中川淳一郎『ネットのバカ』


ネットのバカ (新潮新書)ネットのバカ (新潮新書)
(2013/07/13)
中川 淳一郎

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 中川淳一郎著『ネットのバカ』(新潮新書/756円)読了。

 スマッシュヒット『ウェブはバカと暇人のもの』(2009)で脚光を浴びた、ネットニュース編集者・PRプランナーの新著。
 例によって、ネットのもつ負の側面に光を当て、軽妙な筆致で「ネットのいま」を眺め、「ネットとのつきあい方」を説く内容だ。しかし、『ネットのバカ』というタイトルは身もフタもないなあ。

■関連エントリ
中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』レビュー
中川淳一郎『今ウェブは退化中ですが、何か?』レビュー
中川淳一郎『ウェブを炎上させるイタい人たち』レビュー

 上に貼った『ウェブを炎上させるイタい人たち』(2010)のレビューで、私は「同じ著者が同じテーマで書いた本を3冊つづけて読んだので、さすがにもう飽きた。次は3年くらい間を置き、ネット上のおバカ事件のストックがたまった時点で出したらいいと思う」と書いた。
 それを聞き入れてくれたわけでもあるまいが、3年ぶりのシリーズ(?)最新刊である。

 著者は本書で、『ウェブはバカと暇人のもの』を「総論」、『今ウェブは退化中ですが、何か?』『ウェブを炎上させるイタい人たち』『ウェブで儲ける人と損する人の法則』(私は未読)を「各論」と位置づけている。
 そして、本書は『ウェブはバカと暇人のもの』以来の「総論」である、とする。その意味では4年ぶりの続編ということになる。

 ネットの普及が進むにつれ、著者のいう「バカと暇人」が参入してくる割合も高くなる。したがって、ウェブ上のおバカ事件も4年前より目立つようになってきた。SNS上の「おバカ店員事件」の頻発が象徴的だろう。
 4年前にはまだ、「ネットから生まれる集合知」に期待をかける言説のほうが優勢で、著者は異端的であった。しかし現在はむしろ、「ネットが生む集合愚」を憂うる声のほうが目立つ。いわば、「時代が中川淳一郎に追いついた!」(笑)わけだ。

 『ウェブはバカと暇人のもの』は笑いの要素が強い本だったが、本書は笑いを抑え、わりとマジメな調子で書かれている。
 しかし、一見マジメな筆致だからこそ、何気ない一節に著者が込めた皮肉の毒が、じわじわと効いてくる。たとえば――。

 ネットはあくまでも、リアルの場で実績がある人をさらに強くするものなのだ。
(中略)
 あなたの1クリック、1いいね、1RTはすべて強者をより強者にするために使われている。イケている人をさらにイケている人へと強化するために使われている。いわばあなたは「クリックする機械」でしかない。
 何もそこまで……と思われるかもしれないが、これは事実である。ありとあらゆるサイトでは、PVこそが儲けの源泉になっているのだから。



 本書の圧巻は、第8章「困った人たちはどこにいる」。
 ネットにはびこる「過度な自己承認欲求を持つ人」や「“愛国者”たち」などの「困った人たち」のイタさを揶揄して、じつに痛快だ。

 とくに、「もはやネットで韓国のことを一言もホメられないのだ。ホメたり書いたりすれば、何らかの影響が出ることは間違いない」と、ネット上で吊し上げられた体験をふまえて嫌韓“愛国者”を揶揄するくだりは、一読に値する。

 次の一節に、強い印象を受けた。

 ネットがあるから多様な意見を知ることになった、という主張は嘘である。特に、自らフォローしたい相手を選べるツイッターは、心地よい情報だけを入れることが可能になった。だからそうして、彼らは、マスコミの偏向報道の歴史や、在日韓国人にまつわる噂やらを信じ、確証バイアスを強めていく。

 
 仕事柄、大局的にネット界の流れをつかんでいるだけあって、著者はネットが進んでいる方向に警鐘を鳴らす「炭鉱のカナリア」たり得ている。
 しかも、眉根にシワ寄せて警鐘乱打するのではなく、ニヤニヤしながら楽しく読める本に仕上げているところが、いつもながら好ましい。ネット論の好著だ。
 
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『パシフィック・リム』


パシフィック・リム (角川文庫)パシフィック・リム (角川文庫)
(2013/07/25)
アレックス・アーバイン

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 『パシフィック・リム』(→公式サイト)を、3D吹き替え版で観た。



 いやー、メチャメチャ面白かった。上映中の2時間余、完全に童心に戻ってしまった。

 なにしろ、私は『ウルトラマン』も『マジンガーZ』も幼少年期にリアルタイムで観た世代。日本の怪獣映画やロボットアニメへの壮大なオマージュともいうべきこの映画は、まさに私世代の(またガンダム世代、エヴァンゲリオン世代の)日本人のハート鷲づかみなのである。

