大武ユキ『フットボールネーション』



 仕事上の必要があって、大武ユキの『フットボールネーション』の既刊1~7巻を読んだ。

 サッカーマンガなのに、サッカーに微塵も興味のない私が読んでもすごく面白かった。
 本物のエンタテインメントとはそういうもので、「その世界にくわしい人でなければ楽しめない」ようでは、エンタメとして二流なのだと思う。
 たとえば、私は麻雀をやったことがないしルールも知らないが、それでも映画版『麻雀放浪記』(和田誠)はすごく面白かった。

 この『フットボールネーション』は、運動科学総合研究所の高岡英夫の「科学指導」のもと、科学的なサッカー理論をふまえた、いわば“理詰めのサッカーマンガ”である。
 「もも裏筋」などのインナーマッスルを使うことの重要性をはじめ、作中で描かれる訓練法や監督の指導はどれも、ド素人の私にも納得のいく合理的なものだ。

 “理詰めのサッカーマンガ”といっても、頭でっかちで堅苦しいマンガというわけではない。
 主要キャラはみんな「キャラが立っている」し、型破りなアマチーム「東京クルセイド」がプロチームを次々と破っていく基本構成も、昔ながらの少年マンガの王道を行くものだ(連載誌は『ビッグコミックスペリオール』だから青年マンガだが、内容はよい意味で少年マンガ的)。

 あの『ラストイニング』が本格的な野球理論を持ち込んで高校野球マンガに革命を起こしたように、『フットボールネーション』はサッカーマンガの革命と言える……のではないか(ほかのサッカーマンガをよく知らないので、自信なさげ)。

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ポール・ロバーツ『「衝動」に支配される世界』



 昨日は、取材で横浜の元町・中華街へ(中華料理店の取材ではないが)――。

 行き帰りの電車で、ポール・ロバーツ著、東方雅美訳『「衝動」に支配される世界――我慢しない消費者が社会を食いつくす』(ダイヤモンド社/2592円)を読了。

 『食の終焉』『石油の終焉』で知られる米国のジャーナリストが、こんどは「資本主義の終焉」ともいうべきテーマに挑んだ最新作。
 米国で資本主義が爛熟を極めた果てに現出した、人々の欲望ばかりを駆り立てる社会。それがいま破滅に向かいつつある現状を、さまざまな角度から描き出している。

 少し前に当ブログで『なぜ「つい」やってしまうのか――衝動と自制の科学』を紹介した際、私は次のように書いた。

 本書を通読してしみじみ感じるのは、現代文明が人間の衝動性を引き出す誘惑に満ちた「欲望の文明」だということ。我々を衝動的過食や衝動的性行動、衝動買いなどに走らせる仕掛けが、社会の隅々にまで張り巡らされているのだ。



 まさにそのような「人間の衝動性を引き出す誘惑」が、どの国にも増して「社会の隅々にまで張り巡らされている」のが、現代アメリカであろう。
 「人間が昔より強欲になったわけではない。強欲さをむき出しにできる回路が途方もなく拡大されただけなのだ」
 ――アラン・グリーンスパンの言葉だが、これはまさにアメリカにこそあてはまる。「消費者が欲しがるものを与えることに驚くほど長けた社会経済システム」(本書の序章の一節)が、最高度に発達してしまった国なのだ。

 お金がなくてもクレジットカードで買い物ができ、収入が低くても無謀な住宅ローンで家が買える。また、ネット上のさまざまなSNSを通じて、承認欲求・自己表現欲求は日々絶えず満たされ続ける。
 そして、金儲けの最も手っ取り早い手段として、空疎なマネーゲームが横行する。価値あるものを作り出すことによってではなく、金融操作で巨富を得ることが経済の中心に居座ってしまうのだ。

 アメリカのみならず、現代の先進国に多かれ少なかれ共通する現象だが、その行きつく先にどんな悲劇が待ち構えているのかを、著者はアメリカの無残な現状から明らかにする。

 一九八◯年以来クレジットカードの平均利用残高は、三倍以上に増えた。カードの利用残高を含めた家計の負債額の増加ペースは、収入に比べて二五%速かった。(中略)個人破産の割合は三倍になった。



 肥満が急増した(一九七◯年から一九九五年の間に、体重過多のアメリカ人の割合は、二◯人に三人から、一◯人に三人に増えた)。ドラッグの使用、性的な乱交、不倫が増加した。行き過ぎた行為は消費に留まらず、忍耐力や礼節、自制心も全般に不足しているように思われた。



 個人の欲望の暴走に歯止めがかからないどころか、多くの企業が自らの利益のために、その暴走を後押ししている。そのような「インパルス・ソサエティ」(=衝動社会/本書の原題)のありようは、いまやアメリカの企業文化を壊し、人々の利他的なコミュニティを壊し、政治のありようまでも変えてしまったと、著者は訴える。

