コリア、クラーク&ホワイト『フォーエヴァー』


フォーエヴァーフォーエヴァー
(2010/08/25)
スタンリー・クラーク、レニー・ホワイト チック・コリア 他

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 コリア、クラーク&ホワイトの『フォーエヴァー』(ユニバーサルクラシック/3500円)を聴いた。

 チック・コリアとスタンリー・クラーク、レニー・ホワイトの3人からなるユニットのアルバム。
 この3人にアル・ディ・メオラ、もしくはビル・コナーズを加えれば、そっくり第2期リターン・トゥ・フォーエヴァーの布陣になる。要するに、“ギター抜きの第2期RTF復活"ともいうべきアルバムなのである。
 しかも、2枚組のうちのディスク2では、ビル・コナーズが4曲にゲスト参加してギターを弾いている。

 そんなわけで、第2期RTFのようなハードなジャズ・ロックを期待して聴いたのだが、私にとってはちょっと期待外れ。というのも、ジャズ・ロック色はごく薄いからである。
 とくに、3人で行ったワールドツアーからベストテイクを選んだというディスク1は、楽器もすべてアコースティックで、ごく普通のジャズでしかない。

 「でしかない」といっても、ジャズとしてはかなり上質。ストレート・アヘッドなジャズが苦手な私が聴いてさえ、「美しいなあ」と陶然となってしまう音なのだから……。とくに、チック・コリアの澄明なピアノはまことに素晴らしい。
 また、スタンリー・クラークのベースは、ウッド・ベースであってもロック的な力強さをたたえたもので、これも素晴らしい。
 だが、私がこの面々に期待するのはジャズ・ロックであるから、このディスク1は私には退屈だった。

 いっぽう、ディスク2にはわりとジャズ・ロック色の強い曲もあり、第2期RTFの好きな人にも楽しめる。
 こちらのディスクはスタジオ録音で、「アフター・ザ・コズミック・レイン」や「スペース・サーカス」といった第2期RTFのレパートリーも再演している。

 ヴァイオリンのジャン・リュック・ポンティをゲストに迎え、ポンティの曲「ルネッサンス」も演奏しているのだが、これも上々の仕上がり。途中、ヴァイオリンのフレーズをピアノとベースがなぞって追いかける掛け合いがあるのだが、そこがじつにスリリングで美しい。
 ポンティといえばマハヴィシュヌ・オーケストラのメンバーでもあったから、この曲は“第2期RTFとマハヴィシュヌという2大ジャズ・ロック・バンドの夢の合体"という趣でもある。
 また、チャカ・カーンをゲスト・ヴォーカルに迎えての2曲も、ポップで楽しい。

 ライナーによれば、本アルバムはディスク1がメインで、ディスク2はオマケ・特典として作られたのだとか。でも、私にとってはオマケ扱いのディスク2のほうがはるかに聴き応えがあった。

 RTFは2008年に再結成ワールド・ツアーをやったものの、演奏されたのは過去の曲ばかりだったようで、ライヴ盤にもあまり食指が動かない。このアルバムの3人にビル・コナーズを加えた黄金メンバーで、新曲ばかりのRTF復活作を作ってくれないものか。

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深町秋生『アウトバーン』


アウトバーン 組織犯罪対策課 八神瑛子 (幻冬舎文庫)アウトバーン 組織犯罪対策課 八神瑛子 (幻冬舎文庫)
(2011/07/22)
深町 秋生

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 深町秋生著『アウトバーン――組織犯罪対策課 八神瑛子』(幻冬舎文庫/560円)読了。

 シリーズ化を前提として書かれた、「女刑事もの」のハード・アクション・ノベル。
 読んだ人の大半がそう思うだろうが、大沢在昌の『新宿鮫』シリーズを意識して書かれている印象。「あんな大ヒット・シリーズを俺も持ちたいなあ」と、計算ずくのヒット狙い、映像化狙いで作られている感じなのだ(じっさい、すでに13万部を突破したという)。

■参考→ 版元・幻冬舎の本書特設サイト

 『新宿鮫』シリーズは、主人公・鮫島が一匹狼の刑事となるまでの理由づけがしっかりと練られていた(公安内部の暗闘に関する重大な秘密を知ってしまったがゆえに、警察機構内で特異な存在となり、単独行動が黙認されている)わけだが、本シリーズのヒロイン・八神瑛子も鮫島に劣らずキャラが立っている。

 瑛子は愛する夫(ジャーナリスト)が謎の死を遂げ、それを警察が自殺として処理したために、刑事でありながら警察機構全体に根深い不信、ないしは復讐心を抱いている。
 優秀で誠実な刑事だった瑛子は、夫の死を機に人が変わったようになり、裏で悪党と手を結ぶことを厭わなくなった。また、金に困っている同僚刑事に金を貸し付けては、それを餌に手駒として操る。誰もが認める美貌だが、暴力を使うことをためらわず、ヤクザなどを相手にしてもたじろがない。前代未聞のダーティー女刑事なのである。

 瑛子のそうした行動が、私利私欲を満たすためならたんなる悪徳刑事だが、どうもそうではないらしい。彼女は夫を死に至らしめた何者かに復讐するため、手段を選ばず力を蓄えているのではないか? その謎めいた行動の裏にあるものとは? そして、夫の死の真相とは――?

