はっぴいえんど「春よ来い」


 
 かしぶち哲郎死去のニュースに驚いたばかりなのに、大晦日にまさかの大滝詠一の訃報。さすがに打ちのめされた。

 かしぶちのソロワークにおける代表作『リラのホテル』は、私の青春時代の愛聴盤の一つであった。

 大滝詠一についていえば、逝去を報じた記事がこぞって代表作として紹介している『A LONG VACATION』には、まるで思い入れがない。
 私の青春期に空前の大ヒットとなったアルバムだし、圧倒的な完成度も認めるが、「私には縁のない世界」という気がして、共感できなかったのだ。まばゆいような「リゾート・ポップス」だったから……。

 私にとっての大滝詠一は、なんといってもはっぴいえんど時代である。さすがにリアルタイムで聴いていたわけではなく、後追いだけれど。
 大滝の書いた曲「抱きしめたい」とか、衝撃的だった。「な、なんだ、この日本語の乗せ方は!」と。

 でも、今夜聴くのに最もふさわしいのは、やっぱり上に貼った「春よ来い」だな。
 空前絶後に暗い「お正月ソング」。「今年は一人ぼっちで/年を迎えたんです/除夜の鐘が寂しすぎ/耳を押えてました」とか、歌詞もヘビー。

 たぶん、日本中でいま50人くらいは、ブログやツイッターなどでこの曲に言及していると思う。

 この「春よ来い」は、永島慎二の『漫画家残酷物語』の一編「春」を下敷きにして歌詞が書かれている(作詞は大滝ではなく、松本隆)。
 『漫画家残酷物語』は私にとって史上ベストワン・マンガだから、その意味でも忘れがたい曲なのである。

 『A LONG VACATION』のような、“能天気・総天然色ポップス”ばかりが大滝詠一なのではない。このような、素晴らしくブルージーな渋いロックもやっていた人なのだ。そのことを強調するとともに、つつしんでご冥福をお祈りいたします。

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能町みね子『雑誌の人格』


雑誌の人格雑誌の人格
(2013/11/01)
能町 みね子

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 能町みね子著『雑誌の人格』(文化出版局/1575円)読了。

 さまざまな雑誌の「平均的読者像」を想像で創り出し、その架空人格を紹介することを通じて雑誌の魅力をあぶり出すという、卓抜な企画のイラスト・コラム集。
 祖父江慎およびコズフィッシュによるデザインも凝りに凝っているし、一冊の本としてクオリティが高い。

 惜しむらくは、取り上げられている雑誌の8割方が女性誌・少女誌・婦人誌であるため、私にはどういう雑誌なのかがよくわからないこと。
 当の雑誌のことがわからなければ、著者が文章とイラストに込めた細かいくすぐりも十分理解できないわけで、たぶん私には本書の面白さの半分くらいはわかっていないと思う。
 登場する雑誌のうち、私が愛読していたことがあるのは『SPA!』だけ。さすがに、そのページは隅から隅まで笑えた。

 それでも、雑誌好きの1人としては十分に楽しめた。女性誌にくわしい読者ならもっと面白く読めるだろう(元になっているのは『装苑』の連載コラム)。
 次はオジサン雑誌を中心に取り上げた続編が読みたいところだ。

 随所に感じられる著者の観察眼の鋭さ、皮肉の毒としなやかな批評性は、往年のナンシー関を彷彿とさせる。

 ただ、ナンシーの消しゴム版画が似顔絵としても高度だったのに比べ、能町みね子は似顔絵はヘタだな。イラストとしてはすごくいいんだけど、有名人の似顔絵を描かせるとまるで似ていない(佐藤浩市の似顔絵を見てデヴィ夫人かと思ったほど)。その点だけが玉にキズ。
 まあ、著者としては、ナンシー関と比べられたら迷惑かもしれないが……。

■関連エントリ→ 能町みね子『オカマだけどOLやってます。』レビュー

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梯久美子『猫を抱いた父』


猫を抱いた父猫を抱いた父
(2013/04)
梯 久美子

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 梯久美子著『猫を抱いた父』(求龍堂/1680円)読了。

 前に取り上げた同じ著者の人物ルポ集『声を届ける』と、同じ版元から同時刊行されたエッセイ集。ブックデザインもよく似ていて、2冊がちょうど対になっている感じ。

 『声を届ける』について、私は「人物ルポのヴィンテージ」と評したが、本書も素晴らしいエッセイ集だ。
 梯久美子が自分自身について記したエッセイ集は、これが初めて。当代屈指の名文家(だと私は思っている)の本領が発揮された一冊になっている。

