『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』


ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)
(2013/12/16)
小出由紀子

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 小出由紀子編著『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』(平凡社/1995円)読了。

 アウトサイダー・アートの代表格ヘンリー・ダーガーの、主要作品と生涯をまとめたムック。2011年にラフォーレ・ミュージアム原宿で開かれた「ヘンリー・ダーガー展」の「展示解説に加筆修正し、新たに絵を選びなおしたもの」だという。

 略年譜やダーガーが暮らした当時のシカゴの地図など、資料も充実しており、手軽なダーガー入門として好適な1冊。

 編著者の小出由紀子(インディペンデント・キュレーター)以外に、坂口恭平(建築家)、丹生谷貴志(にぶや・たかし/神戸市外国語大学教授)、相対性理論のやくしまるえつこが寄稿している。
 そのうち、やくしまるえつこのものは詩なのだが、何が言いたいのかさっぱりわからない。ダーガーの作品世界を表現したつもりなのだろうけど……。私が編者だったらボツにする。

 逆に素晴らしいのが、坂口恭平の寄せたエッセイ。見開き2ページの短い文章にもかかわらず、ダーガーの作品世界の「核」を鮮やかな一閃で切り取っている。

 子供のころ、狭い団地生活を反転させるために、コクヨの学習机の下に潜り込み、毛布で屋根をかけ、自らの巣をつくった僕は独立国家をつくろうと試みた。
(中略)
 学習机の周辺には、ゲーム会社、文房具会社、秘密結社、野球興行などが勃興した。僕の頭の中では、六畳一間が一つの都市のように見えていた。



 ……と、文章の前半は“ミニ・ダーガー”のごとき自らの子ども時代の回想。そのうえで、坂口はダーガーへの熱い共感を綴っていく。

 ヘンリー・ダーガーはアウトサイダー・アートというよりもアートの語源そのものである「生きのびるための技術」を示しているように思う。
 人それぞれに「非現実の王国」の芽は存在する。
 手づくり世界乱立の日も近いのかもしれない。



 坂口の言うとおり、ダーガーは世の孤独なオタクたちに「生きのびるための技術」を教えてくれる手本でもあろう。

 「これまでの人生、一度だって楽しいクリスマスなんてなかった。新年もだ」と、ダーガーは晩年(1971年)の日記に記している。
 そんな貧しく孤独な独居老人が、狭い自室の中で、10代のころから営々と築きつづけていた空想の王国。それは誰に見せるためでもなく、ただ自分のためだけに創られた、いわば究極の「才能の無駄遣い」であった。

 たまたま家主がアートに造詣の深い人物(写真家で工業デザイナー)であったことから、ダーガーの死後、彼が自室に遺した作品群――1万5000ページに及ぶ史上最長の小説と、数百枚の挿し絵、ほかに物語を図解する絵を綴じた巨大画集が3冊――は捨てられずに保管され、のちにアウトサイダー・アートとして高く評価されるようになった。

 ダーガーが恵まれた境遇にあったら、たとえば正規の美術教育を受けていたなら、ひとかどのアーティストになっていたことだろう。
 だがそれでも、孤独のまま世を去ったダーガーの人生は、それなりに幸福なものであったのだと思う。彼は自室の空想の王国の中で、傍目にはわからない豊饒な時をすごしたのだろうから……。



 過日、「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人による「意見陳述」の全文が公開され、話題をまいた。

 読んだ人の多くが思うことだろうが、この犯人には文才がある。ヘタなライターや作家よりも才能のきらめきが感じられる。たんなる意見陳述を超えて、ここには巧まざる文学がある。

 彼は犯罪になど走らず、ヘンリー・ダーガーを手本として、自室の中に王国を築く形で平和的に才能を発揮すればよかったのだ。
 それは客観的には「才能の無駄遣い」だが、彼がいまの境遇のまま幸せになる唯一の方途だったかもしれない。

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薬師丸ひろ子『時の扉』


薬師丸ひろ子セレクション・カバーアルバム 時の扉 (通常盤)薬師丸ひろ子セレクション・カバーアルバム 時の扉 (通常盤)
(2013/12/04)
薬師丸ひろ子

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 薬師丸ひろ子の『時の扉』(EMI Records Japan)を聴いた。
 女優デビュー35周年を記念して作られた、彼女が愛する歌を集めたカバーアルバムだ。曲目は次のようになっている。

1. 冬の星座
2. 秋の子
3. 星を求めて
4. 浜辺の歌
5. クリスマスには帰るから
6. 心の扉~我が母の教えたまいし歌~
7. 椰子の実
8. 故郷
9. 仰げば尊し
10. 黄昏のビギン
11. セーラー服と機関銃~ノスタルジア・バージョン~
12. 夢で逢えたら
13. ユーレイズミーアップ~祈りバージョン~ (with ケルティック・ウーマン)



 童謡や唱歌、古い外国映画の主題歌、クリスマス・ソングなどが並ぶ選曲が、いかにも彼女らしい。流行になど、およそ頓着しない人なのだ。なにしろ、歌手としてのデビューアルバムからして『古今集』だったのだから。

 映画音楽・ドラマ劇伴の世界で著名な吉俣良(よしまた・りょう)が全曲担当したアレンジが素晴らしい。
 生ピアノとストリングスを中心とした、上品で落ち着いたアレンジ。古き佳きハリウッド映画の音楽を思わせるドリーミーな世界が広がる。

 薬師丸の持ち歌で取り上げられているのは、「セーラー服と機関銃」のみ。スパニッシュな香りの生ギターで彩られた、これも絶妙なアレンジである。

 前に彼女のベストアルバム『歌物語』を当ブログで取り上げた際、私は次のように書いた。
 

 歳月を経たことでファンとしての色眼鏡を外して聴いてみると、シンガー・薬師丸ひろ子の限界もはっきり見えてしまう。どんな曲を歌っても同じような一本調子のヴォーカルで、微妙なニュアンス、陰影に乏しいのだ。
 それに、彼女はロック的なリズム感が致命的に乏しい人で、ちょっとロック色の強い曲になるとまるで魅力がない(阿木耀子・宇崎竜童コンビの「紳士同盟」など)。

