浅田次郎『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』


君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい
(2011/12)
浅田 次郎

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 浅田次郎著『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』(文藝春秋/1470円)読了。

 過去20年の間に書かれた、単行本未収録のエッセイをおもに集めたもの。ゆえに「落ち穂拾い」的印象もあって内容は玉石混交だが、よいエッセイも多い。

 私が浅田のエッセイ集で好きなのは、『勇気凛凛ルリの色』シリーズ(よいのは2巻まで。3巻以後は小説で売れっ子になりすぎたせいか、ガクッと質が落ちる)と『極道放浪記――殺(と)られてたまるか!』シリーズ。
 その2つが基本的にユーモア・エッセイであったのに対し、本書は真面目なエッセイばかりで、笑いの要素はごく少ない。

 タイトルは、浅田が小学生時代に担任教師に言われたという言葉。このタイトルが示すように、小説家としての自分を見つめ直し、振り返るエッセイが多い。また、自作解題的なエッセイもいくつかある。
 作家・浅田次郎その人に関心のある人、もしくは作家志望の人は読むとよいと思う。逆に、浅田のファンではなくたんに「よいエッセイ集が読みたい」と思う読者には、やや物足りない内容かも。

 浅田次郎は天才型の作家ではなく、努力の人、克己の人である。少年時代に作家を志し、営々と文学修行をつづけるも、中年期まで芽が出なかった。作品が初めて商業誌に載ったのは35歳のとき、初の単行本を上梓したのは39歳のときだ。
 本書の各編からは、そこまでの雌伏の日々と、現在もつづけている努力が垣間見える。

 一見して多趣味であり、さまざまの経験をしてきたようでありながら、作家としてデビューするまでの四十年間を顧みれば、読むことと書くことのほかには何もなかった。むろんそれから今日も同様である。このさきもずっと、私から小説を奪ったならば、たぶん骨のかけらも残らない(「『鉄道員』縁起」)



 そして、小説家という仕事の内実が、エッセイの形式で絶妙に表現された一冊でもある。たとえば――。

 この稼業は農耕に似ている。良い種子を手に入れ、選別し、蒔き育て、たゆまずに肥料をやったり雑草をむしったりして、何ヶ月も何年も先の収穫をめざす。その間には日照りも嵐もあるが、意志を失わず、努力を怠ってはならない。実によく似ている。
 似て非なる点といえば、耕作面積も労働力も同じであるにかかわらず、毎年の収穫量が定まらぬことであろう(「豊作」)



 ただ、浅田のもう一つの面である馬券師としての顔があらわれた競馬エッセイも多く、競馬に興味のない私はナナメに読み飛ばしてしまったが……。

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宝彩有菜『楽しもう。瞑想』


楽しもう。瞑想 心に青空が広がる (光文社知恵の森文庫)楽しもう。瞑想 心に青空が広がる (光文社知恵の森文庫)
(2011/10/12)
宝彩有菜

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 宝彩有菜(ほうさい・ありな)著『楽しもう。瞑想――心に青空が広がる』(光文社知恵の森文庫/580円)読了。

 たくさんの著書を出している瞑想家による、自分でできる瞑想入門。

 本書で解説されているのはヨーガに基づく瞑想であり、私ははなからここにあるとおりの瞑想をするつもりはない。「瞑想のメソッドを学ぶことが、祈りを深めるために役立つのではないか」と考えて読んでみたしだい。

 瞑想入門といえば、少年時代、「ビートルズの面々がグル(導師)として崇めた人だから」という理由で、マハリシ・マヘッシ・ヨーギの『超越瞑想入門』というのを読んだことがあったなあ。なんのことやらさっぱりわからなかったけど。
 もっとも、のちにジョンはビートルズの曲「セクシー・セディ」でヨーギを痛烈におちょくったわけだが……。

 本書は、ヨーギの本のような「こけおどしとしての難解さ」の対極にある。わかりやすさと楽しさに好感がもてる本である。
 瞑想時に心で起こっていることを文章化するのはなかなかの難事だろうが、本書は平明な喩えを駆使してその難事を軽々と成し遂げている。

 ただ、本書を読んだだけで著者のような瞑想ができる人は、1万人に1人もいないのではないか。もしいたとしたら、その人は明らかに「瞑想の天才」であって、新しい宗教の教祖になれる資質をもっている。
 意地の悪い見方をすれば、そんなことは百も承知のうえで、著者が主宰する瞑想教室への勧誘ツールとして書かれたのが本書なのかも。

