ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーン『Classic Album Selection』



 ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーンの『Classic Album Selection』を輸入盤で購入。ヘビロ中。

 米国のファンク・バンド「ルーファス」に、チャカ・カーンが在籍していた時期のアルバム6枚をパッケージしたボックス・セット。1973年のファースト『Rufus』から、78年の6th『Street Player』までが収められている。

 6枚のアルバムが、それぞれダブルジャケット(見開き)の紙ジャケ仕様になっている。日本製紙ジャケの細かい作り込みと比べたら粗い作りではあるが、3000円程度で手に入る激安ボックス・セットとしては上出来。

 ルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーンのアルバムは、ほかにスタジオアルバム2枚、ライヴアルバムが1枚あるが、とりあえずこの6枚を通しで聴くと、もうおなかいっぱい。

 どのアルバムも、若き日のチャカ・カーンの熱唱がスゴイ。生命力がほとばしるような歌声。
 ルーファスの演奏ももちろん素晴らしい。時折挿入されるインスト曲が、絶妙のアクセントになっている。

 パワフルで熱いファンク。それでいて、少しも汗臭くも泥臭くもなく、オシャレで洗練されている。酷暑にピッタリのボックス・セットであった。

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梅永雄二『大人のアスペルガーがわかる』



 一昨日から昨日は、取材で福岡と熊本へ――。
 つづくときにはつづくもので、来週もまた別件の取材で長崎へ行く予定。九州づいている。

 で、昨夜はホテルニューオータニで行われた『中国の文明』(全8巻/潮出版社)の出版記念会に参加。舛添都知事、公明党の山口代表、佐藤優さん、山崎正和さんなど、参加者が豪華でビックリ。




 行き帰りの飛行機の中で、梅永雄二著『大人のアスペルガーがわかる――他人の気持ちを想像できない人たち』 (朝日新書/842円)を読了。

 発達障害の専門家である著者(宇都宮大学教授で、教育学博士・臨床心理士)による、アスペルガー症候群の概説書。
 仕事の資料として読んだものだが、一級の概説書であった。アスペルガー症候群の歴史と現状、当事者たちがどのような「生きづらさ」を抱えているか、周囲はどのようにサポートしていけばよいかなどが、ひととおり理解できる。

 文章は平明で過度の論文臭もなく、図表も適宜挿入されて、アスペルガー入門としてたいへんわかりやすい。
 くわしい人にとっては本書の内容はあたりまえのことばかりかもしれないが、素人の私には目からウロコの記述が多数。

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『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』



 『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』を映像配信で観た。『さよなら渓谷』『ゲルマニウムの夜』などで知られる大森立嗣監督の、2010年作品。

 安藤サクラがヒロインであるということのみで手を伸ばしたものだが、けっこうよかった。
 2010年代の日本ならではの、ヒリヒリと痛い青春映画である。

 ともに児童養護施設育ちで、過酷な肉体労働(解体業のハツリ)に従事している2人の若者と、彼らに街でナンパされてホイホイついてくる頭の弱い女の子の逃避行(職場でのイジメに耐え切れず、会社の軽トラックを盗んで逃げ出す)を描いたロードムービー。



 明示されてはいないものの、安藤サクラ演ずるヒロイン・カヨちゃんは明らかに軽度知的障害である。
 いっぽう、ケンタとジュンも、劣悪な生育環境のせいで知的能力は小学生程度(ジュンは小学校低学年程度)にとどまっていることが、セリフなどから見てとれる。

 そのような、およそ青春映画の主人公らしからぬ面々なのだが、貧困問題と格差拡大が深刻化し、閉塞感に満ちたいまの日本の青春映画には、むしろふさわしい。

 一般にロードムービーは、たとえ絶望的な逃避行を描いても、流れていく風景が観る者に開放感を感じさせるものだ(例:『テルマ&ルイーズ』)。
 ところが、本作には開放感が微塵もない。ビックリするほど閉塞感に満ちたロードムービーになっているのだ。しかし、その閉塞感こそが、他の類似作にない「味」である。

