姜尚中『姜流』


姜流(DVD付) (AERA Mook)姜流(DVD付) (AERA Mook)
(2009/07/30)
姜 尚中

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 姜尚中著『姜流』(朝日新聞出版/1470円)読了。

 「姜尚中のすべてがわかる」と銘打たれた本書は、おなじみ「アエラムック」(『○○学がわかる』などという一連の学問ガイドで知られるシリーズ)の手法を援用して作られた、姜尚中ファン向けのムックである。

 『アエラ』連載中のエッセイ「愛の作法」がセレクトして収録されているほか、4つの対談(相手は、半藤一利、佐藤優、五木寛之、中川翔子)、近しい文化人9人(田原総一朗、宮崎学、梁石日ほか)が語る「私の姜尚中論」が収められている。ほかにも企画ページがいろいろ。 

 姜さんのカラー写真も満載。しかも、「姜尚中 OFFな一日」と題されたDVDまでオマケについている。

 「朝まで生テレビ」などでの硬派な論客ぶりに魅せられてきた昔からのファンは、「タレント気取りもほどほどにしてほしい」と眉をひそめるかもしれない。
 まあ、私も「さすがにDVDはやりすぎかな」と思うが(笑)、一冊の本として虚心坦懐に見れば悪くない内容である。ファン必携のムックといえよう。

 辻元清美が「私の姜尚中論」で言っている次の言葉が示唆的だ。

 最近、美術番組や女性誌などと活動の場を広げている。悪いことだとは思いません。2年ほど前、深夜まで飲み交わした際に言っていました。
「僕は、たくさん屋台を出すよ」
 と。様々なジャンルについて発言する“姜尚中メニュー”を作るんだ、という意味に受け取りました。
(中略)
 万一、国が危険な方に向かいそうな非常事態が来たら、一般の人たちにメッセージを伝えなければならない。その「もしも」のときのためにいま、自分を多くの人に知ってもらおう、そう覚悟を決めて「屋台を出した」と理解しています。



 本書もまた、古いファンが眉をひそめることを覚悟の上で出した「屋台」の一つなのだろう。

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姜尚中『姜尚中の青春読書ノート』


姜尚中の青春読書ノート (朝日新書)姜尚中の青春読書ノート (朝日新書)
(2008/04/11)
姜 尚中

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 姜尚中著『姜尚中の青春読書ノート』(朝日新書/735円)読了。

 姜さんが少年期から学生時代にかけて読んだ思い出の書を選び、その本から受けた影響と当時の心象風景について語ったもの。
 本書のベースになっているのは、「朝カル」――朝日カルチャーセンターで姜さんが行なった連続講義である。ゆえに文章は「です・ます」の語り口調ですこぶる平明。

 書名から、何十冊かの本を取り上げた読書ガイド的なものを期待したのだが、取り上げられているのはわずか5冊のみであり、読書ガイドとしてはあまり役に立たない。

 その5冊も、漱石の『三四郎』、ボードレールの『悪の華』、T・K生の『韓国からの通信』、丸山真男の『日本の思想』、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と、かなり偏りがある。本の惹句にある「だれもが読んでおきたい5冊の古典」という言葉には首をかしげてしまう。

 まあ、本を売る側としては当然「この本は万人向けですよ」というスタンスを取らざるを得ないわけだが、姜さんとしては万人向けの読書ガイドを編むつもりなどなかったと思う。これはきわめて個人的な、「読書体験をフィルターとした青春記」なのだ。
 いわば、自伝『在日』を、さらに姜さんの内面・精神史に光を当てて語り直したものともいえる。その意味では姜尚中ファン必読である。

 とはいえ、ファンでなければ読む意味のないような間口の狭い本ではない。読書を起点に話は自在に飛び、論というよりは随筆になっているが、その中にときおりハッとする卓見がちりばめられているのだ。

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姜尚中『母 -オモニ-』『在日』


母~オモニ母~オモニ
(2010/06/04)
姜 尚中

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 姜尚中著『母 -オモニ-』(集英社/1260円)、『在日』(集英社文庫/500円)読了。

 『在日』は、2004年に刊行(単行本時)された姜さんの自伝。『母 -オモニ-』は、姜さんの母上を主人公にしたものである。

 『母 -オモニ-』の帯には「著者初の自伝的小説」とあるが、『在日』に出てくる事実と重なる部分も多く、登場人物も実名で、小説という印象は受けなかった。「事実をベースにしたフィクション」という意味での小説ではなく、95%くらいは事実で、残り5%のすき間を想像で埋めている、という感じなのだと思う。

 『母 -オモニ-』は、刊行から2ヶ月経たないのにもう20万部を突破したとか。ミリオンセラー一歩手前までいった『悩む力』で大きく広がった読者層/ファン層のたまものか。

 2冊とも、たいへんよい本だった。一部に重複するエピソードは当然あるものの、併読してもまったく問題ない。むしろ、『在日』を読んでからのほうが『母 -オモニ-』の感動が深まる面がある。

 というより、この2冊はある意味で双子のような存在なのである。『母 -オモニ-』のクライマックスにも、『在日』のことが印象的な形で登場する。
 母の一周忌も終わったころ、遺品の中から見つかった2本のカセットテープ。そこには、日本語の読み書きが出来なかった母が、手紙を書くかわりに息子(姜さん)に向けたメッセージが吹き込まれていた。その一節は次のようなものだったという。

「テツオ(姜さんの通名/引用者注)、お前が出した新しい本――『在日』ていう本ね、オモニは字が読めんけん、義姉さんに少し読んでもらったと。バカんごたるね、息子がオモニのことにも触れた本ばぜんぜん読めんで……。
 お前がなしてこがん本ば出すようにしたのか、オモニにはうすうすわかっとったとよ。オモニが長く生きられんてわかっとったからじゃなかね。
 二年前、お前の家に遊びに行って、そこで倒れて近くの病院に入院した時、オモニは医者の話から、そがん生きられんと思とったとよ。お前もそれがわかって本ば出したとじゃなかね。
 オモニはそう思ったけん、こがんしてお前に声の便りば残しておこうと考えたとたい」



 『在日』のほうは知識人・姜尚中としての顔が前面に出ているのに対し、『母 -オモニ-』はもう少し一般向けの、すこぶる平明な書き方がなされている。映画化・テレビドラマ化してもよさそうだ。

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ジェフ・ベック『エモーション・アンド・コモーション』


エモーション・アンド・コモーション(スペシャル・エディション)エモーション・アンド・コモーション(スペシャル・エディション)
(2010/06/23)
ジェフ・ベックオリヴィア・セイフ

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 3月に発売されたジェフ・ベックの新作『エモーション・アンド・コモーション』(ワーナーミュージック・ジャパン/2580円)を、ようやく聴いた。ファンの間では賛否両論の問題作である。

 スタジオ・アルバムとしては7年ぶりの新作だが、ベックは2008年に傑作ライヴ盤『ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ』を発表しており、そこでは『ワイアード』『ゼア・アンド・バック』の流れを汲むバリバリのハード・インスト・ロックを展開していた。

