ツイッターは「時間食い虫」――『Twitterの衝撃』を読んで

Twitterの衝撃 140文字がビジネスからメディアまで変えるTwitterの衝撃 140文字がビジネスからメディアまで変える
(2009/11/05)
枝 洋樹林 信行

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 日経BP社出版局編『Twitterの衝撃――140文字がビジネスからメディアまで変える』(日経BP社/1470円)読了。

 猫も杓子もツイッター、ツイッターとかまびすしい昨今なので、「どういうものか知っておかないとな」ってことで読んでみた本。

 元は「日経ビジネスオンライン」に連載されたものだそうで、ツイッターにくわしい識者10人が1章ずつ担当している。執筆陣は以下のとおり。

第1章 枝 洋樹 DGインキュベーション 投資・事業開発本部 マネージャー
第2章 林 信行 ITジャーナリスト
第3章 小林 弘人 インフォバーン CEO
第4章 津田 大介 ジャーナリスト
第5章 武田 徹 評論家、ジャーナリスト
第6章 高須賀 宣 サイボウズ 創業者
第7章 岡野原 大輔 プリファードインフラストラクチャー 特別研究員
第8章 片瀬 京子 ライター
第9章 高橋 秀和 日経BP社 ITPro 記者
第10章 亀津 敦 野村総合研究所 情報技術本部 技術調査部 主任研究員



 ツイッターとは何かという基礎知識から、ツイッターがどのようにメディアやビジネス、個人の生活を変えつつあるのかという解説まで、いろんな論点がまんべんなくそろっており、入門書としては過不足ない出来。
 書き手の力量の差もあって玉石混淆だが、小林弘人による第3章などはメディア論としても秀逸なものになっている。

 ただ、本の性質上仕方ないことではあるが、あまりにもツイッターのプラス面に偏りすぎだと思った。
 本書の中でツイッターのマイナス面に触れているのは、わずかに第10章の亀津敦のみ。「誰もが気軽につぶやきを公開できるTwitterは、使いようによってはリスクを伴うことも理解する必要がある」と、ツイッター上の「失言」が招く筆禍(舌禍か?)などにちらっと触れているだけなのだ。あとはすべて、“ツイッターで個人も企業もバラ色!”みたいなおめでたい楽観論ばかりである。

 それは、本書にかぎったことではない。一連の「ツイッター本」や雑誌・サイトのツイッター特集は、ツイッターのマイナス面から目をそらしている印象がある。

 管見の範囲では、例外として、『ニューズウィーク』の「トゥイッターのアホさは最強だ」という記事や、小田嶋隆が「ア・ピース・オブ・警句」でツイッターを取り上げた回が目についた程度。
 そして私には、世にあふれるツイッター礼讃より、この2つの記事が示したツイッターへの危惧のほうが、はるかに得心がいったのである。

 ツイッターが画期的なのはわかった。使いようによってはビジネスや情報収集やお友達作りに絶大な効果を発揮することもわかった。
 でも、私はツイッターをやらないことに決めた(外から眺めることはあっても、自分では)。
 理由は一つ。ツイッターがハマるとコワイ「時間食い虫」だからである。

 「ストローク」という心理学用語がある。
 「ある人の存在や価値を認めるための言動や働きかけ」のことで、親が子どもの頭をなでることから上司が部下をほめること、あるいは「おはよう」などというあいさつに至るまでの幅広い行動が、「ストローク」に含まれる。
 また、肯定的な行動だけがストロークなのではない。叱られること、罵倒されることなどは「否定的ストローク」と呼ばれる。

 ツイッターは、正負両面のストロークに満ちている。
 むろん、ブログだってミクシィ等のSNSだってストロークに満ちているのだが、ツイッターはその仕組み上、ブログやSNS以上にストロークを得やすい。ゆえにハマリやすく中毒性が高い。
 ブログの中毒性とヤバさがタバコ程度だとしたら、ミクシィは大麻程度であり、ツイッターには覚醒剤級のヤバさがあると思う。

 「ケータイとの親和性」がツイッターの強みとして語られるが、私には強みではなく「ヤバさ」に思える。どこでもできるということは、それだけハマりが深くなるということなのだから……。
 すき間時間にだっていろんなことができるのに、そのすき間をすべてツイッターで埋め尽くしてしまうなんて、ものすごい人生の浪費ではないか。

 ハマったりせず適度な距離を置いてツイッターとつきあえる自制心の持ち主なら、ツイッターのメリットだけを享受することも可能だろう。だが、私には自分が「物事にハマりやすい」という自覚があるのだ。

 ツイッター同様、私が「『時間食い虫』だからやらないと決めていること」に、SNSとゲームがある。だから、私はいまだに「ドラゴンクエスト」も「ファイナルファンタジー」も名前くらいしか知らないし、ミクシィ等ものぞいたことがない。
 ゲームもミクシィもツイッターも、やれば楽しいのはよくわかる。やらないことは大きな人生の損失かもしれない。時代に取り残されるかもしれない。

 でも、べつにいいのだ。「私というリソース」は有限なのだし、私にはほかにやることが山ほどあるのだから……。
 ネットへの窓口は、このブログだけで十分。これ以上、ハマるとコワイ「時間食い虫」には近づきたくないのである。

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佐々木俊尚『2011年 新聞・テレビ消滅』

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)
(2009/07)
佐々木 俊尚

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 佐々木俊尚著『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書/788円)読了。

 内田樹さんがブログで「たいへん面白かった」と書かれていたので、手を伸ばしてみた本。

 この手の本はもうたくさん出ているし、私もつい先日類書の『マスゴミ崩壊』を読んだばかりなので、“大新聞もテレビ局ももうすぐおしまいですよ”という主張自体は、さして「目からウロコ」ではない。
 ただ、著者が矢継ぎ早にくり出す“新聞・テレビ消滅の根拠”の中には知らないこともたくさんあって、新鮮だった。