 タイトルといい、文章といい、向田邦子の名エッセイ集『父の詫び状』を彷彿とさせる。
 『父の詫び状』を読んで「ほとんど名人である」と絶賛したのは山本夏彦だったが、本書も名人級のうまさが随所に発揮されている。
 小説家とノンフィクション作家という違いはあるものの、エッセイの書き手として見るなら、向田邦子の正統的後継者は梯久美子だと思う。

 幼少期からの思い出を綴ったものと、物書きになってからの仕事の舞台裏を明かしたものが、おおむね半々の割合。
 私はどちらかといえば前者に強い印象を受けたが、後者のうち、交友のあった作家などを追悼した何編かのエッセイも、深く心に残る。

 『声を届ける』も本書も、版元が地味(美術出版の老舗だが)なせいもあってか、あまり売れていないようだ。どちらも名著なので、もっと脚光を浴びてほしいところ。

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蛭田亜紗子『愛を振り込む』


愛を振り込む愛を振り込む
(2013/10/24)
蛭田 亜紗子

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 蛭田亜紗子著『愛を振り込む』(幻冬舎/1365円)読了。

 この人の小説を読むのは、3年前のデビュー短篇集『自縄自縛の私』以来2冊目である。なので『自縄自縛の私』と比較するしかないのだが、3年の間に目覚ましい進歩を遂げていてビックリ。小説家として一皮むけたという印象だ。

■関連エントリ→ 蛭田亜紗子『自縄自縛の私』レビュー

 『自縄自縛の私』は、映画化された表題作は傑作だったものの、ほかの4編は習作の域を出ていなかった。
 対照的に、全6編(+エピローグ)の連作短編集である本書は、6編とも水準以上の出来。とくに、後半3編は掛け値なしの傑作だ。

 アブノーマルな性の世界を扱うなど、キワモノ的な面もあったデビュー短篇集に比べ、本書はわりとフツーの恋愛小説集になっている。性描写はあるもののそれがメインではなく、性描写にも文学的香気があるのだ。

 フツーといっても、この著者のことだから甘ったるい恋愛小説にするはずもなく、6編ともビターでひねりの効いた“異形の恋愛小説”になっている。

 たとえば「不肖の娘」は、東電OL殺人事件の被害女性を彷彿とさせる、デスペレートな売春行為をくり返すOLがヒロインだ。また表題作は、普通なら恋愛小説の主人公にはならない、見る者をぎょっとさせるような醜女がヒロインである。
 にもかかわらず、2作とも恋愛小説としか呼びようのない作品に仕上がっている。とくに、表題作の哀切なラストシーンは素晴らしい。

 赤インクで汚れた1枚の千円札が6人の女性たちを結ぶ“バトン”となるという趣向も見事に決まっているし、短篇集としてのトータルな完成度が高い。
 
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唯野奈津実『副業革命! スキマ評論家入門』


副業革命!  スキマ評論家入門 世界で一人だけの評論家になって稼ぐ方法副業革命! スキマ評論家入門 世界で一人だけの評論家になって稼ぐ方法
(2013/11/08)
唯野 奈津実

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 唯野奈津実(ゆいの・なつみ)著『副業革命! スキマ評論家入門――世界で一人だけの評論家になって稼ぐ方法』(リットーミュージック/1365円)読了。

 「副業で稼ごう」というたぐいの実用書は山ほど出ており、そのうちいくつかを私も読んだが、何の役にも立たない本が多かった。「アフィリエイトやせどりで小銭を稼げ」だとか、ネットでちょっと検索すれば出てくるような薄い情報を、総花的に紹介しただけの本が目立つのだ。

 その点、本書は的が絞ってあるだけに具体的・実用的で、わりと使える内容になっている。
 「スキマ評論家」とは聞き慣れぬ言葉だが、要は同業者が一人もいないような超ニッチ分野の評論家のこと。

 前に『週末起業』という本を読んだとき、脱サラして夜景評論家になったという人が紹介されていて、「そんなので食っていけるのか」と驚いたことがある。この「夜景評論家」のごときものが、「スキマ評論家」の典型だ。

 著者は実際に「カラオケ評論家」として生計を立てており(つまり副業ならぬ正業)、ほかには「ふんどし評論家」「パンダ評論家」「アイス評論家」「トイレ評論家」がインタビュー・コーナーに登場する。

