渡部昇一『知的余生の方法』


知的余生の方法 (新潮新書)知的余生の方法 (新潮新書)
(2010/11)
渡部 昇一

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 水曜日は赤坂の「シナリオ会館」で、映画監督の新藤兼人さんを取材。新藤さんは美しいお孫さん・新藤風さん(彼女も映画監督)に付き添われてのご登場。現在98歳だが、お元気である。

 で、木曜から今日までは取材で秋田県へ――。三泊四日の長い地方取材は久々だ。
 おりしも秋田は「5年ぶりの大雪」に見舞われていて、どこへ行っても一面雪景色であった。空港までのリムジンバスなんて、前が真っ白でほとんど何も見えず、乗っているこちらがヒヤヒヤしたほど。



 行き帰りの飛行機や電車で何冊か本を読んだので、1冊ずつ感想をアップしよう。
 まず、渡部昇一の『知的余生の方法』(新潮新書/756円)の感想から。

 タイトルが示すとおり、35年前のミリオンセラー『知的生活の方法』の“余生版”だ。つまり、すでに傘寿を超えた渡部が、定年後・老後に知的生活を満喫するための心構えを説いたもの。

 「『知的生活の方法』を愛読していた」などと言ったら知的な印象を与えないだろうし(笑)、世のインテリ方からは馬鹿にされそうだ。呉智英が最初期の著作で、『知的生活の方法』を「チホー」と略しておちょくっていたのを思い出す。

 が、じつは私は少年時代に『知的生活の方法』を読んで、けっこう影響も受けたのだ。頼山陽が「汝草木と同じく朽ちんと欲するか」と書いた紙を机の前に貼って勉学に励んだ、という話を同書で読んで、真似して勉強机の前に貼ったりした。
 渡部昇一の思想的偏りはさておき、『知的生活の方法』は呉智英が言うほど悪書ではないと思う。

 ただ、本書には、昔『知的生活の方法』を読んだときに受けたような感銘はまったくなかった。私が読むには早すぎるということもあろうが、その点を差し引いても、かなり中身の薄い本だという印象。

 そもそも、著者が読者として想定しているのは勝ち組シニア層であるらしく、下々の者には別世界って感じの話がたくさん出てくる。
 たとえば、“「余生を田舎で優雅に暮らそう」と考える人は多いが、都会で不自由なく暮らしているなら、いまの住まいをもっと快適にリフォームすることを考えたほうがよい”と、著者は言う。だが、家一つ持てずにカツカツの年金生活をするしかない層の「知的余生」については、はなから眼中にないのである。

 第一章の「年齢を重ねて学ぶことについて」だけは、生涯学びつづけることの尊さを熱く説いて、一読の価値がある。しかしあとの章は、ありふれたアドバイスが多かったり、著者の思想的偏りがモロに出ていたりして、いただけない。たとえば――。

 韓国のベストセラーには、日本人から見ると荒唐無稽の噴飯物が多いが、少なくとも韓国人が日本に深い怨念を持ち、日本を軍事占領したいという欲求をもっているくらいのことはわかる。



 この手の記述に反発を感じ始めると、あとはもうまともに読む気が失せてしまう本。

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長谷川博一『殺人者はいかに誕生したか』


殺人者はいかに誕生したか―「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く殺人者はいかに誕生したか―「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く
(2010/11)
長谷川 博一

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 長谷川博一著『殺人者はいかに誕生したか――「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く』(新潮社/1680円)読了。

 臨床心理士にして大学教授の著者は、よく知られた殺人事件の犯人と、心理鑑定などを通じて「獄中対話」をくり返してきた。その対話に基づき、犯行の心理的背景を探っていく本(一部は虐待致死事件)。

 登場するのは、宅間守・宮崎勤・前上博・畠山鈴香・小林薫・金川真大・山口県光市母子殺人事件の「元少年」など。
 秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大についての章もあるのだが、10人のうち加藤についてのみ、現時点で著者は面会していない(今後面会を行ないたい旨が記される)。

 版元が新潮社であることもあって、『新潮45』がよくやるような煽情的な「殺人ポルノ」(殺人事件の詳細を、ポルノを楽しむように楽しむ目的で書かれた下世話な読み物)ではないかという危惧もあったのだが、読んでみたらすこぶる真摯な内容だった。

 殺人者たちと対話した記録としても高い価値があるし、日本の刑事訴訟のあり方についての提言としても傾聴に値する部分が多い。
 たとえば、著者は次のように言う。

 社会が抱く大きな誤解は、「刑事裁判によって事件の真相が明らかにされる」という思い込みです。事件事実だけでなく、犯人の動機、そしてどうしてこのような悲劇が起きたのかという原因の究明……。残念なことに、これらを明らかにすることを裁判は目指してはいないのです。
 量刑判断――。
 これが刑事裁判の意味だということを、鑑定に携わるようになってはじめて知った時、私はおおいに落胆したのでした。量刑を判断する上で専門家による調査(各種鑑定)がなされることがあります。しかしそれは真実の究明を目的としているのではなく、あくまでも判決を決める裁判の一プロセスに過ぎず、場合によっては判断材料とすることがあるという程度のものでした。



 たとえ真実を察していたとしても、検察官も弁護人も、それぞれの立場から不利なことには触れません。いったん主張したら、あとには引けないという勝ち負けの世界。検察官は有罪かつ重い判決を、弁護人はその逆を目指します。



 10編それぞれ読みごたえがあるのだが、圧巻は前上博(自殺サイト連続殺人事件の被告。すでに死刑執行)の章と金川真大(土浦無差別殺傷事件の被告)の章。2つの章とも、不謹慎を承知でいえば、文学的感動すら覚える。殺人者という「人間の究極」の心に分け入ることで、優れた文学がそうであるように「人間が描かれている」のである。

