『happy~しあわせをさがすあなたへ』

映画『happy - しあわせを探すあなたへ』

 『happy~しあわせをさがすあなたへ』というドキュメンタリー映画を観た。

 アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされたこともあるロコ・ベリック監督によるアメリカ映画。5大陸16ヶ国を巡り、「幸せになる方程式」を探っていくドキュメンタリーだ。→公式サイト

 少し前に読んだ『ごきげんな人は10年長生きできる』に、この映画のことが紹介されていた。以来、観てみたいと思っていたものの、DVD化もされておらず、その予定もないのことで、機会を探していたのだ。
 先週、近所にある「立川市こども未来センター」でこの映画の上映会があったので、さっそく行ってみたしだい。


↑『happy~しあわせをさがすあなたへ』予告編

 観てよかった。
 76分の短い作品ながら、ポジティブ心理学や脳科学の最前線で起きている“幸福観の革命”を、手際よく紹介する優れたドキュメンタリーである。

 ミハイ・チクセントミハイやソニア・リュボミアスキーら、ポジティブ心理学や脳科学の第一線の研究者たちが、インタビューイとして登場する。
 また、GNH(国民総幸福量)を追求する国・ブータンや、インドはコルカタのスラム街、ナミビアのカラハリ砂漠など、さまざまな環境で暮らす人々の“幸福のありよう”を追うことで、「幸福とは何か?」という問いを観る者に改めて突きつける。

 我が国は、この映画に2回登場する。
 一度目は、世界でも指折りの豊かな国でありながら、先進国でいちばん国民の幸福度が低い不思議な国として(すし詰め電車の通勤地獄の様子や、過労死遺族が登場する)。
 二度目は、沖縄にある世界一の長寿村・大宜見村の暮らしを紹介するくだりで。

 私自身は、各種調査における日本の幸福度の低さは、割り引いて受け止めるべきだと考えている。

 だいたい、「幸せですか?」と聞かれて「はい、幸せです!」と胸を張って答えるような日本人は、少数派であるはずだ。
 何につけても「いやー、私なんかとてもとても……」と謙遜するのが日本人の美徳なのであって、その美徳は幸福度調査でも発揮されるはずだ。実際の日本人は、調査の順位よりずっと幸せだと思う。

 ま、それはそれとして、「幸せとは何か」を考える素材として最高の映画であり、機会があったらぜひ観てみるとよいと思う(小規模な上映会が各地で行われている)。

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アンドリュー・ゾッリほか『レジリエンス 復活力』


レジリエンス 復活力--あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何かレジリエンス 復活力--あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か
(2013/02/22)
アンドリュー・ゾッリ、アン・マリー・ヒーリー 他

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 アンドリュー・ゾッリ、アン・マリー・ヒーリー著、須川綾子訳『レジリエンス 復活力――あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か』(ダイヤモンド社/2520円)読了。

 「レジリエンス」は、近年大きな注目を集めている概念。元々は物理学で「外部から力を加えられた物質が元に戻る力」を意味する言葉だったが、いまでは広い分野で用いられている。本書で扱われているのは、「人や組織、システムが大きな失敗や挫折から立ち直る力」――すなわち副題に言う「復活力」としてのレジリエンスである。

 個人や企業、経済や生態系など、あらゆる分野のレジリエンスが包括的に論じられる。
 たとえば、テロ組織アルカイダと結核菌がなぜ高いレジリエンスをもっているのか(つまり、レジリエンスは「善なる力」とはかぎらない価値中立的概念であるわけだ)が、両者の共通項から論じられたりする。

 また、レジリエンスを論ずる前段階として、一見頑強に見える組織やシステムが、どのような道筋をたどって破綻に至るのかが分析されている。

 どの分析も興味深いエピソードを通してなされるので、読み物としてもすこぶる面白い。思わず人に話したくなる事例が満載なのである。

 私が本書を読んだのは「人が逆境から立ち直る力とは、どのような力なのか?」を知りたかったから。なので、個人のレジリエンスを扱った第4章「人はいかに心の傷から立ち直るのか」に、最も感銘を受けた。

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井上鑑『スプラッシュ』


スプラッシュ(生産限定紙ジャケット仕様)スプラッシュ(生産限定紙ジャケット仕様)
(2013/07/24)
井上 鑑

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 井上鑑の『スプラッシュ』(マスクラットレコード/2625円)が紙ジャケで再発されたので、さっそくゲット。

 1983年に発表された井上のサード・ソロアルバムで、過去にも一度CD化されているが、それには中古市場で高値がついていて、手が出なかった。
 今回の紙ジャケには、シングルでのみ発表された未CD化曲が3曲もボーナストラックとして入っていて、井上鑑ファンなら買って損のないものだ(4thアルバム『架空庭園論』の紙ジャケも同時発売)。

