佐藤優『読書の技法』


読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門
(2012/07/27)
佐藤 優

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 佐藤優著『読書の技法――誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門』(東洋経済新報社/1575円)読了。

 書名のとおり、佐藤流読書術を開陳したもの。
 さして目新しいことを言っているわけではなく、ごくオーソドックスな読書術という印象。立花隆が『ぼくはこんな本を読んできた』や『「知」のソフトウェア』で述べている読書術に近い。

 本書での佐藤の主張は、おおむね納得のいくものである。たとえば、次のような指摘――。

 重要なことは、知識の断片ではなく、自分の中にある知識を用いて、現実の出来事を説明できるようになることだ。そうでなくては、本物の知識が身についたとは言えない。



 すでに十分な知識がある分野か、熟読法によって付け焼刃でも一応の基本知識を持っている分野以外の本を速読しても、得られる成果はほとんどない。知らない分野の本は速読も超速読もできないというのは、速読法の大原則だ。



 速読はあくまで熟読する本を精査するための手段にすぎず、熟読できる本が限られるからこそ必要となるものだ。速読が熟読よりも効果を挙げることは絶対にない。



 ビジネスパーソンの場合、テーマは仕事をするうえで、現在、もしくは将来必要となる事項がテーマとなる。教養のための外国語とか歴史というような、動機があいまいなままだらだら学習することは時間と機会費用の無駄なのでやめたほうがいい。



 ただ、第5章「教科書と学習参考書を使いこなす」は、水増しがひどくていただけない。
 高校の教科書や受験用参考書が「大人の学び直し」に役立つというのはそのとおりだが(私も日本史や世界史の参考書を座右に置いている)、その学び方の具体例を一章丸ごと割いて延々と挙げるのはやりすぎ。ページ数稼ぎの手抜きとしか思えない。

 あと、佐藤にはクダラナイ本を大仰な言葉で絶賛するヘンなクセがあるのだが(過去の著書でも、『負け犬の遠吠え』やSM小説『花と蛇』を絶賛していた)、本書の第6章「小説や漫画の読み方」にもその悪癖が出ている。
 なんと、『クレヨンしんちゃん』を絶賛していたりする。しんちゃんの母親・みさえが「ユング心理学で言うところの『グレートマザー』だ」とか、ギャグとしか思えない持ち上げっぷりである。

 同じ章では水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』も取り上げている。私も『鬼太郎』は名作だと思うが、これについても佐藤の持ち上げ方はかなりヘンだ。いわく――。

 高度経済成長以後の21世紀型の生き方として、ビジネスパーソンがねずみ男から学ぶべき点は多い。



 それと、「オレはこんなものすごい読書家なんだぜ」と言いたげなハッタリ的記述も目立つ。
 ただ、それが大前研一や勝間和代の自慢話のようにイヤミな感じがしないのは、ある種の人徳であろうか。

 ……と、ケチをつけてしまったが、読書意欲をかき立てる好著ではあり、読書好きなら一読の価値はある。

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エマソン『自己信頼』


エマソン論文集 上 (岩波文庫 赤 303-1)エマソン論文集 上 (岩波文庫 赤 303-1)
(1972/09/16)
エマソン

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 『エマソン論文集』上巻(酒本雅之訳、岩波文庫)を読む。恥ずかしながら、エマソンの著作を読んだのは初めてである。

 この巻に収録されている「自己信頼(Self-Reliance)」が読みたかったので、手をのばしてみたもの。ほかの収録作(「自然」「償い」「主の晩餐」など)にもいちおう全部目を通したが、正直よくわからなかった。
 
 「自己信頼」はオバマ大統領の座右の書にして、ニーチェやソロー、福沢諭吉や宮沢賢治にも影響を与えた「自己啓発書の元祖」……なのだそうだ。
 論文というより、詩的な哲学エッセイという印象。最近、より平易な新訳も出ているが、この岩波文庫版の訳は格調高くていい感じだ。

 心に残った一節を引く。これは、「自己信頼」で最も名高いくだりでもある。

 わたしの家の窓のしたに咲くばらは、むかしのばらや、もっと美しいばらをいちいち参照したりはしない。このばらはこのばらとして咲いているのであり、きょう神とともにここにいるのだ。

