シー・レヴェル『Best of Sea Level』


Best of Sea LevelBest of Sea Level
(1990/05/08)
Sea Level

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 今朝、やっと今年の確定申告を提出。

 期限に3ヶ月半遅れだが、還付金が入る側なので問題なし(逆に、収入が多くて税金をもっと払う側――天引きの源泉徴収税では足りない側――になった場合、こんなに遅れたら延滞金でどえらいことになる)。

 毎日目先の〆切に追われているから、後回しにできることはどんどん後回しになるのである。


 シー・レヴェルのベスト盤『Best of Sea Level』を輸入盤で購入、ヘビロ中。

 シー・レヴェルは、元オールマン・ブラザーズ・バンドのキーボーディスト、チャック・リーヴェルが中心となり、オールマンのリズム隊だったジェイモー(ジェイ・ジョハンソン)、ラマー・ウィリアムズとともに作ったバンド。おもに1970年代後半に活躍した。

 私は彼らのデビュー・アルバム『荒海』(原題は「Sea Level」というセルフタイトル)を昔アナログ盤で愛聴していたのだが、久しぶりにむしょうに聴きたくなって、ベスト盤を買ったしだい。
 どういうわけか、このベストだけが1000円を切る安値で流通しており、ほかのオリジナル・アルバムのCDには軒並み高値がついている。

 オールマンの残党がやっているバンドということで、オールマン的なサザン・ロックを思い浮かべる人も多いだろうが、シー・レヴェルの音楽はもっとフュージョン寄り、ジャズ・ロック寄りである。インスト曲も多い。

 まあ、オールマンにも「エリザベス・リードの追憶」などのインスト曲はあるし、その種の曲にはフュージョン的要素もあるわけだが、シー・レヴェルはそれよりもさらにフュージョン寄りなのである。
 とはいえ、サザン・ロックの薫りは母斑のように彼らの音の中に残っており、そこが凡百のフュージョン・バンドとは異なる魅力になっている。

 シー・レヴェルの曲のうち、インスト・ナンバーにはほとんどジャズ・ロックといってもよい曲が多い。
 このベスト盤にも入っている「Tidal Wave」「Midnight Pass」「Storm Warning」などというその手の曲が、私はいちばん好きだ。曲構成は複雑でテクニカルなのに、頭でっかちにはならずにゴキゲンなグルーヴがあり、ファンキーなのに汗臭くなくて、クール。


↑「Midnight Pass」。後半の盛り上がりがすごい。

 が、彼らのもう一つの顔であるヴォーカル・チューンにも、すごくカッコイイ曲が多い。
 ヴォーカル・チューンはサザン・ロック寄りだが、普通のサザン・ロックよりもずっと都会的で洗練されている。


↑「That's Your Secret」。ヴォーカルが入るとこんな感じ。

 要は、インスト曲ではサザン・ロック色が隠し味になっており、逆にヴォーカル・チューンではサザン・ロック色を全面に出しながらもフュージョン色が隠し味になっているのだ。そのような異種配合の妙味が、シー・レヴェルの魅力である。

 埋もれさせてしまうには惜しい名バンドだと思う。

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川本三郎『時には漫画の話を』


時には漫画の話を時には漫画の話を
(2012/03/01)
川本三郎

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 川本三郎著『時には漫画の話を』(小学館/1995円)読了。

 川本さんがマンガについて書いた評論・エッセイだけを集めた、初めての本。

 氏の本領は映画評論・文芸評論にあるわけだが、マンガについてもたしかな目をもった読み巧者であり、初期の著作『都市の感受性』では丸ごと一章をマンガ論に割いている(その一章――「現代マンガの跳躍」が、本書にもそっくり再録されている)。

 収められた文章のうち、評論然とした評論は、『文學界』に寄せた大友克洋論、つげ義春論くらいのもの。ほかは肩のこらない「マンガをめぐるエッセイ」という趣だ。

 私は映画や小説でもだいたい川本さんと好みが合うのだが、やはりマンガの好みも近い。
 永島慎二、つげ義春、吉田秋生……。さらに、当ブログでも取り上げた小坂俊史の『中央モノローグ線』を、川本さんが本書でエッセイを書き下ろしてまで紹介しているあたり、なんとなくうれしくなる。

 いちばん古い文章は、1978年に書かれた岡田史子論。30数年もの長いスパンで書かれた、さまざまな文章を集めた1冊だ。それでも、川本さんの個性で全編が彩られているから、たしかな統一感がある。

 たとえば、川本さんといえば「町歩き」エッセイの開拓者だが、本書の第5章「漫画の舞台を歩く」には、マンガの中に描かれた風景を訪ねる旅を綴ったエッセイが集められている。つげ義春の諸短編や藤子不二雄の『まんが道』などに登場する町を行く「町歩き」エッセイであり、川本さんならではの世界といえる。

 その第5章以外に「つげ義春とその周辺」という章もあり(つげと弟のつげ忠男、そして彼らが多くの作品を発表した『ガロ』について綴った文章を集めている)、本書におけるつげの比重はかなり重い。本書のカバーイラストも、つげが描き下ろしたものだ。

 評論家としてつねに、表通りよりは路地裏に、山の手よりは下町に、勝者よりは敗者に優しいまなざしを向けてきた川本さんが、つげ義春の作品世界に惹かれるのは当然ともいえる。