 私と同い年(1964年生まれ)で、故郷メキシコで日本のアニメを観て育った監督のギレルモ・デル・トロが、「僕が12歳のときに夢見た映画。それを48歳で作っている」と表現したというこの映画――私にとっても面白くないはずがないではないか。

 世界中でいちばんこの映画の魅力を理解できるのは、50代以下の日本人男性に違いない。逆に、アメリカ人には理解しかねる部分もあるだろう。
 アメリカ人なら、「怪獣を倒すには無人機で小型核ミサイルをぶち込んでやりゃあいいじゃないか。なぜ人が操縦する人型ロボット兵器で白兵戦するんだ?」とか言い出しかねない。
 まあ、現実的に考えればそのとおりだが、この手の作品のお約束なのだから仕方ない。「こまけぇこたぁいいんだよ!!」 である。

 オタク心に欠けるローランド・エメリッヒが作ったハリウッド版『ゴジラ』は日本のゴジラとは似ても似つかないものだったが、さすがにギレルモ・デル・トロはよくわかっている。怪獣映画とロボットアニメのエッセンスを一滴も漏らさず受け継いでいるのだ。隅々にまで、オタク心をくすぐる仕掛けが張りめぐらされている。
 「ジプシー・デンジャー」(人型ロポット兵器)が技の名前を叫んでからロケット・パンチ(!)を放つシーンや、菊地凛子演ずるヒロインが「家族のカタキをとる!」と叫んでチェーン・ソードで怪獣を一刀両断にするシーンは、最高に胸アツ。

 いまやオッサンになった“かつての子どもたち”までが夢中になれる、贅を尽くした遊びの世界。これはいわば、映像による「究極の怪獣ごっこ」だ。

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NHKスペシャル取材班『未解決事件 オウム真理教秘録』


未解決事件 オウム真理教秘録未解決事件 オウム真理教秘録
(2013/05/29)
NHKスペシャル取材班

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 NHKスペシャル取材班著『未解決事件 オウム真理教秘録』(文藝春秋/1680円)読了。

 昨年放映され、実録ドラマ仕立ての構成が話題を読んだ「NHKスペシャル」の単行本化。
 といっても、本書はドラマ仕立てではなく、取材の舞台裏を詳細に明かした内容となっている。取材にあたった記者やディレクターが、各章を分担して執筆。番組に描ききれなかった部分も盛り込まれている。
 私は元の番組を観ていないが、この本だけでも十分に独立した価値をもつ内容である。



 「NHKスペシャル」はNHKの看板番組だから、取材には時間も予算もマンパワーも潤沢に注ぎ込むことができる。本書を読んでも、我々ライターが雑誌等で行う取材とはケタ違いの手間ヒマがかけられているとわかる。たとえば、オウム事件にかかわった捜査関係者だけでも150人以上を取材しているという。

 また、NHKという看板のもつ力も、やはり相当なものなのだろう。本作はテーマからして警察批判の側面を持たざるを得ないわけだが、にもかかわらず、すでに定年退職している人を中心に、多数の警察関係者が取材に応じている。NHKの看板の力ゆえだろう。

 つまり、これは二重の意味で「NHKにしかなし得ない仕事」であった。また、「NHKがやってしかるべき仕事」でもあった。オウム的なテロの危険性は今後いっそう高まるはずで、その検証作業には我が国にとっても高い意義があるからだ。

 どの章も読み応えがあるが、圧巻は警察のオウム捜査の舞台裏を明かした第2章「オウムVS警察 知られざる攻防」。それに次ぐのが、第3章「オウム武装化の真相」である。

 第2章では、坂本弁護士一家失踪事件を捜査した神奈川県警、松本サリン事件を捜査した長野県警、オウムの拠点があった波野村で捜査にあたった熊本県警などが、地下鉄サリン事件の前からオウムの危険性を十分認識していたことが明かされる。
 にもかかわらず、各県警と警視庁がタテ割りになった組織体制ゆえ、情報が共有されず、踏み込んだ捜査には至らなかった。

 今回の取材で、捜査の最前線にいた捜査員たちはオウムの闇に早い段階で気付き、強い危機感を持っていたことが見えてきた。その危機感が警察組織のなかで共有され生かされていれば、地下鉄サリン事件は防げたかもしれない。事件から十七年を経て、取材班が達した結論だ。



 第3章は、NHKが独自に入手した700本以上に及ぶ録音テープ(麻原の説法や幹部との対話などを記録したもの。元は記録魔の教団幹部が所有していたもので、その幹部はあまりになんでも録音することが理由で危険視され、左遷されたという)の詳細な解析を中心とした内容。

 解析によって、「オウムは衆院選惨敗を契機に武装化路線に転じた」とするこれまでの定説が覆されるところが衝撃的だ。麻原は教団発足当初から、すでに武装化を考えていたというのだ。