■収録曲目
1. さまよえるオランダ人のように
2. アドリアン・ブルー
3. 異星の女
4. Le Plongeur
5. Eleven Islands
6. サファリ・オスティナート
7. リンダ・ラルー(ラムの大通りにて)
8. 海底2万マイル
9. オンディーヌ
10. KARSAVINA~ニジンスキーの翼(Bonus Track)
11. 絵画感(Bonus Track)
12. RUNNING FENCE(Bonus Track)



 さて、この『スプラッシュ』、タイトルとジャケットアート(小柳敦子の手になる素晴らしいデザイン)にも示されているように、水のイメージの楽曲が集められている。
 たとえば、「オンディーヌ」は水の精のことだし、「Le Plongeur」とは潜水夫のことだ。「異星の女」は、水のイメージに満ちていたスタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』をモチーフにしている。

 どの曲も優美で知的でロマンティック。波頭がきらめくようなキーボードの美しい音色がちりばめられていて、夏にピッタリのアルバムである。
 それでいて、お手軽なリゾートミュージックとはまるで違う。全編にわたって凝ったアレンジと音作りがなされていて、ブリティッシュ・ロック的な洗練されたハードネスも随所にあるのだ。





 何よりすごいのは、30年前のアルバムなのに、いま聴いても少しも古さを感じさせないこと。まさにエバーグリーンな傑作である。

■関連エントリ
井上鑑『僕の音、僕の庭』レビュー
井上鑑『CM WORKS ON・アソシエイツ・イヤーズ』レビュー
井上鑑『予言者の夢』レビュー

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百田尚樹『モンスター』


モンスター (幻冬舎文庫)モンスター (幻冬舎文庫)
(2012/04/12)
百田 尚樹

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 百田尚樹著『モンスター』(幻冬舎文庫/760円)読了。

 いまや超売れっ子らしいこの著者の小説を読むのは、これが初めて。

 醜女が整形手術で絶世の美女になって……という話は、映画や小説、マンガなどにくり返し描かれてきた。そんな手垢のついた題材にあえていま挑むのだから、ストーリーや展開に過去の類似作にない新機軸が求められる。

 本作のストーリーはありきたりだし、かなりご都合主義で無理のあるところもある。
 そもそも、醜女だった時代からの想い人に近づくため、ヒロインが彼の住む街(ヒロインの故郷でもある)にレストランを開き、彼が客としてやってくるのをひたすら待つという設定が、なんだかよくわからない。

 また、かつて醜女の自分を蔑み傷つけた男たちに、美女となってから復讐していくプロセスが、いかにも三流劇画的というかレディコミ的というか、俗で安っぽい(それなりに痛快ではあるが)。

 しかし、そうした瑕疵を補って余りある美点をもつ作品である。

 美点の第一は、整形手術を重ねて少しずつ美女に変わっていく過程の描写が、ものすごくリアルであること。おそらく整形業界に綿密な取材をして書いたのだろうが、整形のことなどまるでわからない男の私は、目からウロコが落ちまくった。

 美点の第二は、「女性にとって美醜がどのような意味をもつのか?」というテーマを、ヒロインの心理を追うことで残酷なまでに鮮やかに描き出している点。
 このテーマの優れた作品として思い浮かぶのは三島由紀夫の中編『女神』だが、本作もその点では『女神』に負けていないと思う。

 ヒロインが美醜をめぐってつぶやくモノローグの中に、胸をつく痛切なフレーズがちりばめられている。たとえば――。

 美人なんてたかが皮一枚と言う人がいる。たかが皮一枚! でもそれを言った人は美人を見る立場の人間だ。つまり男だ。皮一枚がどれほどすごいものか。それを本当に知っているのはとびきりの美人か、私のようにとびきりのブスだ。ほとんどの女性はそのすごさを知らない。



 悲恋――何という甘い言葉。でも悲恋の悲劇が似合うのは美しい女だ。ブスには悲恋なんか似合わない。いやそもそもブスに悲恋はない。それは単なる喜劇でしかない。
 もしも私の顔に大きな黒い痣があったり、あるいは火傷の痕があったり、大きな傷があったりすれば、私の不幸は絵になったかもしれない。生まれついての、あるいは後天的な不幸によって、二目と見られない顔の女だったら、もしかしたら悲劇のヒロインになれたかもしれない。



 二匹の蝶がもつれ合うように飛ぶ姿を見て、悲しくてたまらなくなったことがある。虫でさえ恋を謳歌できるのに、人間である私は男の子には一生振り向いて貰えないだろう。ただ、美しく生まれなかったばかりに――。多分、虫の世界には美醜はないだろう。



 東京は「美しい」ということが田舎以上に価値がある街だった。まさに「美人のための街」だった。「美しくない女」は貶められる街でもあった。とくに「若い女」に関しては、価値観の幅を極大までに拡げられた街だ。
(中略)
 街全体が叫んでいた。「美しさこそ善」であり、「美しさこそ力」であり、「美しさこそ勝利」だと。この街で「女」というのは「美人」のことだったのだ。



 なお、本作は先ごろ高岡早紀主演で映画化されたが(私は未見)、このヒロインは高岡のイメージとは違う気がする。もっと「見るからに整形美人」という女優がたくさんいるではないか。いや、それだとシャレにならないか(笑)。

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「無料社会」がもたらす文化の劣化を憂う


フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
(2009/11/21)
クリス・アンダーソン

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※以下の文章は「WEB第三文明」に書き下ろしたものです。許諾を得て転載しています。


「無料社会」がもたらす文化の劣化を憂う


「フリーミアム」は「タダでラッキー!」なだけか?

