『この世界の片隅に』



 今日は、取材で八王子へ――。
 その帰途、立川シネマシティに寄って、『この世界の片隅に』を観た。



 言わずと知れた、各界絶賛の話題作である。
 町山智浩が本年度ベスト1に挙げ、ライムスター宇多丸も「おそらく日本映画史に残る大傑作」「5千億点!」と大絶賛。斎藤環に至っては、「人類の作り上げてきた映像文化史上、最高の作品のひとつ」とまで言っている。
 宇多丸や斎藤環の言葉はさすがに過大評価だという気がするが、大変な傑作であることはたしか。

 私はこうの史代の原作も好きだし、名作だと思うが、このアニメ版は原作を超えていると思う。
 遊郭の娼妓・リンと周作の関係を描く場面が割愛されているなど、ごく一部にアレンジが加えられているほかは、原作に忠実なストーリー展開。それでも、原作以上に胸に迫るシーンがたくさんあった。
 たとえば、すずが空襲の中でシラサギを追う場面や、すず・周作夫妻と母を被爆で亡くした孤児との出会いのシークエンスでは、その美しさ・哀切さ・迫力に鳥肌が立った。

 戦時中の広島や呉の街や自然が、隅々まで丁寧な作画によって見事な質感で表現されており、圧倒される。

 徹頭徹尾、「銃後」の視点・庶民の視点・日常生活の視点から描かれた戦争――。
 我々戦争を知らない世代(そもそも、原作者も監督も「戦争を知らない世代」だが)に、これほど戦争を日常の延長にあるものとして「実感」させ得た日本映画は、幾多の実写戦争映画の中にもなかったのではないか。 

 かつて野坂昭如は、自らの小説を高畑勲がアニメ化した『火垂るの墓』を観て、「アニメ恐るべし」と書いた。こうの史代も、この映画を観て同じように思ったのではないか。私も、本作を観て「アニメ恐るべし」と思った。

 なお、原作についてのネットで読めるレビューの中では、ネット界屈指のマンガ読み巧者である「漫棚通信ブログ版」さんのものがベストだと思う。なんと深い読み解きであることか。
 原作を読んでからこれを読み、その後にアニメ映画版を観ると、いっそう深く味わえるはずだ。

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森達也『死刑』



 昨日は、後輩ライターの結婚披露宴に参加するため、埼玉県深谷市へ――。
 心あたたまるよい披露宴であった。

 行き帰りの電車で、森達也著『死刑』(角川文庫/761円)を読了。仕事の資料として。

 オウム真理教元幹部への取材をつづけてきた森達也は、幹部の多くが死刑囚であるため、日本の死刑制度に深い関心を抱くようになった。そこから手掛けた、最初の死刑関連書である(その後、何冊かの類書を出している)。

 これは素晴らしい本。死刑について関心を持った人が最初に読むべき本としておすすめしたい。

 章ごとに多くの当事者(死刑執行経験のある元刑務官、犯人が死刑となった犯罪被害者の遺族、死刑制度反対運動を続ける弁護士、冤罪を晴らして生還した元死刑囚、死刑囚本人など)を取材していくルポルタージュである。
 と同時に、日本の死刑制度や死刑存廃問題の論点、各国の制度などについての入門書としても、大変よくできている。

 本書を書き始めた段階では、森達也は死刑廃止派・存置派のいずれでもない。そして最後の章まで、自分はどちらの立場に立つべきかを迷いつづける(最後にやっと廃止派としての旗幟を鮮明にする)。
 そのことが、結果的に本書の美点になっている。廃止派・存置派いずれかの立場に寄った、バイアスのかかった本になっていないのだ。

 その点で、本書は死刑制度を描いたマンガの白眉である『モリのアサガオ』(作者・郷田マモラも本書に登場)と、よく似ている。
 『モリのアサガオ』でも、主人公の新人刑務官は、最後まで死刑に対する自らのスタンスを決めかね、迷いつづけるのだ。

 『A』『A2』以来、森達也の作品に通底するのは、善悪二元論によりかかる「思考停止」を排し、他者への想像力を研ぎ澄まそうというメッセージだ。本書もしかり。
 森達也らしい、彼の書き手としての美点が十全に発揮された本になっている。