 前川ヤスタカさんは、正業のかたわら「ちびせん(低身長女性萌え)評論家」「八重歯ガール評論家」などとして活躍しておられる。さしずめ彼などは、「副業としてのスキマ評論家」の代表的成功例だろう(本書に登場しないのが不思議)。

 我々ライターは、もともと文章を書くのが仕事だし、マスコミ慣れもしているし調べ物も得意だから、その気になれば最も「スキマ評論家」になりやすい立ち位置にいる。

 ゆえに、出版不況で仕事のないライター諸氏は、副業というよりライターのセルフブランディングとして、スキマ評論家を目指してもよいかもしれない。
 ……そんなふうに思って読んでみたしだい(幸い、私はいまのところ仕事がたくさんあるけど)。

 本書には、著者が「カラオケ評論家」を始めてから食えるようになるまでの道筋がつぶさに明かされている。そのプロセスは「セルフブランディングのお手本」ともいうべきもので、“自分のもつ専門知識や珍しい経験をどうマネタイズすればよいか?”がわかって参考になる。

 よくある「セルフブランディング入門」のたぐいより、一言も「セルフブランディング」という言葉を使っていない本書のほうが、セルフブランディングのなんたるかがよくわかる本になっている。

 重箱の隅つつきを一つ。
 本書の「はじめに」には、次のような一節がある。

 数あるビジネス書の中でも、評論家になることをテーマしている本は、恐らく本書くらいかと思います。大げさに言えば、本書は「日本で唯一の評論家本」なのです。(太字強調は原文ママ)



 しかし、先行する類書として、小谷野敦の『評論家入門』がすでにあるのだ。
 もっとも、小谷野の本は「ビジネス書」とは言えないから、「ビジネス書としては唯一」という意味なら間違いではないが……。

■関連エントリ→ 小谷野敦『評論家入門』レビュー

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『マイルス・デイビス自叙伝』


マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)マイルス・デイビス自叙伝〈2〉 (宝島社文庫)
(1999/12)
マイルス デイビス、クインシー トループ 他

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 マイルス・デイビス、クインシー・トループ著、中山康樹訳『マイルス・デイビス自叙伝』Ⅰ、Ⅱ(宝島社文庫)読了。

 仕事上の必要からハービー・ハンコックのことをあれこれ調べているのだが、意外なことに、ハービーの自伝や評伝は出ていない。盟友ウエイン・ショーターの評伝『フットプリンツ』は邦訳されているのに……。
 わずかに、「ジャズ批評ブックス」の『定本ハービー・ハンコック』の中にバイオグラフィーの章がある程度。

 なので、マイルスの自叙伝の中のハービーについての記述を拾い読みしようと考えたしだい。
 ところが、読み始めたらすごく面白くて、けっきょく全部読んでしまった。

 私はマイルスについてはくわしくもないし思い入れもないのだが、それでも音楽好きなら楽しめる本だ。全編語り口調の聞き書き形式なので、すこぶる読みやすく、厚い本なのにあっという間に読める。

 マイルスの、黒人であることへの強烈なこだわりと、誇り高さに圧倒される。
 誇り高さは傲慢さと紙一重なわけだが、マイルスの場合は傲慢なのではなく、音楽そのもの、芸術そのものに対する深い畏敬の念があって、「音楽を軽んずる奴はけっして許さない」という意味合いの誇り高さなのである。

 ジミヘンやプリンスなど、自分より若い、ジャンルの異なるアーティストに対しても高い評価を与えていて、つねに自分の音楽を革新しつづけたマイルスらしくて好ましい。

 逆にウィントン・マルサリスに対してはかなりの紙数を割いて批判しているのだが、人格攻撃という印象ではなく、音楽に対する姿勢が決定的に相容れなかったのだとわかる。

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玄田有史『孤立無業(SNEP)』


孤立無業(SNEP)孤立無業(SNEP)
(2013/08)
玄田 有史

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 「餃子の王将」の大東隆行社長の射殺事件から一日が経ったが、まだ衝撃が冷めやらない。私は昨年、まさに事件現場となった本社で大東社長を取材し、ルポを書いたからである。

 大東社長は、すでに多くの方がコメントされているとおり、苦労人で人情味があり、社員一人ひとりを思いやる素晴らしい経営者だった。
 一期一会ではあったが、社長が語ってくれた言葉のいくつかは、いまも耳朶に深く残っている。
 ご冥福をお祈りいたします。


