内田樹・中沢新一・平川克美『大津波と原発』


大津波と原発大津波と原発
(2011/05/17)
内田 樹、中沢新一 他

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 内田樹・中沢新一・平川克美著『大津波と原発』(朝日新聞出版/777円)読了。

 東日本大震災から3週間後の4月5日に、ユーストリーム配信の番組「ラジオデイズ」のために行われた鼎談をまとめたもの。
 120ページ足らずの薄い本で、小冊子に近い。ボリューム面での物足りなさはあるのだが、内容は刺激的である。

 顔ぶれを見ればわかるとおり、本書の眼目は大震災をめぐる時事的解説にはない。むしろ、その深層にある思想的意味について考えてみよう、という試みなのだ。

 3人のうち、最も示唆に富む発言をくり返しているのが中沢氏で、本書の主役という感じ。
 言いかえれば、東日本大震災の思想的意味とは、人類史的スケールで、しかも宗教的側面からも測られるべきものだということだろう。ゆえに、宗教学者・人類学者・思想家である中沢氏の言葉が、いまこそ生彩を放つのだ。

 本書の圧巻は、「原子力と『神』」というチャプター。
 そこで中沢氏は、原子力という人類にとっての「第七次エネルギー革命」が、「生態圏の完全に外にあるエネルギー源を取りだそうとした」ものであり、「地球生態圏の中に生きていた生き物の体の変成したもの」である石油・石炭などとは次元の異なる意味をもっていたと指摘する。
 「原子力は一神教的技術」であり、日本の多神教文化にはもともとそぐわないものだったのだ、と……(そんなふうに断片的に紹介しても、未読の人には意味不明だろうが)。

 この鼎談をベースに、中沢氏に東日本大震災の思想的意味を深く掘り下げた大著をものしてもらいたい。

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高橋源一郎・内田樹選『嘘みたいな本当の話』


嘘みたいな本当の話 [日本版]ナショナル・ストーリー・プロジェクト嘘みたいな本当の話 [日本版]ナショナル・ストーリー・プロジェクト
(2011/06/23)
内田 樹、 他

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 今日は、都内某所で打ち合わせと取材が各一件。

 打ち合わせは午前10時から。
 朝寝坊の多いフリーライターはふつう「10時ぃ!? 早すぎるだろ」とイヤがる時間設定なのだが、私は大歓迎。むしろ、できることならすべての打ち合わせを午前中で終わらせたいくらい。
 朝に強いというより、午前中にひと仕事終えると、午後から「もうひと一仕事しよう」と思えて得した気分になるから。



 行き帰りの電車で、高橋源一郎・内田樹選『嘘みたいな本当の話――[日本版]ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(イースト・プレス/1050円)を読了。
 作家ポール・オースターがやった『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の日本版を作る、という試みの本である。

 「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」とは、「アメリカのいろいろなふつうの人たちに寄稿してもらったショート・ストーリーのなかから佳作をラジオでポール・オースターが朗読する」というもの。ただし、ショート・ストーリーといっても作り話ではなく、「作り話のように聞こえる実話」ばかりが集められている。
 4000通を超えたというそれらの「ストーリー」を読んで、ポール・オースターは「アメリカが物語を語るのが私には聞こえた」と感慨を述べたとか。

 その日本版を作ろうという公募に1500点近い応募があったなかから、高橋源一郎と内田樹の2人が選者となり、149の実話を選りすぐって編んだのが本書である。

 いちばん短いものはたった1行(!)、長いものでも2ページ程度のごく短い「ストーリー」が、「そっくりな人の話」「ばったり会った話」「あとからぞっとした話」などのタイプ別に分けられ、ずらっと並んでいる。

 市井の人たちの「ちょっといい話」「泣ける実話」などを集めた本はこれまでの日本にもたくさんあったわけだが、それらの類書に比べ、本書の内容は文章も切り口もずいぶん洗練されている。プロの作家が書いた掌編小説のような印象を受けるものも少なくない。