 だがそれでも、透き通ったマジメな声質(そう、彼女は声からして優等生的でマジメなのだ)はいまなお魅力的だし、素直に歌い上げるバラード・タイプの曲は素晴らしい。



 まさにこのアルバムには、シンガー・薬師丸ひろ子のそのような特長にぴったり合った曲ばかりが選ばれている。彼女は自分をよく知っているし、吉俣良をはじめとしたスタッフたちも、彼女の魅力をよくわかっていると思う。

 とくに、「椰子の実」「故郷」「仰げば尊し」と、問答無用のジャパニーズ・スタンダードが3曲つづくシークェンスは絶品だ。
 「おいおい、いまさら『仰げば尊し』かよ(笑)」とか食わず嫌いせず、聴いていただきたい。スーッと胸に沁みる仕上がりだから。



 35年来のファンの一人として十分納得のいく、上出来のカバーアルバム。

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山田順『人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本』


人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本
(2014/01/21)
山田順

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 山田順『人口が減り、教育レベルが落ち、仕事がなくなる日本――これから確実に起こる未来の歩き方』(PHP/1575円)読了。

 タイトルを見ればわかるとおり、ものすごく悲観的に日本の未来を描き出した本である。章立ては次のようになっている。

 第1章 どんなビジネスも人口減に勝てない
 第2章  日本・中国・韓国 ともに衰退する未来図
 第3章 超高齢化社会到来 老人しかいない街
 第4章 老人の街でやる2020年東京五輪
 第5章 あなたの街がデトロイトになる日
 第6章 ものづくり国家 ニッポンの崩壊
 第7章 2020年日本車消滅という衝撃未来
 第8章 仕事を機械に奪われ失業者が増える
 第9章 英語ができないだけで貧乏暮らし
 第10章 さよならニッポン 続々出ていく富裕層
 第11章 巨大債務がある限り給料は上がらない
 第12章 増税で締め上げられ監視される市民生活
 第13章 ポルトガルと同じ運命をたどるのか?



 エコノミストの高橋乗宣は「悲観の乗宣」と呼ばれ、悲観的な経済予測をさせると水を得た魚のようにいきいきとすることで知られるが(笑)、山田順がこれまでに出した本にも悲観的なものが多い。『出版大崩壊』『出版・新聞 絶望未来』『2015年磯野家の崩壊――アベノミクスの先にある「地獄」』といった具合である。
 高橋乗宣の後継として、「悲観の順」の二つ名を用いるとよいと思う。

 まあ、悲観もここまで徹すれば一つの「芸」だし、悲観的な本も世の中には必要だ。
 本書も、読んでいて気が滅入る本ではあるが、“日本人はもっと未来に対して危機感をもつべきだ”というのはそのとおりだし、うなずける主張も多い。たとえば――。

 本当に不思議なことだが、多くの日本人が、自分が暮らしている自治体の財政状況を知らない。いつ破綻するかわからないのに、何事も起こらないと思って暮らしている。
 そこで、読者のみなさんには、お住まいの自治体の「財政力指数」と「実質公債費(負担)比率」を見ることをお勧めする。



 アジアの新興市場が発展したのは、第一に賃金が安いことだが、第二は旧英国領の国が多く、英語ができる人々がいたからである。低賃金と英語を武器に、新興アジアは発展したのだ。
 日本人は、高賃金で英語ができない。この差は、グローバル経済ではかぎりなく大きい。



 しかし、1冊全体として見ると、どうも眉ツバな極論が目立つ。

 山田順は長年光文社の編集者をしていた人だから、出版については専門家だ。ゆえに、出版界の暗い未来を語っている分には傾聴に値した。
 しかし、本書のテーマとなる経済・教育・人口問題についてはいずれも専門ではないわけで、“ほかの専門家の受け売り”の感が否めない。それも、専門家の主張をかなりねじ曲げて我田引水している印象がある。ところどころアヤシゲなのだ。

 たとえば、人口の増減を、国の経済の最大決定要因であるかのように扱っていて、あまりに単純すぎると思った。“中国は早晩人口が急減し始めるが、アメリカは今後も人口が増えつづけると予測されている。ゆえに、中国がアメリカを抜いて世界一の経済大国になることはあり得ない”みたいな書き方をしているのだ。

 人口増の国の経済は成長を続けるという法則から見て、アメリカ経済は今後も順調に成長を続けていくことになる。ついこの間まで、アメリカ衰退論、アメリカ経済崩壊論がさかんに言われたが、この国連の人口予測から見ると、そうした事態は起こらないことになる。
 むしろ起こるのは、「米中はやがて逆転する」とも言われてきた中国が失速してしまうことだ。



 世界経済って、そんなに単純にできているのだろうか?

 また、第12章で展開されている、“アメリカはすでにネットを通じて人類を監視する「全人類データベース」を完成させており、今後は『1984』(ジョージ・オーウェル)のような監視社会が到来する”との論は、ほとんど陰謀論である。

 そんな具合なので、「話半分」で読んだほうがよい本だ。

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千住博『芸術とは何か』


芸術とは何か 千住博が答える147の質問(祥伝社新書)芸術とは何か 千住博が答える147の質問(祥伝社新書)
(2014/03/03)
千住 博

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 千住博著『芸術とは何か――千住博が答える147の質問』(祥伝社新書/861円)読了。

 ニューヨークを拠点に国際的に活躍する日本画家の著者が、質問に答える形で自身の芸術観を語っていく本。

 大上段に振りかぶったタイトル(本書の最後の質問でもある)が示すとおり、質問の多くは「そもそも」と頭につけるのがふさわしいような“大きな問い”である。
 たとえば、「人間は、なぜ絵画を描くのですか?」「芸術家とは才能ですか、技術ですか?」「芸術家は、死ぬまで描くべきですか?」など……。