 著者は、よくある「人権派」のように加害者側に一方的に肩入れするわけではなく、あくまで中立的な立場を保っている。そのうえで、どれほど凶悪な殺人者の心にも人間性の輝きがあることを信じ、殺人に至った心の軌跡を丹念に読み解いていく。その読み解きのプロセスが、前上、金川の2人についてはとくに印象的なのだ。

 金川真大は、死刑になって死にたいからという理不尽な理由で無差別に殺人を犯し、裁判で「被害者の気持ちは考えないのか」と質問され、「ライオンがシマウマを襲うときに何か考えますか?」と答えたことで知られる。
 著者は、人の感情をもたないモンスターのように見える金川との面会をくり返し、その「感情の否認」が特異な生育歴から生まれた「病的な防衛機制」だと看破していく。そして、彼に宛てた手紙の中で、「ライオンの心がわかった」「金川真大こそがシマウマだった」と記すのだ。

 登場する10人のうち、宮崎勤を除く9人は明らかな崩壊家庭に育っている。親から虐待を受けつづけて育ったり、家族がバラバラで完全に絆が断ち切られていたり……。そのことに、改めて慄然とさせられる。 

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新藤兼人『生きているかぎり』/『一枚のハガキ』


生きているかぎり―私の履歴書生きているかぎり―私の履歴書
(2008/05)
新藤 兼人

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 新藤兼人著『生きているかぎり――私の履歴書』(日本経済新聞出版社/1785円)読了。

 日本最高齢の映画監督(今年の誕生日で99歳!)が、『日本経済新聞』の看板連載「私の履歴書」の一編として書いたものの単行本化である。来週新藤監督を取材する予定なので、その準備として読んだ。

 また、今夏に一般公開予定の新藤監督の最新作(にして、「最後の作品」であると監督自身が明言している)『一枚のハガキ』を、サンプルDVDをお借りして観た。

 『一枚のハガキ』は、監督自らの海軍二等兵時代の忘れ得ぬ記憶を元にした、ある種の反戦映画である。ゆえに、『生きているかぎり』を読んでから観ると感動が倍加する。大竹しのぶが演ずるヒロイン――戦争に翻弄されながらもたくましく生き抜く農婦――には監督の母上の姿が投影されているのだろうし、主人公の復員兵(豊川悦司)には若き日の監督自身が投影されている。

 大竹しのぶの演技がすごい。彼女が名優であるのはいまに始まったことではないが、改めてすごいと感じた。今年の賞レースで主演女優賞を総ナメしても不思議ではない熱演である。

 反戦映画のヒロインといえばとかく聖女のごときイメージで描かれがちだが、本作で大竹が演じる農婦は違う。生々しくも「女」であり、ドロドロした情念も持っている。あくまで生身の人間として描かれている。だからこそ、彼女の戦争への怒り、戦死した夫への思慕が、いっそう観る者の胸に迫るのだ。

 『生きているかぎり』は、印象的なエピソード満載でバツグンの面白さだった。新藤監督の歩みをフィルターとした日本映画史としても出色だし、故・乙羽信子との愛情など、ラブストーリーとしても感動的。『ゲゲゲの女房』がヒットしたことだし、朝の連続テレビ小説にしてもよいのではないかと思った。

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坂本敏夫『死刑執行命令』


死刑執行命令―死刑はいかに執行されるのか死刑執行命令―死刑はいかに執行されるのか
(2010/11)
坂本 敏夫

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 坂本敏夫著『死刑執行命令――死刑はいかに執行されるのか』(日本文芸社/1575円)読了。

 元刑務官で、死刑執行にも携わってきたノンフィクション作家が、経験をふまえて日本の死刑制度の現実をさまざまな角度から解き明かした本。
 随所で小説風の構成がとられており、わかりやすい。ただし、小説風のパートも内容はすべて「事実と関係者の証言、もしくは私の体験に基づいている」という。

 全6章のうち、第1章は永山則夫のこと、第5章は冤罪被害者・免田栄さんのことにそれぞれ一章が割かれている。2人とも、日本の死刑制度について論ずるうえで避けては通れない存在なのである。

 永山則夫の章では、死刑執行時の模様(おそらく、内部資料か関係者の証言に基づいているのだろう)についての詳細な記述がショッキングだ。永山は延々一時間にわたって徹底的に抵抗したため、「制圧」されたときには全身傷だらけの状態であったという。そのため、遺体は火葬され遺骨とされてから遠藤誠弁護士に引き渡されたのだ。

 残りの4章では、刑務官や教誨師らと死刑囚のふれあいがリアルに描かれ、死刑執行に携わる側の心理状態がつぶさにわかるように構成されている。

 たとえば、こんな一節がある。

 死刑囚は処刑の日まで、心身共に健康に生きていてもらわなければならない。具体的に言えば、自殺させない、病気にさせない、狂わせない、ということである。
 拘置所側のそうした、ある意味では『弱み』というようなものを死刑囚も十分承知している。彼らは、拘置所幹部のやり方をじっと見ている。
「どうせ俺は殺されるんだ。おとなしく殺されてやるから命ある間は大事にしろよ」
「その気になれば、むずかしいことを言って拘置所をガタガタにしてやるぞ」
 ズバリとは言わないが、言外に匂わせる。  ※太字強調は原文ママ



 この一節の巧まざるアイロニーの、なんと痛烈なこと。 
 『モリのアサガオ』という、刑務官と死刑囚を描いた素晴らしいマンガがあったが、本書にはそのリアル版という趣もある。ちなみに、著者はテレビドラマ版『モリのアサガオ』の刑務監修も手がけたそうだ。