 インパルス・ソサエティ化の根幹となったのは、社会の「金融化」(「金融市場が私たちの経済生活のあらゆる部分に入り込み過ぎて」いること)であり、ネットとコンピュータの急速な発展である、というのが著者の見立てだ。

 本書は、ヘンリー・フォードの時代にまで遡り、米国のインパルス・ソサエティ化の歩みをたどった書でもある。
 その意味で、当ブログでも取り上げた『誰がアメリカンドリームを奪ったのか?』(ヘドリック・スミス)の類書でもあり、2作を併読することでいっそう理解が深まるだろう。

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星井七億『もしも矢沢永吉が「桃太郎」を朗読したら』



 星井七億著『もしも矢沢永吉が「桃太郎」を朗読したら』(鉄人社/1080円)読了。

 人気ブログ「ナナオクプリーズ」の書籍化。
 『桃太郎』や『走れメロス』など、定番のお伽話・名作を、さまざまな形に変奏していくパロディ/パスティーシュ集だ。

 『桃太郎』ネタだけで20本、『走れメロス』ネタだけで8本。その他もろもろ。
 玉石混交で、「これは外したなァ」というものもあるが、バシッと決まった場合は爆笑ものだ。

 私がとくに気に入ったのは、表題作の「もしも矢沢永吉が『桃太郎』を朗読したら」「トンデモだらけの『桃太郎』」「クソリプだらけの『桃太郎』」「ブラック企業だらけの『桃太郎』」「クソレビューだらけの『桃太郎』」(これはアマゾンのカスタマーレビューのパロディ)、「死語だらけの『走れメロス』」、「ヤラセだらけの『走れメロス』」あたり。
 これらはほんとうによくできている。

 昔、和田誠が出した傑作パロディ本に『倫敦巴里』というのがあったが、あれをちょっと思い出した。
 もっとも、和田誠の本の場合は当然イラストがメインなわけだが、川端康成の『雪国』の冒頭部分を他の人気作家の文体で書き分けるというパスティーシュ・コーナーがあったりして、わりと本書に近いテイストなのだ。

 こういう質の高いパロディが、原稿料という対価の発生しない個人プログで書かれ、無料で読める――原稿料でメシを食っている我々ライターにとっては恐るべき時代だと思う。

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『ホットロード』



 『ホットロード』を映像配信で観た。

 あまり期待せずに観たのだが、意外によかった。名作マンガの映画化としては、かなり上出来の部類。『寄生獣』なんかよりずっといい。

 私は紡木たくに思い入れはないが、『ホットロード』は好きだった。1980年代後半のマンガ青年にとっては、いわば“必須の教養”の一つだった作品なのである。大塚英志の『システムと儀式』所収の『ホットロード』論(※)を読んで、「へ~っ」と感心したりもした。

※「『ホットロード』は儀式のない時代にあって作り出された少女たちのための通過儀礼の神話であった」云々というもの。

 この映画版は、原作に対する素直なリスペクトが全編に満ちている点が好ましい。
 忠実すぎるほど原作に忠実に作られているのだが、たんにストーリーをなぞった感じではなく、「原作の持つ空気感まで完全再現してやろう」という意気込みが伝わってくる。紡木たく作品独特のコマ割りまで、映像によって完コピしている印象なのだ。

 観る前は「能年玲奈(当時19歳くらい?)に女子中学生の役はさすがに無理じゃないの」と思っていたのだが、実際に観てみるとまったく違和感がない。まあ、私は『あまちゃん』を観ていないから、『あまちゃん』のイメージとの齟齬が気にならないせいもあるだろうが……。

 能年玲奈も春山役の登坂広臣も、それぞれ熱演だし、原作のイメージを損なっていない。
 単純に青春映画/アイドル映画として観ても、かなり「いい線いってる」と思う。

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マーリーン・ズック『私たちは今でも進化しているのか?』



 マーリーン・ズック著、渡会圭子訳『私たちは今でも進化しているのか?』(文藝春秋/1944円)読了。書評用読書。

 原題は「PALEOFANTASY」(=石器時代への幻想)。日本でも最近流行っている「パレオダイエット」(旧石器時代式ダイエット)を、進化生物学者の著者が批判した書である。

 私は「パレオダイエット」という言葉自体、本書で初めて知った。旧石器時代の食事法を再現したダイエット法なのだそうで、日本では「原始人食ダイエット」とも呼ばれる。

 農耕文明が始まったのは約1万年前であり、進化の歴史から見たらつい昨日のようなもの。ゆえに、人間の体はまだ農耕文明以後の食生活に適応しておらず、石器時代仕様のままになっている。炭水化物中心の現代の食生活がさまざまな文明病を生んだのは、その齟齬のためである。
 だから、炭水化物を避け、肉、魚介類、野菜、ナッツ、フルーツをおもに食べる石器時代式の食事にすれば、健康で美しくなれる。