 ラストの展開にもうひとひねり欲しかったところだが、その瑕疵を除けばなかなかの秀作だと思う。

 主演の3人が甲乙つけがたい熱演。
 とくに安藤サクラは、フェリー二の『道』のヒロイン、ジェルソミーナのような「無知ゆえのイノセンス」を感じさせて秀逸。
 途中、ケンタとジュンがカヨを高速のサービスエリアに「捨てていく」場面があるのだが、それは『道』で旅芸人ザンパノがジェルソミーナを捨てていく場面を彷彿とさせる(たぶん、監督・脚本の大森立嗣は『道』を意識している)。

 ケンタ役の松田翔太にも感心した。チャラいだけのイケメンだとばかり思っていたので、こんなに繊細な演技ができるとは思わなかったのだ。

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木村俊介『漫画編集者』



 木村俊介著『漫画編集者』(フィルムアート社/1944円)読了。

 インタビュアー(肩書としてこの言葉を用いているライターは、吉田豪とこの著者くらいだろう)の著者が、5人のマンガ編集者に対して行ったロングインタビューをまとめたもの。

 登場するのは、猪飼幹太(『コミックリュウ』)、三浦敏宏(『ヤングマガジン』)、山内菜緒子(『ビッグコミックスピリッツ』)、熊剛(『Gファンタジー』)、江上英樹(元『IKKI」』編集長)といった面々。

 このうち、「有名編集者」と言えるのは江上英樹くらいか。
 これまでにあったマンガ編集者についての本というと、「手塚番」を務めたベテランとか、元『少年ジャンプ』編集長がジャンプ黄金時代を語る本とか、すでに一線をしりぞいた人の回顧録が多かった。

 さして有名でない、第一線で仕事をしている編集者たちが登場するところが、本書の大きな特徴といえる。
 マンガ好きなら、まあ興味深く読める本ではある。

 ただし、あまり面白い本ではない。そもそも、一人ひとりについてこんなにページを割く必要があったのだろうか。

 たとえば、猪飼幹太へのインタビューでは、彼がマンガ編集者になるまでの出来事に、半分くらいが割かれている。
 「高校を出て、いったん郵便局に就職した」とか、マンガ好きが昂じて『ぱふ』(マンガ情報誌)の編集部に入ったとか、どうでもいい話が延々とつづいてウンザリ。
 
 こういうどうでもいい部分はバッサリ削って、マンガ編集者としての仕事の話に絞り、20人くらいの編集者へのインタビューを集めればよかったのに……。

 本書でいちばん面白く読めたのは、江上英樹へのインタビュー。
 それは、松本大洋や土田世紀、江川達也など、彼が担当してきた作家たちとのかかわりのエピソードの面白さであり、すでにない名誌『IKKI』の舞台裏を垣間見る面白さでもある。

 ほかの4人のインタビューも部分的には面白いのだが、全体的に内容が薄い。
 以前に取り上げた、小説仕立てでマンガ編集者の仕事を描いた関純二の『担当の夜』のほうが、マンガ編集者の仕事を知るためには役立つように思う。

■関連エントリ→ 木村俊介『物語論』

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原田芳雄『Just Some Blues』ほか



 先週は取材が3件あり、原稿の〆切も集中してバタバタ。今日でやっと一段落しそう。


 原田芳雄の1980年代のアルバム『Just Some Blues』と『Oh! Yeah!!  Blues Paradise』を聴いた。

 宇崎竜童の『ブルースで死にな』というアルバムが私は大好きで、彼の最高傑作だと思っているのだが、その中には宇崎が原田芳雄に提供した曲のセルフカバーがたくさん入っている。「B級パラダイス」「マッカーサーのサングラス」「ブルースで死にな」「 I SAW BLUES」「レイジー・レディー・ブルース」などという曲だ。
 
 『ブルースで死にな』をヘビロするうちに、元の原田芳雄ヴァージョンが聴きたくなって、この2枚に手を伸ばしてみたしだい。

 いやー、2枚ともじつに渋い。『Just Some Blues』はジャケ写からして激シブだが、中身も素晴らしい。





 ブルースっぽい歌謡曲などという次元ではなく、もろブルース、思いっきりブルース。
 俳優仕事の片手間というレベルでもない。原田と宇崎竜童(ブロデュース/楽曲提供などで全面バックアップ)は本気で「日本人のブルース」を作ろうとしているし、その試みは見事に成功している。
 憂歌団やウエスト・ロード・ブルース・バンドなどというジャパニーズ・ブルースの系譜の中に、きちんと位置づけられてしかるべきアルバムだろう。