 それは、アマゾンのサイト内に置かれたウェブ文芸誌「マトグロッソ」で公募されたからだろう。読書好きで小説好き、ネットの世界などの最先端にも通じている人たちが多数応募したからこそ、レベルの高いものになったのだ。

 読み出したら最後まで止まらないくらい面白い。「泣ける話」系はごく少なくて、「クスッ」と微苦笑させる話が多い。また、ヘタなホラー小説顔負けの怖い話も少なくない。

 私がいちばん気に入ったセクションは、「犬と猫の話」。
 犬好きと猫好きにはたまらない話が集められている(一つだけサルの話が混入しているが)。

 ストーリーの募集は「マトグロッソ」でいまもつづいているので、手持ちの面白い体験がある人は応募してみるとよいかも。もっとも、掲載されても謝礼は出ないそうだけど……。

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寒川旭『地震の日本史』


地震の日本史―大地は何を語るのか (中公新書)地震の日本史―大地は何を語るのか (中公新書)
(2011/05)
寒川 旭

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 今日は、都内某所で脳科学者(医学博士)の中野信子さんを取材。

 女性の脳科学者自体少ない気もするし、東大出(大学院医学系研究科脳神経医学専攻修了)でしかも美人とあって、今後テレビとかに出るようになったら一気に人気者になりそうな方である。



 行き帰りの電車で、寒川旭(さんがわ・あきら)著『地震の日本史――大地は何を語るのか』(中公新書/861円)を読了。

 地震考古学(考古学と地震学を合わせた新しい学問分野)の提唱者である著者が、これまでの研究をふまえ、縄文時代から現代までの日本史を地震の歴史としてたどったもの。元本は2007年刊だが、これは東日本大震災後に出た増補版。

 日本が世界有数の地震国であることを、我々は知識として知ってはいる。が、本書を読むと、それが改めて実感として迫ってくる。どの時代にも、地震と津波の被害によって多くの人々が塗炭の苦しみをなめてきたのだと……。

 テーマがテーマだけに「面白い」などと言うのははばかられるのだが、不謹慎を承知で言うと、古代から中世あたりまでの記述は退屈。いつごろどんな地震があったかをただ羅列しているだけという感じで、考古学か歴史の教科書のように無味乾燥なのだ。
 私は鎌倉時代の「正嘉の大地震」(日蓮が「立正安国論」を書く契機となった地震)についてくわしく知りたくて本書を手にとったのだが、「正嘉の大地震」については1ページほどしか記述がなくて、ガッカリ。
 まあ、考古学に関心のある読者なら前半部分も面白く読めるのだろうけど……。
 
 第四章「安土桃山時代」あたりから、俄然面白くなる。時代が現在に近づくほど史料が豊富になり、“地震をめぐる人間ドラマ”を描くことが可能となるからだろう。地震と鯰を結びつけて語った最古の史料は豊臣秀吉の手紙である、などという知識が得られるのも愉しい。

 あの山内一豊夫妻は、地震で6歳の一人娘を喪ったのだという。そのようなエピソードを通じて、日本人が昔から地震がもたらす悲しみと隣り合わせで生きてきたことがよくわかる。

 原発という言葉は2回くらいしか出てこないが、それでも本書を読むと、「こんな地震国に54基も原発を作るなんて、やっばり狂気の沙汰だよなあ」と感じざるを得ない。

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『ザ・ベスト・オブ・アンドリュー・ゴールド』


Thank You for Being a Friend: Best of by Andrew GoldThank You for Being a Friend: Best of by Andrew Gold
(1997/06/24)
Andrew Gold

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 今日は取材で朝から茨城県古河市へ。

 茨城を中心に、北関東一円に店舗を広げる和食ファミレス「ばんどう太郎」の社長さんを取材。朴訥さと飾らない謙虚さの底に情熱を秘めた、魅力的な経営者であった。



 家に帰ったら、アマゾンに注文しておいた『ザ・ベスト・オブ・アンドリュー・ゴールド』(輸入盤)が届いていたので、聴き倒す。

 アンドリュー・ゴールドは、1977年の大ヒット「ロンリー・ボーイ」(全米7位)でその名を知られるアメリカのシンガー・ソングライター/ミュージシャン。
 「ロンリー・ボーイ」以外にこれといった大ヒットはなく、ありていにいえば「アメリカの一発屋」である。