 米国の雑誌『WIRED(ワイアード)』の編集長で、「ロングテール」という概念の提唱者でもあるクリス・アンダーソンは、その著書『フリー/〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(NHK出版/高橋則明訳)の中で、次のように述べている。

 今日、市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存のビジネスモデルの経済的意味を消滅させることだ。つまり、既存ビジネスが収益源としている商品をタダにするのだ。すると、その市場の顧客はいっせいにその新規参入者のところへ押しかけるので、そこで別のモノを売りつければよい。



 これが「フリーミアム」を指していることは、いまでは言うまでもない。2009年にこの『フリー』が刊行された当時は、「フリーミアム」はまだ目新しい言葉だった。

 念のために説明しておくと、フリーミアムとは、「フリー」(Free=無料)と「プレミアム」(Premium=割増)の合成語。基本的なサービスを無料で提供し、さらに高度な機能や特別な機能について料金を課金するビジネスモデルのことである。

 Gmailなどの高機能サービスを無料で提供し、にもかかわらず巨額の収益を上げているグーグルに代表されるフリーミアムは、いまやあらゆる分野に広がっている。

 フリーミアムは、それによって無意味化されてしまう「既存ビジネス」側にとっては脅威となる。
 たとえば、ケータイなどで遊べる「ソーシャルゲーム(オンラインゲーム)」は、基本無料で遊べて、「アイテム課金」と呼ばれるフリーミアム・モデルで収益を上げている。これは、ゲームソフトを売って儲けている「既存ビジネス」各社にとっては脅威である。

 では、我々一般消費者にとってはどうか。フリーミアム・ビジネスの隆盛は、「タダのものが増えて、いいね」というメリットだけをもたらすのか? そこに隠された脅威はないのだろうか?
 私は「ある」と考える。ただし、「ソーシャルゲームに夢中になった子どもが、親のクレジットカードで高いアイテムを買ってしまう」などということではない。フリーミアムの隆盛に象徴される「無料社会」化は、文化の質にとって脅威だと言いたいのだ。

身銭を切ってこそ磨かれる「文化を味わう力」

 半年ほど前、私は石田衣良氏と朝井リョウ氏の対談記事(『潮』2013年2月号)の構成を担当した。その中で、20代前半の若き小説家である朝井氏の、大要次のような発言に強い印象を受けた。

〝いまの10代は、何をするにもまず無料でゲットできるものを探す。それは、自分たちが10代のころにはまだなかった感覚だ。また、無料で手に入るものには「自分が選んでいる」という感覚自体がないから、よいものを探し当てた喜びもない〟



 なるほど、その通りだと思った。

 私が音楽好きな高校生だったころ、CDはまだ高価なもので、乏しいお小遣いでは月にアルバム1枚買うのがやっとだった。その1枚に何を選ぶか、吟味に吟味を重ねたものだ。買ったアルバムが期待外れだと思ってもくり返し聴き、そうしているうちにだんだんよさがわかってきたりした。思えばあのころ、1枚のCDにはなんと重みと価値があったことか。

 一方、いまどきの10代には、CDを買うという発想自体がもうあまりない。過日私は、高校生の我が息子に、「CDなんて、どうして買うの? YouTubeで聴けばいいじゃん」と真顔で言われ、驚いてしまった。「ああ、いまの10代ってこういう感覚なんだ。そりゃあCDも売れないはずだわ」としみじみ思ったものだ。

 なるほど、YouTubeを見れば、ロックでもジャズでも、過去の名盤と言われるアルバムが丸ごとアップされていて、いくらでも聴くことができる(残念なことに、その多くは著作権者に無断でアップされているが、ここではその問題には触れない)。それは、かつて多くの音楽好きが夢見た〝無限・無料ジュークボックス〟の実現ともいえる。

 だが、ネット上でタダで聴いた場合と、乏しい小遣いをはたいて買ったCDで聴いた場合では、たとえ同じ作品でも、音楽体験としては似て非なるものなのではないか。吟味を重ねて1つの作品を選択し、身銭を切ること――その有無は大きいと思うのである。

 骨董であれ美術であれ、音楽であれ演劇であれ、文化の価値を見極める眼力は、身銭を切り、手間ひまをかけた鑑賞体験を積み重ねてこそ磨かれていくものだ。タダで、クリック1つで手に入るお手軽な体験をいくら重ねても、鑑賞眼はけっして磨かれない。