 が、すでにほかの瞑想に取り組んでいる人、もしくは宗教をもっている人が、瞑想や祈りについての理解を深める一助として読むのであれば、なかなか示唆に富む内容だ。

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ネイキッド・アイズ『ベスト・オブ・ネイキッド・アイズ』


The Best of Naked EyesThe Best of Naked Eyes
(1991/04/30)
Naked Eyes

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 ネイキッド・アイズの『ベスト・オブ・ネイキッド・アイズ』を輸入盤で購入。

 ネイキッド・アイズは、1980年代前半にたった2枚のアルバムを遺して解散したエレクトロ・ポップ・デュオ。
 一般には、バート・バカラックのカバー「僕はこんなに(Always Something There to Remind Me)」のヒットのみが知られているだろう。つまり、ありていに言えば「一発屋」なわけだが、ほかにもいい曲がたくさんあって、私は大好きだったのである。

 80年代エレポップというと、いま聴いてみるとチープな電子音が耳障りなだけの狂騒的な曲が少なくない。が、ネイキッド・アイズにはバート・バカラック直系の極上メロディをもった甘く切ない曲が多く、いま聴いても素晴らしい。流行りものというより、エバーグリーンなポップスとして時代を超えて聴き継がれる価値がある。

 とくに、ファースト・アルバムに入っていた「灯が消えるころ(When the Lights Go Out )」は彼らの曲の中で頭一つ抜けた名曲である。



 ところが、2種類ある彼らのベスト盤のうち、手に入りやすいものにはなぜか「灯が消えるころ」が入っていない。そしてもう一種類の「灯が消えるころ」が入っているほうのベスト盤はなぜかいっこうに再発されず、中古市場で高値を呼んでいるのであった。
 そして、彼らのオリジナル・アルバム2枚は、いまに至るも一度もCD化されていないのである。

 私はずっと「灯が消えるころ」が入っているほうのベストが安く再発されるのを待っていたのだが、待ちくたびれたので、入っていないほうのベストを手に入れた。で、「灯が消えるころ」だけをMP3ダウンロードで購入し、それを加えたマイ・ベスト・アルバムを自作したのである。あ~めんどくさい。

 ネイキッド・アイズの2人のうち、キーボード担当の才人ロブ・フィッシャーは、1999年に39歳の若さで病死している。そのためもあって、彼らの音楽はいま聴き直すといっそう哀切な印象を与える。
 能天気に明るい「僕はこんなに」でしか彼らを知らない人には、ぜひベスト盤を聴いてほしい。たとえば、高橋ユキヒロのエレポップ期のソロの切な系名曲(「回想」とか「ドリップ・ドライ・アイズ」とか)を好きな人なら、ネイキッド・アイズも絶対気に入るはず。
 ネイキッド・アイズと80年代のユキヒロのソロ作をつなぐ共通項は、 英国エレポップ界の重鎮トニー・マンスフィールドがプロデュースしていたという点。トニーがやっていたバンド「ニュー・ミュージック(New Musik)」のサウンドも、ネイキッド・アイズにちょっと似ている。

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松尾スズキ・すぎむらしんいち『老人賭博』3巻


老人賭博(3) <完> (モーニング KC)老人賭博(3) <完> (モーニング KC)
(2012/02/23)
すぎむら しんいち

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 松尾スズキ原作・すぎむらしんいち画の『老人賭博』が第3巻をもって完結した。

 予約していた3巻がアマゾンから届き、さっそく堪能。『モーニング』の連載はいつも愛読していたものの、こうして読み返してみると、改めて大傑作だと感じる。

 私はすぎむらしんいちのファンだからひいき目も少しはあるだろうが、このマンガ版は完全に原作を超えていたと思う。
 すぎむらが原作に加えたアレンジの一つひとつが、うまく決まっていた。たとえば、マンガの最終回は丸ごとすぎむらのオリジナルだが、原作の終わり方よりもずっといい。マンガ化の過程で、1+1が10にも20にもなるケミストリーが起こっていたのだ。
 とくに、終盤のすごい盛り上がりは原作を大きく凌駕していた。あまたある「小説を原作にしたマンガ」の中でも、少なくともベストテンには入る秀作だと思う。