 ……とまあ、そのような考え方に基づくダイエットであるようだ。「糖質制限ダイエット」の源流も、このパレオダイエットだという。

 本書の随所に紹介されているパレオダイエット推進者側の考え方を見ると、もろに疑似科学である。しかも、進化論に基いているという装いの疑似科学なわけで、第一線の進化生物学者である著者としては捨て置けなかったのだろう。

 私はパレオダイエットなるものにまったく興味がないが、それでもこの本は面白く読めた。というのも、パレオダイエットの誤りを論破することを通じて、著者はおのずと進化生物学の最前線を読者に紹介していくことになるからだ。つまり、最新版の「進化論入門」としても読めるのである。

 しかも、著者の文章は上品なユーモアに満ちていて、けっこう笑える。
 ジャレド・ダイアモンドの文明論的サイエンス・ノンフィクションをもっと軽妙にした感じで、なかなか読ませる本だ。

■参考(本書とパレオダイエット推奨本を対比的に紹介した記事)
「炭水化物」は人類の敵なのか、味方なのか(東洋経済オンライン)

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5X『HUMAN TARGET』



 私にとっての懐メロ・シリーズの続き。今日は、5Xの『HUMAN TARGET』を再聴。

 5X(ファイブエックス)は、カルメン・マキが1980年代初頭にやっていたハードロック・バンド。
 バンド名の「5X」とは、射撃練習に使う「人間標的(HUMAN TARGET)」の、心臓部分に書かれた表示のこと。つまり、「撃たれたら死ぬしかない急所」の意だ。

 カルメン・マキのロック・ヴォーカリストとしてのピークがどこにあったのかは、評価が分かれるところ。「マキオズ」――「カルメン・マキ&OZ」時代をピークと見る向きも多いことだろう。

 私も、マキオズの「私は風」は日本ロック史上に残る名曲だと思う。しかし、マキオズのアルバム全体をいま聴くと、歌謡曲的要素がけっこう強くて鼻白んでしまうのだ。
 
 私が思うカルメン・マキのピークは、5X時代だ。
 とくにこの『HUMAN TARGET』(1982年)は、贅肉を削ぎ落したソリッドでパワフルなハードロックで、素晴らしい。

 オープニングの「Movin' On」から2曲目の「悪い夢」へと続くシークェンスなど、もう鳥肌ものである。



 とくに、「悪い夢」は名曲。
 マキ自身がどん底から這い上がった経験(ドラッグによる逮捕からの復活)を反映した歌詞を、魂込めて歌い上げて感動的だ。

 「悪い夢よ さよなら 翼はまだ 折れちゃいないさ」「落ちるところまで 落ちたんだから あとはもう 上がるしかないぜ」……などという歌詞が、心にビンビン響く。

 聴いていてこれほど「アガる」ロック・ナンバーも珍しい。
 私にとっては、ストラングラーズの「タンク」、サンハウスの「カラカラ」、バウワウの「Electric Power Up」、トム・ロビンソン・バンドの「パワー・イン・ザ・ダークネス」、遠藤賢司の「東京ワッショイ」などと並ぶ「アガるロック」なのである。

 マキ姐さん、またこういうストレートなハードロックを演ってくれないものか。 


↑5X時代のライヴ映像見っけ! テレビ神奈川の『ファイティング80's』出演時のもので、「悪い夢」も演ってる。

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ビジネス『ビジネス』『CRISIA』



 最近は古い音楽ばかり聴いている私。
 1980年代初頭くらいの、私がまだ少年でLPレコード(CD以前)があまり買えなかった時期に、レンタルして録音したカセットテープで聴いていたアルバムが、いまやほとんど復刻されている。もっぱらそれらに手を伸ばしているところ。

 今日は、「ビジネス」のファーストとセカンドを聴いた。80年代初頭にアルバム2枚のみ出して消滅した、マイナーなニューウェーブ・バンドである。

 ポリスのファースト・アルバムみたいな、レゲエ/スカを基調とした乾いたニューウェーブ・サウンドなのだが、それでいて英国ニューウェーブの物真似には終わっていない。昭和歌謡的な要素を取り込んで、すこぶる独創的な和洋折衷ニューウェーブになっているのだ。
 演奏もすごくうまい。タイトなリズムセクションに、小気味よいギターのカッティング。

 「初期ポリスをバックにEGO-WRAPPIN'が歌っているような音」と評していた人がいたが、たしかに言えてる。
 ただ、EGO-WRAPPINほどオシャレではなく、どちらかというとバービーボーイズ的な下世話なカッコよさがある。美空どれみのハスキーなヴォーカルはコケティッシュなのにドスの利いた迫力があって、バービーの杏子を彷彿とさせるし……。