 となれば、新作にはその延長線上にあるハード路線を期待するのが人情というものだろう。新作でバックを固めるのが、『ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ』でも共演したヴィニー・カリウタ、タル・ウィルケンフェルド、ジェイソン・リベロなのだから、なおさらだ。
 雲間からの陽光を浴びて鷲がギターを運んでいるジャケットも、いかにもハード路線っぽいし……。

 ところが、フタを開けてみたら、この新作はベック史上最もロック色の薄いアルバムであった。
 収録曲中4曲で、ベックは64人編成のオーケストラと共演している。また、約半数の曲が、異なる個性をもつ3人の女性シンガー(ジョス・ストーン、イメルダ・メイ、オリヴィア・セイフ)を起用したヴォーカル・チューンなのだ。

 かつて北中正和は、インスト・ロックの金字塔『ワイアード』を評して、「これほどハードで緊密な演奏の連続では、ヴォーカルの入る余地などなかったというべきだろう」と書いた(うろ覚えだが)。
 そう、ヴォーカルの入る余地すらないのが、『ブロウ・バイ・ブロウ』以降のベックの音楽であったはずだ。たまに気まぐれでヴォーカル・チューンを入れると、『フラッシュ』のような駄作になる危険性が高いのである。

 果たして、ヴォーカル・チューンが半分を占める本作も、かなり退屈な仕上がりになってしまっている。ベックの音楽を愛することにかけては人後に落ちない私だが、本作は好きになれそうにない。

 細川真平という音楽ライターがライナーノーツを書いていて、これが、本作を聴いたファンの戸惑いを斟酌したいい文章になっている。
 ライナーノーツでアルバムをほめないわけにはいかないが、細川はいきなり「ジェフ・ベックに裏切られた」という言葉で筆を起こす。そして、ハードなインスト・ロックを期待したファンの心情を代弁したうえで、「しかし、ああ、この裏切りは、なんという心地好さだろう」とつづけて、無難な絶賛につなげていく。文章に芸がある。
 だがそれでも、細川がホンネでは本作をあまり気に入っていないことは、端々から感じ取れる。たとえば――。

 ギター・プレイについて触れるならば、本作はほとんど初めて、“ジェフ・ベックのギター・プレイが進化しなかったアルバム”だと、表面的な意味においては言っていいかもしれない。
(中略)
 その代わりにここには、大いなる歌心がある。



 「うーん、ほめないわけにはいかないけど、あんまりほめたくないなあ」という揺れる心情が随所に透けて見えるのである。

 まあ、中にはいい曲もある。
 アルバム中唯一のハードなインスト・ロック・ナンバー「ハンマーヘッド」はさすがのカッコよさだし、「ネヴァー・アローン」はバラードながらスペイシーな美しさと緊張感に満ちたベックらしいインスト曲だ。オーケストラをバックにギター一本で演奏される「虹の彼方に」も、意外に悪くない。

 だが、「いいな」と思えるのはそれくらい。
 ヴォーカル・チューンは総じて退屈。てゆーか、ヴォーカルが邪魔(笑)。たとえば、「ノー・アザー・ミー」はヴィニーとタルのリズム・セクションが本領を発揮した曲で、ベックのギターとのからみが非常にスリリング。なのに、ジョス・ストーンの歌い上げるヴォーカルが邪魔で、そのインタープレイを十分味わえない。おまけに、演奏がいちばん盛り上がったところでフェイドアウトしてしまう。

 最悪なのが、オーケストラとの共演によるプッチーニの「誰も寝てはならぬ」。毒にも薬にもならないイージーリスニングのような出来で、「こんなの、ベックが演る必然性がどこにあるんだ?」と言いたくなる。ベックには昔「恋はみずいろ」を大甘なアレンジで演った“前科”もあるが、あれに次ぐ「黒歴史」となったといえよう。
 ライナーにはこの曲について「本アルバムを代表する感動的な1曲」とあるが、細川さん、それって痛烈な皮肉でしょ(笑)。

 なお、ライナーによれば、細川が2009年にベックを取材した際、彼は「俺とタルとヴィニーの3人だけでレコーディングした、17時間に及ぶ音源がある。この中のいくつかの部分が、最高の出来なんだ」(趣意)と言っていたのだとか。このアルバムみたいな軟弱路線はもういいから、次はそっちをぜひCD化してほしい。

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フジファブリック『 SINGLES 2004-2009』


SINGLES 2004-2009 【初回生産限定盤】SINGLES 2004-2009 【初回生産限定盤】
(2010/06/30)
フジファブリック

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 このところの愛聴盤は、フジファブリックのベストアルバム『SINGLES 2004-2009』(EMIミュージック・ジャパン/3200円)。サンプル盤をいただいたもの。

 フジファブリックのフロントマン、志村正彦は、昨年末、29歳の若さで急逝した。このアルバムは、フジファブがメジャーデビューしてから昨年までに発表した11枚のシングルA面曲(いまでもA面という言葉が残っているのだな)を、発表順に収録したもの。図らずも「夭折の天才」のリストに加えられてしまった志村の軌跡が刻み込まれている。

 改めて11曲を通して聴くと、いずれ劣らぬ名曲揃いであることに驚かされる。「Jロックの中原中也」と評する声もあったほど、志村の書く詞は文学性が高いし、純日本的な詩情とロックのダイナミズムを違和感なく融合させたそのサウンドは、すこぶる独創的でありながらポップで聴きやすい。

 どの曲もメロディーはキャッチーだが、細部には目利きを唸らせるひねりが幾重にも加えられている。
 「Sugar!!」のように元気いっぱいの曲もあるものの、いまの時点で強い印象を受けるのは、「陽炎」「茜色の夕日」「桜の季節」「若者のすべて」のような、一連のノスタルジックなナンバー。それらの曲に満ちた甘やかな喪失感は、志村正彦を喪ったファンの心情とぴたり重なり合って、いっそう胸をしめつけられるようだ。

 それにしても、いまになって思うのは、志村正彦はメジャー・デビュー・アルバム『フジファブリック』(2004)のころからすでに完成形だったということ。「陽炎」「桜の季節」「赤黄色の金木犀」という第一級の名曲が、いずれもデビュー・アルバムに入っていたのだから驚きだ。

 ニルヴァーナ、バッド・フィンガー、ジョイ・ディヴィジョンなど、中心者の急逝で終焉を迎えたバンドは多いが、フジファブは解散せず、残されたメンバーで活動を継続するという。あたかも、ジム・モリソンの死後も活動をつづけたドアーズのように……。

 今月末には(てゆーか、今日発売だ)、志村亡きあと初のニューアルバム『MUSIC』も発売される。その意味で、このシングル集はバンドの終止符ではなく、新たな出発に向けた大きなステップとなるものだ。

 シングル集というくくりだから、名曲「花屋の娘」は落ちてしまう。あの曲好きなんだよなあ……とか思ったら、初回限定盤についているオマケのDVDには「花屋の娘」のビデオ・クリップもしっかり入っていた。



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岡庭昇『田中小実昌――行軍兵士の実存』


田中小実昌―行軍兵士の実存田中小実昌―行軍兵士の実存
(2010/06)
岡庭 昇

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 今日7月27日は、私の「独立記念日」である。23年前の今日、私は勤め先の編集プロダクションを辞め、フリーになったのだ。
 その前の専属ライター期(1年だけだが)を含めれば、ライター生活丸24年を迎えたことになる。