 こんなに面白いマンガなのに、『モーニング』誌上では人気がなかったようだ(連載中、載る位置はいつも巻末近くだった)。
 そこで、ささやかながら読者を増やす一助になればと思い、当ブログであえて2回取り上げるしだい。

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北原義典『なぜ、口べたなあの人が、相手の心を動かすのか?』


なぜ、口べたなあの人が、相手の心を動かすのか? (講談社プラスアルファ新書)なぜ、口べたなあの人が、相手の心を動かすのか? (講談社プラスアルファ新書)
(2010/11/19)
北原 義典

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 今日は、都内某所で企業取材。
 行き帰りの電車で、北原義典著『なぜ、口べたなあの人が、相手の心を動かすのか?』(講談社+α新書/880円)を読了。

 この手の本には心理学者が書いたものがよくあるが、本書の著者は日立製作所の研究所に勤務する研究者(工学博士)である。
 音声言語情報処理の研究開発とその応用製品の事業化に携わってきた著者が、その経験をふまえ、よりよいコミュニケーションのための話し方やふるまいについて解説した本なのだ。そのこと自体が新機軸だと思う。

 仕事での研究成果が直接活かされた部分は、たいへん興味深いし、参考になる。
 たとえば、プロのアナウンサーと一般人の話し方はどう違うのかを科学的に分析し、聞きやすい話し方の要諦を抽出したくだりなどである。

 また、うまい(面白い)漫才師と下手な漫才師のしゃべり方を比較し、どこが違うのかを分析した(テレビ番組から調査依頼を受けたのだそうだ)くだりも、なるほどと思った。下手な漫才師はオチの部分を大きい声で強調するのに対し、うまい漫才師はむしろオチをボソッと低い声で言うのだそうだ。

 「ピーク・エンドの法則」や「メラビアンの法則」など、よく知られた心理法則の手際よい解説が随所に盛り込まれ、それが話し方のコツに応用されていくあたりも有益である。

 ただ、本書には一点、大きな難があると感じた。著者は話し方における「笑い」の効用を重視しており、話の中で笑いをとるコツを随所に盛り込んでいるのだが、著者が挙げる例が私にはことごとく笑えないのだ。
 たとえば、自己紹介をする際、自分の名前について次のように説明すると、笑いも取れるうえに印象に残るからすぐに覚えてもらえる、と著者は言う。

田中「『田』は『田舎者』の『田』、『中』は『食中毒』の『中』です」
山本「『山』は『問題山積』の『山』、『本』は『不本意』の『本』です」



 本書で披露される「笑い」は、だいたいこんなレベル。著者は「日本笑い学会」の会員でもあるそうだが、イケてない「ゆうもあ研究会」とかを思わせるセンスである。

 まあ、笑いに関する部分さえ読み流せば、話し方のブラッシュアップには役立つ本だと思う。

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内田樹・名越康文ほか『原発と祈り』


原発と祈り 価値観再生道場 (ダ・ヴィンチブックス)原発と祈り 価値観再生道場 (ダ・ヴィンチブックス)
(2011/12/16)
内田樹×名越康文×橋口いくよ

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 今日は、都内某所で被取材。いつもは取材する側である私が、珍しく某誌に取材されたのである。
 うーん……、取材する側のほうが気楽ですね。
 
 行き帰りの電車で、内田樹・名越康文・橋口いくよ著『原発と祈り――価値観再生道場』(メディアファクトリー/1260円)読了。

 思想家と精神科医の対談に、聞き手/構成者となった小説家の橋口がときどき口を挟む形の本。『ダ・ヴィンチ』連載の単行本化である。

 内容の8割くらいは、とくに根拠のない思いつきだけのヨタ話。ただし、すこぶる知的でハイブラウなヨタ話である。「頭のいい論客同士が酒席で対話したら、こんな感じになるんだろうなあ」と思わせる。

 で、残りの2割くらいに、読む者をハッとさせる卓見がちりばめられている。
 深く共感したのは、著者たちがいずれも祈りというものを肯定的に捉えているところ。

 私が付箋を貼った一節を引く。

名越 (震災被災者への)物理的救済は今盛んにやってるし、これからも当然続けなければならないこと。それに加えて一つ、変なことを言うと思われていいんですけど、僕はアートが必要だと思うんですよね。というのも芸術の本質は「弔い」だと思うからなんです。(中略)
内田 宗教じゃなくって?
名越 でもいきなりは難しいじゃないですか。
内田 哲学もあるよ。まあ、基本的に、人間が作り出したものっていうのは文学にしても美術にしても音楽にしても、根本は弔いだからね。
名越 いやもう、本当にそう思います。
内田 生き残った人間が死んだ人間に対して、鎮魂の儀礼をするっていうのが人間の営みのほとんど、八割ぐらいを占めているんじゃないかな。



