ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』



 ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社/上下巻各2052円)読了。書評用読書。

 48ヶ国で刊行の世界的ベストセラー、ジャレド・ダイアモンド、ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグも絶賛……などと、すでに話題騒然の書。
 まだ40歳になったばかりのイスラエル人歴史学者(ヘブライ大学の歴史学教授)が、現生人類(ホモ・サピエンス)の歴史――すなわち人類史・文明史を鳥瞰的に描ききった大著である。

 上下巻合わせても600ページに満たないから、浩瀚な書というほどではないが、内容の密度が濃いので速読は不可能。私は丸一日がかりで読み終えた。

 歴史学のみならず、生物学・考古学・経済学・認知科学など、あらゆる分野の最新の知見を駆使して、非力なホモ・サピエンスが地球の覇者となるまでの道筋を、丹念に辿っている。

 目からウロコが落ちる思いがした箇所に貼った付箋が、たちまちいっぱいになった。

 私が最も強い印象を受けたのは、人類史における差別の歴史を概観し、その根源を問うた第8章「想像上のヒエラルキーと差別」である。短い章なのに、ここだけでヘタな新書1冊よりも内容が濃い。

 本書を取り上げた書評では、ジャレド・ダイアモンドの名著『銃・病原菌・鉄』と比較しているものが多い。
 たしかに、『銃・病原菌・鉄』が「西欧文明が世界を制覇したのはなぜか?」を問うた書だったのに対し、本書は「なぜホモ・サピエンスだけが繁栄したのか?」を問うた書だから、類書ではある。文明史そのものを鷲づかみにするようなスケールの大きさも、ダイアモンドの諸作と共通している。

 しかし、比べてみれば本書のほうが、「貨幣とは何か?」「国家とは何か?」「文明は人類を幸福にしたのか?」などという、より根源的な問いにまで踏み込んでおり、『銃・病原菌・鉄』よりもいっそう射程の広い本といえる。

 後半、つまり下巻に入るとちょっとダレる印象があるが、それでも、全体としては知的興奮に満ちた素晴らしい本。
 間違いなく、私が今年読んだ本のベストワン。今後、くり返し部分的に参照する「座右の書」の一つになるだろう。

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オジロマコト『猫のお寺の知恩さん』



 オジロマコトの『猫のお寺の知恩さん』(ビッグコミックス)の1巻を電子書籍で購入。
 『ビッグコミックスピリッツ』で最近気に入っている作品。

 『闇金ウシジマくん』がもうすぐ連載終了してしまうので、「終わったらもう『スピリッツ』読むのやめようかなァ」とも思ったのだが、とりあえずこの『猫のお寺の知恩さん』がある限りは読みつづけよう。→作品詳細(第1話試し読みあり)

 『富士山さんは思春期』がとてもよかったオジロマコトだが、本作も彼女(女性だということを最近知った)の美点が存分に発揮されている。美点とは何かといえば、健康的なエロティシズムである。

 この『猫のお寺の知恩さん』は、県外の高校に進学することになった主人公の男の子・源が、高校のある町で遠戚が営む古寺に下宿する物語。寺には、3歳年上で幼なじみの「知恩ねーちゃん」がいた。
 遠い親戚(血はつながっていない)とはいえ、若い娘と一つ屋根の下に暮らすことになった思春期の源は、何かとドキドキして……というストーリー。
 往年の大ヒット作『翔んだカップル』以来、時折現れる「一つ屋根の下」系ラブコメという感じだ。

 もっとも、いまのところはラブコメというより「ほのぼの癒し系田舎暮らしストーリー」なのだが、ヒロイン・知恩さんの描き方が素晴らしくエロい! とくにエッチなシーンがあるわけではないのだが、エプロンにジーパンの後ろ姿や、うなじのアップを描いただけでエロい! 