 「それがどうした」と言われると困ってしまうが(笑)、私にとっては「初心を思い出す」ためのたいせつな日なのである。
 まあ、初心を思い出すよりも、「綱渡りのようなフリー生活が、また一年、よくぞつづいたものだ」という感慨が先に立つのだけれど……。

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 岡庭昇著『田中小実昌――行軍兵士の実存』(菁柿堂/2625円)読了。著者の岡庭さんよりいただいたもの。

 直木賞も受賞し、テレビにも頻繁に登場した人気作家/翻訳家であった田中小実昌。だが、2000年の没後、彼はものすごい速度で人々から忘れ去られようとしている。膨大な著作を遺した作家なのに、現在新刊書店で手に入る著作はわずか6冊だという。

 本書は、その田中小実昌の文学を真正面から論じた書き下ろしの長編評論。飄々とした酒仙的文人という一般的イメージのヴェールを引き剥がし、その奥にある文学者としてのコアに肉薄している。

わたしは田中小実昌のエートスを、若くして辛酸を嘗めた戦争体験に置く。その「行軍」体験が彼の生涯の、乗り越えようとして果たせないトラウマになった、という仮説から考える。
(中略)
 田中小実昌は人気作家だった。同時に、まったく理解されない作家だった。この「愛されて理解されない作家」という悲劇が、実は田中論のアルファでありオメガである。(「あとがき」)



 「行軍兵士」とは「皇軍兵士」のもじりだろうが、これはまだ19歳だった田中が、第二次大戦末期に一年ばかり徴兵された体験を指している。

 だがそれはすでに、戦争体験というほどの実態さえ失っているような戦争体験だった。彼らはただ命じられるまま行軍させられたのであり、多くの同僚兵士たちは戦闘体験もないまま飢えと伝染病に倒れた。
(中略)
 そして地獄の「行軍」は、田中小実昌の生涯を縛るトラウマになったのである。



 このような視点から読み解いていくとき、田中小実昌の作品群は、従来とはまったく異なる輝きを放ち始める――。私自身、田中小実昌に対して抱いていたイメージが本書で大きく変わった。

 読みながらふと思い出したのは、川本三郎の『荷風好日』。あの本の中で川本は、戦後の荷風の創作力減退について、“戦中のたび重なる空襲体験によって、荷風は恐怖症に近い精神状態にあったのではないか”との仮説を立てたのだった。

 戦争体験というものは、我々戦後世代が想像するよりもはるかに深く、文学者たちの創作活動を規定しているものなのだろう。

(つづきます)
  
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ワイルド・フラッグ『ワイルドランド』ほか


ワイルドランドワイルドランド
(2006/09/29)
WILD FLAG

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 先日ファースト・アルバムを聴いてたいへん気に入った、山本恭司がやっていた男臭いハード・ロック・トリオ「ワイルド・フラッグ」。彼らのほかのアルバムを「イー・ブックオフ」で安く入手。新品同様の品が2枚で1000円しなかった。1992年の『スリー・フェイセズ』と、93年の『ワイルドランド』である。ワイルド・フラッグのアルバムはこの3枚のみ。

 『スリー・フェイセズ』は全7曲でトータル・プレイング・タイムは33分半だから、ミニアルバムという位置づけなのかな。
 もっとも、ミニアルバムとフルアルバムの境界はあいまいで、相対性理論のファースト・アルバムなんか33分半でフルアルバム扱いなわけだけど。

 ジミヘンの「パープル・ヘイズ」のカヴァー(ライヴ)が入っていたりして、「企画もの」っぽい作品ではあるが、いい曲もある。
 全体にファースト・アルバムよりもヘヴィーになり、ハード・ロックよりもメタル寄りの音。M2「MAGMA」など、初期ブラック・サバスを彷彿とさせるドロドロのヘヴィー・チューンである。

 ロカビリーっぽい曲調の「NOBODY KNOWS」(ただし、ギターは思いっきりハード)があったり、ファーストよりバリエーション豊かな作品集。私はファーストのスピード感のほうが好きだけど……。

 『ワイルドランド』は、(いまのところ)ワイルド・フラッグのラスト・アルバム。これはファーストと甲乙つけがたい力作だ。
 シングルにもなったというタイトル・ナンバーが、突出して素晴らしい。荒々しくも美しいハード・ロック。


↑「ワイルドランド」。これはライヴ・ヴァージョン。

 ハードな曲が多いいっぽう、美しいインスト曲があったり、ポップなバラード・ナンバーがあったりと、ファーストよりも一般受けしそうなアルバム。

 とくに、バラード「I AM A BOY」はすごくいい曲。この曲だけを予備知識なしに聴いたら、山本恭司のバンドがやっているとはとても思えないだろう。ちょっとブルージーな哀感漂う曲で、たとえばフリーやザ・フーのバラード・ナンバーみたいな感じ。

 ファーストと『ワイルドランド』の2枚は2006年に再発されており、2005年には一時的復活ライヴの模様を収めたDVDも出ている。が、『スリー・フェイセズ』は廃盤になったままで、アマゾンにはこのアルバムのページすらない。
 埋もれさせてしまうには惜しい名バンドだと思う。

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『アバター』


アバター [初回生産限定] [DVD]アバター [初回生産限定] [DVD]
(2010/04/23)
サム・ワーシントンゾーイ・サルダナ

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 DVDで、いまごろ『アバター』を観た。
 3D上映の映画館で観たらもっと面白かったのだろうが、DVDでも十分愉しめた。

 ヴィジュアルが隅々までよくできていて、「すごいもんだ」と思った。
 善玉/悪玉がきっちり色分けされた図式的な物語は単純すぎるけれど、ハリウッド超大作というフォーマットが要求する単純さなのだから、仕方あるまい。

 『風の谷のナウシカ』との類似性はとっくに指摘されていることだろうが、私も観ながらずっとそれを感じていた。
 かりに『風の谷のナウシカ』をハリウッドで実写リメイクしたなら、こんな映画になったかもしれない。日本のゴジラをハリウッドで映画化したら似ても似つかないものになってしまうわけだから、ハリウッドの脚本家チームが寄ってたかって換骨奪胎したら、『ナウシカ』が『アバター』になってしまうことは十分あり得る。

 ……と、ここまで書いて「『アバター』+『風の谷のナウシカ』」でググってみたら、当のジェームズ・キャメロンが『ナウシカ』からの影響を認めていた(→こちらの記事とか)。ジャパニメーションの影響力畏るべし。

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松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』


私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~
(2010/04/24)
松本聡香

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 松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか――地下鉄サリン事件から15年目の告白』(徳間書店/1470円)読了。

 オウム真理教の麻原彰晃の四女(「聡香」はペンネーム)による手記である。
 少し前に読んだインタビュー集『オウムを生きて』(→当ブログのレビュー)にこの四女へのインタビューが掲載されており、それに強い印象を受けたので、手を伸ばしてみた。