 今日は、都内某所で打ち合わせ。
 行き帰りの電車で、玄田有史著『孤立無業(SNEP)』(日本経済新聞出版社/1575円)を読了。

 先日読んだ『独身・無職者のリアル』(関水徹平・藤原宏美)と同じく、いわゆる「SNEP」(Solitary Non-Employed Persons=孤立無業者)の問題についての概説書である。
 著者はそもそも「SNEP」という概念の提唱者であり、本書のほうがいわば本家本元だ。

 「ニート」が35歳未満の若年無業者を対象としているのに対し、「SNEP」は59歳以下までの幅広い層の無業者を対象とする概念。「Solitary」の語が示すとおり、社会的孤立に陥っていることを重視する概念でもある。

 本書を読むと、著者の誠実な問題意識が伝わってくる。
 著者は「新しい流行語を作って一山当てよう」的な色気からこの概念を作ったわけではなく、「SNEP」の急増(2006年からの5年間で50万人増えたという)を心底憂えているのだと思う。

 だが、著者の誠実さが本としての面白さを保証するわけではない。率直に言って、なんともつまらない本だった。

 本書の分析は、総務省統計局の「社会生活基本調査」をベースに、約3000名を対象とした独自のネット・アンケート調査の結果を加味して行われたもの。ていねいな分析がなされてはいるが、全体に政府の白書のような無味乾燥な印象だ。

 それに、分析結果もなんだかあたりまえのことばかりで、目からウロコが落ちるような点が一つもない。
 たとえば、第4章末尾に置かれた「この章の発見」というまとめの一部を引いてみよう。


2.孤立無業のなかには、深夜も含めて、めったに外出しない生活を送っている人も多い。

5.孤立無業には、中学時代から親しい友人や話をする人があまりいなかったという傾向が見られる。

6.孤立無業は概して貯蓄や財産が十分でなく、強い老後不安を感じている人が多い。



 「そんなこと、東大の先生に教えてもらわなくてもわかるよ」と言いたくなる。
 「孤立無業」という言葉から誰もがイメージするあたりまえのことが調査・分析の結果わかったからといって、何の意味があるだろう? いや、学問的な意味はあるのだろうけど……。

 終盤は孤立無業者に対して立ち直りの方途を提案する内容になっているが、その提案がまたびっくりするほど陳腐で無内容。たとえば、こんな一節がある。

 もう一つのスネップを抜け出す方法は、やはりなんといっても仕事をすることです。さらにもう一つには、結婚するということもあります。ただ、結婚のためには、まず友だちをつくったり、仕事をすることが、大事になるでしょう。



 それがかんたんにはできないから「SNEP」が急増しているのだろうに……。

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ラリー・コリエル&アルフォンス・ムザーン『未来への再会』


未来への再会未来への再会
(2013/09/25)
ラリー・コリエル &アルフォンス・ムザーン

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 ラリー・コリエル&アルフォンス・ムザーンの『未来への再会』(ワーナー・ミュージックジャパン/1000円)を購入、ヘビロ中。

 前から欲しかったアルバムだが、高値のついた輸入盤しか流通していなくて、手が出なかったもの。ワーナーの「ジャズ・ベスト・コレクション1000」という廉価シリーズで復刻されたのを知って、即ゲット。日本初CD化だそうだ。

 不気味カワイイ感じのジャケットは、ハンプティ・ダンプティのパロディらしい。

 大御所ラリー・コリエルは、アコースティック路線の端正なジャズ・アルバムを数多く発表してきた一方、1973~76年の短期間のみ存在したバンド「イレヴンス・ハウス」などで、ハードなジャズ・ロックを追求してきた。

 このアルバムは、「イレヴンス・ハウス」のドラムスだったムザーンと再びタッグを組み、1977年に発表された作品。当然、超テクニカルでハードエッジなジャズ・ロックアルバムになっている。

 コリエルのほかに、フィリップ・カテリーンというギタリスト(録音当時はフォーカスにヤン・アッカーマンの後釜として加入していた人)が参加しており、2人の熱いギター・バトルも聴きどころになっている。

 「これはマハヴィシュヌ・オーケストラのアッパー版だなあ」という印象を受けた。
 マハヴィシュヌの場合、ジョン・マクラフリンのギターとビリー・コブハムのドラムスが二枚看板で、『内に秘めた炎』などのアルバムでは、2人の人間業とは思えぬ超絶テクが披露されていた。

