『酔って記憶をなくします』


酔って記憶をなくします (新潮文庫)酔って記憶をなくします (新潮文庫)
(2010/09/29)
石原 たきび

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 石原たきび編『酔って記憶をなくします』(新潮文庫/420円)読了。

 ミクシィの同名コミュニティに寄せられた、酒の上の失敗談を集めた本。全173エピソードが、「乗り過ごし編」「恋愛編」「身に覚えのない行動編」などタイプ別に収録されている。当然ながら、シリアスな失敗談は注意深く避けられ、笑えるエピソードばかりが選ばれているので、楽しく読める。

 書名のとおり、その失敗を本人がまったく記憶していない(周囲に教えられて知る)ケースばかりを集めているのが特徴だ。
 私も人並み程度には酒の上の失敗を重ねてきたが、幸か不幸か(この言い方がまさにピッタリ)、酔って記憶をなくしたことがない。酔いが醒めると、泥酔時にやらかしたことをすべて鮮明に覚えていて、「うわ~っ! やっちまった」と頭を抱えてしまうタイプなのである。
 そんな私から見ると、本書に登場する「酔って記憶をなくす」タイプの人々は、うらやまし……くはないな、べつに。

 本書は文庫オリジナル。「単行本で出すほどの本でもないな」との編集サイドの判断であろう。そんなに売れるとも思えないし、一度サラッと読めば十分だし。でもまあ、けっこう笑えるし、値段分は楽しめる一冊である。
 私が気に入ったエピソードを、見出しでピックアップしてみる。

・「吐いたら負けかなと思ってる」と連呼
・上司のハゲ頭に向かって柏手を打って拝む
・「エビス」を「エロス」と読み間違えて大はしゃぎ
・親友に電話して「かに雑炊のおいしさ」を1時間以上語る
・扇風機に延々と話しかけているところを、おかんが目撃
・風呂に週刊誌を持ち込んで「耳なし芳一」に
・駐車場の車を掛け布団と間違えて、その下で寝る
・家族旅行で酩酊、娘に「お母さん、酒癖わるい」
・朝、起きたら口の中に食べかけのおにぎり



 うーん、他人事ではない。それぞれ、似たような思い出は私にもある(最近は泥酔するほど飲まないが)。
 ついでに、言い回しが面白くてツボにはまった例を、二、三引く。

 「トライアングル」という焼酎を指で三角形を作って注文することに楽しみを見出し、注文したいがために全員で飲みまくり、吐きまくり。



 翌朝、テーブルの上は宴の後状態でした。(中略)またまたやってしまった自宅での1人2次会。



 友人によると、飲み狂う私を心配してうすーい梅酒を作って持ってきた店員さんに「こんな志の低い酒が飲めるか!!」と枝豆を投げつけたらしいです。



 「リバース」という言い方を初めて知った。「最後の店でお会計をするとき、みんなの前でリバース。その後、駆け込んだトイレの中でもリバース」というふうに使う(笑)。
 ともあれ、カバーの惹句に言うように、「酔っ払い、それは奇跡を起こす生き物」なのである。

 有名作家のエッセイなどから泥酔ネタばかり集めたアンソロジーとか、作れそうな気がする。
 ちなみに、私が好きな酔っぱらいネタの本といえば、二ノ宮知子のコミック・エッセイ『平成よっぱらい研究所』である。『のだめカンタービレ』でメジャー・ブレイクする前の二ノ宮の、ワイルドな笑い満載の傑作だ。

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ゴング『Expreesso2』


Expresso 2Expresso 2
(2005/05/17)
Gong

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 ゴングの『Expreesso2』(※)を輸入盤で購入。前に買った『ガズース!』(「Gazeuse!」/1976年)と並んで、ジャズ・ロックの名盤に数えられているもの。1978年発表のアルバムだ。

※タイトルが『Expreesso2』となっているのは、前作にあたる『ガズース!』が米国で当初『Expreesso』というタイトルで発売されたため。

 『ガズース!』同様、長いゴングの歴史のうち、パーカッショニストのピエール・ムーランが中心となったジャズ・ロック期のアルバム。また、『ガズース!』同様、ギタリストのアラン・ホールズワースが参加している。

 そんなわけで音のほうも『ガズース!』の延長線上にあるのだが、『ガズース!』があまりに素晴らしかったので、比べてみれば一段落ちる感じ。『ガズース!』は特A級で本作はA級、というところ。

■関連エントリ→ 『ガズース!』レビュー

 『ガズース!』には全面的に参加し、曲も提供してサウンドの中核となっていたホールズワースだが、今作ではゲスト扱いで、全6曲中3曲に参加しているのみ。しかも、そのうち1曲はミック・テイラー(元ローリング・ストーンズ)がメインで、ホールズワースはサイドに徹している。

 ミック・テイラーが参加したオープニングの「HEAVY TUNE」は、『ガズース!』のようなミステリアスな音ではなく、普通に「熱い」ストレートなジャズ・ロック。てゆーか、ジャズ色の薄いインスト・ロック。ミック・テイラーがギンギンに弾きまくり、これはこれでカッコイイ。



 ほかの曲では、ホールズワースが参加した「SOLI」と「SLEEPY」がやはり素晴らしい。
 とくに「SOLI」は、マリンバなどの多彩な打楽器とベース・ギターが作り出すリズムの迷宮の中を、ホールズワースのウネウネ・ギターが駆け抜けていく絶品。ミステリアスなのにスピード感とパワーにあふれており、すこぶるスリリング。この一曲のためだけにアルバムを買う価値がある。



 ただ、残りの3曲がイマイチで、捨て曲なしだった『ガズース!』と比べるとやはり見劣りがする。

 ジャケットに描かれているのは、夕空に満月のように浮かぶ銅鑼――すなわちチャイニーズ・ゴングである(表面に漢字も描かれている)。このジャケが象徴するように、全体にやや東洋的な雰囲気も漂うサウンド。
 打楽器群の使い方の独創性といい、ほかのどのバンドも真似できない唯一無二のジャズ・ロックではある。が、『ガズース!』には及ばない。どちらか一枚買ってみようという人には、まず『ガズース!』をオススメ。これはそのあとに手を伸ばすべきアルバムだ。

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平山夢明『ダイナー』


ダイナーダイナー
(2009/10/23)
平山 夢明

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 平山夢明著『ダイナー』(ポプラ社/1575円)読了。

 忙しいのに、パラパラっと読み始めたら止まらなくなって、最後まで一気読みしてしまった。
 この人の小説を読むのはこれが初めて。「ホラー小説の人」だという認識をしていたのだが、本作はホラーではなくノワールだ。それも、馳星周の諸作などとはまったく異質な、斬新このうえないノワール。第28回日本冒険小説協会大賞受賞作でもある。

 人生に疲れたOLの主人公・オオバカナコが、ふと魔が差して手を出した、携帯闇サイトで探した危ないバイト。その失敗から犯罪組織に拉致られ、プロの殺し屋専門の会員制ダイナーでウェイトレスとして働かされる羽目になる。怪物のような殺し屋たちばかりが客としてやってくるその店では、ささいなことでウェイトレスは命を落とし、長続きしない。