 このばらにとって時間などはない。ただばらというものがあるだけだ。この世にある一瞬一瞬に完璧なばらというものがあるだけだ。葉の芽が萌え出ぬうちに、すでにばらのいのちはあますところなく活動していて、満開の花に多いとか、葉のつかぬ根に少ないということはない。
 あらゆる瞬間に変わることなく、ばらの本性は満たされており、みずからも自然を満足させている。

 ところが人間は延期したり思い返したりする。現在に生きないで、目を背後に向けて過去を嘆き、あるいは自分をとりまく富には気づかずに、未来を予見しようと爪先立ったりする。
 人間も、時間を越え、現在のさなかに自然とともに生きるのでなければ、幸福になることも強くなることもできない。 (改行・行あけは引用者)



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クリストファー・ロイド『137億年の物語』


137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史
(2012/09/09)
クリストファー ロイド

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 クリストファー・ロイド著、野中香方子(きょうこ)訳『137億年の物語――宇宙が始まってから今日までの全歴史』(文藝春秋/3140円)読了。

 書評用読書。B5判で500ページを超える電話帳のような厚さの本だが、ここ1ヶ月ほど少しずつ、楽しみながら読みつづけてきた。

 帯には、「理系と文系が出会った初めての歴史書」という惹句がある。地球史と世界史(人類史)のすべてを1冊の本でまとめて概観した、ありそうでなかった文理融合の歴史概説書なのだ。
 著者はケンブリッジで歴史学を学び、『サンデー・タイムズ』紙の科学記者をしてきたという英国人。理系・文系の枠を超えて歴史を鳥瞰する本を書くのにうってつけの人なのである。

 著者が自分の子どもたちに、歴史と自然科学を同時に教えられるような本が書けないものか、と考えたことが、そもそもの着想だったとか。インドのネルーが娘のために書いた、『父が子に語る世界歴史』に近い成り立ちの本なのである。
 ゆえに平明な文章で書かれてはいるのだが、内容は高度で、けっして子ども向けではない。帯には「小学校高学年から大人まで」とあるが、小学生には難しすぎると思う。むしろ高校生~大学生向け、もしくは「大人の学び直し」向けの本だと感じた。

 500点もの図版をちりばめた豪華なオールカラー本でもあり、見ているだけでも楽しい。日本版もすでに10万部を超えるベストセラーになっているそうだが、それもうなずける一生ものの「お値打ち本」である。座右に置き、折にふれパラパラと読み返したい。

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TRIX『POWER』、ピラミッド『PYRAMID3』


POWERPOWER
(2012/06/27)
TRIX

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 TRIX(トリックス)の『POWER』とピラミッドの『PYRAMID3』を聴いた。


PYRAMID3PYRAMID3
(2011/04/13)
PYRAMID、和泉宏隆(p) 他

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 TRIXとピラミッドは、どちらにも元カシオペアのメンバーと元T-SQUAREのメンバーが1人ずついる。その意味では2つとも、J-Fusionの王道を行くバンドといえよう。

 最新作(といっても、昨年と一昨年に出たもの)2枚を聴いても、軽快で聴きやすい典型的フュージョンという感じが共通している。
 それでいて、聴きこんでみると、やはり昔のフュージョンとは違う。非常に洗練されていて、「21世紀のフュージョン」という趣なのだ。
 そもそも、私はカシオペアもT-SQUAREもそれほど好きではなかったから、昔のカシオペアやT-SQUAREのような音なら食指が動かなかったはず。なのに、私は2枚ともたいへん気に入った。「一見典型的フュージョンでありながら、じつは新しい」部分に惹かれればこそである。

 それにしても、よく似た出自をもつ王道フュージョン・バンド同士でありながら、2枚のアルバムは見事に対照的である。進化のベクトルが真逆なのだ。
 2つのバンドともテクニシャン揃いなのだが、TRIXはそのテクニックをとことん突きつめるハイパー・テクニカル・フュージョンを志向しており、ピラミッドは逆にテクニックをひけらかさない落ちついた「大人のフュージョン」を志向している。