 彼は今年6月3日、心臓発作のため59歳の若さで急逝した。
 私はその訃報に接し、「ロンリー・ボーイ」が大好きだった少年時代をしみじみ思い出したのであった。

 私が洋楽を意識的に聴き始めたのが1976~77年ごろ。そのころ、よりたくさんの洋楽を知るために毎日聴いていたAMラジオの「FEN」(現・AFN)でヘビー・ローテーションだった曲の一つが、この「ロンリー・ボーイ」であった。
 いま聴き返しても、70年代ポップス屈指の名曲だと思う。
 印象的なピアノ・リフ、清冽なメロディー、伸びと深みのあるヴォーカル、凝りに凝ったドラマティックなアレンジ、リンダ・ロンシュタットのバック・ヴォーカル……どこをとっても非の打ち所がない、まさにパーフェクトな一曲である。



 「ロンリー・ボーイ」ばかりが目立ってしまうアンドリュー・ゴールドの軌跡だが、このベスト・アルバムを聴くと、ほかにもいい曲てんこ盛りである。
 1950~60年代のアメリカン・ポップス黄金時代の甘くドリーミーなポップスをベースに、70年代ポップス独特の切なさと苦さを加え、ウェストコースト・ロックのフィーリングをスパイスとしてふりかけたのがアンドリュー・ゴールドの音楽だと言えよう。

 目立たない人ではあったが、まぎれもなく、アメリカ最高の「ポップス職人」の一人であった(ソングライターとしてのみならず、スタジオ・ミュージシャンとしても一流。一時期は矢沢永吉のバック・バンドに参加したり、アルバムのプロデュースをしたりもしていた)。R.I.P.

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蛭田亜紗子『自縄自縛の私』


自縄自縛の私自縄自縛の私
(2010/09)
蛭田 亜紗子

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 蛭田(ひるた)亜紗子著『自縄自縛の私』(新潮社/1470円)読了。

 「女による女のためのR-18文学賞」の大賞を受賞した表題作を含む短編集である。収録作5編はいずれも女性を主人公にしたエロティックな小説なのだが、面白いのは、5人のヒロインがそれぞれ個性豊かな「変態」であるところ(笑)。
 表題作はセルフ・ボンデージ(自分で自分を縛って快感を得る)にのめりこむOLの物語だし、ほかの作品も、ラバースーツ・フェチの売れないモデルやら、ゴミ・フェチの女子大生やらが主人公になっている。

 こうした設定を面白いと感じるのは、「変態=男」というイメージが私にはあったから。
 電車で痴漢する男は多くても痴女はごくまれだろうし、異性の下着を盗んで集めるのも男だけだろうし、変態というのは基本的に「男の世界」なのではないか(私は変態じゃないからよく知らんけどw)。
 それをあえて女性の世界に持ち込み、それでいてポルノ目線ではないところが、本作の独創性なのである。

 が、その独創性が作品の価値に結びついているかといえば、やや疑問。かなり玉石混淆の短編集で、著者の資質があまり活かされていない気がした。
 収録作5編を私が評価するなら……(エラソーですいません)。

「自縄自縛の私」――これは面白かった。傑作。短編としての完成度も高い。

「祈りは冷凍庫へ」――思いつきだけの駄作。しかも、その思いつきが悪趣味の極み(読めばわかる)。

「ラバーズ・ラヴァー」――表題作の次によい。ヒロインが自室でラバースーツを着てすごす間の心理描写が秀逸。ただ、表題作の二番煎じ感は拭えない(セルフ・ボンデージをラバースーツに置き換えただけ)。

「明日の私は私に背く」――たんなるポルノ。表題作は文学的香気を放っていたのに、これは男のポルノ作家が書きそうな下世話な内容。

「ごみの、蜜」――部分的にはよいのだが、ヒロインがゴミ・フェチであるという設定と、高校時代にフラれた元カレをストーカー的に想いつづけているという設定を両方詰め込んだのが失敗。話がどっちつかずで混乱している。

