石井光太『浮浪児1945-』


浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち
(2014/08/12)
石井 光太

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 今日は、『埼玉新聞』の社長さんを取材。さいたま市の埼玉新聞社にて。

 行き帰りの電車で、石井光太著『浮浪児1945-: 戦争が生んだ子供たち』(新潮社/1620円)を読了。
 著者が(ノンフィクションでは)初めて過去の歴史に挑んだ作品だ。

 1945年3月10日の東京大空襲で親と家を失った子どもたちなど、終戦直後の焼け野原にあふれた戦災孤児たち。彼らはどのように生きのび、また死んでいったのか――。
 5年を費やして100人近くの当事者・関係者を取材し、膨大な資料を渉猟して、戦災孤児たちが歩んできた道のりをたどった労作である。

 戦後の食べるものさえない極限の状況で、浮浪児たちは生存本能に突き動かされるようにして生きた。物乞いをし、日本各地を流浪し、残飯を食し、犬を殺し、強奪をしながらも生きのびた。(「あとがき」)



 浮浪児たちの過酷な人生が次々と描き出されるのだが、彼らに手を差し伸べた人もたくさんいたことが随所に記されており、読んでいて救われる思いがする。

 石井光太のノンフィクションにはいつも、人目を引くドギツイ場面、エグい場面をことさら強調して書くような「癖」が感じられる。一歩間違えるとセンセーショナリズムに堕してしまう危うい「癖」であり、本書もその危うさから自由ではない。

■関連エントリ→ 石井光太『感染宣告』レビュー

 それでも、本書はまぎれもない力作だと思う。
 浮浪児だった人たちの大半が70代~80代となり、取材自体が困難となるなか、よく100人近くもの証言者を探し当てたものだ。そして、それらの証言と各種資料の記述を丹念につなぎ合わせ、一つの全体像を構築してみせた力量にも脱帽である。

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中野信子『努力不要論』


努力不要論――脳科学が解く! 「がんばってるのに報われない」と思ったら読む本努力不要論――脳科学が解く! 「がんばってるのに報われない」と思ったら読む本
(2014/07/06)
中野信子

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 今日は都内某所で、社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督兼選手である片岡安祐美さんを取材。
 ゴールデンゴールズの歩みを綴った、萩本欽一著『野球愛』(ソフトバンク新書)を読んで臨む。
 
 テレビや雑誌で見るよりも、実物のほうがはるかにカワイイ。
 欽ちゃんをして、「いい目をしている。こんな目に会ったのはキムタク以来だ」と言わしめた彼女の目ヂカラは、やはり強烈。間近で見ていたらポ~ッとなった。

 まだ28歳の若い娘さんなのに、監督として立派にチームをまとめあげている様子にも感服。人を惹きつける強い魅力をもった人だと思う。


 行き帰りの電車で、中野信子著『努力不要論――脳科学が解く! 「がんばってるのに報われない」と思ったら読む本』(フォレスト出版)を読了。

 挑発的なタイトルはアイキャッチであって、著者は「すべての努力が不要だ」と主張しているわけではない。“努力にも正しい努力と間違った努力がある。無駄な間違った努力はやめましょう”と言っているだけなのだ。

 間違った努力とは、「戦略も何もなく、ただがむしゃらにがんばる努力」であり、正しい努力とは「①目的の設定、②戦略の立案、③実行の3段階のプロセスを経た努力」のこと。著者は前者を「狭義の努力」、後者を「広義の努力」と呼ぶ。

 さらに、「狭義の努力」とは、「肉体・精神・時間への盲目的な負担に主眼を置くもの」であり、「行動のベクトルはまったく目的に近づいていないのに、本人は『がんばっている』『目的に近づいている』と思い込んで」しまいがちだと言う。
 
 人間は“こんなに努力している自分”に酔って「努力中毒」に陥りやすく、それが人を間違った努力に走らせる大きな要因である、との主張は新鮮だ。

 努力している自分――。
 これはとても中毒性の高いものです。努力しているさなかにあって、努力すること自体が目的になってしまっている人は、やはり「努力している自分」に喜びを感じているのです。
 それを示す実験があります。
 ダイエットをして、「今日はほとんど食べなくてよかった」とか、「身体に良いものを食べた」と認知している人は、倫理的に悪いことをする傾向があるというのです。(文字強調は原文ママ。以下同)



 「努力中毒」になり、自分を痛めつける無駄な努力自体が目的化してしまう。だからこそ努力が報われない――世に蔓延するそのような間違った努力のありようを、著者はさまざまな角度から否定していく。
 
 一般的な自己啓発書の主張は、「努力は必ず報われる」という「努力教」であり、読者を間違った努力に向かわせやすい。その意味で、本書は自己啓発書イデオロギーの対極にある内容だ。と同時に、「努力教」を否定した新しいタイプの自己啓発書ともいえる。

