ロジャー・E・バックハウスほか『資本主義の革命家 ケインズ』


資本主義の革命家 ケインズ資本主義の革命家 ケインズ
(2014/08/28)
ロジャー・E・バックハウス、ブラッドリー・W・ベイトマン 他

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 新幹線の中で読んだ2冊目が、ロジャー・E・バックハウス、ブラッドリー・W・ベイトマン著、西沢保監訳、栗林寛幸訳『資本主義の革命家 ケインズ』(作品社/2592円)。書評用読書。

 イギリスとアメリカを代表する経済学史家・ケインズ研究者が、リーマン・ショック後の金融危機をふまえて書いた、21世紀のケインズ入門。一般向けに書かれているので、私のような経済学のシロウトにも十分理解できる。

 ケインズの生涯や業績についてもひととおり触れられているが、何より、ステレオタイプなケインズ解釈を超えた新たなケインズ像を提示する再評価の書として刺激的だ。

 タイトルが示すとおり、著者たちはケインズが資本主義についてどう見ていたかの解説に、かなりの紙数を割いている。ケインズは、「資本主義の道徳的な脆弱さ」を危惧していたという。
 資本主義の孕む限界と可能性についてのケインズのヴィジョンは、「グローバル資本主義」が世界経済にもたらす危機が露呈し始めたいま、いっそうの光彩を放つものだ。

■関連エントリ→ スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』レビュー

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南野森・内山奈月『憲法主義』


憲法主義:条文には書かれていない本質憲法主義:条文には書かれていない本質
(2014/07/16)
内山 奈月、南野 森 他

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 金・土と、取材で和歌山県へ――。
 新幹線と特急「くろしお」を乗り継いで行く。

 行き帰りの新幹線で、本が2冊読めた。
 そのうちの1冊が、南野森(みなみの・しげる)・内山奈月著『憲法主義――条文には書かれていない本質』(PHP/1296円)。

 AKB48のメンバーで、「日本国憲法を暗唱するアイドル」として知られているらしい内山に、憲法学者の南野(九州大学准教授)が憲法学を講義するという、面白い趣向の1冊。



 「なんでもかんでもAKBにからめやがって。売れればなんでもいいのかよ」と苦々しく思う向きもあろうが、読んでみたら意外なほど良書であった。

 講義のときには内山はまだ高校3年生(現在は慶応義塾大学の学生)だったから、女子高生に憲法学を講ずるわけで、当然、噛んで含めるようなやさしい教え方になる。だから、非常にわかりやすい。

 それでいて、憲法の本質はきちんと抑えられており、憲法入門として上出来である。

 私はAKBに微塵も興味がないので、内山奈月についても知らなかったのだが、本書を読むかぎり、知識も豊富で頭の回転も早い優等生という印象。AKBにもこういう子がいるんだねえ(偏見)。

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ウエストロード・ブルース・バンド『ライヴ・イン・ニューヨーク』


Live in New YorkLive in New York
(1995/06/17)
ウエスト・ロード・ブルース・バンド

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 昨日は都内某所で、韓国より来日中の趙文富(チョ・ムンブ)元済州大学総長を取材。
 趙博士は日本語がご堪能なので、通訳を介さずにインタビュー。海外の識者に日本語で取材するのは初めてで、なんだか不思議な感覚。


 ウエストロード・ブルース・バンドの『ライヴ・イン・ニューヨーク』(ザイン・レコード)を聴いた。

 日本が誇るブルース・バンドが、初めてニューヨークで行った95年のライヴを収録したもの。
 「Tramps」というライヴハウスでの録音で、オーヴァーダビングなしのダイレクトなライヴアルバムである。

 永井隆の艶やかなヴォーカルも、山岸潤史と塩次伸二(2008年逝去)のギターも素晴らしい。
 途中からチャールズ・ホッジスというゲストのオルガンが加わるのだが、そこからがまた、音がいっそうカラフルになって楽しい。
 
 憂歌団もそうだが、関西のブルース・バンドというのは、独特の飄々としたユーモア感覚がよい。ブルースの哀しさよりも、その底を流れる明るさとたくましさのほうに力点が置かれているというか……。
 うるさいマニアも多い分野なので、初心者が知ったふうなことを書くと怒られそうだが、「なぜ関西からブルースの名バンドが多く生まれたか?」は、考察に値するテーマであろう。