 ……と、いろいろケチもつけてしまったが、文章はすごくうまいし、磨けば光る原石の輝きは感じる(またエラソーに)。
 著者が自分のサイトで書いている日記の文章を読んでの印象として、こういうエロティックなものより、平安寿子みたいなユーモア小説のほうが合っている気がする。

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デヴィッド・シルヴィアン『ブリリアント・トゥリーズ』ほか


Classic AlbumsClassic Albums
(2011/06/27)
David Sylvian

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 デヴィッド・シルヴィアンの初期ソロ・アルバム――『ブリリアント・トゥリーズ』と『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』をカップリングした2枚組セット(輸入盤)を購入。

 『ブリリアント・トゥリーズ』は発表当時、アナログ盤で聴きまくったアルバム。「CDで買い直したいなあ」と思って検索したら、この2枚組セットが1枚ものと変わらない値段で出ているのを見つけ、ゲット。『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』も『ブリリアント・トゥリーズ』と並び称される傑作だから、1000円ちょっとで2枚手に入るのはお買い得。

 ジャパンのアルバムをいま聴くと、「よくも悪くも80年代っぽさ全開だなあ」という感じを受ける。対照的に、ジャパン解散後に世に問うたこの2作は、ジャンルも時代も超越した傑作だ。いま聴いても少しも古さを感じさせない。

 『ブリリアント・トゥリーズ』では「レッド・ギター」、『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』では「オルフェウス」のような比較的ポップな曲もあるものの、全体としてはすこぶる地味で静謐な印象の作品。しかし、聴き込むほどに滋味が増してきて、何度聴いても飽きない。





 『ブリリアント・トゥリーズ』に人を寄せ付けない孤高の印象があるのに対し、『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』はリリカルで優しい。私は『ブリリアント・トゥリーズ』のほうが好みだが、この2枚がいずれ劣らぬ傑作であることを認むるにやぶさかではない。

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小出裕章『原発のウソ』


原発のウソ (扶桑社新書)原発のウソ (扶桑社新書)
(2011/06/01)
小出 裕章

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 小出裕章著『原発のウソ』(扶桑社新書/777円)読了。

 原子力の専門家としての立場から、原発の危険性を訴えつづけてきた著者(京大原子炉実験所 助教)が、福島原発事故以降の現状をふまえ、日本の原発問題の歴史・現状・展望を手際よく概説した一冊。

 反原発の理論的支柱として、「3・11」以降一躍「時の人」となった小出氏の著書を初めて読んだ。反原発の書にありがちなヒステリックな印象はなく、静かな怒りを孕みながらも冷静で論理的な内容である。

 講演やインタビューを再構成したものなので、内容はすこぶる平明。高度な知識が、中学生にもわかるように語られている。
 たとえば、政府や電力会社が「MOX燃料」(ウランとプルトニウムの混合酸化物燃料)を「全炉の3分の1まで入れても安全だ」と説明していることについて、著者は次のように批判する。

 それはもともと危険な原子炉をさらに危険にする行為です。
 例えるならば、灯油ストーブでガソリンを燃やそうとする行為に似ています。灯油に1%のガソリンを入れてもたぶん動いてくれるでしょうが、5%、10%とガソリンの割合を増やしていけば、いつか大火災が発生してしまうでしょう。



 科学啓蒙書として非常によくできた良書で、全国民必読と言いたいほどだが、読んでいてだんだん鬱になってくる本でもある。
 よくまあ、こんなに恐ろしい原発にこれまで依存しきってきたものである。ゾッとする。54基の原発は日本国民の頭上に吊るされた「ダモクレスの剣」であり、日本の経済的繁栄の薄氷一枚下には地獄が口をあけていたのだ。