 だが、冴えない普通の女だったカナコは、毎日が修羅場のそのダイナーで働くうち、少しずつたくましさを増していく。
 次から次へと事件が起こり、日替わりのように客が死ぬ恐怖のダイナーで、カナコは生き残って娑婆に戻ることができるのか……。

 ……と、いうような話。思いっきり荒唐無稽な設定ではあるが、テンポのよい展開とキャラの立たせ方のうまさでグイグイ読者を引っぱり、リアリティのなさが少しも気にならない。
 ダイナーの店長で自らも元殺し屋である副主人公・ボンベロが魅力的だし、店にやってくる殺し屋たちは全員キャラが立っている。

 たとえば、美貌の女殺し屋・炎眉(えんび)。彼女はカナコに、「あなた、生きたまま自分の腸で首を絞められるのがどんなに辛いかわかる?」などとゾッとすることを言ったりする。そして、彼女の爪には「ダマスカス鋼をベースにした合金で作られた極薄の剃刀が仕込まれて」おり、ピアスには「合金製のワイヤーソーが仕込まれている」。

 意外なことにエロ要素は皆無に等しい作品だが、そのかわり、グロ要素とバイオレンスはてんこ盛り。スタイルはノワールだが、キャラの立ちかげんと暴力シーンのアイデアの豊富さは、むしろ山田風太郎の忍法帖シリーズを彷彿とさせる。

 セリフも魅力的だ。どぎついカッコよさ満点の名セリフが、随所にちりばめられている。たとえば――。

「せいぜい気をつけることだ。今日も客がやってくる。客のなかには気に入らなくておまえを殺そうとする奴もいれば、気に入ったから殺そうとする奴もいるだろう」



「死体に重りをつけて捨てるのは素人だ。プロは魚が通れる程度の隙間のある金網に入れる。網なら潮の影響も受けにくいし、腐敗ガスが充満しても浮かび上がることもない。身は魚が綺麗に骨にしてくれるし、網が錆びて壊れる頃には骨も崩れて跡形もない」



 かなり読者を選ぶ作品だが、暴力描写に免疫がある人ならまちがいなく楽しめるノンストップ・エンタテインメントだ。グロ描写が多いわりに、読後感は意外にさわやかだし、感動もある。

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町田康『どつぼ超然』


どつぼ超然どつぼ超然
(2010/10/15)
町田 康

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 町田康著『どつぼ超然』(毎日新聞社/1680円)読了。

 最新長編である。
 連載時には「熱海超然」というタイトルだったそうで、町田自身とおぼしき主人公が熱海の町をさまよい歩くという内容だ。熱海の名が消えたのは、あるいは熱海市民から抗議でも寄せられたのかもしれない(熱海を馬鹿にしたと取れなくもない記述も頻出するので)。
 作中でも「熱海」の二字は一切使われず、「田宮」という架空の(田宮と名がついたほかの市町村はあるが)地名に置き換えられている。

 ストーリーはあってなきがごとし。すべてに「超然」として生きようと決めた主人公が、熱海のさまざまな場所を訪ね歩いては、そこで出会う人々、出合う物事についてとりとめない妄想をくり広げるというエッセイ風小説である。

 『告白』のような物語性豊かな作品を期待すると、肩透かしを食う。これは、かつてのデビュー作『くっすん大黒』の世界をさらにパワーアップ、スケールアップしたような、壮絶なる“無意味の哄笑”の文学である。

 随所に仕掛けられたナンセンスな笑いと、町田ならではの「はじけつつうねる」ような文体の魅力はかなりのもので、「くだらないなあ」と思いつつもページを繰る手が止まらない。

 私が思わず吹き出してしまった一節を引用する。

 そういえばむかし、『二十四の瞳』、とかいう映画か小説があったが、あれは確か離れ小島の分教場の話ではなかったか。瞳が二十四ある女教師が、分教場に赴任、オルガン弾いて歌うなどし子供たちに大人気であったが、父兄の、「瞳が二十四もあるのはおかしい。敵国のスパイではないか」「みていて気持ちが悪い」といった苦情により辞職せざるを得なくなった。女教師はそのことを悲観して自殺を図り、失明してしまったが、幸いにして瞳はまだたくさんあったので、日常生活に支障はなく、そのことを聞いた父兄も反省し、女教師は復職、みんなで楽しく野球をやりながら民主主義を学んでいく、といった話ではなかったかと記憶しているが、


 
 このように、穂村弘か岸本佐知子のコラムに出てきそうな妄想が随所にあふれ、それがグルーヴ感あふれる文体とあいまって笑いを誘うのである。

 町田康は、作家デビューから13年を経たいまなお、作家然とした作家にはならず、「心はパンク・ロッカー」でありつづけている。文章でパンク・ロックを演りつづけている――改めてそんな気がする痛快作。


↑なにしろ、「町田町蔵」時代にはこんなことやってた人だから。

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『WATARIDORI』


WATARIDORI スタンダード・エディション [DVD]WATARIDORI スタンダード・エディション [DVD]
(2005/12/16)
ドキュメンタリー映画

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 ケーブルテレビで録画しておいた『WATARIDORI』 を観た。

 撮影期間3年、制作費20億円を費やし、世界20ヶ国以上を訪れ、100種類もの渡り鳥の旅物語を映画化したドキュメンタリー(2001年フランス/監督:ジャック・ペラン)。
 
 これはすごい! 観ながら、自分が一羽の渡り鳥になったかのような気分になる。まさに「バーズ・アイ・ビュー」。「いったいどうやって撮ったんだろう?」と不思議になる驚異的な映像の連打である。映画館で観ておけばよかった。


 

 世界トップクラスのスタッフが、命懸けで渡り鳥たちと共に地球全土を旅した。CGはいっさい使用せず、多くの危険と戦いながら人類が今だかつて目にしたことのない鳥たちの視点から、空、海洋、そして地球の姿を捉えている驚異と感動の映像。



 「いったいどうやって撮ったんだろう?」という疑問の答えは、この映画のプレス用資料(→こちらにそのまま転載されている)を読むとわかる。ううむ、そこまでやるかという感じ。

 一幅の名画のように美しい場面が目白押し。この映画はもはや「映像の世界遺産」である。

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歌田明弘『電子書籍の時代は本当に来るのか』


電子書籍の時代は本当に来るのか (ちくま新書)電子書籍の時代は本当に来るのか (ちくま新書)
(2010/10/07)
歌田 明弘

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 歌田明弘著『電子書籍の時代は本当に来るのか』(ちくま新書/861円)読了。

 今年出た一連の電子書籍本のうち、私が読んだ中ではいちばんよくまとまっている本。iPadの発売に合わせて突貫工事で書いた佐々木俊尚の『電子書籍の衝撃』などに比べると、じっくり書いた分だけ冷静で客観的である。

 書名を見ると「電子書籍の時代など日本には来ない」と主張する本のように思えるだろうが、そうではない。この書名は、類書との差別化を狙ったアイキャッチのようなもの。実際には、電子書籍の歴史・現状・未来の手際よい見取り図が書かれた内容である。
 ただ、類書の多くが「電子書籍の時代がもうすぐやってくる」と煽り気味だったのに比べ、著者はやや懐疑的ではある。