 深い共鳴が背景にあるからこそ、川本さんのつげ義春論は鋭い。たとえば、次のような一節になるほどと膝を打った。

 つげ義春の描く男たちは決して女を抱くのではない。女に抱かれるのでもない。女の、暖かく懐かしい体のなかへ、胎内へ、もぐりこむのである。



 それ以外では、トキワ荘の面々の兄貴分・寺田ヒロオの最期を探った「テラさんの残した夢」に、強い印象を受けた。

 これは、雑誌『太陽』に連載された「今日はお墓参り」の一編として書かれたもの。寺田ヒロオ夫人や安孫子素雄、棚下照生らに取材し、寺田の墓へ参ったうえで書かれた、エッセイというより短いルポのような一編だ。
 今後寺田ヒロオについて論ずるには避けて通れないような、彼の「核」に肉薄した名文だと思う。
 
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ビーチ・ボーイズ『スマイル』


スマイルスマイル
(2011/11/02)
ビーチ・ボーイズ

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 遅ればせながら、ビーチ・ボーイズの『スマイル』を聴いた。昨年11月に初めて公式リリースされ、大きな話題をまいた、「ロック史上最も有名な未発表アルバム」である。

 『スマイル』は、本来なら1967年に発表されるはずだったアルバム。曲の大半を手がけていたブライアン・ウィルソンの精神状態の悪化などにより、完成に至らないままお蔵入りとなったのだ。

 今回の公式リリースにあたってブライアンがライナーにメッセージを寄せているのだが、そこには次のような一節がある。

 ビートルズと張り合ってやろうという気持ち、レコード会社からのプレッシャー……、それらすべてが重くのしかかり、どうにもならなくなっていた。そのときわかった。これは中止にしなければならないと。このままでは『スマイル』につぶされてしまう。もしあのまま続けていたら、ビーチ・ボーイズだって危なかったかもしれない。だから終わりにした。1967年のある春の日、僕はみんなに『スマイル』を完成させるつもりのないことを伝えた。そしてテープを倉庫の棚にしまい、そのまま放っておいた。
(中略)
 僕はもうこの『スマイル』セッションについては、いっさい話題にしたくなかった。たとえ誰であっても。
 僕のクリエイティヴなハートは粉々に打ち砕かれ、心の一番奥底にある音楽は、眠ったまま鍵をかけられた。



 その後、『スマイル』のために作られたいくつかの曲は断片的にほかのアルバムに収録されたものの、全貌は封印されたままだった。
 そして、ロック・ファンの間で『スマイル』は“神格化”された。未発表にもかかわらず、アルバム研究書さえ刊行されたほどだ。

 その幻のアルバムが、メンバーの全面協力の下、オリジナル・セッションを最初に意図された形にできるかぎり近づけて編集し、発売されたのだ。
 2004年にはブライアンが『スマイル』全曲を再演し、自らのソロ・アルバムとして発表しているが、今回は正真正銘のオリジナル『スマイル』である。

 ブライアンが「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」と表現したという『スマイル』のサウンドは、前作にあたる『ペット・サウンズ』(1966)をさらに発展させたような、複雑精緻なもの。ハーモニーとメロディは陰影を帯びて美しく、サイケデリックなきらめきが全編に満ちている。初期ビーチ・ボーイズのお気楽な明るさはない内省的なコンセプト・アルバムだが、十分にポップで聴きやすい作品でもある。
 このアルバムに深くかかわったヴァン・ダイク・パークスの『ソング・サイクル』を彷彿とさせる部分もあるが、『ソング・サイクル』よりもずっとメリハリがあって聴きやすい。

 私自身はビーチ・ボーイズにも『スマイル』にもとくに思い入れはないのだが、これはよかった。何より、ブライアンのイノセントで傷つきやすい心がそのまま結晶化したような、儚い美しさに胸打たれる。

 もしも『スマイル』が予定どおり発売されていたら、ロックの歴史は少しだけ変わっていたかもしれない――そんなことも思わせる、「伝説」に恥じない傑作。

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郷田マモラ『モリのアサガオ』


モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 全8巻 完結セット (ACTION COMICS)モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 全8巻 完結セット (ACTION COMICS)
(2011/02/15)
郷田 マモラ



 仕事上の必要があって、郷田マモラの『モリのアサガオ――新人刑務官と或る死刑囚の物語』全7巻セット(ほかに番外編が1冊あるらしいが)を古本で手に入れ、一気読み。

 といっても、『漫画アクション』連載時に雑誌でずっと読んでいたのだが、コミックスでまとめて読み直すのは初めて。

 いや~、やっぱ傑作ですよ、これ。死刑制度の是非を考えるためのテキストとして、これ以上のものは活字の本の中にもなかなかないと思う。
 それでいて、無味乾燥な「学習マンガ」にはならず、エンタテインメントとしての完成度もすこぶる高い。そして、ヘタな文学よりよほど心揺さぶられる感動作でもある。泣ける場面がたくさんある。

 主人公の新人刑務官が、自らの職務の一つである死刑の是非について思い悩み、序盤から終盤までずっと揺れ動きつづける構成がうまい。主人公の迷い・戸惑い・呻吟に合わせて、読者の心も揺れ動き、死刑制度について考えつづけることになるのだ。

 作者が死刑反対・賛成のどちらにもあからさまな肩入れをせず、あえて結論をぼかしているあたりも心にくい。この作品なら、死刑反対派・賛成派どちらにとってもある程度共感できるだろう。

 まあ、ストーリーのところどころに、ご都合主義なところがないでもない。しかし、それは小瑕にすぎず、作品全体は名作と呼ぶに値すると思う。

■関連エントリ→ 坂本敏夫『死刑執行命令』レビュー

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大野一道『「民衆」の発見』


「民衆」の発見 〔ミシュレからペギーへ〕「民衆」の発見 〔ミシュレからペギーへ〕
(2011/12/16)
大野一道

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 大野一道著『「民衆」の発見――ミシュレからペギーへ』(藤原書店/3990円)読了。
 
 書評用読書。フランス革命以後の近代フランスにあって、つねに「民衆」を視野に入れながら、キリスト教的世界観を超える新たな世界観・人間観を模索した6人の思想家の軌跡をたどった論文集。

 俎上に載るのは、ミシュレ、ペギー、キネ、ラマルチーヌ、ルルー、ラムネーの6人。
 ……もっとも、私自身が本書を読む前に知っていたのは、歴史家のミシュレだけ。ほかの5人は正直、誰が誰やらさっぱりわからなかった。私が無教養なだけ?

