竹宮惠子『少年の名はジルベール』



 土・日は鳥取へ――。鳥取市・米子市・北栄町の3ヶ所で講演をした(そんな柄じゃないんですけどね)。
 鳥取に行くのは、5年前に米子に企業取材で赴いて以来。いや、そもそも人生で2回目くらいかも。

 鳥取空港がいまは「鳥取砂丘コナン空港」になり(『名探偵コナン』の作者・青山剛昌が鳥取出身であることに由来)、米子空港が「米子鬼太郎空港」(水木しげるが鳥取出身であることに由来)になっているのだね。


 飛行機の中で、竹宮惠子著『少年の名はジルベール』(小学館/1512円)を読了。
 すでに各所で評判になっている、少女マンガの大御所による自伝である。

 手に取った瞬間、「意外に薄いな」と思った。いまどきの単行本としては平均的な分量(240ページ)だが、竹宮惠子のキャリアからしたら、いくらでも重厚な自伝にできるはずだからだ。

 だがそれは、20歳での上京(マンガ家デビューは17歳)からの約7年間に的を絞ったがゆえの薄さである。それ以前の人生も、30代以降の人生も、サラリと触れられるのみ。上京から代表作『風と木の詩』の連載開始までの、人生でいちばんドラマティックな期間に照準が定められ、残りはバッサリと切り捨てられている。

 また、その間の出来事の中でも、伝説の「大泉サロン」でのエピソードにウエートが置かれている。
 ともに新人マンガ家であった竹宮惠子と萩尾望都が同居し、山岸凉子、佐藤史生、坂田靖子らが集い、「24年組」の拠点となったアパート。「女性版トキワ荘」ともいわれるマンガ史のレジェンド。その舞台裏を、最大の当事者である竹宮惠子が綴るのだから、面白くないはずがない。

 これは少女マンガ史の貴重な資料であり、普遍的な「表現者の青春物語」でもある。とくに胸を打つのは、ライバルであり親友でもあった萩尾望都の才能への嫉妬に苦しんだことを、竹宮が赤裸々に明かしている点だ。

 萩尾望都は表現者としてつねに竹宮の一歩先を歩み、竹宮は劣等感と焦燥感を感じつづける。そして、ついには大泉サロンから出て行くことを決意する。
 伝説の大泉サロンを終焉させたのは、竹宮惠子の萩尾望都に対する嫉妬であったのだ。そのことに、萩尾は気付いていたのか、いなかったのか……。

 私が実はもう下井草(東京都杉並区)に部屋を見つけていることを話すと、萩尾さんも「じゃあ、私も近くにしようかな」と言った。「それはいやだ」という言葉が頭をかすめる。萩尾さんが遊びに来れば、また焦りや引け目を感じるに決まっている。本音が言えないまま、「うん、そうだね」。私にはことが運んでいくのをどうしようもなかった。



 なんとも切ない話である。
 萩尾望都が天才であるように、竹宮惠子もまた天才であり、だからこそ嫉妬が生まれた。はなから手が届かないほど才能の懸隔があったなら、嫉妬など感じもしなかっただろう。

 だが、その苦しみをバネとした竹宮の懸命の努力が、やがて『風と木の詩』による「少女マンガの革命」として結実する。その意味で、萩尾との共同生活は、竹宮が才能を開花させるために不可欠な“イニシエーション(通過儀礼)”でもあったのだろう。

 表現者としての苦悩と葛藤、そして歓喜が、丹念に書き込まれた第一級の自伝。マンガ好きのみならず、すべての分野のクリエイターおよび志望者に一読を勧めたい。

■版元による本書の特別サイト→ 「少年の名はジルベール」竹宮惠子|小学館

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前田亮一『今を生き抜くための70年代オカルト』



 昨日は、取材で京都へ――。
 早朝に家を出て、夕方には帰宅するとんぼ返り。書くべき原稿もたまっているので、どこにも寄り道せず。

 行き帰りの新幹線で、前田亮一著『今を生き抜くための70年代オカルト』(光文社新書/886円)を読了。
 UFO、UMA(未確認動物)、超能力、心霊写真、ピラミッドパワー、大予言など、1970年代のオカルトブームを総花的に再検証し、最後にいまの日本におけるオカルトについて考察した本。