 TRIXはパワフルでスピーディー。すさまじいギターの速弾きなどが随所にちりばめられており、曲展開も複雑で凝りに凝っている。それでいてけっして小難しくはならず、聴き心地は爽快そのもの。



 一方のピラミッドは、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」やビートルズの「涙の乗車券」のカヴァーが入っていたりして、一歩間違えばたんなるイージー・リスニングになってしまいそうな(それでいて、けっしてそうはならない)、ホテルのラウンジとかに似合いそうな流麗なフュージョンなのだ。



 両者の差異は、J-Fusionが進むべき2つの方向性を象徴しているようにも思える。

■関連エントリ→ ピラミッド『TELEPATH』ほかレビュー

 
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中村淳彦『職業としてのAV女優』


職業としてのAV女優 (幻冬舎新書)職業としてのAV女優 (幻冬舎新書)
(2012/05/30)
中村 淳彦

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 中村淳彦(あつひこ)著『職業としてのAV女優』(幻冬舎新書/840円)読了。

 著者は、AV女優や風俗嬢、素人売春をする女性をおもな取材対象にしてきたライター。この人の本は、企画AV女優のインタビュー集『名前のない女たち』を読んだことがある。
 いまはライターをつづけながら、高齢者デイサービスセンターを運営しているのだそうだ。これからはライター専業で食っていくことが難しくなり、彼のような兼業ライターも増えていくのだろう。

 本書は、著者の豊富な取材体験に基づいた、AV女優という特殊職業の「入門書」である。
 AV女優を目指す女性にとっては恐ろしいほどリアルな職業ガイドとなるだろうし、男性読者の下世話な興味も十分満たしてくれる本だ。

 「職業ガイド」と書いたが、本書を読んでもなおAV女優になりたいと思える人は少ないのではないか。
 深刻なアダルトメディア不況でAVの売り上げがどんどん下がっているいま、ごく一部の人気女優を除けば、AV女優は昔のようにラクに稼げる仕事ではなくなり、過酷で割に合わない職業になっているからだ。その驚くべき実態を、著者は淡々としたタッチで紹介していく。

 AVをめぐる有名な事件(殺人事件や相次ぐ女優の自殺、バッキー事件など)にも一通り触れられており、1990年代から現在までのAV業界盛衰史としても読むことができる。

 驚愕の事実が目白押しである。たとえば――。

 AV女優の全体の80%以上は一本数万円という報酬。専業の場合、遊ぶどころか、質素な自分の生活を支えるのも困難である。



 かつて、AV女優になる入口は路上で女性たちに声をかけるスカウトだったが、現在は自分から出演したいと志願し、応募してくる女性が中心となった。



 現在はAV女優の半数はまったく仕事がないといった状態であり、一般OLほどの収入を得ることも難しい。AV女優になるために求められる外見や内面のクオリティは、まだまだ上昇し続けて、労働量はもっと増えて出演料はさらに低下していくことが予想できる。裸を売ることがリスクでなくなってしまったことと引き換えに、女のカラダは簡単に売れる時代ではなくなったのである。
 一部の競争に勝ち残った人気ある女性はテレビ出演して海外ではファンが殺到し、脱がないタレントとしても成功しているが、楽に稼げることに依存して収入が激減してもしがみついた女性の中にはホームレスまで生まれている。



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西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』


ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)
(2012/10/17)
西岡 文彦

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 西岡文彦著『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮新書/714円)読了。

 多摩美の教授で版画家の著者による、一般向けの芸術論。
 タイトルどおりピカソの話が多いのだが、たんなるピカソ論でもピカソの評伝でもない(ただし、ピカソの生涯と業績が概観できるように書かれてはいる)。
 ピカソは現代美術の代表格としてクローズアップされているのであって、本書のメインテーマは“現代美術とそれ以前の美術では、どこがどう違うのか?”ということである。

 美術にくわしい人にとっては、本書の内容はあたりまえのことばかりかもしれない。が、門外漢の私には非常に新鮮で面白かった。

 ピカソの代表作『アヴィニョンの娘たち』について、著者は次のように言う。

 画面には、学者が学会で新しい学説を発表する時のような気負いと先鋭性がみなぎっています。いわば、今後の絵画はいかにあるべきかという課題に対するピカソ理論の発表のようなものですから、学会論文と同じで素人に理解できないのは、むしろ当然でさえあったのです。
 おそらく、この時のピカソにとって素人の理解などは眼中になかったでしょう。画商や批評家といった専門家に対して、絵画の未来を担う「前衛」としてピカソ自身の立場を知らしめ、ゆくゆくは美術館に入ってしかるべき芸術の担い手としての認知を確立することのほうが、はるかに大切だったからです。