 エロティシズムとは本来このようにほのかに薫るものであって、そのものずばりの性描写などより、本作のフェチ的描写のほうがよっぽどエロティックである。

 もっとも、オジロマコトは過去に成人マンガも手がけているようだが、本作のような健康的エロのほうが彼女の本領が発揮されていると思う。

 知恩さんがフツーに服を着たうしろ姿を描いただけでエロいのはすごい。
 私にとっては、星里もちるの『本気のしるし』以来十数年ぶりに、「二次元のヒロインが生身の女性よりエロく見えた」マンガ。

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『クライム・ヒート』


 
 『クライム・ヒート』を映像配信で観た。
 クリント・イーストウッドの傑作『ミスティック・リバー』の原作者であるデニス・ルヘインの小説が原作で、しかもルヘインが脚本も書いていると聞いて、観てみた。



 これが意外な拾いもの。地味な映画ながら、すごくよかった。日本ではビデオスルーで終わってしまった作品だが、映画館で観てみたい。

 『クライム・ヒート』という邦題はひどい(原題は“THE DROP”)。これでは、ドンパチ中心の「脳みそ筋肉」系犯罪アクションかと思ってしまう。
 犯罪映画には違いないのだが、むしろフィルムノワール寄り。『ミスティック・リバー』と同系列の、静謐な詩情に満ちたクライム・サスペンスなのである。

 フィルムノワールといえば男同士の友情が重要な要素なわけだが、本作はその要素は希薄。かわりにミステリ的要素が強く、クライマックスにはどんでん返しが用意されている。

 そのどんでん返しに至るまでに、悲劇の予感がじわじわと高まっていく。心地よい緊迫感に満ちた映画。
 銃を撃つ場面はクライマックスまでないのだが、それでも序盤からずっと、「いまにも撃たれるんじゃないか」という緊迫感がつづく。

 『マッドマックス 怒りのデスロード』のトム・ハーディが、寡黙なバーテンダーの役で主演している。これがじつによい。子犬と戯れる場面など、女性ファンならキュン死だろう。

 ピットブルのカワイイ子犬がストーリー上重要な役割を果たし、しかも全編出ずっぱりなので、犬好きにはたまらない映画でもある。

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『10クローバーフィールド・レーン』



 7月半ばから糖質制限ダイエットをつづけているのだが、今日でようやく目標値に達した。64.2kg→60.0kgと、4.2kg減。
 「糖質制限で、3週間で13kg痩せました!」みたいな派手な体験談が世間に出回っているので、「4kgくらい、3週間もあれば落ちるだろう」とタカをくくっていたのだが、けっきょく3ヶ月かかった。

 まあ、私がやっているのはいわゆる「ロカボ=緩やかな糖質制限」で、夕食は普通にごはんを食べているし(ただし「おかわり禁止」)、とくに運動もしていないから、減り方はこんなものか。

 これでもまだ、20代のころと比べると10kg増だけど(いちばん痩せていた時期には50kgを切っていた)。

 私は仕事柄、何かを始めるには本を読むところから入るので、この3ヶ月で糖質制限ダイエットの関連本をたくさん読んだ(いちいちこのブログに感想を書かなかったが)。

 ずいぶん眉ツバな本も多かった。「糖質制限で万病が治る!」みたいなヤツとか。
 「現代人の食生活は総じて糖質過多だから、糖質を減らすことはバランス上好ましい」と、そこまでは理にかなっているわけだが、そこから主張が暴走し、糖質を「諸悪の根源」のように言うトンデモ本が多いのだ。

 そのへん、いわゆる「断捨離」本と傾向がよく似ている。
 「断捨離すれば気分がよいし、仕事や家事もしやすくなる」と、そこまでで終わっておけばよいものを、「断捨離で運気が上がる」みたいなスピリチュアル本になっているケースが目立つのだ。

 糖質制限本(の一般書)でまっとうだと思ったのは、前に当ブログでも取り上げた山田悟の『糖質制限の真実』と、溝口徹の『「疲れ」がとれないのは糖質が原因だった』くらいである(私が読んだ範囲での話。当然、ほかにもまっとうなものはあるだろう)。


 『10クローバーフィールド・レーン』を、映像配信で観た。
 本作のプロデューサー、J・J・エイブラムスが2008年にプロデュースした傑作『クローバーフィールド/HAKAISHA』の続編のようでいて、単純な続編というわけではない。「同じ世界観を共有した別作品」という立ち位置らしい。

 中盤までは「不条理サイコ・サスペンス」という趣だが、終盤に至ってSFパニック映画にグイッと舵を切る。……のだが、サスペンスとしてもSFパニックとしても、大して面白くない。
 こういう低予算映画はアイデア勝負、脚本勝負であるわけだが、アイデアにも脚本にもとくに見るべきものはないという印象。
 
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『SCOOP!』



 立川シネマシティで、『SCOOP!』を観た。→公式サイト 

 原田眞人が1985年にテレフィーチャー(テレビ用長編映画)として撮った『盗写 1/250秒 OUT OF FOCUS』を、大根仁が福山雅治を主演に据えてリメイクした作品。



 『盗写 1/250秒』は、当時、私もリアルタイムで観た。テレフィーチャーながら質の高さが話題になって、のちに劇場公開もされたんじゃなかったかな?