 といっても、批判的検証からは遠いし、「と学会」の「トンデモ本」シリーズのような「オカルトブームを笑い飛ばす」という角度でもない。

 著者は取り上げたオカルト事象について、否定も肯定も注意深く避けている。「こういうことがありました」的な客観的記述に徹しているのだ。
 ただし、取材で会ったユリ・ゲラーについて「エネルギッシュで若々しく、その迫力には圧倒されるばかりであった」と肯定的に言及しているように、“やや肯定寄り”なスタンスではある。

 「今を生き抜くための」というタイトルはなんだかよくわからないが、「けっして面白半分にオカルトを取り上げた本じゃないんですよ。社会的意義のある真面目な考察なんです」という、世間向けのエクスキューズが込められているのだろう。

 著者の意図はどうあれ、私は興味本位でこの本を楽しんだ。なにしろ、著者とも同世代であり、子ども時代に70年代オカルトブームの直撃を受けた世代だから……。

 本書で取り上げられた事象でいうと、ユリ・ゲラーの超能力も、『うしろの百太郎』に出てくる守護霊も、ノストラダムスの大予言も、ツチノコの存在も、私はすべて信じていた(子どものころの話である)。
 だからこそ、“70年代オカルト・カタログ”としても読める本書は、「あー、こんなのあったねえ」と単純に懐かしくて楽しかった。

 たとえばツチノコについて、『釣りキチ三平』で知られる矢口高雄のマンガ『幻の怪蛇バチヘビ』で、私は知った。
 しかし、いまとなっては「バチヘビ」なんて呼び方はほぼ忘れ去られているだろう。だからこそ、『幻の怪蛇バチヘビ』が70年代ツチノコ・ブームのきっかけであったことを正しく指摘する本書の記述を、うれしい思いで読んだのだ。

 「考察」の面では、エピローグの次の一節が心に残った。

 なぜ日本は、73年のノストラダムスの大予言に始まるオカルトブームに、90年代後半までどっぷりと浸かっていたのか? そこには、日本人特有の滅びの美学と滅亡史観があったと思う。そして、オカルトブームとともに選民思想的な精神主義が噴出したのだ。それは、日本的な宗教観といってもいいだろう。



 この一節は、明らかにオウム真理教事件を念頭に置いて書かれている(ノストラダムスの大予言を取り上げた第7章にも、オウムへの言及がある)。
 上祐史浩らオウムの幹部たちは、70年代オカルトブームの直撃を受けた世代であり、オウムの活動にもその影響ははっきりと見てとれる。

 連合赤軍事件が日本の学生運動にとどめを刺したように、「オタク世代の連合赤軍事件」とも呼ばれたオウム事件は、70年代からつづいていたオカルトブームにとどめを刺した。
 それでも、かつて日本を「オカルト大国」にした心性は、いまも変わらず毛根のように残っている。きっかけがあれば、すぐにまた芽吹くのだ。本書は、そのことを改めて感じさせる。

 私同様、70年代オカルトブームをリアルタイムで知る世代なら、面白く読める本だろう。

■関連エントリ→ 大田俊寛『現代オカルトの根源』

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稚野鳥子『月と指先の間』



 稚野鳥子(ちや・とりこ)の『月と指先の間』(KCデラックス Kiss)の1巻を、kindle電子書籍で購入。

 月刊『Kiss』連載中で、まだ1巻が出たばかりの作品(→ここで第1話が試し読みできる)。
 守備範囲外の雑誌だからまったく知らなかった作品だが、ネット上での評判で興味を抱いた。

 なんと、55歳の独身ベテラン少女マンガ家が主人公である(絵はとても55歳に見えないが、いわゆる「美魔女」という設定なのだろう)。
 1巻の展開からして、主人公が作品を連載しているマンガ誌の、10歳年下の独身編集長との恋愛がストーリーの軸になっていくようだ。