 そんな状態で臨んでも、いざ書評を書く段になれば、もっともらしく、専門家づらしたエラソーなことを書くのがライターというものである(笑)。

 著者は大著『ミシュレ伝』をものしたこともある、近代フランス文学専攻の中央大学教授。本書でも、ミシュレについて最も多くの紙数を割いて論じている。
 多くの知識人が民衆を軽んじていた時代に、徹して民衆の側に立ち、その著作を通じて熱い民衆讃歌を謳いあげたミシュレの歩みは、感動的だ。

 印象に残ったミシュレの言葉を引く。

 革命は外的なものであってはならない。……革命は人間の奥底にまで行かなくてはならない。魂に働きかけ、意志にまで到達せねばならない。それは意志された革命、心の革命、道徳的宗教的な一つの変形とならなければならない(『学生よ』)


 
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ナショナル・ヘルス『Dreams Wide Awake』


Dreams Wide AwakeDreams Wide Awake
(2011/10/11)
National Health

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 ナショナル・ヘルスの『Dreams Wide Awake』を輸入盤で購入し、ヘピロ中。

 ナショナル・ヘルスは英国のジャズ・ロック・グループ。カンタベリー系ジャズ・ロックの名バンド「ハットフィールド・アンド・ザ・ノース」と「ギルガメッシュ」のメンバー/元メンバーが集った、ある種のスーパー・グループである。

 前から彼らのアルバムが買いたいと思っていたのだが、ファースト『ナショナル・ヘルス』とセカンド『オブ・キューズ・アンド・キュアーズ』を全曲収録したこの2枚組アルバムが廉価で売られているのを知り、さっそくゲットしたしだい。

 これは、ある意味で不思議なコンピレーション・アルバムだ。
 ファーストとセカンドが全曲入った2枚組アルバムなのだから、フツーにファーストとセカンドの2in1セットにすればよいではないか。なのにどういうわけか、ファーストとセカンドの収録曲をわざわざ並べ替えてごちゃまぜに入れ直し、コンピレーション・アルバムの体裁にしているのである。
 いったいなんのために? まあ、ファーストとセカンドを別々に買うよりもかなり割安で買えるのだから、よしとしよう。

 体裁はともあれ、内容は極上。ジャズ・ロック、カンタベリー・ロックが好きな人なら、間違いなく気に入るであろうサウンドだ。

 変幻自在の複雑な構成がなされた万華鏡のごときジャズ・ロックなのだが、全体に上品なユーモアと詩情、浮遊感があふれ、聴いていて心癒される。それに、くり返し聴いてもまったく飽きない。

 一部に女性シンガーによるスキャット風ヴォーカル(声がフローラ・プリムに似ていて、とてもさわやか)などが用いられているほかは、原則インストゥルメンタル。なのに、全編にわたってすこぶる知的な印象を受ける。「歌詞が知的だ」というのとは違い、構成やフレーズなどがいちいち知的で、洗練されているのだ。

 ああ、なんと心地よい音楽。カンタベリー系ジャズ・ロックの中では、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースより好みだな。


↑ファースト所収の「テネモス・ローズ」。まさに「音の万華鏡」。

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佐藤良子『命を守る東京都立川市の自治会』


命を守る東京都立川市の自治会 (廣済堂新書)命を守る東京都立川市の自治会 (廣済堂新書)
(2012/03/22)
佐藤 良子

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 昨日は、企業取材で福岡へ(日帰り)。
 前日の台風、今日の(西日本の)大雨の合間を縫って、快晴のもとで仕事を終えることができた。ラッキー。


 飛行機の中で、佐藤良子(よしこ)著『命を守る東京都立川市の自治会』(廣済堂新書/840円)を読了。

 我が立川市にある「大山団地」(これは通称で、正式には「都営・上砂町1丁目アパート」)の自治会は、「日本一の自治会」として多くのメディアに取り上げられている。
 自治会加入率、役員の定例会出席率100%。2004年から孤独死ゼロを実現。東日本大震災に際しても、震災直後の安否確認や福島からの避難者受け入れに際して、他の模範となる見事な対応をした。

 本書は、13年前から大山自治会の会長を務める著者が、自治会運営の舞台裏を明かしたもの。

 献身的できめ細かい運営に、頭の下がる思いになる。たとえば、著者は自分の携帯を使い、1300世帯の団地住民からの電話を24時間受け入れているという。

 24時間体制だからといって、毎晩電話があるというわけではありません。夜中や明け方にかかってくる電話は、年間100本程度。(中略)連日連夜というわけでもないので、人に言われるほど苦に思ったことはありません。



 ……と、著者はこともなげに言うのだが、いやー、それだけでも十分大変でしょう。

 携帯電話の件はほんの一例で、ほかにも著者は並外れた情熱、知恵と工夫で自治会運営にあたっている。こういう人が会長だからこそ、「日本一の自治会」になったのだ。そして、いうまでもないが、自治会長は基本的にボランティアなのである(年3万円の会長手当が出るだけ)。
 著者のリーダーシップと組織運営術は、まことに素晴らしい。この人なら、中小企業を経営させても成功したことだろう。

