高田かや『カルト村で生まれました。』



 高田かやの『カルト村で生まれました。』(文藝春秋/1080円)を読んだ。

 「ヤマギシ会」(という実名は本には一切出てこないが)の村で生まれ育ち、19歳で村を離れた著者(執筆時35歳)が、子ども時代を振り返って描いたコミックエッセイ。

 ヤマギシ会を離れた人が村での暮らしを振り返った手記は過去にもあったし、同会に取材したノンフィクションも多いが、マンガの形で描かれたのはこれが初めてだろう。

 類書の多くは“ヤマギシ会の実態を告発する”という角度で書かれていたが、本書はまったく告発調ではない。シンプルでやわらかい絵柄の印象もあって、「ほのぼの」という形容詞をつけてもよいタッチで描かれている。“たまたまカルト村で生まれ育った女性が、特異な子ども時代を振り返ったフツーのコミックエッセイ”として読めるのだ。
 その点で、「エホバの証人」元信者の淡々とした自伝『ドアの向こうのカルト』に、スタンスが近い。

 もっとも、ほのぼのタッチながらも内容は強烈で、集団児童虐待としか言いようがないエピソードが頻出する。たとえば――。

・村の食事は1日2食(昼・夜)。そのうえ、「世話係」(子どもたちの世話をする大人。親とは離れて暮らす)に叱られて「食事抜き」の罰を受けることも多かった子ども時代の著者は、日常的にお腹をすかせていた
・子どもたちも大人たちにまじって、農作業などの仕事をさせられた
・テレビの視聴は厳しく制限され、「まんが日本昔ばなし」しか観せてもらえなかった
・お小遣いは一切与えられず、通学路にあるジュースの自販機は「眺めて我慢するもの」だった、など……

 もっとも、その後ヤマギシ会でも、社会からの糾弾などをふまえて規則がゆるくなっているそうで、著者は「私にとっての村の話は昔話だから今どうかは全くわからないよ」と書いている。

 本書に描かれているエピソードは、一般の小学生期に相当する「初等部」時代の思い出が中心。
 著者へのインタビュー記事によれば続編も予定されているそうだから、村を出るまでのくわしい経緯などをぜひ描いてほしいところだ。

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朝井麻由美『「ぼっち」の歩き方』



 昨日は、都内某所で打ち合わせが一件。
 で、今日からのゴールデンウィークも絶賛仕事中。なんとか最後の2日間くらいは休めるかな。てゆーか、フリーランスには連休なんて関係ないのである。

 
 朝井麻由美著『「ぼっち」の歩き方――魅惑のデートスポット編』(PHP/1296円)読了。

 「この本は、ひとりで行動することを愛しすぎている人間が、『普通、ひとりで行かないような場所でもどれだけ楽しめるか』を検証していくのがテーマである」と、「はじめに」にある。

 著者がひとりバーベキュー、ひとり花火大会、ひとりボウリング、ひとり流しそうめん、ひとりスイカ割り、ひとり豆まきなどを行い、その様子をセルフタイマーと三脚を使って撮影し、一本のコラムにしていくという趣向である(→本書のベースになったネット連載)。

 企画がよいし、著者は文章で読者を楽しませるコツを心得ている。
 著者は、1980年代のコラムニスト・ブームを象徴する人物・泉麻人の一人娘(泉麻人の本名は朝井泉)。父親のコラムニストとしての才能を、そっくり受け継いでいるという印象を受ける。文章の心地よい脱力感とか、何を書いても育ちのよさがにじむおっとりした感じなどが、じつに泉麻人っぽいのである。

 何より、私自身が「ひとりで行動することを愛しすぎている人間」であり、1人でいることが少しも苦痛でないタイプなので(私もひとりっ子だしw)、著者の言うことにいちいち共感する。

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杉山春『家族幻想――「ひきこもり」から問う』



 杉山春著『家族幻想――「ひきこもり」から問う』(ちくま新書/864円)読了。

 この著者の本は、同じちくま新書の『ルポ 虐待――大阪二児置き去り死事件』を読んだことがある。これは優れたノンフィクションであったが、本書はとっちらかってまとまりがない印象だ。

 ひきこもりの当事者(本人・親・支援者・医師など)たちを15年も取材してきた結果がこの本では、ちょっと物足りない。版元がつけた惹句には「現代の希望を探しもとめる圧倒的なノンフィクション」とあるが、それほどのものではないと思う。