■参考→「京都とブルースはどう結びついているか」安田昌弘(偶然ネットで見つけた興味深い論文。ウエストロード・ブルース・バンドの話もたくさん出てくる)

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さそうあきら『花に問ひたまへ』


花に問ひたまへ (Kindle 連載)花に問ひたまへ (Kindle 連載)
(2014/05/15)
さそうあきら

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 さそうあきらの新作『花に問ひたまえ』を、Kindleで購入。
 
 「Kindle 連載」という新しい試みの話題作である。
 Kindle電子書籍で一度購入すると、月に一度、追加料金なしで新しい回がKindleに配信されてくるというもの。現在は第5話まで配信されている。要するに、マンガ家にとっては月刊誌連載と同じだ。

 全12話までつづく予定とのことで、これで400円はかなり安いと思う。完結後に紙版も出るだろうけど、コミックスは恐らく800円以上するだろうから。
 本作は双葉社が版元になっているが、マンガ家が単独でKindle 連載をするケースも、今後は増えていくだろう。

 まだ連載途中だから作品については評価しにくいところだが、5話まででも十分に引き込まれる内容。傑作の予感がする。

 生まれつき目の見えない青年・一太郎と、彼と偶然に出会った若い女性・ちはやのラブストーリーである。

 綿密な取材に基いて描いているだろう一太郎の行動のディテールが、すこぶるリアル。
 “傘をさすと周囲の音が聞き取りにくいから、少しの雨なら傘をささない”とか、「盲人の友人はみんな一度は(駅の)ホームに落ちている」とか……。

 盲目の人の見ている世界が、読者にもたしかな重みで伝わってくる。

 ヒロイン・ちはやは、アルコール依存症の父親を抱え、貧しい生活を支えるため、ダブルワークで身を粉にして働いている。自らの不遇にささくれだった彼女の心が、一太郎と周囲の人々のあたたかさに触れて、少しずつ解きほぐされていく。

 ……と紹介すると、ありがちな「お涙ちょうだい」話に思われてしまうかもしれない。
 だが、実際に読んでみればそうではない。淡いユーモアが随所に織り込まれ、さわやかな読後感の作品であり、従来の「障害者もの」の枠を軽やかに超えている。
 今後の展開が楽しみだ。

■関連エントリ→ さそうあきら『ミュジコフィリア』レビュー

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エレクトロマグネッツ『エレクトロマグネッツ』


エレクトロマグネッツエレクトロマグネッツ
(1998/11/26)
エレクトロマグネッツ

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 エレクトロマグネッツの『エレクトロマグネッツ』をヘビロ中。

 エレクトロマグネッツは、あのエリック・ジョンソンがソロデビュー以前に在籍していたアメリカのジャズ・ロック・バンド。
 地元テキサスでの局地的人気はすごかったそうだが、一般的人気はほとんど得ないまま解散した短命なバンドである。

 これは、彼らが1975年に発表した唯一のアルバムのリイシュー。
 のちにエリック・ジョンソンがグラミー賞を3度も受賞する人気ギタリストになってから、お蔵入りになっていた幻のセカンド・アルバムも発売されている(私は未聴)。

 いやー、これはすごい。
 楽曲といい、演奏といい、その質の高さはマハヴィシュヌ・オーケストラやリターン・トゥ・フォーエバー、ブランドXなどの諸作と比べても遜色ない。ジャズ・ロックの隠れた名盤である。

 こんなにすごいバンドとアルバムが、なぜもっと売れなかったのだろう。
 RTFの大ヒット作『浪漫の騎士』と同年のアルバムなのだから、「時代と合わなかった」というわけでもない。もう少しがんばって活動をつづけていたら、RTFやマハヴィシュヌと並び称される人気バンドになっていたかもしれない。

 ライナーノーツによれば、フランク・ザッパはエレクトロマグネッツのことを、「ユーモアのセンスのあるマハヴィシュヌ」と評したという。
 たしかに、マハヴィシュヌの音楽はユーモアとは無縁だ。一方のエレクトロマグネッツは、「ハワイアン・パンチ」なんて曲名など、随所にユーモアが感じられる。

 ただ、サウンド的にはマハヴィシュヌより第2期(ジャズ・ロック期)RTFに近い。チック・コリアのRTF同様、キーボーディストがリーダー(こちらはスティーヴ・バーバーという人)のバンドだし……。