 そこまでは本アルバムと共通なのだが、音の雰囲気はまったく正反対。
 マハヴィシュヌの音には、宗教的・哲学的・内省的な側面が強かった。一言で言えば「ダウナーなジャズ・ロック」だったのだ。

 対照的に、本作は徹頭徹尾アッパーで能天気。「クスリでもキメてレコーディングしたんじゃないか」と思わせるほど、バカ陽気なジャズ・ロックなのである。

 全編にみなぎる性急感と高揚感がすごい。
 とくに、「トランスヴェステッド・エクスプレス」と「結晶の証(Crystalization)」の2曲では、LP時代なら「あれ、回転数間違えたかな?」と思ったであろうほど、すさまじいスピードと手数の演奏が聴ける。


↑「トランスヴェステッド・エクスプレス」。これはフィリップ・カテリーンが書いた曲。

 ジャズ・ファンよりも、ふだんメタル系ばかり聴いているロック・ファンに受け入れられそうな、かなりロック寄りのジャズ・ロック。
 曲は粒揃いだし、かなりの傑作だと思う。

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友川かずき『天穴の風』


天穴の風天穴の風
(1994/08)
友川 かずき

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 友川かずき(現・カズキ)著『天穴の風』(実業之日本社)読了。

 1994年に刊行されたエッセイ集・詩集。
 私は友川の音楽についてはよく知らないのだが、彼が書いた西村賢太の『暗渠の宿』の文庫解説を読み、「面白い文章を書く人だ」と思った。で、旧著に手を伸ばしてみたしだい。

 エッセイが3分の2ほどを占め、残りが詩と対談・鼎談という構成。

 『暗渠の宿』の解説によれば、友川は西村賢太の小説にすっかりのめり込み、全作品を熟読しているという。
 本書のエッセイを読むと、そのことに得心がいく。友川の暮らしぶりは西村の作品世界にごく近いからだ。

 友川は歌と絵画、それにエッセイなどの文章をなりわいとしているのだが、それだけでは生活費が足りないときには土方仕事で糊口をしのいできたという。
 その点が西村を彷彿とさせるし、何より酒の飲みっぷりや泥酔時の乱れっぷり、しばしば酔って暴力をふるう性格破綻者ぶりが、よく似ているのだ。

 友川は、西村のように買淫の様子を作品に書くことはない。また逆に、友川が好きなギャンブルを西村はやらない。その2点が異なるものの、それ以外は年の離れた兄弟のように思えるところがある。友川が西村に深く共鳴するのも当然だろう。

 文章プロパーの人ではないから、友川のエッセイは西村のそれほど面白くはない。それでも、西村作品の愛読者なら同じ匂いを感じて好ましく思えるだろう。

 ときどき、キラリと光る一節に出合う。たとえば――。

 ちあきなおみのCDが届く。中の一曲「祭の花を買いに行く」というのを私が創った。
 全曲聴くがつまらない。
 ジャニス・ジョプリンの歌を歌うちあきなおみはもの凄くいいのに、やはり器用というのは狂気を売り渡した駄賃である。



 「器用というのは狂気を売り渡した駄賃である」という表現に凄みがある。

 私は酒席ではただただ嬉しい人間である。話題などは心の高揚をとりつくろう単なるツマなのである。


 
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アンドリュー・ニューバーグほか『脳はいかにして〈神〉を見るか』


脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
(2003/03)
アンドリュー ニューバーグ、ヴィンス ローズ 他

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 アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ローズ著、茂木健一郎訳『脳はいかにして〈神〉を見るか――宗教体験のブレイン・サイエンス』(PHP研究所)読了。

 著者たち(ニューバーグとダギリ)は脳神経学者。チベット仏教の瞑想を実践する人たちの脳内を「SPECT」(単一光子放射断層撮影)で撮影するなど、宗教体験に際して脳の中で何が起きているかを、実験で検証してきた。
 本書はその研究成果を、ジャーナリストであるローズの手を借りて一般書としてまとめたものである。

 原著が米国で刊行されたのは2001年であり、日進月歩の脳科学の世界では「一昔前」の本といえる。そのせいもあって、内容にも仮説の段階にとどまっている点が多い。
 本書刊行後12年間の研究の進展をまとめた続編が読みたいところだが、少なくとも邦訳は出ていないようだ。