 数あるオウム関連本の中でも、屈指の充実した内容をもつ一書。

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ダロン・アセモグルほか『国家はなぜ衰退するのか』


国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源
(2013/06/21)
ダロン アセモグル、ジェイムズ A ロビンソン 他

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 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン著、鬼澤忍訳『国家はなぜ衰退するのか――権力・繁栄・貧困の起源』(早川書房/上下各2520円)読了。

 書評用読書。
 MITとハーバードの教授である経済学者・政治学者が、「国家間の貧富の格差は、そもそもなぜ生じたのか?」という問いに答えた大著。

 その問いに対する答えとして、これまで一般的だったのは「地理説」「文化説」「無知説」の3つだったという。地理的条件、宗教・慣習などの文化、統治者の無知に、それぞれ原因を求めるものだ。

 著者2人はそれらの有力説をしりぞけ、政治・経済制度こそが国家の繁栄と衰退を分かつ決定要因だとする「制度説」を唱えている。本書は、その「制度説」に沿って歴史をとらえ直していくものなのだ。

 ジャレド・ダイアモンドの代表作『銃・病原菌・鉄』は、「地理説」の1バージョンであった。
 本書は第2章「役に立たない理論」でダイアモンドの説を名指しで批判しているのだが、にもかかわらずダイアモンドは本書に讃辞を寄せている(度量が大きいね)。

 私には専門的な当否はわからないが、「地理説」「制度説」のどちらが正しいというより、国によってはどちらもあてはまるのではないか。そもそも、国家の繁栄と衰退にはさまざまな要因が複雑にからみ合っているはずで、一つの理論ですべて説明しようというほうが無理な話なのでは?

 それはともかく、本書はバツグンの面白さであった。お堅いテーマにもかかわらず読み物として質が高く、興味深いエピソードの連打で上下巻700ページを一気に読ませるのだ。

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バジャー『ワン・ライヴ・バジャー』


ワン・ライヴ・バジャー(紙ジャケット仕様)ワン・ライヴ・バジャー(紙ジャケット仕様)
(2007/11/21)
バジャー

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 バジャーの『ワン・ライヴ・バジャー』を聴いた。

 バジャーは、イエスの初代キーボーディスト、トニー・ケイが参加したイギリスのバンド。この『ワン・ライヴ・バジャー』は1973年発表のデビュー作で、なんとライヴ・アルバムである。デビューアルバムがいきなりライヴというのは珍しい(ほかには村八分、ヤードバーズの例があるくらいか)。

 先日、YouTubeに上がっていたジョニー、ルイス&チャー(ピンククラウドの前身)の「フリー・スピリット」コンサートの記録映像を観ていたところ、チャーがインタビューの中でこのアルバムについて触れていた。

 「フリー・スピリット」とは、1979年にジョニー、ルイス&チャーが日比谷野音で行ったフリー(無料)コンサートのこと。1万4000人を動員したこの伝説的ライヴはレコード化(まだCDではない)され、それが彼らのデビューアルバム『フリー・スピリット』になった。

 そして、「デビューアルバムをライヴにする」というアイデアは、じつは『ワン・ライヴ・バジャー』に倣ったものだったという(ちなみに、チャーはインタビューの中で「バジャ」と発音している。当時の日本での表記はそうだったのかも)。

 チャーの話で興味を抱いて、このアルバムを聴いてみたしだい。

 デビュー作をライヴアルバムにするというのは、演奏力とメンバーの息の合い方によほど自信がなければできないことだ。果たしてこの『ワン・ライヴ・バジャー』も、デビュー作とは思えない一糸乱れぬ演奏をくり広げた素晴らしいアルバムであった。隠れた名盤だと思う。

 イエスのキーボーディストのバンドであるうえ、ジャケットはイエスの諸作でもおなじみのロジャー・ディーンのイラスト(「バジャー」とは穴熊のことで、穴熊が描かれている)。しかも本作は、イエスの前座として行ったコンサートを録音したものだという。

 ライナーノーツによれば、イエスが『イエスソングス』というライヴビデオ(同名のライヴアルバムとは別)を作るにあたって、前座を務めるバジャーの面々にジョン・アンダーソンが、「どうせなら、君たちもライヴ・レコーディングしたら? 録音機材は揃っているんだし……」と持ちかけたのだという。そこから生まれたアルバムなのだ。

 そんな経緯から、誰もが「イエスのような音」を想像するであろうアルバムだが、聴いてみたらイエスにはまったく似ていなかった。むしろ基本はブルース・ベースの渋いハードロックで、そこにほんのりプログレ色が加味されている感じ。

 そのへんが、このアルバムが埋もれた名盤になってしまった理由でもあるのだろう。イエスっぽさを求めたプログレ・ファンは「なんだ、全然似てないじゃないか」とガッカリし、ブルースロック~ハードロックが好きな人の多くは「どうせイエスの亜流だろ」と食わず嫌いしてしまったのだと思う。

