の音楽キャリア全部話します』を読んで、ふとこの人のことを思い出した。私は彼女を、松任谷がDJをしていた「サウンドストリート」でかかった「古都めぐり」で知ったからである。

 「古都めぐり」は広谷順子のセカンドシングルで、松任谷正隆がアレンジをしている。初めて聴いたとき、「なんときれいな歌声だろう」と思い、そのメロディーも強く印象に残った。



 「古都めぐり」が入ったファーストアルバム『その愛に』は90年代に一度CD化されたものの、長らく中古市場で高値を呼んでいて、手が出なかった。
 だが、今回ふと名前を検索してみて、昨年再発されていたことを知り、手を伸ばしてみたしだい。



 広谷順子は3枚のソロアルバムを発表しているが、けっきょくブレイクすることはなかった。その後は、セッション・シンガー/作曲家として活動しているらしい。

 アルバムを丸ごと聴くのは今回が初めてだが、いま聴くとさすがに古めかしい。ファーストはニューミュージック寄りで、セカンドはシティポップ/AOR寄りという違いはあるものの、いずれも「歌謡曲のシッポを残したままの、一昔前の日本のポップス」という印象なのだ。
 曲としても、「古都めぐり」を凌駕するものは一つもない。

 だがそれでも、透明感に満ちて伸びやかな広谷順子のヴォーカルには、やはり並外れた魅力がある。ヴォーカルの素晴らしさを味わうだけでも一聴の価値がある、J-POPの隠れた名盤だ。

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井上智洋『人工知能と経済の未来』



 昨日は都内某所で取材。今年の初取材である。

 行き帰りの電車で、井上智洋著『人工知能と経済の未来――2030年雇用大崩壊』(文春新書/864円)を読了。仕事の資料として。

 この手の本の著者には当然AI(人工知能)研究者が多いわけだが、本書の著者はマクロ経済学者だ。ただし、大学時代に計算機科学を専攻し、AI関連のゼミに入っていたという。
 つまり、“AIにも造詣の深い経済学者”なわけで、本書にはその立ち位置が十二分に活かされている。今後AIの進歩が加速していった果てに、経済と雇用のありようがどう激変するかに焦点が当てられた内容なのだ。

 先月読んだ『人工知能が変える仕事の未来』(野村直之)が楽観的で希望に満ちた内容だったのとは対照的に、著者の描く未来像は、「2030年雇用大崩壊」という副題どおりの悲観的なもの。

 2030年頃に汎用AIが登場するならば、その後は急速にあらゆる雇用が失われていくことになります。



 今から30年後の2045年くらいには、全人口の1割ほどしか労働していない社会になっているかもしれません。


 
 「汎用AI」とは特化型(専用)AIの対義語で、「人間に可能な知的な振る舞いを一通りこなすことのできるAI」を指す。この汎用AIの開発の目処が立つのが2030年頃だと言われており、それこそがAIによる雇用破壊の本格的な始まりだと著者は捉えているのだ。
 逆に言えば、AIが特化型にとどまるうちは、雇用破壊はそれほど心配する必要はない、と見る立場なのである。

 汎用AIが出現してしばらくした後に、労働者の多くが雇用されず、汎用AI・ロボットが生産活動に全面的に導入されるような経済が到来する可能性があります。そのような経済を「純粋機械化経済」と呼ぶことにしましょう。



 ただし、9割の人間の仕事が汎用AIに奪われる未来を、著者は必ずしもディストピアとしては描いていない。それは、“労働はAIにまかせ、人間は働かずに暮らせるユートピア”になる可能性もある、というのだ。

 「純粋機械化経済」をユートピアにするための条件として、著者はベーシックインカム導入を挙げる。
 最後の第5章は丸ごと、労働はАIとロボットにまかせ、9割の人々がベーシックインカムで暮らす未来を展望する思考実験に充てられている。

 SF的ではあるが、「AIが人類を支配する未来」などという与太話よりは、まだしも現実味がある気がする。 

■関連エントリ
山森亮『ベーシック・インカム入門』
新井紀子『コンピュータが仕事を奪う』

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松任谷正隆『僕の音楽キャリア全部話します』



 松任谷正隆著『僕の音楽キャリア全部話します――1971/Takuro Yoshida▶2016/Yumi Matsutoya』(新潮社/1512円)読了。

 松任谷由実の伴侶にして、日本を代表するアレンジャーの一人である著者が、自らの45年に及ぶ音楽キャリアを語り下ろした本。
 インタビュー/構成は、著者と親しい音楽ライター・神館(こうだて)和典が担当している。

 当然、ユーミンとの共同作業(アルバム作り、コンサート・プロデュースなど)が話の中心になる。
 私はユーミンに思い入れがないので、その分つまらないかな、と危惧したのだが、十分面白く読めた。ユーミン以外のアーティストとの仕事の話もたくさん出てくるし、個人史がそのままJ-POP史になるような立ち位置の人だからである。