 とくに、日本の新聞にはマーケティングという発想自体がなかった(=マーケティングしなくてもやってこられた)、という指摘には唸った。
 そのことの裏づけとして紹介されているエピソードが面白い。著者がある地方紙の幹部と話をした際、「(おたくの新聞の)読者層はどんな感じなんですか。二十代から三十代の若い読者はどのぐらいの割合なんでしょう」と聞くと、その幹部はこう言ったという。

「割合ですか……。いや、そんなことは考えたこともなかったですね」



 このように、新聞やテレビ局の幹部連中がいかに時代遅れで、ネット時代に対応できていないかという事例が随所に紹介されていて、笑える。
 そう、本書はけっこう笑える本なのだ。著者は冷静に事実を並べながら、ところどころで、大マスコミの旧態依然を衝く痛烈な皮肉の矢を放つ。それが、「ふだん社会の木鐸ヅラしている大マスコミの連中がこのテイタラクかよ」と、読んでいて痛快なのだ。

 一連の“大新聞もテレビ局ももうすぐおしまい”本の中で、どれか一冊読んでおこうと思う人にはこれがよいのではないか。

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高見順『死の淵より』

死の淵より (講談社文芸文庫)死の淵より (講談社文芸文庫)
(1993/02)
高見 順

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 高見順著『死の淵より』(講談社文芸文庫)読了。

 昨日読んだ粟津則雄の『ことばと精神』で、この詩集のことが一章を割いて論じられていた。それを読んで手を伸ばしてみたしだい。野間文芸賞も得ている詩集だが、恥ずかしながら私はまったく知らなかった。

 一般には小説家として知られる高見順(ちなみに、タレント高見恭子の父でもある)が、晩年に食道ガンを病んでから、闘病を素材に作った詩を集めたもの。
 高見がガンの宣告を受けたのが昭和38年。以後3年の間に4度に及ぶ手術を受け、昭和40年8月に世を去る。その間、病床で取ったメモを元に退院後詩にまとめるなどして、命を削るように書きつづけられた作品群なのである。

 講談社文芸文庫のカバーの惹句が、力みかえっていてスゴイ。

 死と対峙し、死を凝視し、怖れ、反撥し、闘い、絶望の只中で叫ぶ、不屈強靭な作家魂。
 酷く美しく混沌として、生を結晶させ一瞬に昇華させる。
 “最後の文士”と謳われた高見順が、食道癌の手術前後病床で記した絶唱六十三編。



 この惹句を読むと、「死にたくない!」という思いをむき出しにして叫びつづけるような荒々しい詩集を想像してしまうだろう。だが、実際にはそうではない。技巧を凝らした詩が並び、随所に淡いユーモアさえちりばめられ、むしろ静謐な印象の詩集なのだ。
 そして、そのことこそがすごいと私は感じた。幸か不幸か私は死の淵に立った経験がないが、ガンで死を覚悟したとき、これほど客観的に自分の心を見つめて詩に昇華することは、とてもできそうにない。

 むろん、技巧やユーモアの底には激しい“生への渇仰”がみなぎり、読む者の心を打たずにはおかない。名作だと思う。

 集中、私がとくに感動したのは、「魂よ」「青春の健在」「おれの食道に」の3編。とくに「おれの食道に」は、一編の詩によって人生を総決算するような作品で、すごい。
 以下、3編それぞれから一部を引用しよう。

魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分った
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
食道はこっちから金をつけて人手に渡した(「魂よ」)



ホームを行く眠そうな青年たちよ
君らはかつての私だ
私の青春そのままの若者たちよ
私の青春がいまホームにあふれているのだ
私は君らに手をさしのべて握手したくなった
(中略)
さようなら
君たちともう二度と会えないだろう
私は病院へガンの手術を受けに行くのだ
こうした朝 君たちに会えたことはうれしい
見知らぬ君たちだが
君たちが元気なのがとてもうれしい
青春はいつも健在なのだ(「青春の健在」)



庭の樹木を見よ 松は松
桜は桜であるようにおれはおれなのだ
おれはおれ以外のものとして生きられはしなかったのだ
おれなりに生きてきたおれは
樹木に自己嫌悪はないように
おれとしておれなりに死んで行くことに満足する
おれはおれに言おう おまえはおまえとしてしっかり
 よく生きてきた
安らかにおまえは眼をつぶるがいい(「おれの食道に」)



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粟津則雄『ことばと精神』

ことばと精神―粟津則雄講演集ことばと精神―粟津則雄講演集
(2009/11)
粟津 則雄

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 粟津則雄著『ことばと精神――粟津則雄講演集』(未來社/2520円)読了。
 
 文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人として幅広い執筆活動を展開してきた著者の講演集。
 「これまで講演はずいぶんしてきたが、まだ一度も本にまとめたことはない。熱心にすすめられたことも何度かあったが、そのたびに頑固に断った」(あとがき)という著者が、評論家としての長いキャリアのなかで初めて上梓した講演集である。

 フランス文学や美術、音楽についての講演もこれまでたくさんしてきたのだろうが、本書は日本の作家・詩人をテーマにした講演のみを集めている。それも、一講演につき一人の作家・詩人を取り上げ、その文学と人生を掘り下げたものばかりだ。

 俎上に載るのは、正岡子規、島崎藤村、高村光太郎、中原中也、立原道造、草野心平、高見順ら。
 講演録だから話し言葉で平明に綴られているが、いずれも内容はすこぶる深みのあるもので、作家論・文学論としても読みごたえがある。取り上げた作家・詩人の心に分け入り、いちばん本質的なコアの部分をぐいっとつかみとる――そんな趣の講演が多いのだ。

 たとえば、高見順について、著者はこんなふうに語る。

 多くの自虐小説というものは、自虐することで安心して、自分の自虐の本質に批評が行き届いていない。そのために、作者のたいへん甘えた根性をむき出しにするところがあるわけです。
 ところが、高見順の場合にはそういう自虐ではないのです。自虐しながら、この作者はいささかも自分の自虐を信じていない。信じていないということが、ますます彼を自虐のなかの奥深いところに導き、そこに追い詰める。こういうところが、当時数多く出た自虐小説のなかで高見順の小説にある独特の意味合い、ある独特の価値を与える理由であろうと思うのです。