 が、本書は一冊の本としての出来があまりよくないし、どんよりとしたいやな読後感が残る。『オウムを生きて』のインタビューのほうがずっとよかった。

 たぶん、本書もライターが聞き書きしてまとめたものだと思うが、そのまとめ方にバイアスが感じられる。読者の目を引くようなどぎついエピソードばかりをことさら強調している印象を受けるのだ。

 たとえば第一章に、著者が姉と弟とともに拘置所に父の面会に赴いたときのエピソードが記されている。
 その際、麻原は接見室で、なんと子どもたちを前にして自慰行為を始めたのだという。麻原の精神障害が詐病ではないことを示すエピソードだが、それにしても、こんな話を娘の手記にわざわざ入れる必要があるだろうか? 私がゴーストライターだったらカットする。

 ほかにも、麻原が教団内に多数作った愛人たちをめぐるエピソードだとか、麻原の妻・松本知子(つまり著者の実母)が男性信者と不倫していたという話とか、実話系週刊誌並みのキワドイ話が次々と登場する。

 私には姉が三人、弟が二人いますが、父が愛人である信者に産ませた子供は、私が会っただけでも六人います。姉などの話によると私たち姉弟を含めると父の子供は十五人いると聞きました。



 それらのキワドイ話は著者が見聞きした事実ではあるのだろうが、読んでいてウンザリする。まとめ方が“週刊誌目線”なのだ。

 麻原彰晃の娘という重い十字架を背負って生まれた、著者の心の軌跡。それをもっと真摯にたどったならば、ある種の文学的感動を呼び起こす本になったと思う。しかし、本書にそんな感動はなく、下世話で薄っぺらい。また、内容がうまく整理しきれていない印象もある。

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たかぎなおこ『浮き草デイズ』


浮き草デイズ 1 (1)浮き草デイズ 1 (1)
(2008/05/16)
たかぎ なおこ

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 たかぎなおこの『浮き草デイズ』(文藝春秋/全2巻/各1000円)を読んだ。

 いまやイラスト・エッセイの世界で売れっ子となった著者が、イラストレーターを目指して上京し、『150cmライフ。』で本格デビューするまでの雌伏の5年間を描いたもの。彼女の著作の多くがコマ割りなしのイラスト・エッセイであるのに対し、本作はちゃんとコマ割りもされてコミック・エッセイになっている。

 私がこの著者のことを知ったのは、前川やくさん(※)の「スレッジハンマーウェブ」内の別サイト「ちびせん」(→こちら)でのことだった。

※ふと検索してみたところ、前川さんが「フレンチパピロ」なるサイト(→こちら)で復活しているのを発見。相変わらず面白い。

 「ちびせん」は、「身長155㎝以下の小柄な女性が好き」(ロリコンとイコールではない)というやくさんの好みを全開させた楽しいサイト(すでに更新終了)。『150cmライフ。』は、身長150㎝のたかぎなおこがちびならではの悲喜こもごもをほのぼのと描いたイラスト・エッセイなので、「ちびせん」で紹介されたのは必然であった。

 じつは私にも「ちびせん」傾向があるので(背の高い女性は威圧感を覚えるので苦手w)、『150cmライフ。』もさっそく読んだものだった。

 その『150cmライフ。』はたかぎなおこの単行本デビュー作であり、出世作でもある。続編も出ているし、タイ・韓国・中国・台湾でも翻訳刊行されている。また、それ以外の著作も次々と刊行されている。
 正直なところ、『150cmライフ。』を読んだときには、これほど売れっ子になるとは夢にも思わなかった。

 さて、この『浮き草デイズ』、じつに地味な作品である。
 西原理恵子の半生のような波瀾万丈な要素は微塵もないし、恋愛要素も絶無(著者の恋人はおろかボーイフレンドも登場せず、あこがれの男性のたぐいもいっさい出てこない)。
 著者は、「イラストレーターとして一本立ちしたい」という思いを抱えて悶々としつつ、ビンボーなひとり暮らしをしてさまざまなアルバイトをする……だけなのだ。

 ただそれだけの話なのに、私にはたいへん面白かった。てゆーか、すごく身につまされた。イラストレーターとライターという分野の違いこそあれ、著者が夢を抱えて悶々とする様子が、私には上京直後の自分とオーバーラップしてならなかったからである。

「だいたい 私ってなにやってんだろう…
イラストレーターになりたいって東京に出てきたのに実際にやってるのは…
このせまい部屋を借りて生活していくだけでいっぱいいっぱい…」



 ……などという著者の焦燥の一つひとつが、また、将来に一筋の希望が見えたときの飛び上がるような歓喜が、私にはわかりすぎるほどわかる。

 ドラマティックなサクセス・ストーリーではなく、グレイトな天才の物語でもなく、もっとありふれた、東京にはたくさん転がっている、「何者かになりたい平凡な若者」の悪戦苦闘の物語。分野を問わず、表現者になろうという夢を抱いて都会にやってきた人なら共感できる作品だと思う。

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築山節『脳が冴える15の習慣』


脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める (生活人新書)脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める (生活人新書)
(2006/11)
築山 節

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 今日は、日帰り取材で秋田の大潟村へ――。
 うだるように蒸し暑い東京から秋田空港に降り立つと、風が涼しくて気分は天国だった。

 大潟村は、琵琶湖に次ぐ日本第二の湖であった八郎潟を干拓して作られた村。日本最大の干拓地である。私は初めて行ったのだが、見渡すかぎり水田とまっすぐな道が広がる風景は、日本ではないかのようだった。

 飛行機の中で、築山節著『脳が冴える15の習慣――記憶・集中・思考力を高める』(生活人新書/735円)読了。
 前に築山さんを取材したときに買って、そのまま積ん読してあったもの。

 わかりやすくて読みやすく、書いてあるアドバイスにいちいち得心がいく、上質の実用書だった。 
 日本でも山ほど出ている「脳の本」のうち、最も知的興奮を呼ぶのは池谷裕二さんの著作だと思うが、実用性を尺度にするなら、築山さんの著作はバツグンだと思う。

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ワイルド・フラッグ『ワイルド・フラッグ』


ワイルド・フラッグワイルド・フラッグ
(2006/09/29)
WILD FLAG

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 ワイルド・フラッグのファースト・アルバム『ワイルド・フラッグ』(1992年)を、中古で購入してヘビロ中。

 ワイルド・フラッグは、バウワウのギタリスト山本恭司が1990年代前半にやっていたバンド。山本がギターとヴォーカルを担当し、ほかはベースとドラムスのみの3ピースのハード・ロック・バンドだ。

 バウワウはいうまでもなく、日本のハード・ロック/ヘヴィーメタルの草分けの一つ。1970年代後半からの「BOWWOW」時代には、私もわりと好きだった。
 その後、80年代にバンド名を「VOWWOW」に改名し、ヴォーカルに人見元基を迎えてからのヘヴィーメタル期は私には肌に合わなかったが、国際的評価が高まったのはむしろこの時期であった。

 その昔『ロッキング・オン』で、「B」時代のバウワウについて、佐伯明というライターが「ギターがやたらとうまいバンドで、ヴォーカルはやけにかわいらしく、ドラムスはトコトコという感じでした」と書いていて(うろ覚えだが)、「言えてる!」と大笑いしたことがある。
 「V」時代のバウワウは、ヴォーカルとドラムスの弱さを払拭することで海外からも評価を得たわけだ。
 その後、VOWWOWの解散(1990)などの紆余曲折を経て、現在山本は再びオリジナルメンバーのBOWWOWをやっている。