 中野さんの2年前の著作『世界で活躍する脳科学者が教える! 世界で通用する人がいつもやっていること』も、やはり「新しいタイプの自己啓発書」と呼びたい内容であった。

 してみると、彼女は“脳科学の知見を援用した、科学的に正しい自己啓発書”を目指しているのではないか。
 本書においても、メモしておきたいような脳科学の知見が、随所に登場する。たとえば――。

 虐待を受けると前頭前野の発達が妨げられ、薄いままになってしまうことがあります。子供のころは愛情をたっぷり与えてあげないといけないというのは、愛情が脳にとっての栄養のようなものだからです。
 科学的な実験から得られた知見を、まわりくどくないようにとても簡略化してお伝えしようとすると、なぜか古くから多くの人に語られてきた道徳観や倫理観などと合致していくというのは、とても興味深い現象だと思います。



 ストレスというのは、ありすぎても足がすくんでしまって、課題を遂行しようというモチベーションが削がれてしまうのですが、なさすぎてもやる気は起きません。これは「ヤーキーズ・ドッドソンの法則」といって、実験動物で見つかった現象ですが、人間にもあてはまります。
 適切なストレスがかかることが、人の力を最大に引き出します。



 私がいちばん目からウロコだったのは、「セロトニントランスポーター」(神経細胞間でやりとりされるセロトニンの量を調節するタンパク質)の量にも民族的差異があり、「日本人は、世界で最もセロトニントランスポーターが少ない」との指摘。

 セロトニントランスポーターが少ないと、脳内のセロトニンが少なくなって不安にかられやすくなる。ゆえに、「『真面目にやっているのに報われない……』と、世界で一番感じやすいのが日本人なのです」と、著者は言うのだ。ううむ……。
 
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中村淳彦『日本の風俗嬢』


日本の風俗嬢 (新潮新書 581)日本の風俗嬢 (新潮新書 581)
(2014/08/09)
中村淳彦

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 中村淳彦著『日本の風俗嬢』(新潮新書/842円)読了。

 同じ著者が2年前に出した『職業としてのAV女優』の続編というか、風俗嬢編である。刊行は8月で、いま私の手元にある本は10月発行の9刷(!)。売れているのだ。

 著者は性風俗業界の取材を長年つづけてきたライターだから、さすがに現状にくわしいし、そのうえ本書のためにも丹念な取材を重ねている。

 『職業としてのAV女優』は、AV女優に求められるスペックがどんどん高くなり、その一方で業界の不況が進んでいる現状を明かして衝撃的だった。一部のハイスペックな女性を除けば、AV女優は普通のOLより稼げない仕事になっているというのだ。

 本書で明かされた日本の風俗嬢たちの現状も、それとよく似ている。風俗嬢の「偏差値」は上がり、一方では業界の供給過剰・低価格化競争が進み、低スペックな女性はそもそも風俗店に採用されないし、ハードルの低い底辺店に勤務しても、OL並みかそれ以下の収入しか得られないという。

 風俗嬢は超高収入で消費と遊びが好き、というのは、過去の栄光に基づいた時代錯誤の認識である。経営者が女性から搾取して暴利を貪っているというのも同様だ。



 第三章「激増する一般女性たち」と、第四章「風俗嬢の資格と収入」が、とくに面白い。ここでいう「資格」とは、容姿や能力(知性やコミニュケーションスキルなど)のことである。

 供給過剰なので、雇用する性風俗店と客による女性の選別が始まる。容姿を中心とした外見スペックだけではなく、接客サービス業なので技術、育ちや性格や知性なども含めたコミュニケーション能力が加味されて、性風俗がセーフティネットではなくなり、選ばれた女性が就く職業になってしまった。
(中略)
 貧困に悩んで最後の手段として覚悟をしても、そこに食い込めるだけの外見スペックと能力を持っていなければ門前払いとなる。



 カラダを売りたくても売れない層が大量に現れたのは、おそらく歴史的に現在が初めてではないか。



 「性風俗業界には軽度の知的障害を持った女性が大量に流入している」という話が、少し前にNHKのニュース番組「おはよう日本」でも取り上げられ、話題をまいたが、著者はそれを否定する。

 一般女性でさえ底辺に近い店を含めても約半数が門前払いとなっている厳しい現状である。従ってそのような雇用は店側にメリットがない。



 軽度知的障害をもつ風俗嬢がいないわけではないが、噂されるほど多くはないだろう、というのだ。このくだりは「なるほど」と思った。

 風俗業界についての先入観を次々と覆され、目からウロコが落ちまくる本。

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ハマザキカク『ベスト珍書』


ベスト珍書 - このヘンな本がすごい! (中公新書ラクレ)ベスト珍書 - このヘンな本がすごい! (中公新書ラクレ)
(2014/09/09)
ハマザキカク

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 ハマザキカク著『ベスト珍書――このヘンな本がすごい!』(中公新書ラクレ/864円)読了。

