斉木香津『火星の宝石湾』



 斉木香津著『火星の宝石湾』を読んだ。AmazonのKindleUnlimitedに入っていて、無料で読めたので。

 多数の作品を持つ推理作家である著者が、デビュー前に書いたという中編小説。そのわりには文章もこなれていて、読みやすい(加筆修正もしたらしいが)。
 SFのようなタイトルだが、現代日本を舞台にした、青春小説といってよい作品である。

 ラストに、推理作家らしいどんでん返しが仕掛けられている。ただ、私はそのどんでん返しに疑問を感じた。
 疑問を述べるために、以下、あえてネタバレする。




 この作品は、主人公アミが自分の高校時代を回想する形式で書かれている。倉庫で働くアミの現在の年齢は記されないまま進むが、読んでいる印象では20代くらいのイメージである。

 ところが、ラストに至って、現在(2016年)のアミがじつは65歳である、ということが明かされるのだ。
 それが作者の仕掛けた「どんでん返し」なのだが、驚いて最初のページから読み返すと、この設定は明らかに不自然である。高校時代のアミの生活の中に、ファストフード店や自販機の缶ジュースなどが出てくるからだ。

 「学校を辞めた次の年」に大阪の万博(1970年)が開催されたという記述があるから、アミの高校時代はまだ1960年代ということになる。そのころの日本には、ファストフード店も缶ジュースの自販機もなかったか、あっても一般的ではなかったはず。

 さすがにケータイやパソコンまでは出てこないが、それでも、アミの高校時代はおよそ60年代らしからぬ描かれ方をしている。
 アンフェアなミスリーディングとまでは言わないが、設定の詰めが甘い。だからこそ、これまで世に出なかった作品なのだろうが……。

 アミやその親友となるサキの人物造形などは、よくできている。ある事件を経て、2人が別々の道を歩み始めるあたりの展開も面白い。
 ヘタにミステリー仕立てにせず、素直にフツーの青春小説として書いていれば、少女同士の友情とその終焉を切なく描いた佳編になったのではないか。高樹のぶ子の名作『光抱く友よ』のように。

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『バットマン vs スーパーマン  ジャスティスの誕生』



 『バットマン vs スーパーマン  ジャスティスの誕生』を、映像配信で観た。

 笑えるバカ映画だとばかり思って手を伸ばしたのに、意外にもめっちゃシリアス。てゆーか、どんよりと暗い。カタルシス皆無。
 暗いのは別にかまわないが(『ダークナイト』とか大好きだし)、内容が空疎きわまりないし、ストーリーにもわからない点が多い。

 バットマンとスーパーマンを対決させる、などという設定を選んだ時点で、パロディ的なお笑い映画にしかなりようがないと思うのだが、映画の中ではみんな「正義がどうのこうの」と大真面目に語っていて、なんだかバカみたいである。

「元になっているアメコミの世界観を理解していないと、この映画の面白さは理解できない」
「前作に当たる『マン・オブ・スティール』を観ていないと、この映画は理解できない」
「152分の劇場公開版ではストーリーの省略が多く、183分のアルティメット版を観ないと理解できない」
 ……などという意見を目にした。

 どれもそのとおりなのかもしれない。が、私はそこまでしてこの映画を理解したいとは思えなかった。152分でも十分長過ぎるし……。

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斎藤友佳理『ユカリューシャ』



 昨日は、午前中に国立の一橋大学で守島基博教授を取材。

 で、隣町なので一度家に帰り、夕方に目黒の「東京バレエ団」本部にて、バレリーナの斎藤友佳理さんを取材。
 まったく分野の異なる取材のダブルヘッダーなので、頭を切り替えなければならず、一度帰れたのはちょうどよかった。

 斎藤さんの自伝『ユカリューシャ――不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ』(文春文庫)を読んで臨む。
 これはとてもよい本。とくに、左ひざ靭帯断裂の大ケガを負って再起不能と言われながら、そこから奇跡的な復活を遂げるプロセスが感動的だ。

 印象に残った一節を引く。
 

 バレエダンサーにとっての身体は、音楽家にとっての楽器のようなものである。楽器の調子が悪かったからいい演奏ができなかった、という言い訳は通用しない。体型、体力、体調を常に良い状態にキープしておくのは、ダンサーの務めだ。