 ……などと言うと、物心ついたころからYouTube、ニコニコ動画などの無料文化を享受してきたいまどきの若者は、反発するかもしれない。
「ケッ! そんな鑑賞眼なんて欲しいとも思わないね」と……。

 そう思うのも理の当然だろう。タダで鑑賞できる作品に対して、人はそもそも大した期待を向けない。作品の一部をつまみ食いして、気に入らなければそのページを閉じるだけだ。そんな向き合い方をする以上、作品を深く味わうための鑑賞眼など、そもそも必要ないのである。そのことを含めて、「無料社会」は文化にとって脅威だと思う。

 劇画『闇金ウシジマくん』(作・真鍋昌平)に、「簡単に手に入るものは、大切にできねェ」という印象的なセリフがあった。文化が無料でいくらでも享受できる社会は、たやすく「文化が大切にされない社会」に転じてしまう危険を孕んでいる。

「音楽も映像も、無料がデフォルト」という感覚で育った世代が社会の中核になったとき、日本文化の恐るべき劣化が現出するのではないか。私はそのことをいまから憂うるものである。

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佐野眞一・和合亮一『言葉に何ができるのか』


3.11を越えて― 言葉に何ができるのか3.11を越えて― 言葉に何ができるのか
(2012/03/24)
佐野眞一、和合亮一 他

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 昨日から一泊で仙台へ。
 「東北の復興と言葉の力」というテーマの座談会で司会を務めたのである(で、私がまとめる)。

 出席者は、作家の高橋克彦さん、詩人の和合亮一さん・中村博興さん、東日本国際大学客員教授の松岡幹夫さん。

 行きの新幹線で、佐野眞一・和合亮一著『言葉に何ができるのか――3・11を超えて』(徳間書店/1575円)を読んで臨む。まさに今回の座談会のテーマにピッタリの対談集である。

 この対談集が出たあとに佐野眞一のパクリ癖が発覚したため、佐野の発言についてはどうしても色眼鏡で読んでしまう。しかし、対談集としての出来はけっして悪くない。

 佐野眞一は、随所でほかの同業者をこきおろしている。また、自分以外の震災関連報道などについても、言葉が軽いだの、言葉の劣化がひどすぎて正視に耐えなかっただの、まあ言いたい放題だ。

 いまなら、「お前が言うな」の一言で終わりになる話である。

 そうした佐野の悪口を、和合さんがうまく受け流して相手にしていないところが救いだ。

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松岡幹夫『超訳 日蓮のことば』


超訳 日蓮のことば超訳 日蓮のことば
(2013/03)
松岡 幹夫

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 松岡幹夫著『超訳 日蓮のことば』(柏書房/1680円)読了。

 白取春彦の『超訳 ニーチェの言葉』がベストセラーになったからこそ生まれた「超訳本」の一つではあるのだろうが、本書のほうが本家・白取本よりもずっとよくできていると思った。

 内容はまさに「超訳」。つまり、逐語訳・直訳ではまったくない。かりに原文と訳文をシャッフルしてごちゃまぜにしてしまったら、どれがどの原文に対応しているのかわからなくなるくらい変えられている(ただし、「超訳」とは別に、原文のストレートな現代語訳も各文に付されている)。

 それでいて、著者が気鋭の日蓮研究者だけあって、日蓮思想の核はきちん押さえている。日蓮の遺した言葉から21世紀の我々の生きる糧となるエッセンスを抽出し、そのうえで現代社会に即した言葉に置き換えているのだ。

 一例を挙げる。

 日蓮が息子に先立たれた一人の老母に書き送った、悲しみに寄り添う手紙(「上野殿母御前御返事」)の一節が引かれる。その「超訳」として書かれているのは、次のような文章である。

 悲しむにも力が必要だ。悲しみとは運命への抵抗である。運命にひどく打ちのめされた人には、悲しむ力さえ残っていない。そんなときに、誰かがきてわがことのように嘆き悲しんでくれるなら、本人も「悲しむ力」をもらえる。再起は悲しむことから始まる。
 他人の不幸を悲しむには、苦しむ相手を自分自身に置き換えることである。心が外に広がっていなければ、他人に共感して一緒に悲しめない。ともに悲しむことができない人は、心が内側に向いている。



 見てのとおり、これはもう訳というよりは解説に近い。だが、その“解説”に深い味わいがあるので、原文との距離は気にならない。

 心に残る一節がたくさんある。たとえば――。

 苦しいときに、運命に支配されるか、運命を支配するかで、人生は一変する。運命を支配する人は、宿命を使命に変えていく。すると、みじめさが誇りに、憔悴が充実に、悲観主義が楽観主義に変わる。そのうちに、運命そのものが変わってしまう。運命を支配する人は、不幸が逃げていく。