 全編を通じて、著者はいささか死刑囚に同情的すぎる気がする。まあ、共に過ごす時間が長ければ、相手が死刑囚であろうと情がわくのは人間として当然だろうが。
 ただし、著者は死刑制度反対派ではなく、「死刑制度はあるが死刑の執行が停止されている。そんな状態が最も誇るべき姿だと私は考える」(「エピローグ」の末尾の一文)との立場だ。

 その立場の是非はさておき、死刑に関する著者の主張には首肯できるものが多い。たとえば――。

 現在の死刑執行は執行直前の言い渡しをするように統一されている。いわばだまし討ちみたいなものだ。
 絞首という方法が残虐か否かという議論があるが、死の準備をさせないことこそが残虐であると、私は思ったものだ。

 
  
 そして、執行を直前に言い渡すのは、通告後に取り乱した対象者がトラブルを起こしたら、拘置所側の責任問題になるからなのだろう。

 本書によれば、死刑執行を経験したことを機にうつ病などで心を病む刑務官が、少なからず存在するらしい。それはそうだろうな、と思う(刑務官でさえそうなのだから、裁判員制度の中で素人が死刑判決を下す羽目になった場合、トラウマになるだろうと心配になる)。
 
 ただ、本書にある、「皆、刑務官の仕事に死刑を執行することがあるとは知らずに採用試験を受けたのだろう。牧村自身もそうだった」という一節には首をかしげた。採用試験を受けるならそれくらい知っておけよ、と言いたくなる。刑務官が執行しないなら、いったい誰が執行すると思っていたのか。

 ともあれ、日本の死刑制度の現実を知るために、死刑賛成派も反対派も一読の価値はある本だ。著者も本書で言うとおり、「死刑のあり方・存廃を論じるのは死刑確定囚の処遇がどのように行なわれているか熟知した上で行なうべき」なのだから。現実を見ずに机上の空論で論じてはならない問題だと思う。

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『スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング上原ひろみ』


スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみスタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみ
(2010/06/02)
スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみ、シェリル・ベンティーン 他

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 『スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング上原ひろみ』(ユニバーサル)を聴いた。スタンリーと上原の共演は『ジャズ・イン・ザ・ガーデン』(2009年)につづき2作連続。……なのだそうだが、あいにく私は『ジャズ・イン・ザ・ガーデン』は未聴。

 前作はストレート・アヘッドなジャズ・アルバムだったとのことだが、本作は思いっきりジャズ・ロック寄り。私は、上原ひろみのアルバムではジャズ・ロック全開だった『タイム・コントロール』がいちばん好きだ。ゆえに、本作も好みど真ん中。
 
 本作は、スタンリーとレニー・ホワイト(ドラムス)のコ・プロデュース作品。
 スタンリーとレニーのコンビといえば、第2期リターン・トゥ・フォーエヴァーの鉄壁のリズム・セクションであり、アルバム1枚を遺しただけで終わったジャズ・ロック・バンド「ヴァーチュ(VERTU’)」を作ったコンビでもある。
 ジャズ・ロック/ハード・フュージョン界の重鎮2人が、若き天才Hiromiに胸を貸した感じのアルバムだ(ただし、レニーは本作ではドラムスを叩いておらず、プロデュースに徹している)。

■収録曲目
1. ソルジャー
2. フラニ
3. ヒアズ・ホワイ・ティアーズ・ドライ
4. アイ・ワナ・プレイ・フォー・ユー・トゥー
5. ベース・フォーク・ソング No.10
6. ノー・ミステリー
7. ハウ・イズ・ザ・ウェザー・アップ・ゼア?
8. ラリー・ハズ・トラベルド・11マイルス・アンド・ウェイテッド・ア・ライフタイム・フォー・ザ・リターン・オブ・ヴィシュヌズ・レポート
9. ラビリンス
10. ソニー・ロリンズ
11. ベース・フォーク・ソング No.6 (モー・アナム・カラ)
12. サムウェア



 上原が参加しているのは6曲目以降なのだが、そこからのほうが前半よりもはるかにいきいきとしている。彼女のピアノが加わったとたん、音がさっと色鮮やかになる感じ。「胸を貸したつもり」の上原ひろみに、大物2人がすっかり食われている。

 M6「ノー・ミステリー」は、言わずと知れたRTFの曲。つづくM7も、曲名が変えてあるものの、RTFの「アフター・ザ・コズミック・レイン」をアレンジしたもの。
 M8はオリジナルだが、ジャズ・ロック/フュージョンの名グループの名が織り込まれた長い曲名が示すとおり、王道ジャズ・ロック。どの曲も、上原ひろみがスタンリーらに対等に伍している。

 そして、何より素晴らしいのが、上原が寄せた新曲「ラビリンス」。
 これはジャズ・ロックというより、ジャズと印象主義クラシックを混ぜ合わせてロックのスパイスをふりかけたような曲。ライナーノーツで成田正が「どこか切迫した感じのリリシズム」という言葉でこの曲を評しているが、まさに言い得て妙。上原ひろみ以外には誰もこんな曲を書けないし、弾けない。流麗無比で、ぞくぞくするほど美しい。


 
 スタンリー・クラークのアルバムでいちばん輝いているのがゲストの上原の曲だというのは皮肉だが、私たちにとっては誇らしいことでもある。

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米田綱路『モスクワの孤独』


モスクワの孤独―「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィアモスクワの孤独―「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア
(2010/02)
米田 綱路