 ハードロックといってもバジャーの音に泥臭さはなく、知的で洗練されている。ときにファンキー、ときにジャズ・ロック的でもある。近いものを強いて探すとすれば、初期のキャプテン・ビヨンドあたりだろうか。

 これは、埋もれさせてしまうにはあまりに惜しいアルバムだ。いい曲揃いだし。イエス・ファンよりもむしろ、渋いブリティッシュ・ロックが好きな人にオススメ。


↑アルバムのオープニング曲「運命の轍」(Wheels of fortune)。オルガンが渋い。

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今野晴貴『ブラック企業』


ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)
(2012/11/19)
今野 晴貴

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 今野晴貴著『ブラック企業――日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)読了。

 前に読んだ『ブラック企業に負けない』の共著者の一人で、若者の労働相談を扱うNPO法人「POSSE」の代表による、ブラック企業問題の概説書。今回は仕事の資料として読んだ。

 本書は昨年11月刊行で、手元にあるのは今年7月発行の第9刷。売れているのだ。

 同じ著者が同じテーマを扱っているのだから、当然、『ブラック企業に負けない』と内容が重複する部分もある。それでも、前著よりも内容は深まり、洗練されているので、併読しても全然オーケイ。

 著者は1983年生まれで30歳そこそこなのに、文章や構成はすこぶる明晰で、老成すら感じさせる。学生時代にはPOSSEを設立し、労働相談を受け始めていたというのだから、早熟な人なのだろう。

 ブラック企業問題についての一般書はすでにかなり出ているが、「どれか1冊だけ読んでおこう」という向きには本書がオススメ。この問題についての的確な鳥瞰図が得られる。

 本書の最大の特長は、ブラック企業を個別企業の問題に矮小化せず、日本社会全体の問題として大局的にとらえる視座にある。
 ワタミやユニクロなどだけを叩いていればそれで済むわけではなく、構造的問題であり、「すべての日本企業はブラック企業になり得る」と著者は言う。

 従来の日本企業にも、サービス残業など、違法と見なせる慣習はいろいろあった。しかし、かつては終身雇用などの「見返り」があったため、多くの社員がブラック的部分を甘受していた。
 いっぽう、現在のブラック企業はその「見返り」部分を削ぎ落とし、日本型企業の悪い部分だけを残している。著者はそのことを、「これまでの日本型雇用の『いいとこどり』」(社員から見れば「悪いとこどり」)と表現する。

 ブラック企業が一気に顕在化したのはリーマンショック(2008年9月)以降だという指摘に、なるほどと膝を打った。私は仕事で中小企業経営者を取材する機会が多いので、リーマンショックが企業にとってどれほど深刻なダメージだったかをよく知っているから。「売上が一気に半減した」などという企業が、どの業界にも多かったのだ。
 生き残るため、リーマンショックを機に“ブラック企業化”してしまった会社も多いのだろう。

 後半では、ブラック企業の蔓延が日本社会に与える広範な悪影響について、詳細に論じられている。この問題への対策が、ブラック企業に就職してしまった若者のみならず、全日本人の喫緊の課題であることがわかる。
 
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pha『ニートの歩き方』


ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
(2012/08/03)
pha

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 pha(ファ)著『ニートの歩き方――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』(技術評論社)読了。

 「京都大学卒のニート」としてマスコミにもよく紹介されている著者が、ニートとして生きるためのノウハウと心構えを綴った本。

 ニートといっても、著者はプログラミングやサイトのアフィリエイトなどによって最低限の生活費は稼いでいるし、ニートたちが集う「ギークハウス」というシェアハウスを運営(自身もそこに住んでいる)したりしている。「働いたら負け」どころか、そこそこ働いているのだ(ただし、雇われていないし、やりたくないことはやらない)。
 いわば“ニート界のエリート”であり、一般的なニートのイメージよりはノマドに近い気がする。

 本書は、ニートを目指す(?)ための実用書として読めるが、同時に、“ニートの人生哲学”を開陳したある種の幸福論としても読める。世のニートたちがどんなふうに考え、どんな人生観をもって生きているのかを、わかりやすく教えてくれる本なのだ。頭がよく、文章力もある著者は、大半のニートが言語化できずにいた「思い」を、うまく言語化してくれたのである。

 古市憲寿が『絶望の国の幸福な若者たち』で論じた、“お金がなくても、けっこう幸福に生きているいまどきの若者たち”のモデルケースを、本書に見る思いがする。

 ただ、著者の人生観は、私自身の人生観とはおよそ相容れない。とくに、随所に顔を出す「どうせ人生に意味なんてないんだし」式の諦観、ニヒリズムが鼻について仕方ない。
 本書に紹介された、“ニートたちが日がな一日ゲームなどをしてダラダラと楽しくすごす様子”がいま眼前にあったとしたら、説教したくなると思う(笑)。まあ、私は若者に説教かますようなキャラではないので、実際にそうしたりはしないけど……。