 著者たちが拠って立つ仮説は、「神秘体験は幻覚ではなく、脳神経学的に測定可能な現象であり、宗教的体験は、ヒトの脳だけに組み込まれた先天的機能である」というもの。この仮説に沿って、古今の宗教者の神秘体験の“謎解き”がなされていく。

 “謎解き”の鍵となるのは、脳の「方向定位連合野」(体の空間的な位置把握を司る領域)の役割だ。
 さまざまな宗教的瞑想によって極度の集中状態になったとき、この領域への感覚入力が遮断される(求心路遮断)。
 方向定位連合野は、自分を空間内に位置づけて「自己」の感覚を作り出す役割をもつから、そこに情報が入らなくなると、自己と非自己の境界があいまいになる。そのことが、自分と世界が一体化する「絶対的合一」の感覚をもたらし、神秘体験として感じられるのではないか……ごくかんたんに端折って説明すれば、そういうこと。

 というと、「神なんかいない。それはごく普通の脳機能から説明できる『脳内現象』にすぎない」と主張する宗教否定の書のように思われるかもしれない。

 だが、そうではない。著者たちは、「聖書の中の創造主たる人格神」が「もはや合理的な思考とは相容れなくなってしまった」ことは認めているが、つづけて次のように言っているのだ。

 われわれはまだ、高次の神秘的なリアリティーの概念を否定する根拠を、科学や理性の中に見出すには至っていないのだ。



 そして著者は、宗教が果たしてきた役割について、科学の眼で考察していく。
 宗教的体験が「ヒトの脳だけに組み込まれた先天的機能」であるなら、なぜそのような機能が進化の中でもたらされたのか? それは「信仰を持つことや、信仰に基づく行動パターンが、ヒトに実際的な利益を与えてきたからだろう」というのが、著者の見立てである。
 「利益」とは、宗教をもつことによってヒトという種の「生存確率」が高まったということ。以下に引くのは、著者が挙げているその論拠の一例だ。

 主な宗教を信仰している男女は、平均的な男女に比べて、脳卒中を起こす確率や心臓病の罹患率が低く、免疫系の機能が良好で、血圧が低いという研究結果がまとめられている。また、信仰が健康に及ぼす影響に関する一◯◯◯件以上の研究を検証したデューク大学医療センターのハロルド・コーニグ博士は、最近、『ニュー・リパブリック』誌上で、「信仰を持たないことが死亡率に及ぼす影響は、四十年間にわたって一日にタバコを一箱ずつ吸い続けることに匹敵する」と結論づけている。
(中略)
 多くの研究により、信仰と良好な健康との関係は、生理機能だけではなく、精神衛生にも認められることが明らかになっている。つまり、信仰を持ち、それに従って生きることは、精神的・情緒的健康に資するらしいのだ。例えば、信仰を持つ人がドラッグを濫用するようになったり、アルコール中毒になったり、離婚したり、自殺したりする率は、一般の集団のそれに比べてはるかに低いことが分かっている。また、信仰に従って生きる人々は、憂鬱な気分に沈んだり、不安に悩まされたりすることが一般の人々に比べて非常に少なく、たとえそうなっても回復が早いことが分かっている。
(中略)
 現代の精神医学者の大半は、一連の報告を驚きをもって聞いた。彼らは基本的にフロイトの流れをくんでいて、宗教的な行動のことを、良くても一種の依存状態、最悪の場合には病的状態と見なしていたからである。



 この引用部分からわかるとおり、本書は宗教否定の書どころか、科学のメスを入れることで宗教のプラス面を改めて浮き彫りにした書なのである。

 なぜヒトは宗教を必要としたのか? そして21世紀のいまも必要としているのか? その答えを探った第6章「宗教の起源」が、私にはいちばんスリリングで面白かった。

 また、神秘体験をもたらす脳の神経学的機構が、「交尾やセックスに関する神経回路から進化してきた」と見る著者の仮説は、たいへん興味深い。

 何よりも、神秘家たちがみずからの体験を表現するために選んだ「至福」「恍惚」「エクスタシー」「高揚」などの言葉が、この起源を暗示している。「この上ない一体感に我を忘れた」「高揚の中に溶け去った」「すべての望みが満たされたと感じた」などという彼らの証言が、性的な快感を表現する言葉でもあることは、偶然の一致ではないし、意外でもない。なぜなら、超越体験に関与する興奮系、抑制系、大脳辺縁系などの神経学的構造や経路は、基本的に、性的な絶頂と強烈なオルガスムの感覚とを結びつけるために進化してきたものであるからだ。