 印象派が「タッチ」つまりは筆触を強調することで、絵画を写実から解放したのに対して、後期印象派はこのタッチを各人が独自に工夫することで、個性の表明としての「スタイル」つまりは様式というものを確立したわけです。
 二十世紀絵画の特色は、このスタイルが「イズム」つまりは芸術的な主義主張として語られ、学会における学説論争のように画壇をにぎわせた点にあります。
 ピカソの『アヴィニョンの娘たち』を出発点としたキュビズムは、そうしたイズムの代表格で、後期印象派のセザンヌが確立したスタイルをさらに先鋭化して誕生したこのイズムによって、二十世紀絵画の方向は決定されることになりました。

 

 なるほどなるほど。すこぶるわかりやすい。
 ピカソをフィルターにした平明な現代絵画入門として、門外漢ほど一読に値する好著。この著者のほかの本も読んでみよう。

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広瀬隆『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』


原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論 (集英社新書)原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論 (集英社新書)
(2012/11/16)
広瀬 隆

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 一昨日と昨日は、東日本大震災の関連取材でまた宮城県へ――。

 仙台→気仙沼→石巻→亘理町と回って、被災者の方々に3・11からの2年間についてうかがう。そのうち2組のご夫婦は、いまも仮設住宅にお住まいであった。
 たとえ津波で家を流されても、「心の財はけっして壊されない」と思い定めて前を向きつづけ、自分よりも他者のために尽くそうとする――そんな姿勢に胸打たれた。


 行き帰りの新幹線で、広瀬隆著『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』(集英社新書/798円)を読了。

 「原発などなくても電気は足りる。なぜなら、原発分を補って余りある新エネルギー技術が、すでに開発されているからだ」(カバーそでの惹句より)と、「脱原発のリアリズム」を説く本。

 「朝まで生テレビ!」などの印象から、広瀬隆というとエキセントリックな人という印象をもっていたが、少し印象を改めた。本書の「脱原発論」は非常に明快で現実的。現実離れした理想論を弄ぶ感じは微塵もない。

 最新のデータ・知見を駆使して、なぜ原発が必要ないかをきわめて具体的に解説して、目からウロコが落ちまくる内容。また、太陽光発電などの自然エネルギーだけでは原発を代替するにはまったく不十分だとして、自然エネルギーに過度に期待する風潮にも厳しい批判を加えている。

 優れた科学啓蒙書だと思うし、未来に希望がわいてくる本でもある。
 ただ、著者が政治家・官僚・財界人・マスコミ・原発業界を罵るくだりが随所にあって、そこが不快。著者としては力強くアジっているつもりなのだろうが、私は「口汚く罵っている」という印象しか受けなかった。
 たとえ著者にとって「敵」であったとしても、普通の言葉で冷静に批判すればよいものを……。

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中条省平『マンガの教養』


マンガの教養―読んでおきたい常識・必修の名作100 (幻冬舎新書)マンガの教養―読んでおきたい常識・必修の名作100 (幻冬舎新書)
(2010/11)
中条 省平

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 中条省平著『マンガの教養――読んでおきたい常識・必修の名作100』(幻冬舎新書/798円)読了。

 かつてマンガは「反教養」的存在であったが、いまやある種の教養になっているのだから、「最低限の教養として、この程度は読んでおきたい」という基準となる作品群があるはずだ……と、おおむねそのような意図のもと、著者が愛する日本のマンガを、一作家一作品に絞って100作紹介する名作ガイド。

 類書に大塚英志+ササキバラ・ゴウの『教養としての〈まんが・アニメ〉』があるが、これは作品ガイドではなく、突出した作家数人を取り上げ、そこから全体を概説するものだった。よって、2冊を併読するとよいかもしれない。