 B→V→Bというバウワウの変遷の狭間に置かれた短命なバンドが、「ワイルド・フラッグ」であった。
 私は今回初めて聴いたが、いやー、カッコイイ。私はバウワウよりむしろこっちのほうが断然好きだ。

 バンド名どおり、じつに荒々しい音。甘さも装飾も一切削ぎ落とした、男臭くストイックなハード・ロック。VOWWOW時代の音がプロレスラーの肉体だとしたら、ワイルド・フラッグの音はボクサーの肉体のようだ。

 トリオ編成の男臭いロック・トリオといえば、ピンク・クラウドが思い浮かぶ。このワイルド・フラッグは、一般のヘビメタ・ファンよりはむしろピンクラあたりの硬派な音が好きなロック・ファンに喜ばれそうである。

 当時は無名であったという満園英二・庄太郎兄弟によるリズム・セクションも、じつにワイルドで強力。
 山本のギターが素晴らしいのは当然として、彼のヴォーカルも意外にいい。人見元基のようにうまいわけではないが、バウワウ初期よりも格段に進歩している。

 すごく気に入った。ワイルド・フラッグのほかのアルバムも手に入れよう。



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イアン・ギラン・バンド『Clear Air Turbulence』ほか


Clear Air Turbulence/ScarabusClear Air Turbulence/Scarabus
(2010/07/05)
Ian Gillan

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 イアン・ギラン・バンドの『Clear Air Turbulence』と『Scarabus』をセットにした2in1のセットを、輸入盤で購入。わりとしっかりしたライナーノーツがついたリマスター盤が1500円ほどなのだから、安い。

 イアン・ギランといえば、いうまでもなくディープ・パープル黄金期のヴォーカルである(てゆーか、再結成したパープルでいまもヴォーカルをやっているのだな)。
 が、パープル脱退後の1970年代後半に彼が結成したイアン・ギラン・バンドは、パープルのようなハード・ロックとは一線を画す通好みのジャズ・ロックを演っていた。

 『Clear Air Turbulence』は、1977年に発表されたイアン・ギラン・バンドのセカンド・アルバム。当時ロックを聴き始めたばかりの少年だった私は、FMラジオなどでよくこのアルバムの曲を耳にした記憶がある。
「あれ? イアン・ギランのこんどのバンドは、ディープ・パープルみたいにスカっとしない。なんかヘンな音楽だなあ」と思ったものだ。

 『Clear Air Turbulence』の邦題は『鋼鉄(ハガネ)のロック魂』というスゴイもので、オープニングを飾るタイトル・ナンバーには「銀色の嵐」なる邦題がついていた。
 レコード会社のほうもギランにパープル・スタイルのハード・ロックを演って欲しかったと見え、その路線の色をつけて売っていたわけだ。
 だが、肝心の音はテクニカルなジャズ・ロックで、私はそのギャップに戸惑ったのであった。

 ちなみに、「Clear Air Turbulence」がなぜ「銀色の嵐」になったかといえば、歌詞の中の「Get it Up」という部分が空耳で「ギンイロ!」と聞こえるため(笑)。


↑「Clear Air Turbulence」の、当時の貴重なライヴ映像。「ギンイロ!」。

 さて、少年時代には「ヘンな音楽」としか思えなかったアルバム『Clear Air Turbulence』だが、いまの耳で聴いてみるとじつにカッコイイ。
 キーボードやホーン・セクションが重要な役割を占めるジャズ・ロック。変幻自在のリズム・セクションといい、変拍子を多用した複雑な曲構成といい、バックの演奏だけ取り出してみれば、まるでブランドXのよう。それでいて、ギランのヴォーカルにはおなじみのメタリックなシャウトもあれば、ソウル・ミュージック的要素もある。

 要するに、ジャズ・ロックとブリティッシュ・ハード・ロックのいいとこ取りなのである。
 そもそも、全曲ヴォーカル入りのジャズ・ロック・アルバムというのはほとんど例がないわけで、イアン・ギラン・バンドが目指していた路線は他に類を見ないものであったといえる。

 しいて似たものを探すとすれば、チャーの初期ソロアルバムにあった、フュージョン的要素の強いハード・ロックだろうか。「Clear Air Turbulence」には、チャーの名曲「SMOKY」を彷彿とさせる部分もある。

 『Clear Air Turbulence』は全6曲で、1曲1曲がかなり長い。そして、1曲たりとも似通った曲がない。たとえば、M2「Five Moons」には東洋的音階が使われているし、M5「 Goodhand Liza」にはラテンのリズムが用いられている。多様な音楽的要素を盛り込み、それでいて全体には見事な統一感がある。発表後33年を経たいま聴いても、古さを感じさせない独創的なサウンドである。

 ギランにしてみれば、「せっかくオレの名前を冠したバンドを作ったんだから、パープルと同じことをくり返してもしゃあない。オレにしかできないロックを追求するぜ!」と、大いに意気込んで作った渾身作だったのだろう。

 だがしかし、ジャズ・ロック路線がセールス的にパッとしなかったことから、けっきょくギランは元のハード・ロック路線に戻り、現在に至るわけである。

 この2枚組セットに収められたもう一枚の『Scarabus』は同じ77年に発表されたサードアルバムだが、こちらは半歩だけハード・ロック路線に戻っている。ホーン・セクションがいなくなり、キーボードの比率も下がって、ジャズ的要素が薄れているのだ。

 パンクからニューウェイヴへと時代の波が移りつつあったなか、あえてオールドウェイヴなジャズ・ロックの世界へと踏み込み、時流にもパープル・ファンにも背を向けて我が道を行こうとしたイアン・ギラン。その意気込みが刻みつけられた、「70年代の徒花」的傑作アルバム。

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南果歩『瞬間幸福』


瞬間幸福瞬間幸福
(2010/04/23)
南 果歩

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 南果歩著『瞬間幸福』(文化出版局/1470円)読了。婦人誌『ミセス』に3年にわたって連載されたエッセイの単行本化。

 いまやハリウッド俳優の渡辺謙を夫にもち、自らも女優である著者が、2年半にわたったアメリカ暮らしをおもに綴ったもの。――となれば、いかにもゴージャスできらびやかな内容を想像するかもしれない。
 しかし、本書はそんな先入観をよい意味で裏切るものになっている。エッセイから浮かび上がる著者の暮らしぶり、考え方は地に足のついたもので、チャラチャラしたところがまったくないのだ。

 「自分の人生を大切にして日々を生きている」という印象で、そこが好ましい。
 「自分の人生が大切なのは、誰にとってもあたりまえだろ」と言われるかもしれないが、そうでもないのではないか。自分の人生に対して投げやりで不誠実な人も、少なくないものである。