 自らも「珍書プロデューサー」として知られる編集者が、2000年以降に刊行された本(一部90年代のものもあり)から極めつけの「珍書」100冊を厳選紹介したブックガイド。1冊につき2ページないし1ページで紹介されている。

 ……というと、と学会による一連の「トンデモ本」シリーズを連想する向きもあるだろう。じっさい、本書に紹介された「珍書」の中には、トンデモ本に分類してよいものもある。

 ただ、「トンデモ本」シリーズが対象書籍を笑い飛ばし、馬鹿にすることを基本としている(その中に屈折したリスペクトが隠されていることもあるが)のに対し、本書は取り上げた珍書に対するリスペクトが基本となっている。著者自身が「ヘンな本」をこよなく愛しており、だからこそ副題が「このヘンな本がすごい!」なのだ。

 『ベスト珍書』では、私が珍書編集者として、企画のアイデアがヘンとかスゴイと思ったり、コンセプトがバカげていると感じたり、テーマが前代未聞だと思った珍書を選び抜いた。(「まえがき」)



 「ヘン」で「バカげている」本が数多く紹介されてはいるが、著者はその“突き抜けたバカっぷり”をむしろ賞賛してやまないのである。なにしろ、著者自身が珍書を数多く手がけてきた編集者なのだから……。

■参考→ 著者が手がけた「珍書」の数々が紹介されたウェブページ

 「珍写真集」「珍図鑑」「珍医学書」「珍人文書」「珍エロ本」「珍語学書」などに章分けされた内容は、「よくもまあこんな本が出版されたものだ」と仰天する珍書揃い。

 取り上げられた珍書のタイトルを拾ってみると――。
 『動物うんこ図鑑』、『写真集 手押しポンプ探訪録』、『逆立ちしても読める本』、『童貞が教える妹とお風呂に入る方法』、『誰にでもできる職務質問――職質道を極める』、『こじき大百科』、『背脂番付』、『ドリル大全』などなど……。

 まあ、読んでもなんの役にも立たない本ではあるが、本好きなら楽しめる1冊。ある意味、本書自体が珍書だ。

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難波功士『社会学ウシジマくん』


社会学ウシジマくん社会学ウシジマくん
(2013/02/20)
難波 功士

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 難波功士著『社会学ウシジマくん』(人文書院/2376円)読了。
 タイトルのとおり、『闇金ウシジマくん』を社会学的観点から研究してみるという面白い趣向の本である。

 『磯野家の謎』を筆頭としたかつての「謎本」の系譜につらなるものとも言えるが、もっと本格的だ。なにしろ著者自身が社会学者(関西学院大学社会学部教授)だし、片手間のやっつけ仕事という感はなく、けっこう本気で書いている。「謎本」にありがちだったおちゃらけは一切なしで、ごく真面目な研究書でもある。

 「謎本」ブーム以降に登場したマンガ研究本には粗製濫造のひどいものも多かったが、本書はていねいな作りで好感が持てる。原作へのリスペクトもしっかり伝わってくるし。

 『闇金ウシジマくん』は現代社会の病理と闇を、綿密な取材もふまえて多角的に描いた作品であるわけで、考えてみれば社会学を学ぶ素材にふさわしい。その意味で、本書は「コロンブスの卵」的な好企画だと思う。

 社会学入門として十分有益だし、随所で関連書籍が紹介されるので社会学ブックガイドとしても使える。また、『闇金ウシジマくん』という作品の魅力をより深く理解できる本でもある。
 
 ただ、作品のセリフやシーンの引用が山のように出てくるので、『ウシジマくん』をずっと読んでいる人でないと、本書の内容は半分くらいしか理解できないだろう。なので、作品を読んだうえで手を伸ばすべき本だ。

■参考→ 本書の「はじめに」と「プロローグ」(版元提供)

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フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』


21世紀の貨幣論21世紀の貨幣論
(2014/09/26)
フェリックス マーティン

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 フェリックス・マーティン著、遠藤真美訳『21世紀の貨幣論』(東洋経済新報社/2808円)読了。書評用読書。

 貨幣論というより、「マネーの進化史」をたどった経済史書といったほうが的確な内容である。
 著者はオックスフォード大学で経済学博士号を取得し、世界銀行で10年間働くなどした経歴をもつ、気鋭のエコノミスト。経済学を学術的に深く学ぶとともに、世界経済の最前線を肌で知る人物であるわけで、本書のような本をものすにふさわしい。