「踊れなくなって初めて、バレエが自分にとってどれほど大切なものだったかがわかる」
 と、コーリャが言ったのは、現役を引退した後だった。本当の大切さがわかったときには、もう踊れないという残酷。
 まだ踊れる可能性を残しているあいだにそれに気づくことができた私は、幸運だったとしか言いようがない。



 バレエという芸術が、観る人を一瞬にして夢の世界に引きずり込む力を持っているとしたら、それは、ダンサーが最高に輝ける時期があまりに短いからこそではないだろうか。



 斎藤さんは、鈴を鳴らすような声でソフトに話される方だった。しかし、そのやわらかい外面の奥に、運命に屈しない強靭さが秘められているのだ。
 
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ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの』



 ケヴィン・ケリー著、服部桂訳『〈インターネット〉の次に来るもの――未来を決める12の法則』(NHK出版/2160円)読了。書評用読書。

 米『WIRED』誌初代編集長の著者が、インターネットの黎明期から現在までを最前線で見つめてきた経験をふまえ、向こう30年間のネットにまつわるメガトレンドを読み解いた書。

 SNSとかIoTとか、ネットをめぐる一つのテーマを深掘りした本はたくさんあるが、本書のように、“ネットをめぐるすべて”を視野に入れたうえで書かれた大局的な未来予測の書は、意外にありそうでないものだ。

 その意味で本書は、たんなるネット関連書というより、トフラーの『第三の波』や『パワーシフト』、あるいはエリック・シュミット&ジャレッド・コーエンの『第五の権力――Googleには見えている未来』などと比較されるべき、社会の大画期を捉えた一種の文明論と言える。

 未来予測の書は、悲観と楽観のどちらに偏るかによって、色合いが大きく変わる。本書は、著者自身も言うとおり、悲観的な側面にはあえて触れない内容になっており、思いっきり楽観寄りだ。ネットと周辺テクノロジーが空気のように社会に遍在する未来が、“ほぼバラ色”に描かれているのだ。ゆえに、一読後「私たちはいい時代に生まれたなァ」と感じさせる。

 そう感じさせる記述の例を挙げる。

 人間の表現行為に対する読者や観客やリスナーや参加者になるという点で、いまほど良い時代はなかった。(中略)いまや本当に簡単に、手首をちょっとひねる程度の動作で誰もが「万物のライブラリー」を手元に呼び出すことができる。
(中略)
 いまなら簡単な映像を作るのは、10年前と比べて10倍簡単になっている。100年前と比べたら、小さな機械部品で何かを作ることは100倍は簡単だ。1000年前と比べて、本を書いて出版することは、1000倍簡単になっている。



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中村うさぎ『あとは死ぬだけ』



 中村うさぎ著『あとは死ぬだけ』(太田出版/1512円)読了。

 『私という病』『愛という病』など、一連の自己分析エッセイの流れを汲む著作にして、その到達点ともいうべき一冊。
 死の淵を覗く大病を経験し、片脚が麻痺して仕事も激減したという中村うさぎが、「読者に宛てた私の思考と言葉の形見分け」(「終りに」)として書いた渾身のエッセイ集だ。

■関連エントリ
中村うさぎ『私という病』
中村うさぎ『愛という病』

 著者は生い立ちから現在までの人生を順に振り返り、練達の外科医のメスさばきのごとき自己分析で、自らの心奥をザクザクと「腑分け」していく。

 熟女デリヘルで働いた経験を振り返った章が『私という病』の焼き直しであるなど、過去のエッセイ集と内容がかぶる部分もある。が、中村うさぎの集大成の書である以上、ある程度の重複はやむを得まい。

 エッセイとしては前作に当たる『他者という病』は、闘病とテレビ番組降板騒動の直後に書かれたものであり、パニクった感じが痛々しかった。どんな体験も笑いに昇華してみせる、いつもの中村うさぎではなかったのだ。

 それに対して本書は、やっと持ち前の客観性(=中村の言葉で言う「自分ツッコミ」)を取り戻し、闘病体験も番組降板も冷静に振り返っている。
 本の性質上、笑いの要素は希薄だが、哲学的といってもよい自己分析の鋭さと深みは、この人ならではだ。