 エレクトロマグネッツを「フュージョン・バンド」と紹介している記事もネット上に散見されるが、フュージョンと呼ぶにはあまりにヘヴィーで複雑なサウンドである。
 それでいて、頭でっかちの退屈な音ではない。ライナーにいうとおり、「ジャズの知的な喜びと理屈抜きのロックの楽しさが両立」している音。まぎれもないジャズ・ロックだ。

 このアルバムでは、一部の曲にヴォーカリストやサックス・プレイヤーがゲスト参加している。ゲスト・ヴォーカリストは、なんとソロ・デビュー前のクリストファー・クロス(クリス・ゲッパート名義)だ。
 ヴォーカル入りの曲はほとんどプログレであり、サックス入りの曲はまるでウェザー・リポートだ。つまり、かなり多彩なアルバムでもある。 

 そして、何より特筆すべきはエリック・ジョンソンのギター。
 エリックは1954年生まれだから、本作録音時にはまだ20歳そこそこ(内ジャケットに載った写真は少年のようにあどけない)。
 にもかかわらず、その若さですでにギタリストとして完成されている。たんにテクニカルなだけではなく、ものすごく流麗なギターを早くも披露しているのだ。恐るべき早熟ぶりである。





 あまり期待せずに聴いたのだが、よい意味で予想を裏切られた。埋もれさせるには惜しい名盤だ。

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『ザ・コンプリート・ブルース・ブラザーズ』


ザ・コンプリート・ブルース・ブラザーズザ・コンプリート・ブルース・ブラザーズ
(1998/06/15)
ブルース・ブラザーズ

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 最近の個人的な「ブルース探求熱」の一環として、『ザ・コンプリート・ブルース・ブラザーズ』をヘビロ中。
 ジョン・ベルーシ存命時のブルース・ブラザーズの3枚のアルバムを、2枚組CDに丸ごと収録したもの(ベルーシの死後に再結成してから出したアルバムは入っていない)。

 いやー、改めて聴くとしみじみよい。
 その名のとおり、「スウィート・ホーム・シカゴ」や「メッシン・ウィズ・ザ・キッド」など、ブルース・スタンダードを多く取り上げている。
 ただし、ブルース一辺倒ではなく、ソウルやR&B、ロックンロール、映画やテレビ番組の主題歌まで、古き佳きアメリカン・ミュージックのごった煮アルバムである。どれもひたすら楽しい。ポップ・ミュージック本来の原初的パワーに満ちている。



 「エリック・クラプトンを入り口にしてブルースが好きになった」という人と同じくらい、ブルース・ブラザーズを入り口にブルースの魅力を知った人は、世界中にたくさんいると思う。映画もアルバムも、平明で敷居の低い「ブルース入門」として優れているのだ。

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ジョージ・パッカー『綻びゆくアメリカ』


綻(ほころ)びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語綻(ほころ)びゆくアメリカ―歴史の転換点に生きる人々の物語
(2014/07/26)
ジョージ・パッカー

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 一昨日から所用で宮崎県へ――。宮崎市と延岡市を回る。連休など無縁の生活を送っております。

 観光で行ったわけではないのだが、合間にシーガイアとか宮崎県庁とかを見て回ったり、有名店に食事に連れて行ってもらったりしたので、つかの間の観光気分を味わえた。
「チキン南蛮発祥の店」だという延岡の「直ちゃん」、「宮崎釜揚げうどんの元祖」だという「重乃井(しげのい)」などに行く。それぞれ、チキン南蛮と釜揚げうどんのイメージをくつがえすような不思議なおいしさ。

 宮崎県庁は、82年前(昭和7年)に建てられたという、品のよい瀟洒な建物。
 守衛さんが教えてくれたところによると、東国原県知事時代には、毎日観光客が大勢県庁につめかけたという。そんなふうに騒ぐから、東国原が舞い上がって「オレは総理の器だ」とか勘違いしちゃったのだろうなあ。


 行き帰りの飛行機と電車の中で、ジョージ・パッカー著、須川綾子訳『綻びゆくアメリカ――歴史の転換点に生きる人々の物語』(NHK出版/3780円)を読了。書評用読書。700ページ近い大著である。