 誤解を恐れず言えば、本書は少しも「女優のエッセイ」らしくない。フツーのサラリーマンのフツーの奥さんが、夫の仕事の関係で米国暮らしをする日々を綴った文章……といった趣なのだ。
 まあ、中には“ゴールデングロープ賞の授賞式でクリント・イーストウッドに会ってうんぬん”なんて話も出てくるのだが、そういう話を綴るときにさえ、「アタシはセレブ」みたいな浮ついた感じは微塵もない。

 そもそも、そのように女優らしからぬフツーっぽさをもった人だからこそ、私は南果歩のファンになったのだ(派手派手しい女優はキライだ)。

 「タレント本」の枠にはけっして収まらない、一人の女性・母としての思いを素直に綴った好エッセイ集。

 南果歩は、味わい深いよい文章を書く(ライターの手が入っていないと仮定してだが)。
 2度の結婚を振り返った序文など、なかなかの名文である。その一節を引く。

 その頃の夫は本当に何も持っていなかった。一人で愛犬と暮らしている姿は簡素そのものだった。しかしだからこそ彼の本来の人間性を見ることができたのだと思う。飾るものがない分、その人が元々持っている素のエネルギーを感じることができたのだ。きっと全てが上手くいっている時だったなら、私の目に映る夫はもっと別の面ばかりで、私が見たい顔を見る機会はなかったかもしれない。



 人は組み合わせ次第で本当に思いもよらない方向に動き出すものだ。だからこそ出会いは面白い。人と人の組み合わせ以上に、人生にドラマを生み出すものがあるだろうか。



 いちばん心に残ったのは、父親が仕事相手の保証人になったことから借金を被り、貧しい暮らしを余儀なくされた幼少期の思い出を綴った一編。そこには、次のような印象的な一節がある。

 その後、母の細腕繁盛記が始まるのだが、少しずつ大きな家に移っていく喜びは、あのお風呂なしアパートを知っているからこそ倍増したのだと思う。そして大好きな家もあっけなく人の手に渡ってしまうという無情を経験したことが、物に執着しないという性質を作る原点になったことは間違いない。
 物など人の情に比べたら、取るに足らない。その価値観はどこで暮らしていようと、どんな仕事をしていようと、あの頃と一貫して変わらないところだ。



 南果歩が在日三世という出自をストレートに明かしたのは本書が最初だと思うが、韓国に祖父母の墓参りに行ったことを綴ったエッセイなど、あったかい雰囲気でじつによい。

 私は南果歩の映画では小栗康平の『伽耶子のために』(正しくは「耶」に「イ」が付く)がいちばん好きだが、あの映画の思い出(すなわち女優デビューのいきさつ)を綴った一編もあって、興味深く読んだ。あの映画って、いまだに単品ではビデオ化/DVD化されていないのだね(「小栗康平監督作品集」というDVD-BOXには入っている)。

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『アフリカの光』ほか


アフリカの光 愛・青春・海(紙ジャケット仕様)アフリカの光 愛・青春・海(紙ジャケット仕様)
(2009/03/06)
サントラ萩原健一

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 このところ、バタバタと忙しい。
 
 今週は、月曜に東北大学で佐藤弘夫教授(日本中世思想史)を取材。昨日は教育評論家の尾木直樹さんを取材。
 先週はマーシャル諸島共和国のジーベ・カブア駐日大使を取材(もちろん通訳を介して)。今日は午後から企業取材。
 当然、それ以外の原稿のシメキリも次々とやってくるのである。

 でも、今週でもろもろ一区切りなので、来週は一息つける感じ。

 合間を縫って、ケーブルテレビで録画しておいた映画を観て息抜きしているのだが、みんな旧作だし、きちんと感想書くほどでもないので、まとめて一言ずつ感想をメモ。

『アフリカの光』(1975)
 神代辰巳監督、萩原健一・桃井かおり主演という点は、前年に作られた『青春の蹉跌』と共通。こちらは、丸山健二の同名小説の映画化。

 グダグダのひどい映画。『青春の蹉跌』のほうがずっとよかった。丸山健二の映画化としても、『正午なり』のほうがまだまし(あれも駄作だったが)。
 原作者の丸山が何かのエッセイでこの作品を酷評していたが、その気持ちがよくわかる。
 ショーケンと田中邦衛の共同生活は、『真夜中のカーボーイ』の劣化コピーのよう。2人が随所で張り上げる下卑た怒鳴り声を聴いているだけでウンザリ。 
 何度か登場する性描写も、エロティックというよりただ汚らしい。

 最後まで観通すのが苦痛だった。撮影・姫田真佐久、脚本・中島丈博、助監督・長谷川和彦など、一流スタッフ揃いなのに……。
 井上堯之の音楽だけは、「和モノ・レアグルーヴ」という趣でよかった。

『アンダーワールド』(2003)
 ヴァンパイア族の美しき女戦士を演じるケイト・ベッキンセールが素晴らしい。黒いレザーコートをマントのようにひるがえして銃を撃ちまくる戦闘シーンにうっとり。ストーリーには粗も見えるが、ヒロインのカッコよさで欠点が帳消しになっている。


↑『アンダーワールド』のハイライトシーンと宇多田ヒカルの曲を組み合わせたMAD

『ダニー・ザ・ドッグ』(2005)
 荒唐無稽な基本設定は、リュック・ベッソンの作る映画ならいつものことなので、目くじら立てても仕方ない。最初から整合性など期待していない。

 アクション・シーンが素晴らしかった『キス・オブ・ザ・ドラゴン』のコンビ(製作・脚本/リュック・ベッソン、主演/ジェット・リー)が再び組んだ映画なので、アクションに期待した。
 が、『キス・オブ・ザ・ドラゴン』には遠く及ばなかった。ヘンに「ヒューマン・ストーリー」にしている分だけ、アクションが薄味。

『ソナチネ』(1993)
 じつは、いまごろ初見。北野武監督作品の中でもやたらと評価の高い一本。
 「それほどのもんなかあ」という感想しかもてなかった。いくつか素晴らしいシーンはあるものの。

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佐藤弘夫『日蓮「立正安国論」全訳注』


日蓮「立正安国論」全訳注  (講談社学術文庫 1880)日蓮「立正安国論」全訳注 (講談社学術文庫 1880)
(2008/06/10)
佐藤 弘夫

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 佐藤弘夫著『日蓮「立正安国論」全訳注』(講談社学術文庫/735円)読了。

 中世日本思想史を専門とする著者(東北大学教授)による、日蓮の代表的著作「立正安国論」の解説書。

 「全訳注」という書名から、原文・現代語訳と語釈だけの本だと誤解されそうだが、実際には解説部分のほうがメインである。
 冒頭には50ページ近い長文の解説があるし、各段にもそれぞれ詳細な解説が付されている。もちろん、原文・読み下し文・現代語訳・語釈もあることはいうまでもない。

 この解説部分がたいへんな力作で、熱がこもっているし、勉強になる。日本仏教史・思想史における日蓮の座標軸が、鮮やかに浮き彫りにされている。「立正安国論」の解説書はほかにもたくさんあるが、これ一冊読めば十分ではないかという気さえするほど。