 と、そのように魅力的な謎を物語の基底に据え、キャラの立った登場人物をちりばめて、なかなか読ませるエンタテインメントになっている。

 私はこの著者の作品を読むのがこれで3冊目だが、だんだん力の抜き加減がうまくなってきたというか、ちょうどいい具合の軽さになっている。全体にテレビドラマ的・通俗的で深みはないし、警察内部の描き方も他の警察小説より薄味だが、つかの間の娯楽として楽しむにはこれくらい薄味のほうがいいのだろう。

 読み出したら止まらないジェットコースター感覚は、かなりのもの。私はきっと次作も読むと思う。

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『梁塵秘抄』


梁塵秘抄 (光文社古典新訳文庫)梁塵秘抄 (光文社古典新訳文庫)
(2011/06/14)


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 後白河法皇編纂、川村湊訳『梁塵秘抄』 (光文社古典新訳文庫/820円)読了。

 中世日本の流行歌である「今様」を集めた古典から100の歌を選び、なんと演歌調・ムード歌謡調に“超訳”したもの。もちろん原文も載っているし、曲ごとに短い解説も付されている。

 どんな訳か? たとえば、『梁塵秘抄』に多い「法文歌」(仏教歌)に頻出する「仏」という言葉は「あなた」と訳され、恋の歌に置き換えられている。
「仏は様ざまに在(いま)せども 実(まこと)は一仏なりとかや」が、「わたしには やさしい あなた/でも あなたには いくつもの 顔がある/ほんとうの あなたは ひとりなのに」になるという具合。

 橋本治の『桃尻語訳 枕草子』みたいなものか。
 ちなみに訳者の川村は、以前にも古典新訳文庫で、親鸞の『歎異抄』を関西弁で現代語訳するという試みをしている。

 本書の大胆な訳は賛否両論のようだが、私はどちらかというと「賛」。
 古典新訳文庫はとっつきにくい古典を親しみやすくするためのシリーズなのだろうから、本書の試みは企画意図にぴったり合っていると思う。少なくとも私は、これまで読んだことがなかった『梁塵秘抄』を、本書のおかげでまがりなりにも読めた。

 いまどきのJポップ調ではなく、あえて昭和歌謡のテイストで訳してあるあたりも、キッチュでよい。まあ、悪ノリしすぎな感じの訳も散見されるが……。

 川村自身による各曲の解説も、教科書的な堅苦しさはなく、ウィットに富んだ面白いものになっている。

 それにしても、本書にも多く選ばれている「法文歌」を読むと、中世の庶民の生活にいかに深く仏教が根付いていたかを、改めて思い知らされる。
 いまでいえば、AKB48がヒット曲の中で仏への渇仰を歌っちゃうようなものだろうから……。

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穂村弘『絶叫委員会』


絶叫委員会絶叫委員会
(2010/05)
穂村 弘

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 穂村弘著『絶叫委員会』(筑摩書房/1470円)読了。

 PR誌『ちくま』連載の単行本化。
 書名だけだと、どんな本だかさっぱりわからない。あえて一言で説明するなら、“穂村弘が一人で、エッセイ形式でやった『VOW(バウ)』”みたいな感じの本。

 「VOW」ってあるじゃないですか。『宝島』で長年つづいている(最近また本誌で連載が復活したらしい)読者投稿コーナー。街で見かけたヘンな看板とか、新聞・雑誌のヘンな誤植とか、さまざまな「ヘン」を紹介して笑うやつ。
 本書はあれを、ほむほむが出合った言葉をネタにしてやったような内容なのである。

 もちろん、優れた歌人でもあるほむほむのことだから、「VOW」より知的だし、笑いだけでなくもっと深みもある。

 名言集的なものをやってみようという意図で始めたのですが、実際に書き進むうちに、名言というよりはもう少しナマモノ的な「偶然性による結果的ポエム」についての考察にシフトしていきました。



 「あとがき」にそうあるように、「VOW」的なネタが多く詰め込まれていながら、それが風変わりな詩論にまで発展していく側面もある。その意味では、都築響一の『夜露死苦現代詩』にも近い。

■関連エントリ→ 『夜露死苦現代詩』レビュー

 言葉の魔術師・ほむほむが言葉をテーマにした連作エッセイなのだから、まさに自家薬籠中のもので、つまらないわけがない。ほむほむの数あるエッセイ集の中でも、上質の部類だと思う。私は何度も声を出して笑った。

 笑った(そしてそのあとに「ううむ」と唸った)一節を3つほど引用する。

 以前、「がんばってね」と書くべきところを「がんばってネ」としたために、恋人に振られた男がいる、ときいて震え上がった。「やっぱりおじさんなんだな、と思っちゃって」と振った当人は云っていた。微差だからこそ、そこに越えられない世代の壁を感じたのだろう。
 「がんばってネ」自体は優しい励ましの言葉なのに、振られてしまうなんて。怖ろしい。より親しみを込めるために半歩踏み込んだら、そこに地雷があったのだ。



 半年ほど前に散歩をしていたときのこと。一軒の家の前でこんな貼り紙を見つけた。

「ここに糞をさせたら」

 させたら……、なんなんですか。
 なんとか云ってくれ。
 私は犬なんか飼っていないのに怖かった。



 広告代理店に勤める友人から聞いた話。或る打ち合わせの席上で、クライアントが理不尽なことを云い出した。彼らの意向に従って修正したプランを、前言を覆すかたちで否定されたのである。
 友人は我慢したが、隣にいた同僚は堪えかねて叫んでしまった。

「でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!」

 懸命に踏みとどまろうとする敬語から、煌めく「ふざけんな」の世界に飛翔してしまう動きに感動。



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野村総合研究所『2015年の電子書籍』


2015年の電子書籍2015年の電子書籍
(2011/03/18)
野村総合研究所

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 今日は都内で打ち合わせが一件。 

 行き帰りの電車で、野村総合研究所(前原孝章・川元麻衣子・石田樹生)著『2015年の電子書籍――現状と未来を読む』(東洋経済新報社/1785円)を読了。

 東日本大震災勃発とほぼ同時期に刊行されたため、まるで話題にならなかった不運な本。大震災の衝撃で、電子書籍本(=電子書籍をテーマにした紙の本)ブームなんかどっかいっちゃったからである。