 自治会・町内会運営の手本となるのみならず、あらゆる組織のりーダーにとっても参考になる知恵があふれた一書。

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松下竜一『暗闇に耐える思想』


暗闇に耐える思想 松下竜一講演録暗闇に耐える思想 松下竜一講演録
(2012/01)
松下 竜一

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 松下竜一著『暗闇に耐える思想――松下竜一講演録』(花乱社/1470円)読了。

 2004年に世を去った記録文学者(一般には「ノンフィクション作家」として紹介されるが、松下は「記録文学」という呼称にこだわりつづけた)の著者が、生前に行った7つの代表的講演を文章化した本。

 巻頭に、著者が1972年に『朝日新聞』に寄せた随筆「暗闇の思想」が再録されている。
 この随筆は、著者が発電所建設反対運動をつづけるにあたっての基本姿勢を表明したもの。ここに提唱される「暗闇の思想」は、本書に収められた7編の講演をつらぬく思想といってもよい。

 「暗闇の思想」の印象的な一節を引く。

 だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ



 まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破られねばならぬ。ひとつは経済成長に抑制を課すことで、ひとつは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう。
 冗談でなくいいたいのだが、〈停電の日〉をもうけてもいい。勤労にもレジャーにも過熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一度でも、テレビ離れした〈暗闇の思想〉に沈み込み、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。



 いまから40年前に書かれたこの随筆が、福島第一原発の事故後、再び光彩を放ち始めた。半生をかけて発電所建設反対運動・環境権裁判を闘い、反戦・反核・反原発をつらぬいたこの気骨の作家の、再評価の機運が高まってきたのだ。

 収められた講演は、反原発についてだけ語られているわけではない。
 講談社ノンフィクション賞を得た『ルイズ――父に貰いし名は』の主人公・伊藤ルイ(大杉栄・伊藤野枝の遺児)を語った講演もあれば、『峠に拠る』の舞台裏を通じて著者の記録文学に対する姿勢を語った「私はなぜ記録文学を書くか」という講演もある。
 どの講演にも、著者のしなやかな反骨精神、“文は売っても魂は売らぬ”文学者としての矜持が横溢し、さわやかな感動を与える。

 心にしみる言葉が随所にある。以下、そのいくつかを引用する。

 我々は、本当に一人ひとり、無力を極めております。ことに、兵器とか軍とか強大なものの前では、まことに惨めなほど無力であります。ともすれば、そういう自分の弱さに負けそうになります。そういう自分の弱さとの闘いが私たちの闘いでなければならないと思います。




 著者の記録文学をめぐって問題が起こり、関係者から絶版を迫られた際、師匠の上野英信から言われたという言葉――。

「そんなことでうろたえるなら、初めからモノを書くな。自分は地底で働く荒くれ男たちのことをずっと書き続けてきた。何か書くたびに、炭鉱夫が酒を飲んでドスを持って乗り込んでくる。てめぇ、また俺のことを書いたな、と言って枕元にグサリと突き刺す。そうした修羅場をさんざんくぐり抜けてきた。まかり間違えば刺し殺される、そういう覚悟でモノを書け。そうでないなら書くな」



 伊藤ルイがさまざまな集まりに呼ばれた際、子どもを抱えた主婦などから「このまま家庭に埋没していてはいけない、何かしたいと思うんだけど、今の家庭状況では全く動けません。私はどうしたらいいんでしょう」と聞かれると、次のように答えるのが常だったという。

「今はお手上げとしても、あなたの今の怒りや悲しみや憤り、つらさ、そういうものをいっぱい貯め込みなさい。それがいつか弾ける日が来ます。爆発する日が来ます。いかにたくさん貯め込んだかということが、その爆発の大きな基盤になるんです」



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本田直之『ノマドライフ』


ノマドライフ 好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきことノマドライフ 好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと
(2012/03/16)
本田直之

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本田直之著『ノマドライフ――好きな場所に住んで自由に働くために、やっておくべきこと』(朝日新聞出版/1470円)読了。

 私が「ノマドワーキング」なる言葉を初めて知ったのは、佐々木俊尚の『仕事するのにオフィスはいらない――ノマドワーキングのすすめ』(2009年)を読んだときだった。

 以来約3年。目新しかった「ノマド」はあっという間に流行→消費され、昨今では苦笑まじりに口にされる言葉になりつつある。たとえば、『週刊SPA!』5/29・6/5合併号の特集タイトルは、「ノマド入門(笑)」だった。

 が、語としての陳腐化とは裏腹に、広義のノマド志向は着実に世のメインストリームになりつつあるのではないか。

 コワーキングスペースがどうとか、マックブックをもってスタバで仕事するのがカッコイイとか、そういう表層的なことはどうでもいいのだが、「身軽であること、なるべくモノをもたないこと、会社に縛られず自由に働くこと」を志向するノマドの基本的な考え方は、私にも大いに共感できる。世の中がそういう方向に向かうこと自体は大歓迎である。

 だいたい、フリーランサーはみんな「半ノマド」みたいなものだ。私自身、一つの会社に縛られるのがイヤだからフリーで働いているのだし、モノに対する執着もごく薄い。ただし、もっぱら自宅で仕事をしているので、その点でノマドとは言えないが……。

 本書は、『レバレッジ・リーディング』などの『レバレッジ~』シリーズで知られる著者が、おもにサラリーマンに向けて説く“ノマドライフのすすめ”。

 以前『レバレッジ・リーディング』を読んだときに内容の薄さに驚いたものだが、本書もあっという間に読めてしまう薄い(量的にも質的にも)本だ。
 ただ、ノマドライフとはどのようものかを手っ取り早く知るためには悪くない本だと思う。