 また、かつて評伝『正岡子規』(亀井勝一郎賞受賞作)をものすなど、著者とかかわりの深い子規を論じた章は、さすがに見事なものだ。

 高村光太郎の詩「真珠湾の日」の、「天皇あやふし。/ただこの一語が/私を決定した」という誤解を招きやすい一節について、その意味するところを次のように分析しているあたりも面白い。

 光太郎が、自分のなかのパリと日本という両極に同時に触れながらそのあいだに激しく緊張した均衡を作り上げたと言いましたが、戦争はこの均衡を突き崩したのですね。彼の意志を乗り越えて、「日本」が前面に立ち現れたのでしょう。



 粟津則雄の批評眼には、明晰な論理性と論理を超えた詩的感覚とが、無理なく共存している。いわば、彼の批評自体が詩のようなのだ。
 聴衆の反応に合わせて即興的に語る部分もある講演だからこそ、そのような個性が、書かれた評論よりもむしろ躍如としている。

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西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)
(2008/12/11)
西原 理恵子

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 西原理恵子著『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社YA新書・よりみちパン!セ/1365円)読了。
 一昨年末に刊行されたベストセラーだが、いまごろ読んだ。ティーン向けの本だし、文字組みもゆったりしているから、すぐに読み終わる。しかし、読後感はよい意味で重い。

 もうとっくに誰かが指摘していることだろうが、『矢沢永吉激論集 成りあがり』の女性版という趣がある。語り下ろしによる自伝という点も共通だし。
 むろん、本書で少・青年期のサイバラが「貧乏から抜け出たい」と願いつづける気持ちは、ヤザワの「ビッグになりたい」と思う気持ちとは少しく異なるだろう。『成りあがり』はサクセス・ストーリーだったが、本書の眼目は人気マンガ家サイバラのサクセス・ストーリーにはないし。
 しかし、小気味よいリズムをもつ語り口と、貧困から身を起こすいきさつを通じて読者を鼓舞する「熱さ」が、『成りあがり』によく似ているのだ。

 巻末に、気の毒になるくらい小さく目立たない形で、「構成……瀧晴巳」というクレジットがある。サイバラにインタビューして話を文章にまとめたライターがこの人だという意味だ。
 瀧晴巳さんは『ダ・ヴィンチ』等で活躍している女性ライターだそうだが、同じように構成仕事をよくやる私から見ても、本書の構成はすこぶる巧みである。サイバラらしさを少しも損なうことなく文章化している。有能なライターだと思う。

 本書は自伝としても感動的だが(とくに、鴨ちゃんに触れた終盤は泣ける)、サイバラ流の「貧困論」としても読みごたえがある。

 あのね、「貧困」と「暴力」って仲良しなんだよ。



 人は「貧しさ」によって、何事かを考えようという気力も、よってたかって奪われてしまうんだよ。



 貧困問題・ワーキングプア問題に対する、サイバラなりの回答が本書にはある。社会保障やら就労支援やらといった枝葉はすべてすっ飛ばし、貧困問題の本質のみを取り出して、それと闘う術をサイバラは提示している。

 個人的には、サイバラがマンガ家・イラストレーターとして一本立ちするまでの悪戦苦闘に共感し、胸打たれた。

 溺れた人は、たとえ泳げなくたって、必死で水をかくでしょう。
 貧しさが何もかもをのみこんでいくような、ブラックホールみたいな世界にのみこまれないために、わたしは、絵にすがりついた。才能があろうがなかろうが、そんなことは関係なかった。
 自分は絶対に絵を描く人になって東京で食べていく。そう心に決めた。
 この町には、もう、絶対に帰らない。



 「絵」を「文章」に置き換えたら、まんま24年前のオレじゃん――そう思った(ちなみに私はサイバラとタメ年)。
 私も、文章に「すがりつ」き、「文章を書く人になって東京で食べていく」と決めて、何のあてもないまま東京にきたのだから……。

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川本三郎『きのふの東京、けふの東京』

きのふの東京、けふの東京きのふの東京、けふの東京
(2009/11)
川本 三郎

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 川本三郎著『きのふの東京、けふの東京』(平凡社/1680円)読了。

 川本さんは、これまでにも多くの「東京もの」エッセイを上梓している。これは、その流れを汲む「東京もの」エッセイの最新刊。
 複数のメディアに掲載されたエッセイを集めたものだが、川本さんの視点にたしかな統一感があるため、寄せ集め感はない。

 終戦間近の渋谷区に生まれ、杉並区阿佐ヶ谷で育った川本さんは、東京のど真ん中で東京の戦後とともに生きてこられた方である。そして、現在に至るまで町歩きを趣味とし、東京の隅々まで知り尽くしている。「東京もの」エッセイの書き手として、これ以上ふさわしい人もいないだろう。

 全編に通底するのは、現在よりは過去に、華やかな繁華街よりは侘びしい路地裏に、山の手よりは下町に、勝者よりは敗者に向けられた慈愛のまなざしである。

 最先端の東京など、まったく出てこない。たとえば、本書には六本木が一度だけ出てくるが、それは、永井荷風の『断腸亭日乗』に登場する「丹波谷坂」「長垂坂」を語った一編でのこと。「現代の六本木は好きになれないが、現代の向こうにかすかによき過去が見える」と書く川本さんにとって、六本木ヒルズなど眼中にないのだ。

 「街」か「町」か。「町」がいい。どこか生活の味がある。「街」はおしゃれ過ぎる。葛飾区の立石や、北区の赤羽などはどう見ても「街」ではなく「町」だろう。
(中略)
 本書は、東京の「街」ではなく「町」を歩いた町歩きのエッセイを中心にしている(「あとがき」)



 随所に、川本さんが東京各地の居酒屋で一杯やる場面が登場する。料亭でも高級レストランでもなく、つねに居酒屋なのだ。町の庶民たちが集う、地味だが安くて味のよい、良心的な居酒屋――本書はその讃歌でもあり、川本さん流の東京居酒屋ガイドとしても使える。