■関連エントリ→ 『A』『A2』

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中村竜太郎『スクープ!』



 今日は、「駒場祭」で賑わう東大へ――。
 駒場祭の1プログラムとして行われた、小林雅之東大教授と佐々木さやか参議院議員(公明党)による講演/シンポジウム「大学教育の未来を考える」の取材だ。

 演題は漠然としているが、実際には「大学教育における奨学金のあり方を考える」という感じの内容。「給付型奨学金」の導入が実現するか否かの瀬戸際にあるいま、時宜にかなった講演であった。

 佐々木さやかさんは、議員になる前に何度か取材させていただいたことがある。相変わらず美人ですなァ。


 行き帰りの電車で、中村竜太郎著『スクープ!――週刊文春エース記者の取材メモ』(文藝春秋/1296円)を読了。
 30歳から50歳までの20年間、『週刊文春』編集部に在籍し、数々のスクープを飛ばしてきた元エース記者(現在はフリー)が、20年間で印象に残った仕事を振り返った本。

 『週刊文春』の現役記者には、仕事の性質上、マスコミでの顔出し厳禁という基本原則があるそうだ。
 しかし、最近のスクープ連発で、「『週刊文春』の取材現場を知りたい」という世のニーズが高まっているため、すでに現役をしりぞいた著者が引っ張り出された……というのが本書の成立事情らしい。

 私は、『週刊文春』『週刊新潮』などの出版社系週刊誌のあり方には批判的で、一つ残らず消えてなくなったほうが世のためだと考えている。
 ま、それはそれとして(笑)、本書に明かされたスクープの舞台裏秘話は、わりと面白く読めた。

 全11章。各章はわりと玉石混交だが、第1章「『シャブ&飛鳥』スクープの舞台裏」は本書の白眉だし、第8章「歌姫・宇多田ヒカルの素顔」も、宇多田家の複雑な家庭事情に迫って読み応えがあった。

 ただ、著者が一貫して“自分は社会正義を背負って週刊誌記者をやっていたのだ”みたいな物言いをしている点に、強い違和感を覚えた。
 たとえば、こんな一節がある。

 週刊誌記者はスクープを追う犬だ。権力者の不正をかぎ分け、スキャンダルを暴く。ときには牙をむいて吠え、ときには石もて追われ悲鳴をあげる。闇夜を走り、駆け抜けて、また走る。疲れても、傷を負っても、力尽きるまで走り続けるのだ。けれど、こんなに面白い仕事は、ない。



 この文章に満ち満ちた、「風に吹かれてトップ屋(死語)が一人」みたいな自己陶酔感に、読んでいて鼻白む思いがした。週刊誌記者というのは、そんなにご立派でカッコいい仕事なのかね?
 私にはむしろ、「あとがき」に記された著者のお父さんの次の言葉(がんと闘う病床で息子に言った言葉だという)のほうが、よほどまっとうな感覚に思える。

「お前は、ヤクザな仕事をしているな。いくらペンの力といっても、人様に迷惑をかけていることは忘れるな。畳の上では死ねないと思いなさい。因果とは、そういうもんだ」



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施川ユウキ『バーナード嬢曰く。』



 昨日は、54年ぶりだという11月の初雪のなか、都内へ――。午前中に打ち合わせ、午後に取材。
 毎日出かける仕事ではないのに、よりによって半日出かける日に雪かよ。


 施川ユウキの『バーナード嬢曰く。』の既刊1~3巻を読んだ。
 他に類を見ない、読書をめぐるギャグマンガである。

 読書についてのマンガや、図書館や古書店が舞台のマンガはけっこう増えてきたが、ギャグマンガとなると本作くらいだろう。

 学校(高校?)の図書室を主舞台に、図書室の常連である女子3人・男子1人がくり広げる読書談義が描かれていくマンガ。
 「バーナード嬢」とは、主人公の町田さわ子がバーナード・ショーをもじってつけた“自称ニックネーム”。ファンの間では、本作は「ド嬢」と略称されているそうだ。