 「うわきわきわき」とか「すっぱい失敗」とか、タイトルだけでニヤリとさせるセンスでOLの恋模様をユーモラスに歌い上げた歌詞も秀逸だ。
 かと思えば、「Gray」とか「Endress 80’s」のようなストレートに洋楽的な曲もあって、それらは初期XTCなどと比べても遜色ないカッコよさ。


↑「ストレートに洋楽的な曲」の一つ、「断線」。「断線、断線……」のリフレインが「Dancin」に聞こえる言葉遊びの妙。



 ラストアルバムになってしまったセカンド『CRISIA』は、ジャケットやタイトルが示すように、ファーストにあった「イロモノ感」が薄れて、すっきりとカッコいいニューウェーブ・サウンド。曲も粒揃いだ。
 惜しむらくは、ファーストにあった並外れたキャッチーさ(一度聴いただけで強烈に耳に残る)が消え、地味になってしまったこと。もっとも、聴き飽きないのはセカンドのほうだと思うが……。

 たぶん10年くらいは早すぎたバンドで、デビューが90年代だったらもっと売れたと思う。
 それどころか、2015年のいま聴いてもまったく古臭くない。隠れた名バンドである。

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鈴木宏昌『ロック・ジョイント琵琶~組曲 ふることふみ』ほか



 鈴木宏昌の『ロック・ジョイント琵琶~組曲 ふることふみ』『ロック・ジョイント・シタール~組曲 シルクロード 』を聴いた。
 1972年から73年にかけて作られた、「ロック・ジョイント」シリーズの2作品である。

 「コルゲン」こと鈴木宏昌は、一般にはTVアニメ『海のトリトン』の音楽を担当したことで知られている。
 『海のトリトン』の劇伴は素晴らしいもので、いま聴いても十分大人の鑑賞に堪える見事なジャズ作品になっている。

 しかし、それ以外の鈴木の仕事は意外に知られていない。彼が率いた渋いフュージョン・バンド「ザ・プレイヤーズ」のアルバムの大半は、中古ですごい高値がついていて入手困難だし。

 そして、「ザ・プレイヤーズ」以上に知られていないのが、1970年代前半に鈴木が手がけた、一連の先鋭的なジャズ・ロック作品。その代表格が、この「ロック・ジョイント」シリーズ2作品である。
 まあ、私自身もアルバムを丸ごと聴いたのは今回が初めてなのだが……。

 『ロック・ジョイント琵琶~組曲 ふることふみ』は、『古事記』(「ふることふみ」とも読む)をテーマにしたコンセプト・アルバム。ピアノ/ベース/ドラムスのジャズ・トリオを主体に、ギターとホーン類、ストリングスが加わり、琵琶と和太鼓がアクセントをつける。まさに「和のジャズ・ロック」だ。

 タイトルの印象からは琵琶が主役のように思えるが、じつは脇役程度の使われ方である。

 杉本喜代志によるギターがすごい。時にジョン・マクラフリンやジミヘンを彷彿させるほどアグレッシブなのだ。
 アルバム中に何曲かあるハード・チューンは、同時期に登場したマハヴィシュヌ・オーケストラに対する日本からの回答とも思える。

 とはいえ、全体的にはロック色はそれほど濃くはなく、むしろ本格的ジャズアルバムとして優れている。企画から受ける印象ほどキワモノではないのだ。



 もう一枚の『ロック・ジョイント・シタール~組曲 シルクロード 』は、タイトルのとおり、琵琶に代わってシタールが用いられている(やはり、シタールの用い方はアクセント程度)。こちらはギターもいないので、『組曲 ふることふみ』よりもさらにジャズ色が濃い。

 『ロック・ジョイント』というわりにロック色は意外に薄く、その点ではやや肩透かし。とはいえ、硬質なリリシズムに満ちた骨太なジャズとして、普通に聴き応えがある。
 とくに、関根英雄のドラムスは強烈。オープニング・ナンバー「シルクロード」での速射砲のようなドラミングは、ビリー・コブハムばりだ。



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原田曜平&日本テレビZIP!取材班『間接自慢する若者たち』

間接自慢する若者たち

間接自慢する若者たち
著者:原田曜平
価格:1,512円(税込、送料込)
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 原田曜平&日本テレビZIP!取材班著『間接自慢する若者たち――ZIP!発!!若者トレンド事典 』(KADOKAWA/1512円)読了。仕事の資料として。