 読んでみれば、電子書籍本としては悪くない出来だ。
 野村総研が作った本なのでもろ「白書」「レポート」っぽい作りで、文章は無味乾燥。佐々木俊尚の『電子書籍の衝撃』のような面白みはまるでない。

 しかし、大手シンクタンクならではの機動力と情報収集力を駆使したデータと分析は詳細で、資料的価値は高い(とくに、第6章の電子書籍市場の日米比較は読みごたえ十分)。
 佐々木俊尚や西田宗千佳の本が、一人で書いたがゆえに「葦の髄から天上を覗く」趣なのに対し、本書は大がかりな調査のもとにまとめられているため、より鳥瞰的・大局的なのだ。

 「教育分野における電子化」「法人内での電子書籍」などという章もある。これらは既成の電子書籍本にはなかった切り口で、本書の独創といえる(私には関心のない領域だけど)。

 私にとっていちばん面白かったのは、最後の第Ⅲ部「電子書籍市場の今後と関連業界への影響」。
 書名にある2015年――4年後の至近未来の電子書籍市場を予測したパートで、未来に希望のもてる内容になっているのだ。

 現時点ではまったく「商売になっていない」日本の電子書籍だが、本書では次のような市場の拡大が予測されている。

 弊社で実施したアンケートをベースに市場規模予測を行った結果、国内の電子書籍コンテンツ市場規模(書籍・雑誌・新聞等の文字コンテンツ)は2015年には250億円を超えると期待される。



 取次業界については、「電子書籍により15%の売り上げ減少がもたらされるとすると、大手3社ですら利益がほとんど出ない構造に陥る可能性がある」と、厳しい未来を予測している。対照的に、出版社については意外に明るい未来を描いているのだ。

 (電子書籍の場合)一点一点の書籍の単位で考えると、損益分岐点は大きく下がると考えられる。すなわち企画数(新刊の数)をさらに増やすことが可能になる。
(中略)
 また、電子書籍化にともない、これまで出版社が取っていた在庫リスクがなくなる(返品の負担を考えなくて良くなる)。したがって、これまで「売れないかもしれない」ということでお蔵入りしてきた企画の出版や、コンテンツの海外販売を実現しやすくすることができる(翻訳のコストはかかってしまうが)。出版した書籍がヒットするかどうかは、ベテラン編集者にも見極めが難しく、しばしば博打にもたとえられる。新刊の数を低リスクで増やせるというのは、出版社のビジネスにとってプラスに働くと考えてよいと思われる。
 また、電子書籍化により書籍の保管にかかる費用が下がるため、絶版という概念を排することができるので、過去の資産(絶版本)を売上げに変えることも可能である



 これらは従来の類書でも挙げられていたことだし、“電子書籍が売れる時代”になって初めて享受できるメリットでもある。が、改めてデータをふまえて白書っぽく言われると、説得力がある。出版社にコバンザメして生きている身としては、希望が湧いてくるのである。

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ジョセフ・ナイ『スマート・パワー』


スマート・パワー―21世紀を支配する新しい力スマート・パワー―21世紀を支配する新しい力
(2011/07/21)
ジョセフ・S・ナイ

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 ジョセフ・S・ナイ著、山岡洋一・藤島京子訳『スマート・パワ――21世紀を支配する新しい力』(日本経済新聞出版社/2100円)読了。

 「ソフト・パワー」という語の提唱者として知られる国際政治学者(ハーバード大学教授)が、ソフト・パワー/ハード・パワーの概念を用いて現今の国際情勢と今後の展望を解説したもの。同じく日経から邦訳が出ているナイの旧著『ソフト・パワー』『リーダー・パワー』につづく、「ソフト・パワー」シリーズ第3弾、という趣の本である。

 書名にいう「スマート・パワー」とはやはりナイの造語で、ソフト・パワーとハード・パワーを組み合わせた力のこと。2つの力を臨機応変に使い分け、状況に対処する外交戦略の謂である。

 「ソフト・パワー」という言葉が人口に膾炙するにつれ、誤解も多くなった。その代表的なものは、「ソフト・パワー=善・先進的」、「ハード・パワー=悪・時代遅れ」とする単純な二分法である。
 提唱者のナイ自身は一度もそんなことを言っていない。彼は、時代の変化につれてソフト・パワーの重要性が高まってきたと主張しているだけで、ハード・パワーがもはや必要ないとも、ソフト・パワーが無条件に善だとも言っていないのだ。
 本書にもこんな一節がある。

 ソフト・パワーは規範的な概念ではなく記述的な概念であり、ほかの力の形態と同じく、良い目的にも悪い目的にも使える。ヒトラー、スターリン、毛沢東は、支持者からみて強力なソフト・パワーをもっていたが、だからといってその力を良い目的のために使ったといえるわけではない。腕をねじあげるより、考え方を変える方が良いとはかぎらないのだ。



 ソフト・パワーとハード・パワーを適宜使い分けて賢明に国を動かしていく「スマート・パワー」の大切さについて、豊富な実例を挙げて説得的に論じた好著。とくに米国のもつ「力」について詳細に論じており、昨今の「アメリカ衰退論」への反論としても読みごたえがある。

 別途書評を書くのでこれ以上くわしく書けないのだが、ソフト・パワー/ハード・パワーについては下の関連エントリをご参照あれ。

■関連エントリ
ジョセフ・ナイ『ソフト・パワー』レビュー
ジョセフ・ナイ『リーダー・パワー』レビュー

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紀田順一郎『東京の下層社会』


東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)
(2000/03)
紀田 順一郎

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 紀田順一郎著『東京の下層社会』(ちくま学芸文庫/998円)読了。

 貧困をテーマにしたルポや論考を意識して読んでいるので、下層社会ルポの古典とされる『日本の下層社会』(横山源之助)や『最暗黒の東京』(松原岩五郎)を読もうと思ったのだが、どちらも旧仮名遣いと旧字バリバリで非常に読みにくく、途中で挫折。