 タイトルだけ見ると、サミュエル・ハンチントンの『分断されるアメリカ』のような政治評論みたいだが、そうではない。市井のアメリカ人4人を“主人公”にしたノンフィクションであり、著者の筆致は評論というよりも小説に近い。

 4人の半生を、著者は克明に追う。その合間に、日本人でも知っている著名なアメリカ人10人(コリン・パウエル、レイモンド・カーヴァー、オプラ・ウィンフリーなど)の物語が挿入される。そして、彼らの半生の背後に、大国アメリカの「歴史の転換点」が鮮やかに浮かび上がる。

 濃密な人物ノンフィクションを集めた内容でありながら、真の主人公はアメリカという国そのものであるという、凝った趣向の本なのだ。

 別途書評を書くのでくわしく紹介できないが、たいへん面白かった。
 小説家・劇作家でもあるという著者の文章は、すごくカッコイイ。キザで鼻持ちならない文章の一歩手前で踏みとどまって、我々ライターに「真似してみたい」と思わせる文章なのである。
 一つ引用してみよう。

 ときおり、ジャック・ダニエルズを片手に夜が更けるまでフロントポーチに腰かけ、ルート二二◯を南下するトラックの音に耳を澄ませた。鶏が押し込められた木箱を食肉解体場へと運んでいるのだ。組織ぐるみの犯罪行為であるかのように、鶏たちはきまって夜の闇に紛れて運ばれた。成長ホルモンをふんだんに投与された鶏は太りすぎて歩くこともままならない。ディーンは処刑された鶏たちが肉片となり、まばゆい照明に彩られたボージャングルズのある丘に戻ってくる様子をまざまざと頭に描いた。その肉は自分の仕事を嫌悪する従業員によって煮えたぎる油の湯に放り込まれる。彼らが調理する食べ物には憎悪が染みつき、それを口にする客は脂肪を蓄え、そのうち糖尿病か心臓病でグリーンズボロの病院に運ばれて世間の厄介者となる。やがて、彼らがメイヨーダンのウォルマートを電動カートで移動するのを見かける日が来るだろう。太りすぎて自分の脚では広いスーパーセンターをまわりきれないのだ。まるで成長ホルモン漬けの鶏のように。



 この一文でわかるとおり、ありふれた日常の光景を描く場面でさえ、まるで上質なハードボイルド小説のようなカッコよさなのだ(訳もよい)。
  
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『マディ”ミシシッピ”ウォーターズ・ライブ(レガシー・エディション)』


マディ”ミシシッピ”ウォーターズ・ライブ(レガシー・エディション)マディ”ミシシッピ”ウォーターズ・ライブ(レガシー・エディション)
(2003/11/06)
マディ・ウォーターズ

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 『マディ”ミシシッピ”ウォーターズ・ライブ(レガシー・エディション)』を、輸入盤の中古で購入。ヘビロ中。

 私も五十路を迎えたせいか、最近ブルースが耳に心地よく思える。若いころはわりと苦手だったのだが……。
 たとえば、ストーンズやツェッペリンのアルバムを聴いても、「ユー・ガッタ・ムーヴ」とか「ユー・シュック・ミー」などのブルース・カヴァー曲は飛ばして聴いていたものだ。ブルースはジジムサイし、ワンパターンでつまらない――そう思っていた。

 ブルースはロックの父であるから、ロックを聴き込むうちに少しずつルーツのブルースにのめり込んでいく人というのが、一定数いるものだ。
 が、私はそうではないほうのロック・ファンだった。なにしろ、若いころはテクノポップとかが好きだった側だから、ブルースとは反対方向に興味を広げていったのだ。

 ところが、ここにきてブルースが好きになってきた。加齢とともに好みは変わるものなのだな。
 で、ブルースの名盤ディスクガイドをあれこれ読んでみたりして、少しずつ掘り下げているしだい。

 まだ初心者だから、戦前のものとか、あまりディープなブルースはよさがわからない。「いいな」と思うのは、やはり比較的ロック色が強いものやブルース・ロックだ。

 最近いちばん気に入ったのが、この『マディ”ミシシッピ”ウォーターズ・ライブ(レガシー・エディション)』。
 マディ・ウォーターズの晩年にあたる1979年発表のライヴ・アルバムに、78年の未発表ライヴを合わせて2枚組にしたものだ。ディスク2は丸ごと未発表ヴァージョン(レガシー・エディション発売時)。