 ハーバード大教授ニーアル・ファーガソンによる『マネーの進化史』など、類書も多い分野だが、それらの類書から本書を分かつ特長は、著者がつねに標準的な貨幣観に眉ツバで臨み、定説を次々と覆していく点。
 つまり、マネーの歴史をたどることを通じて、貨幣観の捉え直しを試みた書なのである。

 ただ、帯に大書してある「桁外れの知的衝撃! ジャレド・ダイアモンド級!」という派手な惹句ほど面白くはなかったな。
 てゆーか、経済にも金融にもシロウトの私には理解不能な記述が多かった。著者の書き方も初学者に対して不親切で、経済通にとって言わずもがなのことは、ほとんど説明を省いてある。たぶん、経済通には面白い本だと思う。
 
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杉坂圭介『飛田で生きる』


~遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白~ 飛田で生きる~遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白~ 飛田で生きる
(2012/08/23)
杉坂圭介

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 杉坂圭介著『飛田(とびた)で生きる――遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白』(徳間書店)読了。
 この本はつい最近文庫にもなったし、続編『飛田の子』も刊行されているから、そこそこ売れたのだろう。

 桜井某が橋下徹との会談で言い放った捨てゼリフ「飛田新地へ帰れ~!」によって、突如メディア上に名前が飛びかった、大阪西成区のディープな「ちょんの間」エリア・飛田新地。そこで10年にわたって「店」を構えた著者が、当時を振り返った回想録である。

 脱サラして店を開くまでのいきさつや、店舗経営の苦労話などが軽妙なタッチで綴られている。文章が読みやすいし、エピソードの織り込み方もそつがない。
 まあ、あくまで軽い読み物であって、深みはないし、荷風の遊郭もののような文学的香気も皆無だが……。

 ライターが取材して飛田新地をルポした本なら前にもあったが(井上理津子の『さいごの色街 飛田』)、「中の人」が著者となって雄弁に内幕を明かした本は初めてだろう。その意味で、風俗史の資料としての価値も高い。

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稲垣栄洋『弱者の戦略』


弱者の戦略 (新潮選書)弱者の戦略 (新潮選書)
(2014/06/27)
稲垣 栄洋

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 稲垣栄洋(ひでひろ)著『弱者の戦略』(新潮選書/1188円)読了。

 雑草生態学を専門とする農学博士の著者(静岡大学大学院教授)が、生物の「生き残り戦略」をめぐる多彩なエピソードを紹介する科学読み物である。

 “生き物にとって強さとは何か?”が全体をつらぬくテーマであり、いろいろなことを考えさせる本だが、堅苦しい内容ではない。矢継ぎ早にくり出されるエピソードがとにかく面白く、読み出したらページを繰る手が止まらない。

 200ページに満たない本だが、詰め込まれた情報量が濃密なので、読み応えがある。構成もよく練られており、1冊の本としてウェルメイド。

 思わず人に話したくなる話や、人間社会とのアナロジーで身につまされたり、ニヤリとしたりする話が満載。単純に“動植物雑学集”として読んでも、かなりのクオリティだ。

 なお、「弱者の戦略」といえば、「ランチェスター戦略」の重要キーワードの一つでもある。ゆえに本書を、企業経営の要諦を説いたビジネス書と勘違いして手にする向きもあるかもしれない。
 たとえそうであっても、無駄にはならないだろう。本書に紹介された動植物の生存戦略の中には、中小企業の生存戦略のヒントになるものも少なくないからだ。

 本書の中で、私が付箋を打ったくだりのいくつかを、以下に引用しておく。

 十九世紀の後半から、ヨーロッパの都市で工業化が進むにつれて、暗色のガが増加するという事件が起こった。これが、よく知られる「工業暗化」と呼ばれる現象である。
(中略)
 もともとは木の幹は地衣類で覆われて白っぽいので、白い淡色のガの方が目立ちにくく、鳥に捕食されずに生き残る確率が高かった。ところが、工業化すると煤煙によってまわりが黒くなる。そのため、黒い暗色のガの方が目立ちにくくなって、生き残るようになったのである。



 ウマの仲間のシマウマは、草の先端を食べる。次にウシの仲間のヌーは、その下の草の茎や葉を食べる。そして、シカの仲間のトムソンガゼルは地面に近い背丈の低い部分を食べている。こうして、同じサバンナの草食動物も、食べる部分をずらして、棲み分けているのである。