 印象に残った一節を引く。

 あなたの過剰さ、あなたの欠落は、あなた独自の「歪み」を生む。私の読者は己の歪みに苦しむ人々だ。だが、その歪みは矯正されない。矯正する必要もない。歪みはあなた自身だ。歪んで生きろ! それが私からのメッセージである。
 ただし、その歪みと手を取り合って生きるには、自らの歪みを自覚し、それを嗤う強さを持たねばならない。でないと、ただただ苦しいだけだ。そして、己の歪みを嗤うために必要なのが、これまでくどくどしく述べてきた「自虐スキル」であり「ツッコミ小人」なのである。
 自分ツッコミのない人間は不幸だ。いや、ある意味、自分の歪みに無自覚であるという点では幸せかもしれないが、それでも私はそれを不幸と感じる。



 平気で嘘をつける人にはわからないと思うが、私は「自分を偽る」ことにものすごい罪悪感があるのだ。売春に対する罪悪感など、それに比べれば屁のようなものだ。
(中略)
 世間と自分の価値観がズレていると感じるのは、こういう時だ。世間の人々は平然と嘘をついたり隠し事をしたりするのに、売春やセックスワークを根拠もなく罪悪視する。だが私にとっては、自分の身体を売ることなんて罪悪でもなんでもなく、むしろ嘘をついたり人を欺いたりすることのほうが大きな「罪」なのだ。だから私は、セックスワーカーよりもキャバ嬢のような色恋ワーカーのほうが苦手である。彼女たちの仕事は「嘘をつくこと」だからだ。色恋は嘘だから、最終的に相手を傷つける。だがセックスだけを売っている限りは、相手を傷つけることもない。どちらが「罪悪」なのかは、きわめて明白な気がする。犠牲者や被害者を生む行為こそが「罪悪」なのではないか。



 無駄だらけの人生だったが、それなりに私には意味のある人生だった。私の思考や言葉が誰にも何も伝えず、跡形もなく消え去るものであったとしても、少なくとも私にとっては意味があったのだ。そして、本人にとって意味のある人生だったなら、それで充分なのではないか?



 とくに、最後の「本人にとって意味のある人生だったなら、それで充分なのではないか?」は、さりげない言葉のようでいて、なかなか深いと思う。この言葉だけで、さまざまな悩みや悔いが瞬時に雲散霧消するような凄みがある。

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中川淳一郎『仕事に能力は関係ない。』



 中川淳一郎著『仕事に能力は関係ない。――27歳無職からの大逆転仕事術』(KADOKAWA/1350円)読了。

 タイトルだけ見ると、よくあるビジネス書のようだ(極端なタイトルをアイキャッチにしているあたりも)。
 が、実際にはビジネス書ではない。ネットに強いライター・編集者として知られる著者が、27歳で博報堂を辞めて無職となり、ライターを始めた駆け出し時代の思い出を綴ったエッセイなのだ。

 ゆえに、しいて分類すれば「ライター入門」ということになるが、個人的な思い出がメインだから、普遍的なライター入門としてはあまり役に立たない。

 では、エッセイとして面白いかといえば、それもビミョー。私は中川淳一郎の本をわりとたくさん読んでいるが、その中でもかなり内容の薄い部類だ。

 そもそも、「27歳無職からの大逆転仕事術」といったって、博報堂出身というキャリアは駆け出しライターとしては相当なアドバンテージであって、「大逆転」でもなんでもないと思う。

 ただ、駆け出し時代の著者が出合ったトラブルの数々を綴った部分は、かなり面白い。

 時節柄とくに目を引いたのは、『テレビブロス』誌で「SMAP解散シミュレーション」(2001年に稲垣吾郎が道交法違反で逮捕されたときの企画)という特集記事を作っていたら、会社上層部の横ヤリで企画自体がつぶされたという話。
 ジャニーズ事務所から圧力があったわけではなく、版元の自主規制でやめたというあたり、「いかにも」である。

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松林薫『新聞の正しい読み方』



 昨日は、企業取材でさいたま市へ――。
 行き帰りの電車で、松林薫著『新聞の正しい読み方――情報のプロはこう読んでいる!』(NTT出版/1728円)を読了。

 タイトルといい表紙といい、何とも地味な本で、見た目はパッとしない。が、中身は一級品であった。
 過去の類書と比べても遜色ないし、「新聞はネットで読むだけ」が当たり前になった時代向けにアップデートされた本としてはイチオシの内容だ。