 大人のラブストーリーとしても楽しめるが、それ以上に、マンガ家の暮らしぶり・仕事ぶりのリアルで赤裸々な描写が面白い! かつての『編集王』などよりも、さらにリアルだ。

 しかもそれは、マンガ誌もコミックスも売れなくなった「いまどきのマンガ界」の厳しい状況を、そっくりそのまま反映した生々しさなのだ。
 たとえば、主人公・御堂アンの、次のようなモノローグ――。

 かつて少女漫画が一番売れていた頃
 私の重版と初版の収入はほぼ同じくらいだった
 今は重版はほとんど無い…



 うーん、生々しい。

 あたりまえだが、マンガ界も出版業界の一部である。ゆえに、出版業界の片隅に身を置く50代フリーライターである私としては、アンのセリフやモノローグにいちいち共感してしまうのだ。
 そもそも、この作品に出てくる「マンガ界あるある話」の多くは、そのまま「出版業界あるある話」だし(私も最近、仕事で書いた本の重版はほとんどない)。

 読者に夢を売る恋愛マンガを描きながら、まったく「ドリームブレイカー」な少女マンガ家の日常。それを赤裸々に描きながら、なおかつ「大人のラブストーリー」として成立させてしまうあたり、作者の力技がスゴイ。

 オッサンの私にはさすがに『Kiss』は恥ずかしくて買えないが、今後コミックスを買いつづけることに決めた。

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野村進『救急精神病棟』



 昨日は冷たい雨のなか、私用で巣鴨へ――。
 行き帰りの電車で、野村進著『救急精神病棟』(講談社文庫/905円)を読了。

 日本初の精神科救急医療機関となった「千葉県精神科救急センター(現・千葉県精神科医療センター)」に取材したノンフィクション。仕事の資料として読んだのだが、面白くて一気読み。

 野村進は優れたノンフィクション作家であり、その取材作法を明かした『調べる技術・書く技術』は、取材記事を書く者のバイブルといってもよい名著だ。本書は、その野村が3年越しの密着取材を行って書いたものだけに、内容が非常に濃い。

 精神科救急という過酷な現場で働く医師・看護師たちの息遣いが、ヴィヴィッドに伝わってくる。そして、背後にある日本の精神科医療の歴史や問題点にまで迫る奥深さを具えている。

 野村は近年、石井光太のノンフィクションに厳しい批判を投げかけてきたことでも知られる。“石井のノンフィクションには作り話が含まれているのではないか”という主旨の批判だが、その当否は私には判断しかねる。
 ただ、本書を読んで、背景には両者のノンフィクション作法の根本的な相違があるのだと感じた。

 石井光太のノンフィクションには、センセーショナリズムすれすれの危うさがつねにある。人目を引くドギツイ場面をことさら強調して描く「癖」があるのだ。
 対照的に、野村進はそういう危うさから遠い。本書もしかり。精神科救急という、いくらでもドギツイ場面を連ねられそうな舞台を選びながら、筆致はむしろ静謐で落ち着いているのだ。

■関連エントリ→ 野村進『千年、働いてきました』

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村上宣寛『あざむかれる知性』



 村上宣寛(よしひろ)著『あざむかれる知性――本や論文はどこまで正しいか』(ちくま新書/864円)読了。

 この著者の本は、以前取り上げた『心理学で何がわかるか』が面白かった。心理学者(現・富山大学名誉教授)だが、本書は心理学のみならず科学全般に目を向けたものである。

 タイトルだけ見ると、どんな本なのかさっぱりわからない。副題の「本や論文はどこまで正しいか」のほうが、よく内容を表している。

 我々シロウトはとかく、研究者が書いた論文というとそれだけで恐れ入ってしまい、「科学的に正しい内容だ」と思い込んでしまいがちだ。しかし実際には、次のような現状があると著者は言う。