 そういえば「法悦」なんて言葉もあるし、麻原彰晃が昔書いた本には「神秘体験は性体験よりも甘美だ」という一節があったという。 
 
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廣中直行『依存症のすべて』


依存症のすべて 「やめられない気持ち」はどこから来る? (こころライブラリー)依存症のすべて 「やめられない気持ち」はどこから来る? (こころライブラリー)
(2013/09/20)
廣中 直行

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 廣中直行著『依存症のすべて――「やめられない気持ち」はどこから来る?』(講談社/1470円)読了。

 医学博士の著者が、薬物依存症、ギャンブル依存症、ネット依存症など、あらゆる依存症のメカニズムと社会的背景、治療法などを一通り解説した本。

 依存症について知りたい人が、この問題の全体像を得るために読む一冊目の入門書として、優れた内容だ。

 “依存症の雑学”を開陳した読み物としても面白い。
 たとえば、「歴史上、最も有名な買い物依存症の人」はマリー・アントワネットだという話や、「アルコール発酵は人類が手にした最も古いバイオテクノロジーである」という話など、思わず人に話したくなる雑学がちりばめられている。

 さらには、「人間とは何か?」なんてことまで読者に考えさせる深みもある本だ。依存症をフィルターにして、人間の本質が活写されているのである。

 たとえば、なぜ依存症になるのかを解説した次のような文章に、なるほどと膝を打った。

 人は依存の対象とたわむれているときに「居場所感」を得られるのではないだろうか。居場所を求める気持ちは誰にでもある。居場所なしでやっていけるほど人間は強くはない。現実の世界に居場所がなく、話せる友人や家族もなく、自分をじっくり見つめる余裕もないとなると、その気持ちは何か別のものに向かっていく。それがたとえば大麻のふんわりとした酩酊感や、パチンコ屋のにぎやかな音や光などではないかと思うのである。
(中略)
 何かが自分にできると思ったり、できないと思ったりする感覚のことを「自己効力感」という。
(中略)
 居場所感がないと、自分の能力を見つめ直す余裕がない。なわばりを失った動物に似ているから、心理的な闘いには負ける。そうなると自己効力感が下がる。
 しかし、誰しも自己効力感が低いままでヘラヘラ笑って満足していることはできない。そこで、かりそめでもいいから、自己効力感を上げてくれるものを求める。(中略)
 自己効力感の低さは、クスリやギャンブルにハマるきっかけになるだろう。一時的に自己効力感が上がるからである。だが、恐ろしいことに、クスリやギャンブルで自己効力感を上げると、本当の自己効力感はますます低くなる。自分を見ているもう一人の自分がいるからだ。借り物の力で乗り切ったということは、本当に乗り切ったわけではない。
(中略)
 自己効力感が低いと、自分で自分を攻撃する傾向が高まる。(中略)それがリストカットや「毒を飲む」といった「自傷行為」につながることもある。
 アルコールやドラッグも、健康をむしばんでいくという意味では、自分への攻撃である。短時間で劇的なダメージを受けるわけではないが、徐々に傷つく。クスリをやるのはまさに「緩慢な自傷」である。ギャンブルへののめり込みや、買い物依存症と言われる行為もそうかもしれない。資産や信用をなくすことも自傷の一種ではないだろうか。



 長々とした引用になったが、この文章には依存症の本質が見事に凝縮されて表現されていると思う。

 心理学や脳科学、行動経済学などの知見を用いて依存症のメカニズムに迫るくだりも随所にあって、それらはいちいち目からウロコ。たとえば――。

 人間の脳は利得より損失に大きな反応を示すことがわかってきた。これは「損を取り戻すためにのめり込む」というギャンブル依存症の心理を考えたときに、きわめて重要な発見だと思う。行動経済学の理論でも、同じ金額なら利得よりも損失のほうが心理的な衝撃が大きいことがわかっている。一万円もらってもじきに忘れるが、一万円失ったら一生覚えている。それが脳の画像解析で裏付けられたわけである。



 著者の文章は平明で、上品なユーモアとウイットにも富んでいて、好ましい。この人のほかの著作も読んでみよう。

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スピリット『Original Album Classics』


Spirit (Original Album Classics)Spirit (Original Album Classics)
(2010/04/16)
Spirit

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 旧作CDを5枚組セットで廉価販売するシリーズ『Original Album Classics』で、米国のロックバンド「スピリット」のものが出ていたので、購入。