 評論家として映画と文学を主要フィールドとする川本さんだから、その町ゆかりの映画や文学のワンシーンが随所で紹介される。記憶の中にどれほど膨大な“シーンの蓄積”があるのだろう、と驚嘆させられる自在な引用である。

 どのエッセイも心癒される滋味豊かな文章だが、私がとくに気に入ったのは「上野、敗者に優しい町」。これは、じつに川本さんらしい一編だ。

 近代の上野は、そもそも負け戦から始まっている。いうまでもない。彰義隊の戦いである。(中略)私見では、大東亜戦争で日本が敗れたあと、上野の町が、戦災孤児や浮浪者を受け入れたのは、この彰義隊の負け戦さの歴史があるから。上野は、敗者に、弱者にやさしい町なのである。



 また、ラスト3編がそろって荷風がらみのエッセイになっているが、いずれも、筋金入りの荷風ファンである川本さんらしい味わい深いもの。とくに、「荷風の愛した寺」は名編。

 荷風が寺を歩くのを好んだのは、寺はどんなに周辺が再開発されても、静かに過去のたたずまいを伝えているからだろう。寺は大都市のなかの隠れた過去追慕の場所である。



 静謐なノスタルジーが全編を優しく流れる、エッセイの形をとった大人のための東京「町歩き」ガイド――。

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スーザン&ラリー・ターケル『「自分の壁」を破るいちばん簡単な方法』

「自分の壁」を破るいちばん簡単な方法―人生が一変する5つの「黄金ルール」「自分の壁」を破るいちばん簡単な方法―人生が一変する5つの「黄金ルール」
(2007/07)
スーザン ターケルラリー ターケル

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 スーザン&ラリー・ターケル著、藤原和博訳『「自分の壁」を破るいちばん簡単な方法――人生が一変する5つの「黄金ルール」』(三笠書房)読了。
 ちょっと読むのが気恥ずかしいタイトルだが、これはなかなかよい本だった。

 テーマは“習慣を変えることによって自分を変えよう”というよくあるものだが、内容のわかりやすさと提言の実行しやすさが抜きん出ている。なにしろ、著者が勧めるのは、習慣を「一度にひとつ、少しだけ変えていく」というやり方なのだ。
 飛行機の進む方角がたった一度ずれただけでも到着地はまるで違ってしまうように、ほんのささいな習慣であっても、よい習慣が身につけば人は変わる。そして、ささいな習慣を変えることを積み重ねれば、何年かのちには驚くべき大きな変化が生まれ、「自分の壁」を破ることができる……というのが著者の主張なのだ。

 この本は「あなたを変える」。その秘密は二つ。
 第一に、わずかな変更なので、始めるのも続けるのもとてもやさしい。
 第二に、わずかな変化が積み重なることによって、いつしか強力な行動パターンがつくられる。



 この主張には納得できる。
 「善きことはカタツムリの速度で進む」とはガンジーの言葉だが、なんであれ、一気に変えようとするのはよくない。無理が生じ、心のリバウンドが必ず起きるからだ。「夏休みの1ヶ月半で自分を変えよう!」などと力んでも人はけっして変われない。毎日少しずつ少しずつ、1ミリ程度でも前進しながら変えていくしかないのだ。

 著者が本文で紹介する“習慣を変えるコツ”の中にはありふれたつまらないものもあるが、「これはぜひ自分の生活に取り入れたい!」と思えるものも10項目以上あった。これで十分元が取れた感じ。

 本書に引用されているアリストテレスの至言をメモ。

 「人間は習慣の動物である。優秀さとは、ひとつの行為ではなく、習慣のことをいう」



■関連エントリ→ 『コンサルタントの習慣術』レビュー

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うるさくてゴメンねBAND『うるさくてゴメンねLIVE』

うるさくてゴメンねLIVEうるさくてゴメンねLIVE
(2008/02/20)
鳴瀬善博&うるさくてゴメンねBAND

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 うるさくてゴメンねBANDの『うるさくてゴメンねLIVE』を聴いた。

 「うるさくてゴメンねBAND」とは、ベーシストの「ナルチョ」こと鳴瀬善博が中心になって1980年代半ばに結成されたスーパー・セッション・バンド。現B'zの松本孝弘が、B'z結成以前に参加していたことでも知られる。略称は「URUGOME(うるゴメ)」。

 本作は、1987年に「渋谷LIVE INN」で収録されたライヴ・アルバム。長らく「幻の名盤」と化しており、LPレコードが中古市場で高値を呼んでいたが、2008年にCDとして復刻された。

 URUGOMEは2000年の再始動後はメンバーが大きく異なるのだが、本作はオリジナル・メンバー。ギターが松本孝弘、ドラムスがそうる透、ヴォーカルはカルメン・マキと山田信夫(NoB)、キーボードにゲスト扱いで難波弘之、そしてベースはもちろん鳴瀬善博……という強力な布陣。

 音のほうはバンド名ほどラウドではなく、フュージョン的要素もある洗練されたハード・ロックという趣。

 ビートルズやカクタスのカヴァーなど、カヴァー曲が多いあたりはいかにも「企画もの」という感じだが、なにしろ腕利き揃いのバンドだから、どの曲も聴きごたえがある。たとえば、スリー・ドッグ・ナイトの大ヒット曲「ワン」をドラマティックなハード・ロックにアレンジしてカヴァーしているのだが、これがじつによい。
 鳴瀬がリーダーだからといってベースばかりが目立つ感じでもなく、バンドの音として見事なバランスで完成されている。

 カルメン・マキと山田信夫がおおむね半分ずつヴォーカルをとる(デュエット曲もあり)のだが、甲乙つけがたい素晴らしさ。2人も声がよく出ている。

 チャー(鳴瀬とは、伝説のバンド「SMOKY MEDICINE」をともに組んでいた盟友)が「Sixty Sicks」という曲を書き下ろしていて、これがすごくカッコイイ。全盛期のピンク・クラウドにカルメン・マキがヴォーカルで加わったような、骨太のロック・チューン。思うさまシャウトするマキのヴォーカルも、じつに「男前」だ。私はこれが本作のベストトラック。