↑つい最近、テレビアニメ化もされた。

 抱腹絶倒という感じではないが、微苦笑を誘う細かいくすぐりが山盛りで、とても面白い。本好きなら間違いなく楽しめる。

 私も、ライターをしているくらいだから少年時代から読書好きだったし、図書室の常連でもあったから、本作にちりばめられた「読書家あるある」には共感しまくり。

 「読むとなんだか読書欲が高まる“名著礼賛”ギャグ!」というのが、版元のつけた惹句。たしかに、名著・名作案内としても読めるマンガである。

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『JIMI:栄光への軌跡』



 『JIMI:栄光への軌跡』をDVDで観た。
 史上最高のロック・ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの伝記映画である。

 ただし、描かれるのは伝説の「モンタレー・ポップ・フェスティバル」出演の手前まで。
 つまり、ジミヘンが本格的にブレイクする前夜までの物語なので、イマイチ盛り上がりに欠ける。

 中心となるのは、ジミがチャス・チャンドラーに見出されて渡英し、2年間にわたってイギリスで活動した時代。
 イギリス映画だからイギリス時代を描いたということなのかもしれないが、この2年間だけではジミの全体像が見えにくい。彼のことをあまり知らない人が観たら、どういう人物だったのか、よくわからないままだろう。

 楽曲使用許可がおりなかったとのことで、肝心のジミ本人の演奏は一つも使われておらず、その点でも画竜点睛を欠く。
 コピーによる演奏場面も、カバー曲オンリー。ジミの自作曲は皆無で、「パープル・ヘイズ」すら登場しないのだ。

 ただし、ジミを演じたアンドレ・ベンジャミン(=アウトキャストのアンドレ・3000)は素晴らしい。ルックスがそっくりな上に声やしゃべり方まで完コピで、ジミが乗り移ったかのような迫真の演技を見せる。
 エリック・クラプトンやポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、キース・リチャーズなども登場し、60年代後半のロンドンのロックシーンを描いた映画としても楽しめる。

 しかし、脚本がよくない。雑然としていて的が絞られておらず、何が描きたかったのか、よくわからない。
 とくに、尻切れトンボで“決着感ゼロ”の終わり方がひどい。

 わずか27年の劇的な生涯を駆け抜けたジミを主人公にしながら、よくまあここまで盛り上がらない映画にできたものだ。
 細部の作り込みはけっこうていねいなので、ジミヘン好きなら細部は楽しめる映画なのだが……。

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カレー沢薫『ブスの本懐』



 昨日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、カレー沢薫著『ブスの本懐』(太田出版/1080円)を読了。

 「cakes(ケイクス)」連載のコラム「ブス図鑑」の単行本化である。
 
 カレー沢薫はマンガ家兼コラムニストだが、私はマンガ家としてよりも、むしろコラムニストとして評価している。
 そして、旧著のコラム集『負ける技術』『もっと負ける技術』でいちばん笑えたのは、「ブスネタ」のコラムであった。
 ゆえに、ブスネタのコラムのみを集めた本書が面白くないはずがない……と思って予約購入したもの。

 


 “ブスに厳しいブス”カレー沢薫がすべての迷える女性に捧げる、逆さに歩んだ「美女への道」



 ……と、帯の惹句にはあるが、実際のカレー沢薫は意外にも「ふんわり美人」であるらしい。
 まあ、「ブスが書いている」ということにしなければ、とてもこんな本は出せまい。ましてや、男のコラムニストが書いたら取り返しのつかないことになろう。

 内容は、半ば期待どおりだが、半ばガッカリ。
 途中までは快調で大いに笑えたのだが、終盤になるとさすがにネタ切れしてきた様子で、明らかにボルテージが下がってしまっているのだ。
 ブスネタのコラムだけで本1冊を書くこと自体、かなり無理があるわけだから、途中の失速もむべなるかなではある。

 とはいえ、値段分はしっかり楽しめるし、カレー沢薫のコラムが好きな人なら必読・必携の1冊といえよう。

 以下、笑えた一節を例として引用。

 日本は天然物志向が強いのか、整形美人は叩かれがちである。
 それを言うなら、こっちだって「産地直送もぎたてブス」として、良い値がついてもいい気がするのだが、大体「規格外品」でワゴンに乗せられてしまうのだ。