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 西村賢太の芥川賞受賞は、最近珍しい痛快事であった。これまでの彼の全著作を読んでいる私も、まさか芥川賞をとれるとは思っていなかった。ファンであればあるほど――つまり西村の作風をよく知っている者ほど、「ま、無理だろうな」と見ていたのではないか。

 西村の受賞会見はサイコーだった。なにしろ、

――きょう受賞が決まった瞬間は、誰とどこにいましたか。

 自宅で。そろそろ風俗行こうかなって(笑)。行かなくてよかったです。



 である。芥川賞をとったからといって、急に「いい子ちゃん」になったりしないのだ。

――西村さんが読者に届けられることは。

 ま、なんにもないと思いますけどね(笑)。読んでくださった方が、自分よりもだめな人がいるんだなと思ってもらえたら、まあおこがましいけど、ちょっとでも救われた思いになってくれたら、うれしいですね、書いた甲斐があるというか。それで僕が社会にいる資格があるのかなと、首の皮一枚、細い糸一本で社会とつながっていられるかな、と本当に思いますね。



 ……というくだりも、じつに彼らしてくよい。名言ですらある。

 今回の受賞とその後にくり広げられるであろう狂騒曲から、少なく見積もっても10作は短編が書けるはず。早く読みたいものだ。
 同時受賞の朝吹真理子に一目惚れした西村が、「格差」をものともせず彼女にアタックし、あっさりフラれる(大いにありそう)話とかが受賞第1作になったりしたら、もうサイコーである(笑)。



 米田綱路(こうじ)著『モスクワの孤独――「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア』(現代書館/4200円)読了。

 2段組で600ページ近い大著。ポスト・スターリン時代からプーチン時代までのソ連―ロシアの歴史の中で、権力に抗い自由を希求した5人のインテリゲンツィアの軌跡をたどったもの。書評を書くのでここではくわしく紹介できないが、文学的香気に満ちた名文で端正に綴られた力作である。
 ハイブラウな内容ながら、学術論文的な無味乾燥の対極にある本で、まるで小説のように味わい深い。

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上原善広『異形の日本人』


異形の日本人 (新潮新書)異形の日本人 (新潮新書)
(2010/09)
上原 善広

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 上原善広著『異形の日本人』(新潮新書/714円)読了。

 著者は、自らも被差別部落出身であることをカミングアウトし、全国の被差別部落を訪ね歩いたノンフィクション『日本の路地を旅する』で昨年の大宅賞を受賞した人。本書は短編ノンフィクション集である。

 内容は、見事なまでにごった煮。スポーツ・ノンフィクションもあればストリッパーのルポもあり、身障者へのセクハラ裁判を扱ったものもあり、著名落語家の評伝もあり……という具合。雑多な内容を一言でくくるため、こんなあいまいなタイトルが選ばれたわけだ。

 全6編のうち、いちばん最初に収録された「異形の系譜――禁忌のターザン姉妹」がいちばんつまらない。というより、明らかに失敗作だと思う。
 約60年前にマスコミに報じられた、年中裸でいたという「ターザン姉妹」の謎を追ったものなのだが、障害者への偏見がひどかったことを告発するのかと思いきや、そういう内容でもない。このノンフィクションを通じて著者が何を訴えたかったのか、さっぱりわからない。

 なので、これを読んだ時点で本書を投げ出そうかとも思ったのだが、ガマンして読んでみたら、あとの5編はみなよかった。いちばん不出来な一編をなぜ巻頭にもってきたのか、その意図がわからない。

 被差別部落について書くことが多い著者だが、本書で直接その問題がからんでくるのは2編のみ。一つは平田弘史の『血だるま剣法』事件を扱ったもので、もう一つは初代桂春團治の評伝だ。

 『血だるま剣法』は主人公を被差別部落出身者と設定し、その描写に不適当な部分があったために部落解放同盟に糾弾された劇画。私も、最近になって伏せ字だらけで復刻された版を読んだことがある。マンガ史上有名な筆禍事件だが、本書を読んで初めて舞台裏がわかり、興味深かった。ただ、短かすぎて読み足りない。

 上方落語の大スターであった初代桂春團治は被差別部落出身だったそうで、本書の評伝はその点に光を当てた内容。著者にとっては自家薬籠中のテーマである。ただ、これもちょっと短くて読み足りない。本一冊丸ごと使った長編評伝にしてほしかった。

 残り3編は、被差別部落とは関係のない内容。3編とも甲乙つけがたい出来だ。
 とくに、やり投げでオリンピックに2回出場した溝口和洋を描いた「溝口のやり――最後の無頼派アスリート」は傑作。やり投げという競技に微塵も興味のない私が読んでも面白いのだから、好きな人ならメチャメチャ感動すると思う。
 沢木耕太郎初期の傑作『敗れざる者たち』の一編「さらば宝石」を彷彿とさせるところもある。ただ、沢木作品のように詩的でもキザでもなく、もっと無骨で熱いスポーツ・ノンフィクションだ。

 溝口のキャラクターがすこぶる魅力的である。彼はたとえば、こんなふうに言う。

「わしはアマチュアや」「プロはどっちかというと、細く長くやらなあかんやろ。わしは違う。あとはどうなってもいいから、一瞬でも世界の頂点いきたいだけなんや。そういう意味ではアマチュア」



 ストリッパー「ファイヤー・ヨーコ」を主人公にした「花電車は走る」と、脊髄性筋萎縮症の女性に対する主治医によるセクハラ事件を扱った「クリオネの記」は、著者が各ヒロインに向けるまなざしのあたたかさが印象的だ。