 たしか、福山雅治の役を原田芳雄、二階堂ふみの役を斉藤慶子、吉田羊の役を夏木マリが演じていたと思う。
 そして、福山の役よりも斎藤演ずるヒロイン・行川野火(なめかわ・のび)のほうに、むしろウェートがかかっていたはずだ。

 ストーリーの細部が思い出せないのだが、こんなに面白い話だったっけ?
 まあ、リメイクとはいえ、30年の歳月を反映して大幅にアレンジ/アップデートされているのだろうけど……。

 ともあれ、本作は大変面白かった。
 大根仁は、観客をきっちり料金分楽しませる「娯楽映画のアルチザン」として、大変な腕利きだと思う。

 福山雅治がいつになくヤサグレた男(写真週刊誌の仕事をするフリーカメラマン。てゆーかパパラッチ)を演じているのだが、なかなか堂に入っている。
 ヒロイン・二階堂ふみも、最初野暮ったいルックス・頼りない言動で登場して、ストーリーが進むにつれ「男前」に成長していくそのプロセスが、じつによい。

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パット・マルティーノ『スターブライト/ジョイアス・レイク』



 我が家の愚犬「ポッキー」(ヨークシャー・テリア♂)は、現在15歳で、ヨーキーの平均寿命をすでに超えている。

 ずっと元気だったのだが、昨年、睾丸に腫瘍ができて手術で切除。そして、今回は脾臓に腫瘍が見られたため、全摘手術を受けた。

 「老犬をそんなに手術して大丈夫なのだろうか?」と心配になったのだが、かかりつけの獣医の見立ては「脾臓摘出手術をしたほうが寿命が伸ばせる」というものだったので、アドバイスに従った。

 腫瘍が悪性かどうかは、摘出した脾臓を生検してみないとわからないとのこと。
 ネットで調べてみたら、「脾臓の腫瘍が悪性だった場合、摘出しても、余命は6ヶ月程度」とあり、暗い気持ちになる。

 とはいえ、犬の1年は人間の7年に相当するというから、もし余命が6ヶ月程度だったとしても、人間に換算すれば3年半に相当することになる。
 ともあれ、15年間家族として過ごしてきたのだから、余生をあたたかく見守ってあげたいと思う。


 パット・マルティーノの『スターブライト/ジョイアス・レイク』をヘビロ中。

 ベテラン・ジャズ・ギタリストが、1976年に発表した2枚のアルバムをカップリングした2in1セット。
 パット・マルティーノといえば、ストレート・アヘッドなジャズを演っているイメージしかなかったが、この2作は思いっきりジャズ・ロック/ハイパーテクニカル・フュージョンになっている。



 『ジョイアス・レイク』はアルバム・タイトルであると同時に、パット・マルティーノ率いるジャズ・ロック・バンドの名前でもある。

 のちにブランドXの傑作ライヴ・アルバム『ライヴストック』にも参加するケンウッド・デナードが、『ジョイアス・レイク』でドラムスを担当している。そのことが象徴するように、ブランドXに通ずる部分もある。

 あるいは、ジャコ・パストリアス在籍期のウェザー・リポートにギターを足してサックスを引いたような音でもあり、ジョン・マクラフリンのジャズ・ロック路線のソロ作(『インダストリアル・ゼン』など)に近い音でもある。
 要するに、「私の好み、どストライク」な音なのだ。めちゃめちゃカッコイイ! とくに、『ジョイアス・レイク』は捨て曲なしで素晴らしい。



 パット・マルティーノが、こんな素晴らしいジャズ・ロック・アルバムを出していたとは知らなかった。まだまだ知らない名盤がたくさんあるなァ。
 パットの1998年の作品『ストーン・ブルー』も、『ジョイアス・レイク』に参加したデルマー・ブラウン、ケンウッド・デナードと再びタッグを組んだジャズ・ロック・アルバムらしいから、ぜひ聴いてみたい。