 人生観は相容れないけれど、こういう生き方もまあアリかな。ニートに対する見方がよい方向に変わる本ではある。

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西村賢太『歪んだ忌日』


歪んだ忌日歪んだ忌日
(2013/06/28)
西村 賢太

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 西村賢太著『歪んだ忌日(きじつ)』(新潮社/1365円)読了。

 6編を収録した最新短篇集。とはいえ、そのうち半分はほとんど掌編に近いので、あっという間に読み終わってしまう。ページ数も140ページほど。

 中身も、西村賢太にしては総じて薄味だ。
 6編とも、骨子だけを取り出してみればすごく面白そうなのに、思ったより盛り上がらない。たとえば――。

 「感傷凌轢(りょうれき)」は、長年音信不通だった母親から北町寛多に手紙が届く(報道で芥川賞受賞を知ったという)ところから始まるもの。そこからのドラマティックな展開を予想させながら、けっきょく寛多の手紙に対する思いだけを描いて尻切れトンボに終わってしまう。

 「膣の復讐」(かつての「腋臭風呂」に匹敵する下品タイトル)は、秋恵が出て行ったあとの小さな一挿話を描いたもの。読者がいちばん読みたい秋恵との修羅場は描かれず、寛多が腹いせに買春に出かける顛末が描かれるのみ。
 本チャンの修羅場は別の短編で描くつもりなのだろうが、これではまるで、目的地周辺まで来た車が周辺をぐるぐる回っているようなもの。慊(あきたりな)いったらない。

 それなりに楽しめる1冊ではあるが、西村がちょっと「守りに入っている」というか、力を出し惜しみしている印象だ。「いま持っている力を全部注ぎ込んだ」という迫力みなぎる短篇集が、そろそろ読みたいところ。

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「私が不幸なのは誰かのせい」という思考スタイルの不幸


多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで  日本の〈現代〉13多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13
(2005/11)
本田 由紀

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※以下の文章は「WEB第三文明」に書き下ろしたものです。許諾を得て転載しています。


「私が不幸なのは誰かのせい」という思考スタイルの不幸

在日バッシングと生活保護バッシングに通底するもの

 在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチ(憎悪表現)をくり返す右派系市民グループの台頭と、いわゆる「生活保護バッシング」の激化が、ほぼ時を同じくして起きた。このことは、偶然とは思えない。2つの動きの担い手たちが人員的にどれくらい重なっているかはわからないが、心情的には同根だと思うからだ。

 2つの動きに通底するのは、「私たちが不幸(もしくは不遇)なのは、本来、私たちが享受すべき権利を、誰かが不当に奪っているからだ」という思考スタイルであろう。

 ヨーロッパ各国の場合、移民・外国人労働者排斥や人種差別運動の背景には、若年層失業率の高まりなどの貧困問題がある。いっぽう、日本の場合はヨーロッパ各国に比べれば失業率も低く、貧困との関係は直接的ではない。それでも、2000年代以降顕著になった日本の格差社会化など、おもに若い世代が陥っている経済的苦境が背景にあることは間違いあるまい。

 不満が溜まれば、「誰かのせい」にしてガス抜きをしたくなる。これはもう、人間の本能のようなものだ。しかし、在日バッシングと生活保護バッシングについていえば、攻撃の矛先を間違えている気がしてならない。

 「『在日特権』なるものは一種の都市伝説に過ぎない」(『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』安田浩一著/講談社刊)との指摘が、複数の論者からなされている。
 生活保護についても、糾弾されてしかるべき存在である不正受給者は、「金額ベースで受給者全体の0.4%弱という数字で推移している」(『間違いだらけの生活保護バッシング―Q&Aでわかる 生活保護の誤解と利用者の実像―』生活保護問題対策全国会議編/明石書店刊)にすぎない。かりに不正受給がゼロになったとしても、大勢に影響がない程度の微々たる変化しか生じないのである。

強者から弱者へと矛先が変わった理由は?