 テレビ番組『ZIP!』のワンコーナー「アレナニ?」の書籍化。マーケッターの著者が、最新の若者消費事情を伝えるコラム集である。

 タイトルの「間接自慢」とは、おもにSNS上で行う“遠回しなリア充自慢”のこと。

 いまどきの若者たちは、ツイッターやフェイスブックなどで「直接自慢」(カノジョとのツーショットや、カレシからもらったプレゼントの写真を載せるなど)をすると仲間の反感を買うので、「間接自慢」をする。
 たとえば、ディナーの料理を写した写真にさりげなくカレシの体の一部を写し込ませるとか、プレゼントの包みが隅っこにちょっとだけ「見切れる」ようにしておくとか……。
 すると、友人はそれを見て「ほんとうに自慢したいこと」を鋭く察知し、リアクションしてくれるのだとか(笑)。

 いまの若者たちというのは、なんとまあ面倒くさいというか、大変ですね。

 そのほか、若者の間のさまざまな流行現象が紹介されていて面白く読んだが、「私には一ミリも縁のない世界だなァ」と疎外感を感じてしまった。本書に出てくるのはリア充世界の出来事ばかりだから、リア充でない若者が読んでも同じように感じるだろう。

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カレル・ヴァン・ウォルフレン、白井聡『偽りの戦後日本』

偽りの戦後日本

偽りの戦後日本
著者:白井聡
価格:1,728円(税込、送料込)
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 カレル・ヴァン・ウォルフレン、白井聡著『偽りの戦後日本』(KADOKAWA/1728円)読了。

 1990年代のベストセラー『人間を幸福にしない日本というシステム』などで知られるオランダ人ジャーナリストと、『永続敗戦論』の白井聡による対談集。

 「ま、この2人が対談すればこういう話になるわなァ」という予想の範囲内に収まる内容で、目からウロコが落ちるような驚きはない。
 それでも、随所に卓見があり、一読の価値はある本だ。とくに、舌鋒鋭い安倍首相批判にはある種の痛快さがあるし、日本がずるずると続けている対米従属姿勢が、いまや完全に時代遅れになっているとの指摘は傾聴に値する(『永続敗戦論』の反復ではあるが)。

 いわく――。

 いまでもアメリカの属国状態が続いている。いくら政権交代をしたところで意味はない。結局、アメリカが認める範囲内でしか政策の選択肢がない。(白井の発言)



 官僚たちは、アメリカがすっかり変貌したという事実に目を向けていないのです。“昔のアメリカ”をベースに物事を考えている。だから、今でも対米従属が日本の利益に適うと信じ、全く疑おうとしない。(ウォルフレンの発言)



 あと、「ほんとうにそのとおりだ」と思ったのは、白井の次のような指摘。

 右翼は朝日新聞を嫌いつつ、実は過大評価してしまっているのです。日本の国際的評価を左右したり、内閣を潰すほどの力があると考えている。それこそ幻想に過ぎません。むしろ過去10年、20年にわたって、朝日の影響力は衰え続けている。(中略)
 ところが右翼はそうは考えません。朝日新聞やNHKといった大メディアが、今でも日本のリアリティを形づくっていると信じている。



 暗い話が多くて気が滅入る本ではあるが、質の高い対談集だ。

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白井聡『永続敗戦論』
笠井潔・白井聡『日本劣化論』
カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本を追い込む5つの罠』

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鈴木宏昌+稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディア『バイ・ザ・レッド・ストリーム』

バイ・ザ・レッド・ストリーム

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鈴木宏昌+稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディア(SUZUKI HIROMASA + INAGAKAI JIRO & BIG SOUL MEDIA)
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 昨日は、三重県松阪市で企業取材。
 読みが「まつさか」と濁らないことを初めて知った。でも「松阪牛」という場合には「まつざか」という読みが一般的であるような気が……。(参考→ 松阪牛は、いつから「まつさかうし」に?


 鈴木宏昌+稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディアの『バイ・ザ・レッド・ストリーム』(1973)を聴いた。

 『和ジャズ・ディスク・ガイド』(リットーミュージック)には稲垣次郎が和製ジャズ・ロックの名盤『ヘッド・ロック』を振り返ったインタビューが載っており、その中で稲垣は次のように発言している。

 『ヘッド・ロック』は僕の思いつきでパーッと録ってしまったから、厳密に言えばすごく不満もあります。今になって良いと言ってくれる人がいるのは嬉しいけど、僕としてはそのあとにコルゲン(鈴木宏昌)とやった『バイ・ザ・レッド・ストリーム』や『ハイ・フライング』のほうが理想の音に近いかな。



 「理想の音に近い」なら聴いてみなければ……と手を伸ばしてみたしだい。

 ところで、この『和ジャズ・ディスク・ガイド Japanese Jazz 1950s-1980s 』は、「和モノ・レア・グルーヴ」としての和ジャズを深堀りするためのガイドブックとして出色だと思う。