 私が傍線を引いた箇所を一つ引用する。

 日本古代において、「国家」とは第一義には天皇のことだった。「国家」が天皇を指すとすれば、「護国」とは天皇個人の守護を意味することになる。古代の律令体制において、天皇は国家の唯一の代表者・主体者であったがゆえに、古代仏教のいう「安国」「護国」という言葉も、必然的に「天皇を護る」という意味がその中心をなすことになったのである。それに対し、日蓮のいう「安国」が天皇や既存の政治体制の安泰という意味を超えて、すべての民衆の平和な生活というイメージを中心的意味としてもつものであることは、すでに指摘した通りである。
 こうした日蓮の立場は伝統仏教と異質であると同時に、同時代の宗教者ともその内容を異にするものだった。
 日蓮は法然、親鸞、道元などとともに、いわゆる鎌倉新仏教の祖師の一人に数えられてきた。そのうち浄土信仰の系譜につらなる法然と親鸞は、この世での救済を断念すべきであるという立場をとっていた。(中略)
 それに対し、道元は日蓮と同様に現世における救いを重視する。けれどもそれはあくまでも座禅による個人レベルでの悟りの成就であって、社会に働きかけて積極的に環境を作り変えていくという発想は道元にもみることはできない。
 それに対し日蓮は、個々人が内面において自己満足するだけでは不十分と考えていた。国土を客観的に改造することによって、人々がその中で幸福を実感できる理想社会を実現することが必要であるという立場をとっていた。人はこの世にあるうちにこそ苦悩から解放され、生の喜びを満喫しなければならない。日蓮が執拗に「国」にこだわるのも、平和な生活はこの国土で先ず実現されなければならないという、彼の基本的な信念に基づくものだったのである。



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『バンド臨終図巻』


バンド臨終図巻バンド臨終図巻
(2010/04/22)
速水健朗円堂都司昭

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 速水健朗・円堂都司昭・栗原裕一郎・大山くまお・成松哲著『バンド臨終図巻』(河出書房新社/2520円)読了。

 山田風太郎の名著『人間臨終図巻』を模したスタイルで、「古今東西洋邦200バンドの解散の真相に迫」った一冊。
 企画としてはよいし、各著者が膨大な資料にあたった労作ではあるが、それほど面白いものではなかった。『人間臨終図巻』は何度も読み返す価値のある味わい深い本だったが、本書は読み返したいとはとても思えない。

 つまらなさの要因の一つは、事典スタイルに徹するあまり、あまりに幅広いジャンルのグループを取り上げすぎていること。

 いちばん最初に登場するのがハナ肇とクレイジー・キャッツで、最後に登場するのが(上地雄輔らの)羞恥心。
 で、その間に登場する約200のグループの中には、ビートルズやツェッペリンのような大物もいれば、通好みのロック・バンドもいる。フォークもいれば歌謡アイドル・グループもいる。ピンク・レディーの次に登場するのがセックス・ピストルズ。シブがき隊の次がエヴリシング・バット・ザ・ガール。横浜銀蠅もいれば頭脳警察もおり、光GENJIもいればナンバーガールもいる。果ては殿さまキングスやおニャン子クラブまで登場する。バンドじゃないだろ(笑)。

 なるほどたしかに、『人間臨終図巻』には分野を問わない多様な著名人が脈絡なく集められ、享年という境界線によって無機質に並べられていた。本書はそれに倣って、ジャンルを問わない多様な「バンド」を、解散年という境界のみで区切る構成にしたのだろう。

 だが、そうした構成は失敗だったと思う。
 『人間臨終図巻』の場合、人の死にざまがテーマだからゴチャゴチャの寄せ集めでもよかった。「私は科学が苦手だから科学者の死にざまには興味ない」などということはあり得ず、どんな分野の人の死も等しく興味深いものだから。
 
 しかし、バンドの解散はそうではない。興味のないバンドがどんなふうに解散しようと、どうでもいいことだから(私はいちおう最初から最後まで読んだが、興味のないバンドについてはナナメ読みしただけ)。
 殿さまキングスのファンが本書を読むとは考えにくいし、本書を読む人の大部分にとって、殿さまキングスがどう解散したかなんてどうでもいいことである。

 本書はロック・バンドに絞り、ほかのジャンルは削って、その分一つのバンドについての記述を増やすべきだった。『ロック・バンド臨終図巻』であったらもっと面白かっただろうし、資料的価値も高まっただろう。
 
 とはいえ、文章に皮肉が効いていて笑えた箇所も少なくない。とくに、栗原裕一郎が担当した項目は総じて面白かった。例として、さだまさしがいた「グレープ」の項の一節を引く。

 2ndシングル「精霊流し」(74年2月)の大ヒットで一躍、売れっ子フォークデュオとなったグレープは、同時に、つきまとう「暗い」というイメージに悩まされ始めた。
 コミカルな新曲を投入するなど軌道修正をはかろうとしたが不発。追い打ちをかけるように「精霊流し」と同傾向のマイナーな6thシングル「無縁坂」(79年11月)が大ヒットしてしまい、「グレープは暗い」というイメージは動かしがたいものとなった。
(中略)
 ソロになったさだはしかし、今度は、当時『オールナイト・ニッポン』のパーソナリティだったタモリによる「暗い、女々しい」といった執拗な批判に悩まされることになるのであった。



 それと、5人の著者がそれぞれ一つずつ寄せた章間コラムはどれも面白かった。ジャンルを絞ったうえで、このコラム部分をもっと広げればよかったのに……。

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トニー・パーカー『殺人者たちの午後』


殺人者たちの午後殺人者たちの午後
(2009/10/14)
トニー・パーカー

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 トニー・パーカー著、沢木耕太郎訳『殺人者たちの午後』(飛鳥新社/1785円)読了。

 英国のジャーナリストが、10人の殺人者たちに話を聞いてまとめたインタビュー・ノンフィクション集。
 英国には死刑制度がなく、登場する10人はいずれも終身刑を宣告された身。服役中の者もいれば、仮釈放でシャバに出ている者もいる。男もいれば女もいる。

 著者のトニー・パーカー(故人)は、優れた聞き書きの技術から「テープレコーダーの魔術師」とも呼ばれた人なのだそうだ。
 
 テーマとは裏腹に静謐な印象の本である。10編はいずれもモノローグ形式で構成され、読者は2人きりの部屋で殺人者たちの話を聞いているような気分になる。

 殺人者を主人公にしたノンフィクションは日本にもよくあるが、その多くは煽情的で(※)、当の殺人者がいかに人でなしであるかをこれでもかとばかりに強調する。本書のアプローチはまったく逆で、少しも煽情的ではない。殺人者たちを我々と地続きの存在として、その等身大の人間像をリアルに描き出したものなのだ。

※「殺人ポルノ」という呼び方があるのを最近知った。戦場で人が殺される様子を撮影したグロ映像などを、「ポルノを楽しむように」楽しんでしまう(!)ことを指したもの。『新潮45』とかがやっている煽情的な犯罪ドキュメントも、一種の「殺人ポルノ」だと思う。

 さりとて、「殺人者にも人権がある!」と声高に訴えるようなものとも違う。著者は、ヘンに身構えることなく、虚心坦懐に殺人者たちのライフストーリーに耳を傾ける。それも、1人に対して何度もくり返し取材をつづけて……。その結果、訳者の沢木耕太郎が言うように、「取材された殺人者たちの心の奥に触れているような感じがする」本になっている。