 考えてみれば、私は少年時代に、著者がDJをしていたNHK-FMの番組「サウンドストリート」をよく聴いていたし(著者の担当は月曜日だったか)、彼がそこでかけた曲を通じて音楽の好みが広がった部分もある。その意味ではわりと近しい存在なのだ。

 意外な裏話満載。たとえば――。

 私は著者の唯一のソロアルバム『夜の旅人』(1975年)が大好きで、ジャパニーズAORの名盤だと思っているが、意外にもあのアルバムは契約消化のために渋々作ったもので、「一時期は恥ずかしくて、廃盤にしてくれと、僕自身がレコード会社に頼んでいたほど」不本意な面があったのだという。

 また、ユーミンのアルバムがいちばん売れていた時期は、じつは著者が音楽作りに悩み、悪戦苦闘していた時期なのだという。次のような赤裸々な一節がある。

 由実さんのアルバムでは『ダイアモンドダストが消えぬまに』から五枚、組んではいけない人と一緒に音楽制作をしてしまいました。シンクラヴィアのプログラマーです。



 人間というのは、売れ始めると、その喜びよりも、落ちる怖さに意識がいくものです。だから『LOVE WARS』あたりは生きた心地がしなかった。



 ほかにも、「松任谷由実」として初(つまり結婚後初)のアルバム『紅雀』が受けた酷評に悩んだことなど、「成功の頂点にあるように見える人にも、やはり苦悩はあるのだなァ」と感慨深いくだりが多い。
 
 ユーミンの好きな人なら必読の一冊だろう。

■関連エントリ→ 井上鑑『僕の音、僕の庭――鑑式音楽アレンジ論』

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平山夢明『華麗なる微狂いの世界』



 平山夢明著『華麗なる微狂い(びちがい)の世界』(洋泉社/1512円)読了。

 特殊小説家・平山夢明が、世の中の「微狂い」――微妙に狂っている人たち――の世界について語り合う対談/インタビュー集。

 前半は、特殊なストーカーに悩まされた経験を持つ一般女性など、「微狂い」に遭遇した側へのインタビュー。
 後半は、がっぷ獅子丸(ゲームプロデューサーらしい)、作家の岩井志麻子を相手とした対談。

 狂っている人に遭遇する率が異常に高いことで知られる平山と、同じように“狂い引き寄せフェロモン”が強い岩井らが、自らの特異な見聞を披露し合っている。

 ここに出てくる話を、平山夢明のぶっ飛んだ文体で綴れば、彼の傑作エッセイ集『どうかと思うが、面白い』のようにバツグンに面白いはずだ。
 しかし本書は、ほかのライターが構成した対談/インタビューなので、面白さは半減以下である。ちょっとガッカリ。

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上阪徹『〆切仕事術』



 上阪徹著『〆切仕事術』(左右社/1836円)読了。

 「〆切守り率100%のメソッド大公開」という帯の惹句のとおり、著者は23年間フリーライターをやってきて一度も〆切に遅れたことがないそうだ。
 しかも、コラムとかならともかく、著者のおもな仕事はブックライター、つまり書籍の聞き書き構成で、これまでに100冊近くを手がけてきたという。

 著者の3年前の本『職業、ブックライター。』を当ブログで取り上げたとき、私は次のように書いた。

 副題の「毎月1冊10万字書く」は、私もクリアしている。
 てゆーか、丸1ヶ月あれば1冊の本が書けるのは、ライターとしては平均的能力で、とくにすごいというわけではない。ま、質が問題なわけだから、書く速さだけ比べても意味がないけれど……。
 著者のすごさはむしろ、20年間にわたってブックライターをつづけながら、一度も〆切に遅れたことがない、という点にある。この点は素直に脱帽。



 100冊近く本を書いて一度も〆切に遅れたことがないというのは、ライターとしては奇跡に近いが、出版業界外の人にはすごさがわかりにくいかもしれない。
 「なんで? 〆切に遅れないなんて、社会人としてあたりまえのことじゃん」と思う向きもあろう。
 たとえば製造業の場合、納期に遅れるのは許されないことで、やらかしてしまったらヘタすりゃ損害賠償ものなわけだし……。

 しかし、物書き稼業だけはそうではないのだ。少なくとも、これまでの時代は。

 だが、本も雑誌も売れなくなり、物書き業界が「椅子取りゲーム」的状況になっているいまは、〆切を守れないルーズなライターから先に切り捨てられていく時代なのである(他人事ではない)。

 本書は、著者がどのようにして「〆切守り率100%」を死守してきたかを明かしたもの。私も、「ぜひとも学ばせていただきたい!」との思いで拝読した。
 物書きにしか参考にならない本ではなく、〆切のあるすべての仕事に役立つ内容だが、第一義的には「ライターのための〆切仕事術」の本なのである。

 面白いのは、昨年来ベストセラーになっている『〆切本』と、本書が同じ版元から出ていること。著者もそのことに言及しているが、2つの企画が重なったのは「本当に偶然」だとか。

