スザンナ・ホフス――奇跡の51歳


When You're a BoyWhen You're a Boy
(1991/02/02)
Susanna Hoffs

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 ガールズ・ロック・バンドの草分け、ランナウェイズの映画が来年公開されるが(ダコタ・ファニングがチェリー・カーリー役!)、1980年代が青春だった私の世代だと、もう一つの記憶に残るガールズ・ロック・バンドがバングルスである。
 バングルスにいた赤毛のギタリスト、マイケル・スティールはランナウェイズの元メンバーでもあったから、2つのバンドはいわば「陸続き」だ。

 バングルスはランナウェイズに比べればロック色も薄く、正直、全盛期の1980年代にはあまり興味がなかった。が、再結成後の最近の映像をYouTubeで観て、リード・ヴォーカルのスザンナ・ホフスの魅力にいまごろKOされてしまったのである。

 スザンナはもともとキュートな女性で、女優としてハリウッド映画にも主演している。そもそも、バングルスがブレイクしたのは、彼女に惚れ込んだプリンスが「マニック・マンデー」を書き下ろして贈ったからでもある。

 そのへんは知っていたのだが、最近の彼女には若いころとは別次元の魅力があるのだ。1959年生まれだからもう51歳なのに、むしろいまのほうが美しい。これはすごいことだ。

 たとえば、この映像(↓)。



 2009年にフランスのテレビ局で放映されたものだが、バングルスのほかのメンバーが年齢相応にオバサンになっているのに、スザンナだけが時が止まったかのように変わらない。顔といい、スタイルといい、歌声といい……。
 

↑これはもう少し前の映像。アンプラグド版「マニック・マンデー」。ここでもスザンナだけが若いまま。


↑今年7月のライヴ映像。51歳でこの美しさ、カッコよさはほとんど奇跡。

 ものすごく遅ればせながら、いまごろ彼女のファンになってしまった。とりあえず、1990年代に彼女が出した2枚のソロアルバムをゲットしよう。

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宮本輝『骸骨ビルの庭』


骸骨ビルの庭(上)骸骨ビルの庭(上)
(2009/06/23)
宮本 輝

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 昨日は、取材で衆議院議員会館へ――。

 議員会館は最近建て直されたのだが、建て直し後に初めて行ってみて、豪華なことと警備が厳重になったことにビックリ。
 入るときに空港みたいな金属探知機を通るというのに、受付にある防犯カメラでこちらの顔が訪問先に映されるようになっており、各部屋の入り口でさらにセキュリティ・チェックがある。厳重すぎ。前の古い建物のほうがよかった。

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 宮本輝著『骸骨ビルの庭』(講談社/上・下各1575円)読了。

 仕事山積みなのに、読み始めたら止まらなくなって最後まで読んでしまった。
 ストーリーの核となっている冤罪事件の、モデルになっているとおぼしき事件について、私は5年間にわたって裁判のすべてを傍聴し、記事を書いた。なので、その点についての興味から読んだもの。
 「なるほど。あの事件をベースにして、こんな物語を紡ぎ出したか」と、その鮮やかな換骨奪胎ぶりに感心した。
 
 いい場面、いいセリフもたくさんあって感動したけれど、かなり冗長で、水増し感ありすぎ。上下巻にするような話じゃないと思う。
 
 たとえば、必要以上に細かい主人公の食事の描写や、長たらしいゴルフ談義や、ダッチワイフに関するどうでもいいウンチク(登場人物の1人がダッチワイフの製作者だという設定なのだ)とか、「ここ、バッサリ削除したほうがいいんじゃね?」と思わせる場面が多すぎるのである。
 宮本輝はきっと毎日おいしいものを食べているのだろうし、ゴルフも大好きなのだろうけど、それを小説の水増しに使うなよ、と言いたい。
 
 全盛期の宮本輝なら、そのへんの夾雑物は削ぎ落として、きっちり一冊で終わらせていたであろう。全編に満ちたダラダラ感に、宮本の老いを感じずにいられない。

 ……と、ケチをつけてしまったが、瑕疵はあってもなかなかいい小説には違いない。
 とくに、随所にちりばめられた、「人間は~」「人生とは~」うんぬんという教訓的語りの深み。これはもう、余人の追随を許さない「宮本ワールド」なのである。
 たとえば――。

 人間は変われない生き物なのだ。自分の人生を決める覚悟は、一度や二度の決意では定まり切れるものではない。何度も何度も、これでもかこれでもかと教えられ、叱咤され、励まされ、荒々しい力で原点にひきずり戻され、そのたびに決意を新たにしつづけて、やっと人間は自分の根底を変えていくことができるのだと思う。



「何か事を成した人っちゅうのは、みんな無謀っちゅう吊り橋を渡ってます」



「人間が抱く嫉妬のなかで最も暗くて陰湿なのは、対象となる人間の正しさや立派さに対してなの」



 優れた師を持たない人生には無為な徒労が待っている。なぜなら、絶えず揺れ動く我儘で横着で臆病で傲慢な我が心を師とするしかないからだ。



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荻原魚雷『活字と自活』


活字と自活活字と自活
(2010/07/13)
荻原魚雷

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 荻原魚雷著『活字と自活』(本の雑誌社/1680円)読了。

 前著にあたる『古本暮らし』がよかったので、著者の単著第2弾を読んでみた。

 ■関連エントリ→ 『古本暮らし』レビュー

 内容はおおむね前著の延長線上にある。著者の地元である高円寺の香り、ひいては中央線の香りムンムンの、古本とフリー物書き業をめぐるエッセイ集である。

 「あとがき」によれば、「雑誌みたいな本にしたい」というのが著者たち(著者・編集者・デザイナー)の共通の願いだったという。その願いどおり、写真も随所に盛り込まれ、いい意味で雑然とした作りになっている。高円寺あたりの古本屋がそっくり部屋の中に入ったかのような、著者の自宅の本棚の写真もいくつかある。

 文章といい、内容といい、終始一貫しょぼくれていて貧乏臭いのだが、そのしょぼくれた味わいが、読んでいてむしろ心地よい。

 『活字と自活』という書名のとおり、物を書いて自活していくことのたいへんさと楽しさを綴った文章も多い。とくに、著者自身の駆け出しライター時代を振り返った一連の文章は、たいへん身につまされた。身につまされすぎて、まるで昔の自分を見るような気分になった。
 たとえば、こんな一節――。

 無署名の原稿をいくら書いても次の仕事につながらない。つながることもあるのかもしれないが、わたしはつながらなかった。
 無名の書き手の場合、何人もの人に断られてから、ようやく原稿の依頼がくることが多い。そうした仕事は、連休前、お盆、正月あたりに集中する。「明日までにおねがいします」といわれて、明日までに書く。「助かりました」といわれるが、それっきりである。何の準備もなく、何の取材もせず、短時間で書いた原稿だから、出来はよくない。二日ほど徹夜で書いた原稿を渡したあと、原稿料を値切られたこともあった。



 プロ野球でいえば、全国のエースで四番だったような人たちのよりすぐりが、プロになるわけだが、自分をふくめたフリーライター仲間を見ていると、社会人の予選があれば、コールド負けするような連中ばっかりだった。朝起きれんわ、挨拶はできんわ、時間を守れんわ……以下略。



 著者のお気に入り本をめぐるエッセイも多いのだが、そのセレクトにも著者のこだわりが感じられる。ことさらにマイナー志向というわけではなく、古書で高値がつくような本ばかりを取り上げているわけでもないのだが、世間のメインストリームからは微妙にずれているのだ。