 これまでの試行錯誤を冷静に見返してみれば、少なくとも日本で「電子書籍の時代が来る」のはそれほど容易ではない。

 紙のメディアというのは、きわめて強固にできあがっている。
 読者にとってそうであるばかりではなく、ビジネス・モデルとしても強固にできあがっている。
 いまの状況を変革したいという一種の革命待望論も加わって、「紙時代の旧体制」が壊れるという悲鳴・声援相半ばの声が上がるのは理解できるが、渦中のプレーヤーたちが、空虚な熱狂だけで動くはずがないこともまた確かである。
 さらに、なぜアメリカのようにはならないのかということの背景には、かなり根深い問題もあるように思われる。アメリカとは出版の事情が違うし、さらに根本的には社会や国民性が違う。(まえがき)



 このように、著者は「電子書籍の時代」はいずれ日本にもやってくるだろうが、すぐにではないし、そこまでの道のりも容易ではない、と主張しているのだ。そして、そう思う理由を順を追って説明していく。

 現在までの電子書籍の歴史をたどり、アマゾン対アップルの対決構図を追った1章(全3章)は、類書をいろいろ読んだ私には退屈(ただし、最初に読む「電子書籍本」としてならば、手際よくまとまっているこの章も価値がある)。

 第2章「グーグルは電子書籍を変えるか?」は、一連のグーグルの動向(ブック検索訴訟をめぐる動きなど)をただ紹介するのみならず、その背後にある意図までも鋭く考察して、読みごたえがある。

 第3章「『ネットは無料』の潮目が変わろうとしている?」も面白かった。

 「『ネットの情報は無料』が通念になってしまったから、いまさら新聞記事の有料配信など無理」というのが一般的な見方だろう。だが、著者は米国の新聞社の動向などを例に、その見方に異を唱える。時代に逆行するようなネット情報への課金は当然大きな困難を伴うが、それでも、そこにしか生き残る道はないのではないか、と……。
 そして、日本における課金プラットフォーム模索の面白い試みとして、著者は『朝日新聞』が始めた「ウェブ新書」に注目する。

 また、「ネットは無料」の潮目が変わろうとしている根拠の一つとして、著者はグーグルが2009年9月に出した公式文書(米新聞協会による「ネット課金をどう使えばよいか」という質問への回答書)の一節を引く。

 グーグルは、オープンなウェブがすべての利用者と情報発信者の利益になると信じている。しかしながら、「オープン」というのはかならずしも無料ということではない。有料のものも含め、ネットのコンテンツは多様なビジネス・モデルに支えられて成長できるものだとわれわれは信じている。


 
 そして、次のように書く。

「情報が無料になるのは重力の法則のようなものだ」とアンダーソンは著書『フリー』のなかで述べているが、無料経済最大の勝者グーグルが、「『オープン』というのはかならずしも無料ということではない」と言い出すとは意外だった。グーグルのこの「変節」にはネットの潮流の変化が感じられる。



 去年から今年にかけて山ほど刊行された「電子書籍本」だが、現時点で私が一冊だけオススメを挙げるとすれば、本書だ。

 ついでに言うなら、日本のブログの中では、いつも読んでいる「編集者の日々の泡」の電子書籍関連のエントリ(→こちら)が、最も面白い。電子書籍最前線の現場の事情がよくわかる。

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佐藤泰志『海炭市叙景』


海炭市叙景 (小学館文庫)海炭市叙景 (小学館文庫)
(2010/10/06)
佐藤 泰志

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 一昨日読んだ、佐藤泰志著『海炭市叙景』(小学館文庫/650円)の感想を。

 佐藤は1990年に41歳で自殺してしまった作家。この『海炭市叙景』は彼の遺作であり絶筆にあたる。自らの生まれ故郷でもある函館市をモデルとした架空の街「海炭(かいたん)市」を舞台に、そこに生きる無名の庶民たちの人生をスケッチしていく連作短編だ。
 さきごろ映画化された(公開中)のを機に、文庫化・再刊がなったもの。



 冬と春の季節を描いた短編18編からなるが、本来は全36編になる構想だったという。残り半分で描かれるはずだった海炭市の夏と秋の物語は、佐藤の死によって幻に終わった。

 私は今回初読。地味だが、たいへんよい小説だった。
 佐藤が本作の範としたのは、シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』(1919年)であるらしい。米オハイオ州の架空のスモールタウン「ワインズバーグ」を舞台に、そこに生きる老若男女の人生の哀歓を活写した同作は、連作短編の嚆矢でもある。

 ・・・・・・と、知ったふうなことを書いているが、恥ずかしながら私は『ワインズバーグ・オハイオ』を読んだことがない(これを機に読んでみよう)。私が本書を読んで思い出したのは、むしろピート・ハミルの『ニューヨーク・スケッチブック』である。

 この『海炭市叙景』はバブル経済真っ只中の時期に書かれたものたが、海炭市はバブルの繁栄から取り残された寂れた地方都市として描かれている。各編の主人公となるのも、その大半は、いまなら「負け組」に分類されるであろう貧しい庶民だ。
 だからこそ、発表当時よりもいまのほうが、作品の中の空気と時代の空気が見事にシンクロしている。作者の没後20年を経た今年になって映画化されたのも、一つにはそのためだろう。

 全18編は玉石混淆で、印象に残らないものもあるが、何編かは私の心を深く打った。
 いちばん気に入ったのは、路面電車のベテラン運転士のある一日を描いた「週末」。結婚したひとり娘に、もうすぐ初めての子どもが産まれる。そのことを気にかけながら、彼はいつもどおり電車を運転する。その仕事の様子と彼の心に去来するものを、佐藤は静謐な筆致で描いていく。
 たったそれだけの話で、ドラマティックな出来事など何も起こらないのに、なんと深く胸に迫ることか。普通の人々の人生の1ページ――ありふれてはいるが、当人にとっては特別な一日の輝きが、鮮やかな一閃で切り取られている。

 終点に行ったら、病院に電話を入れる。無事、産れていることを祈る。産れていたら、半日、休みを貰ってもいい。いや、貰おう。自分の新しい一日なのだ。家内にとっても敏子にとっても、洋二にとっても、彼の老父にとっても。
 列島中にある一つの街の中で、彼は一九五五年から電車に乗り続けてきた。今日の彼は、そのどの日よりも、あの夏祭りの花に埋まったミス・海炭市の娘さんを乗せる時よりも、数倍も注意をおこたらない。


 
 どこにでもある地方の寂れた街の、どこにでもいる庶民の人生の1ページを、作者は愛おしむように文章に刻みつけている。

 この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛しくなるのではないか。この小説にはそういう力がある。



 川本三郎さんが解説でそのように言うとおり、名作だと思う。

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内田樹『街場のマンガ論』


街場のマンガ論街場のマンガ論
(2010/10/04)
内田 樹

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 一昨日から昨日にかけて、取材で神戸へ行っていた。神戸大学教授で経営学者の加護野忠男さんの取材である。これで今年の取材は終わり。