 このような、「私たちが不幸なのは、私たちが享受すべき権利を誰かが奪っているからだ」という思考スタイルは、昔からあった。
 しかし、昔――1970年代くらいまで――の「誰か」は、「権力者」「エスタブリッシュメント」「巨大資本」などの「強者」だったように思う。「我々が不幸なのは、権力が我々から不当な搾取をつづけているからである」というふうに……。それがいつの間にか、強者から弱者へと攻撃対象が変わってきた。この〝トレンド変化〟はたいへん興味深い。

 強者から弱者へと、矛先が変わったのはなぜか?
 その謎解きのヒントになりそうなのが、教育学者の本田由紀(東京大学教授)が提唱した「ハイパー・メリトクラシー(超業績主義)」の概念である。もともとあった「メリトクラシー(業績主義)」の概念に「ハイパー(超)」という接頭辞を付けた造語だ。

 「メリトクラシー」は個人の持つ能力によって地位が決まる社会を指すが、今日の日本では「能力」の意味が変容し、たんなる学力や知識量などではなく、あいまいで計量不可能な、情動に根ざした「能力」が求められるようになった。たとえば、「生きる力」「創造性」「個性」「ネットワーク形成力」などである。
 そのような「ポスト近代型能力」が要請される社会のことを、本田は「ハイパー・メリトクラシー」と名付けたのである(『多元化する「能力」と日本社会――ハイパー・メリトクラシー化のなかで』本田由紀著/NTT出版刊)。

 かつての単純なメリトクラシー下では、おもに求められる能力である学力は、努力によって高めることができた。ところが、「『勉強』以外の多様な側面での力が要請されるハイパー・メリトクラシー社会」では、努力が能力の強化に結びつきにくい。「生きる力」「創造性」「個性」などのあいまいな能力を、目に見える形で高められる努力など無きに等しいからだ。

 ゆえに、ハイパー・メリトクラシー社会への移行によって、努力のもつ意味が大きく変質してしまった……というのが本田の見立てである。

 努力しても社会が要請する能力を高められない時代。少なくとも、努力と能力の相関関係が昔より見えにくくなった時代――そんな時代になったという認識が社会に醸成されれば、若者たちの努力への意欲はおのずと減退していく。

 そして、努力によって自らの社会的地位を高められないのであれば、〝いまそこにあるパイ〟を奪い合うしかない――人々を弱者バッシングに駆り立てているのは、心の深部にあるそんな認識なのではないか。彼らがそのことを、どこまで自覚しているかは別にして……。それが「強者から弱者へと矛先が変わった」理由だ、というのが私の見立てである。

 いずれにせよ、「私が不幸なのは誰かのせい」という思考スタイルで生きるかぎり、けっして幸福にはなれないだろう。

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ダニエル・コイル『才能を伸ばすシンプルな本』


才能を伸ばすシンプルな本才能を伸ばすシンプルな本
(2013/06/04)
ダニエル・コイル

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 ダニエル・コイル著、弓場隆訳『才能を伸ばすシンプルな本』(サンマーク出版/1575円)読了。

 これはとてもよい本だった。
 この手の自己啓発書を、世のインテリ方は十把一からげに馬鹿にしがちだが、中にはほんとうに役立つ「よい自己啓発書」もあるものだ。本書もその一つだと思う。

 米国のジャーナリストである著者は、雑誌の取材で世界各地の「才能開発所」(スポーツ、芸術、音楽、ビジネス、数学などのさまざまな分野で世界的逸材を多数輩出している養成所や学校)を訪ねて回った。
 その見聞から導き出された「スキルアップのための単純明快で実用的な秘訣」を、1冊にまとめたのが本書である。

 全部で52の「秘訣」は、「どれも実証ずみで、科学的根拠があり」、しかも簡潔である。
 一つひとつの「秘訣」を説明する文章の中には、それを立証する興味深いエピソードが紹介されており、面白く読むことができる。

 書名のとおり「シンプルな本」で、1時間もあれば読めるが、内容は深みがあって有意義。スポーツや受験勉強、資格試験から趣味に至るまで、あらゆる分野の「才能を伸ばす」ことに応用可能な知恵が凝縮されている。自分の才能を磨くコツをつかむために読んでもいいし、部下や我が子の才能を伸ばす目的で読んでもいい。
 今後、折にふれて何度も読み返したいと思える本だ。

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『学校では教えてくれない 人生を変える音楽』


学校では教えてくれない 人生を変える音楽 (14歳の世渡り術)学校では教えてくれない 人生を変える音楽 (14歳の世渡り術)
(2013/05/24)
角田 光代、池辺 晋一郎 他

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 『学校では教えてくれない 人生を変える音楽』(河出書房新社/1260円)読了。

 「14歳の世渡り術」シリーズの1冊で、各界の著名人26人が“自分の人生を変えた音楽(名曲または名盤)”について綴ったオムニバス・エッセイ集だ。

 「教科書には載らないけど、絶対にこれは聴いておけという音楽」が選定基準なのだそうで、企画がいいと思う。
 26人の執筆者の中には作曲家や演奏家もいるが、教科書的な無味乾燥には陥っておらず、思いっきり「自分語り」な内容になっている。

 内容は、玉石混交。箸にも棒にもかからない駄文もあれば、筆者の思いがほとばしる名文もある。

 このシリーズの主要対象読者は中・高生なのだろうが、どの筆者もことさら言葉を平易にしたりはしていない。そこが好ましいし、だからこそ大人が読んでも面白い本になっている。
 だいたい、10代中盤というのは全身全霊を傾けて大人ぶりたい年頃なのだから、ヘンに子供扱いする書き方をされたら反発するに違いないのだ。