 本書の最大の欠点は、第三章「私の中のひきこもり」で自分語りを延々とやっているところ。
 著者の息子さんが長い不登校を経験しているそうで、その経緯について書くのはまあいい。
 だが、著者自身の生育歴や、祖父母の代(!)からの杉山家の物語をダラダラと書く必然性が、どこにあったのか? むろん、著者の中では必然性があるからそういう構成にしたのだろうが、私にはその必然性が見えない。

 第三章をすべてカットして、その分ほかの章をふくらませていたら、もっといい本になっただろう。

 ただ、それ以外の章も、私の心にはあまり響かなかった。
 著者は、登場する多様なひきこもり事例の背後に共通項を見出そうとしているのだが、その点に無理があると思うのだ。

 ひきこもりの背後には、「自分に課す規範から自由になれないことがある。その規範が与えられるのは、多くの場合家庭=イエである」と私は書いてきた。



 本書のそのような主張は、ひきこもりの子を持つ親たちを傷つけるのではないか。
 “親の規範・家の規範を子どもに押し付けたから、ひきこもりになったのだ”と、そう言われているように受け止めてしまうのではないか(著者の意図はそこにないにしろ)。
 
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マシュー・スウィート&スザンナ・ホフス『Completely Under the Covers』



 プリンスの訃報には驚いた。デヴィッド・ボウイの訃報に始まった2016年は、モーリス・ホワイトが逝き、キース・エマーソンが逝き……と、まったくなんという年なのであろうか。
 私もプリンスは人並みに好きだったが、下記のような熱烈な追悼文を読んでしまうと、付け加える言葉とてなく、こと改めて追悼エントリを書く気がしない。
 
プリンスがすべてだった 宇野維正による追悼文|Real Sound

プリンスのこと。|「怒るくらいなら泣いてやる」

 遺された大量の未発表曲を小出しにすれば、あと10年くらいは優に「ニュー・アルバム」を出しつづけることができるのだろう(権利関係の処理が大変だろうが)。
 「真の天才は大量生産する」という桑原武夫の言葉のとおり、まさにプリンスこそ天才であった。


 プリンスとも縁深いスザンナ・ホフス(バングルスの「マニック・マンデー」は、プリンスが彼女に惚れ込んで贈った曲)がマシュー・スウィートと作った『Under the Covers』3作のボックスセット『Completely Under the Covers』が、Amazonのプライムミュージックにアップされていた。
 買おうかどうしようか迷って「ほしい物リスト」に入れておいたものなので、さっそく聴き倒す。

 1960年代から80年代までの英米の大ヒット曲・名曲のカバー集である。→曲目などはこちらを参照

 総じて原曲に忠実なアレンジだし、とくに独創性があるわけでもない、ごく趣味的なシリーズだ。が、スザンナ・ホフスのヴォーカルが魅力的なので、すこぶる耳に心地よい。ロック界最高の美熟女スザンナは、50代のいまなお容姿も声もキュート。

 マシュー・スウィートは、私にとってはわりとどうでもいい。まあ、優秀なポップ職人ではあるのだろうし、昔の『ガールフレンド』とかはよく聴いていたけれど。
 なので、マシューがメイン・ヴォーカルになっている曲は聴き飛ばし、スザンナがメイン・ヴォーカルの曲ばかり聴いている。

 とくによいのが、原曲が男性ヴォーカルの曲をスザンナが歌ったカバー。ロッド・スチュワートの「マギー・メイ」とか、ニール・ヤングの「シナモン・ガール」とか、デレク・アンド・ドミノスの「ベルボトム・ブルース」とか。



 イエスの「I've Seen All Good People」のカバーなんて、もう最高である。



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『007 ジェームズ・ボンド全仕事』



 今日は、遅ればせながら確定申告書を税務署に提出。
 このところ毎年〆切(3月半ば)から数ヶ月遅れであったが、今年は約1か月しか遅れなかった。私にしては上出来だ(笑)。


 Amazonのプライムビデオで、「007シリーズ」が全作観放題(最新作の『スペクター』を除く)になっているので、「よし、これを機にシリーズ全作制覇しよう」と考えた(日本中で、同じことを考え、実行した人が数百人はいると思う)。

 で、ようやく残り10作というところまできた。当然、以前に観たものもあるが、それらの作品の再見も含め、作られた順番どおりに観ている。
 全作コンプリートしたら改めて感想を書きたいと思うが、今日は、その間ずっと手元に置いて読んでいる『007 ジェームズ・ボンド全仕事』(宝島社)をオススメ。