 そうした“大きな問い”の合間に、「岡本太郎は、なぜ海外で評価されないのですか?」とか、「美大、芸大の教育で画家になれますか?」などという個別具体的な問いがある。
 いずれにしても答えにくい問いが多い印象だが、著者はすべての問いにきわめて明快に答えていく。

 それらの答えの中には「うーん、極端なこと言ってるなあ」と思わせるものもあるが、「なるほど」と感心する答えのほうが多い。

 語り口調に近い平明な文章で綴られているが、随所に深い「芸術哲学」ともいうべきものが見られ、読み応えがある。

 印象に残った一節を引く。

 良い作品ほど、余白が単なる描き残しではなく、奥行きの深い空間に感じられるものです。
(中略)
 西洋絵画の場合、一般的にはいわゆる余白という概念が入り込めないような、空間すべてを描き込んで埋めてしまうものです。すべてを支配する人間中心の世界観からか、あるいはキリスト教的価値観から、神と自分の間には不可知を認めたくなかったからかもしれません。
 いずれにしても、余白への無関心は、西洋絵画が大きな行き詰まりに到達する要因でした。



 絵画の見方は、「自分」「環境」という変わりえる変数が複数ある方程式のようなものです。年齢、人生経験、立場、境遇によって、極端な場合は、朝と夜でも同じ絵画が違って見えることがあります。



 わびさびとは、空間と時間に対する尊敬の概念です。これは、その気になって探せば、世界中至るところに存在していますし、欧米の現代アートの中には、まさにわびさびとしか言いようがない仕事をしている芸術家たちもいます。これが、古いものを捨て新しいものを築いていく西欧的モダニズムのなかで、積み残されていたのです。
 わびさびは、そもそも、かつて洋の東西関係なしに皆知っていたことです。古びていくことのすばらしさがさび、そして「こんなおもてなししかできません」とお詫びする心をわびと言います。



 そもそも、「美」という感覚は、「生きていてよかった」「生まれてきてよかった」ということです。「なぜ、人間が緑の植物にや花々に美を感じるかというと、太古の昔、そこに行けば生きていけるから、それが、生存のための本能になったのでは」と、物理学の佐藤勝彦先生(東京大学名誉教授)から、うかがったことがあります。その通りだと思います。



(「生きる希望を失った人に観せたい絵画は何ですか?」との質問に答えて)
 芸術作品なら、何でもその候補です。色々な作品を観せたいと思います。すぐれた芸術作品は、基本的には生きるリアリティーに満ちており、絵画は、画家が夢中で生きて描いた証です。
(中略)
 突き詰めれば、ある意味では、絵画は生きる希望を失ったり傷ついて落ち込んでしまっている人のために存在していると言ってよいかもしれません。楽しくてハッピーな人は絵画なんか必要としていません。外に行って、ひとりで遊んでいればいいのです。



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J・L・アブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前』


ヨーロッパ覇権以前――もうひとつの世界システム(上) (岩波人文書セレクション)ヨーロッパ覇権以前――もうひとつの世界システム(上) (岩波人文書セレクション)
(2014/01/25)
J.L.アブー=ルゴド

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 J・L・アブー=ルゴド著、佐藤次高ほか訳『ヨーロッパ覇権以前――もうひとつの世界システム』(岩波人文書セレクション/上下巻各2730円)読了。書評用読書。

 ウォーラーステインが提唱した「世界システム論」では、大航海時代がもたらした世界的交易を起点に、世界は政治・経済や社会的差異を超えて一つの「システム」と化したとされる。
 そして、16世紀に成立したこの「近代世界システム」が、覇権国家をオランダ→イギリス→アメリカと変えつつ、今日まで続いているというのがウォーラーステインの見立てであった。

 本書はこの「世界システム論」をふまえたうえで、ヨーロッパが覇権を握る以前の13世紀に「もう一つの世界システム」が成立していた、とする。
 そして、著者は膨大な史料を渉猟し、13世紀半ばから14世紀半ばまでの約100年間の世界史を鳥瞰するなかで、その「13世紀世界システム」の概観を浮き彫りにしていく。

 昨年逝去した著者が1989年に上梓した本の、普及版による復刊。世界史を地球規模でわしづかみにする「グローバル・ヒストリー」の、先駆的な試みの一つである。
 
 基本的には専門書だから読みやすいとはいえず、上巻を読む間はなかなか入り込めなかったが、下巻に入ると面白くなってきた。
 
 欧米の歴史家にとって、「西洋中心史観」は宿痾の如きものであろう。本書は、その宿痾から自由であるという点だけでも評価に値する。

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小田嶋隆『ポエムに万歳!』


ポエムに万歳!ポエムに万歳!
(2013/12/04)
小田嶋 隆

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 小田嶋隆著『ポエムに万歳!』(新潮社/1365円)読了。

 最新コラム集である。
 第1章の前半と巻末対談で、いわゆる「『ポエム化』する日本」について論じている。そこからこの書名になったのだろうが、全体としては多彩なコラムを集めたものだ。

 そんなことは買う前に目次を見れば、あるいはネット書店の紹介文を読めばわかりそうなものなのに、アマゾンのカスタマーレビューを見たら「詩論の本だと思って買ったのに、そうではなかった。だいたい、この著者は詩というものを馬鹿にしすぎていてケシカラン!」と大マジメに怒っている人がいた。困ったものである。

 小田嶋隆を「現代日本を代表する批評的知性」と評したのは内田樹だが、私も、時評コラムを書かせたら日本でオダジマの右に出る者はいないと思う。
 彼のうまさが抜きん出ていることは、自分で同じような文章を書いてみればいちばんよくわかる。ためしに、「ア・ピース・オブ警句」の任意の一編を選んで、同じテーマの時評コラムを書いてみるとよい。「自分にはとてもオダジマのようには書けない」ことが身にしみてわかるはずだ。