 行き帰りの新幹線の中で、内田樹さんの『街場のマンガ論』(小学館/1470円)と、佐藤泰志著『海炭市叙景』(小学館文庫)を読了。
 
 『街場のマンガ論』は、おもに内田さんのブログからマンガ関連のエントリを集めたもの。巻末に養老孟司氏との対談「戦後漫画家論」も収められている。

 本書については、筋金入りのマンガ・マニアである漫棚通信さんが、ブログで酷評していた(→こちらのエントリ)。
 いわく、「展開される説はおもしろいけど、思いつきだけのところが多くてかなり乱暴、という本でした」。
 私の感想も、おおむね同じ。内田さんの本はこれまで十数冊読んできたが、正直なところ、その中で本書がいちばんつまらなかった。

 そもそも、マンガ論を集めたと言いながら、マンガと直接関係ない文章も多い。第5章は丸ごと「宮崎駿論」だし、その中身も宮崎アニメの感想でしかない。第2章「マンガと日本語」に集められた文章の多くは、「これをマンガ論としてくくるのはちょっと無理だろ」という代物。
 ベストセラー連発の内田さんの「初のマンガ論集」を出してほかの著作と差別化しようという企画意図はよいのだが、これは一冊にするには時期尚早だったと思う。

 漫棚通信さんがツッコミを入れている箇所以外にも、首をかしげる記述が少なくない。
 たとえば、『ビッグコミックスピリッツ』について、「一八歳から二四歳くらいまでの就活中、ニート、引きこもりなど、将来が決まらないでうじうじしている男性読者をメインターゲットにした雑誌」と規定している。『スピリッツ』が“モラトリアム男子用マンガ誌”だとは知らなかったよ(笑)。

 まあ、中には面白い文章もある。『エースをねらえ!』を“師弟論マンガ”として読み解いた(!)文章などは、内田さんならではのものだ。

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呉智英『マンガ狂につける薬 二天一流編』


マンガ狂につける薬 二天一流篇マンガ狂につける薬 二天一流篇
(2010/12/01)
呉 智英

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 呉智英著『マンガ狂につける薬 二天一流編』(メディアファクトリー/1260円)読了。

 佐々木倫子の『チャンネルはそのまま!』の3巻を買いに行ったところ、この本も売っていたので一緒に購入。
 『チャンネルはそのまま!』は、相変わらずのハイクオリティー。一編一編がすごく緻密に作られたウェルメイドなコメディである。このクオリティーを完結まで維持できたらすごいことだ。

■関連エントリ→ 『チャンネルはそのまま!』1巻レビュー

 『マンガ狂につける薬』は、雑誌『ダ・ヴィンチ』に1995年から長期連載されているコラムの単行本化第4弾。本巻には2006年6月号から本年9月号連載分までが収録されている。
 私はこのシリーズの単行本が出るたびに買っているが、こちらも安定したクオリティ。まあ、あまり調子の出ていない回もあるが、そういう回でも、一つや二つは何かしら価値ある情報が盛り込まれている。マンガ・ガイド、ブックガイドとしても有益である。

 シリーズの中身などについては、前巻にあたる『マンガ狂につける薬 下学上達編』のレビュー(→ こちら)をご参照あれ。ここでは、本巻の中から私が傍線を引いた箇所をいくつかピックアップ。

 作家の中村うさぎは浪費の女王として知られている。(中略)しかし、中村が真の意味で浪費の女王なのは、才能を浪費しているからだ。誰もが言うことだが、この人は頭がいい。マスコミがもてはやす女性大学教授連中など較べものにならないほどの優秀な頭脳を持っている。そんな頭脳をライトノベルやエッセイに使うのが浪費なのである。中村は哲学者になるべきであった。



 我々は教育を絶対善だと思っている。ちがう。教育は必要悪なのである。それは初めに少し触れたように、政治に似ている。政治も必要悪なのである。この二つのちがうところは、政治に深く関与した人ほど、それが必要悪だと気づくのに、教育に深く関与した人は、それが絶対善だとますます信じ込むところである。



 「クリエィティブ」なんていう言葉に憧れてるあなた。あなたは若い。青い。この言葉のすぐ裏には人間の業の深さが真黒なヘドロとなってはりついている。マンガ界も、そうだ。ユーモアだ、諷刺だ、感動だ、笑いだ、なんていったって、それを描いているマンガ家を駆動しているのは業である。金が欲しい、女にもてたいあたりは、まだ業も浅い。クリエイティブでありたいとなると、救われないほど業が深い。だって、金や女とちがって、クリエイティブなんて、測る基準がないんだもの。



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三浦展+SML『高円寺 東京新女子街』


高円寺 東京新女子街高円寺 東京新女子街
(2010/09/24)
三浦展、SML 他

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 三浦展(あつし)+SML著『高円寺 東京新女子街(トウキョウシンジョシマチ)』(洋泉社/1470円)読了。

 ベストセラー『下流社会』などで知られるマーケティング・アナリストの三浦が、若手女性建築家2人のユニット「SML」と組んで作った、高円寺の研究書。
 研究書といっても学術的な装いはあまりなく、よくも悪くも雑誌的な作りの本。写真も満載なので、あっという間に読み終わる。

 私にとって、高円寺は大好きな街の一つだ。同じ中央線沿いに住んでいるので、ときどき途中下車してブラブラする。だが、高円寺が新しい「女子街」――若い女性が好む街――として脚光を浴びていることなど、本書を読むまでまったく知らなかった。

 「サブカル濃度」が高く、1970年代的な香りをいまに残す、「暗くてダサイ街」の代表格……それが私にとっての高円寺のイメージである。ところが、本書によれば、いまや高円寺は「森ガールの聖地」でもあり、若者が「住みたい街」「住んでよかった街」調査でも上位にのぼるのだという。

 飲食店に入っても、お客の8割が20~30代の女性ということも珍しくない。飲食店も、高円寺といえば焼き鳥屋、居酒屋というイメージが強いが、最近はオーガニックな食べ物を出すカフェとか、野菜料理がおいしいレストランなどが増えている。
 そういう意味で今の高円寺は「女子化」している。
(中略)
 ここ数年、女子による女子のための店が高円寺には増えている。自分の店を持ちたい、将来自分の店を持つために、同じような店で働きたいという夢を持った女子たちが高円寺に増えている。



 ううむ、そうだったのか。ときどき行くだけで、しかもオジサンが集う場所にしか行かない私はそんな変化に気付かなかったよ。

 ただ、本書は一冊の本としてはなんとも中途半端な仕上がり。“一つの街をフィルターとした都市論”として読んだ場合には食い足りないし、さりとて、高円寺ガイドブックとして見た場合には内容が偏りすぎている。

 要するに、これは「高円寺が女子街になった!」という雑誌の特集記事になるくらいが関の山の内容であって、一冊の本にするようなテーマではないのだ。それを無理やり本にしているものだから、水増し感が強い。

 たとえば三浦は、高円寺に外階段をもつアパートが多いことを指して、次のように言う。

 高円寺に無数にある外階段を見ると、それがまさに高円寺の自由な雰囲気を保証する重要なインフラではないかと思えてくる。いつ来てもよく、いつ出てもよい。個人が街と直結している。