 「よーし、読むぞ!」と身構えて読むような本ではなく、ふとした時間のすき間に本棚から引っぱり出して何ページか拾い読みする。そして、いつの間にか読み終えている……そんな読み方がふさわしい本。

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ボブ・ジェームス『ニューヨーク・ライヴ』


〈フュージョン・クラシックス・オン・タッパン・ジー(15)〉ニューヨーク・ライヴ+1〈フュージョン・クラシックス・オン・タッパン・ジー(15)〉ニューヨーク・ライヴ+1
(2004/08/04)
ボブ・ジェームス

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 マイクロソフトの「Office2010」を購入。アップグレード優待版で16500円。
 この間買ったレノボのパソコンは、Officeがインストールされていないモデルだったため。

 前から使っている「Office2003」のディスクが流用できないかと思ったのだが、インストール段階のセキュリティではねられてしまうのだね。ケチだなあ、マイクロソフト。いや、ケチなのは私か(笑)。
 べつに「ワード」なんて好きじゃないけど(「一太郎」が好きだった)、使っている人が圧倒的に多いから、仕事上何かと都合がいいのである。

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 ボブ・ジェームスの『ニューヨーク・ライヴ』を聴いた。
 昔アナログLPで愛聴していたもの。

 ボブ・ジェームスといえば「元祖スムース・ジャズ」ともいうべき存在で、私のキライな「毒にも薬にもならないイージー・リスニング的フュージョン」の権化のようにも思える。
 だが、初期の彼のアルバムは意外に先鋭的な試みもやっており、最近のものよりとんがっていてよいのである。

 この『ニューヨーク・ライヴ』は1979年のライヴを収めたもの(発表は81年)で、初期の集大成という趣のアルバム。このあたりまでのボブ・ジェームスが、私は好きだ。

 たとえば、ディスク2に入っている「ゴールデン・アップル」。
 これはもともとセカンド・アルバム『夢のマルディ・グラ』に入っていた曲で、ジャズ・ロックといってもよいアグレッシヴでドラマティックなナンバー。それを、ここでは15分を超える長尺(元曲の倍の長さ)にアレンジして、「リターン・トゥ・フォーエヴァーか」と見まがうばかりの壮大な曲に仕上げている。ボブ・ジェームスの一般的イメージとはかけ離れていて、じつにカッコイイのである。


↑「ゴールデン・アップル」のオリジナル。途中のギターが官能的。

 また、ディスク1ではスタンダードの「サボイでストンプ」を演っているのだが、これがフュージョンというよりは洗練されたジャズそのもので、耳に心地よい。

 タイトルに「+1」とあるとおり、アナログ盤より一曲増えた内容。そして、ボーナス・トラックの「アイルランドの女」が、また絶品なのである。

 ディスク1のハイライトとなっている「ウィアー・オール・アローン」は、言わずと知れたボズ・スキャッグスの大ヒット曲。切な系バラードの元曲をきらびやかなポップ・ナンバーに生まれ変わらせ、なおかつ元曲の素晴らしさを損なっていないところが素晴らしい。
 これはもともと『ヘッズ』というアルバムに入っていた曲で、松任谷正隆が「サウンドストリート」(NHK-FMでやっていた番組)でかけた際、「名曲だ。名アレンジだ」と大絶賛していたのを思い出す。名アレンジャー・松任谷正隆を唸らせるほどのプロの仕事だったわけだ。


↑スティーヴ・ガッドのドラムスも光る「ウィアー・オール・アローン」(『ヘッズ』より)
 
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本田良一『ルポ 生活保護』


ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み (中公新書)ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み (中公新書)
(2010/08)
本田 良一

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 今日は、3ヶ月に一度の病院(定期検査)の日。

 予約してあるのに、いつも2時間ちょっと待たされる。待合室はいつもおじいちゃん・おばあちゃんで満杯なのである。
 待っている間に本が一冊読める。今日は、本田良一著『ルポ 生活保護――貧困をなくす新たな取り組み』 (中公新書/819円)を読了。

 『北海道新聞』記者が、生活保護の現実を丹念な取材で描き出した一冊。
 タイトルには「ルポ」とあるが、実際には、ルポ部分とそれを補完する論考/データ部分がほぼ半々の割合になっている。
 釧路市(著者は道新の釧路支社勤務)の受給者や元受給者、行政側などに取材したルポの部分が虫瞰となり、公的扶助の歴史や生活保護の現状などを文献やデータ、識者の談話からたどった部分が鳥瞰となって、ミクロとマクロの両面から“日本の貧困のいま”が浮き彫りにされる。

 釧路が主舞台として選ばれたのは、著者の地元であるというだけの理由ではない。
 釧路市には、地域経済の衰退のため市民20人に1人が生活保護を受給しているという、全国的に見ても厳しい現状がある。また、釧路市は生活保護の「先進地」でもある。受給者に対する独自の自立支援プログラムに取り組んでおり、そのことで全国的に注目を浴びているのだ。

 本書でもくり返し言及されているが、生保をめぐる社会問題といえば、北九州市で相次いで起きた孤独死事件が記憶に新しい。行政側がいわゆる「水際作戦」で保護申請を受け付けなかった結果、保護を受給してしかるべき人が3年連続で孤独死を遂げたのである。とくに、生保を打ち切られたあと、日記に「おにぎり食べたーい」などと窮状を書き遺して2007年に孤独死した男性のケースは、世に衝撃を与えた。

 生保受給を厳しく制限する「北九州方式」(受給者を市全体で年間何人減らす、という数値目標が設定されていたという)が「北風方式」だとすれば、受給者の自立を支援して生保から抜ける人を増やそうとする釧路市のやり方は「太陽方式」といえよう。どちらがより人間的であるかは、いうまでもない。

 “生活保護の歴史・現状・展望の概説書”としても読める本書だが、いちばん感動的なのは、釧路市の受給者支援プログラムが具体的に紹介された第6章だ。そこに紹介されたさまざまな自立支援のうち、私が胸打たれたのは、生保受給家庭の子どもたちに対する進学支援。

 受給家庭には、子どもを塾に行かせる余裕など当然ない。また、受給者自身が中卒など低学歴であることも多く、自分では子どもに勉強を教えられない。しかし、受給家庭の子どもが低学歴になったら、貧困の連鎖を断ち切ることはできない。そこで、NPO法人が無料の進学勉強会を始めたのだ。
 ボランティアでチューター(ここでは「教える側」の意)となるのは、学生、市役所のケースワーカー、社会人ら。自らも生保受給者である男性2人も、チューターとなっているという。

 生保受給者となったことで人としての誇りを失いかけていた男性は、勉強会でチューターとなることで社会とのつながり、生きる喜びを取り戻していく。そのさまが感動的だ。

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ジュリアン・コープ『ベスト・オブ・BBCセッションズ』


ベスト・オブ・BBCセッションズベスト・オブ・BBCセッションズ
(2002/08/21)
ジュリアン・コープ

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 ジュリアン・コープの『ベスト・オブ・BBCセッションズ』を、中古で購入。
 1983年から91年までの間に、イギリス国営放送BBCラジオの番組のために行なったスタジオ・ライヴから、ベスト・テイクを集めたもの。英語タイトルに「Floored Genius 2」とあるが、これはジュリアンのベスト・アルバムのタイトル「Floored Genius 」をふまえたもの。