 弱者である多くの生物が、強者には真似できないナンバー1となれるニッチを持っている。だからこそ、これだけ多くの生物が自然界に存在しているのである。



 西洋タンポポが生えるのは、道ばたや町中の公園など、新たに造成された場所である。このような場所は、土木工事によって日本タンポポが生えていたような自然は破壊されている。こうして大きな変化が起こり、空白となったニッチに西洋タンポポが侵入するのである。
 よく、西洋タンポポが日本タンポポを駆逐しているように言われるが、日本タンポポの生息場所を奪っているのは、人間なのである。
 西洋タンポポ以外にも、外国からやってくる外来雑草の多くは、人間がもともとあった自然を破壊してできた新たな場所にニッチを求める。そのため、埋立地や造成地、公園、新興住宅地、道路の法面(のりめん)、河川敷などを棲みかとしているのだ。



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ミシェル・ンデゲオチェロ『コメット・カム・トゥ・ミー』


コメット・カム・トゥ・ミーコメット・カム・トゥ・ミー
(2014/06/04)
ミシェル・ンデゲオチェロ

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 ミシェル・ンデゲオチェロの新作『コメット・カム・トゥ・ミー』(P-VINE)を聴いた。新作といっても6月に出たもの。

 ミシェル・ンデゲオチェロは、最初の2枚のアルバム(『プランテーション・ララバイ』と『ピース・ビヨンド・パッション』) が好きで愛聴していたのだが、4thアルバムの『クッキー:ジ・アンスロポロジカル・ミックステープ』から興味が薄れてしまい、その後のアルバムは追いかけていなかった。久々に手を伸ばした本作は、もう11作目だそうだ。

 なんの気なしにレンタルしてきたこの新作だが……これはいい! 全13曲が一つ残らずカッコイイ。
 ジャンルとしては「ネオ・ソウル」ということになるのだろうが、ソウルの枠には収まりきらない変幻自在なサウンド。軽やかにジャンルを超越している。

 一曲目の「Friends」(フーディーニのカヴァー)は強烈なエレクトロ・ファンクだし、かと思えばオーガニック・ソウルな味わいの曲もある。

 レゲエのリズムを用いた曲が目立つアルバムだが、そのアプローチは曲ごとに違う。
 「Forget My Name」は、モダンでクールな「都市のレゲエ」という趣。タイトル・ナンバー「Comet, Come To Me」はレゲエでありながら、1980年代あたりのジョニ・ミッチェルのよう。レゲエの上澄みをすくったような清冽な曲だ。



 「Shopping For Jazz」は「洗練されたクラブサウンドとオーガニック・ソウルの融合」という趣でバツグンのカッコよさだし、アルバム中最もキャッチーな「Folie A Deux」は知的で美メロな極上のポップチューンだ。





 ……と、そのように一曲ごとに違う顔を見せる多彩なアルバムだが、ミシェル・ンデゲオチェロの鉄壁の個性が全体に統一感をもたらしている。

 ミシェルは卓越したベース・プレイヤーでもあるが、本作には初期のアルバムのようなベース弾きまくりの曲はほとんどない。テクニックをひけらかすようなところはなく、シンプルですき間の多い音。しかし、シンプルな中にも凄みがあって、一音一音が聴き手の心に深く切り込んでくる。

 昨日からずっとヘビロしているのだが、全然聴き飽きない。素晴らしいアルバムだ。聴き逃がしていたほかのアルバムにも手を伸ばしてみよう。

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押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』


志乃ちゃんは自分の名前が言えない志乃ちゃんは自分の名前が言えない
(2013/11/19)
押見 修造

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 押見修造の『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(太田出版)を、Kindle電子書籍で購入。

 タイトルが示すとおり、吃音症の少女を主人公にした青春マンガである。
 吃音症には、同じ音が連続してしまう「連発型」と、最初の音がなかなか出てこない「難発型」がある。本作のヒロイン・志乃は「難発型」だ。

 「あとがき」によれば、作者の押見自身が中学生のころから難発型の吃音症であり、本作のストーリーは自らの体験を下敷きに作り上げたものなのだという。

 それゆえ、ディテールのリアリティと、読者に訴えかける迫力がすごい。
 たとえば第1話は、高校に入学した志乃がクラスの自己紹介で名前が言えず、クラスメートたちに笑われるいきさつが描かれている。それだけの話なのに、志乃の焦燥とくやしさ、悲しみ、孤独感が、読む者にビリビリ伝わってくる。

 くわえて、本作が素晴らしいのは、この手のマンガにありがちな「クサさ」や、過度の啓蒙臭を微塵も感じさせない点だ。
 青春マンガとしてフツーに面白いし、淡いユーモアもちりばめられ、ちゃんと「押見修造の作品」になっている。

 この漫画では、本編の中では「吃音」とか「どもり」という言葉を使いませんでした。それは、ただの「吃音漫画」にしたくなかったからです。
 とても個人的でありながら、誰にでも当てはまる物語になればいいな、と思って描きました。