 昨年末、最新作『スペクター』公開に合わせて刊行された、シリーズ全24作(+『ネバーセイ・ネバーアゲイン』などの番外編)をまとめて紹介したガイドブックである。
 当然、ヴィジュアルもふんだんに使われているし、きちんとした“映画ファン目線”で作られていて、上出来のムック。価格も良心的だし、007シリーズが好きな人なら持っていてよい一冊だ。

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ピーター・ウォードほか『生物はなぜ誕生したのか』



 熊本・大分の地震、心よりお見舞い申し上げます。

 たまたま昨夜からふるさと納税関連の原稿を書いていて、ふるさと納税ポータルサイト最大手「ふるさとチョイス」で災害支援寄附の受け付けが始まっていることを知った。

 少額ではあるが、私もさっそく寄附をした。
 茨城県境町が受け入れ窓口になっている。被災地の各自治体はそれどころではないから、手続きを代行しているのだろう(寄附金は境町から熊本に送付される)。

 返礼品は当然ないが、来年度の確定申告で控除の対象となる。ふるさと納税をすでに経験している人なら手続きは2、3分で済むので、おすすめしたい。

 ちなみに、同じ「ふるさとチョイス」のサイト内で、熊本大地震・被災者緊急支援のクラウドファンディングも行われている。


 ピーター・ウォード、ジョゼフ・カーシュヴィンク著、梶山あゆみ訳『生物はなぜ誕生したのか――生命の起源と進化の最新科学』(河出書房新社/2376円)読了。書評用読書。

 著者の1人ピーター・ウォードには、一般向け科学書の著書が多くある。私も、そのうちの一冊――『生命と非生命のあいだ』という本を読んだ。
 本書は、ウォードが研究者仲間のカーシュヴィンクとともに書き上げた、地球における生命進化の通史である。

 この分野では過去20年来、画期的な新発見が相次ぎ、生命史が大きく書き換えられてきた。
 たとえば、ウォード自身が主要研究者と目される「宇宙生物学」は、90年代中盤まで分野自体が存在しなかったのだ。

 近年の新発見・新解釈をふんだんに盛り込んだ新たな通史である本書の登場によって、過去の類書は去年のカレンダーのように用済みになった。そう言い切ってもよいくらい、価値ある一書。

 著者たちの語り口は上品なユーモアとウイットに富み、読みやすい。そして、随所に常識をひっくり返す驚きがある。知的興奮の連打で、400ページ超の本を一気読みした。

 再読、三読に値する、第一級の科学啓蒙書である。

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「重版出来!」



 今日は、帝京大学ラグビー部監督の岩出雅之さんを取材。ラグビー部のクラブハウスにて。


 『重版出来(じゅうはんしゅったい)!』の第1話を、「TBSオンデマンド」で観た。放映後1週間無料視聴できるそうだ。

 大変面白い。脚本もよいし、キャストも豪華だし、細部まで凝った演出がなされている。
 松田奈緒子の原作より面白いかも。原作ではわりとサラッとしたエピソードだった「巨匠マンガ家・三蔵山龍の引退宣言騒動」を、よくあそこまで引き伸ばして盛り上げるものだと感心した。

 主演の黒木華が超カワイイ。薄幸顔で(このドラマでは元気いっぱいの役だが)、まったく肉感的でなく、透明感のある植物系地味顔美人。私の好み、どストライクである。

 黒木華を見ているだけで幸せな気分になるドラマ。毎回観ることに決めた。

 なお、 第1話で書店の場面に使われているのは、我が地元・立川の「オリオン書房」北口ノルテ店である。コミックスが充実している、私のお気に入り店舗(たぶん西東京最強の書店)。その点もなんとなくうれしい。

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高橋順子・佐藤秀明『恋の名前』



 高橋順子・佐藤秀明著『恋の名前』(小学館/2592円)読了。

 詩人・高橋順子と写真家・佐藤秀明のコンビによるワンテーマ歳時記――「まほろば歳時記」シリーズの第4弾。
 これまでに出た『雨の名前』『風の名前』『花の名前』は、いずれもロングセラーとなり版を重ねている。
 
 本書は、詩歌や小説などに登場する恋にまつわる言葉を集め、解説をつけた“恋の歳時記”である。
 オールカラーで、佐藤秀明による美しい写真が全編を彩る。

 合間に、古今の歌人・俳人が実人生で経験した恋を小説仕立てで描いた「恋の私がたり」(見開き2ページの短いもの)が、11編収められている。これもなかなか読ませる内容だ。高橋順子は本格的に小説を書いたらよいと思う。