和ジャズ・ディスク・ガイド

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著者:塙耕記
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 さて、この『バイ・ザ・レッド・ストリーム』、反戦平和をテーマに掲げた「和ジャズ史上に残る壮大なコンセプト・アルバム」とのことだが、うーん……、私にはよくわからなかった。
 『ヘッド・ロック』に比べると、ジャズ・ロック色は大きく後退。松木恒秀のギターのみ「ロックしている」が、分厚く重ねられたホーン類の比重が高く、むしろフリージャズ色が濃い。全体にスピリチュアルな印象で、コルトレーンの『至上の愛』を思わせる部分もある。

 コルトレーンに強い影響を受けたサックス奏者でもある稲垣次郎としては、これが「理想の音に近い」のは、まあ当然か。私は『ヘッド・ロック』のほうが好きだな。

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稲垣次郎とソウル・メディア『ヘッド・ロック』ほか

ヘッド・ロック

ヘッド・ロック
稲垣次郎とソウル・メディア(JIRO INAGAKI & HIS SOUL MEDIA)
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 今日、ようやく確定申告を済ませた。
 期限から約3ヶ月遅れだが、去年確定申告したのは7月末だったから、少しマシ。

 昨年の所得金額を書かないといけない野暮用書類の提出期限が近く、必要に迫られて……。
 切迫しないと腰を上げないこの悪いクセを、なんとか直したいと思う。


 最近、日本のジャズ・ロックの源流の一つといえる稲垣次郎の70年代作品に、次々と手を伸ばしている。
 「稲垣治郎とソウル・メディア」名義の『ヘッド・ロック』(1970)や『ファンキー・スタッフ』(1974)、佐藤允彦と「稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディア」のコラボ作品『明日に架ける橋』(1971)など……。

 このうち『ヘッド・ロック』は、『和ジャズ・ディスク・ガイド』(リットーミュージック)では「日本産のジャズ・ロック~レア・グルーヴとしては、その内容と存在感からワン・オブ・ザ・ベストに数えられる作品だろう」「現代においてなお新鮮で刺激的な希代のジャズ・ロック・ショウケースである」と絶賛されている。

 たしかにカッコイイ。
 荒々しいリズムセクション、ファズの効いた川崎燎のサイケなギター、今田勝のクールなオルガン……40数年前の日本にこんなジャズ・ロック・アルバムが現れていたことに、驚かされる。



 『ファンキー・スタッフ』は、タイトルのとおり、ジャズ・ロックというよりはジャズ・ファンク。鈴木宏昌の編曲も非常に洗練されていて、全編日本人離れしたサウンド。まさにジャパニーズ・レア・グルーヴだ。

 『ヘッド・ロック』の主役が川崎燎のファズ・ギターだとすれば、『ファンキー・スタッフ』の主役はまぎれもなく岡沢章の見事なベースだろう。



 以上2枚の素晴らしさに比べると、佐藤允彦との『明日に架ける橋』はイマイチ。
 とくに、タイトルになったサイモン&ガーファンクルの名曲カバーは、聴いていて鼻白んでしまうような陳腐さ。なんかこう、スーパーの店内BGMとかに流れている安直なインスト・カバーみたいなのである。
 後半のオリジナル曲3曲はわりとカッコイイのだが……。

 ともあれ、しばらくは稲垣次郎、鈴木宏昌らによる、70年代前半の国産ジャズ・ロックを深堀りしてみるつもり。

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ポール・J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術』



 ポール・J・シルヴィア著、高橋さきの訳『できる研究者の論文生産術――どうすれば「たくさん」書けるのか』(講談社/1944円)読了。

 原題は「How to Write a Lot」。米ノースカロライナ大学准教授で心理学者の著者が、自らの経験をふまえて論文生産の効率を高めるコツを説いた本だ。

 もちろん私は研究者ではないし、書いているのも学術論文ではない。が、本書はライターのモチベーション向上にも役立つものであった。
 章立ては次のようになっている。

第1章 はじめに
第2章 言い訳は禁物―書かないことを正当化しない
第3章 動機づけは大切―書こうという気持ちを持ち続ける
第4章 励ましあうのも大事―書くためのサポートグループをつくろう
第5章 文体について―最低限のアドバイス
第6章 学術論文を書く―原則を守れば必ず書ける
第7章 本を書く―知っておきたいこと
第8章 おわりに―「まだ書かれていない素敵なことがら」



 このうち、4章から7章まで――すなわち本書の半分は、研究者にしか役立たない内容であったり、日本人には関係ない話であったりする。それでも、残り半分の章のためだけに買う価値のある本だった。

 私は30年近くもフリーライターをやってきたのに、いまだにスケジュール/モチベーション管理が拙劣で、しばしばスケジュールの狂い(要するに仕事の遅れ)に悩まされている。
 その泥沼の悪循環からなんとか抜け出そうと、最近、いろんな工夫を重ねたり、この手の本を読みかじったりしている。