 26編のうち、私がとくに気に入った文章を挙げておく。

 山田ズーニー「骨になれ、音に身投げしろ!」
 ――若いうちはどんどんライヴに行け。ライヴでアーティストに対して自分をさらけ出せ、とアジる熱い文章。

 町田康「音と意味の合一」
 ――パンクロッカーでもあった町田が、河内音頭系歌謡曲にみなぎるパンク性を称揚している。「河内十人斬り」事件を題材にした町田の代表作『告白』が、幼少期から聴いて血肉化した河内音頭から生まれたことがわかる。

 高嶋ちさ子「自分の道を歩く」
 ――人気ヴァイオリニストの高嶋は文章もうまい。子どものころ女だてらにガキ大将であった彼女が、ヴァイオリンを習い始めたころにガキ大将仲間に言われたという言葉(「お前、ジャイアンのくせにしずかちゃんみたいなことやってんじゃねーよ」)がサイコー。

 浦沢直樹「膝を抱えて25分間聴く音楽」
 ――当代きっての人気マンガ家が挙げる「人生の1枚」は、マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』。セレクトの意外性もさることながら、次の一節にシビレた。

 「この音楽、俺のストライクですよ」みたいな言葉をよく聞く。でもそのストライクゾーンって、真ん中にミットを構えてそこに入ってきた球を取っているだけではないのか。音楽にかぎらず、小説、映画、漫画すべてに言えることだが、悪球を全力で取りにいくことである日その悪球すら自分のストライクにした時、初めてその面白さに気づくというもの。



 池谷裕二「あまりに美しいドビュッシーの透明な和音」
 ――脳科学者の池谷さんは、音楽(クラシック)にもたいへん造詣が深い。音楽についての文章だけを集めたエッセイ集を出したらよいと思う。

 ちなみに、私自身が「人生を変えた1枚」を挙げるとしたら、ストラングラーズの『ブラック・アンド・ホワイト』かなあ。

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ジョン・T・カシオポほか『孤独の科学』


孤独の科学---人はなぜ寂しくなるのか孤独の科学---人はなぜ寂しくなるのか
(2010/01/20)
ウィリアム・パトリック、ジョン・T・カシオポ 他

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 一昨日から昨日は、取材で長野市と松本市へ――。

 松本に行くのは3度目だが、今回改めて「いい街だなあ」と思った。
 おしゃれな喫茶店などが多い一方、歴史の重みも感じさせるし、街全体がすごく洗練されていて文化的なのだ。当然、景色も気候もよいし……。長野市より松本市のほうが断然好きだな(長野市のみなさん、すいません)。

 
 行き帰りの電車で、ジョン・T・カシオポ、ウィリアム・パトリック著、柴田裕之訳『孤独の科学――人はなぜ寂しくなるのか』(河出書房新社/2940円)を読了。

 心理学者で、「社会神経科学」の創始者の一人である著者(カシオポ)が、長年の研究をふまえ、孤独感が人間の心と体にどのような影響を与えるかをさまざまな角度から明かしたもの。
 言いかえれば、「人はなぜ他者とのつながりを求めずにはいられないか?」のメカニズムを研究した書でもある。

 私は一人でいることが苦にならないタチであり、だからこそフリーライターという職種を選んだという面もある(そもそも、フリーライターの重要な適性の一つは「孤独への耐性」だ)。ゆえに、「孤独感がいかに心と体に悪いか」が明かされた本書を読んで、打ちのめされたような気分になった。

 本書によれば、孤独感は「高血圧や運動不足、肥満、喫煙に匹敵するほどの影響を健康に与える」という。そして、孤独がいかに心と体を蝕むかが、客観的データから「これでもか」とばかりに説明されていく。

 中年になると、孤独な人はそうでない人よりもアルコールの摂取量が多く、活発に運動をしない。そして食事には脂肪分が多い。睡眠は孤独でない人と時間は同じでも効率が悪い。つまり、回復力に乏しいわけで、日中の疲れを余計に感じる、と報告している。



 私たちは進化の作用によって、仲間といれば安全を感じ、心ならずも独りになったときは危機感を覚えるようにできているので、孤立の感覚と脅威の感覚は互いに強め合い、警戒心を募らせて持続させる。



 孤独な人は幸せな人の顔写真に特異な反応を示すことがわかった。通常、幸せな人の顔を見ると脳の報酬領域が活性化するが、孤独感はこの反応を鈍らせるのだ。



 最後の引用部分にはゾッとさせられる。孤独でない人は他者の幸せをも自らの喜びと感じられるのに、孤独な人にはそのような共感能力が乏しい、というのだ。

 本書は「人は独りでは幸せになれない」という昔からの真理を、科学のメスを入れることで改めて立証したものといえる。そして、人の心と体を蝕む慢性的な孤独感から、いかにして抜け出せばよいかの簡単な処方箋も示されている。