 そして、外階段をもつアパートなどの写真がズラズラと並べてあったりする。
 本書の分析にはこういう苦しいこじつけが多くて、苦笑してしまう。「そこまでして高円寺を賛美しなくてもいいのに……」と思わせる記述がてんこ盛りなのである。

 まあ、いま現在高円寺およびその周辺に住んでいる人なら、愉しめる本だとは思う。「あ、あそこの店も載ってる!」と、仲間うちで盛り上がるもよし。

 ただ、私は高円寺にあまりオシャレな「女子街」になって欲しくない。暗くてダサくてディープな、昔ながらの高円寺が好きだからである。

 
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田中森一・夏原武『バブル』


バブル (宝島SUGOI文庫 A た 2-1)バブル (宝島SUGOI文庫 A た 2-1)
(2008/10/18)
田中 森一、夏原 武 他

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 水曜日は、腹話術師のいっこく堂さんを取材。都内某所の事務所兼ご自宅にて。

 腹話術を始めた年に1日8時間の練習を自らに課したとか、練習のしすぎで何度も舌から血を流したとか、すさまじい努力の日々を飄々と事もなげに語ってくださる姿が印象的だった。

 以前は物真似で生計を立てていた時期もあるそうで、インタビューの中に出てくるほかの人の話をすべて物真似の形で語って下さった(これがまた、超うまい)。いろんな意味で楽しい取材だった。

 で、取材を終えてから、八王子の創価大学へ。全学読書サークル「SBW」に招かれて、「私の読書術」というテーマで話をする。
 エラソーに講釈をたれるような立場ではないのだが、おかげで、読書についての自分の考えをまとめるよい機会になった。

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 行き帰りの電車の中で、田中森一(もりかず)・夏原武著『バブル』(宝島SUGOI文庫/520円)を読了。ライターの夏原が聞き手になってのインタビュー形式(実質的には対談)なので、サラッと読める本。

 特捜検事から「ヤメ検」弁護士となり、バブル期に暴力団幹部や仕手筋など、裏社会の人間たちと密接なつながりをもった田中は、「闇社会の守護神」とも称された。
 その後、許永中とともに石橋産業事件で逮捕され、現在も服役中である。

■関連エントリ→ 森功『許永中 日本の闇を背負い続けた男』レビュー

 本書は、収監前の田中へのインタビューをまとめたもの。おもにバブル期のすさまじい日々を振り返った内容となっており、田中のベストセラー『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』のスピンオフ本といった趣。
 夏原は劇画『クロサギ』の原作者でもあるが、バブル期にヤクザをしていた人でもあるので、本書に最適のインタビュアーといえよう。

 まあ、田中のような人をあまりダーティ・ヒーローとしてもてはやすのもどうかと思うが、内容はメチャメチャ面白い。仰天エピソードの連打である。
 たとえば、田中による「まえがき」にはこんな一節がある。

 ちょっと契約に立ち会っただけで何千万円の報酬をもらったり、顧問料だけで年間億単位のお金が転がり込んでくると、おかしくなるなというほうが無理である。カネに対する感覚がどんどん変わっていき、当時は一万円を一○○円くらいの感覚で使っていたと思う。
 もちろん、私の周囲にいたバブル紳士たちは、もっとすごかった。許永中や「五えんやグループ」の中岡信栄たちは、一○億円を「一本」と数えていたし、ある人物が選挙資金の支援を頼むのに「五本指」を示したら、五億円もらってしまい、頼んだほうは「五○○○万円のつもりだった」という話もある。



 もう一つ、本文中の印象的な田中の発言を引く。

 バブル当時は、担保不足であったとしても、土地の値段が翌日には倍になったりするわけだから。実際に手続きなんて後回しで、担保も付けずに、先にカネを貸すということがあったんだから。ノンバンクなんて、ほとんどそやろ。そういう意味では、手続き的には、みんなが背任みたいなことをやってたのよ。バブル当時の貸付けというのは、ほとんどが実質は背任だから。それでバブルが崩壊して、損害が大きいやつだけを刑事事件として摘発したという、それだけの話であってね。



 バブル期には、そんなふうに日本中が「狂っていた」のである。そして、その後遺症はいまも日本社会に根深く残っていると思う。
 ことの善悪はさておき、「バブルとはいかなる時代だったのか?」を知るために、一読の価値はある本。

 ちなみに私自身は、バブル期というと駆け出しライターだった時期で、むしろ人生でいちばんビンボーだったころである(笑)。そのため、「バブルの恩恵なんてまったく受けなかった」とずっと思っていたのだが、最近考えが変わった。
 あのころ、駆け出しで未熟なライターだった私にさえ仕事がどんどん入ってきたのは、出版界全体がバブル景気で余力があったからにほかならないのだ。その意味で、私もまた「バブルの恩恵」でライターになれたのだと思う。

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宮内勝典『魔王の愛』


魔王の愛魔王の愛
(2010/11)
宮内 勝典

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 敬愛する作家・宮内勝典さんの最新作『魔王の愛』(新潮社/2100円)を、少しずつ読んでいる。一気に読んでしまうのがもったいなくて、高級なワインをなめるようにちびちびと。

 近所の中規模書店で買い求めたのだが、発売直後にもかかわらず、棚差しの一冊があるだけだった。某や某々のクダラナイ小説は大量に平積みになっているというのに……。
 前作にあたる『焼身』(これも素晴らしい作品だった)も、読売文学賞と芸術選奨文部科学大臣賞をダブル受賞したにもかかわらず、いまだ文庫化されていない。やっぱり売れないんだなあ。

 この作品は『東京新聞』などに連載されたもので、なんとマハトマ・ガンジーの物語である。私は、子ども向けの本ではあるがガンジーについての本を書いたこともあるので、内容がいちいち興味深い。

 『焼身』は、1963年のベトナム戦争当時、南ベトナム政府と米国に対する抗議の焼身自殺を遂げた僧侶の足跡を追ったものだった。
 ガンジーの足跡を追う本作は、『焼身』とちょうど対になっているのだろう。自由を踏みにじる大国の暴力に対して、人は暴力を用いずしていかに闘うことが可能か――その問いの答えを、2つのモデルの中に探したものなのだろう。

 『焼身』には、本作を“予告”するような一節もあった。「9・11」直後、一緒に反戦デモをした教え子の学生(当時、宮内さんは早稲田の客員教授をしていた)から、「なにか、信じるに足りるものがありますか」と問われ、主人公が答える場面だ。

 私は絶句して、おろおろしながら、マハトマ・ガンジーのことを語った。きみたちと同じように、これまで信じるに足ると思っていたものを、わたしもいま、次々に消しつづけている。だが、どうしても消せない名前がひとつだけ残っている。それが、ガンジーなんだよ。



 とはいえ、宮内さんのことだから、本作はたんなる偉人伝になどなっていない。この小説の中のガンジー(ただし、作中では「Xさん」となっている)は、一筋縄ではいかない複雑で多面的な人物として描かれている。