 学問は疑うこと、宗教は信ずることである。といっても、信なく疑のみの学問は邪道であり、疑なく信のみの宗教は盲目となろう。



 お手軽な「超訳本」というより、日蓮思想を“リミックス”した一級の哲学書・箴言集として読める1冊。

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アリス・ロバーツ『人類20万年 遙かなる旅路』


人類20万年 遙かなる旅路人類20万年 遙かなる旅路
(2013/05/15)
アリス ロバーツ

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 アリス・ロバーツ著、野中香方子訳『人類20万年 遙かなる旅路』(文藝春秋/1995円)読了。書評用読書。

 英BBCで放映された大型科学ドキュメンタリー番組の書籍化。
 番組のパーソナリティとして出演した医師・科学者(バーミンガム大学教授で、古生物病理学博士・解剖学者・人類学者)が、自ら著者となって筆をとっている。



 もとの番組はYouTubeでも観ることができる。それを観ればわかるとおり、著者は清楚でナチュラルな印象の“植物系美人”で、すこぶるチャーミング。
 ただ、版元がそのことを「売り」にして、特設サイトや本のカバーにまで「美人人類学者」と謳うのはどうかと思うけど(笑)。

 著者の容姿のことはさておき、中身もたいへん面白い。本として独立した価値をもっており、元の番組を観ていなくても十分楽しめる。

 私たち現生人類がアフリカを出て世界に広がり、最後にアメリカ大陸に到達するまでのはるかな道のりを、著者が各国の遺跡等を見て回り、その地で研究する第一線の科学者たちに取材しながらたどっていく内容だ。

 私がいちばん知的興奮を覚えたのは、第4章「未開の地での革命」。
 この章では、現生人類がヨーロッパに到達し、ネアンデルタール人(現生人類とは別種であることがわかっている)とニアミスし、けっきょくはネアンデルタール人たちが歴史から消えていくまでの過程がたどられる。

 脳の容量は現生人類を上回り、体格でも優っていたネアンデルタール人が滅び、現生人類が生き残ったのはなぜか? 著者はその理由を、現生人類のほうが優れた文化を築いていたことに見出す。芸術の原型、宗教の原型を生み出したのは現生人類だったのだ。

 芸術などの文化というと、とかく「現実生活の役には立たないもの」ととらえられがちだ。しかし、現生人類は文化的に優れていたからこそ、ネアンデルタール人よりも創意工夫によって困難に打ち勝つ力、協力しあうネットワーク力をもっていた。だから生き残ったのだ。
 「文化の力」を改めて実感させるこの章は、すこぶる感動的である。

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おざわゆき『凍りの掌』


凍りの掌凍りの掌
(2012/06/23)
おざわゆき

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 おざわゆきの『凍りの掌(て)――シベリア抑留記』(小池書院/1300円)を読んだ。

 著者が実父から聞き取りしたシベリア抑留体験を元に、その後独自取材も重ね、2年半を費やして描いた作品。
 元は3冊の同人誌として刊行されたそうだが、高い評価を受け一般書籍化。第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞も受賞した。

 著者は私と同年(1964年)生まれ。お父さんは大正生まれで、昭和18年に学徒出陣。兵士として一度も戦わないまま満州で終戦を迎え、シベリアに送られる。

 出征からシベリア抑留、帰国までの日々が、時系列で静かに描かれていく。少しも奇をてらったところのない、正攻法のマンガ表現。それでも、事実の重みによる衝撃でぐいぐいと読者を引っぱる。

 カバー絵だけは劇画タッチだが、中身はコミックエッセイや4コマ・マンガにちょうどいい感じのシンプルで軽い絵柄だ(著者のほかの作品のカバー↓を見ればわかる)。


築地まんぷく回遊記築地まんぷく回遊記
(2012/11/01)
おざわ ゆき

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 その軽い絵柄が、題材の重さを中和する絶妙な効果を上げている。抑留中の仲間が次々と死んでいく場面や、凍傷で手足を切断する場面などは、重い劇画タッチであったならリアルすぎて読むのがつらかっただろう。

 『夕凪の街 桜の国』(こうの史代)や『総員玉砕せよ!』(水木しげる)、『カジムヌガタイ 風が語る沖縄戦』(比嘉慂)、『はだしのゲン』(中沢啓治)などと並んで、戦争を描いたマンガの傑作として読み継がれるべき作品。

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渡邊十絲子『新書七十五番勝負』


新書七十五番勝負新書七十五番勝負
(2010/01/16)
渡邊十絲子

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 今日は、参院選の期日前投票へ――。

 投票所となった「立川市子ども未来センター」(市役所移転の跡地にできた新しい施設)の中にある「立川まんがぱーく」に、投票ついでに初めて行ってみた。
 15歳以上400円、小・中学生200円、未就学児無料で1日いられる、約3万冊のマンガが読み放題の施設。マンガ喫茶のように暗く狭い場所ではなく、明るく開放的なつくりなのがグー。

 マンガのラインナップは当然子ども向けが多いわけだが、青年マンガなどもけっこうある。『殺し屋1』とか、「子どもに読ませるのはちょっと」という作品もある(笑)。
 近所だから、また行ってみよう。