 中条省平は優れた批評家だし、マンガを見る目もたしかだと思う。本書の100作品のセレクトも、マニアックすぎず、一般的すぎずのバランスを保ったもので、おおむね納得できる。

 ただ、一作品について見開き2ページの短い文章で紹介するという制約があるため、批評としての読みごたえはあまりない。どの文章も食い足りず、言いたいことを言い切っていない隔靴掻痒感があるのだ。
 「やっつけ仕事」とまでは言わないが、中条が批評家としての本気を出して書いた本とはとても思えない。

 ケアレスミスとおぼしき誤記もある。
 たとえば、近藤ようこの『水鏡綺譚』に「みずかがみきたん」とルビがふってある。正しくは「すいきょうきたん」である(だから近藤ようこのツイッターアカウントも「@suikyokitan」)。
 これは編集者のミスかもしれないが、著者も当然ゲラをチェックしているはずだから、いずれにせよずさんなことだ。

 ま、とりあえず「マンガの教養」の基本線を知るためには悪くない本ではある。 

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難波弘之・井上貴子編『証言! 日本のロック70’s』


証言! 日本のロック70’s ニューロック/ハードロック/プログレッシヴロック編証言! 日本のロック70’s ニューロック/ハードロック/プログレッシヴロック編 (単行本)
(2009/04/08)
難波 弘之、井上 貴子 他

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 難波弘之・井上貴子編『証言! 日本のロック70’s――ニューロック/ハードロック/プログレッシヴロック編』(アルテスパブリッシング/2100円)読了。

 2007年7月から毎月1回、ダディ竹千代がオーナーの「新橋ライヴバーZZ」で行なわれた連続トークショー「70年代日本のロックを語ろう」の単行本化である。

 毎回登壇するレギュラー・スピーカーが、PANTA・難波弘之・ダディ竹千代と、司会進行役の井上貴子。ほかに、毎回のテーマに合ったゲスト・スピーカーが1人参加するという形式。
 本書の場合、「ニュー・ロックの夜明け」の回は土屋昌巳(一風堂)、「ハード・ロックは死なず!」の回は山本恭司(BOWWOW)、「プログレの技術と精神」の回は岡井大二(四人囃子)が、それぞれゲストとなっている。

 この手の「ロックを語る」イベントはよくあるが、たいていは音楽評論家などの非ミュージシャンが加わるものだ。しかし本書の場合、語り手がみな第一線で活躍してきたロック・ミュージシャンである点(井上貴子は現・大東文化大教授だが、「ダディ竹千代&東京おとぼけCATS」のキーボード奏者でもあった)が大きな特長。

 ゆえに、評論家的な上から目線の論評は抜きで、各人が実際に体験・見聞したことに基いてトークが進んでいく。ここがたいへん好ましい。ヴィヴィッドな現場感覚に満ちた、実作者ならではのトークになっているのだ。
 途中、“日本のロック評論家がいかに音楽を理解しておらず、勉強不足であるか”が熱く語られるくだりもあって、ニヤリとさせられる。

 書名のとおり、日本の70年代ロックがメインテーマではあるものの、付随してそれ以前・以後の話や海外のロックの話も出てくる。

 “現場目線から振り返る日本のロック史”という趣の内容になっていて、日本の70年代ロックが好きな人間にはたまらなく面白い本である。著名ミュージシャンや作品、ライヴについての興味深い裏話(笑える話も多い)が矢継ぎ早に飛び出すし、「日本のロック論」として傾聴に値する卓見もちりばめられているのだ。

 第2弾として刊行されている『ニューミュージック~パンク・ロック編』も読んでみることにしよう。

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卯月妙子『人間仮免中』


人間仮免中人間仮免中
(2012/05/18)
卯月 妙子

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 卯月妙子著『人間仮免中』(イースト・プレス/1365円)読了。

 最近各所で絶賛されている、話題のコミック・エッセイである。『読売新聞』の書評欄では小泉今日子が絶賛の書評を書いていた。

 形式としてはコミック・エッセイだが、気軽に楽しめるようなものではない。ヘビーすぎる内容はむしろ「究極の私マンガ」という趣。
 同じ版元から生まれたベストセラー『失踪日記』(吾妻ひでお)の類書といえるが、『失踪日記』にはあったエンタテインメント性は、本書には乏しい(著者はかなりがんばって読者を楽しませようしているのだが)。