 晩年のマディのアルバムは、白人ブルース・ギタリストのジョニー・ウィンターがプロデュースをしている。本作もしかりで、ジョニーはライヴに出演もしてギターも弾いている。元のアルバムはグラミー賞にも輝いたそうだ。

 これはよい。マディのヴォーカルは悠然としているのに底光りする凄みがあり、ジョニー・ウィンターのギターは粘っこくうねる。
 ロックファンにも聴きやすく、聴き飽きない好盤である。


↑アルバム冒頭を飾る 「Mannish Boy」。ジョニーはダミ声のヴォーカルでもマディと掛け合っている。

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工藤啓『大卒だって無職になる』ほか


大卒だって無職になる 大卒だって無職になる
(2012/10/31)
工藤啓

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 今日は、都内某所で打ち合わせが一件。

 行き帰りの電車で、工藤啓著『大卒だって無職になる――“はたらく”につまずく若者たち』(エンターブレイン/1404円)、育て上げネット編著『「働く」ってなんですか?――働けなかった僕が働けるようになってからわかったこと 』(バリューブックス/1620円)を読了。仕事の資料として。

 2冊とも、若者への就労支援を専門とするNPO「育て上げネット」の支援事例を元にまとめた本である。

 『大卒だって無職になる』は、タイトルのとおり、大卒無職者への支援事例に絞り、各ケースを物語風に再構成したもの。
 大卒者が希少で、日本経済が右肩上がりだった時代のイメージしかない親世代は、「大学まで卒業したのに就職できないのはフツウではない」と思いがちだ。しかしいまや、「ニート」は大学新卒者でも数万人にのぼるという。
 本書は、「大卒でも無職になること」が「フツウ」となった時代のありようを、ヴィヴィッドに伝える。

 そもそも、日本で若者が「社会的弱者」として支援の対象となったのは、ここ10年ほどだと著者は指摘する。
 だからこそ、「多くの人は、若者を支援するという新しい動きへの反動として、『そんなものは不要だ』と思い込んでいる」と……。

 なるほど、かつての若者たちはどんなに貧しくても支援の対象とは見做されなかった。いずれはその貧しさから脱却していく道筋が描けたから。
 だが、いまは時代が違う。10年後にいまよりも収入が上がっている保証などないし、当の若者たちも未来にそのような希望が抱きにくくなっている。

 さまざまな事情から「大卒無職」になってしまった若者たちが、「育て上げネット」のサポートによって再び働き始める蘇生のプロセスを追って、感動的な1冊。

 『「働く」ってなんですか?』は、「働けない」経験を乗り越えてきた6人の若者(または元若者)へのインタビューを中心にしたもの。

 巻末の対談で著者も言うように、世にあふれる若者の労働についての論考の多くは、「働けなかったことのない人ばかりが論じている」。
 だからこそ、自分が「働けない」ことに悩み苦しんできた人たちが、自身の経験をふまえて働くことの意味を語ることには、意義がある。

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工藤啓・西田亮介『無業社会』


無業社会 働くことができない若者たちの未来 (朝日新書)無業社会 働くことができない若者たちの未来 (朝日新書)
(2014/06/13)
工藤 啓、西田亮介 他

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 工藤啓・西田亮介著『無業社会――働くことができない若者たちの未来』(朝日新書/821円)読了。仕事の資料として。

 若年就労支援を専門とするNPO「育て上げネット」の理事長と、若手社会学者による共著。対談集ではなく、章ごとに執筆を分担している。

■関連エントリ→ 西田亮介『ネット選挙』レビュー

 若年無業者はいまや200万人を超え、15歳~39歳の「若者」のうち、およそ16人に1人にのぼるという。
 本書は、この問題の概説書。工藤が担当した章ではNPO活動をふまえた現場の具体的実例とデータが紹介され、西田は社会学者として歴史的・大局的に解説を加えている。ミクロとマクロ――2つの視点から無業社会が論じられることで、この問題についての的確な全体像が提示されるのだ。

 「若年無業者」に関する世間一般のありがちなイメージ――「いい若い者が働かないなんて、怠け者か、仕事の選り好みしすぎているかのどちらかだろう」とか、「どうせ、低学歴で非正規雇用しか経験のないヤツが『若年無業者』になるのだろう」など――が、具体的事例とデータによって次々と覆されていく。