■関連エントリ→ 『〆切本』

 後半の第3章と終章は凡庸な内容で、「前半で書きたいことは書き尽くしちゃったのかな」という印象だ。
 ただ、前半には傾聴すべきアドバイスが多い。

 ほんとうにそのとおりだと思ったのは、次の言葉。

 若い書き手の方などに講演するときによくする話があります。原稿を書く仕事というのは、二◯◯点満点である、と。
 何かといえば、原稿のクオリティ一◯◯点、〆切を守ること一◯◯点です。
 先にも書いたように、〆切を守らない人も多い業界ですから、〆切を守るだけで、これだけの価値があるぞ、ということをまず伝えたいわけですが、それだけではありません。
(中略)
 二◯◯点のうち、原稿のクオリティ一◯◯点を取るのは、極めて難しいのです。ところが、もう一◯◯点の〆切はどうか。
 ただ期日通りにきっちり仕上げるだけ、なのです。それだけで一◯◯点が取れてしまう。とても簡単ではないか、ということです。

 

 巻末に掲げられた「〆切を守るための10箇条」(本書の要点を箇条書きにしたもの)を、拡大コピーしてデスクの前に貼っておくことにする。

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根本橘夫『「自分には価値がない」の心理学』



 根本橘夫著『「自分には価値がない」の心理学』(朝日新書/842円)読了。

 教育心理学・性格心理学を専門とする心理学者の著者(東京家政学院大学名誉教授)が、無価値感を克服する方法についての提言をまとめた本。
 「自分には価値がない」と感じて苦しんでいる人たちに向けて書かれた、実用書としての側面が強い。

 「若い人たちへの遺言とも思って書いた」と、「おわりに」にはある。
 いまの日本の若者は、諸外国に比べて自尊感情が著しく低いことで知られている。無価値感の克服は、とくに日本人にとって喫緊の課題であり、本書は時宜を得た好企画と言えよう。

■関連エントリ→ 鈴木賢志『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』

 1~3章では、無価値感がどのように生まれ、どのように人を苦しめるのかが、実例をふまえて綴られる。
 そして、残りの4~10章で、無価値感克服のための具体的アドバイスがなされていく。豊富な専門的知見をふまえたアドバイスは、傾聴に値する。

 また、書名のとおり、無価値感についての研究をまとめた心理学の概説書としても読める。以下、私が付箋を貼った箇所をいくつか引用。

 無価値感や自信のなさに悩む人の中には、「自分は過保護と思えるほど親から大事にされていたのに」と言う人が含まれる。大方の見方に反して、過保護は自己価値観よりも無価値感をもたらしやすいのである。(中略)過保護は子どもを無力化することで無価値感をもたらし、過干渉は子どもの自我を奪い取ることで無価値感をもたらす。



 信頼していた人に裏切られるという体験は無価値感をもたらす。
 なぜ怒りでなく無価値感になるのか。それは、信頼とは相互の価値を認めていることだからである。裏切られるということは、相手が私の価値を認めていなかったという事実に直面させられることである。

 
 

 無価値感の強い人は、快感に対する怖れがあり、快体験に没頭できない。
 のんびりとした時間を過ごしていると、怠惰を責める心が湧いてくる。楽しいときを過ごしている最中でも、脳裏にふと「これでいいのか」という不安がよぎる。
(中略)
 快感とは「今、ここ」を堪能することである。
 快楽を堪能できない人は、「今、ここ」を生きることができない。こうした人にとって、「今」とは、常に「後々」のための準備期間である。だから、いつも何かに追い立てられているようで、気持ちを休ませることができない。



 日本の若者の自尊感情が低い理由のくわしい分析が欲しかった気もするが、そのへんについてはズバリ『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』(古荘純一)という本も出ているから、そちらを読めばよいか。

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2016年に観た映画BEST10



 2016年BEST10を、本・音楽・マンガと選んだのに、映画は選んでいなかった。映画館で観た本数が少ないので、「BEST10を選出するなどおこがましい」と思ってしまったのである。

 が、このBEST10は何よりまず自分用の記録なのだから、やはり選んでおくことにする。
 基準は「2016年中に日本で公開された映画」で、順不同。レビューを書いたものはリンクを貼る。

『この世界の片隅に』

『シン・ゴジラ』

『リップヴァンウィンクルの花嫁』

『永い言い訳』

『海よりもまだ深く』

 このへんまでがBEST5。ちなみに、『君の名は。』は現時点で未見である。

『SCOOP!』

『エクス・マキナ』

『キャロル』
――ストーリー自体は他愛ないのだが、ルーニー・マーラとケイト・ブランシェットの視線のやりとりだけで、両者の感情を十全に伝え切る演出と演技がスゴイ。あと、ルーニー・マーラの清楚な美しさが眼福。

『ブリッジ・オブ・スパイ』
――ハリウッド映画の良心を見る思いがする映画。スピルバーグの全作品中でも、上位に位置するのでは。 

『サウルの息子』
――観ていて息苦しくなるような、すさまじいリアリティで活写されたアウシュヴィッツの真実。娯楽性は微塵もない重い映画だが、傑作。

■次点
『オデッセイ』
『マネー・ショート 華麗なる大逆転』

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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