 高橋さんは昨年、伴侶の小説家・車谷長吉を亡くされたばかり。本書を書き進めながら、亡夫との恋の日々を思い出さずにおれなかったことだろう。そう思うと切ない。

■関連エントリ→ 高橋順子『けったいな連れ合い』

 本書を読んで改めて思うのは、日本の「恋の文化」の豊穣さ、裾野の広さである。恋を語り、綴るための日本語の、なんと多彩で豊かなこと。

 登場する、恋をめぐる美しい言葉の例を挙げる。

「春負(はるまけ)」――恋わずらいのこと。春は恋の季節だから、ということだろう。

「解語(かいご)の花」――超絶美人のこと。並外れて美しい女性を、「人の言葉を解する花」に喩えたのである。元は、唐の玄宗皇帝が楊貴妃を指して言った言葉。

「恋の瀬踏(せぶみ)」――相手に気があるのかどうか、確かめる行為。「瀬踏」とは、川に足を踏み入れて深さを確かめること。

 本書を読んで知った、メモしておきたいような知識もいくつか挙げる。

・中国語では、配偶者・恋人のことを「愛人(アイレン)」という。

・「相対死(あいたいじに)」――元禄時代、近松門左衛門らの世話浄瑠璃の影響で男女の心中が美化され、流行したことから、将軍吉宗は「心中」に代えてこの語を用いさせ、心中した男女の埋葬を禁ずるなどの禁令を出したという。
 いまの感覚だと、「相対死」のほうが美しい言葉に思える。

・「勿忘草」(忘れな草)の名は、恋人のために水辺のこの花を摘もうとして水に落ちた若者が、「僕を忘れないで」と言って水底に消えたという悲しい伝説に由来する。英名は「フォゲット・ミー・ノット」で、和名はそれを訳したもの。

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永江一石『金がないなら頭を使え 頭がないなら手を動かせ』



 永江一石(ながえ・いっせき)著『金がないなら頭を使え 頭がないなら手を動かせ――永江一石のITマーケティング日記2013-2015 ビジネス編』(プチ・レトル)読了。

 いつも読んでいる人気ブログ「永江一石のITマーケティング日記」の、過去3年分のビジネス関連エントリをまとめた電子書籍。

 先日、kindleの日替わりセールで100円だったので購入したもの。セールが終わったあと(つまり定価)も378円なのだから、激安である。読み応え十分で、コスパが高い。

 私にとってはブログで一度読んだ文章ばかりが並んでいるわけだが、それでも、まとめて再読してみたら大変面白かった。
 各エントリに「後記」が付され、その後の状況変化や現時点からの感想が加筆されているし。

 私がいちばん感心して読んだのは、「政治にも顧客視点とマーケティングの考え方を加えるべし」の章。
 「拝啓安倍首相殿 東京オリンピックはいまなら間に合うから運営を民間委託に」という項目など、「官僚と政治家主導ではオリンピックは絶対赤字になる」との主張に激しく同意した。

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岩出雅之『負けない作法』


 
 岩出雅之著『負けない作法』(集英社/1296円)読了。

 今年1月、前人未到の全国大学選手権7連覇を成し遂げた(本書刊行時は6連覇)帝京大学ラグビー部監督が、自らの指導法を明かした一冊。来週、監督を取材予定なので、資料として。

 ラグビーの専門用語はほとんど使われていないし、著者の言う「負けない作法」も技術以前の心構えの話が主である。ゆえに、ビジネス書として読むことができる。

 つまり、著者が強いチームを作り上げるまでのプロセスを、ビジネスマンが部下たちをまとめあげて結果を出すための参考にできるのだ。
 帝京ラグビー部は部員150人と中小企業程度の規模だから、中小企業経営者が読んでも参考になるだろう。組織論・リーダー論として読むこともできる。

 体育会的な根性論が微塵も混入していない、著者の合理的な考え方に好感が持てる。

 また、“いちばん重要なのは強いチームを作ることではなく、部員たちが卒業してから幸せな人生を歩むことだ”という主旨の言葉がくり返し登場するのだが、その点にも共鳴を覚える。