 一口にノマドワーカーといっても、その内実はピンキリだ。最下層にはフリーターとなんら変わらない「プアーなノマド」がいて、最上層には著者のような「リッチなノマド」がいる。

 著者はハワイと東京に住まいを持ち、昨年の「6割はハワイ、4割は日本、2割をその他の国で過ごし」たのだという(これだと計12割になってしまうが、1割=1ヶ月という意味か)。
 そして、昨年1年間で飛行機で18往復するような移動の多い暮らしをしながら、「会社を経営し、ベンチャー企業への投資育成に携わり、執筆活動を行い、大学などで講演し、ワインの講座をもち、トライアスロンやサーフィンといった趣味も謳歌して」いるのだとか。

 いや~、じつに華麗なノマドライフですなぁ。
 ま、読者が本書に背中を押されて「ノマド」になったとしても、著者のようになれる確率は測定限界以下だろうけど……。

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中村麗『これだけは知っておきたい「名画の常識」』


これだけは知っておきたい「名画の常識」 (小学館101ビジュアル新書)これだけは知っておきたい「名画の常識」 (小学館101ビジュアル新書)
(2012/04/02)
中村 麗

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 中村麗(うらら)著『これだけは知っておきたい「名画の常識」』(小学館101ビジュアル新書/1155円)読了。

 西洋絵画の出発点ともいうべき、15~16世紀の名画の数々を題材に、絵画の常識・約束ごとを紹介した“西洋絵画の見方入門”である。
 当然、多くの絵画がキリスト教の教義(やギリシア神話)にかかわってくるので、“絵画をフィルターにしたキリスト教入門”としても読める。

 この手の「絵画の見方入門」はほかにもたくさんあるが、私には本書がいちばんわかりやすくて面白かった。オールカラーなので、著者が解説する“絵画の仕組み”が目で見てわかるし、見ているだけで愉しい。

 書名のとおり、絵画にくわしい人にとっては本書の内容は「常識」なのだろうが、私にとっては新鮮な知識満載の本であった。

 とくに「へーっ」と思った箇所を引用する。

 西洋絵画に裸体画が多いのは、ルネサンスに生まれた人間の身体に対する「肯定的な表現」によって象徴される、現実世界に対する考え方が、今日に至るまで生き続けているからであり、人間の肉体こそが西洋絵画における唯一の「美の基準」として今日まで認められているからなのだ。
 その卑近な例として、美術学校における裸体デッサンを重視した教育方針を挙げることができる。21世紀というコンピューター・グラフィックス全盛の時代に、美術学校ではなぜ相変わらず裸体デッサンが必須となっているのだろうか。(中略)その真の理由は、人間の肉体(裸体)こそが「美」の唯一の基準であるとするルネサンスの考え方が現在まで継承されているからなのだ。



 一般向けの美術館などなかった当時、教会に掲げられる宗教絵画は民衆と最先端の絵画をつなぐ唯一の接点でもあったわけだが、初めて遠近法を使った絵(マザッチョの『聖三位一体』1427~28)も聖堂壁画であった。

 これまで誰も見たことのない奥行き、初めて見る、まるで壁の向こうに現実に空間が広がっていて、その中に入って行けるかのように見える絵画。これ以降の西洋絵画の、いわば根幹となり大原則ともなった遠近法は、一般市民の目の前で誕生したのだ。それはまさに、時代の大きな変化に立ち会うような、奇跡にも似た衝撃的な出来事だっただろう。



 初めて遠近法に触れて驚嘆する民衆の姿が、目に浮かぶようだ。ちょっと感動的。

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雨宮まみ『女子をこじらせて』


女子をこじらせて女子をこじらせて
(2011/12/05)
雨宮 まみ

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 雨宮まみ著『女子をこじらせて』(ポット出版/1575円)読了。
 
 AVライターの著者が、自らの少女時代から三十路の現在までを振り返った自伝的エッセイ。
 「青春エッセイ」という趣。それも、さわやかで美しい青春ではなく、自分の黒歴史もドロドロした内面も赤裸々に明かした青春エッセイなのだ。
 「ああー! 過去の自分マジで死んでくれ!」というフレーズがツボにはまった。私も自分の若いころを思い出すと、そう叫びたくなることだらけである。

 AV業界、エロ雑誌業界の話も当然ふんだんに出てくるが、それでも女性にも抵抗なく読める感じの本だ。

 頻出する「こじらせ系女子」「こじらせている」という言い方の意味が、本書を通読しても私にはよくわからなかった。
 「童貞をこじらせて」うんぬんという言い方があるから「非モテ女子」のことなのかと思ったら、そうともかぎらないようだ。著者は、少女時代はともかく大学以降はいつも彼氏がいて、けっこうモテてるし……。
 「腐女子」「非モテ」「メンヘラ」――このへんはわかる。でも、「こじらせガール」はそのどれにもあてはまらないようだし。

 「こじらせ」の意味についてはともかく、内容はたいへん面白く、一気読みした。
 著者の文章には終始軽やかな自虐的ユーモアが漂う。自分の内面を視線でグリグリえぐるように見つめ、分析していくくだりが多いのだが、それが重くも自己陶酔的でもなく、笑えるのだ。

 以下、笑える箇所と印象に残った箇所を引用。

 「男にモテたい」なんて、思う余裕もなかった。それ以前に服すら似合わない。オシャレにすらなれない。恋愛や男のことなんて、そういうことをクリアしたあとで考える、雲の上の出来事に思えました。

 

 行くところがなく、諸悪の根源である同郷の彼に会いに行きました。泣いているといきなりナスカの地上絵の写真集を見せられ、「コレを見てると悩みとか全部ちっちゃいことに思えてどうでもよくなるからさ~」と言われました。ナスカの地上絵に恨みはないですが、ぜんぜんどうでもよくはならなかったです。っていうかお前が! 私と! どーすんだっていう話をしてんだよ! 古代人の叡智でごまかすんじゃねえ!