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『ちはやふる -下の句-』



 『ちはやふる -下の句-』を映像配信で観た。
 前編に当たる『ちはやふる -上の句-』は楽しめたが、この後編は映画としてグダグダ。

 『-上の句-』には登場しなかった、「高校生最強のかるたクイーン・若宮詩暢(しのぶ)」というのが出てくる。
 「おっ、昔の少年マンガっぽいライバル対決ドラマになるのかな」と期待したのだが、そういうわけでもなく、話があちこちに飛ぶ。だから、クライマックスの千早対詩暢のかるた対決(個人戦)も盛り上がらない。

 一方、前編同様、千早・太一・新の幼なじみトリオのじれったい三角関係が、子ども時代の回想シーン込みで、ちまちまと描かれる(それもう飽きた)。しかも、彼らの恋愛模様は1ミリも進展しない。
 連続ドラマの1話ではなく、2時間足らずの映画なんだから、もっとダイナミックに話を動かさないと……。

 なんかこう、「描きたいことの的が絞れていない映画」という印象を受けた。

 何より最悪なのは、映画全体がひどく「説教臭い」こと。
 “チームの心が一つにまとまらないと、かるたは勝てないよ”みたいな陳腐でクッサイ教訓的メッセージが、あからさまにくり返されるのだ。
 そういうのは観る者におのずと「感じさせるべきこと」で、登場人物がセリフで説明しちゃったら興醒めなのである。

 昔、片岡義男が「おしなべて邦画は説明過多です。言わずもがなのセリフが多すぎるんです」と苦言を呈していたが、まったくそのとおり。説明ゼリフの濫用は、邦画の抜きがたい悪癖だと思う。

 さらに続編も作られるらしいが、私はもう観ない。この映画は『-上の句-』だけで完結したほうがよかった。

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『バクマン。』



 『バクマン。』をDVDで観た。
 大場つぐみ・小畑健による超人気マンガの実写映画化である。



 近年、マンガの実写映画化は非常に多く、ピンキリ/粗製濫造の観もあるわけだが、これはその中でも「ピン」に属する作品。
 さわやかな王道青春映画に仕上がっているし、原作との齟齬もあまり感じないし、「マンガの実写映画化のお手本」といってもよい好作だ。

 長編マンガを約2時間の映画に収めるがゆえの“駆け足感”はあるものの、それが疵にならない完成度。脚本(監督の大根仁が書いている)がよいし、細部の作り込みが素晴らしい。サカナクションが手がけた音楽もよい。

 『少年ジャンプ』の連載作から生まれた映画は枚挙にいとまがないわけだが、考えてみれば、『少年ジャンプ』のマンガ作りの現場そのものを描いた映画は、ありそうでなかった。その意味で、本作は「コロンブスの卵」だ。

 佐藤健・神木隆之介・小松菜奈という、主人公&ヒロインの3人が揃って好演。
 とくに小松菜奈は、過去のどの出演作よりチャーミングで、透明感あふれる美少女っぷりがスゴイ。

 本作の最大の美点は、作中に登場するマンガのコマ割りなどの躍動感を、映像で表現する創意工夫の素晴らしさだ。
 二次元の世界であるマンガを、実写映画でこんなふうに表現できるとは……。「映画によるマンガ表現のイノベーション」が、ここにはある。

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ハルカトミユキ『LOVELESS/ARTLESS』



 ハルカトミユキの新作『LOVELESS/ARTLESS』(ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ)をヘビロ中。
 3年前の初フル『シアノタイプ』につづくセカンド・フルアルバムである。→公式サイトのアルバム特設ページ



 『シアノタイプ』もよいアルバムだったが、今作はさらに捨て曲なしの傑作になっている。
 ファーストにはまだあったフォークっぽさや、なまじルックスがよいだけに感じられたアイドル的な甘ったるさが、本作では払拭されている。ここでのハルカトミユキは、もはや完全に本格ロックユニットである。



 ハルカトミユキのことを、ヴィジュアル・イメージから食わず嫌いしている大人のロックファンも多いだろう。だが、このアルバムはむしろ、長年ロックを聴いてきた耳の肥えたリスナーにこそオススメしたい。

 私がかねてよりその才能を高く評価している二千花(にちか)の野村陽一郎が、アルバムのプロデューサーを務めている。そのことも、本作が傑作となった大きな要因だろう。
 野村は、アルバムのクロージング・ナンバー「夜明けの月」の作曲もしている。荘厳さすら感じさせるストレートなラブソング。素晴らしい曲だ。