 「ベスト」と銘打たれているわりには、なんとも地味な内容である。
 選曲も地味。「ワールド・シャット・ユア・マウス」「トランポリン」のようなノリノリ系ロケンローがほとんどなく、ネオ・サイケ系の暗い曲が中心なのだ。

 演奏も、ことごとく元曲よりしょぼい。元曲のビートを弱めてヘナヘナにしたような演奏が多く、スタジオ・ライヴというよりデモテープ集のような感触。
 名作『セイント・ジュリアン』所収の「プラネット・ライド」をアコースティック/ネオ・サイケ風アレンジで演奏していたりして、一時期流行った『アンプラグド』みたいな趣もある。

 ただ、ラストを飾る「ダブル・ベジテーション」だけはなかなかよい。これはアルバム『ペギー・スーサイド』に入っていた曲だが、この曲のみ音が分厚く、元曲をしのぐ迫力になっている。

 BBCラジオのスタジオ・ライヴから生まれた『~BBCセッションズ』というタイトルのアルバムは、ほかにも数多い。私が聴いた中では、ツェッペリンとジミヘンのものがかなりよかった。
 しかし、このジュリアン・コープのものは、もろコレクターズ・アイテムという感じ。コアなファン以外にとってはあまり価値が感じられない。

 なお、ジュリアン・コープも最近では新作の日本盤すら出なくなっているが、コンスタントに新作は出しているようである(最近のものは私も聴いていないが)。

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苫米地英人『なぜ、脳は神を創ったのか?』


なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書)なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書)
(2010/06/04)
苫米地英人

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 苫米地英人著『なぜ、脳は神を創ったのか?』(フォレスト2545新書/945円)読了。

 大胆不敵な、苫米地流宗教論。
 直観的な独自の見解も多数盛り込まれており、トンデモ本的要素もないではないが、彼の著作の中では比較的まっとうで、宗教に関心のある向きには一読の価値がある。

 著作を粗製濫造していることもあって、苫米地は有象無象の自己啓発書著者と十把ひとからげにされがちだが、その著作には卓見もちりばめられており、あなどれない。

 本書の前半は、脳科学・認知科学・量子論等の知見を駆使して神の存在を否定するとともに、「人は(脳は)なぜ神を必要としたか?」という問いに答えた内容。

 人間は、「自分が不完全な情報システムであるということを、誰もが何かをきっかけにして自覚する」。ゆえに、「完全な情報システム」を求める心が信仰を生んだ、と苫米地は言う。「その意味では、資本主義もマルクス主義も宗教現象」だと……。

 なぜなら、資本主義とはお金という完全情報に対して憧れを抱き、そこに不変の価値を見いだす脳内現象だからです。
(中略)
 逆に、資本家の搾取をただし、労働者による階級闘争の進化を予言したマルクス主義は、資本主義に対抗するための宗教現象です。それは、労働こそ唯一絶対の価値であると信仰する宗教現象だといわなくてはなりません。

 

 このように、宗教学者なら立場上言えない大胆な解釈をちりばめて、苫米地は宗教という現象に迫っていく。

 後半は、仏教に一神教とは異なる独自の価値を認めるとともに、「宗教は、本質的にはこの21世紀には不要なものです」という苫米地が、人々が宗教から自由になるための方途を探っていく。

 私は部分的には本書の内容に異論もあるし、「神とは何か」という大テーマに新書一冊で迫ろうというのだから、論の進め方はかなり乱暴だ。それでも、刺激的で面白く読めた。

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西村賢太『人もいない春』


人もいない春人もいない春
(2010/06/30)
西村 賢太

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 西村賢太著『人もいない春』(角川書店/1680円)読了。

 車谷長吉が私小説から「足を洗った」いま、日本の私小説を背負って立つ存在といっても過言ではない西村賢太。その第6作品集である。版画を用いた物寂しい表紙が、西村の作風にマッチしていていい感じだ。

 私小説だから目を瞠る新展開があるはずもなく、内容は相変わらず。私は彼の本を読むたび、レビューで「もう飽きた」とか書いているのだが、それでも新著が出るたび手を伸ばしてしまう。不思議な吸引力をもつ作家である。

 本書では、作中の主人公の名は西村賢太ならぬ「北町貫多」となっている。これは、本書同様『野生時代』掲載作を集めた『二度はゆけぬ町の地図』でも使われていた名前。
 主人公の名が変わったからといって、ほかの西村作品ととくに色合いが異なるわけではない。掲載誌を区別する符丁程度の意味合いであろうか。

■関連エントリ→ 『二度はゆけぬ町の地図』レビュー

 『二度はゆけぬ町の地図』は、西村がまだ10代のころの青春時代を描いた作品が中心で、そのすさみっぷりがなんともよかった。本書の冒頭を飾る表題作も10代の日々を描いたもので、これがとてもよい。
 なので、「これは『二度はゆけぬ町の地図』の続編のような作品集かな」と大いに期待したのだが、10代のころの話は1編のみで、あとは中年になってからの話。

 おなじみの「女」(本書では「秋恵」という名になっている)との同棲生活を綴ったものが3編、神保町の古書肆を舞台に手ひどい失恋体験を綴ったものが1編(「二十三夜」という作品。これもかなりよい)。そしてもう一つ、レストランに巣くったクマネズミたちを主人公にした、異色の寓話風掌編が入っている。

 寓話風の掌編は、西村賢太らしさが感じられず、印象希薄。
 女との同棲生活を描いた3編も、これまでの同種の作品と比べて、わりと薄味。
 とくに「昼寝る」は、女が風邪を引いて寝込み、主人公がかいがいしく看病するという描写が延々とつづき、「こんな優しい男、西村賢太じゃない!」と思ってしまった(笑)。まあ、その後、看病することに飽きた主人公が「てめえは一体、いつまで病んでりゃ満足するんだ!」と床に伏せった女を怒鳴りつけ、毎度おなじみの展開となるのだが……。
 西村賢太の小説はいわば「ルサンチマンの文学」であるわけだが、この3編は燃料たるルサンチマンが不足している印象を受ける。

 そこへいくと、10代のころの悶々とした孤独な日々を描いた「人もいない春」は、煮えたぎるようなルサンチマンがみなぎっており、「西村賢太はこうでなくちゃ」と思わせる。たとえば、こんな一節――。

 もう自分と同じ年齢の者は、来春には高校も卒業するはずで、その大半は間違いなく大学にも進学するのであろう。彼はそれを考えると、また改めて自分が取り残される一方であることを痛感させられる。二年半前、彼が高校へゆかぬ事態になったのを聞いた同級生は、陰で、これであいつは一生土方だと嗤っていたらしく、それを知った貫多は烈火のごとく怒り狂い、その同級生の家にゆき、呼びだした上で叩きのめしてやったものだが、しかしどうもその不快な予言は、案外貫多の将来を見事に言い当てたような気配にもなってきている。



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藤原洋『第4の産業革命』


第4の産業革命第4の産業革命
(2010/07/07)
藤原 洋

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 藤原洋著『第4の産業革命』(朝日新聞出版/1470円)読了。

 工学博士で、日本のデジタル情報革命を推進してきた立役者の1人でもある著者が、来たるべき「環境エネルギー革命」を概説した本。
 
 「環境エネルギー革命」とは、太陽エネルギーと電気自動車、そして送配電の革新技術である「高温直流超伝導送信」を「三種の神器」とした環境エネルギー産業の勃興を指す。
 環境エネルギーが社会の中心となる時代が到来すれば、化石燃料依存型の社会は終わり、資源問題と環境問題の劇的な解決につながる。それは、たしかに「産業革命」と呼ぶにふさわしい。