 恋愛をするということは、汚い自分を引き受けることです。まったく汚いところのない恋愛なんて、ない。どこかに必ず汚い自分の影が現れる。そのことを知らずに、自分は童貞だ処女だと、恋愛している人間を恨んだり憎んだりするのは、浅い考えです。汚い自分を他人に見られ、知られ、そういう自分に自分で気づくことは、何も知らずにいるよりもずっときつい。



 AVライターという特殊な分野の仕事を選んだことからくる葛藤を綴ったくだりも、読み応えがある。
 たとえば、こんな一節――。

 ショックな出来事がありました。私を持ち上げてくれる人たちが、私のことを「美人ライター」と呼び始めたのです。(中略)「美人ライター」という言葉は、顔写真を出さないように、女ということが極力目立たないようにと思って仕事をしていた私のせせこましい努力を一瞬で水の泡にする「調子乗ってると思われるワード」でした。(中略)
 応援するつもりで邪魔されている。何が美人だよ、私がAV女優だったらブスって言うだろ、しょせん「ライターはブス」って思ってるから、普通に化粧して女の服着てるだけで「美人美人」ってチヤホヤしてるだけじゃねえかよ、バーカ、と思っていました。
 25年以上もずっと「ブス」と言われ続けてきたのに、手のひらを返したように「美人」と呼ばれることもばかばかしかったし、文章に見た目なんか関係ないのにいちいち見た目のことを言うのも意味がわからなかった。



 なお、巻末に『モテキ』の久保ミツロウと著者の対談が載っており、これもなかなか笑える。
 久保ミツロウは『笑っていいとも!』にゲストで出たときの映像をユーチューブで見て、「この人、女芸人より面白い」と思ったものだが、本書の対談も彼女の個性が全開である。
 誰か、久保ミツロウの語り下ろしエッセイを本にすればいいのに……。

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デイヴィッド・J・リンデン『快感回路』


快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか
(2012/01/20)
デイヴィッド・J・リンデン

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 デイヴィッド・J・リンデン著、岩坂彰訳『快感回路――なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』(河出書房新社/1995円)読了。

 前著『つぎはぎだらけの脳と心』が高く評価された神経科学者の著者(米ジョンズ・ホプキンス大学医学部教授)による、一般向け科学書第2作。私は、池谷裕二さんが『読売新聞』に寄せた書評で興味を抱いて読んでみた。

 タイトルの『快感回路』とは、脳の「報酬系」を指している。さまざまな欲求が満たされたとき(または満たされることがわかったとき)に活性化する神経系で、要はドーパミンとかがドバっと出るあたりのことである。

 本書は、人間をさまざまな行動に駆り立てるこの報酬系の働きについて、最新の研究成果を駆使して解説した科学ノンフィクションだ。
 快感を感じる脳の機序などが随所で解説されるので、そのへんはやや専門的で難しいのだが、それでも私のようなシロウトにも十分楽しめる。目からウロコのトピックが満載なのだ。本文正味200ページちょいなので大著というわけではないが、内容が非常に濃密で読み応えがある。

 薬物(アルコールとニコチンを含む)による快感、食の快感(糖や脂肪たっぶりの高カロリー食で食欲が満たされる快感)、性的快感、ギャンブルの快感については、各一章を割いて詳述されている。当然、快感の裏返しである依存症のメカニズムについても詳説される。
 
 また、第6章「悪徳ばかりが快感ではない」では、ランナーズハイ、善行がもたらす快感、瞑想の快感など、人間ならではの高次な快感のメカニズムに迫っている。
 私にはこの章がいちばん面白かった。たとえば、他人と自分を比べて違いを感じたときにより大きな快感を得ることが科学的に解説されるあたり、じつに興味深い。

 この実験から、社会的な比較が脳の報酬中枢の活動に強く影響することがはっきりした。側坐核は、自分の報酬と隣の人の報酬が大きく食い違ったときに一番強く活性化したのである。(中略)人間は自分の体験や環境を、周囲の人のそれと比較するようにできているように見える。



 私たち人間は、低次のものから高次のものまでさまざまな快感を追い求め、快感に振り回されて生きている。そのことに科学のメスを入れた本書には、ヘタな文学よりよっぽど「人間が描かれている」といえよう。

 最後の第7章「快感の未来」では、テクノロジーと脳科学が進歩した先にある、手軽に脳を操作して快感を得られる(それでいて依存症にならない)未来が展望されている。
 いまは破滅のリスクと引き換えに得ている極限の快感(覚醒剤のもたらす快感など)が、ボタン一つでノーリスクで得られるようになったとしたら……。そのとき、我々の幸福観・人生観は根底から変わってしまうに違いない。

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ボブ・ウェルチ……R.I.P.