■関連エントリ→ 二千花『二千花』

 ナイフの切っ先を聴き手に向けてくるようなヒリヒリした感触は保ったうえで、全体にファーストよりも力強くポジティブなサウンドになっている。迷いを振り切ったような、すっきりとした自信が感じられるのだ。



 全体の構成もよく練られていて、アルバムとしての完成度も高い。
 37分というトータルプレイングタイムはいまどきのフルアルバムとしては短めだが、その中で一つの流れが緻密に構築されている。

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『あやしい彼女』



 「TVer(ティーバー)」で、『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』の第1話を観た。
 マンガ誌編集部が舞台の傑作ドラマ『重版出来!』の次は、前代未聞の「校閲もの」ドラマの登場である。

 まあまあ面白かったけど、リアリティはあまりないなー。出版業界ものとしては、『重版出来!』のほうがはるかに優れていると思う。
 あと、石原さとみの早口でキャンキャンまくしたてる演技も耳障りで、観続ける気が失せた。


 DVDで『あやしい彼女』を観た。
 大ヒットした韓国映画を、多部未華子主演でリメイクした作品。ちなみにこの映画は、中国・ベトナムでもリメイクされたという(私は元の韓国映画も、ほかのリメイクも未見)。



 「笑えて泣けるファンタジー・コメディ」という趣。……なのだが、全体に笑いのセンスも演出もベタで古臭く、私はあまり笑えなかった。

 ただ、多部未華子と小林聡美の熱演は素晴らしい。 
 多部ちゃんが歌うシーンがいくつかあり、歌もうまいし、歌いぶりもすこぶるキュートで、それだけでも観る価値はある。

 主題歌「帰り道」を歌っている「anderlust」のヴォーカル・越野アンナって、小林武史とマイリトルラバーのakkoの娘なのだね。
 父・小林と越野の共作による「帰り道」は、曲調といい歌声といい「もろマイラバ」で、さすが実の娘という感じ。



 「帰り道」は、映画の中で多部未華子も歌っており、これがanderlust版に劣らない素晴らしさ。

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鈴木良雄『フルーツ宅配便』



 鈴木良雄の『フルーツ宅配便』1巻(ビッグコミックス)を、Kindle電子書籍で購入。

 『ビッグコミックオリジナル』連載中の、地方都市のデリヘルを舞台にした連作短編シリーズ。ツイッター上で、「エロくない、泣けるデリヘル・マンガ」として話題になっていたので買ってみた。

 高名なジャズベーシストと同姓同名の作者は、昨年に「ビッグコミック&ビッグコミックオリジナル合同新作賞」(新人賞)を受賞しているから、このマンガが初連載で初単行本なのかな? そのわりには手慣れた作画と構成で、マンガ家としての個性がすでに確立されている印象だ。

 舞台となる地方都市ははっきり特定されていないが、茨城・群馬・栃木あたりのイメージ。海が出てくるから茨城か。
 デリヘル「フルーツ宅配便」の見習い店長となる主人公の「サキタ(咲田)」に、オーナーの「ミスジ」は次のように言う。

 都会のデリヘルと違って、ここらじゃ面接でかわいい子来る確率低いんだ、これが。



 この言葉どおり、毎回のサブ主人公となるデリヘル嬢たち(※)は、派手な「ザ・風俗嬢」というイメージから遠く、みんなどこかビミョーでワケアリで、地味で貧しげだ。しかし、その“くすんだ感じ”こそが、類似作にはない「味」になっている。随所でオフビートなユーモアがはじけるのも楽しい。

※店名が「フルーツ宅配便」なので、嬢の源氏名はゆず・レモン・スイカ・ブドウなどの果物名であり、その名前が各編のタイトルとなる。

 最近新書でよくある、「貧困女子の問題をフーゾクの世界からえぐってみました」的なルポに近い色合いも、ないではない。版元による「内容紹介」を見ると、そういう角度でこの作品を売りたがっているようだ。
 だが、実際に読んでみれば“社会問題を告発する”というトーンは希薄で、もっと「人情話」寄りである。

 ビッグコミック系の作品で言うと、斎藤なずなの初期作品あたりを彷彿とさせる、ウェルメイドな短編になっている回が多い。
 フーゾクの世界を、煽情的にならず淡い人間ドラマとして描き出す手際は、新人離れした鮮やかなもの。続巻を買いつづけることに決めた。