 真面目な研究者の科学論文でさえ、さまざまなバイアスから自由ではない。
 研究論文は星の数ほどある。実証科学では、ある特定の仮説を支持する研究が一◯◯%ということはあり得ない。支持する研究はあるが、支持しない研究もある。ウェブや書物の科学記事の大部分は、自分の意見に沿う研究のみを取り上げ、他を無視するという方法で書かれている。つまりは、つまみ食い的評論で、自分の意見を科学的に装っているだけである。無料で読める記事はそれなりの内容である。結局、記事の大部分は疑似科学にすぎない。



 では、ゴミ論文と優れた論文、誤った知識と正しい知識を見分けるにはどうすればよいか? そのための有効な方法として、複数の論文を「メタ分析」という統計技法で評価した「システマティック・レビュー」を基準とすることが挙げられている。

 本書は、第Ⅰ部「真実を知るには」で、バイアスのかかった論文が量産されてしまう背景と、研究の価値・質を決める基準について説明する。
 そして、第Ⅱ部「どこまで本当なのか」は、システマティック・レビューを用いて研究の質を測るやり方の実践編となっている。
 ダイエットの方法・健康で長生きする方法・ビジネス書に説かれる仕事術・幸福になる方法という4つのテーマを取り上げ、各分野の一般書がいかにいいかげんな根拠で書かれているかを、それぞれ一章を割いて暴いていくのだ。

 第Ⅱ部の4つの章のうち、ダイエット・健康長寿・ビジネス書を取り上げた章は、いずれもすこぶる痛快。
 巷のダイエット本や健康本などのどこがおかしいかを簡潔明瞭に指摘したうえで、真に有効なダイエットや健康法を抽出しており、本書一冊さえあればダイエット本も健康本もいらないような気もする(ただし、本書に説かれるダイエット法や健康法はあまりにもあたりまえのことなので、面白みはない)。

 ビジネス書を取り上げた章では、30分程度の採用面接で相手の仕事適性を見抜くのは不可能であること、すなわち採用面接は無意味であることが論証されている。
 「面接の妥当性は低いので、人を見て選ぶより、見ないで選ぶ(引用者注/学力検査などだけで選ぶという意味)方が合理的である」という一節に爆笑した。

 ただ、「幸福になる方法」を取り上げた章、つまりポジティブ心理学の研究成果について評価した章だけは、やや切れ味が悪いと感じた。

 ポジティブ心理学は、幸福感を最大化するよう果敢に挑戦したが、成果は非常に限定的である。ポジティブ心理学は人々の希望に沿うような主張をしたので、大衆的人気は獲得した。しかし、エビデンスは乏しく、すべては希望的観測に彩られている。



 ……と著者は言うのだが、「エビデンスは乏しく」というのは、目に見えない心を扱う心理学そのものが宿命的に孕む弱点なのではないか。著者がポジティブ心理学自体を擬似科学扱いするのは、ちょっと行き過ぎだと思った。
 たしかに、「ポジティブ・シンキングでガンが治る」みたいなことを言う「ポジティブ健康学」にまで至ると、それは疑似科学だろうが。

 とはいえ、面白くてためになる本には違いない。もっと評判になり、売れてしかるべき本だと思う。

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小酒部さやか『マタハラ問題』



 小酒部(おさかべ)さやか著『マタハラ問題』(ちくま新書/864円)読了。仕事の資料として読んだ。

 著者は自らもマタハラ(マタニティ・ハラスメント)に遭って会社を辞めたあと、マタハラ問題の解決に取り組むNPO「マタハラNet」を設立し、代表理事に就任。マタハラ被害者としての私憤を、世の女性たちのための公憤に替えたわけだ。
 そして、マタハラNetの活動を通じて、我が国におけるマタハラ問題の可視化に大きく貢献。昨年にはその功績により、米国務省が主催する「世界の勇気ある女性賞(International Women of Courage Award)」を、日本人として初めて受賞している。



 本書は、全5章中の第1章が著者自身のマタハラ体験を振り返る内容。残りの4章がマタハラ問題の概説になっている。

 マタハラ問題の概説書としては、前に溝上憲文の『マタニティハラスメント』を読んだことがある。これもけっして悪い本ではなかったが、本書のほうがはるかに優れている。当事者ゆえの「熱さ」に満ちているし、マタハラ問題の全体像を手際よく示す構成も見事だ。