 そして、イギリスで起こった動力革命を「第1次産業革命」、ドイツとアメリカで起こった重化学工業革命を「第2次産業革命」、アメリカで起こったデジタル情報革命(IT革命)を「第3次産業革命」ととらえれば、「環境エネルギー革命」は「第4の産業革命」ということになる。

 本書は、環境エネルギー革命の概説書としてたいへん優れている。正味200ページほどのコンパクトな本で、文章にも論文臭はなくわかりやすい。

 著者は、まず過去の3つの産業革命の意味についても手際よくまとめる。
 そして、環境エネルギー革命の重要な要素である太陽エネルギー・電気自動車・スマートグリッド(次世代送電網)などについて、その基本的仕組みと歴史・現状・展望を、私のような理系オンチにもわかるよう、噛んで含めるように解説してくれている。

 太陽光発電の仕組み、電気自動車の歴史、超伝導とは何か……などという初歩の初歩から説き起こし、そこから最新知識にまで読者を導いていくのだから、著者の教え上手は池上彰も真っ青である。
 環境エネルギーをめぐるAtoZが概観でき、世界がいま進んでいる方向性がよくわかって、頭の中がスッキリ整理される感覚を味わうことができる。4つの産業革命という串によって近・現代史がつらぬかれることで、いまという時代がどのような時代なのかが、よくわかるのだ。たとえば、次のような記述――。

 「レクサス」のリコール問題は、複雑な要因が複合して起こったものと考えられますが、トヨタ自動車という企業の問題というよりも、歴史的に俯瞰してみれば、内燃機関を利用した自動車エンジンの限界であったと受け止めることができるかもしれません。世界に冠たる徹底的な品質管理をして安全に気を配っていた企業でも不具合が出た事実は、産業史のターニングポイントを示しているともとれるのです。
 さらに、後で詳述するように、デジタル情報革命の進展は、エネルギーの大量消費を招いています。将来、ITサービス企業のデータセンターが、世界のエネルギー需要の半分を占めるといった予測もあります。これらの事実を見ても、歴史的必然として、「環境エネルギー革命」という第4の波に乗る時期が訪れていることがわかります。



 「2000年までは、欧州全体より、日本一国での太陽光発電量が多かった」とか、私のようなシロウトには目からウロコの記述も満載。

 何より素晴らしいのは、未来に明るい希望を抱かせる本であること。たとえば――。

 20××年、深夜の東京。街は煌々と光に照らされています。その光の源は、サハラ砂漠、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠をはじめ、巨大な砂漠に降り注ぐ太陽エネルギー。その電力が東京まで運ばれ、それによって東京は不夜城のように輝いているのです。太陽エネルギーは無尽蔵ですから、節電を考える必要もありません。
 ――これはけっして夢物語ではなく、そう遠くない将来に実現するエネルギー供給の姿でしょう。



 そして本書は、“日本はその高い技術力を活かし、第4の産業革命をリードすべきだ。そこにこそ、我が国が現在の停滞を打ち破る鍵もある”と訴える熱い提言の書でもある。政治家たちにこそぜひ読ませたい一書だ。

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岩井道『マンガけもの道』


マンガけもの道 まんだらけ中野店副店長の珍作発掘探訪マンガけもの道 まんだらけ中野店副店長の珍作発掘探訪
(2010/08/11)
岩井 道

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 昨日は、足立区西新井で企業取材。

 最近、中小企業の社長さんを取材する機会が多いのだが、そのたびに思うのは「私には絶対社長はできないなあ」ということ。
 もともと「人の上に立つ資質ゼロ」であることもあるが、それ以上に、日常的な資金繰りの苦労などにとても耐えられそうにないのだ。

 日本の企業の大部分(98%だったか)は中小企業であるわけで、日本経済の「毛細血管」となってこの国を支えているのは、中小企業経営者たちのたゆまぬ奮闘なのである。

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 行き帰りの電車で、岩井道著『マンガけもの道――まんだらけ中野店副店長の珍作発掘探訪』(扶桑社/1470円)読了。

 副題のとおりの本。マンガ古書店「まんだらけ」の中野店副店長をつとめる著者が、その筋金入りのマンガ・マニアぶりを全開させ、マンガ史に残る珍作・怪作を紹介するコラム集である。

 すでに類書として、「と学会」による『トンデモマンガの世界』や、『マンガ地獄変』などがある。

 『トンデモマンガの世界』は以前読んで、つまらなさにがっかりした覚えがある。本書は、少なくとも『トンデモマンガの世界』よりはずっと面白い。作品のセレクトもディープだし、ツッコミ芸も著者のほうが上だ。

 まえがきのタイトル――「古本マンガの世界にようこそ! ここが腐海の底です。」だけで、もう笑える。著者は言葉を選ぶセンスがよい。

 紹介されているマンガは、思いっきりマニアック。『極道めし』のように比較的ポピュラーなものもあるが、私も半分以上の作品は知らなかった。当然、すでに絶版のものが多く、それこそ「まんだらけ」にでも行かなければ手に入らないだろう。
 とはいえ、コラムの中で言及されているツッコミ・ポイントのシーンがぬかりなく転載されているので、元の作品を知らなくても楽しめる。

 1作につき4ページずつのコラムになっており、コラムごとに見出しがついているので、それをいくつか紹介してみる。

酒に溺れてくだを巻く。悩めるウルトラマンを描く怪作!(『ウルトラ兄弟物語』)

「読み過ぎると頭がおかしくなる!」という都市伝説まで飛び出た、伝説的スカムホラー(『呪われた巨人ファン』)

なにかというとすぐレイプ! 間違った薩摩隼人像をひたすら描写する男の劇画!(『青春火山』)

鬼気迫る筆致で描かれたシンナー中毒の描写に、トラウマを抱いた読者が続出!(『鍍乱綺羅威挫婀 とらんきらいざあ』)

アイデアレシピを超えたトンデモレシピ! もはや料理ですらない「超」料理マンガ(『味覚一平』)



 この見出しを読んだだけで、「いったいどんなとんでもないマンガなんだ?」と読んでみたくなるでしょ?
 まあ、取り上げられた作品の大半については、「コラムを読んで内容がわかればそれでもういいや」という感じなのだが、中には「これ、絶対読んでみたい!」と思わせるものもある。
 私の場合、「ドラッグをテーマにした救いのない描写が炸裂! 破滅マンガの隠れた名作」だという『エンドレス・ドラッグ・ウォーズ リスク』というマンガを、「絶対読みたい!」と思った。

■参考→ 著者がまんだらけのサイトで『エンドレス・ドラッグ・ウォーズ リスク』を紹介したコラム(本書所収のものとは内容が違う)

 「全8巻中、6巻までは熱血アメフトマンガ。後半2巻で突如、衝撃的な路線変更!」と紹介されている『5ヤーダー』、私、子どものころリアルタイムで読んでました。たしかにとんでもなかった。

 まあ、連載途中で路線変更されて「別の作品」になってしまうのも、マンガ界にはよくあることだ。
 あの『750ライダー』(石井いさみ)だって、連載開始当初の早川光(主人公)は先公を病院送りにするようなワルだったのに、途中から「あ、蟹さんが……。春ですねえ」みたいなほのぼのマンガになったのである。