 喉の渇きが、水分補給を忘れないようにという刺激であるように、孤独感は人間がどれほど互いに頼り合っているかを思い出させてくれる刺激だ。ポジティブな心理的順応をすれば、すぐに効果が顕れ、報われる。



■関連エントリ→ 「孤独」をめぐる世代間ギャップ

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ブルボン小林『マンガホニャララロワイヤル』


マンガホニャララ ロワイヤルマンガホニャララ ロワイヤル
(2013/04/16)
ブルボン小林

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 今日は朝から都内某所で打ち合わせが一つ。

 一度家に帰って(なう)、夕方から取材で長野県へ。今日は前泊で明日が本番なので、夜遅くなっても現地のホテルにチェックインさえすればオーケイ。
 「むさしの号」というヤツで大宮まで行き、そこから新幹線に乗ると、立川から長野まで2時間足らず。けっこう近い。


 ブルボン小林著『マンガホニャララロワイヤル』(文藝春秋/1470円)読了。

 作家の長嶋有が別名義で『週刊文春』に隔週連載しているマンガ・コラムの、単行本化第2弾。

■関連エントリ
ブルボン小林『マンガホニャララ』レビュー
『長嶋有漫画化計画』レビュー

 第1弾はたいそう面白く読んだ私だが、この第2弾はかなりボルテージが下がってしまった感じだ。

 同じ連載の単行本化なのだから、基本的な特徴は共有されている。作家論とも作品論とも言いにくい、ユニークな角度からマンガを語ったコラム集である。しかし、その「ユニークな角度」――つまり切り口の面白さが、前作よりも薄れてしまっている。

 前作には、「そんな角度からマンガを論じようとするのは、世界中でこの著者だけだ」とすら思わせる切り口の独創性があった。それが、この第2弾にはあまり感じられない。ごく普通のマンガ紹介コラムになってしまっている回が多いのだ。

 著者が複数のマンガ賞の選考委員となり(出世したなあ)、その内幕話を書いたりしている回が目立つので、よけいに「前作よりボルテージが下がった」と感じてしまう。そんな話、大半の読者にはどうでもよいことである。

 とはいえ、マンガコラム集として標準レベルの面白さはクリアしており、マンガ好きならそこそこ楽しめる1冊ではあるのだが……。

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川口千里『A LA MODE』


A LA MODEA LA MODE
(2013/01/08)
SENRI KAWAGUCHI

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 話題の天才女子高生ドラマー・川口千里のデビュー・アルバム『A LA MODE』を、MP3ダウンロードで購入。CDで買うと3000円なのに、ダウンロードだと900円。3分の1以下の割引設定である。

 千里ちゃんは1997年生まれの16歳。なのに、このアルバムは衝撃的なまでの完成度である。
 ジャケットと中身にこれほどギャップがあるアルバムも珍しい。ジャケットはB級アイドル風なのに、中身は怒涛のハイパー・テクニカル・フュージョン/ジャズ・ロックなのだから。



 上に貼った曲は本作所収の「Acronym」だが、このジャケットの中にこんな曲が入っていようとは、聴く前に誰が想像するだろうか。

 まあ、こういうハードな曲ばかりではなく、スティーヴィー・ワンダーの「愛を贈れば」(Send One Your Love)のカヴァーなどメロウなナンパーもあるのだが、基本は硬派なジャズ・ロック(あえてジャズ・ロックと呼びたい)なのである。

 千里ちゃんは、「手数王」の別名で知られるドラマー・菅沼孝三に8歳のときから師事してきた。そしていまでは、彼女自身が「手数姫」とも呼ばれているとか(笑)。本作では、その名に恥じないすごい手数のプレイを全編で披露している。

 師匠の菅沼をはじめ、小野塚晃、菰口雄矢、櫻井哲夫、増崎孝司、山本恭司ら、フュージョン~ロック界を代表するそうそうたるツワモノ・ミュージシャンたちがバックを固める。
 曲も、カヴァーを除いて参加ミュージシャンが提供。ベテラン勢が全面バックアップして、娘のような年齢の若き天才の門出を寿いでいるのだ。

 「この年齢にしてはスゴイ」という条件付きではなく、若さというアドバンテージを抜きにしても十分「スゴイ」と言い得る、驚愕のデビュー・アルバム。ジャズ・ロック~ハイパー・テクニカル・フュージョン好きなら十分に楽しめる第一級の作品だ。

■参考→ 「HMV ONLINE」の紹介記事(本人によるアルバム各曲解説もあり)


↑アルバムのオープニング曲「INFINITE POSSIBILITY」。華奢な体から繰り出される驚異のドラミングを見よ。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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