■関連サイト→ 小出裕章(京大助教)非公式まとめ

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杉作J太郎『杉作J太郎が考えたこと』


杉作J太郎が考えたこと杉作J太郎が考えたこと
(2011/05/23)
杉作 J太郎

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 杉作J太郎著『杉作J太郎が考えたこと』(青林工藝舎/1050円)読了。
 劇画誌『アックス』に長期連載されているエッセイ「ふんどしのはらわた」の、過去10年分の単行本化。

 まあ、エッセイというほど高尚なものではない(失礼!)。10年余にわたる杉作J太郎の悪戦苦闘(「男の墓場プロダクション」を作って映画を自主制作したり、綾波レイに惚れ込むあまりエヴァンゲリオンのパチンコにのめり込んだり、鬱になったり)の日々が、素のまま赤裸々に綴られているだけだ。

 「綴られている」というか、文体から察するに、編集者かライターを相手に話したことをまとめてもらった感じ。ゆえに、杉作J太郎の不思議な話芸の面白さが、文章を通じて堪能できる。

 内容は、十のうち九まではどうでもいいクダラナイ話。しかし残りの約一割に、思わずメモしたくなるような珠玉の名言がちりばめられている。
 その一割の中には、根本敬の諸作に見られるような「反対側に突き抜けてしまった」人の凄みがある。いまではその日暮らしに近い貧しい暮らしをしているらしい杉作の生き方の中に、凡人にははかり知れぬ深い何かを感じてしまうのだ。「この人こそ、現代日本には稀有な真の自由人ではないか」と思わせるような……。

 私が思わず唸った、杉作J太郎のある種すがすがしい達観が炸裂する一節を、いくつか引いてみよう――。

 モノを作って「みんなに見て欲しい」ってのがそもそもどうかしてるんです。見て欲しいとか自分の考えを伝えたいとかならメジャーでやりゃイイ! こっちはどうしようもなく、止むに止まれずやってるんですから! 旧『ガロ』の思想ってのはそういうもんデショ。



 モテたところでお金が減る一方だしネッ! モテない自分が、モテないことによって自分自身を経済的に支えてるんですッ!



 ボクなんか、他に売るものがないですから、自分で店出して自分を売ってるわけです。殴られ屋みたいなもんでしょうけどね。



 結局悩んでる状態ってのは停滞してるわけじゃなくて、次のアクションのために精神はものすごく生き生きとしてる状態なんでしょうね。太陽の下でボール追いかけたりしてるのが生き生きした状態と思ってたら大間違いですよ。そんなの犬でもできますから。それよりも人間、悩んでる状態のほうが実は絶対、かえって生きてるって証なんじゃないかと。



 こないだも編集の人に会ったら、「ガンかも知れない」っていうんです。「来週入院して検査するんで、もうお会いするのも最後かも」って。それ聞いて「ふざけるな!」ってことになりまして。いや、実際にそうはいいませんけど気持ち的にね。ガンかも知れないっていう今、逆に元気を出さなくてどうする。病気の状態は、野球でいえば十対二くらいでリードされてるようなもんですよ。八点負けてるんだから、それを挽回するためには落ち込んでる暇なんかない! 今こそ、水島新司さんの野球マンガくらい荒唐無稽な展開で攻めないと勝てませんよ。



 何かに行き詰まるのって大抵、自分で自分を規制しちゃって逃げ場をなくしてるんですよ。自分の中の縛りさえなくせば脱出は簡単でしょ。



 選択肢がないというのは意外とストレスが溜まらないのかもしれません。会社で上司に怒られてストレスが溜まるのは「辞める」って選択肢があるからじゃないか。



 失礼を承知で言えば「どこから見ても負け組」な感じの杉作が、己がマイナスポイントをすべてエネルギーに転化して、やりたいことをやるために怒濤の前進をしていくさまが痛快だ。根本敬の言う「でも、やるんだよ」のスピリットが、本書にも横溢しているのである。