 ブスが食生活に気をつけると、「スタイルがよく、肌が綺麗で天使の輪を持つブス」という、単純にブスと呼ばれた方が良かったんじゃないか、というような評価を下されてしまうわけだが、逆に「肌と髪が汚く、新弟子検査の基準をクリアした体型のブス」というのは、鬼に金棒というよりも、金棒を持った鬼が逃げるレベルになる。



 この本の最初に「『美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる』は、どう考えてもブスが考えた言葉」と書いたが、同じくエスプリの効いたブスが考えたと思われる言葉に「美人は全部、同じに見える」というものがある。
(中略)
 その点、ブスはすべて一点もの、オーダーメイドで作られた感がある。顔のパーツ一つひとつはそんなに悪くないのに、それらが絶妙な配置によりブスになっている職人技の光るブスもいる。おそらく1ミリずれたら普通の顔になってしまう。そんな繊細な世界なのだ。
 つまり、バリエーションだけならブスは美人に圧勝なのである。



 ところで、帯に載っている読者からの感想コメントが、なにやら“女性向け自己啓発書”の感想のようで、ちょっと違和感。

「美人は大変そう、ブスで良かった!と思った。学生時代にこの本に出会いたかった」(40代/女性)

「ありのままの自分で良いのだ、と思える一冊です」(30代/主婦)



 という具合。「いやいや、これってそういうマジメな本じゃないから」と言いたくなる。
 まあ、このコメント自体がヒネリにヒネったギャグなのかもしれないが……。

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『永い言い訳』



 『永い言い訳』を、立川シネマシティで観た。
 西川美和が自作の小説を自ら脚本化し、映画化した作品。



 とてもよかった。西川美和の監督作品でいちばん好きかも。
 私は彼女の映画では、世評高い『ゆれる』や『ディア・ドクター』があまり好きではなく、監督デビュー作の『蛇イチゴ』を偏愛している。この作品には、『蛇イチゴ』から経た14年分の成熟が感じられて、素晴らしい。

 是枝裕和の弟子である西川が、これまででいちばん師の是枝に接近した映画という印象を受けた。
 本作で竹原ピストルが演じる役(一世一代のハマリ役!)は、是枝の『そして父になる』でリリー・フランキーが演じた役と、もろにオーバーラップする。
 また、本木雅弘演ずる主人公の小説家は、是枝の『海よりもまだ深く』の主人公である売れない小説家(小説で食えなくて探偵をしている)と、そのダメ男ぶりがやはりオーバーラップする。

 子役2人の演技が絶品なのだが、子役の素の演技を引き出す演出力などは、まさに師匠譲りであろう。

 しかし、是枝作品と比べると、西川作品ははるかに毒気が強い。苦いユーモアとアイロニー、愛の不毛が随所にちりばめられ、観客を「すんなりと感動させない」のだ。お子ちゃまにはけっして理解できない、大人のためのビターな映画。

 まだ「従藍而青」とまではいかないが、いまや西川はたんなる弟子の域を超え、是枝にとって最大のライバルとなったのではないか。

 それにしても、本作の本木雅弘、深津絵里が妻なのに黒木華を愛人にするとは、豪気な話である(私から見て)。

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デイヴィッド・J・リンデン『触れることの科学』



 一昨日から昨日にかけて、取材で佐賀県へ――。

 観光する余裕はなかったが、夜には居酒屋で地の魚を食べて“観光気分”だけ味わった。
 刺身類はおいしかったが、ムツゴロウの丸焼きというのはマズかった。小骨が多くて食べにくいし。まあ、話のタネにはなったけど……。

 昨日は佐賀から戻ってきて、夕方にまた都内某所で別件の取材。バタバタ忙しい。

 行き帰りの飛行機と電車で、デイヴィッド・J・リンデン著、岩坂彰訳『触れることの科学――なぜ感じるのか どう感じるのか』(河出書房新社/1944円)を読了。

 著者は神経科学者(米ジョンズ・ホプキンス大学医学部教授)だが、本書のような一般向け科学書もものしている。前著『快感回路――なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』は、当ブログでも取り上げた。