 本書も、安心のハイクオリティ。「うまいこと言うもんだなあ」と感嘆する必殺のフレーズがちりばめられている。たとえば――。

 人が集まっているということは、それだけで人を集める理由になる。
 行列のできるラーメン屋の一番の売りが行列であるのと同様な理路において、デモは、「人数」という万能の通貨を、順次権力に両替しながら、次の段階をうかがうことになる。



 男は時に愚かになることで自分を保っている。

 

 20歳を過ぎた女性が、森ガールをやっているというのは、これは、一種の適応障害に近い。おっさんの半ズボンよりもまだタチが悪いと思う。
 なので、森ガールの皆さんは、ぜひ20歳で卒業するように。



 おそらく、本当のクールジャパンは、経済産業省の管轄下にではなく、非経済的かつ非産業的な、われらが才能の無駄遣いの周辺に漂っている。



 まあ、デビュー作『我が心はICにあらず』以来四半世紀以上のファンとしては、最近の鋭い時評家としてのオダジマもよいが、言葉遊びに満ちたナンセンスな(よい意味で)お笑いコラムを書きまくっていた初期のオダジマが、時々懐かしくもなるのだが……。

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常見陽平『普通に働け』


普通に働け (イースト新書)普通に働け (イースト新書)
(2013/10/10)
常見陽平

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 常見陽平著『普通に働け』(イースト新書/903円)読了。
 
 仕事の資料として読んだものだが、とても面白かった。
 私には「まともな就職」の経験もなければ、そもそも「まともな就職活動」の経験すらない。会社はつねに「外から接するもの」でしかなかった。そんな私が読んでも十分楽しめ、考えさせられる内容だったのである。

 カバーそでの惹句を引用する。

 日本の雇用・労働をめぐる議論は、エリートかワーキングプアを対象としたものに偏りがちである。そこには「普通の人」の「普通の働き方」が見落とされており、ブラック企業論争やノマド論争で可視化されたのは、私たちの「普通に働きたい」というこじれた感情であった。



 エリートにもワーキングプアにも偏らない、普通の人の普通の働き方をめぐる日本の雇用情勢を、豊富なデータから読み解いた本なのである。

 というと、政府の「労働白書」のような無味乾燥な内容を思い浮かべる向きもあろうが、そうではない。
 データが駆使されてはいるものの、著者自身の体験・見聞をベースに論が展開されており、ヴィヴィッドな現場感覚に満ちているし、読み物としても面白い。 

 最後の第4章が鹿毛康司(エステーの宣伝担当執行役で、「消臭力」のCMなどを制作した人)との対談になっており、ここがとくに面白い。もう爆笑ものである。

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『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』


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 今日は都内某所で打ち合わせ。
 そのあと、有楽町のTOHOシネマズ有楽座にて、『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』を観て息抜き。あさってで上映が終わってしまうので、すべり込みの観賞である。



 正編から4年が経ち、ヒロイン「ヒット・ガール」役のクロエ・グレース・モレッツちゃんは15歳の美少女に成長。小動物系ロリロリ美少女が次々と悪漢をなぎ倒していく痛快さは相変わらずだ。

 かなり下品度も高い毒気たっぷりのアクション・コメディとして最高に楽しいし、「ヒーローもの」の定石をふまえたシリアスな感動テイストも適度に盛り込まれ、観終えるとおなかいっぱいになる上質のエンタテインメント。私は正編よりも好きだな。

 クロエ・モレッツがリメイク版で主演した『キャリー』を意識したとおぼしきシークェンスもあって、風変わりな青春映画として観ることもできる。
 『キャリー』では同級生から辱めを受けたヒロインが超能力を暴走させて殺戮の限りを尽くしたが、本作のクロエちゃんは高飛車な女王様キャラの同級生にイジメられ、秘密兵器「ゲロゲリ棒」で世にも下品な復讐をするのであった。そのシーンがサイコー。


↑これが「ゲロゲリ棒」のシーン(下品なのが苦手な人は閲覧注意)。

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李昆武ほか『チャイニーズ・ライフ』


チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【上巻】「父の時代」から「党の時代」へチャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語【上巻】「父の時代」から「党の時代」へ
(2013/12/21)
李昆武(リー・クンウー)、フィリップ・オティエ 他



 李昆武(リー・クンウー)、フィリップ・オティエ著、野嶋剛訳『チャイニーズ・ライフ――激動の中国を生きたある中国人画家の物語』(上下巻/各1890円/明石書店)を読んだ。
 「漫棚通信ブログ版」さんが取り上げていたので、興味を抱いて手を伸ばしたもの。

 中国人画家(新聞社の美術記者)による自伝マンガで、上下巻あわせて700ページ近い長編である。

 共著者のオティエは中国在住のフランス人外交官。熱烈なマンガ愛好家でマンガ原作も手がけているそうだから、本作のプロデューサー/アドバイザー的役割というところか。本書の中にも、李とオティエが天安門事件の描き方について議論をする場面がある。

 本書は当初フランスで刊行され、昨年初頭には中国でも刊行。昨年11月には、中国で最も権威あるマンガ賞だという「中国漫画大賞」も受賞している。

 ……というと、「なんだ、中国当局お墨付きの共産党礼賛マンガか」と思う向きもあろうが、意外にそうでもない。
 大躍進政策時代に中国を襲った飢饉の惨状や文革の狂気など、中国現代史のマイナス面もきわめてリアルに描かれているし、その後の経済発展も手放しで礼賛してはいない。

 文革期に1人の少年だった著者は、紅衛兵にあこがれて「反革命分子」糾弾の真似事をする。その場面に添えられた次のようなモノローグに、強い印象を受けた。

ああ、自らを狂喜に委ねることはなんと気持ちのよいことだろう。

昨日まではみすぼらしい無数の水滴の集まりにすぎなかったのに、今日はすべてを洗い流す激流になるなんて。

誰も我々を止めることができませんでした。あらゆる時代の貴重な品々を葬り去りました。
目に見えない塵となって飛び散り、私たちの若い胸を満たしたのです。



 ただし、1989年の天安門事件については、著者は“自分は事件をメディアを通じて知っただけだし、友人知人にも当事者はいないから”と、詳細に描くことをかたくなに拒んだという。
 その点をとらえて、「これは現代中国を正確に描いた作品ではない」と難ずることもできなくはない。が、いまも中国で暮らす著者にそこまでを望むのは酷だろう。