 で、かわりに手を伸ばしたのがこれ。
 現代の評論家であり読書論・書籍論の第一人者である著者が、明治から終戦までの東京の下層社会を扱った著作を渉猟し、そのハイライトを紹介するとともに独自の論考をくわえたものだ。

 当然、『日本の下層社会』や『最暗黒の東京』の読みどころも紹介されている。2つの本に挫折した私にとってはありがたい。

 書物の性格上、引用の多い本ではあるが、“他人のフンドシで相撲をとるお手軽本”という印象はない。隠れた名著の数々を掘り起こす鋭い嗅覚は著者ならではだし、引用の山から独自の論考が紡ぎ出され、完全に“紀田順一郎の著作”に生まれ変わっている。

 明治から昭和初期に至る東京の、スラム(貧民窟)を中心とした貧困層のすさまじい暮らしぶりに圧倒される。それはまさに「この世の地獄」。平成の世の貧困など、比べれば牧歌的に思えてくるほどだ。
 たとえば――。

 大正末期に東京市が調査したところ、木賃宿の個室の八○パーセント強に照明設備がなかった。まして棟割長屋にあっては、無灯火が常識だったのである。その結果どういうことになるかは知れている。暗く狭い長屋に雑魚寝するため早熟な子供が多く、近親相姦も日常茶飯事であったらしい。



 また、「残飯屋」という恐るべき商売が成立するなど、残飯で命をつないでいた人々が、スラム街には数多くいた(ホームレスにかぎらず)ことが明かされている。

 四谷鮫ヶ橋(鮫河橋)と芝新網町、浅草万年町が、明治中盤の東京における「三大スラム街」だったそうだが、そのうち鮫ヶ橋は陸軍士官学校の近くにあり、芝新網町は海軍兵学校に近接していた。軍隊から出る豊富な残飯があったからこそ、2つの町にスラムが形成されたのだという。

 軍隊の残飯、すなわち鎮台飯は良質の上、好不況に無関係な安定的供給源だったので、軍隊から味噌汁のさめない距離を保つことは、福祉なき時代の極貧階級にとって生存のための必要条件だったのである。帝国陸海軍の廃棄物によって、社会の底辺が支えられていたというのは皮肉というほかはないが、当時は軍隊側も残飯の処置に窮していたので、払い下げに協力的だったという。



■参考→ 「鮫河橋と呼ばれるスラムがあった」

 本書は、「福祉なき時代」、(庶民への)教育なき時代の最貧困の実態をつぶさに描き出すことによって、福祉と教育がどれほど大事で有意義かを逆照射した一冊でもある。

 明治から昭和初期にいたるまでの都市救貧事業が、ほとんど寄付その他の好意によって細々とまかなわれているのを見ると、だれしも奇異の念に打たれざるを得ないだろう。これは信じられないことだが、国としての本格的な福祉政策がなく、したがって救貧活動に必要な公的予算の裏付けが存在しなかったためといってよい。



 福祉・救貧政策を「バラマキ」「枯れ木に水」などと呼んで蔑む輩は、本書を読んで、福祉なき社会の貧困がどれほど恐ろしいかを知るべきだろう。
 いや、私だっていまの日本の福祉に欠点がないとは思わないし、「ヤクザが生活保護費を不正受給していた」なんてニュースを聞くとウンザリする。だがそれでも、本書のような「最暗黒」の貧困は、いまの東京にはないだろう。

 古き佳き東京をノスタルジックに描き出す本や映画ばかりが目立つ昨今だが、たまにはこういう「最暗黒の東京」史に触れるのも有意義だろう。

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岩田健太郎『1秒もムダに生きない』


1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方 (光文社新書 525)1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方 (光文社新書 525)
(2011/06/17)
岩田健太郎

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 岩田健太郎著『1秒もムダに生きない――時間の上手な使い方』(光文社新書/798円)読了。

 著者は医師/神戸大学教授で、「感染症界のエース」と呼ばれる人なのだそうだ。超多忙な医療・研究活動の合間に多くの著作をものし、翻訳も手がけている。しかも、私生活では多趣味でもあるのだという。
 そういう人の書いた「時間管理術」の本なら、たしかに読む価値がある気がする。それに、『1秒もムダに生きない』というタイトルはインパクトがあって魅力的だし。

 ……と思って手を伸ばしたのだが、期待外れの内容だった。

 何より、これは実用書というよりエッセイに属する本である。
 見開きに一度くらいの頻度で「僕は」「僕が」が登場し、最初から最後まで「自分語り」がつづく。
 著者なりの「時間の上手な使い方」が微に入り細を穿って披露されてはいるので、「看板に偽りあり」とは言えない。だが、客観的・普遍的な時間管理術を説いた実用書を期待した人にとっては、「なんじゃこりゃ?」である。

 それでも、第1章(全3章)の「時間を削り取る、時間を作る」には、傾聴すべき点もある。
 とくに、“すぐ取りかかれる仕事を常時いくつか用意しておき、そのときの気分でいちばんやりたい仕事からやるのが、けっきょく効率がよい”との指摘には共鳴した。
 つまり、“旧来の時間管理術では「プライオリティー・リストを作り、高い順から仕事を片付けよ」とよく言われるが、そんなことより気分の「ノリ」のほうが大事だ”との主張である。これは、私の経験に照らしてもそのとおりだと思う。

 私の心に残った点は、それくらい。
 第2章「時間を慈しむ」に入ると、ウザイ「自分語り」以外には見るべきものもなく、さっさとナナメ読みしてしまった。
 著者がどんな音楽が好きだとか、どんなふうに洗濯とアイロンがけをしているかとか、どんな小説が好きだとか、どうでもよいことが延々と書きつらねてある。「あんたの趣味や私生活が知りたくてこの本を読んだんじゃねえぞ!」と言いたくなる。