 本書も『快感回路』同様、品のよいユーモアをちりばめた良質な科学ノンフィクションだ。
 テーマである触覚(皮膚感覚)は性的快感と深く結びついているし、本書にもセックスに関する話題がわりと多いから、『快感回路』の続編というか、スピンオフ本的な内容と言える。

 触覚の作用機序についての説明部分は専門的すぎてやや退屈だが、面白いエピソード、トピックが満載だ。
 たとえば――。

 私たちの皮膚には「C触覚線維」という、なでられて心地よい感覚のための神経――すなわち「愛撫専用の触覚系」がある。
 この触覚系に対して優しくなでる刺激がもたらされることは、「新生児の情緒の適切な発達のために欠かせないものであり、このシステムが形成する社会的接触は、成長後に信頼関係や協調関係を築くために重要な役割を果たす」という。
 赤ちゃんに対するスキンシップがいかに重要であるかを、この「C触覚線維」が証し立てているわけだ。

 広義の触覚――熱さや冷たさの知覚、痛覚、かゆみの感覚、くすぐったさなど――についても詳述されており、それぞれじつに興味深い内容になっている。例を挙げよう。

 鳥は平気でトウガラシを食べる。トウガラシの刺激成分カプサイシンに反応するセンサーを、持っていないからだ。
 ゆえに、バードウォッチャーは鳥の餌をリスなどの哺乳類に盗み食いされないよう、餌にする種にトウガラシをふりかけておく。
 ではなぜ、鳥だけがトウガラシの辛さに反応しない動物になったのか? その謎解きは次のようなものだ。

 哺乳類は種を食べると臼歯ですりつぶしてしまいがちだが、鳥には臼歯がなく、種子の大半はそのまま消化器官を通り抜ける。鳥が糞をすると、これまでとは違う場所に発芽可能な種子を蒔いていくことになる。鳥にとってもトウガラシにとっても都合のよい状況である。



 思わず人に語りたくなるような話ではないか。 

 また、生まれつき痛みを感じない「無痛症」についての、次のような記述にはぞっとさせられた。

 痛みを感じなければ、さぞのんびり暮らせるだろうと思われるかもしれないが、現実はそういうものではない。痛みというのは、組織にダメージを与えるような刺激への反応として生じる。痛みがなければ、刃物や熱湯や有害な化学物質を避けることも学べない。先天性の無痛症の人は常時けがをしている。知らないうちに自分で舌を噛み、骨を折り、関節をすり減らし、ゴミの入った目をこすって角膜を傷つける。成人になるまで生きている者は少ない。

 

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神坂智子『T・E・ロレンス』



 仕事上の必要があって、神坂智子の『T・E・ロレンス』を全巻再読。それから、映画『アラビアのロレンス』も映像配信で再見した。

 それにしても、たいていの名作映画が家ですぐに観られるのは、思えばすごいことだ。私が10代のころは、名画座にかかるのを待つしかなかったのだから。

 『T・E・ロレンス』は、「アラビアのロレンス」ことトーマス・エドワード・ロレンスの生涯を描いた大作である。
 『アラビアのロレンス』が、映画史上に輝く名作であることはいうまでもない。だが、この『T・E・ロレンス』には、『アラビアのロレンス』が描けなかったロレンス像までが活写されており、日本のマンガの底力を改めて思い知らされる。

 たとえば、『アラビアのロレンス』がほのめかす形でしか描けなかったロレンスの性指向――ホモセクシュアリティとマゾヒズムも、『T・E・ロレンス』は思いっきり踏み込んで描いている。
 それは、竹宮惠子が『風と木の詩』で切り拓き、山岸凉子の『日出処の天子』などに開花した「BL」の伝統が、日本のマンガにあればこそだろう。