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西村賢太『寒灯』


寒灯寒灯
(2011/06)
西村 賢太

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 西村賢太著『寒灯』(新潮社/1365円)読了。

 芥川賞受賞第1作となった表題作を含む最新短編集。収録作4編はいずれも例の「秋恵シリーズ」――同棲していた女性との暮らしに材をとったもの――である。

 そのうち3編はこれまで同様、主人公(作者の分身)がささいなことで秋恵に対してブチキレ、暴言を吐いたり暴力をふるったりして修羅場となるストーリー。
 なじみの読者から見ると、主人公がブチキレる瞬間がクライマックスで、そこに至るまでのじわじわと進む盛り上がりが、ジェットコースターがゆっくり坂をのぼるプロセスのように思える。

 西村の高い筆力ゆえ、他愛ない話でもそれなりに読ませるが、さすがにもう飽きた。
 くだんの女性と暮らした期間は1年余だそうだし、たったそれだけの生活でたくさんの短編が書けたのだから、もういいんじゃないのと言いたくなる。おいしいネタから先に小説化しているだろうから、だんだん出がらしみたいになってきたし。

 残りの1編――最後に収録された「腐泥の果実」では、現在の西村(作中では北町貫多)が秋恵との同棲生活を思い出す未練たらたらの姿が描かれる。文中に秋恵への「惜別の辞」めいた言葉がちりばめられており、「お、もしかしてこれで秋恵シリーズは打ち止めかな?」と思わせる。

 まあ、あとは秋恵が他の男のもとに走って西村を捨てる“クライマックス”が書かれずに残っているけれど……。

 それにしても、秋恵シリーズを読むたびに思うことだが、秋恵という人はなんとよくできた女性であることか。こんな身勝手なサイテー男を相手に、よくまあ1年以上もガマンしたものである。
 秋恵は東北出身だと作中に書かれているが、東北女性の美点を一身に体現したような女性だと思う。

 こんなサイテー男のサイテーな行状を書きつらねた小説が面白いのだから、文学ってつくづく不思議だ。

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大前研一『日本復興計画』


日本復興計画 Japan;The Road to Recovery日本復興計画 Japan;The Road to Recovery
(2011/04/28)
大前 研一

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 大前研一著『日本復興計画』(文藝春秋/1200円)読了。

 東日本大震災直後にYouTubeを通して広まり、話題をまいた「大前研一ライブ」の内容をベースにした本。



 MITの原子力工学科で博士号を取り、日立で原子炉プラントの設計に携わったという経歴の持ち主だけに、原発事故についての解説は鋭い。3月13日(つまり福島第一原発の水素爆発の翌日)の段階で現状をほぼ正確に見通していたことに驚かされる。
 私も「大前研一ライブ」をYouTubeで観たクチだが、それでも、本として新たに読み直すだけの価値があった。

 ただ、本書の大半は原発事故の解説と原子力政策の展望に割かれているので、『日本復興計画』というタイトルはいささか羊頭狗肉と感じた。正味120ページほどの薄い本だから、復興を論じた部分も駆け足で食い足りないし……。

 あと、大震災の3ヶ月前に出た前著『お金の流れが変わった!』で、大前は“日本の優れた原発技術を海外に輸出して大きな利益を上げよ”とか、「首都圏近郊に原発を作れ」などと提言しているのだが、そのことについてのエクスキューズが本書に絶無なのはいかがなものか。
 本書の印税は放棄して復興に役立てるそうだから、そのこと自体がエクスキューズの意味をもっているのかもしれないが。

■関連エントリ→ 『お金の流れが変わった!』レビュー

 ……とまあ、そのように小瑕のある本ではあるが、傾聴に値する卓見も多い。

 たとえば、「誰も気づいていないことだが、実は世界の中で日本だけが二十年間貧乏になり続けている」との指摘(110ページ)には唸った。

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ツトム・ヤマシタ『Complete Go Sessions』



 ツトム・ヤマシタの『Complete Go Sessions』を輸入盤で購入。

 ツトム・ヤマシタは日本人だが、彼と奥さん(ヴァイオリンで参加)以外のミュージシャンはみな西洋人だし、内容からいっても日本のロックの枠にはとうてい収まらない世界レベルの作品である。