 「あとがき」にそうあるように、これは「吃音の少女をヒロインにした一級の青春マンガ」として、普遍的な魅力をもつ作品である。
 代表作『惡の華』のイメージが強いため、もっとドギツい内容を予想していたが、意外にも、センスのよい水彩画のような味わいの好作であった。

 なお、本作の「あとがき」は、一編の文章として独立した価値をもつものである。今後、マンガ家・押見修造を論ずる場合に、避けて通れない一文となるだろう。
 その印象的な一節を、以下に引く。

 もうひとつは、言いたかったことや、想いが、心のなかに封じ込められていったお陰で、漫画という形にしてそれを爆発させられたことです。
 つまり、吃音じゃなかったら、僕は漫画家にはなれなかったかもしれないということです。
 勿論、吃音だったから漫画家になれた、というわけではありません。しかし、吃音という特徴と、僕の人格は、もはや切り離せないものになっているということです。



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八木澤高明『娼婦たちから見た日本』


娼婦たちから見た日本娼婦たちから見た日本
(2014/07/11)
八木澤 高明

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 八木澤高明著『娼婦たちから見た日本』(角川書店/1831円)読了。

 元『FRIDAY』の専属カメラマンで、現在はフリーの物書き兼カメラマンの著者による、娼婦たちのルポルタージュ。カバー写真も著者の撮影によるものだ。

 タイトルの印象だと、日本で働く外国人娼婦たちのみが取材対象のように思える。だが実際には、日本人娼婦も登場するし、「からゆきさん」(異国で働いた日本人娼婦)の歴史をたどった章もある。
 ただ、外国人娼婦たちにいちばんのウエートが置かれていることはたしか。

 著者は、横浜黄金町、渡鹿野島、沖縄、タイ、フィリピン、マレーシア、チリと、娼婦たちを訪ね歩き、その話に耳を傾ける。

 10年越しの取材の集大成として書かれた本であり、取材の厚みが素晴らしい。
 本書の各章(国・地域ごとに章が分けてある)はそれぞれ、優に1冊の本になり得る内容であり、それがぎゅっと1章に凝縮されているのだ。

 好ましいのは、著者の目線がつねに娼婦たちと同じ高さに置かれている点。つまり、自分を一段高みにおいて、上から娼婦たちを哀れむ感じが皆無なのだ。

 著者は、かつてバンコクでタイ人娼婦と同棲した経験を持っている。
 また、長くネパールに暮らし、現地の女性と結婚していた時期には、義兄と義姉をエイズで喪った(義兄が出稼ぎ先のインドで買春した際、娼婦からエイズ感染した)という。そのような体験が、娼婦たちと同じ目線の根底にあるのだろう。

 行政が売春街をなくそうとするときに、「浄化」という言葉がしばしば使われる。著者は、この言葉への強い違和感を表明する。

 穢れた場所を浄めるという意味であるが、この言葉を人が人に対して使うと、背筋に寒気を感じるのはなぜか。民族浄化、売春街の浄化、その言葉からは、人を人と扱わない傲慢さを感じる。人間の生に対する温かな眼差しが欠けていないだろうか。私は違和感を覚えずにはいられないのだ。



 著者が娼婦たちを描く視点には、「人間の生に対する温かな眼差し」がつねにある。

 しみじみと心に残る場面も多い。
 たとえば、渡鹿野島のタイ人娼婦の部屋に置かれた小さな仏像に、水とごはんの供物が捧げられていた、という場面。著者は、かつて同棲していたタイ人娼婦に「何で寺に足を運ぶの?」と聞いたときのことを思い出す。彼女はこう答えたという。

「徳を積むんです。今、私は悪い仕事をしているでしょう。だからお寺に行ったり、毎日祈らないといけないんです。何であなたは祈らないの?」



 ただ、著者の文章はしばしば感傷過多で、クサイ表現に鼻白んでしまう箇所も多い。たとえば――。

 横浜大空襲で街は焼け、人々が命を落とし、その上に家が建ち、屍を糧としたかのように女たちの花が咲いた街、黄金町。



 白壁にところどころ黒いシミが滲み出ている。そのシミは風雨だけでなく、この旅館で過ごした娼婦や男たちの体液や血や汗、情念といったものが現れたように思えてならなかった。



 朝風が、今では失われたこの島に伝わる娼婦と船乗りの別れの歌を奏でた気がした。



 ……このような、「ヘソが茶ぁ沸かすわ!」と言いたくなるキザでクサイ文章が随所にあって、興醒め。
 ただ、そうした小瑕はあっても、全体として見れば力作にして好著だ。

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川成洋『スペイン内戦』ほか


スペイン内戦―政治と人間の未完のドラマ (講談社学術文庫)スペイン内戦―政治と人間の未完のドラマ (講談社学術文庫)
(2003/07)
川成 洋

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 一昨日から昨日にかけて、取材で名古屋へ――。
 先週にも別件の取材で名古屋に行ったばかりだが、不思議とつづくときにはつづくものなのだ。