 そして著者は、日本のマタハラが先進国で突出して深刻である理由――すなわちマタハラを生む社会構造にまで斬り込んでゆく。日本社会論としても秀逸な一冊だ。

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カレー沢薫『負ける技術』



 カレー沢薫著『負ける技術』(講談社文庫/734円)読了。マンガ家兼コラムニストの著者の、現時点で唯一のコラム集である。

 年季の入った非リア充・非モテ・負け組としての立ち位置から、自らの「イケてなさ」を自虐の笑いにくるみ、リア充たちを呪詛しつづけるコラムが、136本も詰め込まれている。しかも、その一本一本に著者の一コマ・マンガが添えられており、読み終えると深い満腹感が味わえる。

 本書にも綴られているとおり、著者は既婚者であり、あまつさえ注文住宅で自分の家も建てたという。「その時点でリア充であり、勝ち組ではないか」と、「看板に偽りあり」感を抱く向きもあろう。

 そのへんについては、著者が別の連載コラムで思うところを綴った一文「『結婚すればリア充』なのか?  非リア充/リア充の境界線」があるので、読んでみるとよい。
(かくいう私も既婚者ではあるが、そのことで自分がリア充・勝ち組だなどと思ったことは一度たりともない。非リア充・非モテ・負け組が盤石の自己規定である。なので、カレー沢薫の気持ちはよくわかる)

 「マイナビニュース」連載中の「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」には、文章の不自然なところや言葉の誤用が散見される(誤/さんさんたる→ 正/さんたんたる……など)。本書にはそれがなく、スッキリとよくまとまっている。
 おそらく、講談社の優秀な編集者が的確にダメ出しをして修正させているのだろう(「マイナビニュース」の編集者が優秀でないというわけではないが)。

 それはともかく、最近売れっ子の女性コラムニストたちの著作と比べても遜色ない、ウェルメイドなコラム集である。微苦笑を誘う絶妙な比喩や、鋭いアイロニーの刃でリア充をバッサリと斬るキラーフレーズなどが満載だ。

 カレー沢薫は面白い文章を書くし、かりにマンガが売れなくなっても、コラムニストとしてやっていけると思う。

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カレー沢薫『アンモラル・カスタマイズZ』



 前から気になっていたカレー沢薫の『アンモラル・カスタマイズZ』が、kindleで60%引きセールになっていたので、購入。さっそく読み倒す。

 これまで風俗情報誌や牛丼専門誌(!)などを出してきた零細出版社が、社長の思いつきで突然女性ファッション誌『カスタマイズ』を創刊。そこから生まれる騒動の数々を、下ネタ満載、アイロニーの毒満載で描くギャグマンガである。

 女性が女性を「批評」することで笑いを取るマンガやコラムが、近年一つのジャンルを形成しつつあるように思う。峰なゆか、犬山紙子、瀧波ユカリ、ジェーン・スーあたりの著作のことだ。「同性批評」とでも言おうか。
 カレー沢薫のこのマンガも、その「同性批評」のバリエーションだと感じた。

 ただし、峰なゆかや犬山紙子の作品のベースに“美人ならではの勝ち組目線”があるのに対し、カレー沢薫の場合は負け組の目線から(※)他の女性たちを鋭く批評する。その批評が的を射ており痛快であることから、笑いが生まれるのだ。

※いや、ご本人のお顔は知らないが、コラム等での自己申告による。サイン会に行った人が書いたブログによれば、意外にも「ふんわり美人」だったそうだが……。

 この『アンモラル・カスタマイズZ』は、女性誌編集部が舞台だから、その批評眼が随所で思いっきり炸裂している。ギャグの密度が濃いので、わずか130ページ程度の本なのに読み応えがある。

 カレー沢薫はコラムニストとしても活躍しており、文章も面白い。現時点で刊行されている唯一のコラム集『負ける技術』(講談社文庫)も、買うことにする。
 「マイナビニュース」で連載されているコラム「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃 」も、すでに1冊分くらいになっているが、これも全部読んだ。