 最後の第3章「私の時間は何ものか」になると、さらに実用性から遠ざかってしまう。この章は著者の(大して深みがあるわけでもない)時間哲学が綴られている。なんだかなあ。

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野口悠紀雄『実力大競争時代の「超」勉強法』


実力大競争時代の「超」勉強法実力大競争時代の「超」勉強法
(2011/04/07)
野口悠紀雄

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 昨日は、午前中に打ち合わせが一件。午後は、赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京でジャーナリストの船橋洋一さん(元『朝日新聞』主筆)を取材。船橋さんとは初対面である。

 船橋さんのかつての著書に『世界ブリーフィング』というのがあったが、まさに現今の国際情勢についての「ブリーフィング」を受けているような取材だった。「なるほど、そういうことだったのか」と、混沌とした国際情勢がすっきりと腑分けされ、頭の中の霧が晴れたよう。一流ジャーナリストには世界がこんなふうにクリアに見えているのだなあ、と感じ入った。



 行き帰りの電車で、野口悠紀雄著『実力大競争時代の「超」勉強法』(幻冬舎/1365円)を読了。
 かつて『「超」勉強法』をベストセラーにしたこともある野口が、「実力大競争時代」の到来を受け、これから必要な“社会人にとっての勉強法”を説いた一冊。

 「実力大競争時代」とは、グローバル化が進み、日本人ビジネスマンも海外からの(とくに中国・韓国の)優秀な人材と同じ土俵で戦わねばならない時代の謂である。
 一流大学を卒業し、一流企業に就職すればある程度安泰な生活が望めた時代とは違い、これからは社会人になってからも絶えざる勉強をつづけなければ、早晩ビジネスの世界で落ちこぼれてしまう、というわけだ。

 そんなことはいまさら言われるまでもないし、類書もすでにたくさんあるわけだが(大前研一の『即戦力の磨き方』など)、それでも本書は読む価値のあるものだった。これからの時代になぜ学びつづけることが必要なのか、どのような勉強が必要なのかが説得的に述べられており、「勉強しなきゃ」と読者の背中を押す効果が高いからだ。

 ただし、「どう勉強すればよいか?」の具体的ノウハウが述べられているのは、第4章の「英語と数学はどんな仕事にも必要」のみ。ほかの章は大局的提言であり、具体的ノウハウを求めて読むと肩透かしを食う。

 野口がエライのは、読者にハッパをかけるのみならず、70歳になったいまも貪欲に学びつづけているところ。最近ではなんと、仕事に直接関係のないロシア語を本気で勉強しているそうだ。そのことをふまえ、野口は次のように言う。

 勉強するのに遅すぎることはない。トルストイは70歳を過ぎてからイタリア語の勉強を始めた。私は、昔この話を聞いて感心したのだが、最近、「なんだ。大したことはない。自分もやっている」と気がついた。



 全編に通奏低音として流れるもう一つのテーマは、“勉強は、じつはすごく楽しい”ということ。
 私も、そう思う。ライターの仕事は一夜漬けの勉強のくり返しであり(広いジャンルの仕事をすればするほど、必然的にそうなる)、私はこの仕事を通じて勉強の楽しさを知った。

 その他、印象に残った一節をメモ。

 高位の仕事ほど、「問題解決」の比重が大きくなる。そして、企業のトップになれば、本来必要とされる仕事のすべてが、問題解決である。



「知らない人ほど理論の力を過大評価する」というのは、本当にそのとおりだ。私は、ファイナンス理論について、つねづねそう感じている。ファイナンス理論を知らない人ほど、「ファイナンス理論を使えば大儲けできる」という妄想に取りつかれている。その結果、「そうしたものを大学で教えるのはケシカラン」という過剰拒否反応になる。しかし、実際のところ、ファイナンス理論にそんな力はないのである。



 学問とは、モデルの探求である。知識の探求ではない。高等教育で行うべきは、本来は、モデル的思考の訓練であり、知識の習得ではない。このことは、検索技術の進歩で知識の獲得が容易になったため、ますます明らかになってきている。(中略)
 学問上の論争は、モデルの正しさをめぐって行われる。
 ある現象を説明するのに、競合するモデルがありうる。どのモデルが正しいかは、先験的には分からない。モデルの正しさは、モデルの結論を実際のデータに照らし合わせることで検証される。モデルの結論と相反する結果が得られれば、モデルは棄却される。「理論」とは、棄却されなかったモデルの体系である。



■関連エントリ→ 野口悠紀雄『超「超」整理法』レビュー

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「キリン本搾り」礼賛


キリン 本搾りチューハイグレープフルーツ 350ML × 24缶キリン 本搾りチューハイグレープフルーツ 350ML × 24缶



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 最近気に入ってます、キリンの缶チューハイ「本搾り」。
 
 これにハマってしまうと、もう「氷結」やら「ストロングゼロ」やらは飲めなくなる、というくらいウマい。
 何がほかの缶チューハイと違うかというと、抜きん出た果汁量である。グレープフルーツの場合、なんと果汁27%!
 ほかのグレフル缶チューハイは果汁量2~数%なので、少なく見積もっても数倍、ヘタすりゃ10倍以上もの果汁が使われているのだ。

 しかも糖類無添加なので、後味もさわやか。端的に言えば、自分でグレープフルーツを搾って家で作ったチューハイのような味わいなのである。

 グレフルとレモンの2種類があって、レモンもうまいのだが、レモンは果汁10%なので、ほかの缶チューハイ・レモンとあまり変わらない。なので、私はもっぱらグレフル本搾りを愛飲している。

 アルコール度数は6%と平均的だが、焼酎ではなくウオッカを使っているためか(「ウォッカなのになぜチューハイなのだろう」という気もするが、ま、細かいことは言いっこなし)、けっこうすぐに酔いが回る。350ml缶を2本飲むと、それでもうほろ酔いかげんになる感じ。なので、コストパフォーマンスも高い。