 中国の市井の人々の等身大の像を焼き付けたマンガとして、本作には高い価値があると思う。イラン出身のマルジャン・サトラピの自伝マンガ『ペルセポリス』と同系列の、「異文化を知るマンガ」として優れている。

 著者の絵柄は、日本のマンガとはまったく別物である。
 版画的かつ水墨画的、とでも言ったらよいか。黒と白の強烈なコントラストを活かした見事な絵だが、すっきりとした日本のマンガを読み慣れた目には、かなりとっつきにくい。

 それでも、内容のインパクトに引っぱられてずんずん読み進めることができる。
 とくに、大躍進時代から文革期、毛沢東の死までが描かれた第一部(上巻の大半にあたる)の迫力はすごい。

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玉川重機『草子ブックガイド』ほか


草子ブックガイド(1) (モーニングKC)草子ブックガイド(1) (モーニングKC)
(2011/09/23)
玉川 重機

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 ここ数年、「本を読むこと」それ自体を描いたマンガが続々と登場している。
 芳崎せいむの『鞄(かばん)図書館』、篠原ウミハルの『図書館の主(あるじ)』、玉川重機の『草子ブックガイド』、片山ユキヲの『花もて語れ』などである。

 某紙に連載しているコミック紹介のコラムで、それらを「本を読みたくなるマンガ」と題して紹介するため、各作品の既刊を一気読みした。

 上記4作のうちだと、イチオシは『草子ブックガイド』。
 絵柄・内容ともクセの強い個性的な作品で、好悪が分かれるだろうが、私はたいへん気に入った。

 学校にも家庭にも居場所がない孤独で内向的な少女・草子。読書好きな彼女にとって、ただ一つ心安らぐ場は、西荻窪の古書店「青永遠屋(おとわや)」。
 そこに通い、本を万引きして帰っては(!)、その感想を記したメモを挟んで書棚に返す日々。年老いた店主は草子の感想メモを気に入り、万引きを咎めるでもなく、「ブックガイド」を続けてくれるように頼む。

 ……という話。最初の設定からして只者ではないクセの強さだが、毎回取り上げられる古今の名作の料理の仕方も素晴らしく、読書そのものを描いたマンガとしてすこぶる質が高い。

 次によかったのが、『ビッグコミックスピリッツ』連載中の『花もて語れ』。
 これはなんと、前代未聞の「朗読マンガ」である。つまり、朗読という行為自体の魅力と奥深さを、スポ根マンガのような熱血テイストで描いていく作品なのだ。

 概要だけ聞いたら「そんなマンガが面白いはずがない」と思うかもしれないが、読んでみるとなかなか面白い。

 「朗読だけでそんなに人を感動させられるわけがないだろ!」とつっこみたくなる箇所も多々あって、強引なストーリー展開ではあるが、読んでいる間はその強引さが気にならない。読者をグイグイ引っぱるパワーがある。
 「1970年代くらいまでの少年マンガって、こんな感じだったよなあ」というなつかしさも感じさせる。

 『鞄図書館』は、世界のすべての本が所蔵されているという不思議な「鞄図書館」を持って旅をする司書が主人公。ミステリ専門誌に連載中の作品だが、取り上げられる作品はミステリに限らない。
 
 『金魚屋古書店』の芳崎せいむらしいハートウォーミングストーリーではあるのだが、毎回の話がサラッとしすぎていて、感動にまで至らない。「一回読めばもういいかな」という感じ(逆に『草子ブックガイド』は、絵柄が非常に濃密であるためもあり、何度も読み直したくなる)。

 『図書館の主』は、題材を児童文学に絞っている点は趣向として面白いのだが、ストーリーの質が低い。
 取り上げられる児童文学とその回の登場人物との関係性も、とってつけたようで陳腐。

 たとえば、我が子を束縛しすぎる若い母親に、主人公の司書が『ニルスのふしぎな旅』をオススメするエピソードがある。母親は、ガンの脚につかまって広い世界に旅出つニルスの姿を見て、子どもに対する束縛を反省するのであった。
 ……うーん、薄っぺらい。「その症状にはこの本が効きますよ」的な描き方はどうかと思う。読書の魅力って、そういう限定的・対症療法的なものではないのでは?

 まあ、「本を読むこと」自体を描いたマンガといえば、高野文子の『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』にとどめをさすわけで、あれを凌駕する作品はいまだ登場していないのだが……。

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架神恭介『仁義なきキリスト教史』


仁義なきキリスト教史仁義なきキリスト教史
(2014/02/26)
架神 恭介

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 一昨日は企業取材で愛知県の三河安城へ(日帰り)。昨日は都内某所で打ち合わせ。
 今週は日替わりで原稿の〆切もあるので、何かとあわただしい。

 
 架神恭介著『仁義なきキリスト教史』(筑摩書房/1575円)読了。

 傑作『完全教祖マニュアル』以来、“宗教学エンタテインメント”ともいうべき独自の領域を切り拓いてきたライターの最新著作。

 あたりまえの話だが、キリスト教史はキリスト教徒以外が学んでもさして面白いものではない。しかし、教養として大枠くらいは押さえておきたいところだ。
 2000年のキリスト教史を、なんと『仁義なき戦い』のパロディ形式で綴った本書は、そのためにうってつけの1冊といえる。

 章立てはこんな感じ→ 「仁義なきキリスト教史」公式サイト | CHAPTERS
 
 『仁義なき戦い』シリーズが好きで、名セリフ・名場面を暗記するほど観倒しているような人(→私)にとっては、じつに面白い本に仕上がっている。
 なにしろ、登場人物がみなドスのきいた広島弁で会話するのだからたまらない(著者は広島出身)。キリストの言葉が、菅原文太の声音で脳内再生される(笑)。