 一人暮らしの若者で新聞をとっている(定期購読している)人はもうほとんどいないと思うし、一昔前ならフツーに共有されていた新聞リテラシーが身についていない人は多いだろう。
 本書は、主にそういう層をターゲットに、新聞の読み方をわかりやすく説いた内容である。

 著者は元『日経』記者。といっても、早期退職した人でまだ40代前半なので、“ネット時代の新聞の読まれ方”が肌感覚でわかっている。だからこそ、功成り名遂げた高齢の元記者が書くことが多かった過去の類書と比べ、ずっと「イマ風」な本になっている。

 新聞の作られ方・読み方の「キホンのキ」から説き起こされているが、中盤以降はだんだん上級者向けになり、長年新聞を読んできた者にとっても有益な内容だ。“新聞の読み方を素材としたメディア・リテラシー講座”という趣もあるし、ジャーナリズム論として読んでも示唆に富んでいる。

 私が「へーえ」と思った箇所を引用する。

 注意して記事を読むと、ニュースで「強く打って」という表現が出てくるときは、その人は「死亡」するか「(意識不明の)重体」になっているはずです。これは、「強く打つ」が、身体に回復し難いほどの衝撃を受けた場合に使われる表現だからです。「頭を強く打って全治二週間のけが」というケースはまずありません。
 これは、「頭蓋骨が陥没」「原形をとどめない」などと書くと読者を不快にしたり、遺族を傷つけたりする恐れがあるからです。



 みなさんは記事を読んでいて「警察は慎重に調べる方針だ」など「慎重に」という表現を見たことがあるかもしれません。考えてみると慎重に捜査をするのは当然なのですが、わざわざ記事がこう書いているときは、「当局は逮捕(起訴)できない可能性がかなりあると考えている」ことを示唆しています。言い換えると、裁判で有罪にできるだけの証拠が揃っていないか、法律の解釈上、罪に問いにくいケースだとみているのです。



 このような、新聞をより深く、「正しく」読むための知識を満載した良書。

 なお、本書のベースになったWEB連載がここでまだ読める。ただし、本はこの連載に大幅加筆されている。

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平岡陽明『ライオンズ、1958。』



 昨日は、都内某所で作家の平岡陽明(ようめい)さんを取材。
 初長編にして初の単行本である『ライオンズ、1958。』(角川春樹事務所/1728円)の著者インタビュー。

 『ライオンズ、1958。』は、西鉄ライオンズが奇跡の日本シリーズ三連覇を成し遂げた時代の博多を舞台に、ヤクザと新聞記者(ライオンズ番記者)の奇妙な友情を描いた作品。「ブロマンス(ブラザー・ロマンス=男同士の親密な友情)」ものとも言えるし、“ハードボイルド人情ドラマ”という趣でもある。

 物語の設定としては、重松清が広島カープ初優勝の年を描いた『赤ヘル1975』に近い。が、作品の雰囲気としてはむしろ浅田次郎を思わせる。
 
 当時の国民的スター・大下弘が、ベーブ・ルースのごときヒーローとして描かれ、主人公2人をつなぐ架け橋となる。

 野球小説というわけではなく、プロ野球はストーリーの道具立ての一つなのだが、それでも、クライマックスの日本シリーズ(「神様、仏様、稲尾様」の見出しで知られる伝説的シリーズ)の描写などは素晴らしい。スポーツ小説屈指の名作『監督』(海老沢泰久)を彷彿とさせる。
 プロ野球がいちばん輝いていた時代の熱気が、ヴィヴィッドに捉えられた小説である。

 情景・風景描写はぎりぎりまで削ぎ落とされ、印象的なエピソードの連打でテンポよくストーリーが進んでいく。方言を巧みに使った会話も心地よい。
 小説のおいしさが、隅々まで濃密に詰まった傑作。「本屋大賞」とかを獲っても不思議はないと思う。

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『エージェント・ウルトラ』



 『エージェント・ウルトラ』(原題は“American Ultra”)を、DVDで観た。



 田舎町のコンビニでバイトをする冴えない兄ちゃんが、じつはCIAが極秘に作り出した「殺人マシーン」だった、という話。
 1人のCIA幹部の暴走により抹殺されかけた彼を、別の幹部が合言葉で「覚醒」させる。封印されていた殺人能力が解き放たれ、次々と送り込まれる刺客を返り討ちにしていく……。