 原田芳雄のヴォーカルが渋いのは言うまでもないが、曲もアレンジも演奏もハイレベル。男臭くて、粋で、飄々としたユーモアと哀愁が全編にあふれている。

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イ・ミンギュ『「先延ばし」にしない技術』



 イ・ミンギュ著、吉川南訳『「先延ばし」にしない技術』(サンマーク出版/1836円)読了。

 著者は韓国の心理学者。心理学の成果をふんだんに盛り込んで、やるべきことを先延ばしにしないためのノウハウを幅広く綴っている。

 前に読んだ『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』(ピアーズ・スティール)の類書だが、あの本が先延ばしの克服に的を絞っていたのに対し、本書はもっと幅広い自己啓発書になっている。

 この手の本を何冊も読んでいるのは、私自身が(原稿の)先延ばし癖克服に苦慮しているからである。

 ピアーズ・スティールは先延ばしの研究をライフワークとしてきた心理学者だから、学術的な深みに関しては『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』の圧勝だ。
 ただ、実際に読者の背中を押してくれる効果については、本書のほうが上であるような気がする。

 過去の偉人たちがどのようにして先延ばしを排してきたかの実例が豊富に紹介され、読み物としても面白いし、昔の『西国立志編』(『自助論』)の現代版という趣もある。

 もちろん「原稿の先延ばし」だけを扱っているわけではなく、もっと普遍的な内容だが、私にとっては原稿先延ばし癖の克服に役立つ(役立てたい)本であった。

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エリザベス・コルバート『6度目の大絶滅』



 エリザベス・コルバート著、鍛原多惠子訳『6度目の大絶滅』(NHK出版/2592円)読了。書評用読書。

 米『ニューヨーカー』誌の記者を務めるジャーナリストが、いままさに進行中の「6度目の大絶滅」の実態を探っていく科学ノンフィクションである。

 地球の長い歴史のなかで、過去5億年の「顕生代」(目に見える生物が現れた時代)に入ってから、5度の「大絶滅」(「ビッグファイブ」と呼ばれる)が起こったとされている。

 大絶滅(大量絶滅)は、「世界中の生物相の大多数が、地質学的に見て取るに足らない時間で消滅すること」、あるいは「急速に地球規模で起きる生物多様性の多大な損失」などと定義される。
 いま進行中だと考えられている「6度目の大絶滅」が過去の「ビッグファイブ」と異なるのは、人類の活動によって引き起こされている点だ。

 現在、「造礁サンゴ類の三分の一、淡水生貝類の三分の一、サメやエイの仲間の三分の一、哺乳類の四分の一、爬虫類の五分の一、鳥類の六分の一がこの世から消えようとしていると推定される」という。
 消滅の原因はさまざまだが、検証すれば必ず人類という犯人にたどりつく。

 読みながら、『寄生獣』でミギーが言う名セリフ――「シンイチ……『悪魔』というのを本で調べたが……いちばんそれに近い生物は やはり人間だと思うぞ……」を頭に浮かべずにはおれなかった。

(つづきます)
 
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Lu7『Azurite Dance』



 Lu7(エルユーセブン)の『Azurite Dance』(ベガ・ミュージックエンタテインメント/3240円)を購入。
 彼らの前作『Bonito』が大変よかったので、現時点での最新作(2014年)も買ってみたしだい。



 全体に、『Bonito』よりソフトな仕上がり。梅垣ルナのキーボードの比重が上がり、メロディアスな曲が増えている。ハイパーテクニカル・フュージョン的な曲は少なくなり、曲によってはほとんどスムース・ジャズのよう。
 とくに、最後のスローな2曲はひどく退屈で、「なんでこんな曲入れたんだろう」と思ってしまった。

 ……とケチをつけてしまったが、いい曲も多い。

 オープニングを飾るタイトル曲は、栗原務のホールズワーシーなウネウネ・ギターが炸裂するゴキゲンなナンバー。梅垣ルナのきらきらしいキーボードとのからみに、うっとりと聴き惚れてしまう。

 約12分の大曲「トキヲコエテソラニカエリ」は、本作でいちばんの聴きもの。次々に表情を変えていく万華鏡のような構成で、数曲分のおいしさがギュッと凝縮されている感じ。