French KissFrench Kiss
(1994/04/27)
Bob Welch

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 「ボブ・ウェルチが自宅で拳銃自殺」というニュースに驚く。
 「しかし、いまどきボブ・ウェルチの名を知っている人も少ないだろうな」と思うといっそう悲しくなる。

 上に貼った悪趣味なジャケットのソロ・アルバム(いまならこのジャケ自体がセクハラ)が最大のヒット作で、いちばん知られているだろうが、私にはソロの前にウェルチがやっていた「パリス」のほうが印象が強い。

 パリスはたった2枚のアルバムを残して消滅した短命なバンドで、大した人気も評価も得ることがなかったが、日本では渋谷陽一が入れ込んで大プッシュしたため、渋谷の番組を聴いていたロック・ファンにはなじみ深い。
 サウンドは、ツェッペリンをもっとファッショナブルかつ先鋭的にしたような、風変わりなハード・ロック。


↑パリスのファーストに入っていた「ブラック・ブック」。いま聴いてもカッコイイ。

 私は、ツェッペリンの影響丸見えのファーストも、よりスペイシーでポップになったセカンド『ビッグ・タウン2061』も好きだった。LPで聴きまくったものである。

 ソロになってからのボブ・ウェルチでは、サード・アルバム『ジ・アザー・ワン』がいちばん好きだったが、いまでは入手困難であるようだ。ド派手な『フレンチ・キッス』(ファースト・ソロ)や『スリー・ハーツ』(セカンド・ソロ)とは異なり、これはじつに地味でセピア色な印象のAORアルバムであった。


↑『ジ・アザー・ワン』所収の「フューチャー・ゲームス」。マック時代の名曲の再演。

 ウェルチはまた、渋いブルース・ロック・バンドだったフリートウッド・マックに加入してアメリカ的ポップ・センスを持ち込み、のちにマックがビッグ・スターとなる下地を作った男でもある。

 近年は名前も聞かなかったし、半引退状態だったのだろう。
 かくいう私も忘れかけていた名前だが、一時期よく聴いたアーティストの自殺は悲しい。R.I.P.

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ジェフ・バーリン『ハイ・スタンダーズ』


High StandardsHigh Standards
(2010/05/04)
Jeff Berlin

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 オウムの菊地直子に関する一連の報道を見ていて、『二十歳の原点』の高野悦子を思い出した。
 「2人は似ても似つかないではないか」と言われそうだが、私の中では二重写しになる。
 
 2人の共通項は、「どうしようもなく“恋愛体質”」なところであり、「時代の潮流に流されて、自分に合わない役割を演じた生真面目な女性の悲劇」だという点である。

 以前、当ブログの映画版『二十歳の原点』のレビューで、私は次のように書いた。

 私が思うに、高野悦子という人は典型的な文学少女であって、政治活動になどおよそ不向きな女性だった。しかし、60年代末の熱い「政治の季節」に青春をすごしたばかりに、否応なしに政治の渦に呑み込まれてしまった。そこに悲劇があった。



 菊池直子も、「宗教の季節」であった1990年代初頭の「渦」に巻き込まれてしまったが、本来はカルト宗教の活動家になどおよそ不向きな女性だろう。

 彼女たちには、恋も女であることも捨てて政治や宗教に突っ走ることができなかった。学生運動やカルト宗教の反社会活動の修羅場にあってなお、心の中心には恋愛があった(ように見える)。
 20代前半だった菊池が逃亡オウム幹部たちのアジトから逃げる際、置き忘れていった日記には、他の男性幹部への恋愛感情が綿々と綴られていたという。
 ピンク色のルーズリーフ・ノートに記されていたという、オウム幹部に似つかわしくないその「日記」は、ある意味で“もう一つの『二十歳の原点』”ともいうべきものだ。

 桐野夏生あたりが、菊地直子をモデルに小説を書いてくれないものか。


 ジェフ・バーリンの『ハイ・スタンダーズ』を聴いた。
 凄腕ペーシストが、昨年発表した現時点での最新作。先日ブラッフォードの『グラデュアリー・ゴーイング・トルネード』を聴いて、バーリンのベース・プレイに惚れ直したので、手を伸ばしてみた。

 タイトルどおり、「身も心も」「いつか王子様が」などのスタンダードを多く取り上げている普通のジャズ・アルバム。バーリンが参加した一連のアルバムのようなジャズ・ロック色はない。

 それでも、華麗なテクニックを駆使して弾きまくるバーリンのベースは聴き応え十分だ。
 また、全体に演奏のテンポが速くてスピード感があり、音数も多いので、ふだんあまりジャズを聴かないロック・ファンでも退屈せずに楽しめると思う。

 バーリン以外のメンツは、ピアノとドラムスの2人のみ。ピアノ・トリオでスタンダードを演るとなればウッド・ベースが一般的だが、バーリンは普通の四弦エレクトリック・ベースを弾き倒している。それでいて、ベースの音が周囲から浮いていない。

 しかも、ピアノ担当のリチャード・ドレクスラーはアップライト・ベースも弾ける異能の持ち主で、このアルバムでも曲によって2つを使い分けている。
 そのため、「リチャードがピアノを弾けばピアノ・トリオ、アップライトを弾けばギター・トリオ“風”という具合に、全く違った2つのキャラクターを持つ前代未聞のアンサンブルとなっている」(ライナーの一節)のだ。

 一見普通のスタンダード集でありながら、じつは普通ではない。ゆえに「ハイ・スタンダーズ」。このタイトルには、「技巧を凝らした高度なスタンダード集」というニュアンスも込められているのだろう。

 ベーシストとしてジャコ・パストリアスやスタンリー・クラークと肩を並べてもよいくらいのイノベーター/テクニシャンであるバーリンだが、2人に比べて知名度も低く、明らかに格下の扱いを受けている。
 そうした過小評価の背景について、本作のライナーノーツで坂本信という人が分析している。

 第1に、ウェザー・リポートやリターン・トゥ・フォーエヴァーなどの超一流グループで活躍してきたジャコやスタンと比べ、バーリンが共演してきたビル・ブラッフォードやアラン・ホールズワース、渡辺香津美らは、一般的知名度では劣るという不利があったこと。