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佐々大河『ふしぎの国のバード』


 
 私は某月刊誌のCDレビュー・コーナーをもう足掛け9年も担当(執筆)しているのだが、レコード会社にサンプル音源やジャケ写を提供してもらう際、「バンドのイメージがそちらの雑誌と合わないので」などという理由で掲載を拒否されることがある。

 洋楽を取り上げる場合、そう言われることはまずない。断られるのは十中八九、日本のバンド/アーティストのケースである。レコード会社が断るというより、アーティストの所属事務所がブランディングとして露出メディアを絞っているのだろう。

 日本のアーティスト、とくにロック系の場合、5~6回に1回くらいの割合で断られる。
 最近は事前に、「あ、このバンド、事務所が媒体選定にうるさそうだな」と勘が働くようになってきた。

 私としてはそのアーティストが好きだからこそCD評で取り上げようとするわけで、掲載を拒否されると、女性をデートに誘ってフラれたような気分になる(笑)。アーティストを好きな気持ちすら薄れ、レコード会社の対応によっては「可愛さあまって憎さ百倍」になり、「こんなバンド、2度と聴かねーよ!」とすら思う。

 CD評は広告料をもらって書くわけではないし、酷評する気など毛頭なく、基本はホメるレビューである。いわば「タダで宣伝してやっている」のだ。
 にもかかわらず、「バンドのイメージに合わない」「事務所が掲載メディアをかなり厳しく選んでおりまして……」などという理由で拒否してくるのが理解できない。
 世界的に活躍する大物アーティストならまだしも、デビューしたての新人の事務所にまでそんなことを言われると、「ケッ! 何をエラソーに」と思う。

 一度など、デビューしたてのインディーズ・バンドをCDレビューで取り上げようとして、「イメージに合わないので」と断られたこともある。「ハァ? 何様?」と思いましたね。

 CDがまるで売れない時代になっているのに、いまだに媒体を選ぶような殿様商売をしているJ-ポップ/J-ロック業界の一部のアーティスト気取りは、まったく度し難い。

 ……と、壁打ちのように、誰に言うともなく憤懣をぶつけてみました。


 「ニコニコカドカワ祭り2016」が開催中で、KADOKAWAグループの電子書籍が大量に半額セールになっているので、コミックスをあれこれポチる。
 そのうちの一つが、前から気になっていた佐々大河(さっさ・たいが)の『ふしぎの国のバード』(ビームコミックス)。19世紀英国の女性旅行家イザベラ・バードの日本紀行を元にしたマンガである。

 じつに面白い。明治初頭の日本社会が鮮やかに描かれているし、ちゃんとエンタメになっている。
 これは「ヴィクトリアン・レディ・トラヴェラー」の冒険譚であり、異文化との邂逅のドラマであり、出色の明治風俗絵巻でもある。このような作品を生み出す日本のマンガ文化の豊穣さを、改めて思う。

 イザベラ・バードと、通訳兼ガイドの青年・伊藤鶴吉が、実物とはかけ離れた美男美女に描かれているが、これはマンガならではのデフォルメとして許容範囲。
 そういえば、私は未読だが、「伊藤鶴吉はイザベラ・バードに恋をしていた」という設定の中島京子の小説(『イトウの恋』)もあった。この『ふしぎの国のバード』でも、今後、旅する2人の間に恋愛感情が芽生えていくのだろうか。

 文明開化の時代を知るための資料として、高校生あたりにぜひ読ませたい良作。
 既刊はまだ2巻のみだが、続巻も買うことにする。

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南勝久『ザ・ファブル』



 〈「青海」と「青梅」、駅間違えてライブ間に合わず〉という記事を見て、身につまされた。私も駆け出しのころ、川口と川越を間違えて取材に1時間以上遅れたことがある。
 昔はメールがなくて、待ち合わせ場所も電話で聞いてメモるだけだったから、そういう失敗がありがちだったのだ。


 最近気に入って、コミックスの新刊が出るたび買っているのが、南勝久の『ザ・ファブル』(『ヤングマガジン』連載中)。「ヤンマガ」はヤンキー系マンガが多く、私には縁遠いマンガ誌だが、まれにツボにはまる連載もある。

 てゆーか、南勝久のマンガ家としてのセンスが好きなのだな。
 彼の代表作『ナニワトモアレ』は関西の「走り屋」たちの物語で、私にはビタイチ縁のない世界が描かれていたが、にもかかわらず私にも面白かったし。