 また、ロレンスの複雑きわまる内面についての描写も、『アラビアのロレンス』より重層的で深い。マンガという表現形式そのものが持つ力のなせる技であろう。

 もっと高く評価されてしかるべき、マンガ史に残る傑作。

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深爪『深爪式』



 深爪著『深爪式――声に出して読めない53の話』(KADOKAWA/1296円)読了。
 予約注文しておいたものが今日届いたので、さっそく読了。



 「無名の一般主婦」(本書の帯より)でありながら、ツイッターのフォロワーが11万人を超えるアルファツイッタラーによる、初の紙書籍。
 既刊の電子書籍2冊(『深爪な愛とセックスのはなし』『深爪な家族と人生のはなし』)をまとめ、電子書籍1冊分の書き下ろしも加えたエッセイ集である。

 「声に出して読めない」と副題にあるとおり、下ネタが多い。とくに、全5章中の第1章は丸ごとセックス・ネタである。わざわざ最初の章にセックス・ネタを集めてくるあたり、読者の倫理観に対する不敵な挑発という趣。

 下品か上品かといえば下品だが、けっして不快ではない。むしろ痛快。並々ならぬ知性と批評眼と文章センスを兼備した、極上の下ネタ・エッセイが並んでいる。

 それに、下ネタに終始しているわけではない。社会時評的エッセイにも卓見が多いし、家族ネタのエッセイには胸にしみる感動編もある。
 硬軟両面で恐るべきテクニシャンぶりを存分に見せつける、好エッセイ集だ。

 あとがきによれば、「ナンシー関氏に憧れてコラムめいたものを書いた」のが、物書きとしての始まりであったという。
 「いまどきの新しい書き手は紙メディアからではなく、ツイッターなどから出てくるのだなァ」と、紙メディア育ちの私はある種の感慨を抱いた。

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卯月妙子『実録企画モノ』『新家族計画』



 卯月妙子の旧作『実録企画モノ』『新家族計画』(Vol.1&2)がKindle Unlimitedに入っていたので、読んでみた。

 卯月の4年前の話題作『人間仮免中』を読んだとき、「この旧作も読みたい」と思ったものの、当時は紙の本しかなく、しかも中古で高値を呼んでいたため手が出なかった作品。いつの間にか電子書籍化されていた。

 Kindle Unlimitedは、講談社など大手版元とのトラブルもあり、点数も減って、世間的には「もう終わった(失速した)サービス」みたいな印象になっている。だが、私はいまでも「月額980円なら十分お得」だと思う。
 じっさい、今日読んだ卯月妙子作品3冊だけでも、私にとっては「もう今月分の元が取れた」という感じだし。

 ただ、3ヶ月間Kindle Unlimitedを利用してみて思うのは、使いこなすにはコツがいるということ。
 大量のクダラナイ本(シロウトの自費出版本とか、安手のエロ本とか)で点数を嵩上げしているサービスであるため、価値のある本にたどりつくには、ユーザー側がかなり意識的に探して、読む本を厳選しないといけないのだ。そうしないと、価値の低い本を「タダだから」とダラダラ読んでしまい、時間を浪費してしまう。

 さて、初めて読んでみた卯月妙子の旧作だが、いずれも『人間仮免中』同様、卯月自身の壮絶な半生を題材にしたものである。ただし、『実録企画モノ』はノンフィクションのコミックエッセイであるのに対し、『新家族計画』は一応フィクションの体裁をとっている。

 『人間仮免中』は感動作であったが、こちらの『実録企画モノ』『新家族計画』はコミカルなテイストが強い。借金と精神障害を抱えながら子どもを育てるため、特殊性風俗や特殊AVの世界で働くデスペレートな生活が描かれているのだが、それが乾いた笑いにくるまれているのだ。

 なにしろ、『実録企画モノ』のラストでは卯月の前夫の飛び降り自殺が描かれるにもかかわらず、その部分さえ少しも悲しくない描き方なのだから……。
 その点で、自らのホームレス生活やアル中を笑いに昇華した、吾妻ひでおの『失踪日記』と同系列のマンガといえる。

 ただ、マンガとしての構成がグダグダで全体的に雑然としており、素材の面白さがあまり活かされていない。大傑作『失踪日記』に遠く及ばないのはもちろん、自作の『人間仮免中』よりもつまらない。
 
 それでも、人の生き方の正しさや幸・不幸を決めつけがちな我々の価値観・倫理観を、したたかに揺さぶる衝撃作ではある。「こういう生き方もアリだよ」と……。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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