 本書の巻末にある著者略歴を、そのまま引用。これほど強烈な著者略歴も珍しい。
 

1971年、岩手県生まれ。20歳で結婚。しかし程なく夫の会社が倒産し、借金返済のためにホステス、ストリップ嬢、AV女優として働く。排泄物や嘔吐物、ミミズを食べるなどの過激なAVに出演。カルト的人気を得る。その後夫は自殺。幼少の頃から悩まされていた統合失調症が悪化し、自傷行為、殺人欲求等の症状のため入退院を繰り返しながらも、女優として舞台などで活動を続ける。さらに自伝的漫画「実録企画モノ」「新家族計画」(いずれも太田出版)を出版し、漫画家としても活躍。2004年、新宿のストリップ劇場の舞台上で喉を切り自殺を図ったことでも話題に。

 

 本作は、このように凄絶な過去をもつ当時30代の著者と、25歳年上の男気あふれる初老男性「ボピー」(これはアダ名で、日本人)のラブストーリーである。

 といっても、「最初の自殺未遂は、中学3年生でした。/それから、何度か自殺を図り、精神病院への入退院は7回、そのうち2回は措置入院です」(「あとがき」)という著者と、過去に3度結婚に失敗しているアクの強いボビーとの恋が、フツーの恋になるはずもない。

 一般のラブストーリーにあるような甘さや夢見心地は、ここには一切ない。ラブストーリーのみずみずしい果実部分を全部捨ててしまって、芯だけを味わうような物語。甘さの代わりに痛さ・苦さがあり、ざらざらとした舌触りがある。それでも、ラブストーリーとしか言いようがない。

 著者が歩道橋から飛び降り(自殺という意識が希薄なところがコワイ。病気からくる全能感により、著者は「バンジーか! 運試し!! でも全然死ぬ気がしねえ」とつぶやきつつ飛び降りるのだ)、顔面を粉砕骨折するなどして病院に運ばれてからの顛末が描かれる後半は、読み進めるのがけっこうキツイ。
 とくに、著者の妄想・幻覚の詳細な描写は、心を病んだ経験のある人なら読まないほうがいいかも、と思えるほど。

 それでもガマンして読み進めると、終盤には名作『自虐の詩』(業田良家)を彷彿とさせる怒涛の泣き展開が待っている。
 「幸や不幸はもういい/どちらにも等しく価値がある/人生には明らかに/価値がある」……と、これは『自虐の詩』の名高いラストフレーズだが、本作のラストでも私の脳裏にはこのフレーズが浮かんだ。

 粉砕骨折で「妖怪油すまし」(と、著者自身が作中で表現)のような顔になって退院してきた著者を、その夜、ボビーは優しく抱く。そのシーンの片隅にポツリと置かれたモノローグが、泣ける。

 ボビーがセックスしてくれたおかげで、おいらは自分の顔に絶望しないで済みました。おいらこの経験だけで今後何があっても生きていけると思いました。



 どんな病気を抱えていようと、どんな顔になろうと、どんな過去があろうと、生きていることそれ自体にかけがえのない価値がある――そう思わせる、かぎりない「生の肯定」のマンガなのである。
 帯に大書された「生きてるだけで最高だ!」は、この作品の核を的確にとらえたいいコピーだと思う。『人間仮免中』というタイトルも秀逸だ。

 『漫画家残酷物語』(永島慎二)に「血を流して描いてるんだ」というセリフがあったが、本作はまさしく、作者が血を流し、身を削って描いたマンガだ。
 プロのマンガ家が描いたとはとても思えない絵で描かれている(飛び降りで片目を失明し、精神状態も悪いため、過去の作品より画力が大幅に後退しているらしい)のだが、技術的な巧拙を超越して、読者の心を鷲づかみにするパワーがみなぎっている。

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エマーソン、レイク&パーマー『ELP四部作』


ELP四部作ELP四部作
(1999/07/07)
エマーソン・レイク&パーマー

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 今日は、赤坂で座談会の取材(兼・司会進行)。ゴーストの仕事なので、詳細はナイショ。