 日本が生んだ世界的パーカッショニスト/作曲家/キーボーディストであるツトム・ヤマシタは、1976年から77年にかけて「GOプロジェクト」なるものを展開。世界的ロック/ジャズ・ミュージシャンたちとともに、『GO』『GO LIVE』『GO TOO』という3作のアルバムを作り上げた。

 参加したのは、スティーヴ・ウィンウッド、マイケル・シュリーブ(元サンタナ)、クラウス・シュルツェ(元タンジェリン・ドリーム)、アル・ディ・メオラら、脈絡のよくわからない、ジャンルを超えた一流ミュージシャンたち。

 この『Complete Go Sessions』は、『GO』『GO LIVE』(これはライヴ・アルバム)『GO TOO』の3枚のアルバムを2枚のCDにすべて収めたセットである。
 DISC1とDISC2にライヴ・アルバムの曲が半分ずつ入っているという強引な構成だが、1枚分の価格で3枚分の内容(トータル・タイム145分!『GO LIVE』はアナログ盤では2枚組だったので、LPなら4枚分)が手に入るので、たいへんお買い得ではある(※)。

※ただ、このCDには一つ難点がある。元のアナログ盤のA面・B面がそれぞれ1曲扱いになっており、その面にたとえ何曲入っていてもトラックナンバーが入っていないのだ(なぜか『GO TOO』分だけ、トラックナンバーが入っている)。どうしてそんな作りにしたのか、理解に苦しむ。

 便宜上「プログレ」のカテゴリーに入れたが、プログレの枠には収まりきらない幅広い音楽性をもつ作品である。基本はスケールの大きいスペイシーなロックだが、変幻自在の曲調は、ときにファンキー、ときにソウルフル、ときにハイパー・テクニカル・フュージョン的。語の本来の意味で「クロスオーバー」と呼びたい、ジャンルを超越したロックなのだ。

 映像喚起力の強いインスト・チューンと、ポップで聴きやすいヴォーカル・チューンが交互に登場する。
 『GO』と『GO LIVE』のメイン・ヴォーカルはスティーヴ・ウィンウッドで、彼の歌声はやはり素晴らしい。ヴォーカリストとしての底力を見せつけた感じ。


↑ウィンウッドのヴォーカルが心地よい「WINNER/LOSER」(ライヴ・ヴァージョン)

 『GO TOO』ではジェス・ローデンとリンダ・ルイスがヴォーカルをつとめていて、こちらもソウルフルで悪くない。

 最初の『GO』はプログレ色が濃いのに対し、翌年の『GO TOO』はぐっとフュージョン寄りになり、ファンキーになる。好みが分かれるところだろうが、私は『GO TOO』のほうが好きだな。

 『GO TOO』で見せた先鋭的クロスオーバー感覚は、いま思えば、日本のクロスオーバーの精華たる渡辺香津美の『KYLYN』(1979)に先駆けたものでもあった。じっさい、渡辺や坂本龍一らが「KYLYNプロジェクト」をやるにあたって、ツトム・ヤマシタの「GOプロジェクト」から影響を受けた面もあるのではないかと推察する。

 たしかこのシリーズには『GO ON』(だったかな? うろ覚え)という最終作が予定されていたと記憶しているが、それはけっきょく出ないままで終わってしまった。いまからでも出して欲しいところだが、こんな豪華メンバーが揃うのはもう無理だろうな。
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『カルメン・マキ/ブルース・クリエイション』


BLUES CREATIONBLUES CREATION
(1993/11/21)
カルメン・マキ/ブルース・クリエイション

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 『カルメン・マキ/ブルース・クリエイション』を中古で購入。
 1971年のアルバムで、アイドルだったカルメン・マキが、女性ロッカーとしての第一歩を印した記念碑的作品。つまり「カルメン・マキ&OZ」結成以前のアルバムである。

 バックをつとめるブルース・クリエイションは、かの「クリエイション」の前身。名ギタリスト竹田和夫率いる、日本のハード・ロック・バンドの草分けだ。
 つまりこれは、日本の女性ロッカーの草分けが、日本のハード・ロック・バンドの草分けとがっぷり四つに組んだアルバムなのである。