 とくに「クリオネの記」はよい。女性身障者の性という難しい問題にも果敢に踏み込んで、“リアル『ジョゼと虎と魚たち』”という趣もある。
 ヒロイン・西本有希と著者は高校時代からの知り合いだそうで、彼女が34歳で亡くなったあとに自宅を訪ねるラストシーンは泣かせる。著者は、自分で泳ぐことがほとんどできないクリオネを彼女に重ね合わせ、次のように文章を結ぶのだ。

 これからはクリオネを見るたび、君のことを思い出すことにしよう。
 私はそれを、祈りに代えた。



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上杉隆『上杉隆の40字で答えなさい』


上杉隆の40字で答えなさい  ~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」~上杉隆の40字で答えなさい  ~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」~
(2010/09/18)
上杉 隆

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 上杉隆著『上杉隆の40字で答えなさい~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」~』(大和書房/1155円)読了。

 売れっ子ジャーナリストが、政治・国際・社会分野の計44問の素朴な疑問に、独自の切り口で答えていくコラム集。
 「国会議員の仕事とは何か?」「与党の仕事とは何か?」「民主主義とは何か?」「外交の目的とは何か?」「景気とは何か?」「日本は金持ちなのか貧乏なのか?」などという大きな問いに、まず40字以内でかんたんな定義を与え、そう定義する理由をコラムの中で述べていく構成である。

 上杉自らが本書を“「黒い池上彰」本”と呼んでいるだけあって、どの回答も本音バチバチ、皮肉ビシバシで面白く、なおかつ明快このうえない。
 問いと40字の答えの一部を引くと――。

・「民主党と自民党の違いは何か?」=「小沢一郎がいる『自民党』が民主党。小沢一郎がいない『自民党』が自民党」
・「サミットとは何か?」=「世界のリーダーが集まって何も決めず、ただ褒めあっているだけの会議。夏の風物詩」
・「民主主義とは何か?」=「民意を政治に反映させることだが、実際は衆院で3分の2を握った政党による独裁政治」

 ……とまあ、こんな具合。
 とはいえ、アンブローズ・ピアスの『悪魔の辞典』のような“皮肉のための皮肉”ではなく、時折大真面目で熱い回答も混じる。
 たとえば、「理想的な政治家とはどのような人物か?」との問いには、「自らやると公言したことを、殺されてもやり遂げようとする政治家」と回答している。
 
 要は、記者クラブを核にした「官報複合体」(上杉の造語。官僚とマスコミが一体となって談合している様子を軍産複合体になぞらえたもの)によって見えなくなっている“日本の真実"を、ヴェールを引き剥がして白日の下にさらそうとした一冊なのだ。

 記者クラブや検察への批判は過去の著作のくり返しだし、相変わらずの小沢一郎びいきなど違和感を覚える点もある。また、一つの問いについて2ページから数ページの短い紙数で答えているから、どうしても回答が駆け足のダイジェストになってしまい、舌足らずでもある。

 しかし、たとえば大学生や20代の若者が一重深い「世の中の見方」を知るためには、よい本だと思う。メディア・リテラシーの生きた教科書としても役立つ。

 
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バッド・カンパニー『アンソロジー』


アンソロジーアンソロジー
(1999/04/21)
バッド・カンパニー

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 急にバッド・カンパニーが聴きたくなって、中古で2枚組ベスト『アンソロジー』を購入。LPレコード時代に聴きまくったバンドだが、CDでは1枚も所有していなかったのである。

 このCDはリマスタリングがしっかり行なわれているのか、昔LPで聴いたころよりもはるかに音がよい印象。とくに、ベースとドラムスの音がくっきりとクリアで、素晴らしい。

 元々バドカンは、ギター中心のバンドが多いハード・ロック界には珍しくリズムセクション重視の傾向があり、どのアルバムもリズムが興趣尽きないのだが、こうしてCDで聴き直すと改めてそう感じる。

 このベストは、ファースト・アルバムから順番に代表曲を並べていくオーソドックスな構成。ゆえに、バドカンの音が微妙に変わっていく軌跡をたどることができる。

 ディスク1はファーストとセカンドからの曲のみ。ディスク2には未発表曲1曲と新曲(発売当時の)4曲も収められており、それらはいずれもなかなかの出来である。

 ファースト『バッド・カンパニー』は名盤の誉れ高いが、少年時代の私にはあまりに渋すぎた。いまやロック・クラシックとなった「キャント・ゲット・イナフ」はキャッチーだが、ほかの曲は前身であるフリー時代のブルース臭を引きずりすぎていた(私自身がオッサンとなったいま聴くと、しみじみよいのだが)。

 私がバドカンのアルバムでいちばん好きなのは、一般には評価の低い4枚目『バーニング・スカイ』である。いちばん最初に聴いたバドカンのアルバムであり、ロックを聴き始めたころに愛聴したアルバムだからだ。

 たしか、私が人生で3番目くらいに買った洋楽ロックのLPが、『バーニング・スカイ』だった。
 ロック初心者の中学生が聴くには渋すぎるこのアルバムを、なぜ買ったのかは思い出せない。たぶん、ロック雑誌の絶賛レビューでも読んだのだろう。

 お小遣いで1ヶ月に1枚LPを買うのがやっとだった中学生時代に買ったアルバムを、私は一つ残らず偏愛している。「元をとらなきゃ」という思いから、「好きになるまで何度でも聴きつづけた」からである。

 そんなわけで、他人はどうあれ私にとっては名盤である『バーニング・スカイ』。だが、この『アンソロジー』には同作からたった3曲しか収録されていないのであった。
 ううむ、『バーニング・スカイ』を改めて購入しようかなあ。