 渡邊十絲子著『新書七十五番勝負』(本の雑誌社/1260円)読了。

 渡邊の著書を読むのは3冊目。これは『本の雑誌』連載の新書評の書籍化だ。

 1冊の新書につき3ページほどの短い書評が並んでいる。書評集であると同時に読書論でもあり、読書の愉しみを飽かず語りつづけた読書エッセイでもある。

 文章が、紹介する新書とは関係のない自分語りから始まるものが多い。新聞書評などではあり得ない、『本の雑誌』連載ならではの自由なスタイルだ。

 「この書き出しからどうやって新書紹介に着地するんだ?」とハラハラしながら読み進めると、アクロバティックな跳躍のすえ、見事に着地。紹介する新書の魅力の核を正確に伝える内容になっている。なかなかの芸だと思う。

 当ブログに感想をアップしている新書もけっこう取り上げられていて、それを読むと著者の書評子としての力量がわかる。私にはできない形でその新書の魅力を伝える文章が少なくないからだ。

 たとえば、池谷裕二氏の名著『進化しすぎた脳』を取り上げた回。
 著者は同書を、各紙誌の書評が「高度に専門的な内容を平易に説いた点が珍しい」と絶賛したことに異を唱える。

 自然科学の学者が「自分の専門分野の最新知見を平易に書く」のは、いまや当たり前。「狭い専門分野のフェンスをふみこえて科学の思想を語る」ことにこそ拍手を送るべきである。



 つまり、科学の細分化が行きつくところまで行き、「すぐ隣りの研究分野についてさえうっかりモノを言うなんてリスクはおかせないという学者が多数派」のご時世にあって、脳の機能のあらゆる側面にあえて言及したところこそが、同書の最大の美点なのだ、と……。
 この指摘には、なるほどと膝を打った。

 その他、印象に残った一節を引用する。

 真の表現とは、受け手を変化させる前にまず、表現者自身を変化させるものでなくてはならないとわたしは思う。
 「だいじょうぶだよ、そばにいるから」式のポエムをわたしが軽蔑するのは、それは受け手の心を励まし和ませるテクニックだけで書く言葉だからだ(その効果すらあやしいけどね)。表現者自身は、心の動く現場に立ち会っていない。そのポエムを書くことによって表現者自身の立脚点が危うくなったり、心が揺らいだりしない。安全地帯にいるのである。動かないのだから進化も成長もない。そんなの表現といえない。



 徹底的にわかりやすいのが善、アホでもわかる子どもでもわかる猿でもわかる、ということを絶対的価値として信奉しているのは、世の中でもTVと出版社だけなのである。



 国民総消費者となったこの末期的日本社会では、われわれは毎日、どんなささいな行動も、「それはなんの役にたつのか、カネを払う価値があるのか」と互いに監視しあっている。でももううんざりだ。現在「それはこれこれの仕組みでこういうことの役にたつ」とわかっているものなんて、メシを食っていくための色褪せたルーティンである。なんの役に立つのか皆目見当がつかないものからしか、新しい価値、つまり未来は生まれない。



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西村賢太『一私小説書きの日乗』


一私小説書きの日乗一私小説書きの日乗
(2013/02/27)
西村 賢太

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 西村賢太著『一私小説書きの日乗』(文藝春秋/1523円)読了。

 ウェブ文芸誌「マトグロッソ」に連載された日記の単行本化。私はサイト上でも読んでいたけど、1冊の本として読むとまた違った味わいがある。

 内容は、日記そのもの。エッセイのように一編の作品としてまとめようとする意志は感じられず、食べたものや会った人、読んだ本、書いた原稿などについての日常雑記がつづく。それでも面白く読ませてしまうのは、文才というものだろう。

 本書に記録されているのは、まさに芥川賞受賞後の日々。
 売れない作家であった彼が突如脚光を浴び、殺到する原稿依頼やテレビ出演依頼などを、うれしい悲鳴を上げつつこなしていく様子が綴られている。

 過去の作品群は増刷に次ぐ増刷。著名文化人や芸能人などの知遇も次々に得て、芥川賞受賞作『苦役列車』は映画化される……。というふうに、西村にとっては「我が世の春」ともいうべき“人生最高の一年”が刻みつけられていく。

 昨年は、新潮社からだけで三千八百万円を得ていたことに一驚する(拙著五冊の印税、原稿料の他に、海外版等、同社が窓口となったものすべてを含んで)。(中略)
 一昨年の自分の年収は四百八十万だったが、今回住民税のみでもその三分の二以上の額を別途納める計算に、つい自分でも訳の分からぬバカ笑いを発してしまう。



 ついこの間まで、どこからも雑文一本の依頼も貰えなかった惨めさを、自分は一生忘れない。無能のくせに思い上がった文芸編輯者や、尻馬乗りの、保身に必死なだけの新聞文芸時評子(本来、資質的に文芸とは無縁の、単なる一教職者に過ぎないが)から意図的に排除され、やられっ放しだった無念さを、自分は片時も忘れたことはない。
 あの悔しさを思い出すにつけ、今、彼奴らの必死の排斥も虚しく、自分に多少なりとも仕事が立て込み続けているのは実に痛快。かつ、しみじみ有難いことである。