 本書は、以前当ブログで紹介した『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』と並んで、背中を押してくれる効果の高い本だと思った。

 著者の主張の骨子は、きわめてシンプル。

 ・「書かないための言い訳」(「まだ準備が足りない」「まとまった時間が取れたら書く」など)を自らに禁じること
 ・毎日決まった執筆時間をもうけ、その時間には必ず机に向かって書くことで、執筆を習慣化すること
 ・毎日、その日の具体的な執筆目標を設定すること(ほかに、もっと大きな目標も設定する)
 ・たくさん抱えた仕事の優先順位を明確にしておくこと
 ・執筆進行状況を、つねに具体的に把握しておくこと

 ――大枠としては、これくらいなのだ。
 ご覧のとおり、斬新なアイデアが盛り込まれているわけではなく、凡庸なアドバイスのようにも思える。だが、そのことを「凡事徹底」で行うためのノウハウに独自性がある。
 たとえば、著者は統計ソフトを使って「執筆進行状況管理ファイル」を自作し、自分の執筆作業を可視化している。何を何ワード書いたのか、執筆のためにどのような作業をしたのか、その日の目標は達成できたのか否かなどを、毎日記入していくのだという。

 そのことがもたらす効果について、著者は次のように言う。

 自分の行動を見張っているだけで、机に向かって書くのが楽になる。行動研究からは、自己観察だけで、所望の行動が誘導されることがわかっている。
(中略)
 執筆時間帯に机に向かわなかった場合に記録表に大きくて醜いゼロという文字を入力する効果は大きい。(中略)執筆の進み具合を記録していると、目標を上手に立てられるようになる。記録しはじめてしばらくすると、自分の執筆の進み具合について現実的な予想を立てられるだけのデータが集まってくる。目標を上手に立てられると、執筆ははかどるものだ。



 ダイエットにおける「レコーディング・ダイエット」のようなものだが、私も取り入れてみようと思った(いまでも、その日何を執筆したかの大まかな記録はつけているのだが、もっと細かく記録することにしよう)。

 執筆モチベーションを保つために、抜き書きして机の前に貼っておきたいような言葉も多い。研究者ならずとも、日常的に文章を書く仕事の人なら一読の価値がある本。

■関連エントリ
ピアーズ・スティール『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』
中井紀之『「前倒し」仕事術!』

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『0.5ミリ』



 『0.5ミリ』を映像配信で観た。

 主演が安藤サクラ、監督・脚本がサクラの実姉・安藤桃子、エグゼクティブプロデューサーが奥田瑛二、映画に出てくる料理のフードスタイリストは安藤和津という、奥田ファミリー総出で作られた作品。



 邦画の映画賞総ナメ、昨年の『キネマ旬報』ベストテンで邦画2位、各紙誌絶賛の嵐……な映画。
 なので期待したのだが、私にはつまらなかった。

 介護ヘルパーのヒロイン・山岸サワは、「家なし・職なし・金なし」の状況に追い込まれたことから、街で探したワケあり老人の家に入り込んでは「押しかけヘルパー」となる。何人かの老人とサワのふれあいを描く、風変わりなロードムービー……という趣。

 面白そうな設定ではある。だが、「悪意なき木嶋佳苗」とでも評したいヒロインの行動に私はまったく共感できなかった(いったい何がしたいの?)し、何よりダラダラ長すぎる。なんと196分! 3時間以上もかける必然性が、この映画にはないと思う。これがもし100分以内の小品だったなら、気持よく楽しめただろう。

 部分的にはいい場面もあるし(坂田利夫の演じる独居老人は出色)、女優として安藤サクラはいいのだけれど。

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松田卓也『2045年問題』

2045年問題

2045年問題
著者:松田卓也
価格:864円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る



 今日は、東大で人工知能の研究者である松尾豊准教授を取材。
 いつも思うことだが、最先端の研究者へのインタビューというのは個人教授を受けるようなもので、なんとも贅沢なことである。「仕事を通じていろんな勉強ができること」が、ライターの醍醐味の一つだ。人工知能に関する本を立て続けに読むなんて、私にとっては仕事でなければあり得ないし……。


 行き帰りの電車で、松田卓也『2045年問題――コンピュータが人類を超える日』(廣済堂新書/864円)を読了。
 
 レイ・カーツワイルが提唱している、「2045年に人工知能は技術的特異点(シンギュラリティ)に達し、人類全体の知能をはるかに超える。それ以後の未来は予測不可能となる」との説をめぐる、いわゆる「2045年問題」。それを中心に、人工知能と人類の未来を大局的に展望した本。著者は宇宙物理学者で、神戸大学名誉教授。