「ほんじゃがのう、わしゃ言うとくわい。こんなは今夜、鶏が二度啼く前に三度わしを否むじゃろう……」(これはキリストのセリフ)

「ユダ、おどれがチンコロしおったんか!」

「あのボンクラども、言うに事欠いて、イエスはまだ生きとる言いよるんです」

「自分で仕返しするな、ヤハウェ大親分の仕返しに任せえいうて、パウロ兄さんも言うちょろうがい。おどれら、それに耐えれん言うんじゃったら、キリスト組の代紋外せえや」(これはルターのセリフ)

 

 ……などというセリフが飛びかうのである。
 敬虔なるクリスチャンの方から見れば罰当たりな本だろうが、門外漢の私には楽しめた。筋骨隆々のヤクザの背中にキリストの磔刑図がイレズミされたカバーイラスト(田亀源五郎)からして、もうサイコー。

 架神恭介作品の中では、「物語形式の宗教入門」という意味で『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』と同系列の著作ということになる。
 あの作品では小説仕立てがほとんど意味を成していなかったが、今回は『仁義なき戦い』というしっかりとした元ネタがあるせいか、物語形式が奏功している。

■関連エントリ→ 『仁義なき戦い』名セリフ集

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津田信『幻想の英雄』


小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109))小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109))
(1999/12/25)
小野田 寛郎

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 津田信著『幻想の英雄――小野田少尉との三ヵ月』(図書出版社)読了。

 佐村河内守ゴースト事件が発覚したとき、過去にあった類似の事例としてにわかに脚光を浴びた本。

 1974年に小野田寛郎がルバング島から帰還した際、彼に聞き取り取材をして週刊誌連載の手記を代筆(のちに『わがルバング島の三十年戦争』として単行本化)した著者が、3年後にその事実を明かし、英雄視された小野田寛郎の実像を暴いたものなのである。

 なるほど、「ゴーストライターによる告発」という図式は佐村河内事件と共通だ。

 もっとも、芸術作品のゴースト(しかも、関係各社を騙してのゴースト)と非芸術書籍の聞き書きではまるで次元が異なると思うのだが、業界外の人たちにはその違いがわからないようで、「ゴーストライター」というだけでうさん臭いイメージで見られる昨今の風潮には、ライターの一人として閉口している。

 ゴーストライター経験者のブログに、そのへんの違いをうまく説明してくれているエントリが立て続けにアップされたので、貼っておく。

書籍のゴーストライターというエコシステム|佐々木俊尚 blog
ライター神田憲行の日記 : ゴーストライターというお仕事

 それはともかく、この『幻想の英雄』は大変面白かった。

 私は図書館の保存庫から出してきてもらって読んだのだが、津田信の長男である山田順(前に当ブログで取り上げた『出版大崩壊』『出版・新聞 絶望未来』の著者)が自身のサイトで全文を公開しているので、興味のある向きはご一読を。

 津田信と同じようにゴーストライターの仕事もしている身としては、彼の暴露を肯定することはできない。それはライターとしての職業倫理に悖る行為であるはずだ。どんないきさつがあったにせよ、ゴーストライターとして仕事を請け負った以上、黒子としての立場を崩すべきではない。
(というと、「お前は新垣隆さんの勇気ある告発をディスるのか?」と言われそうだが、上に書いたとおり、あれは次元の違う話だと思っている)

 ただ、津田信の本業は小説家であり、しかも作品のほとんどが私小説であったとのことだから、「それならしょうがないか」という気もする。
 家族や親類、友人知人のプライバシーまで容赦なく作品の素材とするのが、私小説書きの性(さが)である。そのことの是非はともあれ、津田が小野田寛郎とすごした日々の真実を書かずにはいられなかったことは理解できる。

 そんな舞台裏のあれこれについてはともかく、本書を虚心坦懐に読むなら、非常に優れたノンフィクションであると思う。津田の作家としての力量がよくわかる。小野田寛郎の人間像が、眼前に立っているかのように鮮やかに浮かぶのだ。

 だがしかし、津田が暴露したその「人間像」は、ルバング島にいた30年の間に罪のない島民を多数殺害(本書に記された本人の言によれば、殺したのは約30人)し、しかも島民へのあからさまな蔑視を隠そうともしない、恐るべきものなのである。
 じつに衝撃的な1冊。ゴーストうんぬんの下世話な興味を差し引いても、一読に値する。

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『バンド名由来事典』


バンド名由来事典 (CROSSBEAT Presents)バンド名由来事典 (CROSSBEAT Presents)
(2013/12/26)


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 『バンド名由来事典』(シンコーミュージック・エンタテインメント/1050円)読了。

 編著者名が明記されていないが、タイトルに「CROSSBEAT Presents」と冠されているので、昨年休刊してしまった洋楽誌『クロスビート』編集部の「編」ということなのだろう。

 こういう事典は日本にはありそうでなかったので、1冊くらいはあってもいい。しかし、正味130ページ程度と分量も少なく、代表的なバンドが網羅されているわけでもないので、物足りない。
 本で出すより、誰か好事家が趣味としてネット上でやるべきことなのだろうな。
 ちなみに、日本のバンドについてはネット上に「バンド名の由来辞典」というサイトがあるが、本書は洋楽誌から生まれた本なので、洋楽ロックバンドに対象を絞っている。

 メンバー自らがバンド名の由来を語った言葉ばかりを集めているのが、本書の特徴だ。
 この特徴は、長所でもあれば短所でもある。第三者の語るウワサが混入していない点は長所。バンド名の由来にはいくつかの説がある場合も多いのに、そのうち一つしか紹介されない点が短所。
 