 物語の最後に、いかなるガンジー像が完成するのか? わくわくしながらジグソーパズルのピースを一つずつはめていくように、私は遅読を愉しんでいる。

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ピーター・ガブリエル『スクラッチ・マイ・バック』


スクラッチ・マイ・バックスクラッチ・マイ・バック
(2010/02/17)
ピーター・ガブリエル

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 ピーター・ガブリエルの『スクラッチ・マイ・バック』(EMI)を聴いた。やもりの『あなたと歌おう』と一緒に借りてきたもの。

 PGの8年ぶりのスタジオ・アルバムということでずいぶん話題になり、ファンの間で賛否両論を巻き起こしたアルバムである。

■参考→ PG自身がアルバムの全曲を解説している記事

 私がいつも好みの音楽を探すアンテナとしている音楽ブログ「でんど~の殿堂」(主はサイト「音楽の殿堂」の人)で、本作が酷評されていた(→このページ)。
 その記事を読んだがために買う気がしなかったこのアルバムだが、聴いてみるとなるほど、でんど~さんの意見に私は100%同意である。

 ピーター・ガブリエルは好きなアーティストだし、彼がいたころのジェネシスも私は大好きだ。が、このアルバムはいただけない。
 「ひとりよがり」という言葉が、これほど似合うアルバムもまれだ。カヴァー・アルバムなのに、原曲の魅力がこれほど伝わらないアルバムもまれだ。そして、聴いていてこれほど元気がなくなるアルバムもまれだ。はっきり言って、私は一回聴き通すだけでも苦痛だった。

 ピーター・ガブリエルのアルバムで私がいちばん好きなのは、『プレイズ・ライヴ』(1983年)である。あれは、初期PGの集大成であるとともに、ロック史上屈指のライヴ・アルバムであった。あれほど素晴らしいアルバムを作った人が、これほど退屈なアルバムを作るとは……。
 アマゾンのカスタマー・レビューを見ると、「最初は退屈に思えたが、聴き込むうちによさがわかってきた」などというレビューが多い。だが、私はもう2度と聴きたいと思わない。さよならピーター。

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やもり『あなたと歌おう』


あなたと歌おうあなたと歌おう
(2010/07/14)
やもり(森山良子と矢野顕子)

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 矢野顕子と森山良子のデュオ「やもり」の『あなたと歌おう』(ヤマハ)を聴いた。夏に出たものだが、なんとなく手を出し損ねていたもの。レンタルで済ましてしまったが。

 矢野顕子の音楽を愛することにかけては人後に落ちぬ私だが、もう一人の森山良子には微塵も興味がない。しかも、このアルバムのテーマは「フォーク」だということなのだが、私は日本のフォークにはこれまた微塵も興味がない。そんなわけで、食指が動かなかったのである。

 果たして、このアルバムは私にはピンとこなかった。
 全体に1960年代末~70年代初頭あたりの古いフォークを模した感じで、なんかこう、背中らへんがこそばゆくなるよう。「歌声喫茶」(よく知らんけど)とかユースホステルとかでみんなが輪になってフォークソングを歌ってるような気恥ずかしさと居心地の悪さを感じてしまうのである。

 全13曲中、6曲がカヴァー。
 岡林信康と吉田拓郎のカヴァーが各1曲、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」や反戦歌「死んだ男の残したものは」のカヴァー、ドヴォルザークの「家路」の英詩カヴァー「Going Home」、フォスターの「夢見る人」の英詩アカペラ・カヴァーというラインナップ。このへんの選曲もいかにもいかにもで、ヒネリがなさすぎ。

 部分的にはすごくいいんだけど。
 オリジナルの「アイツは俺を知っている」や「温泉に行こう」は矢野顕子らしさ全開の傑作だし、岡林の「嘆きの淵にある時も」(※)のカヴァーはピアノが鳥肌ものの美しさだし、吉田拓郎の「旅の宿」のカヴァーはウェス・モンゴメリーばりのギターとピアノのからみが絶妙だし……。
 そもそもどの曲も、矢野顕子のピアノはいつも通りの素晴らしさなのである。

※「嘆きの淵にある時も」は、矢野顕子にとっては前作にあたるピアノ弾き語りカヴァー集『音楽堂』でも取り上げられていた。個人的には『音楽堂』ヴァージョンのほうが好きだ。

 こんなことを言ったら森山良子のファンには申し訳ないが、これが矢野顕子のソロ・アルバムだったら、私はもっと好きになれたと思う。森山の人畜無害でキレイキレイな歌声が入ってきたとたん、「あ、これは私には関係のない音楽だ」という気がしてしまうのである。

 言いかえれば、矢野顕子の鉄壁の個性とぶつかってさえ自分の世界が少しも浸食されない森山良子という人も、歌手として大したものだと思う。
 
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帚木蓬生『やめられない――ギャンブル地獄からの生還』


やめられない ギャンブル地獄からの生還やめられない ギャンブル地獄からの生還
(2010/09/03)
帚木 蓬生

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 帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)著『やめられない――ギャンブル地獄からの生還』(講談社/1260円)読了。

 著者は山本周五郎賞や新田次郎文学賞などを受賞している小説家だが、メンタルクリニックを開業している現役の精神科医でもある。そして、医師としてギャンブル依存の治療にかかわりつづけ、啓発活動も積極的に行なっている。

 本書は自らの治療経験をふまえて書かれた、ギャンブル依存(本書の表記は「病的ギャンブリング」)についての入門書である。ギャンブル依存がどれほど恐ろしいか、どうやったらそこから抜け出せるのかが、実例をちりばめてわかりやすく書かれている。

 ギャンブル依存といっても、本書で取り上げられた実例の大部分はパチンコ/パチスロ依存である。競馬狂の例がごく一部だけ出てくるが、その人もパチンコ依存を“併発”している。

 なぜそういう構成になっているかといえば、じつは日本ではギャンブル依存のうちパチンコ依存が圧倒的多数であるため。これは世界で日本だけの特殊事情である。
 著者のクリニックを初診した病的ギャンブラー100人の統計をとったところ、そのうちじつに82人(しかも、女性患者は全員)がパチンコとパチスロによってギャンブル地獄にはまり込んでいたのだという。

 ギャンブル地獄といえば競馬や競輪、あるいは非合法ギャンブルにのめり込む人を思い浮かべがちだが、じつはパチンコ依存のほうがずっと“身近な地獄”なのである。

 我が国のギャンブル産業の規模は年商約30兆円だが、そのうちパチンコ・パチスロ業界が22兆円以上(出版業界の11倍以上)を占めているという。

 要するにわが国のギャンブル産業の年商の約八割を、パチンコ・スロットが占めている計算になります。従って、病的ギャンブラーの八割強がこのパチンコ・スロットによって生み出されているという統計上の事実も、ごくごく当然の帰結なのです。

 

 本書の前半は「ギャンブル地獄の手記」になっており、6人の病的ギャンブラーが著者のクリニックにくるまでの軌跡がまとめられている。
 それは著者が聞いた話をプライバシーに配慮したうえで文章化したものなのだろうが、さすがに第一線の作家だけあって、迫力がものすごい。「面白い」と言ったら語弊があるが、ギャンブル依存に陥った者の心理が我がことのようにわかる内容なのである。