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青木保『「文化力」の時代』


「文化力」の時代――21世紀のアジアと日本「文化力」の時代――21世紀のアジアと日本
(2011/12/23)
青木 保

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 青木保著『「文化力」の時代――21世紀のアジアと日本』(岩波書店/2625円)読了。

 書評用読書。文化人類学者で、2007から09年にかけては文化庁長官も務めた著者が、文化の役割を真正面から論じた評論集。

 読む前に想像していたよりもはるかに面白かった。
 面白さの要因の一つは、どの論考も著者の豊富でディープなアジア体験に裏打ちされていること。
 著者は若き日のタイへの研究留学中、「タイのことを本気で研究したいなら僧侶になれ」と現地の友人に言われ、短期ながら僧侶になって僧院生活を送ったという人。しかも、その後の40年間以上にわたって、ほぼ毎年アジア各国に赴き、現地の人々と深い交流を重ねてきたのである。
 そうした長年の観察がベースにあるから、著者の主張はどれ一つとっても机上の空論ではなく、説得力がある。

 ジョセフ・ナイの「ソフト・パワー」論をふまえた「クール・パワー」論(日本はハード・パワーに依存しない冷静な文化力をもつべし、との主張)も、示唆に富んでいる。

 別途書評を書いたのでくわしく紹介できないが、アジア各国の現状と展望に関心が強い人なら一読の価値あり。

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鈴木智彦『ヤクザ1000人に会いました!』


ヤクザ1000人に会いました!ヤクザ1000人に会いました!
(2011/04/08)
鈴木 智彦

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 鈴木智彦著『ヤクザ1000人に会いました!』(宝島社/1200円)読了。

 『潜入ルポ ヤクザの修羅場』がバツグンに面白かった鈴木の、15年のヤクザ取材経験をふまえた「ヤクザの雑学」本。

■関連エントリ→ 鈴木智彦『潜入ルポ ヤクザの修羅場』レビュー

 著者は過去12年にわたり、ヤクザを取材するたびに共通の質問項目を並べた無記名アンケート調査をしてきたのだという。その目標数が1000件。「統計学上信用に足る数値は、1000件のサンプルだから」だ。
 もっとも、本書を書くまでに集まったのは612件だそうだが、対面取材してきたヤクザは1000人を超えているというから、タイトルに嘘はない。

 この手の「ヤクザの雑学」本は過去にもいろいろ出ていて(山平重樹・監修/『週刊大衆』編集部・編の『ヤクザ大辞典』など)、私もいくつか読んでいるが、本書がいちばん面白かった。

 誰にでも読みやすいよう、ヤクザ社会の雑学を集めた形をとったが、既存のヤクザ本より、ずっとまともなドキュメントになったはすだ。



 ……と「まえがき」にあるとおり、類書の多くが「ヤクザ礼賛寄り」であるのに対し、本書はぎりぎりのところまで本音バチバチで書いているし、著者独特の乾いたユーモアが全編にちりばめられていて、なかなか笑える本なのである。

 アンケート調査の集計結果を紹介した第1章が本書の売りなのだろうが、一読者としては、15年の取材経験で得た知識を総動員してヤクザの実像に迫った2章以降のほうが面白かった。

 私が爆笑した一節を引く。

 とある関東の若手組長は、自分が若い衆の刺青を彫るようになった。もともと絵心があって、墨絵や書、水墨画では飽きたらず、ついに刺青を趣味にしたのだ。今ではかなりの腕前で、他団体の若い衆からの依頼もあるらしいが、最初に現場を見せてもらったときは、若い衆に心から同情した。なにせ針の加減が分からないから、若い衆の肌で実験をするのだ。
「てめぇこの野郎、じっとしてやがれ」
「は……はい、でもオヤジ、なんか変じゃないですか。先生のときより、ずいぶん痛いような」
「ガタガタいうんじゃねぇよ。おとなしくしねぇと、ドラえもん彫るぞ!」