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辰巳ヨシヒロ『劇画暮らし』


劇画暮らし劇画暮らし
(2010/10/21)
辰巳 ヨシヒロ

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 辰巳ヨシヒロ著『劇画暮らし』(本の雑誌社/2520円)読了。

 2009年に『劇画漂流』で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなど、再評価著しい辰巳ヨシヒロの自伝。タイトルと表紙から『劇画漂流』の続編劇画のような印象を与えるが、こちらは文章による自伝である。

 ただ、『劇画漂流』では描かれなかった時期の出来事まで触れられており、こちらのほうがより網羅的な自伝となっている。子ども時代から70代の現在までがひととおり書かれているのだ。
 ……などと書いているが、じつは『劇画漂流』はまだ読んでいない私。よって、『劇画漂流』と本書の違いについてくわしく述べることはできない。ともあれ、本書も独立した作品として十分読みごたえがある。

 辰巳は「劇画」という語の提唱者であり、おもに大阪を拠点に貸本マンガ文化の一翼を担った作家である。また、連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』に登場して知名度が高まった桜井昌一(役名は戌井慎二)の実弟でもある。
 本書は、その辰巳のマンガ少年時代から説き起こされ、貸本マンガの勃興から衰亡までを自身の歩みと重ねて描く部分が中心となっている。

 意外だったのは、辰巳が手塚治虫と深いかかわりをもっていたこと。『新寶島』などに感銘を受けて手塚を神のごとく敬愛していた辰巳は、中学生時代に手塚邸(まだ宝塚に住んでいた)を訪問する機会を得て、その後も「手塚詣で」をくり返したのだという。
 その意味で本書は、“もう一つの『まんが道』”であり、“関西を舞台にした、もう一つのトキワ荘物語”でもある。藤本弘に安孫子素雄という相棒がいたように、辰巳の創作の相棒となるのは次兄「オキちゃん」――すなわち、のちの桜井昌一(本名は辰巳義興)だ。
 そして、桜井や水木しげるが生きた貸本マンガの世界を別角度から描いたという意味で、本書は“もう一つの『ゲゲゲの女房』”でもあるのだ(水木は少ししか出てこないが)。

 マンガ表現の拡大を模索するなかで、「劇画」という言葉が生まれるまでのプロセス、さらには「劇画」が辰巳の手を離れて世に広まっていくプロセスが、つぶさに綴られている。その点で、本書はマンガ史の資料としての価値も非常に高い。
 また、のちのマンガ界の大物たちの青春物語としても面白く(さいとう・たかを、つげ義春、佐藤まさあきらの若き日の姿が活写されている)、ドラマ化・映画化してもよさそうだ。

 印象に残る場面も多い。
 たとえば、劇画ブームに乗って辰巳が初めて『少年マガジン』に寄稿する際のやりとり――。

「ぼくのような者の作品を載せると、『マガジン』の部数が落ちますよ」
 編集部でぼくは忌憚のない意見を述べた。
「結構です。『マガジン』の発行部数が落ちるほどの影響力のある作品は大歓迎です」
 担当編集者と同席した副編集長は、自信満々に胸を張って答えた。



 ところで、私が初めて辰巳作品を読んだのは、1970年代中盤に小学館文庫から2冊の短編集(『鳥葬』と『コップの中の太陽』)が刊行されたときである。
 いくつかの短編が深く印象に残った。なかでも、「グッドバイ」は珠玉の名編だと思った。

 辰巳は「日本のオルタナティヴ・コミックの第一人者」として海外でも評価が高いが、本書によれば、「グッドバイ」はとくに評価が高く、英語版・スペイン語版・仏語版が刊行されているほか、シンガポールでアニメ映画化(これは「グッドバイ」のみならず、いくつかの辰巳作品のオムニバス)が進行中だという。

 「グッドバイ」は、2003年に出た辰巳の復刻短編集『大発見』に収録されている。

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根本敬『人生解毒波止場』


人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)
(2010/12)
根本 敬

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 根本敬著『人生解毒波止場』(幻冬舎文庫/680円)読了。

 「町山智浩が書いた解説がスゴイ」と、ネット上で評判になっている本。
 元本は1995年に洋泉社から刊行されたもの。短命に終わった宝島社の月刊誌『宝島30』(じつに面白い雑誌だった)に連載されたものの単行本化で、町山はその連載の担当編集者だったのだ。
 私は連載時にリアルタイムで読んでいたが、1冊の本として通読するのは初めて。

 町山の解説の何がスゴイかといえば、連載のうち1回(「ゴミの求道者村崎百郎の巻」)の主人公・村崎百郎が昨年7月に統合失調症の男に惨殺されたあと、根本敬が村崎への供養としてとった「ある行動」を明かしている点。それがどんな行動かは、実際に解説を読まれたし。
 ううむ、これはたしかにスゴイ。何か粛然とした気持ちにすらなる。

 その解説を読むためだけにでも買う価値のある本だが、本文も当然面白い。根本のエッセイ分野の最高傑作は本書ではないかと思えるほど。

 町山の解説によれば、『宝島30』での連載開始にあたって、根本はこう言ったという。

「今の日本は気取った、綺麗な物ばかりになっちゃったでしょ」
「でも、それってかえって毒が溜まるんだよね」
「それを解毒するような連載にしたい。毒を以て毒を制するみたいな」



 そのような意図をもってつけられたタイトルが、「人生解毒波止場」。
 なるほど、本書に収められたエッセイ(その大半は根本が取材して書いた、「ノンフィクション・エッセイ」ともいうべきもの)はどれも強烈な毒と醜悪さに満ち、世の良識派が眉をひそめ鼻をつまんで通りすぎるようなものばかりだ。が、そのゴミの山の中に、宝石のような「人生の真実」が隠されている。並のエッセイ集の数十倍はディープに……。
 根本のエッセイがいつもそうであるように、これは世にあるエッセイに対するオルタナティヴであり、世のまっとうな生き方、まっとうな物の見方の反対側に突き抜けた「真理」を教えてくれる本である。