 大学の4年間は、彼らの人生のごく一部でしかない。ラグビー部での鍛えがその後の長い人生にどうプラスとなっていくかのほうが、はるかに重要なのだ。
 それはあたりまえのことであるはずだが、強いチームを作ることが目的化し、負けたらすべてが終わるかのような本末転倒の考え方をしているリーダーも、大学スポーツの世界には多いのではないか。

 その中にあって、岩出監督は“教育者としてまっとう”である。そのまっとうさが、結果的に強いチームを作ることにつながっているのだろう。

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佐々木敦『ニッポンの文学』



 昨日は、取材で横浜の神奈川県民ホールへ――。
 中国雑技団の公演「輝け! パンダ・マスター」を観たうえで、出演者にインタビューする仕事である。



 雑技をドラマ仕立てにした面白い試み。パンダが中国一の料理人を目指して修行の旅をする(笑)というストーリーになっている。
 ストーリーはともかく、一つひとつの演技はすごいものであった。肉体の鍛錬の究極を観る思いがした。


 行き帰りの電車で、佐々木敦著『ニッポンの文学』(講談社現代新書/929円)を読了。

 著者が講談社現代新書で刊行してきた『ニッポンの思想』『ニッポンの音楽』の続編。著者は「三部作」と位置づけている。
 私は『ニッポンの音楽』は読んだが、『ニッポンの思想』は現時点で未読である。

 「ニッポンの」と冠されてはいるが、俎上に載るのは1970年代以降の文学であり、「日本文学史」のたぐいではない。

 著者は「あとがき」で、三部作について「私にとって紛れもない個人史の試みであった」と書いている。つまり、自身が少年時代から読んできた本、聴いてきた音楽を、改めて振り返る内容なのだ。
 私は著者と同い年だから、読書経験もかなり重なっており、共感するところが多かった。

 本書は、70年代から現在までの日本文学(といっても、SFやミステリにそれぞれ一章が割かれるなど、扱う範囲は広い)の概説書としては、大変よくできている。

 私小説についての言及が皆無に近い(西村賢太は完全に無視されている)など、著者の好みに合わせて内容が偏ってはいる。が、新書一冊分の限られた紙数で半世紀近い年月を見渡すには、これくらいざっくりしたまとめ方が最適解かな、という気もする。

 ただ、前作『ニッポンの音楽』が批評としても優れていたのに比べ、本書は批評性が薄い印象だ。「こういう小説が売れました・◯◯賞を取りました」などという、たんなる事実の羅列に終わっている部分が目立つのである。
 「やはり、佐々木敦の本領は音楽評論にある」との感を深くした。

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村田らむ『ゴミ屋敷奮闘記』



 村田らむ著『ゴミ屋敷奮闘記』(有峰書店新社/1490円)読了。

 ライター・イラストレーター・マンガ家の著者が、ゴミ屋敷専門の清掃業者「孫の手」で2年間(取材を兼ねて)働いた体験をまとめたルポ。
 著者は「らむ」という可愛らしいペンネームだが、クマっぽい容姿のおじさんである(ちなみに、「村田らむ」は回文)。

 読んでも何のためにもならない本だし、感動できるという内容でもない。しかし、読み始めると異様な迫力に引き込まれ、最後まで一気読みせずにいられない。

 ゴミ屋敷専門といっても、「孫の手」はマンション等の汚部屋を手がけることが多い(たまには一戸建てもある)。また、部屋の住人に清掃に立ち会わせることを基本としている(捨てるものと残すものの判別をさせるためであり、「掃除のやり方を覚えてほしい」という教育的意味合いでもある)。
 その2つの特徴が、本書に類書にはない独特の味わいを与えている。

 それは、「えっ? こんな人が自分の部屋をゴミ屋敷にしちゃうの?」という意外性であり、清掃に立ち会う部屋の主とのやりとりの面白さだ。
 
 清掃した部屋の写真も随所に載せられており、それらの写真だけでも一見の価値がある。
 天井まで届く勢いで部屋を占領したゴミの山、トイレがわりに小便を入れた(ゲーム廃人がゲームをしながら小便するらしい)ペットボトルの山、一人暮らしの男の部屋から発掘されたトラック一杯のエロマンガ……。いやはや、すさまじい。いわゆる「汚部屋」のイメージをはるかに超えたゴミ屋敷の事例が、次々と登場する。

 テレビのニュース番組で取り上げるゴミ屋敷の住人には心を病んでいる人が多いのだろうが(だから、笑いものにするような取り上げ方には問題があると思う)、本書に登場するゴミ部屋の主の多くはフツーの人だ。