 作風がやや下品なので万人向けではないが、下品耐性のある人なら楽しめるはずだ。

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中村淳彦『女子大生風俗嬢』



 中村淳彦著『女子大生風俗嬢――若者貧困大国・日本のリアル』(朝日新書/821円)読了。

 同じ著者の『日本の風俗嬢』『職業としてのAV女優』の姉妹編ともいうべき本である。

 「女子大生の風俗嬢が増え始めた」ことが新奇な現象として報じられたのは1980年代だが(それ以前にも例外的な女子大生風俗嬢はいただろうが)、当時の女子大生風俗嬢はおおむね「遊ぶ金欲しさ」でなるケースが多かったと思う。

 しかし本書によれば、昨今は生活費と学費捻出のために風俗をするケースが多いのだという。つまりこれは、「若者の貧困」の問題を女子大生風俗嬢というフィルターを通して考えた本なのだ。

 著者は、風俗・AVライターとして長年活動してきた人。『日本の風俗嬢』『職業としてのAV女優』は、その経験と知識が凝縮されていた点がよかった。

 いっぽう、本書は行き当たりばったりの浅い取材で書かれている印象で、前2著に比べて読み応えがない。
 たとえば、第3章「貧困の沖縄を行く」は「2泊3日の取材」(本文にそう明記されている)で書かれている。2泊3日で何人かの風俗嬢を取材しただけで“沖縄のいま”を語られてもなあ。

 また、第5章「風俗はセーフティネットか」に登場するのは、45歳と30代の熟女風俗嬢と、20歳だが大学生ではないデリヘル嬢だけだ。おいおい、これは『女子大生風俗嬢』という本ではなかったのか。

 大学進学率が50%を超える状況だが、旬な適正年齢で、最高学府に進学するような女性は、なかなかそこまで転落しない。山根氏から、“うちで一人だけ20歳の女の子がいます。学生ではないですけど、取材しますか?”と言われた。


 
 ……って、本のテーマとタイトルを著者自身が否定しちゃってるし(笑)。女子大生風俗嬢の事例が、思ったほど簡単には見つからなかったのだろう。

 まあ、“大学の学費高騰とそれに伴う奨学金(という名の借金)問題の深刻化によって、女子大生風俗嬢にならざるを得ない人が増えている”という本書の問題提起自体は、社会的意義のあるものだと思う。

「今は学生の半分以上が一般的なサラリーマンの年収以上の借金を背負っている。90年代後半あたりまで、奨学金の受給者は大学生全体の2割程度だったけど、今は52・5%となって少数派ではなくなってしまいました」(大内裕和・中京大教授のコメントより)



 過去の著作でも感じたことだが、この著者には、ごく一部の極端な事例を根拠に“社会全体が極端になっている!”と針小棒大に書き立てる悪癖がある。
 たとえば、『崩壊する介護現場』では、“介護業界で働く女性の多くが副業で性風俗をやっている”かのような書き方をしていた。
 
 本書にも、「この数年、世代格差が叫ばれている。高齢者は様々な社会保障で悠々自適に暮らし、その孫はカラダを売って大学進学する、そんな現実がある」(「おわりに」)という一節がある。
 いやいや、そんな書き方ができるほど一般化した現象ではあるまい。“風俗の仕事で学費を捻出する学生も、世の中にはいる”というだけの話だろう。

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中川雅之『ニッポンの貧困』



 一昨日は、立教大学経済学部の郭洋春教授を取材。テーマは軽減税率。

 昨日は、来日中の「Gaviワクチンアライアンス」理事長・オコンジョさんを取材。
 「Gaviワクチンアライアンス」は、途上国の貧しい子どもたちへのワクチン接種普及を推進する同盟(アライアンス)。オコンジョさんは、元ナイジェリア財務大臣/前世界銀行副総裁でもある。
 
 このところ取材がバタバタつづいていたが、これで一区切り。来週はアウトプット――つまり原稿書きに専念する予定。


 中川雅之著『ニッポンの貧困――必要なのは「慈善」より「投資」』(日経BP社/1512円)読了。

 本書は、『日経ビジネス』の貧困問題特集をベースにしたもの。「日経がついに貧困問題を取り上げたか」と話題を読んだ特集だ。著者は、1982年生まれのまだ若い日経記者。