 悪い本ではないのだが、『人工知能は人間を超えるか』(松尾豊)、『AIの衝撃』(小林雅一)という2冊の優れた概説書を読んだあとだと、わりを食って見劣りがする。著者のSF的空想で水増しされている点が目立ち、内容が薄いし。

 あと、話が横道にそれるところも多い。
 たとえば、著者がいろんな音声入力ソフトを使ってみた経緯を延々と書いているくだりがあって、「ここ、いらんやろ」と思った。また、『ターミネーター』『マトリックス』『攻殻機動隊』など、人工知能が描かれた映画のあらすじを延々と紹介しているくだりもあって、やはり「ここ、いらんやろ」と思った。

 人工知能の普及による失業者の大量発生とか、悲観的な話に妙にウエートが置かれているのも、本書の特徴だ。
 傾聴に値する卓見もあるので、駄本とは言わないが……。

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小林雅一『AIの衝撃』

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か

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著者:小林雅一
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 小林雅一著『AIの衝撃――人工知能は人類の敵か』(講談社現代新書/864円)読了。仕事の資料として。

 昨日読んだ『人工知能は人間を超えるか』(松尾豊)の類書。AI――人工知能の概説書である。
 面白いのは、2つの本が同じテーマを扱い、同時期に刊行されたにもかかわらず、内容が別物になっているところ。人工知能の歴史を振り返った部分などに一部重複もあるが、紹介されるエピソードなどはほとんど重なっていないのだ。

 松尾豊の本が研究者目線であるのに対し、本書はジャーナリスティックな目線から書かれているという、アプローチの違いによるものだろう。著者の小林はKDDI総研リサーチフェロー/情報セキュリティ大学院大学准教授だが、雑誌記者、新聞記者の経験もある人だから。

 著者は私見を排し、データやエピソードを集めて「事実をして語らしむ」やり方で、中立・客観的視点からAIの「いま」と「これから」に迫っていく。膨大な事実を整理する手際が鮮やかで、じつによくまとまっている。

 本書と『人工知能は人間を超えるか』を併読することで、AIについてバランスのとれた鳥瞰図が得られるだろう。

 とくに面白かったのは、最後の第4章「人間の存在価値が問われる時代」。
 従来、「単純作業は機械のほうが得意でも、創造的な仕事は人間にしかできない」と考えられてきたが、AIの急速な進歩でその点もあやしくなってきた。
 バッハそっくりの曲を短時間で大量に作れるコンピュータ・プログラムが登場するなど、AIがある種の創造性を発揮するようになってきたのだ。この傾向が今後どんどん強まっていくとしたら、そもそも「創造性」とは何か? そして、人間の存在価値とは? ……という問題提起がなされる章で、知的興奮に富む。

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松尾豊『人工知能は人間を超えるか』ほか

人工知能は人間を超えるか

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 松尾豊著『人工知能は人間を超えるか――ディープラーニングの先にあるもの』(角川EPUB選書/1512円)、松尾豊・塩野誠著『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」 』(KADOKAWA/1512円)を読了。仕事の資料として。

 松尾豊・東大准教授は、まだ若い(1975年生まれ)のに、日本を代表する人工知能研究者の1人と目されている方である。
 『人工知能は人間を超えるか』は、人工知能の概説書。人工知能の歴史と現状、そして「ディープラーニング」というブレークスルーによって今後人工知能がどう社会を変えていくかの展望が、手際よくまとめられている。

 全7章のうちの2章~4章が、人工知能の歴史の概説に充てられている。ここは、著者も「読み切るのは、少し骨が折れるかもしれない」と書いているとおり、私のような文系人間にはやや難しい。しかし、ここを読んでおくことによって、そのあとの章がすんなり理解できるように作られている。

 人工知能についての非常に優れた概説書・入門書であり、知的興奮にも満ちている。巧みな喩え話をちりばめるなど、わかりやすさへの工夫が随所に凝らされている。私のようなド素人にも人工知能の概略が理解できるのはスゴイ。

 もう一つの『東大准教授に教わる~ 』は、実業家(株式会社経営共創基盤のマネージングディレクター・パートナー)の塩野誠との対談形式。
 タイトルの印象から、読者の多くはわかりやすい入門書を期待するだろう。だが、じつはまったく入門書的ではない本だ。対談の中身は半ば哲学的といってよいものだし、話があちこちに飛んでまとまりに欠ける。『人工知能は人間を超えるか』がよく整理された構成であるのとは対照的。

 私は先に『人工知能は人間を超えるか』を読んだので、そこで得た知識によって『東大准教授に教わる~』も面白く読めたが、こっちだけ単独で読んだらわかりにくいと思う。
 部分的には目からウロコの話や卓見もたくさんあるのだが、入門書としてはオススメできない。「人工知能をめぐる知的雑談集」といった趣の本である。

 というわけで、『人工知能は人間を超えるか』のほうをオススメ。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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