 たとえば、イエスの由来についてはピーター・バンクス(初代ギタリスト)の言葉が紹介されている。
 バンクスは、「チラシに出演者の名前を載せる時、名前の文字数が少なければ少ないほど大きく印刷してもらえるから」3文字のバンド名を選んだ、と身もフタもない理由を語っている(笑)。
 しかし、私は以前、バンドのフロントマンであるジョン・アンダーソンが「イエスとは肯定の言葉だ。だから私たちはバンド名にしたんだ」と語っているのを読んだことがある。こちらのほうがずっともっともらしい。

 また、U2は"you, too"のもじりだと聞いた覚えがあるが、本書のU2の欄にはそんな話は出てこない。
 ことほどさように、バンド名の由来にはあいまいさが伴うのだ(そもそも、ミュージシャンがインタビューによって答えを変えてしまう場合もある。ばんたび同じ質問をされてウンザリするからだろう)。

 まあ、中には面白い話も出てくるから、洋楽好きなら一時間くらいは楽しめる本である。たとえば――。

 キッスは当初、ジーン・シモンズの発案で「ファック」という名前になりかかったという。
 ポール・スタンレーが「冗談じゃない。ロックを聴いてるのはティーンエイジャーなんだぜ」と反対し、妥協案としてキッスになったとか(笑)。

 ところで、最近の日本のバンドには日本語のユニークなバンド名をつけた例が多いが(「ゲスの極み乙女」とか「赤い公園」とか)、私はこういう傾向を喜ばしいと思う。
 昔の日本のバンドの多くが英語の名前にしたのは本場の洋楽ロックへのコンプレックスゆえだったわけで、いまの若い世代はやっとそのコンプレックスから解放されたのだろう。

■関連エントリ→ 『バンド臨終図巻』レビュー

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中川右介『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』


角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年 (単行本)角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年 (単行本)
(2014/02/21)
中川 右介

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 中川右介著『角川映画 1976-1986 日本を変えた10年』(KADOKAWA/1575円)読了。

 この本は2ちゃんねる用語で言うところの「おっさんホイホイ」で、角川映画全盛期に少年時代を過ごした私には買わずにはいられなかった。

 1976年の『犬神家の一族』から1986年の『キャバレー』『彼のオートバイ、彼女の島』までを対象とした、角川映画の通史である。
 もっとも、86年以降も角川映画は作られたのだが、この年で区切っているのは納得。実質上角川映画広報誌であった『バラエティ』もこの年に休刊しているし、ここで一つの時代が終わったのだ。

 中川右介の著作がいつもそうであるように、関係者への取材はなしで、ひたすら膨大な資料を渉猟してまとめあげるスタイルが取られている。
 後半になるほどたんなる事実の羅列という印象が強くなり、つまらなくなるが、それでも非常によくまとまっている労作だ。

 角川映画は「角川春樹の映画」であったわけだが、本書を読むと、春樹のプロデューサーとしての才覚はやはり抜きん出ていたと、改めて感じる。

 中川は本書で取り上げた角川映画のすべてを封切り時に映画館で観たそうで、「わが青春の角川映画」と「はじめに」に記している。
 私はさすがに全作品は観ていないが、それでも7割方は封切り時に観ている。薬師丸ひろ子のデビュー時からのファンであったから、当然彼女の出演作はすべて観たし、『バラエティ』も毎月買っていた。

 まあ、いま観直すと気恥ずかしくなる作品もあるが、『セーラー服と機関銃』あたりは日本映画史に残る傑作だと思う(最近DVDで再見したが、じつに映画的快楽に満ちた作品だと改めて感じた)。

 薬師丸ひろ子の『野性の証明』でのデビューから、角川からの独立までの時期を扱った3~8章は、読んでいてたまらなくなつかしかった。
 
 かなり読者を選ぶ一冊。
 角川映画をリアルタイムで観ていた人々にとっては面白く、資料的価値も高いが、それ以外の人にとっては無意味に近い本(笑)。

■関連エントリ
『角川映画主題歌集』レビュー
角川春樹『わが闘争』レビュー

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西原理恵子『サイバラの部屋』


サイバラの部屋 (新潮文庫)サイバラの部屋 (新潮文庫)
(2013/12/24)
西原 理恵子

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 西原理恵子著『サイバラの部屋』(新潮文庫/578円)読了。

 サイバラが過去8年くらいの間にいろんな雑誌で行った、各界の著名人13人との対談を集めたもの。文庫オリジナルである。

 玉石混交で、あまり面白くない対談もあるが、全体としては値段分きっちり楽しませる好読み物だ。
 サイバラのサービス精神はいつもながらアッパレなもので、真面目なテーマの対談でもガンガン笑いを取りにいく。それも、自らの過去と現在を「ネタ」と化しての捨て身の笑いなのだ。

 カバー裏の紹介文が本書の魅力を的確に要約しているので、そのまま引用。

ようこそ、何でもアリの部屋へ──。よしもとばななやともさかりえを相手に、なぜだか近所のオカン談義。重松清と成り上がり人生を振り返る。リリー・フランキーにはライバル意識むき出し。出所したてのホリエモンとはダイエット話に花を咲かせる。大胆にもやなせたかし先生のポジションを狙う……。野望も下ネタも人情も一緒くた! 読めば不思議と元気になれる、盛りだくさんの対話集。



 個人的にとくに面白く読んだのは、VS重松清対談と、VSみうらじゅん対談。
 前者は、“物書き業界スゴロク”の四方山話が他人事とは思えず、共感しまくり。後者は、ムサビ時代の裏話が面白すぎ。
 VS重松対談から、印象に残った発言を引く。

重松 でもおれ、取材とかだといまだに聞くよ。「テープ起こしはどっち?」って(笑)。「スケジュールの問題もあるし、先に言っといて」って(笑)。
西原 そこなんだ! テープ起こしするかどうか、じゃないんだ(笑)。でも、重松さんがゴーストライターからの叩き上げっていうのは、わたしも含めた鉛筆乞食の希望の星ですよ。



 どんなに売れっ子になっても、「鉛筆無頼」(@竹中労)ならぬ「鉛筆乞食」と自己規定できるあたりが、サイバラの凄さだろう。すかした「文化人」になど、けっしてならないのだ。