 「積みわらの歌」は、ややエスニックな感じのメロディーラインが印象的な佳曲。ほんわかとファンタジックな曲なのに、リズムセクションはタイトで間奏のギターはハード。そのギャップが面白い。

 ドビュッシーの曲をアレンジした「雨の庭」は、キーボードとアコギのデュオによるもので、非常にテクニカル。速弾きが耳に心地よい。

 帯の惹句は、「雌伏の時を経て、至福の音が帰ってきた! 紺碧の空に旋律の虹を架けるLu7の新たな探求」という、なんだかすごいもの。
 ただ、『Bonito』がそうであったように、アルバム全体に不思議な多幸感が満ちており、「至福の音」というキャッチコピーは的を射ていると思う。

 一部につまらない曲もあるものの、全体としては十分楽しめる佳作だ。

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『百円の恋』



 『百円の恋』を映像配信で観た。



 『0.5ミリ』と対になる形で、ヒロインを演じた安藤サクラの評価を一段上げた作品。昨年度のブルーリボン賞主演女優賞など複数の賞を、彼女はこの2作で得たのである。

 私は『0.5ミリ』には感心しなかったが、本作はじつによかった。

 32歳の自堕落ダメニート女・一子(いちこ)が、引退間近のしがない中年ボクサーへの恋と、自らのボクシングへの挑戦によって蘇生していく物語。
 “アラサー女子の遅れてきた青春”の鋳型に、ボクシング映画の王道ともいうべき骨子を流し込んで描いたものともいえる。

 前半ではトドのようにブヨブヨ太った体を鈍重に動かしていた安藤サクラが、後半のボクシング・シーンでは別人のように引き締まった体躯で俊敏な動きを見せる。体の変化に合わせ、表情や目つきさえまるで別物になる。「デ・ニーロ・アプローチ」のすさまじい熱演。安藤サクラの女優魂やよし、である。

 一歩間違えばクッサイ“感動押し売り映画”になりかねない題材と骨子だが、作り手たちは随所に用意された笑いやひねったセリフなどによって、その「クサさ」を巧妙に脱臭している。
 たとえば、「試合がしたい」と言う一子に、ボクシングジムの会長が次のように答えるシーンがある。

「あのね、困んのよ。アンタみたいな人さァ、男だってたまにいるんだよ。いい年こいてさァ、何もない自分に気づいちゃってさァ、『試合がしたい~』なんて言い出すヤツが……。自己満足の道具じゃないんだよ、ボクシングは」



 このセリフが象徴するように、遅すぎる自分探しをボクシングに託す滑稽さを醒めた目で見つめる視点が全編にあって、それが映画に深みをもたらしている。

 クライマックスとなるプロデビュー戦で、一子がぶざまな負けっぷりをさらすあたりも、リアルでじつによい。現実は『ロッキー』のようにはいかないのだ。
 そして、そのぶざまな負けっぷりこそが最大の感動を呼ぶのは、「映画のマジック」というものであろう。

 敗戦のあとで一子が泣きながら言う「勝ちたかったよ……。一度でいいから、勝ってみたいよ」というセリフ。それは試合だけでなく、自分の人生そのものに向けられている。そのことが説明抜きで観る者に伝わってくるあたり、鳥肌ものだ。

 一子が恋する中年ボクサーを演じるのは、新井浩文。
 私は乾いた暴力性とユーモアを漂わせたこの俳優が好きなのだが、本作はこれ以上ないハマり役だと思う。

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Lu7『Bonito』



 Lu7(エルユーセブン)の2010年のアルバム『Bonito』を、MP3ダウンロードで購入。ヘビロ中。

 Lu7は、梅垣ルナ(キーボード)と栗原務(ギター)によるインスト・ユニット。ほかに、ベース、ドラムスなどがサポートで入る。

 しいてジャンル分けすれば、フュージョン~ジャズ・ロックということになるだろう。ただ、「フュージョン」と呼ぶにも「ジャズ・ロック」と呼ぶにも、梅垣ルナの作る曲とキーボードは、あまりにシンフォニックでイマジネイティブで流麗すぎる。

 梅垣はゲーム音楽の世界で長らく作曲家として活動してきた人だそうだから、Lu7の曲にも「ゲーム音楽っぽさ」が随所にあって、その点がフュージョン/ジャズ・ロックと呼ぶことをためらわせるのだ。