 あと、松本孝弘が作曲したインスト・ナンバーが2曲入っているのだが(「Storm Belt」「Falling Tide」)、2曲とも素晴らしい。ジャズ・ロックでもフュージョンでもなく、あくまでも「ロック・インスト」という趣。
 松本は全曲インストのソロアルバムも出しているようだから、こんど聴いてみよう。


↑マキオズの名曲「私は風」のURUGOME版(ライヴ)。ただし、本作には未収録。

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村上宣寛『心理学で何がわかるか』

心理学で何がわかるか (ちくま新書)心理学で何がわかるか (ちくま新書)
(2009/09)
村上 宣寛

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 村上宣寛著『心理学で何がわかるか』(ちくま新書/861円)読了。
 心理学者の著者(富山大学教授)が、心理学という学問の「いま」を概観した心理学入門である。

 著者は、世にあふれる「心理学」の中から、俗流心理学、擬似科学としての心理学を排除し、“科学としての心理学”だけを腑分けしてみせる。「心理学など、科学とは呼べない」と批判する向きが多いことを承知のうえで、“そうではない。科学とは呼べない俗流心理学が跋扈しているのはたしかだが、真の心理学はまぎれもない科学である”と言う本なのだ。
 目に見えない心というものを科学的に研究するため、心理学がどのように科学性を担保しているのかを、著者はさまざまな研究手法の紹介を通じて明らかにしていく。 

 そのうえで、心理学によっていま何がわかっているのかが、遺伝・記憶・意識とは何か・人間と動物の心の違いなどのテーマに沿って、わかりやすく紹介されていく。

 本書の内容は、心理学を本格的に学んだ人にとってはわかりきったことばかりなのだろうが、シロウトの私には目からウロコの連続だった。
 以下、目からウロコだった一節をいくつか引用。

 発達心理学というと、発達についての心理学だから、子供の研究をすると思うかもしれない。これは誤解である。(中略)日常用語では発達は幼児や子供が成熟する意味である。しかし、心理学では人が生まれてから死ぬまでの変化がすべて発達である。つまり、どんどん賢くなっていくのは発達だが、老化して痴呆化してしまうのも発達である。



 ほとんどの研究は、子育てが非常に小さな影響しかないことを示している。
 心理学者の大部分は「子育て神話」を信じていない。それにも関わらず、育児態度の研究が繰り返されるのは、子育てが重要だからである。影響力はたかが一~二%である。それをどう考えるかは、各人の価値観に依存している。



 トラウマが抑圧されるという証拠はなく、回復された記憶が真実であるという証拠もない。もちろん、精神分析の抑圧や解離の概念で、説明する理由もない。まだ、論争は続いているが、現在までのところ、科学的根拠はほとんどない。そもそも、トラウマはよく記憶されるという証拠の方が多い。忘却によってトラウマを克服するという仮説を支持する研究も皆無である。



 WHOで統合失調症に関する国際研究を行なったところ、うつ病の概念はイギリスで広く、アメリカでは狭かった。アメリカでは、イギリスでうつ病と診断された患者の五九%しかうつ病と診断されなかった。逆に、統合失調症の概念はアメリカでは広く、イギリスで狭かった。



 ためになる本だが、各章冒頭に著者の個人的な思い出話が書かれているのは余計。自慢話にしか思えず嫌味な部分もあるし。

 あと、終章で著者は臨床心理学を執拗に批判しているのだが、そこだけが全体から浮いている印象を受ける。

 臨床心理学は人気があるが、その内容は特定の学派の心理療法やカウンセリングが中心で、実力や実態は、素人心理学からそれほど離れてはいない。(中略)早急に、学問的水準の底上げが必要であろう。



 ……という具合。臨床心理学(者)に何か個人的な恨みでもあるのだろうか、と勘ぐってしまう(笑)。

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小田雅久仁『増大派に告ぐ』

増大派に告ぐ増大派に告ぐ
(2009/11/20)
小田 雅久仁

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 小田雅久仁(おだ・まさくに)著『増大派に告ぐ』(新潮社/1480円)読了。昨年度の「日本ファンタジーノベル大賞」受賞作だ。

 これがデビュー作とはとても思えないほど、じつに素晴らしい文章を書く作家である。魅力的な比喩の連打で彩られた、鮮やかなイメージの奔流。文章が濃密なので速読は不可能で、ゆっくりと味わいながら読み終えた。

 古びたマンモス団地を舞台に、妄想に取り憑かれたホームレスの中年男と、酒乱の父親から虐待を受けている男子中学生の物語が並行して進行する。やがて、孤独な魂が共鳴するように2人は出会い、ささやかなカタストロフィに向かって歩を進めていく。

 「増大派」とは、中年男が抱きつづける妄想のキーワード。男の心には、この世界が「人間の精神を戦場として、エントロピーの増大的な要素と減少的な要素が二大勢力に分かれてせめぎ合っている」場として映っている。
 エントロピーが増大していくように、「増大派」はつねに多数派で、「減少派」は滅びゆく少数派だ。自身が「減少派」だと確信している男にとって、日々の暮らしは「増大派」との絶えざる闘争なのである。

 ……とまあ、そのような妄想を抱いている人は世にたくさんいるわけだが(ネットの世界にも、その手の人たちが妄想をくり広げる痛々しいサイトがよくある)、ありふれた妄想が、才能ある作家の手にかかるとこんなにも残酷で美しい物語に昇華されるのだ。後味のよくない、極彩色の悪夢のような陰鬱な作品だが、まぎれもない傑作。
 これぞ小説だ、と思う。映画化もテレビドラマ化も不可能な、小説でしか描けない世界が展開されているから。