 たとえば、第2章は丸ごと、「育て上げネット」に相談に訪れた若年無業者の事例集になっているが、登場する若者の多くは高学歴だ。中には、税理士試験に合格したのに無業者に陥った例まである。
 それに、彼らは「働く意欲のない怠け者」でもない。

 無業の若者を「働く意欲がない存在」という前提で考えるとするならば、若年無業者の75・5%が過去に働いた経験を持っている事実をどう捉えるべきだろうか。(第3章)



 働きたくても働けない若者を大量に生み出す「構造」が、すでに日本にはできてしまっている。若年無業者を「怠け者」「甘えるな」と非難するばかりでは、何の解決にもならないのだ。

 構造的問題である以上、誰にとっても他人事ではない。
 家族がいつ若年無業者になっても不思議はないし、若年無業者の増大は大きな社会的コストとなる。将来の社会保障の担い手となるはずの若者たちが、社会保障を受ける立場になってしまうのだから……。
 1人の若年無業者が、25歳から65歳まで正社員として働く場合と、ずっと生活保護で暮らす場合を比べたら、そのギャップは1億5000万円にのぼるという。
 
 本書は、若年無業者の増大がいかに深刻な社会問題であるかという解説がメイン。したがって、「では、どうしたらよいのか?」という具体的な処方箋はあまり書かれていない。
 それでも、若者の就労という問題を考えるうえで有益な本だ。 
 
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石川セリ『Re:Sexy』『翼』


Re:SexyRe:Sexy
(2008/04/23)
石川セリ

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 石川セリの『Re:Sexy(リ・セクシー)』『翼』を、借りてきてヘビロ中。
 YouTubeで彼女の「遠い海の記憶」を久々に聴いて、ほかの曲が聴きたくなったので。

 「遠い海の記憶」は、昔のNHK「少年ドラマシリーズ」の一作『つぶやき岩の秘密』の主題歌で、私が子どものころに大好きだった曲。ドラマの内容はすっかり忘れてしまったが、この曲の印象だけはいまも鮮明である。



 『Re:Sexy』は、2008年に出たベストアルバム。
 埋もれた名曲「遠い海の記憶」が入っている点はよいのだが、「フロッタージュ氏の怪物狩り」(矢野顕子が『ピアノ・ナイトリィ』で絶品のカヴァーをしている)「あやかしのはな」 「いろ、なつ、ゆめ~彩・夏・夢」という名曲3曲が抜け落ちているのは解せない。
 3曲とも、1985年の傑作アルバム『楽園』所収曲。契約の関係か何かで入れられなかったのだろうか。


↑「あやかしのはな」。作詞は糸井重里、作曲は坂本龍一。ううむ、美しい。

 とはいえ、この『Re:Sexy』も十二分に名曲揃いである。

 「ムーンライト・サーファー」(パンタが本名の中村治夫名義で書いた曲)、「ダンスはうまく踊れない」、「八月の濡れた砂」あたりは日本のポップス史上に残るスタンダードであろうし、大貫妙子作の「コロニー」など、私がこれまで知らなかったいい曲もあった。

 もう1枚の『翼』(1995年)は、タイトルナンバーをはじめ、武満徹が書いたポップソングを集めたアルバム。
 こちらも、コシミハルや羽田健太郎らが技を競ったアレンジが上品で、なかなかの良作。

 石川セリの歌声は、日本人離れした乾いたリリシズムに満ちている。ボサノヴァっぽい部分もあるが、もっと硬質で都会的なヴォーカル。
 『Re:Sexy』には1970年代の曲も多いのに、いま聴いても少しも古臭くない。歌い手として、素晴らしいセンスの持ち主だと思う。

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吉村昭『私の文学漂流』


私の文学漂流 (ちくま文庫)私の文学漂流 (ちくま文庫)
(2009/02)
吉村 昭

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 昨日は、午前中に病院での定期検診。
 3週間ほど禁酒していたので、検査項目中、いつも唯一ヤバイ数値になっていたγ-GTP値がかなり下がった(それでもまだ正常値ではない)。

 午後は、都内某所で打ち合わせが一件。
 行き帰りの電車で、吉村昭著『私の文学漂流』(ちくま文庫/648円)を読了。
 作家として世に出るまでの雌伏期を振り返ったエッセイである。