 このバンドのことはよく知らなかったのだが、大当たりであった。ファーストから5thまでの5作セットだが、5作とも傑作。しかも、私の好みど真ん中。

 ウィキペディアの彼らの項目 に「American jazz/hard rock/progressive rock/psychedelic band」とあるとおり、基本はブルース・ベースのハードロックなのだが、ジャズ・ロック色もあればプログレ色もあり、サイケ色もある。ときにファンキー、ときにソウルフル。
 要は、彼らが主に活躍した1960年代末~70年代のロックの「いいとこどり」なバンドなのだ。



 無名時代のジミヘンのバンドにいたことがあるというランディ・カリフォルニア(※)のギターがよいし、ヴォーカルもロッド・エヴァンスとかを彷彿とさせる渋い声。くわえて、どの曲もメロディはポップでキャッチーであり、典型的70年代ポップスのような甘酸っぱい魅力もある。

※1997年、45歳の若さで早逝。海で溺れた息子を助けようとしての溺死であったという。



 ツェッペリンやトラフィック(スティーヴ・ウィンウッドの)にも影響を与えたバンドだそうで、ファースト・アルバム所収の「Taurus」という曲は「天国への階段」の元ネタとして知られているとか(途中のギターのフレーズが「天国への階段」のイントロそっくり)。



 こんないいバンドをこれまで知らなかったのは不覚であった。愛聴しよう。

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西原理恵子・吾妻ひでお『実録! あるこーる白書』


実録! あるこーる白書実録! あるこーる白書
(2013/03/15)
西原理恵子、吾妻ひでお 他

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 西原理恵子・吾妻ひでお著『実録! あるこーる白書』(徳間書店/1260円)読了。

 「日本で一番有名な生きているアル中マンガ家」(赤塚不二夫の死去以後は、という意味)吾妻ひでおと、「日本で一番有名なアル中家族」西原理恵子が、アル中についてとことん語り合った対談集。

 カバーに「協力:月乃光司」とあるように、実質的には月乃をまじえた鼎談集である。
 月乃は20代でアル中になり、精神病棟に3回入院するなどしたあと、27歳からずっと断酒をつづけているという詩人。
 アルコール依存の専門家兼当事者として、月乃は本書全体の司会進行的役割も果たしている。

 タイトルとカバーイラストの印象から、軽いお笑い対談だと思い込む人も多いだろう。
 まあ、この2人の組み合わせだから笑える箇所も多いのだが、基本的にはごくマジメな“アルコール依存からの正しい脱出法”についての啓蒙書だ。

 随所に的確な「注」が付され、アルコール依存症についての基礎知識が身につく入門書としても優れた内容になっている。

 本書では「アル中」という言葉があえて多用されているが、いまでは「アル中」は差別表現の一つなのだそうだ。その意味で、吾妻の最新作『失踪日記2 アル中病棟』はずいぶん思いきったタイトルなのだな。

■関連エントリ→ 吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟』レビュー

 本書は『アル中病棟』に先駆けて今年3月に刊行されたものだが、これを読むと『アル中病棟』という作品がいっそう深く理解できる。

 たとえば、『アル中病棟』は「不安だなー 大丈夫なのか? 俺……」という退院後の作者のつぶやきで幕が閉じられたが、あのように退院後に不安に襲われるのは普通だということが、本書を読むとわかる。「病気の大変さとかを理解できてるのであれば、将来に不安を感じて鬱っぽくなるくらいのほうが正常」(月乃の発言)なのだそうだ。

 『アル中病棟』同様、アルコール依存症の恐ろしさが身にしみる本である。2冊を併読するとよいと思う。

 印象に残った発言をメモ。

 一◯年アル中だった人は、その後一◯年は二日酔いだっていいますからね。いわば、壮大な二日酔いに苛まれているわけですよ。



 「お酒の一滴くらい良いでしょ」って言うのは、覚醒剤中毒者に「覚醒剤一滴くらいなら良いでしょ」って言うのと同じなんですよ。それで火がついてダメになっちゃうんでね。



 せっかくやめたって家族が誰も待っていない。自分が断酒しても喜んでくれる人間がひとりもいなかったら、絶対にまた飲むよね。



 以上、すべて西原の発言。本書では総じて西原のほうが雄弁で、その言葉は重い。
 元夫の故・鴨志田穣のみならず、彼女の実父もアルコール依存症であったという。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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