 予告編を観て、「ジェイソン・ボーン・シリーズのパロディ」という趣のおバカなスパイ・コメディを期待したのだが、意外にシリアスな内容だった。笑いの要素は皆無ではないものの、スパイス程度。この骨子で、もっとコメディ寄りだったらよかったのになァ。

 ただ、おもな戦闘シーンの舞台がコンビニやスーパーマーケットである点は、斬新で面白い。
 襲いかかる敵を、主人公マイク(『ソーシャル・ネットワーク』のジェシー・アイゼンバーグ)はフライパン、包丁、チリトリ、金ヅチ、スプーンなど、手近なものをなんでも武器にしてなぎ倒していくのだ。


↑この映画の独創的な戦闘シーンを集めたコンピレーション映像。

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『闇金ウシジマくん』「フーゾクくん編」再読



 『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平)は、シリーズ各編によって当たり外れの振幅が大きい。「スーパータクシーくん」編なんかひどいものだったし、「洗脳くん」編も、現実の「北九州監禁殺人事件」をただなぞっただけのようで、いただけなかった。

 だが、連載で現在佳境を迎えている「逃亡者くん」編は、私にとっては「当たり」だ。
 前作「ヤクザくん」編でついにウシジマを裏切り、加納を死に至らしめたマサルを、ウシジマが逃亡先の沖縄で追いつめるストーリーである。

 この「逃亡者くん」編には、連載初期の「フーゾクくん」編で彼氏の借金のカタとして沖縄に売られていった風俗嬢・杏奈が、重要キャラとして再登場する。それを読んで、「『フーゾクくん』編ってどんな話だっけ?」と再読したくなった。

 「フーゾクくん」編はコミックスでは5~7巻の3巻に及ぶのだが、ちょうどいいことに一冊にまとめたムック(「My First Big」)が出ていた。これを中古で安くゲット。

 改めて読んでみて、『闇金ウシジマくん』全編の中でも屈指の好編だと思った。

 タイプの異なる3人の風俗嬢――杏奈・瑞樹・モコ――が、それぞれウシジマと関わりを持ち、三者三様の地獄を味わう。3人の物語は絶妙のさじ加減で混じり合い、異なる角度から性風俗の世界に光が当てられる。
 救いのないストーリーながらも、暗闇に一条の光が射し込むラストになっているところが、また心憎い。
 
 『闇金ウシジマくん』の一編であることを脇に置き、たんに「フーゾクの世界を描いたマンガ」として考えても、これをしのぐ作品はいまのところ見当たらない。

 

「私が沖縄でどんだけの地獄だったか想像できる?」



 ――「逃亡者くん」編で、杏奈は再会したマサルにそう言う。
 「フーゾクくん」編を再読することで、「逃亡者くん」編がいっそう味わい深くなった。

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『シン・ゴジラ』



 仕事がやっと一区切りついたので、立川シネマシティの「極上爆音上映」にて『シン・ゴジラ』を観た。

 おもに聴覚障害者を想定した「日本語字幕付き上映」の回を、あえてチョイス。「早口のセリフが多くて、聞き取りにくい」と聞いていたので。
 たしかに全体に早口、しかも自衛隊用語などのジャーゴンがバンバン出てきて、セリフの中の情報量がすごいので、字幕付きでなければ意味のわからない言葉がたくさんあっただろう。



 微塵も子供向けではない、骨太な政治/軍事ドラマであった。ゴジラという存在だけがアンリアルで、それ以外は徹頭徹尾リアルな、「2010年代日本」の物語だ。

 『シン・ゴジラ』を初代『ゴジラ』(1954年)と比較して論じていた人が多かったので、これまで観たことがなかった初代『ゴジラ』も、前準備として映像配信で観ておいた。
 なるほど、初代『ゴジラ』もまったく子供向けではなく、1950年代半ばの日本の現実を忠実に反映した映画であり、その点で『シン・ゴジラ』と比較されてしかるべきなのだな。