 『ザ・ファブル』は、「ファブル(寓話)」という通り名で知られる天才的な殺し屋の物語。
 ……というと、『ゴルゴ13』の亜流のようなハードボイルド・アクションを思い浮かべるかもしれないが、全然違う。殺し屋がボスから「今年は仕事をしすぎた(殺しすぎた)から、1年間休め」と命じられ、大阪で一般人として暮らす物語なのだ。

 殺人技術とサバイバル技術は卓越しているが、生活常識がポッカリ欠落している殺し屋が、頑張って普通の日常に溶け込もうとする。そのときに起きるさまざまな不協和音が、笑いとスリルを生む。そう、これは他に類を見ない“殺し屋アクション・コメディ”なのである。→第1話試し読み

 前に当ブログで取り上げた新機軸のヤクザマンガ『ドンケツ』に、タイプとしては近い。

 『ザ・ファブル』はヤクザマンガというわけではないが、ヤクザもたくさん出てくる。大阪で暮らすにあたって、一般人としての生活を邪魔しないでもらうよう、街を仕切るヤクザの組に話を通してある、という設定だからだ。
 「干渉しない」という約束なのに、伝説の殺し屋であるため、ちょっかいを出してくるヤクザもいる。そこからまたドラマが生まれる。

 『ドンケツ』も『ザ・ファブル』も、ヤクザ社会・裏社会のディテール描写は非常にリアルだが、キャラやストーリー展開にマンガ的な飛躍があり、その飛躍が笑いを誘う。そこが共通項である。

 いまどきの目の肥えたマンガ読者は、細部にリアリティがなければ受け付けない。さりとて、ただリアルであればよいというものではない。マンガには、マンガならではの飛躍――ぶっ飛んだ設定や展開、突出したキャラなど――が絶対不可欠なのだ。『ドンケツ』と『ザ・ファブル』は、細部のリアリティと良質な「マンガ的飛躍」を兼備しており、だからこそ傑作たり得ている。

 とくに『ザ・ファブル』は、これほど先の展開が読めないマンガも珍しく、一度ハマったら読むのをやめられない面白さがある。
 「1年間限定の一般人生活」という縛りがあるから大長編にはならないだろうが、最後までこのクオリティを保ってほしい。

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『〆切本』



 左右社編集部編『〆切本』(左右社/2484円)読了。

 明治時代から近年までの、小説家・評論家など広義の「物書き」による、〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記などを集めたアンソロジー。
 文章だけでなく一部はマンガもあり、藤子不二雄Aの『まんが道』や、長谷川町子の自伝エッセイマンガ『サザエさんうちあけ話』などの〆切エピソードが抜粋で収められている。

 ありそうでなかった本だし、企画としてもよい。種々雑多な〆切話を集めてくるだけでも大変だったろうから、編者の労を多としたい。装幀も凝っていて、ブックデザインとしても秀逸だ。

 だが、2400円もの値段に見合った価値があるかといえば、やや疑問。
 「これを〆切話に数えるのは無理やりすぎだろ」という文章がけっこうあって、それらは数合わせのために入れたとしか思えない。玉石混交度が高いのだ。
 収録する文章をもっと厳選し、ページ数も減らして価格を下げればよかったのに……。

 〆切をめぐる攻防は、物書きの舞台裏を語るにあたって最も面白いものの1つ。出版業界人の酒席で話が盛り上がる鉄板ネタでもあり、ここに収められていない面白い話がもっとたくさんあるように思う。

 たとえば、マンガ家の中でも遅筆で知られる江口寿史や平田弘史をめぐる話が、1つもない。文章系でも、小田嶋隆が自虐的に自分の遅筆ぶりを綴った初期のコラムがなかったりとか、わりと“抜け落ち感”がある(本人たちが収録を拒否したのかもしれないが)。

 ……と、ケチをつけてしまったが、玉石中の「玉」にあたる文章は大変面白い。
 たとえば、山口瞳が向田邦子の遅筆ぶりに触れたエッセイの、次のような一節。

「今月は大変なんです」
 と、編集者が言う。
「井上ひさしがあるの?」
「違います。向田邦子があるんです」
「そりゃ大変だ」
 これは、売れっ子になってからの会話ではない。最初から、そうだった。これで作品がツマラナかったら一発でお払い箱になったろう。私はハラハラしながら見守っていた。