 行き帰りの新幹線で、川成洋著『スペイン内戦――政治と人間の未完のドラマ』(講談社学術文庫)、斉藤孝著『スペイン戦争――ファシズムと人民戦線』(中公文庫)を読了。
 仕事上の必要があってスペイン内戦(スペイン戦争)について調べているので、資料として。

 このうち『スペイン戦争』のほうは、元本が1966年刊の古い本。いま読むとさすがに古臭くて、スペイン内戦の概説書としては物足りない。
 著者は、本書の執筆時点ではスペインに行ったことがなかったそうだ。日本人の海外渡航がまだ珍しかった時代の書物なのである。その意味でも時代的制約を感じさせる。

 対照的に、もう1冊の『スペイン内戦』は取材・調査の厚みが感じられ、読み応えがある。スペイン史学者の著者は、スペイン内戦を義勇兵として戦った人々と交友を結び、彼らに直接インタビューも重ねたうえで本書を書いているのだ。

 スペイン内戦の概説書として優れているし、ジャック白井(日本人で唯一、スペイン内戦に義勇兵として参戦)ら、義勇兵たち個々に光を当てた人間ドラマとしても感動的だ。

 スペイン内戦というのは不思議な戦争で、戦争であるにもかかわらず、どこかロマンティックな物語性を帯びている。ヘミングウェイやアンドレ・マルローなどの世界的文化人たちが数多く参戦したし、多くの小説・映画などに描かれた。
 この『スペイン内戦』も、死んだ兵士を悼む詩などが随所に引用されていて、全体に文学的香気を感じさせる。

 とはいえ、内実を掘り下げてみれば、多くの戦争と同様、血なまぐさくドロドロした暗部が見えてくるのだが……。

 この『スペイン内戦』は、ロマンティックな表層と内実の暗部をともに過不足なく描いており、そのバランスのよさにおいても優れた書である。

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佐藤優『「知」の読書術』


「知」の読書術 (知のトレッキング叢書)「知」の読書術 (知のトレッキング叢書)
(2014/08/26)
佐藤 優

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 昨日は、都内某所で取材が一件。
 行き帰りの電車で、佐藤優著『「知」の読書術』(集英社インターナショナル/1080円)を読了。

 前半の第一部『「危機の時代」に備えよ』は、ブックガイド編。
 緊迫の度を増すウクライナ情勢など、現今の世界を歴史的視点から読み解くための必読書を、厳選して紹介している。
 カタログ的ブックガイドではなく、ごく少数の古典的名著をじっくり掘り下げて紹介しており、読み応えがある。

 第一部で印象に残った一節を引く。

 私の見立てでは、資本主義によって生まれる人間性の空洞を埋め合わせる最強の思想は、民族主義――すなわちナショナリズムです。その意味で民族主義やナショナリズムは、「近代人の宗教」にほかなりません。



 ウクライナを巡る対立を、ロシアと欧米諸国との「新冷戦構造」と捉えるのは間違っています。冷戦とは「共産主義と資本主義というイデオロギーを巡る対立」のことですが、現在起きているロシアと欧米諸国の対立は、ウクライナへの影響圏を巡る帝国主義的対立として捉えるべき問題なのです。



 我々はどうやって、「自由」と「民主」の折り合いをつけていけばよいのでしょうか。それには、「中間団体を再建することが重要だ」と私は考えます。中間団体というのは、宗教団体や労働組合、業界団体、地域の寄り合いやサークルなどのことです。
(中略)
 中間団体が壊れた国では、新自由主義によってアトム化した個人が国家に包摂されてしまいます。そうなると、国家の暴走に対する歯止めを失ってしまう。その手前で個人を包摂し、国家の暴走のストッパーともなる中間団体を再建することこそ、現代の最も重要な課題なのです。



 後半の第二部『「知のツール」の活用法』は、少し前の著作『読書の技法』の続編的内容。佐藤優流読書術を開陳しているが、今回はとくに電子書籍を活用した読書術に紙数が割かれている。

 あとがきによれば、本書は「当初、電子書籍をビジネスパーソンがどのように活用すれば、教養を強化するツールにできるかについて書くつもりだった」そうだ。
 しかし、日本の電子書籍のラインナップがまだあまりに貧弱で、基本的名著の多くや学習参考書(受験用参考書がビジネスパーソンの教養強化に役立つというのは、著者の以前からの主張)の大半が電子書籍化されていないため、企画の変更を余儀なくされたという。