 私が付箋をつけた箇所をいくつか引用する。読者を選ぶ作品だが、この引用を読んで「お、よさそうだな」と思えた人にはオススメ。

 男が言うには、戦争に行って生きて帰った人間の魂は皆死んでしまっており、その魂の死を断固として拒んだ勇敢な人間たちは皆肉体が死んでしまったのだそうだ。つまり戦争というものは行けば誰一人として生きて帰らないのであり、男もまたフィリッピンの密林の中で魂を失った、人間の抜け殻なのだと言う。
 男はフィリッピンで迫撃砲の弾の破片がまっすぐ眼に飛びこんでくるのをはっきり見たそうだ。あんまり速う飛んでくると瞼も間に合わん、と男は幾度も練習を重ねたとっておきの台詞のように言った。そして、頼みもしないのに義眼を出し入れするところを彼に見せてくれた。それは目玉というよりも、目玉のふりをして天敵を脅かす南洋の宝貝のようだった。それをぺろりと飴玉のようにねぶってから、小さな口のような眼窩にぐにゃりと押し戻すのだ。



 もし神が人間から嘘をつく能力を奪ったとしたら、人類は一年ともたずに滅亡するだろう。薄い皮膚の下に辛うじて閉じこめられていた全人類の諸々の悪感情が溢れ出し、濁流となって世界を駆け巡るだろう。どんな慈愛に満ちた方舟もけっして浮かび続けられないような濁流だ。が、もしかしたらほんのひと握りの人間だけは生き残るかもしれない。神にすら嘘を奪えなかった天性の嘘つき。悪の泉から直接その能力をすくいとった真の嘘つき。



 クスノキにはショウノウという成分が含まれていて、タンスの虫除けにも使われており、虫を寄せつけない。だから、その根元に埋められた死体はけっして腐ることがなく、死んだばかりのようにいつまでも綺麗なままなのだ。そこに眼をつけた未練がましい人間たちが、夜陰に乗じて愛する者たちの死体をこっそりと埋めた。ときおり掘り返しては、土まみれになった白々と冷たい死体と愛を交わすためだ。クスノキはそんなふうに深く愛されすぎた死体の魂をいくつもいくつも吸い上げて巨大になるのだという。



 メモしておきたいような比喩表現も多い。「死んだことにまだ慣れていない死体のような足どりでぐらりぐらりと歩いている」とか、「地球の裏側に広がっているはずの夜が透けて見え始めたかのように地面はどんどん黒くなっていく」とか……。

 引用した箇所はいかにもダーク・ファンタジー調だが、全体を読むとファンタジー色はわりと薄い。もう少し書き方を調整すれば、このまま純文学として出せるくらい。
 著者略歴に「好きな作家」として挙げられているのは、『すべての美しい馬』のコーマック・マッカーシーと、『悪童日記』のアゴタ・クリストフ。このへん、いかにもという感じだ。

 著者の資質は、ファンタジーよりもむしろ純文学に向いていると見た。これほどのスキルがあればどんなジャンルの小説もそつなくこなすだろうが、次はゴリゴリの純文学でブレイクを狙ってほしい。すごい新人だと思う。

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関千枝子『ルポ母子家庭』

ルポ 母子家庭  「母」の老後、「子」のこれからルポ 母子家庭 「母」の老後、「子」のこれから
(2009/11/07)
関 千枝子

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 関千枝子著『ルポ母子家庭――「母」の老後、「子」のこれから』(岩波書店/1680円)読了。

 先日読んだ『子どもの貧困』(阿部彩)によれば、日本の母子家庭の貧困状況は「国際的にみても非常に特異である」という。「母親の就労率が非常に高いのにもかかわらず、経済状況が厳しく、政府や子どもの父親からの援助も少ない」点が特異なのだ、と。
 本書は、そのような日本の母子家庭の苦しい状況をつぶさに描き出したルポルタージュ。

 貧困層に占める女性の比率が高く深刻になっている状況のことを、「貧困の女性化」と呼ぶのだそうだ。そして、母子家庭には「貧困の女性化」の問題が凝縮されている。

 著者は元新聞記者で、50代近くになって離婚を経験し、以後は女手一つで2人の子を育て上げた人。つまり、母子家庭問題の当事者でもある。そのため、登場する母子家庭の人々に注ぐ視線は終始あたたかい。

 母子家庭の「いま」を描くのみならず、過去半世紀の日本の福祉行政史を、母子家庭をフィルターとして概観する書にもなっている。
 とくに、著者が母子家庭問題の取材を始めた1980年代以降の変化は、非常によくわかる。その間、母子家庭の「命綱」だと著者が言う児童扶養手当制度の改悪、就労状況の悪化などがあり、母子家庭の貧困は四半世紀前よりもいっそう深刻になっているという。

 いまのほうがよくなっている点は、一つだけ。離婚・非婚に対する世間の見方が変わり、母子家庭への偏見が薄れてきたことだという。
 かつての偏見がどのようなものであったか、その一端を著者が紹介している。

 「男友達」のいる母子家庭の母を「くされ母子」と言うのだ、ということを福祉事務所の人に聞いたことがある。清く正しく貞節を守り、男と話をしても問題。当時はこうした考えが世間に強く、とくに福祉関係の人に多いように私には感じられた。



 著者は、母子家庭への支援が「自立支援」「就労支援」に偏していることを、くり返し批判する。

 「就労支援」がほとんど意味をなしていないことは、何度も書いたとおりである。それはいまの社会の仕組みでは、いくら職業訓練をしても、まっとうな働く場がないからである。ITなどの職業訓練は、おおいに結構だが、いまの状況では、低賃金の派遣から少し高給の派遣にかわるだけである。
(中略)
 私は、いま、緊急に打つ手は福祉の強化しかないと思っている。福祉というと「バラマキ福祉」とか、「枯れ木に水」とか、まるで、どぶに金を捨てるように思っている人がいるが、人間らしく生きるための金の支給であって、有効に消費される金なのである。



 また、「貧困層は一般の数倍『うつ』になる人が多いといわれる。母子家庭の『うつ』が増えていても不思議ではない」という状況もある。「自立」などしたくてもできない母親が山ほどいるなかで、自立、自立と言いつのるのは無理というものだろう。

 正味120ページ程度のソフトカバーで1680円は高いが(新書で出すべきだったと思う)、貧困問題を考えるうえで示唆に富む好著。

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細川貂々『ツレと私のふたりぐらしマニュアル』

ツレと私のふたりぐらしマニュアル (文春文庫)ツレと私のふたりぐらしマニュアル (文春文庫)
(2009/11/10)
細川 貂々

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 細川貂々(てんてん)著『ツレと私のふたりぐらしマニュアル』(文春文庫/580円)読了。