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ストラングラーズ『ライヴ Xサーツ』


Live X-Cert (Dig)Live X-Cert (Dig)
(2001/07/11)
Stranglers

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 ストラングラーズの『ライヴ Xサーツ』を輸入盤で購入。

 1979年に出た、初期ストラングラーズの集大成ともいうべきライヴ盤で、当時アナログ盤で聴きまくったアルバム。
 私にとってのストラングラーズは、このアルバムまで。以後現在まで一度も解散せず活動しつづけている彼らではあるが、4thアルバム『レイヴン』以降の彼らにはほとんど興味がない。

 ファーストからサードまでのベスト曲を集めたこのライヴ盤は、「私にとってのストラングラーズ丸かじり」なアルバムなのである。

 アナログ盤のジャケット・デザインは、真っ黒の地の上にオレンジ色でドブネズミのシルエット(初期ストラングラーズのシンボルマーク)がポツンと置かれたもので、デザインはそちらのほうがよかった。が、このCDにはボーナストラック(いずれもライヴ)が7曲も入っているので、内容はこっちのほうが上である。

 ストラングラーズは、演奏の下手なバンドが多かった初期パンクの中では例外的にうまいバンドで、ゆえにライヴも聴き応えがある。「グリップ」「5ミニッツ」「バーニング・アップ・タイム」「ストレイトン・アウト」あたりの曲は、オリジナルのスタジオ・バージョンよりこのアルバムのほうがいい。

 が、演奏より何より、初期の彼らは存在自体がロックそのものだった。とくに、2人のフロントマン、ヒュー・コーンウェルとジャン・ジャック・バーネルの歌声、目つき、面構えは、いずれも「不敵」を絵に描いたようで、見ているだけ、聴いているだけで心が引きしまり、力が湧いてきたものであった。
 久しぶりにこの懐かしいアルバムを聴いて、少年時代のそんな気持ちを思い出した。

■関連エントリ→ ストラングラーズ――「武器としてのロック」

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『冷たい熱帯魚』


冷たい熱帯魚 [DVD]冷たい熱帯魚 [DVD]
(2011/08/02)
吹越満、でんでん 他

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 いまさらながら、『冷たい熱帯魚』をDVDで観た。

 昨今の日本映画界挙げての園子温絶賛の空気は行き過ぎ(過大評価)だと思うが、これと『愛のむきだし』は面白かった。

 でんでんの一世一代の大熱演が、面白さの要素の6割くらいを占めている印象。各種映画賞で助演男優賞総なめのようだが、インパクトからいったら完全に「主演」である。

 この映画が何より恐ろしいのは、でんでん演ずるシリアル・キラーのモデルになった関根元が、ほんとうに「こんな人間」だということ。でんでんが何度も言う「ボデーを透明にする」というセリフはもともと関根の言葉だし……。
 ある面では、関根元のほうがより凶悪でさえある。

 この映画を面白く観られた人(グロ描写に拒絶反応を覚えなかった人)には、心ならずも関根の共犯者になってしまった男(この映画における吹越満の立場)・山崎永幸が書いた手記『共犯者』をぜひオススメしたい。

 以下に、以前私が『共犯者』を読んだときに書いた感想エントリをコピペしておく。



共犯者 (新潮クライムファイル)共犯者 (新潮クライムファイル)
(1999/06)
山崎 永幸

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山崎永幸『共犯者』(新潮社)
 「埼玉愛犬家連続殺人事件」の犯人・関根元について、共犯者として逮捕され服役した著者が書いた衝撃の手記である(といっても、当然ライターが話を聞いてまとめたもの)。

 読み始めたらやめられなくて一気に読んでしまったが、そのあとで気分が悪くなり、読んだことを後悔した。
 とにかく、関根元の殺人鬼ぶりがすさまじいのである。なりふり構わぬ金儲けのためなら、平気で人を殺す。相手がヤクザでも、自らが経営する店で働く店員の母親でも……。そして、殺したあとの死体を妻(共犯で逮捕)と一緒に「解体」して処理する。解体した「肉」を「鹿の肉」と偽って知人に食べさせて悦に入り、女性を殺したときには死姦までする。