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稲葉剛『生活保護から考える』


生活保護から考える (岩波新書)生活保護から考える (岩波新書)
(2013/11/21)
稲葉 剛

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 今日は、都内某所で打ち合わせが2件。
 行き帰りの電車で、稲葉剛著『生活保護から考える』(岩波新書/756円)を読了。

 湯浅誠らとともに自立生活サポートセンター「もやい」を運営してきた著者が、長年貧困問題の現場で活動してきた経験をふまえ、生活保護をめぐる問題を論じた一冊。

 「はじめに」で、「(本書は)いわゆる『中立的』な立場から書かれたものではありません」と宣言しているとおり、著者は明確に生活保護受給者の側に立っている。
 生活保護基準の段階的引き下げに踏み切った安倍政権を批判し、世にあふれる「生活保護バッシング」に反論し、一方で受給者たちのつらさに寄り添う――著者のスタンスはきわめて明快だ。

 たとえば、こんな一節がある。

 社会保障費削減へと突き進む政治の動きに自らの生存そのものを否定されたように感じ、絶望の末に抗議の自死をした生活保護利用者の女性を、私は知っています。
(中略)
 生活保護制度の本当の意味とは何でしょうか。それは人間の「生」を無条件で保障し、肯定することだと私は考えています。「生」というと、最低限の生存が維持できている状態だという意味に受け取られがちですが、ここで言う「生」とは衣食住だけでなく、健康で文化的な生活、つまり「人間らしく生きる」ことを意味しています。



 そうしたスタンスゆえ、生活保護バッシングに共鳴する人は本書を手に取ろうとも思わないだろう。が、そういう人にこそ読んでもらいたい。生活保護に対する世間一般の見方がいかに偏ったものであるかが、よくわかるから……。

 盟友・湯浅誠の著作同様、大局的視点から生活保護行政の問題点を衝く冷静さと、個々の困窮者と共闘する熱い現場感覚が、絶妙に同居している。

 安倍政権の生活保護行政を批判するとともに、歴代自民党政権が生活保護に向けてきた視線の歪みをあぶり出す著者の筆鋒は鋭い。いわく――。

 「家族の助合い」、「自助」を最優先に置き、「公助」の役割を最も後回しにする発想は自民党の「党是」とも言えるものです。



 読みながら、「福祉の党」をもって任ずる公明党が自民党と連立政権を組んでいることは、やはりどうしようもなく「水と油」だと改めて思った。考え方の根幹がまるで相容れないのだ。

 本書の圧巻は、第3章の「家族の限界」だと思う。
 この章では、一連の生保バッシングを契機に進められた生活保護法の「扶養義務強化」が、家族との間に決定的な亀裂を生じている一部の困窮者にとっていかに過酷な足枷となるかが、具体的事例を通して論じられている。
 
 その中で紹介される生活保護世帯の女子高生からのメールは、涙なしに読めない。
 高校の学費も(要返済の)奨学金でまかなっているという彼女は、メールに次のように記す。

「専門学校も奨学金で行けばいいと言われますが、専門学校卒業後、高校の奨学金と専門学校の奨学金を同時返済しさらには親を養えと言われる」
「私はいつになれば私の人生を生きられるのですか。いつになれば家から解放されるのですか」
「子が親を養うことも当たり前のように思われていますが、それは恨んでいる親を自分の夢を捨ててまで養えということなのでしょうか。成績は充分であるにもかかわらず進学は厳しいというこの状況はおかしいのではないでしょうか」



■関連エントリ→ 稲葉剛・冨樫匡孝『貧困のリアル』レビュー

 重箱の隅つつきを一つ。「はじめに」に、言葉の誤用がある。

 この本はそうした社会や政治の「流れに棹さす」ことを目的として書かれています。



 「流れに棹さす」は、「その流れをさらに加速させ、勢いを増す」という意味(→参考)。生活保護削減の「流れに棹さ」したらマズイだろ。
 天下の岩波の本なのだから、編集者か校正者が誤用を指摘してあげるべきだったと思う。 
 
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姜尚中、鷲田清一ほか『日本人の度量』


日本人の度量 3・11で「生まれ直す」ための覚悟 (講談社プラスアルファ新書)日本人の度量 3・11で「生まれ直す」ための覚悟 (講談社プラスアルファ新書)
(2014/02/21)
姜 尚中、高村 薫 他

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 昨日から今日にかけて、一泊で仙台へ――。

 「せんだいメディアテーク」にて、哲学者の鷲田清一さんと防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実さんの対談取材(で、私がまとめる)。

 対談テーマに関連した、『日本人の度量――3・11で「生まれ直す」ための覚悟』(姜尚中・高村薫・鷲田清一・本多弘之著/講談社+α新書/882円)、渡辺実著『都市住民のための防災読本』(新潮新書)『緊急地震速報』(角川SSC新書)を読んで臨む。

 そのうち『日本人の度量』は、2012年4月に行われた「第6回親鸞フォーラム」の内容をまとめたもの(フォーラム開催から書籍化までに2年近くかかっていることにビックリ。ゆったりとした仕事の進め方だなあ)。
 東日本大震災後の日本の「いま」と「これから」についての、姜尚中さんによる基調講演と、ほかの3氏によるシンポジウムを収めている。

 シンポジウムについては、パネラー3人が話した内容をバラバラにして再構成し、1人ずつの講演であったかのような体裁にしている。
 なぜそんな手間ヒマのかかることをしたのか、理解に苦しむ。べつに、シンポジウムのままでもよいではないか。

 体裁についてはさておき、話の中身はそれぞれ示唆に富むもので、東日本大震災関連書として上出来の内容になっている。
 「親鸞フォーラム」をまとめたものだから、親鸞の思想を通奏低音としてはいるのだが、宗派性に凝り固まった内容というわけでもない。

■関連エントリ
鷲田清一・内田樹『大人のいない国』レビュー
鷲田清一・永江朗『哲学個人授業』レビュー

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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