 一方、栗原務のギターは、アラン・ホールズワースの影響丸見えの、いわゆる「ホールズワーシー」なスタイル。ややプログレ寄りなジャズ・ロックのギターである。
 ベースでサポート参加している岡田治郎はプリズムのメンバーでもあるから、ここに梅垣ルナがいなかったらプリズムみたいな音になっているのだろう。

 梅垣と栗原の組み合わせによるケミストリーで、Lu7はすこぶる独創的なインスト・サウンドを聴かせるユニットになっている。



 上に貼ったのは、このアルバムの収録曲ではない「Canary Creeper」という曲。
 これをYouTubeで初めて聴いたとき、私は度肝を抜かれた。ジャンル分け不可能/国籍不明な、あまりに独創的なサウンドであったから。
 
 この『Bonito』の収録曲は、もう少し「普通のフュージョン寄り」ではある。だがそれでも、凡百の毒にも薬にもならないフュージョンとは違う、イマジネイティブな音世界が広がっている。「きらびやかな多幸感」ともいうべき心地よさに満ちたアルバム。

 すごく気に入った。
 彼らのファーストとセカンドは残念ながら入手困難であるようだが、この『Bonito』(サード)の次作にあたる現時点の最新作『Azurite Dance』(2014)も買うことにする。

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竹良実『辺獄のシュヴェスタ』



 取材がつづいてバタバタしている。
 土・日は一泊で静岡へ――。富士宮市・静岡市・焼津市・島田市・掛川市と回り、2日間で5人の方を取材。
 撮影で「三保の松原」(新日本三景の一つ)も見られたし、夜は焼津の魚も食べられたので、少しだけ観光気分も味わえた。

 で、昨日は都内某所で別の取材。
 3日間の取材で聞いたたくさんの話で、頭がパンパン。


 竹良実(たけよし・みのる)の『辺獄のシュヴェスタ』1巻を購入。

 スピリッツ賞(大賞)を受賞したデビュー作『地の底の天上』の圧倒的完成度で度肝を抜いた驚異の新人の、初の連載作である。

 16世紀の神聖ローマ帝国を舞台に、母(養母)を魔女狩りによって殺された少女・エラの復讐を描いた歴史大作。1巻はまだ序盤だが、期待を裏切らない面白さでグイグイ読ませる。

 現代ドイツのライン川の川底から、中世の拷問具「鋼鉄の処女」が発見された。聖母をかたどった外観だが、その聖母はなぜか隻眼であった……というドラマティックな導入部(『スピリッツ』の公式サイトで第1話が試し読みできる)からして、読者の心を鷲づかみだ。

 魔女狩りによって親を失った「魔女の子」たちが集められた特殊な女子修道院が、おもな舞台(タイトルの「シュヴェスタ」とは「修道女」の意)。いくらでもエロ展開にできそうな設定なのに、エロに走っていないところも好ましい(グロはけっこうあるが)。

 マンガ界、今年の最注目作の一つだろう。

 それにしても、本作といい、宗教改革の端緒となったフス戦争を舞台にした『乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ』といい、最近の歴史マンガはマニアックなところを突いてくるなァ、と思う。

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成毛眞『情報の「捨て方」』



 成毛眞(なるけ・まこと)著『情報の「捨て方」――知的生産、私の方法』(角川新書/864円)読了。

 この手の本を見ると脊髄反射的に手に取ってしまう私。そしてたいていはガッカリするのだが、本書もわりとガッカリ。
 内容が薄くて、なんら得るものがなかった。

 オマケ的に最後に付されている「特別章 成毛眞の『情報』個人史」だけが、やや面白い。
 これは著者が少・青年時代にどう情報に接してきたかを振り返ったもの。ゆえに知的生産術としての実用性はないが、それでも「読み物」として楽しめる。

 「特別章」だけ、文体が違う。ここだけが、著者主宰の書評サイト「HONZ」でおなじみの、いつもの「成毛節」になっているのだ。

 それ以外の章は、やわらかい語り口調で書かれている。おそらく、「編集協力」として奥付に名前のあるフリーライターが、著者の話をまとめたものなのだろう。
 そのせいか、毒気が抜けていて、出がらしの薄いコーヒーのよう。知的生産術としても平凡なことばかり書かれていて、拍子抜け。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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