 貴志祐介の『黒い家』に出てくるようなサイコパス系シリアル・キラーが、実在したとは……。
 死体解体の場面は桐野夏生の『OUT』を思わせるが、なにしろあっちはフィクション、こっちはまぎれもない現実だ。ヘタなホラー小説が裸足で逃げ出す内容である。 

 関根は著者に、「これまでに35人殺した」と言ったという。著者が裁判でそのことを証言すると、法廷には失笑が漏れた(殺人事件として立件されたのは4件)。しかし、取調べの際に同じことを言っても、刑事は笑わなかったという。「関根の周辺に少なくとも11人の行方不明者がいた」からだ。

 ヒッチコックの『サイコ』のモデルになったエド・ゲインやヘンリー・ルーカス(コイツも『ヘンリー』という映画になった)並みの、犯罪史上に残る殺人鬼である。それにしてはマスコミの騒ぎ方が比較的おとなしかったのは、逮捕直後、阪神大震災と地下鉄サリン事件が相次いで起こったためだ。

 ライターがヘタな小説みたいなタッチでまとめていて、通俗事件読み物の域を出ない本なのだが、究極の悪を垣間見るために一読の価値はある本(ただし、読んで気分が悪くなること請け合い)。

 なお、本書をまとめたライターは現・作家の蓮見圭一。蓮見が『週刊新潮』の記者から作家に転身したあと、幻冬舎は本書を蓮見の著作として売り直した。『悪魔を憐れむ歌』と改題し、まったく別の本であるかのように再刊したのだ。えげつない商売するなあ、幻冬舎。

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石井光太『遺体』


遺体―震災、津波の果てに遺体―震災、津波の果てに
(2011/10)
石井 光太

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 昨日は、東大地震研究所の平田直(なおし)教授を取材。

 地震学に門外漢の当方に、地震発生予測の現状などについて、懇切丁寧に解説してくださった。とても誠実な研究者という印象。教授は最近『週刊文春』などで理不尽なバッシングを受けたが、週刊誌報道で「人をわかったつもり」になってはいけないと、改めて思う。
 また、例の地震予測についても、一部報道は相当偏った伝え方をしていることがよくわかった。


 行き帰りの電車で、石井光太著『遺体――震災、津波の果てに』(講談社/1575円)を読了。

 海外の最貧国ルポで知られる石井が、東日本大震災直後から3ヶ月間にわたって岩手県釜石市で取材をつづけ、書き上げたノンフィクション。

 遺体安置所を主舞台として、地震と津波で命を落とした人々の遺体をめぐるドラマに的を絞っている。
 この設定に、ある種の「あざとさ」を感じないでもない。遺体をめぐるドラマは、震災の出来事のうち最も衝撃的であり、そこだけを凝縮した本作は、いわば「衝撃作となるに決まっている」からである。
 「あざとさ」を、「センセーショナリズム」と言い換えてもよい。石井の過去作でもときどき感じたことだが、彼には人目を引くきわどい場面ばかりを強調して書きたがる癖(へき)がある。その癖は一歩間違えれば、『週刊新潮』的センセーショナリズムに堕してしまうだろう。

 森達也氏らが震災被災地を撮ったドキュメンタリー映画『311』に対して、「遺体を映して金儲けをしている」という批判がなされたそうだが、本書もそのような批判にさらされかねない作品といえよう。

 ……と、読む前にはそのような危惧を抱いていたのだが、読んでみたら煽情的なところは微塵もない真摯な作品であった。

 ずっと自分を主人公にしてノンフィクションを書いてきた石井が、本作では作中の「自分」を消し、三人称で登場人物の心の裡までを描くニュー・ジャーナリズム的手法を用いている。そして、それが十分に奏功している。
 取材は綿密で、読みながら遺体安置所の空気が伝わってくるような臨場感がある。おびただしい遺体に、なんとか人としての尊厳を与えようとする無名の勇者たち――民生委員・市職員・医師・消防団員・自衛隊員・僧侶など――の奮闘が、感動的だ。

 最貧国取材という得意技を封じて主舞台を日本に移しても、石井はノンフィクション作家として立派にやっていける。そのことを証明した力作。

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舘神龍彦『手帳カスタマイズ術』


手帳カスタマイズ術 最強の「マイ手帳」を作る58のヒント手帳カスタマイズ術 最強の「マイ手帳」を作る58のヒント
(2011/12/02)
舘神 龍彦

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 舘神龍彦著『手帳カスタマイズ術――最強の「マイ手帳」を作る58のヒント』(ダイヤモンド社/1575円)読了。