 昨日、立川の「ディスクユニオン」に寄ったら、エマーソン、レイク&パーマーの『ELP四部作』(Works Volume 1)の中古が800円という破格値で出ていたので、購入。
 CDケース不良(ワレあり)なので安かったのだが、日本盤で帯付きだし、盤の状態もよかった。家にあったキレイなCDケースに入れ替えたら、新品同様にピカピカ。いい買い物だった。

 この『ELP四部作』は1977年発表の2枚組大作で、私も昔アナログ盤で聴きまくったアルバム。しかしCDでは所有していなかったので、久しぶりに聴いた。

 いやー、改めて聴くとすごくいい。
 なぜ邦題が「四部作」かといえば、メンバー3人のソロアルバムの寄せ集めプラスELPとしての新曲からなるアルバムだから……。アナログLPレコードの片面がそれぞれ、各メンバーのソロサイド+ELPサイドになっており、4つに分かれているわけだ。

 つまり、ビートルズでいえば『ホワイト・アルバム』みたいなもので、「解散前の最後の輝き」という趣のアルバムなのだが、そういう経緯はともかく、どのサイドも聴き応えがある。

 ファースト・サイドを飾るキース・エマーソンの「ピアノ協奏曲第1番」は、タイトルのとおり“もろクラシック”。キースがピアノでオーケストラと共演している。
 形式はクラシックでも、ロック的なダイナミズムとスピード感があり、ロック・ファンにも十分愉しめる。クラシックのどんな名曲よりも心が浮き立ち、鮮やかな色彩が心に広がる。キース・エマーソンの作曲家としての本領が発揮された素晴らしい曲だ。

 つづくグレッグ・レイクのサイドは、彼の美声が十全に活かされたポップな「歌もの」サイド。とくに、「今夜は愛の光に包まれて」は、聴いているだけでハッピーな気分になる名曲。

 カール・パーマーのサイドは最もロック色が濃く、野性味あふれるドラミングが堪能できる。
 ゲストのジョー・ウォルシュのギターが暴れまくる「L.A.ナイツ」もよいが、何より、ELPのファーストアルバム所収の「タンク」のリメイクが最高。、ホーン・セクションとストリングスを大胆にからめて、原曲をしのぐ出来栄えとなっている。

 最後のELPサイドは、「庶民のファンファーレ」と「海賊」(Pirates)の2曲からなる。
 2曲とも後期ELPの代表曲と言ってよいものだが、とりわけ、13分弱の曲に壮大な物語を詰め込んだロック・シンフォニー「海賊」は素晴らしい。


↑ELPの「海賊」。勇壮にして優美。まさに「神曲」。

 改めて聴き直してみると、このアルバムの曲の多くが、心浮き立つ明るさと優雅さを兼備していることがわかる。
 ELPのアルバムのうち、一般に最高傑作として挙げられる『恐怖の頭脳改革』『タルカス』『展覧会の絵』あたりには、無骨さと狂気じみたパワーの暗い魅力があった。私はそれらのアルバムも好きだが、この歳になってみると、『四部作』の明るさと優美に心惹かれる。

 ただし、本作の続編的位置づけで出されたアルバム『作品第2番』(Works Volume2)は、アウトテイクの寄せ集めのような駄作だった。ジャケもそっくりなので、お間違えなきように。

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園子温『非道に生きる』


非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)
(2012/10/03)
園 子温

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 園子温著『非道に生きる――極端だから、人をひきつける』(朝日出版社/987円)読了。

 日本映画界のトップランナーによる、初の自伝的エッセイ。幼少期の思い出から映画監督としての歩みまでがコンパクトにまとめられている。正味170ページ程度の薄い本なのですぐに読み終わるが、強烈な印象を残す本だ。

 タイトルの「非道に生きる」とは、世間が敷いたレールの上を歩くような生き方をしないことの謂である。
 なるほど、本書を読むと、著者の半生は常識への挑戦の連続だ。小学生時代、「なんで服を着て学校に行かなきゃいけないんだろう」と思い、フルチンになって教室に入るなどし、通知表に「性的異常が見られます」と書かれたというエピソードを筆頭に……。