 「時には母のない子のように」が大ヒットして時代の寵児となったカルメン・マキは、アイドルとしての生活に嫌気がさしていたころ、ジャニス・ジョプリンの歌を聴いて衝撃を受け、ロックの世界にのめりこむ。そして、自らスターの座を捨て、女性ロッカーとして歩み始めたのであった。

 というわけで、本作にも「ジャニスのようになりたい」というカルメン・マキの思いがあふれんばかり。音のほうはジャニスよりもハード・ロック寄りだが、全曲英詞であることもあって、バラード・ナンバーになると「ジャニスが降りてきている」という感じ。

 カルメン・マキのヴォーカルは、マキオズ以降のドスの効いた声にはまだなりきっておらず、ところどころかわいらしい。アイドル時代の尻尾が残っている。それでも魂のこもった熱唱で、十分に素晴らしい。とくに、ラストの「セント・ジェームス病院」のヴォーカルは鳥肌もの。

 トラディショナルの「マザーレス・チャイルド」をハード・ロックにアレンジして取り上げていたりして、カバー曲も面白いのだが、全8曲中5曲を占める竹田和夫のオリジナル曲が素晴らしい。日本のロック黎明期(なにしろ40年も前である)に、ここまで本場のロックに肉薄したのはすごい。

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『滝田ゆう傑作選 「もう一度、昭和」』 


滝田ゆう傑作選「もう一度、昭和」 (祥伝社新書)滝田ゆう傑作選「もう一度、昭和」 (祥伝社新書)
(2007/12/15)
滝田 ゆう

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 昨日は確定申告書を(いまごろ)税務署に提出してから、明治大学国際総合研究所で宗教学者・人類学者の中沢新一さんを取材。中沢さんとは初対面。とてもダンディな方である。



 帰りの電車で、『滝田ゆう傑作選 「もう一度、昭和」』(祥伝社新書/798円)を読む。
 滝田ゆうの作品から、とくに「昭和の香り」がするものをセレクトしたアンソロジー、という趣。2007年に出たものだから、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズのヒットによる昭和回顧ブームの便乗本というところか。

 滝田の代表作『寺島町奇譚』はマンガ史に残る名作だと思う私だが、ほかの滝田作品はあまり読んでいない。家にあるのは『寺島町奇譚』のほか、『滝田ゆう落語劇場』と『滝田ゆう名作劇場』(これは昭和40年代あたりの人気作家たちの短編小説をマンガ化したアンソロジーで、なかなかよい)だけだ。

 本書は『寺島町奇譚』から4編、『泥鰌庵閑話(どぜうあんつれづればなし)』から7編、『滝田ゆう歌謡劇場』から5編を選んで編まれている。『泥鰌庵閑話』と『滝田ゆう歌謡劇場』は読んだことがなかったので、楽しめた。

 『泥鰌庵閑話』は、『寺島町奇譚』同様自伝的な内容。
 『寺島町奇譚』は自らの少年時代をモデルにしていたのに対し、『泥鰌庵閑話』は中年になってからの滝田自身がモデルになっている(と思う)。主人公のマンガ家のなにげない日常が、いまでいうエッセイ・マンガ風に描かれている。
 『滝田ゆう歌謡劇場』は、昭和の名曲歌謡曲をモチーフにした淡いタッチの人情もの。

 『泥鰌庵閑話』の一編「カストリゲンさん」に、強烈な印象を受けた。これは、主人公の中年マンガ家が少年時代を回想した作品。すなわち、“『寺島町奇譚』アナザー・ストーリー”という趣の短編なのだ。
 姉と想いを寄せ合っていた青年「ゲンさん」の無惨な晩年(学徒兵として出征し、戦地で受けた衝撃からか、帰ってきてからアル中になってしまう)を、主人公は苦く思い起こす。哀切な一編である。

 滝田ゆう入門としては好適な一冊。これを読んでビビッときたら、『寺島町奇譚』全編をぜひ。
 私も、ほかの滝田作品が読んでみたくなった。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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タイトルの由来

●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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