 働きながら小説を書きつづけた日々を綴った後半の迫力がすごい。
 芥川賞候補に4回ものぼりながら、ついに受賞を果たせず、妻の津村節子が先に受賞してしまう。
 文芸誌からの連絡は絶え、勤めに忙殺され、しだいに小説から遠ざかっていく。その焦燥感が、読む者の心に強く迫る。

 このままでは小説を書くことはできなくなる、と、私はひそかに感じていた。恐しいことであった。大学時代に小説を書きはじめてから、私は、書くために自分の生命はあるのだ、と、自らに言いきかせてきた。兄の会社に勤めるようになったのも、生活を安定させ、それによって小説を書きたい、と思ったからであった。
 しかし、結果は逆になったようであった。(中略)
 私は勤めに押しひしがれて小説を書くことはできなくなっていて、その傾向は今後さらに強くなるだろう。自分の非力が、情なかった。



 そして、懸命に小説にしがみつき、ついには自らの中の鉱脈を探り当て、小説家として一本立ちするまでが描かれている。

 代表作であり、吉村にとって初の記録文学でもあった『戦艦武蔵』が、当初は人から頼まれて仕方なく、気乗りせずに書き始めたものだった、という述懐が興味深い。
 武蔵の関係者を訪ね、話を聞く作業をくり返すうち、事実を追求する面白さに吉村はのめり込んでいく。手つかずの鉱脈が、そこにあったのだ。

 文学にすべての情熱を注ぎ込んで生きてきた1人の男の、その情熱が報われるまでの苦闘の軌跡が、さわやかな感動を呼ぶ書。

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松本大洋『Sunny』


Sunny 5 (IKKI COMIX)Sunny 5 (IKKI COMIX)
(2014/05/30)
松本 大洋

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 仕事上の必要があって、松本大洋の『Sunny』の既刊1~5巻を一気読み。
 Kindle電子書籍で買うと、紙版より1冊500円以上も安い。半額以下である(期間限定価格なのかどうかは知らない)。

 いやー、これは素晴らしい作品だ。「松本大洋の最高傑作」と評する人も多いようだが、それもうなずける。

 松本大洋の作品には強いクセ、アクがあって、それが苦手な人も多いと思う。私もじつは苦手で、優れたマンガ家であることは認めつつも、積極的に作品を追いかけてはこなかった。

 しかしこの『Sunny』は、絵柄もストーリーも、これまでの作品でいちばんクセがない。「松本大洋が苦手なマンガ好き」にも、すんなり受け入れられると思う。
 さりとて、「独創性が薄れた」ということではなく、松本にしか描けない作品なのである。鉄壁の個性は守りつつ、作品の間口が広がっている。

 児童養護施設「星の子学園」を舞台にしたマンガである。
 タイトルの『Sunny』とは、施設の庭に打ち捨てられた廃車の日産サニーのこと。子どもたちはときどきこのサニーの中に座って、自分だけの世界を作る。サニーは彼らの“聖域”なのである。

 一話ごとに、施設の子どもやスタッフなど、1人のキャラに光が当てられる。
 家庭の事情で親元を離れて暮らす子どもたちの心の揺れ動きが、すこぶるリアル。一人ひとりのキャラに血が通っている。「頭で作ったキャラ」という感じが皆無なのだ。
 それもそのはずで、松本大洋は小学生時代の大半を児童養護施設で暮らしたのだという。自らの体験をベースにした自伝的作品なのである。
 
 ハッと胸をつかれる哀切な場面が随所にあるものの、あざとい「泣かせ」はなく、静謐であたたかい印象の物語。
 選びぬかれた言葉は時に詩のようであり、味わい深い絵柄は上質な絵本のようだ。
 
 何より素晴らしいのは、わざとらしいセリフや言わずもがなの説明が一切なく、最小限のセリフと絵だけで心の動きを表現しきっていること。物語の「行間」は、読者がおのずと察するように作られている。絵がうまいのはもちろんだが、構成と演出がすごく巧みなのだ。

 それに、物語の舞台が1970年代後半である(はっきり特定されてはいないが、出てくる歌や流行りモノからそう推察できる)ため、私自身の子ども時代と重なって、いっそう味わい深い。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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