 高校生のときの詩人デビュー、22歳での映画監督デビュー以降の、表現者としての歩みもしかり。型破りなことこのうえない。

 「もしも映画に文法があるのなら、そんなものぶっ壊してしまえ。もしもまだわずかに『映画的』なるものが自分に潜んでいるとすれば、それもぶっ壊してしまえ」という思いで映画を撮りつづけてきたという園子温は、「映画の外道、映画の非道を生き抜きたい」と「はじめに」で宣言する。
 そのような姿勢にもかかわらず、難解な前衛作品にはならず、大いに楽しめるエンタテインメントでもあるところが、『愛のむきだし』以降の彼の作品のユニークなところだ。

 園子温の生き方と本書に込められたメッセージは、岡本太郎とその著作を彷彿とさせる。たとえば、次のような一節が――。

 他の人と同じ考え方をするために生きるのなら、生まれなくてもよかったとさえ思います。少しでも面白くないと自分が思うことは一切やらない。それを他人が「非道」と呼ぼうが、知ったこっちゃない。



 ピカソのように、フォームをぶち壊したところで遊ぶのが表現者にとっては一番面白いはずです。「小津っぽいね」「ウォーホルっぽいね」と言われて喜ぶとしたら、その人は真のアーティストではないと思います。



 表現者は自分で時代を作るくらいの気持ちでいればいいのです。具体的には「量より質」ではなく「質より量」で勝負することです。自分の作品が認められない、と時代を嘆くのではなく、自分の作品を無視することができないくらいに量産して時代に認めさせればいいのです。



 映画監督を目指す者のみならず、表現に携わって生きたいと願っている者にとっては、勇気を与え、背中を押してくれる一冊だろう。岡本太郎の著作がそうであるように……。
 これまでの代表的作品の舞台裏も明かされているから、園子温作品のファンも必読だ。

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新居昭乃『Blue Planet』『Red Planet』


Blue PlanetBlue Planet
(2012/04/25)
新居昭乃

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 新居昭乃の『Blue Planet』『Red Planet』をヘビロ中。

 昨年4月に2枚同時リリースされた、彼女の通算6・7枚目にあたるフル・アルバム。
 レンタルで済ませてしまったが、2枚とも素晴らしいアルバムだった。

 J-POPの世界の流行などとはまったく関係なく、ハイクオリティーで上品でファンタジックな「大人のポップ・ミュージック」を追求した作品。
 ピアノやストリングスなどの生音が中心で、エレクトリックな音は随所に色を添える感じでさりげなく使われている。

 大半の曲をアレンジしている保刈久明が、相変わらず素晴らしい仕事ぶり。音数は少ないのに、スカスカな感じがまったくしない。最小限の音で豊饒な音空間を生み出すアレンジ。とくに、ストリングスの使い方の絶妙さといったら……。


↑『Red Planet』所収の「金の波 千の波」。

 新居昭乃の妖精めいたウィスパーボイスの魅力が十全に活かされ、聴いていて陶然となるような、世にも美しいポップアルバムとなっている。

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山折哲雄『聖と俗のインド』


聖と俗のインド聖と俗のインド
(1992/06/30)
山折 哲雄

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 昨日は、震災関連取材で福島のいわき市へ――。
 午前中に東京を出て、夕方には戻ってくるという、まさにとんぼ返りの行程。

 再来週にもまた、宮城の石巻・気仙沼・仙台へ震災関連取材に赴く予定。
 「3・11」以降、私はもう20回以上東北の被災三県に取材に行っていることになる。

 行き帰りの電車で、 山折哲雄著『聖と俗のインド』(有学書林)を読了。
 仕事の資料として読んだもの。インドに魅せられた宗教学者の著者が、ガンディーのことを中心にインドについて論じた原稿をまとめたもの。

 中には講演をまとめた原稿もあるし、論文というより、エッセイに近い内容。それでも、ガンディーについての卓見がちりばめられている。

 面白いのは、著者がガンディーをブッダの「現代における本当の後継者」としてとらえている点。
 もちろん、ガンディーはそもそも仏教徒ではなかったわけだが、それでも「仏教という枠をとびこえて人間というカテゴリーのなかで考えようとするとき、ブッダの存在はかぎりなくガンディーの存在に近づいてくるのではないか」と著者は言うのだ。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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