 もっとすごい例として、ジョージ秋山が『少年サンデー』に連載していた『青春の河』というのがあった。
 これは、開始当初は五木寛之の『青春の門』のあからさまなパクリだったのに、途中からなんとSFマンガになってしまい(!)、主人公は世界を救う救世主となって終わるのであった。
 まあ、岩井道氏は『青春の河』くらい先刻ご承知であろうが……。

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ラジ・パテル『肥満と飢餓』


肥満と飢餓――世界フード・ビジネスの不幸のシステム肥満と飢餓――世界フード・ビジネスの不幸のシステム
(2010/08/31)
ラジ・パテル

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 ラジ・パテル著、佐久間智子訳『肥満と飢餓――世界フード・ビジネスの不幸のシステム』(作品社/2730円)読了。

なぜ世界で10億人が飢え、10億人が肥満に苦しむのか? 世界の農民と消費者を不幸にするグローバル・フードシステムの実態と全貌を明らかにし、南北を越えて世界中で絶賛された名著。 食料をめぐる政治、グローバル経済と社会正義、そして私たちの生き方。食べ物を通して、世界の差し迫った課題を明確に見せてくれる。――「ガーディアン」紙(アマゾンの内容紹介より)



 書評を書くので、ここにはくわしい感想が書けないのだが、示唆に富む好著であった。
 以下、付箋を貼った箇所をいくつか引用しておく。

 (米国では)黒人の多い地域のスーパーマーケットは、意図的に白人が多い地域よりも健康的でない食品を揃えている。そして、多くの調査が明らかにしているように、健康的な食品が手に入る地域では、果物と野菜の消費量も多いのである。



 私たちは、今の暮らしや仕事、遊びを通じて食べ物を選んでいるのではなく、食べ物に選ばれている状態に陥っている。しかし、その事実をしっかりと受け止めるのは簡単ではない。



 米国では、有色人種と貧困層は肥満になりやすい環境に置かれており、白人や富裕層は新鮮で栄養価が高く塩分と脂肪分の少ない食べ物を得やすい環境に住んでいる。米国全体でみると、貧困地域は、富裕地域に比べてスーパーマーケットの数が四分の一しかないうえに、酒類を提供する飲食店が三倍もある。(中略)ファストフードの店舗は、貧困地区や有色人種の居住地域に集中している。



 つい最近までは、インドや中東、および南太平洋など、世界の多くの社会で美人の典型とされてきたのは、背が低く太った人々であった事実を思い起こして欲しい。にもかかわらず、わずか一世代のあいだに、現在の特定の美の基準だけが世界を席巻してしまったのである。



 あなたが食品企業の重役でもないかぎり、フードシステムは、あなたのために機能してはいない。世界中で、農民と農場労働者たちは、政治家に黙殺され、市場にもてあそばれ、死の淵を漂っている。
 消費者は、加工食品をたらふく食わされ、中毒にさせられている。アグリビジネスの食品とマーケティングは、食に起因する病気を爆発的に増加させ、私たちの身体を害し、世界中の子どもたちの身体に時限爆弾を仕込んでいる。



 現代のフードシステムでは、「高収量品種」の栽培に要求される厳密な育成条件を整えるために、大量の淡水を持続不可能なレベルで消費することが必然化している。



 今日のフードシステムを支えている、化石燃料、水、土壌はすべて危機的な状態に陥っている。



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チック・コリア・エレクトリック・バンド『トゥ・ザ・スターズ』


To the Stars (Dig)To the Stars (Dig)
(2004/08/24)
Chick Corea

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 チック・コリア・エレクトリック・バンドの『トゥ・ザ・スターズ』を聴いた。2004年に出たものだが、聴いたのは初めて。

 1970年代、第2期リターン・トゥ・フォーエヴァーで、マハヴィシュヌ・オーケストラと並んでジャズ・ロックの頂点を極めた、ジャズ・ピアノの巨匠チック・コリア。彼が再びロック色の強いバンド・スタイルを取ったのが、1985年結成の「チック・コリア・エレクトリック・バンド」であった。

 80年代半ばから90年代半ばにかけ、(途中にメンバー交代をはさみつつ)6枚のアルバムを発表したチック・コリア・エレクトリック・バンド。それが、約10年を経て復活を果たしたのが本作だ。
 ジョン・パティトゥッチ(b)、デイヴ・ウェックル(ds)、フランク・ギャンバレ(g)、エリック・マリエンサル(sax)というおなじみの「テクニックがありすぎる人たち」が顔を揃え、華麗なハイパー・テクニカル・フュージョンが展開されている。

 チック・コリアがかねてより心酔しているSF作家、L・ロン・ハバードの同名小説をモチーフにしたコンセプト・アルバムである。
 ハバードは新宗教「サイエントロジー」の創始者でもあるが、本作にはとくに宗教色はなく、ドラマティックな構成をもつジャズ・ロック・アルバムとして普通に楽しめる。

 私のチック・コリア・エレクトリック・バンドに対する印象は、一言で言えば「RTFの軽装版」というもの。「RTFから重厚さや深い精神性を削ぎ落とし、ポップでカラフルなハイパー・テクニカル・フュージョンを聴かせるエンタメ系バンド」というイメージであったのだ。
 華麗なテクニックの応酬は耳に心地よいが、深みに欠けるうらみがあり、あまりのめりこんで聴いた記憶がない。要するに、私はRTFのほうが好きだったのだ。

 しかし、本作はSF小説をモチーフにしているだけあって、従来のエレクトリック・バンドのもつ軽さがうまく払拭されていて、好印象。過去のエレクトリック・バンドのアルバムより、むしろRTFの『銀河の輝映』や『第七銀河の讃歌』を彷彿とさせる作品に仕上がっているのだ。

 とくに、10分を超える2つの大曲――「ジョニーズ・ランディング」と「ザ・ロング・パッセージ」は、RTFの最高傑作『浪漫の騎士』に入っていても違和感がないであろう壮大な傑作で、素晴らしい。第2期RTFが好きな人なら、この2曲のためだけにでも買って損はない。


↑「ジョニーズ・ランディング」のライヴ映像(フランク・ギャンバレがソロをかます部分)

 ただし、本作には一つ難がある。
 全17曲のうち7曲が「ポート・ヴュー」1~7と銘打たれた短いインタールードになっているのだが、この部分がまったくつまらないのである。計7曲の「ポート・ヴュー」はそれぞれ、チックのシンセが奏でる「フニュ~ン」とか「ヒュイ~ン」とかいう感じの音で構成されているのだが、音楽的価値は皆無としか言いようがない。

 チック・コリアは、このようにインタールードを挟む構成が好きらしい。RTFの『銀河の輝映』でも、骨太なジャズ・ロック・チューンの合間にピアノ・ソロのインタールードを挟んでいた。
 ただし、『銀河の輝映』の場合、インタールードにも澄明な美しさがあり、聴く価値があった。それに対し、本作の「ポート・ヴュー」はSF映画のサウンド・エフェクトみたいなものでしかなく、ないほうがよかった。
 ためしに、CDプレイヤーのプログラム機能を使って「ポート・ヴュー」部分を抜かして聴いてみたところ、そのほうがはるかに引き締まってよい印象になった。

 でもまあ、インタールードがしょぼい点を除けば、たいへんよいアルバムだと思う。

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葛生千夏『アンジェリーク音楽集~ロマンシア』


アンジェリーク音楽集~ロマンシアアンジェリーク音楽集~ロマンシア
(1997/09/26)
ゲーム・ミュージック、葛生千夏 他

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 葛生千夏(くずう・ちなつ)の『アンジェリーク音楽集~ロマンシア』を、中古で購入。