「人生解毒波止場」もまた、ゴミの中に大切な物を探す連載だったのだ。



 町山の解説のそんな一節に、私は深く首肯する。

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原正紀『インタビューの教科書』


インタビューの教科書インタビューの教科書
(2010/11)
原 正紀

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 原正紀著『インタビューの教科書』(同友館/1575円)読了。

 ライターやジャーナリストが書いたインタビュー入門はいろいろ読んできたが、本書の著者は人材ビジネスの会社の経営者である。ゆえに、文筆家による類書とは違った発見があるかな、と期待して手を伸ばした。
 著者は仕事を通じて、これまで経営者を中心に1000人以上にインタビューしてきたという。その経験をふまえて本書が書かれたわけだ。

 図やイラストなども多用してあり、すこぶるわかりやすい。また、インタビューのいろはを手取り足取り教えるという趣なので、インタビュー初心者にとってはよい本だと思う。
 たとえば、インタビューする際にもっていくべきモノのリストとか、インタビューの際に相手の話が脱線したらどう軌道修正すればよいかとか、「そこまでやるか」と感心するほどアドバイスが細かい。

 が、私にはなんら得るものがなかった。
 四半世紀近くライターをやってきた私は、著者同様、少なく見積もっても1000人以上にインタビューしてきたはず(数えたことはないが、年平均50人を取材してきたと考えても、×24年で1200人になる)。そして、ここに書いてあることは、インタビュー経験をある程度積んできた人にとってはあたりまえのことばかりなのだ。

 くり返すが、初心者向けとして見ればよくできた本である。
 では、熟練者が読んでも参考になるインタビュー本は? 私のイチオシは、永江朗の『インタビュー術!』だ。あと、同じく永江が書いた『聞き上手は一日にしてならず』もオススメ。

■関連エントリ
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『聞き上手は一日にしてならず』レビュー

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『トウキョウソナタ』


トウキョウソナタ [DVD]トウキョウソナタ [DVD]
(2009/04/24)
香川照之、小泉今日子 他

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 年末年始もずっと仕事なので、いまごろ年賀状書き。とりあえず、3日までに届いた人に返事を書くので精一杯。
 一言書き添える言葉もいちいち考える余裕がなく、「本年もよろしくお願いいたします」と機械的に書く。自分史上最低の手抜き年賀状である。みなさん、どうぞご寛恕ください。



 ケーブルテレビで録っておいた『トウキョウソナタ』を観た。
 カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で審査員賞を受賞した、黒沢清監督作品。

■映画公式サイト→http://tokyosonata.com/index.html



 黒沢清の映画は苦手だったけど、これは気に入った。彼の作品でいちばん好きかも。
 ただ、100人観たら95人くらいまではそう思うだろうが、前半はよいのに後半がグダグダ。てゆーか、前半は黒沢清らしからぬフツーの家族映画で、むしろ後半の突飛な展開のほうが黒沢らしいのかも。

 父親役・香川照之の演技がうまいのは言うまでもないが、母親役・小泉今日子の堂々たる女優ぶりに目を瞠った。本作で「報知映画賞・主演女優賞」「キネマ旬報・主演女優賞」「山路ふみ子映画賞・女優賞」を総なめしたのも納得。

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生涯一フリーライター


決定版ルポライター事始 (ちくま文庫)決定版ルポライター事始 (ちくま文庫)
(1999/04)
竹中 労

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 岡庭昇さんが編集人をつとめる『同時代批評』の第17号(2011年1月17日発行)に、短いエッセイを書かせていただいた。「平岡正明という思想」という力の入った総特集がなされた号で、平岡ファン必携の内容だが、アマゾン等では手に入らないかな。

 エッセイは、各筆者に「わが根拠」なるお題が与えられたもの。私は「生涯一フリーライター」という題で書いた。
 年頭にあたっての原点確認の意味で、ここに転載しておく。


 一九八○年代後半のこと、「職業・作家、ただ今処女作執筆中」なる面妖なキャッチコピーとともにデビューした女性作家がいた。バブル景気真っ只中にあった日本の、うわついた空気を象徴するエピソードである。彼女にとって「作家」という肩書きは、一般芸能人と己を分かつためのアクセントでしかなかったのだろう。

 同様に、最近の「起業を目指す若者」の中にも、「社長という肩書きが欲しいだけ」としか思えない輩が多いそうだ。
 バングラデシュ等でバッグを現地生産し、日本で輸入販売するビジネスを展開する企業「マザーハウス」の社長・山口絵理子は、その突出した若さ(一九八一年生まれ)もあって、いまや起業を目指す若き女性たちの憧れの的である。山口がそうした若者に「起業して何をしたいの?」と聞くと、「それはまだ決めていないけれど、とにかく起業したいんです」と答えるケースが多いのだという(『裸でも生きる2』講談社)。

 そのように、肩書きをきらびやかな衣装として扱う者がいる一方で、肩書き自体がその人と分かち難く結びつき、ある種の存在証明となっているケースもある。平岡正明とも縁深い竹中労の「ルポライター」という肩書きは、その好例であろう。

 竹中は、ルポライターという呼称がすっかり時代遅れとなった平成の世に至っても、ノンフィクション・ライターなどという小じゃれた肩書きは使わなかった。ときに蔑みの視線を向けられかねない、三文文士の代名詞のようなルポライターという呼称を、あえて生涯使いつづけたのである。