 凡庸な監督が作っていたら、この『シン・ゴジラ』に主要キャラの恋愛要素とか、湿っぽい親子の情愛描写とかをからめていただろう。また、ゴジラに都民が殺される描写(たくさんある)の中に、母親を殺された子供が「おかあさ~ん!」と泣き叫ぶカットとかを入れてきたと思う。
 だが、本作にそういうベタな描写は一切なし。官僚・政治家・自衛隊員・学者etc.の生々しいやりとりで物語が駆動されていく、ドライでハードな映画なのだ。

 それでいて、怪獣映画としての迫力も申し分ない。自衛隊の総力を尽くしたゴジラ攻撃シーンの、圧倒的重量感! 東京が焼け野原と化す終盤の、すさまじい破壊描写!
 また、前半にはニヤリとさせる大人のユーモアがちりばめられており、けっこう笑える。
 
 評判どおりの傑作だった。欠点が見当たらない。
 映画館で観ることをオススメする。できれば、ぜひ立川シネマシティの「極爆」で……。立川は物語後半の重要な舞台となるから、一種特別な感慨が味わえると思う。

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『デンジャラス・バディ』



 先日観た『SPY/スパイ』で、主演のコメディエンヌ、メリッサ・マッカーシーがすっかり気に入ってしまい、彼女が出ている旧作2本のDVDを借りてきた。『デンジャラス・バディ』と、『ブライズメイズ  史上最悪のウェディングプラン』である。

 2作のうち、『デンジャラス・バディ』はなかなか面白かった。
 サンドラ・ブロック演ずるエリートFBI捜査官と、メリッサ・マッカーシー演ずる下町の不良刑事が、ひょんなことからコンビで捜査に取り組む「バディ・ムービー(相棒映画)」である。

 サンドラ・ブロックのヒット作『デンジャラス・ビューティー』の流れを汲むアクション・コメディ。ゆえに、邦題が『デンジャラス・バディ』なのだろう。

 サンドラ姐さんの軽快なテンポの演技もよいのだが、それ以上にメリッサの存在感が強烈だ。四文字言葉を乱発して啖呵を切る場面(たくさんある)の、なんと痛快なこと。シリーズ化してほしい佳作である。

 だが、もう一本の『ブライズメイズ  史上最悪のウェディングプラン』は、とてつもなくつまらない映画だった。

 つまらないうえに、不快な場面(主要キャラ全員が食中毒になる場面の、必要以上にリアルなゲロゲリ描写とか)、イライラさせる場面(ヒロインが飛行機で泥酔し、乗務員にネチネチからむ場面など、見ていてウンザリ)が随所にある。耐えられず、途中で観るのをやめてしまったほど。こんな駄作が全米大ヒットだというのだから、解せない。

 『SPY/スパイ』『デンジャラス・バディ』『ブライズメイズ』の3本とも、監督はポール・フェイグであり、メリッサ・マッカーシー出演(『ブライズメイズ』だけ助演)という点も共通だ。
 にもかかわらず、『ブライズメイズ』だけが突出してつまらないのは不思議。まあ、脚本が悪いのだろうな。

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雁屋哲・由起賢二『野望の王国』



 金曜日は、上野の「国立西洋美術館」の馬渕明子館長を取材。テーマは、同館の世界文化遺産登録について。

 ル・コルビュジエの建築作品の特徴から始まり、美術館の役割、ひいては「文化の力」というところまで話が広がる。私は建築も美術も門外漢なので、一方的にご教示いただく形だが、とても面白い話がうかがえた。

 で、今日も明日も、それぞれ別件の取材。


 ……と、そのようにバタバタしているのだが、「Kindle Unlimited」で雁屋哲・由起賢二の『野望の王国』 全27巻が読み放題になっているので、思わず一気読みしてしまった。

 伝説の「馬鹿(バロック)マンガ」(=呉智英のネーミング)だが、私は初めて読んだ。
 竹熊健太郎・相原コージの傑作『サルでも描けるまんが教室』の主人公2人のキャラ造形は、『野望の王国』のパロディであることが知られている。私も、『サルまん』を読んで『野望の王国』を知ったクチだ。



 呉智英は、厳選の「馬鹿<バロック>漫画24冊」 というウェブページでも『野望の王国』をセレクトしており、同作について次のようにコメントしている。

 二人の青年が日本を制覇しようと覚悟するところから話がはじまるが、その方法がものすごく遠い! 普通なら政治家、官僚を目指すのが確実だと思うが、彼らはヤクザを目指した! 何人殺しても進まない日本制覇。このペースでは日本制覇するのに300年はかかるだろう。まさにバロック。