 全体に日経ならではの視点が感じられ、その点が類書との差別化にうまくつながっている。
 「貧困問題」本は、「こんなにも貧しくてカワイソウな人たちがたくさんいるんですよ~。やっぱ日本の政治が悪いですよね~」で終わってしまう例が少なくない。「では、どうすればいいのか?」には目が向けられず、ジャーナリスティックな視点に欠ける感傷的な本が多いのだ。

 対して、本書の著者の視点は一貫してジャーナリスティックで冷静であり、貧困対策の側面に強く目が向けられている。
 それも、「貧困対策を進めるべき理由を、倫理や善意ではなく、できる限り経済合理性に求めよう、というのが本書の大きな試みだった」(「おわりに」)とあるとおり、貧困対策を有効で不可欠な社会的投資として捉える視点が全編に通底しており、その点が大きな特長になっている。

 たとえば、第3章「女性と家族を巡る軋み」には、次のような一節がある。

 子供が親にとっての宝であることは間違いない。だが同時に子供には、貴重な社会資源という側面もある。女性の貧困が男性の貧困よりも深刻な問題として認識されるのは、男女の賃金的な不平等があるためだけではない。女性のほうが現実的に育児を引き受けることが多く、そこから派生する貧困が子供時代に連鎖する可能性が高いからだ。親のためではなく、子供のために必要な施策を実行できなければ、この国はより多くの子供の貧困を生み続けることになる。



 貧困対策を「未来への投資」と捉える視点を打ち出した本としては、当ブログでも取り上げた阿部彩の『子どもの貧困Ⅱ――解決策を考える』が、すでにある。本書でも、そのテーマにストレートに迫った第5章「『貧困投資』はペイする」には、阿部彩(現・首都大学東京教授)へのインタビューが収録されている。

 この第5章は本書の白眉であり、最も読み応えがある。その中から、印象的な一節を引く。

 貧困状態の人ほど健康を害し、容体が深刻化するリスクが高いことから、貧困対策には医療費の抑制効果も期待できる。犯罪などのリスク軽減や、そこから波及する刑務所の運営コストの低減などを期待する声も大きい。



 貧困問題が「貧困層のみの問題」ではなく、社会全体の大きなリスクであることを改めて認識させ、解決策を提示する良書。

 なお、本書の一部は「日経ビジネスオンライン」で読める。
 「大学にさえ行けばいいなんて、イリュージョン」という発言がネットで「炎上」した日本学生支援機構理事長へのインタビューも読める。私は本書でこのインタビューの全文を初めて読み、むしろこの理事長に好感を抱いた。非常に率直にホンネを語ってはいるが、言っていることは至極まっとうだと思う。

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小野一光『殺人犯との対話』



 昨日は赤坂のTBSで、アナウンサーの佐藤渚さんを取材。「東日本大震災から丸5年」の関連取材である(佐藤さんは仙台出身)。きれいで聡明なお嬢さんで、好印象。


 行き帰りの電車で、小野一光著『殺人犯との対話』(文藝春秋/1566円)を読了。
 
 『週刊文春』に連載された犯罪ノンフィクション・シリーズ。21世紀になってから日本で起きた主だった殺人事件について、著者の取材をまとめたダイジェスト集のような内容だ。取り上げられたのは、下記の10ケース。

CASE 1 北村孝紘 【大牟田連続4人殺人事件】
CASE 2 松永太 【北九州監禁連続殺人事件】
CASE 3 畠山鈴香 【秋田児童連続殺人事件】
CASE 4 鈴木泰徳 【福岡3女性連続強盗殺人事件】
CASE 5 宇野ひとみ【高槻養子縁組保険金殺人事件】
CASE 6 下村早苗 【大阪2児虐待死事件】
CASE 7 山地悠紀夫【大阪姉妹殺人事件】
CASE 8 魏巍 【福岡一家4人殺人事件】
CASE 9 高橋裕子 【中州スナックママ連続保険金殺人事件】
CASE 10 角田美代子【尼崎連続変死事件】