 私も昔一年間ほどパチンコにハマった経験があるから、他人事とは思えなかった。さいわい私は深刻化する前にやめられたが、それは自らを正すための環境に恵まれていたからで、一歩間違えばこの手記に登場するような状態になっていたやもしれないのである。

 後半は、自助グループへの参加と定期的通院によって、患者が社会復帰していく道筋がたどられている。地獄に堕ちた人々が這い上がり、蘇生していくプロセスは感動的である。
 こんな一節がある。

 精神科の臨床医として、人間性を回復した患者を目にするときほど嬉しく、感銘を受けることはありません。
 人間性を回復した患者は次の三つが自然に口をついて出るようになります。

 ・ありがとう
 ・お世話かけるね
 ・ごめんね

 そうです。普通の人なら日常生活でよく口にするこの三つの言葉を、病的ギャンブラーは一切言うことができなくなっています。それは、感謝とねぎらい、謝罪の気持ちが、失われているからに他なりません。
 まさしくこの意味で、病的ギャンブリングは生活習慣病であり、その治療は生涯教育なのです。



 「ギャンブル依存など私には関係ない」という人であっても、人間心理の一つの究極が描かれた本として、興味深く読めるだろう。優れた文学がそうであるように、ここには「人間が描かれている」のである。
 たとえば、次のような一節――。

 (家族が問いただしても)本人はすべての借金を白状しません。百八十万円の借金があっても、百五十万円としか言いません。六社くらいのサラ金に借金があっても、一社くらいは口をつぐんでいることが多いのです。
 これは病的ギャンブラーの見栄でしょうか。百八十万円の借金よりも三十万円少なく言うことは、見栄なのか自尊心なのか、それともプライドの表れでょうか。
 そうではないのです。全く借金のない状態が怖いというのが真相でしょう。借金まみれの生活を長年してきているので、全く借金のない生活が居心地が悪いのです。
 あるいはこう考えてもいいかもしれません。借金を少し残していれば、次の借金がしやすくなります。借金ゼロの状態から借金するのと、少々借金がある状態から借金を増やすのとでは、とっかかりやすさが違うのです。しかも、少し借金が残っていると、その借金をまたギャンブルで返してやろうと、自分を奮い立たせることもできます。借金のない状態では、ギャンブルに対して気合いがはいりません。
 そんな馬鹿げた心理など、到底理解できないと言う家族の方もいるでしょうが、これほど、病的ギャンブラーの頭の中では常識では考えられないことが起こっているのです。その意味では、借金の一部を白状しないで黙っておくのは、次のギャンブル再開への準備段階と言えます。



 ギャンブルと人間をめぐる深い考察にも満ちているし、歴史から拾い出したギャンブルをめぐるエピソードの数々も興味深い。
 たとえば、第二次大戦後にシベリアに抑留された日本人兵士の、無惨なエピソード。兵士たちは手製の花札を使って賭博に興じていたが、「ある兵士は、なけなしの食事三食分を賭け、負けてしまい、餓死した」という(!)。
 要は、ギャンブル依存に陥ると脳がイカれてしまい、正常な判断ができなくなるのである。その点についても医師の著者らしく、ドーパミンの代謝異常による脳内報酬系の不均衡などと、ギャンブル依存がもたらす脳の異常について考察されている。

 パチンコ依存の恐ろしさを知り抜いている著者は、普通の市民がたやすくパチンコ地獄にはまりやすい状況が放置されている日本の現状に、警鐘を乱打している。たとえば次のような一節を読むと、「たしかに異常だ」と思わされる。

 最近では、託児所を設けるパチンコ店も多くなりました。ギャンブル場に託児所を置く国など、どこを探してもないでしょう。生まれたときから、ギャンブル場で過ごす幼児が、大きくなってどうなるのか、自明の理です。光と音とざわめき、臭いの刺激が幼い脳に刻印され、将来パチンコ店に入ったとき、母胎回帰のような安心感に包まれるはずです。
(中略)
 また二○○七年からは、パチンコ店の中にATMを設置する動きも始まりました。上限値は設けられるものの、顧客はいとも簡単にその場でお金を引き出せるのです。高齢者を引きつける点で、パチンコ業界と銀行業界の思惑が見事に一致したのでしょう。ギャンブルの害などは一顧だにしない、儲け優先の情けない姿勢です。



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古泉智浩『ジンバルロック』


ジンバルロックジンバルロック
(2000/05)
古泉 智浩

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 古泉(こいずみ)智浩の『ジンバルロック』(青林工藝舎/1050円)を読んだ。

 10年前に出た古泉の初単行本だが、私は初読。てゆーか、そもそもこの人のマンガを読んだのは初めてだ。
 たいへん面白かった。何度も読み返しては笑ってしまう。そして、笑ったあとにしんみりと切なくなる。

 ど田舎の低レベル高校のうだつの上がらぬ連中の青春を描いて、見事な連作短編。これは青春マンガの傑作だ。『アックス』(青林工藝舎)に連載された作品なのに、ひとりよがりではなくちゃんとエンタテインメントになっている点もよい。

 ただし、ふつう「青春マンガ」という言葉から連想しがちなカッコイイ要素は、ここには何一つない。吉田秋生や矢沢あいや紡木たくの諸作のような青春マンガとは、まったくベクトルが違うのだ。
 ここに描かれた青春群像の、なんとカッコ悪く、ヘタレで、情けないことよ。しかし、それは愛すべきカッコ悪さであり、微笑ましいヘタレ具合なのである。

 「寂れた地方都市のフツーの青春って、おおむねこんなもんだよなあ」と、読んでいてしみじみ得心してしまう。輝かしいことなど何も起こらず、童貞をこじらせて悶々とし、それでも自意識だけは過剰な青春。映画やドラマの中のカッコイイ青春より、私はこの作品の青春のほうをずっと近しく感じる。

 たいへん気に入った。ほかの古泉作品も読んでみよう。

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PEARL『PEARL』『4インフィニティー』


PEARLPEARL
(1997/01/15)
PEARL

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 PEARL(パール)の『PEARL』と『4インフィニティー』を、中古で購入してヘビロ中。
 古い音楽ばかり聴いている昨今だが、この2枚のアルバムも1990年代のもの。

 PEARLは、パワフルなヴォーカリスト、田村直美(a.k.a「SHO-TA」)を中心とした日本のロック・バンド。デビューは1980年代だが、97年にカーマイン・アピス、トニー・フランクリン、北島健二というすごいメンツで再編成され、2枚のスタジオ・アルバムと1枚のライヴ・アルバムを発表した。
 今回買った2枚はその時期のアルバム。2枚とも、世界レベルのゴージャスな演奏をバックに、田村直美がヴォーカリストとしての実力を思うさま発揮した素晴らしいロック・アルバムに仕上がっている。

 バンドとしてのまとまりは2枚目の『4インフィニティー』のほうが上だが、ハードなロック・ナンバーが多い『PEARL』のほうが私は好きだな。

 『PEARL』は全曲田村の作詞作曲。彼女がヴォーカリストとしてのみならず、ソングライターとしてもただならぬ才能の持ち主であることがわかる。捨て曲なしの傑作揃いである。詞も曲もいい。

 アルバム『PEARL』が出た当時、テレビで「Everybody tears ~すべての矛盾を愛せ~」を生演奏したのを観たことがある。どーでもいい歌謡曲系の番組だったにもかかわらず、本気の熱い演奏をくり広げていて、じーっと画面に見入ってしまったのを覚えている。

 ジャニス・ジョプリンに心酔していたからバンド名を「PEARL」としたという田村直美。日本のロックが生んだ最高の女性ヴォーカリストは、彼女かもしれない。またこのメンバーでアルバムを出してくれないかな?