 葛生千夏は、おもに1990年代に活動したアーティスト。
 『THE CITY IN THE SEA』(1991年)と『THE LADY OF SHALOTT』(1992年)という2枚のソロアルバムはまことに素晴らしく、私はいまでもたまに引っぱり出して聴く。

 葛生千夏は古い英米文学に造詣の深い人で、その曲の多くはポーやテニスン、キーツらの詩に曲をつけて歌ったものだった。
 というと、小難しくてしかつめらしい音楽と思われかねないが、実際にはすこぶる聴きやすい、極上の耽美派ポップ・ミュージックである。

 彼女のヴォーカルは中性的……というよりまるで少年のようで、「萩尾望都のマンガに出てくる美少年が歌を歌ったら、きっとこんな感じだろう」と思わせる、味わい深い不思議な美声なのであった。
 チェンバロなどの音を模した端正な打ち込みサウンドに載せて歌うその音楽は、J-POPの歴史の中でも他に類を見ない独創的なものであった。しいていえば、雰囲気としてはザバダックにちょっと近いか。


↑テニスンの詩に曲をつけた「ELAINE THE FAIR」。

 残念なことに、葛生千夏名義のソロアルバムは『THE LADY OF SHALOTT』で打ち止め。以後、彼女はゲームミュージックやCMの世界で活躍していたが、その後英国に留学し、いまは完全に活動休止状態らしい。


↑一般にはこの曲が有名か。『ファイナルファンタジーVI』のCMソング。この印象的なヴォーカルが葛生千夏。

 このアルバムは、彼女が『アンジェリーク』というゲームのために作った音楽を、クラシカルなアレンジを施して生楽器で演奏したもの。
 私はゲームをやらないので、元のゲームもその音楽も知らないが、このアルバムは葛生千夏らしさが随所に発揮されていて、けっこう楽しめた。BGMにするとなかなか心地よい。彼女のヴォーカル入りの曲も1曲入っているし。

 紫堂恭子のマンガ『グラン・ローヴァ物語』のイメージ・アルバムとか、葛生千夏が何曲かヴォーカルを寄せたアルバムはほかにもけっこうあるはずで、どこかの会社でそういう曲を集めて1枚のアルバムにしてくれないものか。あまり売れないかもしれないが、少なくとも私は買う。

 なお、『THE CITY IN THE SEA』、『THE LADY OF SHALOTT』ともいまは廃盤だが、中古で割と安く手に入るので、オススメ。
 ちなみに、ややエレポップ風味の『THE CITY IN THE SEA』より、オーガニックな雰囲気が増した『THE LADY OF SHALOTT』のほうが、私は好きだ。とくに、テニスンの「シャロットの女」に曲をつけた組曲形式のタイトル・ナンバーは、最高の仕上がり。 

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藤岡弘、さんを取材


愛こそすべて合掌、愛こそすべて合掌、
(2005/09/21)
藤岡弘、

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 今日は、俳優の藤岡弘、さんを取材。都内某所のオフィスにて。

 インタビュー場所として案内されたオフィス最上階のサンルームには、『愛こそすべて合掌、』のCDが流され、『仮面ライダー』関連のマニア垂涎のお宝グッズが並んでいた。
 お弟子さんが入れてくださった噂の「藤岡、珈琲」(厳選されたペルー産の有機栽培豆を、藤岡さんご自身が富士山まで汲みに行くという湧水で入れたもの。大変おいしゅうございました)を飲みながら待つと、藤岡さんが登場。その颯爽とした出で立ちは、本郷猛=仮面ライダー1号そのままであった。64歳とはとても思えない若々しさ。

 私は、もろ『仮面ライダー』世代である。『仮面ライダー』の放映が始まったときには小学校低学年。夢中になって観ていたものだ。もちろん、「仮面ライダー・カード」も集めていた。
 ダウンタウンやとんねるずにとって藤岡さんは憧れのヒーローで、初めて共演した際は狂喜していた(ウィキペディアの記述)というが、彼らと同世代の私には、その気持ちはよくわかるのであった。

 何よりすごいのは、藤岡さんがその実像も「ヒーロー番組から抜け出てきたような方」であること。
 筋金入りの武道家で、武道の段位は計20段以上。真剣斬りを行なう武道公演を各国で行なっては「ラスト・サムライ」としてリスペクトを集め、恵まれない子どもたちに手を差し伸べるべく世界各地の紛争地に赴き……。
 仮面ライダーの「中の人」は、ホントにライダーみたいな人だったのである。

 予定の時間を大幅に超えて熱く語ってくださった藤岡さん。
 私はその間、「ああ、あの本郷猛が目の前にいる」と、しばし少年時代に戻ってしまったのであった。

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『洲崎パラダイス 赤信号』


洲崎パラダイス 赤信号 [DVD]洲崎パラダイス 赤信号 [DVD]
(2006/03/10)
新珠三千代三橋達也

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 ケーブルテレビで録画しておいた『洲崎パラダイス 赤信号』を観た。

 川島雄三監督が芝木好子の小説を映画化した作品。川島にとっては『幕末太陽傳』と並ぶ代表作とのことだが、私は初見。現在の江東区東陽町あたりにあった「洲崎遊廓」を舞台にした、男と女の人情ドラマ。

 この映画が作られた1956(昭和31)年は、売春防止法が施行された年。一年間の猶予期間ののち、58年にいわゆる「赤線地帯」は一掃された。廃止を目前にした洲崎遊廓でロケが行なわれ、「洲崎パラダイス」の最後の輝きをフィルムに刻みつけている。


↑記録映画の中の「洲崎パラダイス」。昼間の映像でもあり、うら寂しい。

 川島作品ゆえにもっとコミカルな内容を想像していたのだが、笑いの要素は皆無。さりとて重苦しさはなく、ミゼラブルな物語が軽やかに描かれている。

 すごくよかった。これは名作。
 まず、半世紀前の東京の下町の風景を見ているだけでも愉しい。それだけのためにでも観る価値がある。

 モノクロ映画なのに、映像に豊かな色彩感がある。ネオンの灯りや川面の水のゆらめき(川がくり返し登場する映画だ)に、ちゃんと色が感じられるのだ。

 洲崎遊廓が舞台とはいえ、遊廓そのものはタイトルバックにしか登場しない(!)。あとは、遊廓の入り口にある狭い飲み屋を中心にストーリーが展開する。
 轟夕起子(まさに「日本のお母さん」というイメージ)が一人で切り盛りするその店は、日常世界と遊廓という異界を結ぶ汽水域のような場所。人々はその汽水域で一休みしては、遊廓に出かけたり、日常世界に戻っていったりするのである。

 物語の中心となるのは、新珠三千代演ずる蔦枝と、三橋達也演ずる義治のカップル。蔦枝はもともと洲崎遊廓の娼婦だったが、行き場をなくした2人は洲崎に舞い戻り、轟夕起子が女将の飲み屋に住み込みで働き始める。

 娼婦をやめても相変わらず尻軽なビッチ・蔦枝と、甲斐性なしのダメ男・義治――。およそ映画の主人公とは思えない2人のダメダメっぷりがものすごい。
 だが、川島雄三はそのダメな2人を包み込むように、優しくあたたかく描き出す。「人間とはかくも情けなく、だらしなく、滑稽な存在だが、しかし愛おしい」とでも言うように……。