 本搾りの難点は、売っている店がすごく少ないということ。
 我が家の周辺だと、東急ストアとビックカメラ(の酒販部)にしかなく、しかも品切れになっていることも多い。なので、常時キープしておきたい場合はネット通販でケース買いすべきだろう。

 「本搾り」はもともとはメルシャンの商品だった。2008年にメルシャンのチューハイ・カクテル部門がキリンに吸収され子会社となったため、キリンに販売が引き継がれたものである。

 キリンの缶チューハイ部門にはもともと「氷結」シリーズがあったため、キリンとしては「氷結」の販売に力を注いでおり、その分「本搾り」は冷遇され販路も狭まっている、ということらしい。

 「氷結」などいっそ販売中止にして「本搾り」を主力商品にすればいいのに……と私などは思うわけだが、まあ、そうもいかないのだろう。

 なお、私が「本搾り」に注目したのは、いつも読んでいるブログ「編集者の日々の泡」さんの、一連の本搾り礼賛エントリを読んでのことである。
 「本搾り」に出合わせてくれて、感謝。

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ビル・コナーズ『ステップ・イット』


Step ItStep It
(1994/02/07)
Bill Connors

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 ビル・コナーズの『ステップ・イット』を輸入盤で購入。

 ビル・コナーズは、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」がロック色を強めた第2期の、最初のギタリストだった人。『第7銀河の讃歌』(Hymn of the Seventh Galaxy/1973年)1枚に参加したのみで、当時は新人だったアル・ディ・メオラにギタリストの座を奪われてしまったが(※)、コナーズのギターはそれはそれで素晴らしかった。

※この言い方は、じつは不正確。というのも、コナーズの後釜として、一時期だけアール・クルーがRTFに加入していたから。もっとも、アール・クルーが参加してのアルバムは作られなかったから、どうしても「コナーズがディ・メオラにその座を奪われた」という印象になってしまう。それにしても、ロック路線だった第2期RTFにアール・クルーって、誰がどう考えてもミスキャストだなあ。すぐ脱退したのもうなずける。

 このアルバムは、RTFを辞めてからソロ・アルバムでアコースティック路線に走ったりしていたコナーズが、再びエレクトリック・ギターに回帰した1984年の作品。

 RTF時代には普通にハード・ドライヴィンなギターを弾いていたコナーズだが、本作ではギター・スタイルを一変させ、アラン・ホールズワースに思いきり傾倒。ホールズワースばりの透明感あふれるウネウネ・ギターを弾いている。
 
 バックを固めるのは、トム・ケネディのベースとデイヴ・ウェックルのドラムスのみ。全編シンプルなトリオ編成で、キーボードやホーン類などは一切不使用。よけいな装飾抜きで、ひたすら超絶テクのぶつかり合いを聴かせるジャズ・ロック・アルバムとなっている。
 そのサウンドは流麗にして、知的でストイック。大きめの音でかけていると、心が洗われて雑念が消えていくようだ。


↑アルバムのオープニング曲「Lydia」

 「ここまでアラン・ホールズワースにそっくりでいいのか?」という声もあったようだが、私が思うにホールズワースよりはもう半歩だけロック寄りだ。タイトル・ナンバーのように、渡辺香津美がビル・ブラッフォードとジェフ・バーリンとのトリオで作った名盤『スパイス・オブ・ライフ』(1986年)を彷彿とさせる曲もある。
 てゆーか、時系列からいったら、渡辺香津美が本作に影響されて『スパイス・オブ・ライフ』を作ったのかな?


↑アルバムのタイトル・ナンバー

 いずれにせよ、私の好みど真ん中の大傑作アルバム。買ってよかった。

 なお、YouTubeには本作の全曲が(おそらくは著作権者以外の手によって)アップされている。じつは私も全曲をYouTubeで聴いてから購入した。YouTubeから録音して事足れりとするような真似はしたくないのである。

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鎌田實『なげださない』


なげださない (集英社文庫)なげださない (集英社文庫)
(2011/05/20)
鎌田 實

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 今日は、新宿・京王プラザホテルのラウンジで医師の鎌田實さんを取材。

 鎌田さんの取材は7年ぶり、2度目。我が家は夕食どきに日テレの「news every.」をいつも見ており(なんとなく習慣で)、そこにレギュラーコメンテイターとして鎌田さんが出ておられるので、お久しぶりな感じがしないのであった。

 一昨日書いた『アハメドくんの いのちのリレー』のほか、近刊のエッセイ集『なげださない』(集英社文庫/630円)を読んで臨む。
 2年前に出た単行本の文庫化だが、あたかも東日本大震災をふまえて書かれたものであるかのように、いまの日本で読まれるにふさわしい内容の本だ。

 鎌田さんが出会った、さまざまな困難に直面しながらいのちを投げ出さず、ていねいに生きる人々の物語を10編収めている。

 がんの痛みと闘いながら最後まで歌いつづけたジャズ・シンガー・石野見幸さん。
 阪神大震災で横に寝ていた母を亡くして以来、自分を責めて生きてきた女性。
 ノーマン・カズンズ氏(米国のジャーナリスト)との出会いを機に蘇生した、元「原爆乙女」の女性。
 アルコール依存症で地獄を見ながら、傷ついた子どもたちをカウンセリングするなかで自らも蘇生していった男性etc.