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玉野和志『東京のローカル・コミュニティ』


東京のローカル・コミュニティ―ある町の物語一九〇〇‐八〇東京のローカル・コミュニティ―ある町の物語一九〇〇‐八〇
(2005/04)
玉野 和志

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 玉野和志著『東京のローカル・コミュニティ――ある町の物語一九○○―八○』(東京大学出版会/5880円)読了。

 社会学者の著者が、東京の「ある町」(地名が明記されていないが、内容から大田区のことだとわかる)の地域コミュニティーの変遷を研究したモノグラフ(ある個人や集団、テーマを多角的に分析・調査したレポート)である。仕事の資料として読んだもの。

 学術書ではあるものの、読みやすくするための工夫が随所に凝らされており、その点に好感がもてる。でも、高いねこの本。まあ、少部数の専門書だから仕方ないのだが……。

 著者は『創価学会の研究』(講談社現代新書/2008年)を書いた人である。本書でも第五章を丸ごと割いて「もう一つの地域」としての創価学会コミュニティーが分析されているし、ほかの章にも学会についての言及が随所にある。てゆーか、『創価学会の研究』という本自体が、本書を原型として生まれたものなのだ。

■関連エントリ→ 『創価学会の研究』レビュー

 その第五章と、第二章「町内社会の成立と展開」が面白かった。後者は「町内会」そのものの長い歴史をたどったもので、目からウロコ。たとえば、次のような記述に「へーっ」と思った。

 戦時中までは国家の権威を笠に着て横暴にふるまう町内会長も多かっただろう。そんなこともあって、敗戦後の町内会の評判はすこぶる悪いものになってしまった。また、戦後アメリカ占領軍は町内会を戦争に協力した封建遺制とみなし、日本の民主化を阻むものとして、その解散を命じることになる。いわゆる町内会廃止として知られる政令一五号の公布である。このようなアメリカ占領軍の判断は日本の知識層にも広く受け入れられ、町内会は長い間、古いもの、やがて消え去るべきものと見なされるようになる。



 地域コミュニティーとしての創価学会を分析した第五章は、3人の学会員への聞き取り調査を中心としたもの。たった3人の話を聞いただけなのに(当然それ以外の学会員にも接しただろうが)、創価学会コミュニティーの本質に肉薄したと感じられる内容になっており、著者の洞察力は素晴らしい。

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中川右介『昭和45年11月25日』


昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書)昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書)
(2010/09)
中川 右介

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 中川右介著『昭和45年11月25日――三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書/924円)読了。

 書名のとおり、三島由紀夫自決事件の日の日本の様子を、各界著名人の反応から描き出したノンフィクションである。三島の没後40年を記念して刊行が相次いでいる関連書籍の1つ。

 ノンフィクションといっても、本書に登場する120人の著名人に、著者はまったく独自取材をしていない。当時のマスコミ報道や、各人が著書やインタビュー等で書いた(語った)言葉を時系列で再構成しているだけなのである。

 というと、「ケッ、人のフンドシで相撲をとるお手軽本かよ」と思う向きもあろう。まあたしかに、120人それぞれに独自取材する労力に比べたら、お手軽なやり方ではある。
 しかし、本書は見た目の“お手軽感”よりもはるかに手間ヒマがかかっていると思う。構成は凝りに凝っているし、そのまま引用するのではなく著者の言葉に置き換えられた部分のほうが多い。そもそも、各界著名人の反応をこれだけ集めるだけでもかなりの労力だったはずだ。

 何より、実際に読んでみると、読む前に予想したよりもずっと面白い本に仕上がっている。「ありもの」の文献や記録を再構成しただけなのに、あたかも上質のドキュメンタリー映画を観たような読後感が味わえるのだ。ありそうでなかった「コロンブスの卵」みたいな企画だが、本書の試みは成功していると思う。

 この事件は多くの人を饒舌にしたが、同じくらい多くの人を寡黙にもした。



 当時の著名人から、当時は無名の少年少女だったのちの著名人まで、120通りの事件への反応がモザイク状に連なって、やがて1つの大きな絵を成していく。その様子が興趣尽きない。

 自分にとっての「あの日の思い出」を持つ世代が読めば面白さ倍増だろうが(ちなみに私は当時6歳で、テレビのニュース映像をかすかに記憶しているのみ)、当時まだ生まれていなかった人が読んでもそれなりに面白いと思う。

 なお、三島事件の意味についての各界著名人の解釈をタイプ別に腑分けしたエピローグ「説明競争」が、じつによくまとまっている。このエピローグだけでも、評論として独立した価値を持つものだ。その中にある次の一節は、とくに印象的。

 三島由紀夫の死に最も誠実に立ち向かっているのは、大江健三郎だ。彼は、三島の政治思想も政治行動も全面的に否定する。文学、芸術、美学として捉えるのではなく、戦後民主主義への明らかな挑戦であると捉える。それゆえに、自分に対する攻撃と受け止め、機会あるごとに三島を否定する。



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『ある殺し屋』『ある殺し屋の鍵』


ある殺し屋 [DVD]ある殺し屋 [DVD]
(2004/08/27)
市川雷蔵、野川由美子 他

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 市川雷蔵主演の和製フィルム・ノワール『ある殺し屋』と、その続編『ある殺し屋の鍵』を、ケーブルテレビで観た(世間はいま市川海老蔵一色だがw)。いずれも1967年の作品。

 雷蔵は現代劇もいいなあ。『陸軍中野学校』もよかったが、本シリーズでは、針を使って標的を殺す、現代版「仕掛け人梅安」みたいな殺し屋を端正に演じている。

 森一生監督、増村保造脚本、宮川一夫撮影という豪華な面々が作った、スタイリッシュで洒脱な娯楽映画。
 若き日の成田三樹夫が主役を食うほどの存在感を見せて好演だし、蓮っ葉でセクシーな悪女を演ずる若き日の野川由美子もじつにチャーミング。

 正編『ある殺し屋』は、まぎれもない傑作。回想と現在が交錯する構成はちょっと凝りすぎな印象だが、最後までまったく飽きさせない。
「色と仕事のけじめのつかねえ男はごめんだな」という雷蔵の最後のセリフのキマり具合にも、ニヤッとさせられる。

 続編『ある殺し屋の鍵』も悪くはないのだが、正編に比べるとありきたりなアクション映画になってしまっていて、一段落ちる。この2作だけでシリーズが終わってしまったのも、なんとなく納得。
 ただ、ラストのしんみりとしたむなしさ(殺しの報酬として得た札束を、ある失敗からすべて失ってしまうというエンディング)は、アクション映画らしからぬ終わり方で面白いけど……。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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