 著者は「手帳評論家」を名乗っている人で、手帳術関連の著作も多い。本書はありそうでなかった、市販の手帳を自分流にカスタマイズして使う方法のガイドである。

 私も、昔システム手帳やシステム・ダイアリー(=「SD手帳」。湯川秀樹も愛用した国産システム手帳の草分け)を使っていた時期には、手帳のカスタマイズにいろいろ凝ったものだった。リフィルをあれこれ自作したり、既成の手帳の「便覧」部分だけを切り取ってシステム・ダイアリーに綴じ込んだり……。

 いまは普通の手帳を使っているからカスタマイズは最小限だが、それでもちまちま工夫して使ってはいる。付箋をインデックスがわりにしたり、切手などを入れるミニポケットを加えたり、ダイアリー欄を見やすく彩るシール類を買ってきて貼ったり……。

 文具好きというのは、そういうちまちましい工夫自体に快感を覚える人間なのである。本書は、その手の人たちにはわりと楽しめる本。

 実用書なのだから手帳カスタマイズ術の紹介に徹すればよいものを、プロローグでは手帳の歴史だとか、手帳カスタマイズの意義の解説だとかの余計な講釈をダラダラやっている。ここはいらなかったと思う。
 あたりまえのことを大仰に述べていて、馬鹿みたいでもある。たとえば、次のような記述がある。

 市販の手帳をベースに作るマイ手帳には、無限の可能性があります。
 (中略)
 スマートフォンと比較しても大きなアドバンテージがあります。電源なしでも利用でき、起動時間はゼロ秒です。(中略)スマートフォンのようなロック解除も不要で、ページをめくるだけで機能を選べます。



 でもまあ、カスタマイズ術を解説した部分には、(手帳好きにとっては)役に立つ情報も多い。

■関連エントリ→ 私の手帳術

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塩川桐子『ふしあな』


ふしあなふしあな
(2009/04/29)
塩川 桐子

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 塩川桐子の『ふしあな』(小池書院/1200円)を読んだ。

 このマンガ家のことはまったく知らなかった。
 一ノ関圭の『茶箱広重』(これはマンガ史上に輝く大傑作)を久々に再読し、同作についてあれこれ検索していたとき、アマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という例のアレで、本作が出てきた。それで興味を抱き、予備知識のないままポチっとして買ってみたのである。

 そうしたら、これが大当り! 短編6編を集めたものだが、6編とも傑作なのだ。
 1990年代に一度単行本化されたものの復刊だという。こんな素晴らしいマンガを知らなかったとはうかつであった。

 カバーでわかるとおり、浮世絵風の絵柄を用いたマンガである。舞台は当然江戸時代で、浮世絵の世界が見事にマンガ化された大人のラブストーリー集となっている。

 「浮世絵風マンガ」の試みといえば、故・杉浦日向子の名作『二つ枕』がまず思い浮かぶ。
 この手の作品のオリジネイターとしての栄誉は杉浦のものだが、作品の質で比べれば、本作は『二つ枕』に勝るとも劣らない。

 『二つ枕』は吉原の遊女の世界を描いた連作だったが、本書が扱う題材はもっと幅広い。武家の恋愛もあれば遊女と職人の恋を描いたものもあり、果ては「衆道」の世界を扱った男同士のラブストーリーまである(これがじつによい。「三島由紀夫に読ませたかった」と思わせる作品だ)。

 浮世絵がそのままマンガになったような絵は、パッと見こそ違和感があるものの、読み始めるとその違和感はすぐに消える。普通の少女マンガを楽しむような感覚で楽しめるのだ(所収作品の初出誌は『プチフラワー』)。江戸言葉を見事に活かしたセリフも、読んでいて小気味よい。

 私がいちばん気に入ったのは、最後の「杜若」(かきつばた)。そのまま映画化したいくらいの素晴らしさだ。

 「この人のほかの著作も読んでみたい」と思ったのだが、なんと、この一冊しか出ていなかった。マンガ家を廃業してしまったわけではなく、年に一作くらいのスローペースで作品を描いているのだそうだ(本書のあとがきマンガによる)。
 恐るべき寡作! とはいえ、年一作ペースだとしても次の本が出せるくらいはもうたまっているはずだし、どこかの版元にぜひ出してほしいところ。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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