 フツーに会社勤めをしていて、街で会ってもゴミ部屋の主だなどとはとても思えないタイプ。意外に女性も多く、びっくりするような美人もいるという。
 しかし、部屋はすごいことになっている。そういう人たちが、なんらかの事情(工事業者を部屋に入れないといけないとか)で部屋を掃除する必要に迫られる。だが、自分の力ではとてもできないため、やむなく業者に頼むのだ。

 ゴミ部屋の主の一人は、著者たちにこう言いわけをしたという。

「ゴミがある程度の高さになったらそこにカーペットを敷いて、その上にまた机とかを買い揃えて生活してたんです。三段目がゴミで埋まってしまって、もうこれ以上はさすがに生活スペースが取れなくなってしまいました」



 ううむ……。感覚のどこかがぶっこわれている。普通に会社員として生活していても、やはりある種の病理を抱えたタイプがゴミ部屋の主となるのだろう。

 ゴミ部屋の主になるきっかけには、失恋も多いという。

 失恋のショックから落ち込んで荒れた生活を続けるうちに、ゴミ屋敷に。一人では片付けられないレベルになって、そのまま放置……というパターンだ。



 また、ヤンキーっぽい人からの清掃依頼はほとんどなく、「男女問わず、どちらかといえばオタクな人のゴミ屋敷清掃依頼は多い」とか。
 ヤンキー・タイプは部屋に異性を呼ぶから、キレイにしておく必然性がある。それに対し、部屋に人を入れず、趣味の品をどんどん増やしていくオタク・タイプは、部屋を「巣」にしてしまいがちなわけだ。

 「奇書」ではあるが、人の営みの底知れぬ深淵を覗き込むような面白い本。

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吉田太一『遺品整理屋は見た!』
吉田太一『遺品整理屋は聞いた! 遺品が語る真実』
高江洲敦『事件現場清掃人が行く』

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ピーター・ティール『ゼロ・トゥ・ワン』



 ピーター・ティール(withブレイク・マスターズ)著、関美和訳『ゼロ・トゥ・ワン――君はゼロから何を生み出せるか』(NHK出版/1728円)読了。
 
 米「PayPal(ペイパル)」の創業者であり、天才起業家・投資家として知られるピーター・ティールが、母校スタンフォード大学で行った学生向けの起業講座をまとめた一冊。
 なので、絶対に起業などしない私には関係ない話が多いのだが、それでも面白く読めた。

 著者の経営哲学は、シリコンバレーの中でもかなり特異なのではないか。というのも、著者は本書で、他企業との競争そのものを全否定しているから。
 つまり、競争のない「ブルー・オーシャン」を新たに切り拓くことこそ著者にとっての起業であり、既存の「レッド・オーシャン」に身を投じる起業は不毛だというのだ。

 進歩の歴史とは、よりよい独占企業が既存企業に取って代わってきた歴史なのだ。
 独占は進歩の原動力となる。なぜなら、何年間、あるいは何十年間にわたる独占を約束されることが、イノベーションへの強力なインセンティブとなるからだ。その上、独占企業はイノベーションを起こし続けることができる。彼らには長期計画を立てる余裕と、競争に追われる企業には想像もできないほど野心的な研究開発を支える資金があるからだ。



 幸福な企業はみな違っている。それぞれが独自の問題を解決することで、独占を勝ち取っている。不幸な企業はみな同じだ。彼らは競争から抜け出せずにいる。(※引用者注/これはもちろん、『アンナ・カレーニナ』の名高い冒頭部分のもじり)



 「独占は悪であり、競争こそ望ましい」とする旧来のアメリカ社会の価値観と正反対であり、興味深い。書名の『ゼロ・トゥ・ワン』とは、0から1を生み出すことに成功した企業――すなわち著者の言う「幸福な企業」の謂だ。

 私には、第13章「エネルギー2.0」がいちばん面白かった。この章では、太陽光発電などのクリーンエネルギー企業が、一部の例外を除いて失敗に終わった理由が分析されている。

 環境テクノロジー企業はいずれも、世界をよりクリーンにする必要があるという聞き慣れた真実で自己を正当化していた。社会がこれほど熱心に代替エネルギーを求めているからには、すべての環境テクノロジー企業に巨大なビジネスチャンスがあるはずだという妄想を自分に信じ込ませていたのだ。



 失敗事例を通じて、成功する企業の条件を浮かび上がらせたケーススタディとして、この章は独立した価値をもっている。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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