 大ベストセラー『ツレがうつになりまして』の作者による、自分と夫との暮らしを描いたコミック・エッセイ。『かわいいダンナとほっこり生活』なるタイトルで出版されたコミックスの文庫化である。

 マンガの文庫本は、絵や文字の情報量が多い作品の場合読むのがつらいものだが、細川貂々のコミックはすっきりとイラスト的で情報量が少ない(よい意味で)から、文庫でも抵抗なく読める。

 「ツレうつ」より前に描かれた作品なのだが、じつは本作を連載していたころ、すでに夫はうつを発病していたとか。にもかかわらず、「おもしろコミック・エッセイ」という作品の性格上、うつのことは表に出せず(編集部から「かくしてください」と指示されたそうだ)、“夫が突然「専業主夫になる!」と宣言して会社をやめちゃいました”という話になっている。

 この「ツレ」氏は麻布生まれフランス育ちなのだそうで、そのへんに起因するであろうおっとりとした上品さがなんとも微笑ましい。

 料理も家事も整理整頓も大好き、果ては皿洗いさえ大好きで、妻が食器洗い機を買おうとすると猛反対する(!)という「ツレ」氏のキャラクターがすごい。たとえウツにならなくても、専業主夫になるために生まれてきたような人である。
 ペットのカメの水槽の水を1日2回取り替える、という一節を読んで驚いた。なんと几帳面な。私なんか、カメを飼っていたとき週に1度しか水を替えなかった(→それはズボラ)。

 そして、ありがちな話だが、こういう夫を選んだ妻の貂々は、家事も料理も大の苦手の「片付けられない女」なのであった(世の中うまくできてるなあ)。

 当然、「ツレうつ」のようにドラマティックではなく、他愛のない話ばかりだ。それでも、夫婦のキャラ自体がコミック・エッセイ向きなので、そこそこ楽しめる。ホントに「そこそこ」で、1度読めば十分だけど……。

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石井裕之『人生を変える! 「心のブレーキ」の外し方』

「心のブレーキ」の外し方~仕事とプライベートに効く7つの心理セラピー~「心のブレーキ」の外し方~仕事とプライベートに効く7つの心理セラピー~
(2006/11/21)
石井 裕之

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 石井裕之著『人生を変える! 「心のブレーキ」の外し方 ~仕事とプライベートに効く7つの心理セラピー~』(フォレスト出版)読了。

 苫米地英人の本に頻出するホメオスタシスとコンフォート・ゾーンをめぐる理論をもう少し知りたいと思い、ネットで類書を検索したらひっかかった本。

 たしかに、主張の根幹は同じだ。

 我々の潜在意識には「現状維持メカニズム」(苫米地のいう「ホメオスタシス」)がある。人が自分を変え人生を変えようとするとき、それが「心のブレーキ」として作用してしまう。ゆえに、ほんとうに自分を変え人生を変えようとするなら、まずは潜在意識から変えなければならない。

 ……と、大要そのような主張のもと、潜在意識のありようを変えるコツを説いた本なのである。

 それはいいのだが、著者の説く「コツ」には根拠不明で非論理的なものが多く、全体に安手のスピリチュアル本のようなニオイが満ちていて、ウンザリ。とくに、後半はほとんどオカルトになってしまっている。
 私が知りたいのは、もっと科学的・論理的に潜在意識を変えるノウハウなのである。

 ただし、本書にも「なるほど」と納得のいく記述はいくつかあった。せっかく読んだのだから、それらを(わかりやすくリライト・要約したうえで)メモしておこう。

1.自動車を運転するときにはローギアから入るように、潜在意識を変えようとするときにも、最初の一歩はゆっくりと踏み出さねばならない。「最初の一歩にこそ、一番大きなエネルギーが必要」だからである。「潜在意識を、新しい自分に徐々に慣らしていく」ために、「スタートは、繰り返して、できるだけ丁寧にゆっくりとやる」ことが肝要。
 たとえば、ダイエットに成功するために潜在意識を変えたい場合、いきなり体重を激減させると、潜在意識が驚いて現状維持メカニズムを発動させてしまう。だから、「最初の成果は本当に目に見えないくらいにわずかなほうがいい」。

2.人の感情は放っておけばすぐに冷めてしまう。「自分を変えるために○○する!」というやる気もしかり。だから、モチベーションを持続・定着させるには、その感情をすぐ行動に変えることが必要だ。感情を行動に置き換えることこそ、感情を定着させる唯一の方法である。

3.潜在意識は、意識が考えるのをやめてしまったあとでも、ずっと答えを求めつづける。けっして答えの出ない問い(「どうして何をやってもうまくいかないんだろう?」などのたぐい)を心に抱くと、潜在意識は答えを探しつづけ、せっかくのパワーを自己破壊的に用いてしまうことになる。
 ゆえに、「問題解決のため(あるいは目標達成のため)に、いま私にできることはなんだろう?」というふうに、具体的で答えの出やすい方向で考えるクセをつけるとよい。

4.「なりたい自分」に向けて潜在意識を変えるために、「私は大富豪だ!」というふうに自分にウソをつく必要はない。ウソをついても、「でも、ほんとうはそうじゃないんだよな」と現状との落差に意識が向いてしまい、本気でそう思い込むことは至難である。
 だから、自分にウソをつくのではなく、自分にハッタリをかますようにする。つまり、理想の自分を心の中で「演じる」のだ。このことを著者は、"Fake it ! Until you make it !"という言葉で表現している。

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吉田美奈子『イン・モーション』

イン・モーションイン・モーション
(2004/08/18)
吉田美奈子

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 吉田美奈子の『イン・モーション』を中古で購入。1983年にアルファレコードから出たライヴアルバムを、ソニーが復刻したもの。当時LPレコードで愛聴していたアルバムだが、CDで手に入れるのは初めて。

 アルファ時代の吉田美奈子は『愛は思うまま』『モノクローム』『モンスター・イン・タウン』などの傑作アルバムを連発し、アーティストとして最も先鋭的だった時期ではないかと思う。本作は、アルファ時代の各アルバムから曲を選りすぐったベスト盤としても楽しめる。