 ストーリー自体は男と女がくっついたり離れたりのよくある話なのだが、全編に流れるやるせなさ、哀感が絶品で、最後まで少しも退屈しない。

 滝田ゆうの名作劇画『寺島町奇譚』(あれは戦時中の玉の井遊廓の話だが)を思い出した。てゆーか、時系列からいったらむしろ滝田がこの映画に影響を受けていたのだろう。

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『クヒオ大佐』


クヒオ大佐 [DVD]クヒオ大佐 [DVD]
(2010/03/26)
堺雅人松雪泰子

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 ケーブルテレビで録画しておいた『クヒオ大佐』を観た。


↑予告編

 第1作『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』がたいへん面白かった吉田大八監督(売れっ子CMディレクターでもある)の、第2作。

■関連エントリ→ 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』レビュー

 生粋の日本人なのに「米空軍パイロットで、カメハメハ大王の末裔にして、エリザベス女王の親類」を名乗り、多くの女性を騙した実在の結婚詐欺師「ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐」(本名は鈴木和宏)の事件を基にした、どす黒いラブコメディ。
 実際の「クヒオ大佐」は髪を金髪に染めたしょぼくれたじいさんだったが、本作ではしょうゆ顔童顔ハンサムの堺雅人がクヒオを演じている。特殊メイクで不自然に高い鼻を見ているだけでおかしい。

 堺は尻まで出して捨て身の熱演だし、松雪泰子、満島ひかり、中村優子ら女優陣も、助演の新井浩文も、それぞれ素晴らしい。とくに新井は、いまや邦画にピリっとスパイスをきかせるための得難い存在だと思う。
 監督の才気を感じさせる場面も少なくないし、何よりかなり笑える。

 だがしかし、破天荒なパワーがみなぎっていた『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』に比べると、かなり物足りない。「なんか、ちんまりまとまったフツーの映画になっちゃったなあ」という印象。

 徹頭徹尾ブラック・コメディにすればよかったのに、後半に中途半端なヒューマン・タッチが加味されているのがよくない。とくに、子ども時代のクヒオ大佐が父親に虐待されていた……などというエピソードはいかにもとってつけたようで、いただけない。
 内野聖陽が演ずる政府高官(?)の存在も、なんの意味があるのかさっぱりわからなかった。

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鴨志田穣『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』


酔いがさめたら、うちに帰ろう。 (講談社文庫)酔いがさめたら、うちに帰ろう。 (講談社文庫)
(2010/07/15)
鴨志田 穣

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 鴨志田穣著『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(講談社文庫/550円)読了。

 2007年にガンで世を去った「カモちゃん」こと鴨志田穣が、その早すぎる晩年に書いた私小説。東陽一によって映画化され、12月公開予定だという。

■映画『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』公式サイト→ http://www.yoisame.jp/

 西原理恵子の夫でもあったカモちゃんだし、タイトルの印象から、この小説もサイバラ(作中では、主人公の妻はマンガ家ではなく画家という設定になっているが)とのラブストーリーが主軸なのだと思っていた。だが、実際に読んでみたらそうではなかった。

 ラブストーリーとしての側面もないではないが、主軸はむしろ、主人公が入院するアルコール依存症治療病棟の人間模様であり、依存症治療をめぐる悲喜こもごもなのだ。アルコール病棟の狂騒の描写は、吾妻ひでおの傑作『失踪日記』を彷彿とさせる。

 アルコール依存症の恐ろしさも、これでもかとばかり描かれている。と同時に、依存症患者が酒を飲んだときに感ずる、一瞬だけの心地よさまでが伝わってくる点がすごい。たとえば――。

 最初のビール一口でかならずと言っていいほど吐き出すのに、一休みしてあらためて飲み出すと、するすると喉を流れてゆく。
 胃のあたりがほんわり温かくなる。
 起き上がるのもやっとの状態で立ち上がっているのに、酒が入ると何だか元気になる。
 買ったもの全部を飲み干すと、すたすたと家に帰る。



 もっとドラマティックに、泣かせる内容にしようと思えばできただろうに、カモちゃんはそうしなかった。淡々としたユーモアとペーソスを全編にちりばめて、自らが死に向かう日々を客観的に観察して(!)小説化しているのだ。

 アマゾンのカスタマー・レビューを見たら、カモちゃんの文章について「相変わらずヘタ」などと酷評しているものが散見された。だが、本書の文章には心地よいリズムがあって読みやすいし、けっしてヘタではないと思う。

 本書を「泣ける本」にすることを注意深く避けていた感のあるカモちゃんだが、それでも、ラストシーンだけは泣ける。
 それは、末期ガンで余命一年を宣告された主人公を、一度は離婚した妻が家に迎える場面。次のように結ばれている。

 目が覚めると見なれたベッドの上だった。
「お帰りなさい、先生から聞いたわ、あなた。これから一緒に生きてゆきましょうね」
 ハスの花が咲いたような妻の顔があった。



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『ヴェリー・ベスト・オヴ・モントローズ』


ヴェリー・ベスト・オブ・モントローズヴェリー・ベスト・オブ・モントローズ
(2000/11/22)
モントローズ

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 モントローズのベスト盤『ヴェリー・ベスト・オヴ・モントローズ』を輸入盤で購入。輸入盤だと新品が送料込みで1000円しない。安い。

 モントローズは、おもに1970年代に活躍したアメリカン・ハード・ロック・バンド。エドガー・ウィンター・グループなどでの活動で知られたギタリスト、ロニー・モントローズを中心に結成された。若いロック・ファンには、ヴァン・ヘイレンの2代目ヴォーカリスト、サミー・ヘイガーが昔いたバンドと言ったほうが通りがよいか。

 キッス、エアロスミス、チープ・トリック、ヴァン・ヘイレンなどというビッグネームに比べれば知名度は低いものの、それらのグループの――すなわち、1970年代後半以降のアメリカン・ハード・ロックの――雛型を作った偉大なオリジネイターである。
 モントローズが名盤の誉れ高いファースト・アルバムを出したのは1973年だが、このアルバムの中に、キッスやエアロ以降のアメリカン・ハード・ロックの原型がすでにして完成されているのだ。
 
 彼ら以前のアメリカン・ハード・ロックといえば、グランド・ファンク・レイルロードみたいな大らかで大ざっぱで野暮ったいバンドが大部分だったわけだが、モントローズはそこにブリティッシュ・ハード・ロック的な陰影と都会的なセンスを持ち込んだ。
 つまり、従来のアメリカン・ハードとブリティッシュ・ハードの「いいとこ取り」を、抜群の演奏力とセンスでやってのけたバンドだったのだ。

 強烈なドライヴ感に満ちた、陰影に富むハード・ロックでありながら、曲はあくまでポップで聴きやすく、渇いたユーモアが隠し味になっていた。そのへんがアメリカン・ハードたるゆえんだ。

 このベスト盤は、70年代の4枚のアルバムと、80年代後半の再結成後の1枚のアルバムからセレクトしたもの。痛快なハード・ロックてんこ盛り。その合間に挟まれたバラード・ナンバーも渋い。蜂がギターを抱えているジャケットもいい感じだ。