 そこには、その肩書きが規定する物書きとしての座標軸を、自らの立ち位置として定める覚悟があった。竹中自身が『決定版ルポライター事始』(ちくま文庫)の「序」で言うとおり、「主人持ちのもの書きであることを拒み」、「虚名や富と無縁」の売文稼業をつらぬく覚悟が、である。竹中の覚悟には及びもつかないが、私もフリーライターという肩書きに思い入れをもっている。

 いまやフリーライターという肩書きには、ルポライター同様のカビ臭さがつきまとう。だからこそ、著作の二、三冊も出せば、たいていのライターは作家、ジャーナリストなどに“出世”する。そして、めでたく「作家上がり」を果たした者は、著者略歴からもライター時代の著作を抹消し、最初から作家であったような顔をするのだ。

 そのような風潮に生理的反発を覚える私は、これからも生涯フリーライターを名乗りつづけるつもりだ。それは言いかえれば、「自分はお偉い作家センセイではなく、文章を売る職人にすぎない」と、常に自らを戒めてペンをもつためでもある。物を書いているというだけで一般庶民の上に立っているかのような思い上がりを、私はけっして心にもちたくない。

 重松清は、作家兼現役フリーライターであることにこだわり、直木賞受賞後も「直木賞ライター」を名乗った。作家になったとたんにライター時代を封印するような輩より、よほどカッコイイではないか。


 少し付け加える。

 出版業界のヒエラルキーにおいては、フリーライターは作家やジャーナリスト、コラムニスト、ノンフィクション・ライターなどよりも格下と見なされがちである。
 つまり、「フリーの物書き」というカテゴリーの中で、フリーライターは最底辺の存在なのだ。

 そのことは、むろん明文化されているわけではないが、業界に身を置く者なら誰でも知っている。フリーライターという肩書きでずっと仕事をつづけてきた私などは、身にしみて知っている。
 たとえば、小田嶋隆さんは次のようにツイートした。



 そのように、フリーライターが業界最底辺の存在であることを重々承知のうえで、私はあえて誇りをもってフリーライターを名乗っている。
 なんとなれば、私にとって「フリーライター」の「フリー」とは、自由業者という意味ではなく、「なんでも書ける」という意味の「フリー」だからである。

 「依頼があれば、どんな文章でも書いて見せる」という自負が私にはあって、その自負を「フリー」の一語に込めているのだ。

 「作家がライターよりも上? ヘッ! 作家なんてのは小説とエッセイくらいしか書けない不器用な連中じゃないか。頼まれればどんな文章でも書きこなすフリーライターのほうが、ホントは物書きとして格上なんだぜ」

 ……と、そのようなひそかな矜持を抱いているのである。


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車谷長吉『妖談』


妖談妖談
(2010/09)
車谷 長吉

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 車谷長吉著『妖談』(文藝春秋/1575円)読了。

 34編を収めた掌編小説集である。タイトルと「百鬼夜行絵巻」を用いたカヴァーから怪談集のような印象を与えるが、妖怪変化のたぐいはいっさい出てこない。中身はいつもの車谷節である。

 車谷は数年前に私小説作家廃業を宣言したはずだが、本書に収められた掌編の過半は実質的に私小説だと思われる。主人公としてしばしば登場する小説家もその夫人も、名前はそのつど変わっているものの、車谷夫妻(周知のとおり、「嫁はん」は詩人の高橋順子)としか思えない。
 また、車谷作品の愛読者にはおなじみの、播州飾磨(現・姫路市)ですごした少年期の思い出や、尼崎などで料理屋の下働きをしていた時期の出来事を描いた作品も多い。

 そのような、いわば“擬似私小説”と、市井の人々の心中のドロドロをえぐりだした明らかなフィクションが、おおむね半々の割合で登場する。
 両者を比べてみれば、やはり“擬似私小説”のほうに佳編が多い。「何も無理して私小説作家廃業を宣言せずとも、ずっと私小説を書きつづければよいのに……」と思う。

 34編は玉石混淆で、中には箸にも棒にもかからない駄作もある。
 いちばん最後に収録された「悪夢」なんて、まあひどいものである(読めば誰もがそう思うはず)。初出を見れば『文學界』で、こんな小説以前の作品がよくボツにならなかったものだ。

 いっぽうで、自分が飼っていた鯰の思い出を淡々と綴っただけなのに不思議な感銘を与える、「信子はん」(信子は鯰の名)のような佳作もある。かつて車谷に川端康成賞をもたらした短編「武蔵丸」は、カブトムシを飼った思い出を綴っただけなのに読ませる作品だったが、これはその続編といってもよい。

 また、故郷・播州飾磨の因業ババアを描いた「業が沸く」と「警察官を騙した女」も、たいへんよかった。田舎の婆さんの「困ったちゃん」ぶりを描いただけなのに、「人間が描かれている」というたしかな手応えを感じさせるのである。「因業ババア」シリーズとでも銘打ってシリーズ化してほしい。

 ただ、一冊の本として見た場合、かつての車谷作品と比べれば総じて薄味なのは否めない。
 そもそも、車谷の作風からいって、「緊密なプロットに基づく、計算しつくされた完璧な掌編」など望むべくもない。本書に収められた掌編の大半には、「短編のなりそこね」、もしくは「長編の一場面として書かれながら、けっきょくは使われなかったシーン」といった未完成な印象があるのだ。

 かつての大傑作『赤目四十八瀧心中未遂』(これはじつは私小説ではなく、九割方はフィクションだそうだ)のような骨太の長編に、もう一度挑戦してはくれないものか。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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