 第2に、バーリンは愛息が脳腫瘍になるという悲劇に見舞われ、看病を優先して第一線の活動ができなかった時期があったこと(幸い、息子はのちに病気を克服したという)。

 第3に、もともとバーリン自身に、商業的成功よりミュージシャンとしての成長を優先する傾向があること。
 そのことを雄弁に物語るエピソードがある。バーリンは、人気絶頂時のヴァン・ヘイレンに「ベーシストとして参加しないか」と誘われながら、「いろいろなミュージシャンと共演したいから」という理由であっさりことわってしまったのだそうだ。

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原田ひ香『東京ロンダリング』


東京ロンダリング東京ロンダリング
(2011/07/26)
原田 ひ香

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 原田ひ香著『東京ロンダリング』(集英社/1365円)読了。

 前に読んだ『人生オークション』が面白かったので、次作を読んでみた。
 
 アマゾンのカスタマーレビューの評価がどういうわけか異様に辛いのだが、私は本作も面白く読んだ。
 住人が部屋で自殺/病死するなどした「事故物件」の賃貸不動産に、短期間だけ住んで「ロンダリング」する――それによって、次に住む人に対しては「事故物件の告知義務」がなくなる――仕事(※)に就いた、ワケありのバツイチ女性が主人公。

「事故物件.com」によれば、「悪質な不動産業者では、事故のあった物件に、自社の社員を一定期間住まわせることによって強引に告知義務を消して、元の家賃に戻して販売・賃貸するような会社も存在します。(判例では、この手法は現在では通用しなくなりました。) 」とのこと。ヒロインが就くような職業が現実にあるわけではないだろう。

※後注/上のように書いたところ、「いや、そういう職業は現実にあります。少し前にテレビのニュース番組で紹介されていたのを観ました」という趣旨のコメントをいただきました。


 現代社会の一断面を鮮やかに切り取る設定が卓抜だし、予想できない方向にどんどん転がっていくストーリーがスリリングだ。
 シナリオライターとしても活躍する著者だけに、本作も非常に映像的。てゆーか、よくも悪くもテレビドラマ的。本書をそのままシナリオ化して、NHKで夜10時くらいにやるドラマにできそうだ。

 何より、リーダビリティがずば抜けている。読み始めたら最後のページまで一気に読める感じ。平明で淀みのない“よく流れる文章”と、テンポのよいダイアローグが素晴らしい。

 ただ、読みやすい反面、読後にずしりと心に残るサムシングがないのも事実。この著者がそのような重みを隠し味にできるようになれば、ベストセラー作家に大化けすると思う。

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ブラッフォード『グラデュアリー・ゴーイング・トルネード』


Gradually Going TornadoGradually Going Tornado
(1990/08/30)
BRUFORD

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 今日は、青山のユニバーサル・ミュージック本社にて、12歳の天才ピアニスト・牛田智大(ともはる)くんを取材。


愛の夢~牛田智大デビュー(初回限定盤)(DVD付)愛の夢~牛田智大デビュー(初回限定盤)(DVD付)
(2012/03/14)
牛田智大

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 いやー、地上に舞い降りた天使のような少年でした。
 
 ピアニストとして誰もが認める才能を持ちながら、天才型の人間にありがちな奇矯さや傲慢さが皆無。大人のようにきちんとした敬語をあやつり、ていねいな受け答えをする。考え方もしっかりしているし、絵に描いたような「いい子」。どこへ行ってもみんなに好かれるだろうな、と思わせる。

 こういう子なら敵も作らず、周囲がこぞって力を貸してくれるだろうし、努力家でもあるようだから、今後間違いなく世界的ピアニストに成長していくに違いない。
 いまから10年間キャリアを積み重ねても、まだ22歳(!)。前途洋々であろう。



 ブラッフォードの『グラデュアリー・ゴーイング・トルネード』を、中古で購入。
 ドラマーのビル・ブラッフォードが中心となったブリティッシュ・ジャズ・ロック・バンドが、1980年に発表したサード・アルバム。ブラッフォード名義のラスト・アルバムでもある。

 ブラッフォードのファースト『フィールズ・グッド・トゥ・ミー』(※)とセカンド『ワン・オブ・ア・カインド』は私の愛聴盤だが、本作を1枚通して聴くのは初めて。

※これは厳密にはビル・ブラッフォードのソロアルバムだが、セカンド以降と参加ミュージシャンも重なっているし、バンドとしてのファーストと見なしてもよいだろう。

■関連エントリ→ ブラッフォード『フィールズ・グッド・トゥ・ミー』レビュー

 本作の特長は、ベーシストとして参加しているジェフ・バーリンが、ほぼ半数の曲でヴォーカルも担当している点。そのため、オール・インストだった前作(セカンド)とは、かなり印象が異なる。

 バーリンのヴォーカルはけっしてうまくはないが、素朴な味わいがあって悪くない。
 キャラヴァンやハットフィールド・アンド・ザ・ノースなどのカンタベリー系ジャズ・ロックにはヘタウマ風ヴォーカルが入ったものも多いから、本作は“ブラッフォードのカンタベリー化”という趣もある。カンタベリー系の大物であるデイヴ・スチュワートがキーボードを担当しているし。

 バーリンはヴォーカルのみならず、本分であるベースでも当然大活躍。アラン・ホールズワースのギターが大きな比重を占めていたファースト、セカンドに比べ、本作はベースがサウンドの核を成している。

 私はこれでブラッフォードの遺した3作のスタジオ・アルバムを揃えたことになるが、それぞれ個性があって、甲乙つけがたい出来。3枚ともジャズ・ロック史に輝く傑作だと思う。

 ヴォーカル・チューンが多いこともあり、本作が最もポップな仕上がりだから、ジャズ・ロックにくわしくない一般のロック・ファンには本作がオススメだ。曲も粒揃い。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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