 キッス、エアロスミス、チープ・トリック、ヴァン・ヘイレンあたりが好きで、なおかつモントローズを知らない人(けっこう多いはず)にオススメ。

 ファースト・アルバムの冒頭を飾った衝撃の2曲、「ロック・ザ・ネイション」と「バッド・モーター・スクーター」を下に貼っておく。この2曲の図抜けた痛快さは、いまも色褪せない。





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『ブックビジネス2.0』


ブックビジネス2.0 - ウェブ時代の新しい本の生態系ブックビジネス2.0 - ウェブ時代の新しい本の生態系
(2010/07/16)
岡本 真仲俣 暁生

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 岡本真・仲俣暁生編著『ブックビジネス2.0――ウェブ時代の新しい本の生態系』(実業之日本社/1995円)読了。

 先日読んだ『電子書籍と出版――デジタル/ネットワーク化するメディア』の類書。刊行時期も同じだし、編著者も一部重なっている。仲俣暁生や橋本大也は、両方の本に登場するのだ。

 というわけで、どうしても2冊の本を比較して読んでしまう。『電子書籍と出版』はとっちらかって未整理な内容だったが、それに比べ、本書に収録された論考はどれもきちんとまとまっている。
 ただ、本書のほうが面白かったかといえば、微妙なところ。正直、私にはちょっと期待外れだった。

 書名に「ブックビジネス」とある以上、寄る辺ないフリー物書き業者である私としては、「出版界はこの先どうなるの?」という疑問に答えてくれる本を当然期待するわけだ。身もフタもない言い方をすれば、「オレらフリーライターの5年先、10年先の食い扶持はどうなるの?」に答えてくれる本を、である。

 ところが、その期待に反して、本書の内容はやたらアカデミックでヘンに大局的なのであった。
 コンテンツは以下のとおり――。

はじめに 仲俣暁生

電子書籍で著者と出版社の関係はどう変わるか
津田大介 / ジャーナリスト インターネットユーザー協会代表理事

印税90%が可能なエコシステムを
橋本大也/ 起業家 データセクション代表取締役

未来の図書館のためのグランドデザイン
岡本真/ アカデミック・リソース・ガイド代表取締役

ディジタル時代の本・読者・図書館
長尾真/ 国立国会図書館長

多様化するコンテンツと著作権・ライセンス
野口祐子/ 弁護士 NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン常務理事

ウィキペディアから「出版」を考える
渡辺智暁/ 国際大学GLOCOM主任研究員

「コンテンツ2.0」時代の政策と制度設計
金正勲/ 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授



 見てのとおり、本書の編著者たちは「ブックビジネス」を非常に広義にとらえており、図書館、ウィキペディア、クリエイティブ・コモンズについてそれぞれ章を割いている。

 私が読みたかったのは、もっと下世話な、「本をめぐる商売が今後どうなるのか?」なのだが、それに答えてくれたのはわずかに2つの章――津田大介と橋本大也の論考のみ。この2章は読む価値があった。私が付箋を打った箇所を一部引用してみよう。

 専業の物書きにとっては、いまは「頑張っていい本を書き、それをうまく売ったお金の余力で次の本を書く」というモデルしかありません。でも本当は、いい執筆プランがあった場合、映画を撮る場合と同じで、絶対に先行投資は必要なものとして、資金をどのように集めるかを考えていくべきだと思います。従来のビジネスモデルでは、出版社がそのリスクをすべて負っていたわけですが、いまは逆に、出版社があまりにリスクヘッジをし過ぎて、先行投資をすることができなくなっている。そうしたなかで、どうやって書き手が新しい本を書ける環境、いわば「執筆支援環境」を作っていくかに僕は関心があります。(津田大介の論考より)



 私はこれからの時代に、著者が起業家精神を持つことが何より大切になるだろうと考えています。自分の本の出版を自分のビジネスとしてとらえるべきなのです。
(中略)
 これからの著者は、出版社に本を“書かせていただく”のではなくて、個人のビジネスのアウトソース先として、パートナーをコスト合理性で選んだらいいと思います。本づくりの特権は誰にでもある時代なのですから。
 たとえば私たちは、仕事で一般的な業務内容のアウトソース先を選ぶとしたら、まず価格で選びます。あちらの業者より、こちらの業者のほうが何割も安い。そして、あちらはこういうオプションも提供している、などと価格とオプションを加味して決めます。
(中略)
 でも従来の出版業界はそうなっていません。どこもかしこも印税率はほぼ同じであり、魅力的なオプションも提示されません。オープンな競争市場が形成されていない証拠です。(橋本大也の論考より)

  

 津田と橋本は、それぞれの論考の中で、角度こそ違え同じことを言っていると感じた。「これからは、ただ文章を書くだけのライターは生き残っていけない」のだ、と……。

 ほかの章は、「私には関係ない遠い世界のキレイゴト(理想論)」としか思えなかった。

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高橋克彦『時宗』


時宗 巻の壱 乱星 (講談社文庫)時宗 巻の壱 乱星 (講談社文庫)
(2003/04/07)
高橋 克彦

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 今週は、火曜から金曜まで毎日取材。バタバタ忙しい。

 一昨日は埼玉の越谷で企業取材。
 昨日は、パティシエの辻口博啓さんを取材。自由が丘のオフィスにて。パティシエとして世界の頂点にのぼりつめた方だけに、一言一言がたしかな哲学に裏打ちされていて、非常に深い話をしていただいた。

 今日は、作家の高橋克彦さんに電話取材。
 明日は、福島の郡山まで日帰り取材。

-------------------------------------------------

 高橋克彦著『時宗』全4巻(講談社文庫)を読了。

 今回の取材のテーマが高橋さんの日蓮観であるため、資料として読んだもの。2001年のNHK大河ドラマの原作小説である。

 タイトルは『時宗』だが、実際には北条時頼と時宗の父子二代にわたる物語。若き日の時頼が鎌倉幕府の執権となるところから始まり、その後を継いだ時宗が34歳の若さで世を去るまでが描かれている。

 執権となった時宗の前に立ちはだかった最大の難関・蒙古襲来(元寇)が、全編のクライマックスに置かれている。
 蒙古襲来の顛末は、第4巻を丸ごと費やして描かれる。1~3巻は、そのクライマックスに向けてじわりじわりと盛り上がっていく感じ。4巻は、じつに全体の半分くらいが戦闘シーンである。私は大河ドラマをほとんど観たことがないのだが、これほど血なまぐさい大河ドラマも珍しいのでは?

 よい意味で講談的な面白さがあり、一気読みした。高橋さん自身の歴史観・国家観を明確に打ち出しつつも、きっちり楽しませるエンタテインメントになっているあたり、さすが人気作家。

 日蓮は要所要所に登場するのみだが、もう一人の主人公といってもよいくらい、強烈な印象を残す。
 「竜の口の法難」における「ひかりもの」に合理的な解釈がくわえられていたりして、蒙古襲来を描いた過去の映画などにおける日蓮像より、はるかに現代的。 

 私がいちばん感心したのは、日蓮より「立正安国論」を奉上された際の、時頼の心の動きを描いたくだり(第2巻「果断」の章)。「立正安国論」の内容に驚きと感銘を受けつつも、日蓮の訴えを聞き入れるわけにはいかない胸の内に分け入って、見事だ。
 それは当然、史実をふまえたうえで、高橋さんの想像力によって描き出された心の揺れである。しかし、私はこのくだりを読んで、「ああそうか、時頼はこういう気持ちだったのか」と、何か謎が解けたような気持ちを味わったのだ。一流の作家の想像力・洞察力というのは、すごいものだと思う。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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