 このうち、殺人犯当人と著者が対話を重ねたのは3つだけ(北村孝紘・松永太・ 魏巍)である。
 ほかは、「面会を申し込んだが、拒否された」などというケースばかり。なので、『殺人犯との対話』というタイトルにはいささか羊頭狗肉の感がある。殺人犯に近い当事者への取材は重ねているので、「タイトル詐欺」とまでは言わないが……。

 以前当ブログで取り上げた長谷川博一の『殺人者はいかに誕生したか――「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く』や、ジャーナリスト・清水潔が自らの事件取材を振り返った『騙されてたまるか』の類書といえる。
 だが本書は、臨床心理士である長谷川に比べると犯人の心理の掘り下げが浅いし、清水潔と比べると“真実に食らいついていく迫力”で劣っている。

 とはいえ、取材は丹念だし、読み応えのある犯罪ノンフィクションには違いない。

 10のケースのうち、松永太、角田美代子、宇野ひとみあたりは明らかにサイコパスで、「どう見ても救いようがない」という印象を受ける。
 しかし、それ以外のケースでは、「この犯人が人生のどこかでもう少し真摯に向き合ってくれる人に出会っていたら、事件は起こらなかったのではないか」と思った。

 「福岡一家4人殺人事件」の犯人・魏巍が獄中から中国の両親に送った手紙には、ただ一文字「悔」の字が大書されていたという。そのような、印象的なエピソードも多い。

■関連エントリ→ トニー・パーカー『殺人者たちの午後』

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鈴木賢志『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』



 昨日は、都内某所で打ち合わせが一件。今日もまた打ち合わせが一件。で、水・木・金はそれぞれ別の取材。


 鈴木賢志『日本の若者はなぜ希望を持てないのか――日本と主要6ヵ国の国際比較』(草思社/1620円)読了。

 2013 年に日本および海外6ヶ国(アメリカ、イギリス、スウェーデン、フランス、ドイツ、韓国)で実施された若者の意識調査(内閣府「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」)で、日本の若者の「希望度」(将来に対して希望を抱いている度合いなど)が、他の6ヶ国に比して著しく低かった。
 なぜ、日本の若者はそれほどまでに希望を持てないのか? 明治大学教授の著者が調査結果を深掘りし、独自の考察も加えてその答えに迫った一冊。

 いいかげんな印象で語る若者論ではなく、きちんとした論拠に基づいた「いまどきの若者」論として、読み応えがある。たとえば――。

 「いまどきの日本の若者は、政治に対する関心がものすごく低い」と私たちは思い込んでいるが、若者の政治に対する関心が最も低いのは、じつはスウェーデンだという。
 ところが、スウェーデンの若者の選挙投票率は80%超と、日本の若者よりも圧倒的に高い。なぜ、政治に関心がないスウェーデンよりも、日本の若者の投票率は低いのか? その謎解きを通して、著者は若者の政治意識に肉薄していく。

 また、若者論の枠を超え、日本社会論・日本文化論として読める部分もある。
 たとえば、日本が“格差が目立ちにくい社会”である理由として、著者は次のように指摘する。

 日本人は裕福でも貧しくても、そのことがあまり世間で目立たないようにしたがる傾向がある。たとえば、これはリーマンショックの直後に不動産業者の人から聞いた話であるが、世の中が不景気になると、自分にお金があっても高額な物件を買い控える人が多いそうだ。また逆に自分が貧しくても、それをアピールして他人や政府から支援を引き出そうとするのではなく、そのことを恥として、世間に悟られないようにする傾向がある。



 このあたり、阿部謹也の「世間論」や、日本の生活保護捕捉率の低さの背景にある「恥意識」との関連で考察を広げてみたい気がする。
 
 「一つの意識調査から一冊の本を作るなんて、ずいぶん水増しだなァ」というマイナスの印象を抱いて読み始めたのだが、読んでみればすこぶる面白い若者論に仕上がっている。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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