 いちばんスゴイと思ったのは、高橋源一郎がエッセイの中で紹介している次のような話。

 有名な某作家は、本当に切羽詰まった状態になり、編集者から矢のように催促の電話がかかってきてそのたびに「あと二時間待って」といい続けたそうである。うんざりした編集者が、どうせ二時間待っても書いてないに決まってるからと気をきかせて四時間待って電話をかけたら、その作家氏は「せっかく原稿を書いたのに、二時間たっても電話がかかってこなかったから、頭にきて破いちゃったよ。お前のせいだ」と文句をつけたそうだ。もう完全にやぶれかぶれである。



 ううむ……。
 まあ、これは極端な例としても、昔の小説家には総じて社会的な力があったから、〆切を破っても許されたのだろう。

 私が知人の編集者から昔聞いた話を、1つ紹介する。
 〆切日に「先生、原稿はいかがでしょうか?」と電話をしたところ、とある高名な作家はこうのたまったそうである。
「キミねえ、物書きってのは〆切が来てから書き始めるものなんだから、〆切日に原稿が上がっているわけがないだろう」

 本書には〆切を破らない稀有な作家たち(吉村昭、村上春樹、北杜夫、三島由紀夫など)の話も載っているが、「〆切を守る作家」が神のごとき存在として目立ってしまうのだから、オソロシイ世界だ。
 もっとも、本が売れないいまは、〆切を平気で破る作家はほとんどいなくなったらしい。そんな作家はすぐさま干される時代だからである。

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アマルティア・セン『インドから考える』



 昨日は取材で京都へ(日帰り)――。
 「せっかく京都に行くのだから、少しは観光っぽいこともしなければもったいない」という“ケチのスピリット”を発揮し、朝6時に家を出て取材前に少し観光。
 京都国立近代美術館と京都市美術館を観て、ついでに平安神宮にも入ってみた(3つはそれぞれ隣接している)。

 京都国立近代美術館では「メアリー・カサット展 」をやっていて、けっこうよかった。母と子の絵を描きつづけた、19世紀後半から20世紀前半の印象派画家(アメリカ出身だが、活躍したのはフランス)である。

 私は美術には門外漢だが、それでも最近、取材の合間などに時間が空くと、なるべく美術館に入ってみるようにしている。わからないなりに、よい美術を鑑賞すると心洗われる思いがするのだ。


 行き帰りの新幹線で、アマルティア・セン著、山形浩生訳『インドから考える――子どもたちが微笑む世界へ』(NTT出版/2592円)を読了。書評用読書。

 アマルティア・センは言わずと知れた世界的経済学者だが、これは彼には珍しいエッセイ集だ。センの著作の中では異彩を放っていた『議論好きなインド人』と、同傾向の本。
 エッセイといっても、日々のよしなしごとを筆の赴くままに綴るようなものではなく、政治・経済・歴史・教育などをテーマとしたお堅い内容。それでも、センの論文系著作の難解さに比べたら、はるかに読みやすい。

 女神との問答形式で現代インドの問題点を綴った「一日一願を一週間」というエッセイなど、読者の笑いを誘うギャグが盛り込まれていて(あまり笑えなかったが)、センの意外にお茶目な一面を垣間見られる。

 邦題が『インドから考える』となっているように、インド社会が抱えるさまざまな病根をえぐるエッセイが多いのだが、日本人でもセンの思想に興味がある人なら面白く読めるだろう。

 インドの詩聖タゴールについて綴った「タゴールのもたらすちがいとは何か?」に、最も強い印象を受けた。
 センは、少年時代にタゴールが創立した学校で学んだ。「永遠に生きる人」を意味する「アマルティア」という名も、タゴールが名付け親だという。そのように深い縁をもつセンならではの、出色のタゴール論である。

 また、「人間の安全保障」や「開発なき成長」といった、センの思想の重要概念についてわかりやすく説いたエッセイもあり、「アマルティア・セン入門」としても格好の一冊だ。

 センの邦訳著作のうち、最初に読むべきは講演集ゆえに平明な『人間の安全保障』と『貧困の克服』(いずれも集英社新書)だろうが、これはその次に手を伸ばすべき本と言えそうだ。

■関連エントリ
アマルティア・セン『議論好きなインド人』
アマルティア・セン『人間の安全保障』
『安全保障の今日的課題』

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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