 ……いずれも、“人との絆によって人が蘇生していく物語”といえる。
 『がんばらない』『あきらめない』などに比べると、鎌田さんご自身のことにはあまりウエートが置かれておらず、「語り部」に徹している印象。
 私は、これまでの鎌田さんのエッセイで本書がいちばん好きだ。苦難に直面しても人生を投げ出さず、それでいて「がんばりすぎない」ためのヒントが満載の本である。

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鎌田實『アハメドくんの いのちのリレー』


アハメドくんの いのちのリレーアハメドくんの いのちのリレー
(2011/08/26)
鎌田 實

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 鎌田實著『アハメドくんの いのちのリレー』(集英社/1500円)読了。

 明後日に著者の鎌田さんを取材する予定なので、その準備として最新著作を読んだ。
 
 鎌田さんには『雪とパイナップル』という“ノンフィクション絵本”(実体験に基づく絵本)の著作があるが、本書は“ノンフィクション絵本”の第2弾ともいうべきもの。

■関連エントリ→ 『雪とパイナップル』レビュー

 『雪とパイナップル』は、チェルノブイリの原発事故で「黒い雨」を浴び、白血病で亡くなったベラルーシ共和国の少年・アンドレイをめぐる物語だった。鎌田氏は国際医療ボランティア活動でアンドレイに出会い、治療にも携わった。その体験に基づいた本だったのである。

 本書の主人公は、パレスチナの難民キャンプに暮らしていた少年・アハメド。彼は12歳のとき、イスラエルの兵士に狙撃されて亡くなった。
 狙撃されたとき、運び込まれたのはイスラエルの病院。彼が脳死状態になったとき、父親はイスラエルの医師から臓器提供の提案を受ける。

「提供する側が移植相手を選ぶことはできません。
 国籍も、民族も、宗教も選べない。
 パレスチナ人かもしれないが、イスラエル人かもしれない」



 父は懊悩のすえ、息子の全臓器を提供する決意を告げる。摘出された臓器は6人の患者に移植されたが、レシピエントは全員がイスラエル国籍だった。
 この出来事は、「父は平和願い 敵に臓器提供」と、美談として世界に報じられた。アハメド少年は「殉教者」として英雄視され、パレスチナの町中にポスターが貼られた。

 鎌田さんはアハメド少年の家族を訪ね、彼の臓器を提供された人々や医師たちも訪ねる。その旅を終えて書かれたのが本書なのである。

 文章は詩的で美しく、安藤俊彦の絵も素晴らしい。世界中の人々に読んでほしいとの思いから、ピーター・バラカンによる英訳も付されている(ただし、英文は要点のみの抄訳)。

 深い悲しみのなか、「憎しみの連鎖」を断ち切る決意をし、崇高な行為に踏み切った父親・イスマイルさんの言葉が感動的だ。

「臓器提供は、平和を望むわれわれのシグナルだと思ってほしい」

「大切な人やものを奪われたとき、その相手に報復すれば憎しみの連鎖に巻き込まれてしまう。
武器を手に戦うことばかりが、戦いではありません。
戦い方は、いろいろあるんです」

「海でおぼれている人に
『国籍は?』『民族は?』『宗教は?』
なんて聞かないでしょう?
私はただ、人間として正しいことをしただけです」



 もちろん、長年の間に降り積もった憎しみが、一朝一夕に消えるはずもない。臓器提供を受けた側の家族の中には、「感謝はしても、パレスチナ人とは友達になれない」と言う者もあったという。
 また、アハメド少年の心臓をもらった少女の母親は、次のように言う。

「娘が心臓移植を受けて元気になったとき、
イスマイルさんの家にお礼を言いに行きたかった。
でも、検問所を通れなかった」



 そのような悲しい現実はあれど、イスマイル氏が投じた一石は、世界に大きな波紋を広げつつある。本書も、その波紋をさらに広げていくことだろう。
 『雪とパイナップル』と並んで、後世に残り得る一冊。

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斎藤環・山登敬之『世界一やさしい精神科の本』


世界一やさしい精神科の本 (14歳の世渡り術)世界一やさしい精神科の本 (14歳の世渡り術)
(2011/05/11)
斎藤 環、山登 敬之

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 今日は都内で打ち合わせが一件。

 行き帰りの電車で、斎藤環・山登敬之(やまと・ひろゆき)著『世界一やさしい精神科の本』(河出書房新社/1260円)を読了。

 タイトルのとおり、精神科の代表的疾患について、病態や治療法などがひととおりわかるように作られた入門書である。
 章立ては次のようになっている。

第1章 みんなのように上手にできない―「発達障害」について
第2章 人とつながってさえいれば―「ひきこもり」について
第3章 人づきあいが苦手なんです―「対人恐怖/社会不安障害」について
第4章 やめられない止まらない―「摂食障害」について
第5章 自分がバラバラになっていく―「解離」について
第6章 トラウマは心のどこにある?―「PTSD」について
第7章 「困った人」とどうつきあう?―「人格障害」について
第8章 なぜか体が動かない―「うつ病」について
第9章 意外に身近な心の病―「統合失調症」について



 著者2人は、それぞれ多くの著作を持つ精神科医。とくに斎藤環氏はメディア登場頻度も高いので、よく知られているだろう。私も、前に一度インタビューさせていただいたことがある。
 対談集ではなく、2人の著者が章ごとに分担して執筆している。
 
 「14歳の世渡り術」というシリーズの一冊なので、平明な話し言葉で、中学生が読んでも理解できるように書かれている。
 さりとて、大人が読むにはレベルが低すぎるかといえば、まったくそんなことはない。大人が読んでもためになるし、読み物としても面白い(テーマがテーマだけに、面白がるのはいささか不謹慎だが)。

 私のようなシロウトは、断片的に聞きかじった情報で精神疾患について「知ってるつもり」になりがちだから、本書のような入門書で知識を一からおさらいすることは有意義だ。第一線の現役精神科医が書いているから、最新の治療動向などのトピックも随所に盛り込まれているし……。

 とにかく説明がわかりやすく、そのわかりやすさの中に著者たちの工夫と芸がある。
 たとえば、「解離」と「抑圧」の違いについて、本書では次のような巧みな喩えで説明されている。