 このコメントの通り、噂に違わぬ怪作であった。
 荒唐無稽な展開の連続で、「クダラナイなあ」と思いつつ、異様な迫力に引きこまれてページを繰る手が止まらず、最後まで読まずにいられない。「面白いか、つまらないか?」と問われれば、「クダラナイけど面白い」と答えざるを得ない。名作とは言いがたいが、けっして駄作ではないのだ。

 で、「Kindle Unlimited」には青木雄二の『ナニワ金融道』も全巻入っているので、これまた全19巻一気読み(こちらは再読)してしまった。なかなか「時間食い虫」なサービスである。

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石川明人『キリスト教と戦争』



 Amazonの電子書籍読み放題サービス「Kindle Unlimited」が本日スタートしたので、さっそく登録。
 ざっと見た範囲では、ラインナップはまだ貧弱。とくに、マンガは「読み放題」というほどではない。

 とはいえ、月額980円という安さだから、本や雑誌をたくさん買う人なら、間違いなく元は取れる。
 たとえば私の場合、『サイゾー』と『ニューズウィーク日本版』と『サンデー毎日』がタダで読めるだけでも、十分ペイする。

 一度に10冊までしかダウンロードできない仕組みになっている。
 つまり、それ以上読みたい場合、10冊のうちのどれかを「利用終了」(=削除)しなければならないのだ。ゆえに、所有欲は満たされないし、何度も読み返す本はけっきょく別に買うことになるだろう。

 「なんだよ、全然 Unlimitedじゃないじゃん」と思ったのだが、これはなかなかうまい仕組みだと思う。無限にダウンロードしたままにできるのなら、それこそ誰も本など買わなくなってしまうだろうし……。

 
 昨日は都内某所で、カトリックの信徒団体「聖エジディオ共同体」のアルベルト・クァットルッチ事務総長を取材。テーマは、同団体が長年進めてこられた死刑廃止運動について。

 バチカンの関係者を取材するのは初体験。バチカンといっても信徒団体だからか、ダンディで陽気なイタリア紳士であった。

 カトリックの人を取材したからというわけではないが、行き帰りの電車で、石川明人著『キリスト教と戦争――「愛と平和」を説きつつ戦う論理』(中公新書/886円)を読了。

 映画『プライベート・ライアン』に、兵士たちがロザリオに口づけして神に祈りを捧げてから銃を撃つ場面があった。我々非キリスト教徒にとっては驚かされる場面である。
 「愛と平和」を説くキリスト教を信仰しながら、なぜ戦えるのか? なぜ銃で人が撃てるのか? その理由を、キリスト教の歴史と内在論理を紐解きながら解説していく本。

 印象に残った一節を引く。

 もし最初からすべてのキリスト教徒が「平和主義的」に振る舞っていたら、キリスト教徒は絶滅していたか、せいぜい小さいセクトであるにとどまっていたのではないかと思われる。後のキリスト教徒は、実際には、異教徒や他教徒を迫害し、戦争や植民地支配を行って勢力を拡大し、安全保障にも現実的に取り組むことで、生存し、仲間を増やしてきた。今現在も、世界中いたるところに二三億人ものキリスト教徒がいるということが、少なくとも主流の教派は、決して純粋な非暴力主義でも完全な平和主義でもなかった証拠であろう。キリスト教は真理であるから世界に広まったのだ、などと思い込んでいるとしたら、それはナイーブというよりむしろ傲慢である。



 二一世紀現在でも、絶対平和主義と正戦論との間ではさまざまな議論がなされている。キリスト教信仰に基づいた絶対平和主義者の声も、決して小さいわけではない。しかし、キリスト教主流派の歴史においては、やはり条件付きで戦争を肯定するのが基本的なスタイルとして引き継がれてきたのである。そうした思想は、五世紀にはすでに明らかな形で現れ、一三世紀以降はある種の権威・伝統さえ有するようになって現在にいたっているというのが、端的な事実なのである。



 私にとっては目からウロコが落ちまくる内容だった。キリスト教に対する認識が変わる良書。
 仏教の視点から「宗教と平和」の問題を考察した松岡幹夫氏の『平和をつくる宗教』(これは名著)と、併読するとよいと思う。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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