 それでも、本書に説かれた電子書籍活用法は大変参考になる。
 たとえば、“紙の本ですでに所有している本でも、参照頻度の高いものは電子書籍でも購入し、端末に入れて常に持ち歩くべきだ”と、著者は言う。

 私のKindleには現状マンガばかりがたくさん入っているのだが(笑)、著者の奨めに従って、今後はKindleを“マイ携帯書斎”化していきたいと思う。

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山本おさむ『「どんぐりの家」のデッサン』


「どんぐりの家」のデッサン―漫画で障害者を描く「どんぐりの家」のデッサン―漫画で障害者を描く
(1998/05/26)
山本 おさむ

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 山本おさむ著『「どんぐりの家」のデッサン――漫画で障害者を描く』(岩波書店/1728円)読了。仕事の資料として。

 『遙かなる甲子園』『わが指のオーケストラ』『どんぐりの家』と、障害者の世界を描く骨太の長編に挑んできたマンガ家が、一連の作品に込めた思いと執筆の舞台裏を明かすエッセイ集。
 山本は文章もうまく、じつに読ませる内容になっている。

 障害者問題に関心のある人にとって示唆に富むのは当然だが、マンガ史の生きた資料としても価値ある内容になっている。
 というのも、最初の『遙かなる甲子園』開始当時、障害者を主人公にしたマンガは業界のタブーになっており、山本はこの分野を切り拓いたパイオニアであったから(本書第1章のタイトルは、「障害者描くべからず――差別表現と漫画界のタブー」)。

 「マンガの歴史は『差別との闘い』との闘いだ」と言われる。「このマンガのこの表現は差別だ!」と糾弾され、回収や絶版となったマンガは枚挙にいとまがない。
 むろん、それらの糾弾・批判には妥当性のあるものが多かったが、批判を恐れて障害者(など)を描くこと自体がタブーとなってしまっては行き過ぎであろう。

 山本も、本書で次のように述べている。

 差別表現の問題は、何も差別語を使うことだけを指すのではない。根本的には、作者の障害者観が問われているのだ。にもかかわらず、出版社の自主規制なるものは、ほとんど言葉のチェックに終始し、抗議する人たちや、その人たちが提起する差別問題を矮小化しているように私には見受けられる。また作者を矢面に立たせないような配慮もあるため、作者が当事者から学ぶ機会をも奪っているようだ。



 山本は真摯な創作姿勢で障害者の世界を描き、そのマンガをヒットさせることでタブーを打ち破り、マンガ表現の幅を広げたのである。

 障害者についてほとんど何も知らなかった山本が、『遙かなる甲子園』『わが指のオーケストラ』『どんぐりの家』の3長編を描いた10年に及ぶプロセスで多くのことを学び、認識を深めていく。本書はその“障害者観の深化”の過程をたどったものでもある。

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小林節『白熱講義! 集団的自衛権』


白熱講義! 集団的自衛権 (ベスト新書)白熱講義! 集団的自衛権 (ベスト新書)
(2014/09/09)
小林 節

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 小林節著『白熱講義! 集団的自衛権』(ベスト新書/850円)読了。

 昨年に同じベスト新書から発刊された『白熱講義! 日本国憲法改正』の続編的な1冊。

 前著は安倍政権の憲法改正案に対する反論の書であったが、本書はもっとテーマを絞り、「7・1閣議決定」をめぐる集団的自衛権問題の論点を、憲法学者の視点から徹底解説した内容になっている。

 とかくわかりにくい集団的自衛権の問題について、「これ以上は噛み砕けない」というところまで平明に咀嚼した解説書だ。たとえば――。

 集団的自衛権とは、「他国(同盟国)の戦争に加担すること」である。

 この意味以上でも、以下でもない。



 主権国家は国際法上、当然の権利として「自衛権」を保有している。それには、「個別的自衛権」も「集団的自衛権」も含まれる。ただし、その行使は憲法や国内法の制約を受ける。
 自民党の一部議員は、「保有している権利を行使できないのは不当だ」と言うが、国際法上の権利が各国の憲法や国内法によって制約されるのは当然で、国際法の常識である。国家機関の行動が自国憲法の制約を受けるのは当たり前である。
「国際法上の権利だから、日本も集団的自衛権を行使できる」と、さも国際法を知っているように語る言論人もいるが、それは国際法音痴であると言わざるを得ない。
 わが国における制約は、当然ながら憲法9条である。



 集団的自衛権の問題は、現行憲法と抵触することが本質である。繰り返すが、憲法9条は、「海外派兵を認める」とは絶対に読めない文言である。



 このように、枝葉末節をバサバサと切り落とし、ことの本質をグイッとつかみ出すクリアカットな言説につらぬかれた本である。
 護憲派ではなく、30年来の改憲派憲法学者による解釈改憲批判であるからこそ、傾聴に値する。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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