 このように、赤裸々な「ざまあみやがれ!」的記述が痛快だ。なじみの編集者を些細なことで罵倒したりするあたり、相変わらず「実生活では交友したくない男だ」と感じさせるけれど……。

 また、これは『孤独のグルメ』に近い面白さをもつ日記でもある。
 というのも、西村が日々律儀に記録している食生活の様子(出版社の接待で食べる高級料理から、家で食べるインスタント食品やジャンクフードまで)が、どれも妙にうまそうだからだ。読んでいて腹の減る日記である。

 日記中に頻出する鶯谷の大衆居酒屋「信濃路」(この店は過去の作品でもおなじみ)と早稲田鶴巻町の「砂場」(蕎麦屋らしい)に、行ってみたくなった。

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小林節『白熱講義! 日本国憲法改正』


白熱講義! 日本国憲法改正 (ベスト新書)白熱講義! 日本国憲法改正 (ベスト新書)
(2013/04/22)
小林 節

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 今日はホテルニューオータニで、評論家の山崎正和さんと政治学者の御厨貴さんの対談に立ち会い(で、私がまとめる)。
 
 行き帰りの電車で、小林節著『白熱講義! 日本国憲法改正』(ベスト新書/840円)を読了。
 
 KKベストセラーズのベスト新書には、粗製濫造の本が多い印象がある(半ば偏見、半ば実感)。しかし、これはベスト新書らしからぬ良書だった。

 終章が自民党の憲法改正案草案の“添削”になっているし、巻末には大きな字で日本国憲法全文が載っているので、本文正味としては140ページに満たない。が、その中に憲法改正のおもな論点が手際よく網羅されており、中身が濃い。

 すでに自民党のボロ勝ちが予想されている参院選後に、間違いなく浮上してくるはずの憲法改正。安倍晋三が進めるその改正案のどこが問題であるのかが、憲法の本質をふまえてスッキリと論じられている。

 著者の小林節氏は、『憲法守って国滅ぶ』などの著作もある30年来の改憲論者。その小林氏でさえ、安倍首相の進める改正案には問題が多々あると批判せざるを得ないのだ(ただし、是々非々で賛同すべき点には賛同している)。

 「安倍首相にとって、憲法改正は政治家としての存在理由に等しい」(「はじめに」)ほど重大なテーマにもかかわらず、安倍が憲法の本質を理解していないことが、本書から浮かび上がる。ゾッとする話だが、著者が自民党の改正案の問題点を斬る手際が明快で鮮やかなので、読後感は痛快ですらある。

 著者がくり返し指摘するのは、憲法は「国民が国家権力を管理する法」であるにもかかわらず、改正推進派の政治家たち(の多く)が、「国家が国民を管理する法」だと本末転倒の誤解をしている点。
 だからこそ、「国民は国を愛する責務がある」などと、愛国心を国民に強制するおかしな文言を改正草案に盛り込んだりするのだ。

 その点に関連して、本書の痛快にして明快な一節を引く。

 今回の自民党の憲法改正草案を見ると、そこにも「和を尊ぶ」「家庭を大事に」といった内容が盛り込まれている。(中略)
 憲法で「家庭を大事にする義務」を定められたなら、離婚や不倫は憲法違反になってしまう。「離婚と不倫をした者にペナルティを与える」と刑法に書くこともできる。これはおかしいだろう。
 何も離婚や不倫を勧めているわけではない。でも人の人生、そういうことだってあり得るのだ。(中略)それを認める民法があるのに、憲法に「家庭を大事にする義務」を定めることは、憲法が民法をぶっ壊すことにもなる。だから国民が憲法に対する正当な基礎知識を持ってディフェンド(防御)していかないといけない。



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渡邊十絲子『兼業詩人ワタナベの腹黒志願』


兼業詩人ワタナベの腹黒志願兼業詩人ワタナベの腹黒志願
(2007/09)
渡邊 十絲子

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 渡邊十絲子著『兼業詩人ワタナベの腹黒志願』(ポプラ社/1680円)読了。

 先日読んだ『今を生きるための現代詩』がよかったので、著者の旧著に手をのばしてみた。2007年刊で、渡邊にとって初のエッセイ集だったもの。

 「女流詩人が書くエッセイ」というと、乙女チックな内容、あるいは“女オンナした”恋愛至上主義的な内容を想像する向きが多いだろう(本書のカバーイラストはまさにそんな感じ)。

 ところが、本書はそうしたイメージとはおよそ真逆の内容であった。なにしろ、巻末の著者プロフィールには「苦手は、すべての乙女チックなもの」 という一節があるくらいだ。
 写真を見れば著者はなかなか美人なのに、競艇などのギャンブルが大好きで、ボクシングや相撲、プロ野球などの観戦が趣味という、「中身はほとんどオッサン」な人なのである。