 登場する殺人者の中には同情の余地があるケースもあれば、ないケースもある。見るからに粗暴な者もいれば、「なぜこの人が殺人を?」と不思議になるような者もいる。しかし、どのケースでも、一個の人間としての像が鮮やかに心に浮かぶ。「人間が描かれている」のである。

 唾棄すべき殺人者の人生にすら、胸を震わせる一幕がある。
 私が本書で最も強い印象を受けたのは、幼い息子を虐待の果てに殺してしまった男――すなわち一片の同情の余地もない殺人者が漏らした、次のような言葉。

 あのタンスの一番上の引き出しには靴下やハンカチが入っている。そこに敷いてある新聞紙の下には、小さな封筒がある。セロテープで封をした茶色の封筒だ。もし火事になってすぐ逃げなきゃならなくなったら、あれだけはどんなことがあっても持って行く。この部屋にある物すべてを諦めても、あれだけは持って行く。
(中略)
 でも、その封筒を開けたことも中身を見たこともない。ただの一度もないし、これから先も開けるつもりはない。俺が刑務所を出たとき、封をしたままローナがくれたんだ。受け取るとき、何が入っているのか訊ねると、教えてくれた。
 その中身は、俺がジャックを殺してしまう二週間くらい前に、公園でローナが撮った俺とジャックの写真なんだ。




↑本書を読みながら思い出した曲、シャーデーの「ライク・ア・タトゥー」。シャーデーが酒場で元兵士の男に言われた、「人を殺したときの記憶が、いまもタトゥーのように心から離れない」という言葉から生まれた曲。

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『パティ・スミス完全版』


パティ・スミス完全版パティ・スミス完全版
(2000/04)
パティ スミス

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 『パティ・スミス完全版』(アップリンク)を読んだ。

 10年前に刊行されたもので、その時点におけるパティ・スミスの全アルバム(1975年のデビュー作『ホーセス』から2000年の『ガン・ホー』まで)の訳詞とたくさんの写真で構成されたもの。
 B5判の大きさで、ずっしりと重い豪華本。あえてモノクロ写真のみで構成された作りも渋い。

 随所にパティ自身による短いエッセイも載っているものの、自伝として読むにはまったく不十分。年譜やアルバム・データ、解説のたぐいもいっさいなく、本書を読んだだけではパティがどんな人なのかまるでわからない。
 「完全版」というくらいだから(原題も「Patti Smith Complete」)、資料的側面が充実した本なのかと思っていたので、期待はずれだった。

 とはいえ、ファンが訳詞集+写真集と割り切って手に入れる分にはよい本かも。載っているパティの写真にはよいものが多いし……。

 それにしても、ものすごく無愛想な本である。どの写真にもまったくキャプションがついておらず、読者に向けてポンと投げ出されている感じ。ゆえに、どういう写真なのかわからないものがたくさんある。

 たとえば、「アバウト・ア・ボーイ」(アルバム『ゴーン・アゲイン』所収)の訳詩が載ったページの隣には、カート・コバーンの写真がなんの説明もなく載っている。
 「アバウト・ア・ボーイ」はパティが亡きカート・コバーンに捧げた曲……ということを知っている人ならその意味がわかるが、知らない人には意味不明だろう。
 そのように、本書全体が「わかる人にだけわかればいい」というスタンスでつらぬかれているのである。

 日本版を作るにあたって、最低限のキャプションくらいはつけるべきだったと思う。

 訳者は東玲子という人。彼女の訳はけっして悪くないのだが、違和感を覚える部分が散見された。たとえば、「ピープル・ハブ・ザ・パワー」(曲名)を「人民の力」と訳していて、ずっこけた。
 「ニューヨーク・パンクの女王」パティ・スミスが「人民」て(笑)。中国共産党じゃないんだから。

 ……と、いろいろケチをつけてしまったが、パティ・スミスのアルバムを聴きながら眺めると、彼女の音楽の味わいがいっそう深まる本ではある。

 私も、パティ・スミスのCDを引っぱり出して流しながら読んだ。
 彼女の初期4作(『ホーセス』『ラジオ・エチオピア』『イースター』『ウェイヴ』)はいずれ劣らぬ傑作だと、改めて思った。

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宇多丸『ザ・シネマハスラー』


TAMAFLE BOOK 『ザ・シネマハスラー』TAMAFLE BOOK 『ザ・シネマハスラー』
(2010/02/27)
宇多丸

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 TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」編『ザ・シネマハスラー』(白夜書房/1600円)読了。
 
 TBSラジオの番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」の人気コーナー「ザ・シネマハスラー」の単行本化。
 番組パーソナリティーの宇多丸が、サイコロで無作為に選んだ上映中の映画を鑑賞し、その映画について30分近くトークするというコーナー……らしい。じつは私は聴いたことがない。

 たぶん、番組のファンが本書を読んだら、「実際の番組の面白さよりは、一段も二段も落ちる」という印象なのだろう。演劇をテレビの録画で観るようなもの、落語を文字起こしで読むようなものだから。もっとも、元の番組を知らない私には十分楽しめたけど。
 というわけで、以下は純粋に本としての感想である。

 みうらじゅんがやっているような、映画をネタにしたお笑いコラム的なものを想像していたのだが、読んでみると意外にまっとうな映画批評だった。とはいえ、プロパーの映画評論家が書くようなものとはやはり違って、「語り口自体の面白さ」のウエイトが大きい。
 そして、笑えるフレーズや「座布団一枚!」な決めのフレーズが、随所にちりばめられている。

 サイコロを振って観る映画を決めるやり方ゆえ、当人が観たくない映画が当たることも多いわけだが、読む側としてはむしろ、“観たくない映画を観てつまらなかったとき、悪口を言いまくる回”のほうが面白い。悪口がきちんと「芸」になっているのだ。たとえば――。

 こんな脚本書いた人は、国家の体制によっては銃殺ですよ! (『カンフーくん』について)



 なんかおどけたことをやれば面白いでしょ? ベロベロバ~ってやれば笑うでしょ?って、徹頭徹尾そういう考え方なのね。バカにすんなよ! 赤ちゃん扱いするならさっきの1800円返せよ! 大人料金払っちゃったからさ!!っていう。(『ハンサム★スーツ』について)



 思うにこのつくり手たちは、アクションとかVFX以外のところ――例えば普通の会話シーンとか――は、映画にとって「死に時間」だとでも思ってるんじゃないですか?  だからこんなおざなりな撮り方をする。(『K-20 怪人二十面相・伝』について)



 なお、宇多丸は「つまらなそうな映画をわざわざ観に行って文句を言うこと」を、「当たり屋」と称している(笑)。言い得て妙ですな。

 とはいえ、つまらない映画をけなす回ばかりではなく、傑作をホメる回もある。そのホメ方が、きちんとした鋭い批評になっている回が多くて感心した。

 たとえば、中居正広版の『私は貝になりたい』を過去の3ヴァージョンと比較したうえで傑作と評価した回、『アラビアのロレンス』(のニュープリント上映)を取り上げた回などは、軽い語り口ながらも内容は見事な批評だ。

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前原政之 
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前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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