 抑圧という方法が、(つらい記憶を/引用者補足)漬物石か何かで上から押さえこんで深く沈めることだとすると、解離というのは、心の中に「壁」をつくって、いくつかの部屋に区切ってしまうことだ。そうやって、ひとつの部屋に悪いものを押しこめてしまうことで、ほかの部屋に影響がいかないようにする、そういう方法だと考えておいてほしい。



 また、精神疾患と治療の歴史についても随所で説明がなされ、精神医学史の平明な概説として読むことも可能になっている。しかも、それが無味乾燥な知識の羅列という感じではなく、楽しく解説されているのだ。
 たとえば、こんな一節――。

 古い辞書だと「二重人格」はあるけれども多重人格は載っていない。昔はジキルとハイドしかいなかったわけだ。それが1990年代からビリー・ミリガンになっちゃったわけだね。最近になって一挙に人数が増えたんだよね、どういうわけか。だから最低でも数人以上はいる。2人だけっていうのはまずないね。僕が知っているなかでいちばんすごかったのは、「私のなかに町があります」っていう人だね。人口何千人かわからないって。あれには、さすがに驚いた。



 過不足ない内容で、なおかつ大人を唸らせる深みもある、上出来の入門書だ。

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松田洋子『ママゴト』


ママゴト 1 (ビームコミックス)ママゴト 1 (ビームコミックス)
(2011/08/25)
松田 洋子

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 松田洋子(ひろこ)が『コミックビーム』に連載中の最新作『ママゴト』の、1巻(エンターブレイン/683円)が出ていたので購入。

 『赤い文化住宅の初子』と『薫の秘話』を読んで、松田洋子がすっかり気に入ってしまった。貧乏な暮らしや底辺の人間群像を描かせたら、当代随一のマンガ家だと思う。

 タナダユキ監督の手で映画化された代表作『赤い文化住宅の初子』は、親のいない貧しい薄幸少女の青春をリリカルに描いた傑作だった。
 この『ママゴト』も、『赤い文化住宅の初子』の延長線上にある作品。ヒロインの映子は現在アラフォーで、地方都市の場末のスナックでママをしている。

 映子には悲しい過去があった。親に捨てられ苛酷な少女時代をすごしたあと、風俗嬢になったものの、客の子を産んだことが原因で店を追われ、ホームレス生活をつづけるうち、赤ん坊を熱中症死させてしまったのだ。
 そのことがトラウマとなり、心を閉ざして普通の幸せに背を向け、男を手玉に取るだけのすさんだ暮らしをしてきた。だが、そんな映子のもとに、風俗嬢時代の唯一の親友が、5歳になる息子・タイジを置き去りにしていってしまう。

 当初は迷惑がるだけだった映子だが、タイジと暮らすうち、そのかわいさ・けなげさに心癒され、心の底に封印した「母としての喜び」を少しずつ思い出していく。しかし、タイジが自分の子ではない以上、2人の暮らしはママゴトのようなものでしかなく、母としての喜びもかりそめのものだ。ゆえにタイトルが「ママゴト」なのである。
 赤の他人同士の“親子ごっこ”のような暮らしは、これからどうなってしまうのか?

 ……と、いうような話。
 どこかジョン・カサヴェテスの映画『グロリア』(1980)を彷彿とさせる。もちろん、『グロリア』のようなドンパチは一切ないのだが。

 コミックス1巻の帯に書かれた、「『いってきます』も『だいすき』も、はじめてでした」というコピーが哀切だ。これは、肉親に愛を注がれた記憶がなく、だからこそ赤ん坊をまともに育てられなかった女性が、20年の時を経てもう一度母親になろうとする物語なのである。

 随所にコミカルな描写やセリフはあるものの、基本は王道メロドラマである。
 泣ける。それもあざとい泣かせではなく、「人間のおぞましさや汚らしさにもきちんと目を向けたうえで、なおかつ人間を愛おしむマンガ」という印象だ。

 松田洋子のこれまでのキャリアで、いちばん一般受けする作品かもしれない。これもタナダユキに映画化してほしい。

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『赤い文化住宅の初子』レビュー
『薫の秘話』レビュー
映画『赤い文化住宅の初子』レビュー

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新居昭乃『ソラノスフィア』


ソラノスフィアソラノスフィア
(2009/04/29)
新居昭乃

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 新居昭乃(あらい・あきの)の『ソラノスフィア』を聴いた。
 2009年に出たものだが、現時点での最新アルバムである。少し前に彼女のベストアルバム『空の森』を中古で買ってみたらすごくよかったので、最新作に手を伸ばしてみたしだい。

 期待した以上によかった。
 1997年に出た『空の森』の収録曲にはどこかニューミュージック的要素が残っていたが、このアルバムはもう完全にヨーロピアン・ポップのイメージ。歌詞は日本語なのに(一曲だけフランス語)、サウンドが日本人離れしている。

 朗々と歌い上げる感じの曲は一つもなくて、全編、ボサノヴァ的なウィスパー・ヴォイスで抑えた歌い方。それが新居昭乃の妖精めいたハイトーンの美声にしっくり合っている。

 ほぼ全曲のアレンジを手がけている保刈久明が、素晴らしい仕事をしている。凝りに凝った複雑・緻密なアレンジなのに、聴く者にはその複雑さを意識させない。すーっと心に流れ込んでくる。エレクトリックとアコースティック、熱いバンド・サウンドと冷んやりした打ち込みが、絶妙のバランスで調合されている。

 1曲目から4曲目までのシークェンスは、非の打ち所がない出来。とくに4曲目「ターミナル」は、いわゆる「神曲」の域である。


↑「ターミナル」。これはライヴ・ヴァージョン。スタジオ版はさらによい。

 その後、アンビエント的で退屈な曲がいくつかあるのが私としては残念だが、アルバム全体としては上出来。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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