 といっても、本書にはギャンブルネタやスポーツネタのエッセイは皆無に等しいのだが、「美人詩人なのに中身はオッサン」というギャップの面白さが、そのまま本書の魅力となっている。詩人らしい繊細な観察眼と言葉へのこだわりを随所で発揮しつつ、全体としてはサバサバと男っぽいユーモア・エッセイになっているのだ。

 著者の「女流エッセイストとしての座標軸」を考えてみるなら、岸本葉子と岸本佐知子の中間あたりといったところか。
 つまり、基本は岸本葉子風の“日常こだわりエッセイ”でありつつ、岸本佐知子風のねじれた笑いと妄想のテイストもあるのだ。

 軽めのユーモア・エッセイが並ぶ合間に、ときどきシリアスな内容のエッセイが挟み込まれる構成。そのどちらも面白く読める。

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LEO今井『MADE FROM NOTHING』


Made From NothingMade From Nothing
(2013/06/26)
LEO今井

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 LEO今井のニューアルバム『MADE FROM NOTHING』(ユニバーサル/3000円)を購入。

 向井秀徳とのユニット「KIMONOS(キモノズ)」のアルバムを間に挟んでいるものの、LEO今井名義ではじつに4年ぶりとなるサードアルバム(ほかにインディーズでのアルバムもあり)。

 向井とのコラボレーションの影響なのか、本作はこれまででいちばんロック色の強いアルバムになっている。
 とくに冒頭の3曲は、ナンバーガールやZAZEN BOYSを彷彿とさせるソリッドなロックナンバーで、ビリビリとした緊張感が心地よい。



 後半になるとギターがやや後景にしりぞき、エレクトロ・ファンク色/テクノ色が強くなる。
 全体に、過去2作よりも重く、分厚く、冷たい音。
 前作『Laser Rain』のリードシングル「Taxi」のようなキャッチーなナンバーがないかわりに、洋楽ロックの中にまぎれこませても違和感のない音になっている。とくに、全編英語で歌っている2曲は、もう完全に洋楽だ。

 推察するに、LEO今井にとってJ-POPのファン層はもはや眼中になく、本作ではいよいよ、長年洋楽ロックを聴き込んできたコアなロックファン層に的を絞ったのではないか(J-POPへのすり寄りが感じられた前作とは対照的)。

 ひんやりとしたエレクトロ・サウンドと叩きつけるようなバンド・サウンドが絶妙のバランスでからみ合い、陰と陽のダイナミズムを織りなす。じつにカッコイイ。このカッコよさは世界レベル。
 
 LEO今井のヴォーカリストとしての魅力はこれまであまり語られてこなかった気がするが、今回はヴォーカルがじつによい。
 デヴィッド・ボウイ~ピーター・ガブリエルの系譜を継ぐ、陰影を帯びた、男の色気を感じさせるヴォーカル。とくに、タイトルナンバー「MADE FROM NOTHING」でのリフレイン部分の熱唱など、耳について離れない素晴らしさだ。

 歌詞の英語/日本語のバランスから言うと、前作よりやや英語の比重が上がった。
 私は、彼に全曲英語のアルバムを出してもらいたい(過去の作品を英語ヴァージョンにしたベスト盤を、欧米向けに出してもよい)。ヨーロッパでの生活も長かったマルチリンガルである彼は、音楽のクオリティからいっても、日本でいちばん欧米で成功する可能性が高いアーティストだと思うからだ。

■関連エントリ
LEO今井『Fix Neon』レビュー
LEO今井『Laser Rain』レビュー
KIMONOS『Kimonos』レビュー

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ミハイ・チクセントミハイ『フロー体験入門』


フロー体験入門―楽しみと創造の心理学フロー体験入門―楽しみと創造の心理学
(2010/05/10)
M.チクセントミハイ

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 ミハイ・チクセントミハイ著、大森弘監訳『フロー体験入門――楽しみと創造の心理学』(世界思想社/2415円)読了。

 先日読んだ『フロー体験 喜びの現象学』を、少し論文臭を抑え、より一般向けにした感じの本。
 ただ、「入門」と謳っている(原題は“Finding Flow”)わりにはけっして平易ではなく、ある程度の基礎知識を読者に要求する内容である。

 最近、ポジティブ心理学の本をたてつづけに読んでいるのだが、その中でもチクセントミハイの著作は、哲学的深みという点でダントツだと思う。
 本書もしかりで、フロー体験についての解説書であると同時に哲学書にもなっている。古典のような風格を具えた含蓄深い一節が、随所に登場する。チクセントミハイ自身、哲学者的資質の勝った心理学者なのだろう。

 同じ著者が同じテーマについて書いた本だから、『フロー体験 喜びの現象学』と本書には一部内容の重複も見られる。
 それでも、『~喜びの現象学』に感銘を受けた人なら、本書も読んで損はない。前著から9年後に出たものだから、その間の研究の進展も反映されており、より深まっている面もあるからだ。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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