■収録曲目
1 アップタウン
2 猫
3 愛は思うまま
4 ラヴィン・ユー
5 海
6 トルネード
7 アルコホラー
8 モンスター・ストンプ
9 タウン



 「六本木ピットイン」でのライヴ・アルバムではあるが、拍手・歓声のたぐいは一切入っていない(※)。しかも、ライヴ音源にあとからホーン・セクションをかぶせている。ライヴ音源を「素材」として作り上げた、変則的なライヴ・アルバムである。

※私は「スタジオ処理で拍手等を削除した」と何かで読んだ覚えがあるのだが、このアルバムの感想をネットで検索したところ、「ピットインに観客を入れずにライヴ・レコーディングした」と書いてあるサイトがあった。ま、どっちでもいいけど。

 渡辺香津美の『KYLYN LIVE』、それに山下達郎の『イッツ・ア・ポッピン・タイム』と本作が、私にとって「70年代末~80年代前半を代表する3大名作ライヴ・アルバム」だ。3作とも、参加メンバーも一部重なっているし、私の中では一つの同じ流れの中にある。

 全曲のホーン・アレンジを手がけているのが清水靖晃で、そのアレンジが非常に素晴らしい。また、清水はサックス・プレイヤーとしても参加しているが、そのサックスもまた絶品。
 このアルバムにかぎらないが、清水のサックスは、ほかの誰にも真似のできない唯一無二の音色をもっていると思う。サックスという非常に人間臭い音を出す楽器を用いながら、「メタリック」と評したいほどクールで乾いた音を出すのだ。

 『KYLYN』や『KYLYN LIVE』が、渡辺香津美と坂本龍一の才能のぶつかり合いで傑作となったように、本作は吉田美奈子と清水靖晃が互いの才能を最高度に発揮し合った傑作だと思う。

 終盤(M7~9)の怒濤のファンク3連打もすごいが、私がいちばん好きなのは、前半の「猫」「愛は思うまま」「ラヴィン・ユー」のシークェンス。それぞれ元のスタジオ版をしのぐ出来になっているし、演奏といいヴォーカルといい、非の打ち所がない。ポップで聴きやすいのに、優れたアートとしても成立している。
 とくに、心を鷲づかみにされる美しいバラード「ラヴィン・ユー」あたりになると、「音楽の神が降りてきている」という印象すらある。

 私は、吉田美奈子のアルバムではこれがいちばん好きだ。発表から四半世紀を超えたいま聴いても、少しも古びていない傑作である。

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山口絵理子『裸でも生きる』

裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)
(2007/09/22)
山口 絵理子

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 山口絵理子著『裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記』 (講談社BIZ/1470円)読了。

 23歳にして株式会社「マザーハウス」を起業した著者が、生い立ちから起業、そして事業が軌道に乗るまでの波瀾万丈の道のりを綴った自伝。ベストセラーになったそうで、昨年には続編『裸でも生きる2』が刊行されている。

 生き方の振幅の大きさがものすごい。小学生時代に壮絶なイジメに遭い、中学では思いっきり不良に。高校では男子柔道部にまじって対等にハード・トレーニングをこなし、女子柔道でトップクラスに。その後、偏差値40の工業高校から、3ヶ月の猛勉強で慶應義塾大学に奇跡の合格。

 ……と、ここまででも並の人間の一生分くらい濃ゆい人生である。が、本書のメインテーマである起業への道のりはここからだ。
 後半は、最貧国バングラデシュに留学してすさまじい現実を目の当たりにし、ジュート(麻)を使ったバッグを現地生産し日本で輸入販売するビジネスに挑戦していくさまが描かれる。

 小柄でかわいらしい感じの著者なのに、内に秘めたパワーがものすごい。バングラデシュでたったひとり、徒手空拳でオリジナルバッグの生産にこぎつけ、現地で手痛い裏切りも経験しながら、著者は壁を一つひとつ乗り越えていく。その道のりは、副題に言うとおり「号泣戦記」と呼ぶにふさわしいものだ。

 あとがき的に添えられた「エピローグ」が感動的だ。一部引用する。

 バングラデシュのみんなに比べて山ほど選択肢が広がっている私の人生の中、自分が彼らにできることはなんだろう。
 それは、まず自分自身が信じる道を生きることだった。

 他人にどう言われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。
 それが、バングラデシュのみんなが教えてくれたことに対する私なりの答えだ。
 (中略)
 自分自身が本気でやりたいこと、それが途上国で「かわいいバッグをつくる」ことだった。
 目の前には、たくさんの壁がある。周りが全部敵に見える時もあるし、いつも泣いてばかり。
 しかし、泣いた後に思う。失敗したって転んだって、すべてを失ったって、また私は裸になればいい。

 そして、今日もバングラデシュのみんなが私に問いかける。

「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」



 世の中には、この著者のようにすごい若者もいるのだ。読む者に勇気を与えるさわやかな好著。続編も読んでみよう。

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吉原珠央『「また会いたい」と思われる人の38のルール』

「また会いたい」と思われる人の38のルール「また会いたい」と思われる人の38のルール
(2009/10/07)
吉原 珠央

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 今日は、都内某所で取材。ゴースト仕事の取材なので、相手はナイショ。
 単行本1冊分の取材を3回に分けて行なううちの、メインの1回。間に休憩をはさみつつ、数時間ぶっつづけで取材。取材自体はたいへん楽しいものだったが、単行本仕事は久々でもあり、クタクタになる(座ったままなので肉体的疲労はないが、取材というのはする側もされる側も緊張を伴うものだから)。
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 行き帰りの電車で、吉原珠央著『「また会いたい」と思われる人の38のルール』(幻冬舎/1365円)を読了。
 アマゾンの書影には帯が写っていないが、帯には艶然と微笑む美人の著者の写真がデカデカと載っている(→著者のブログにもその写真が載っている

 著者は元スッチー(死語)で、現在は「イメージコンサルタント」なる仕事をしているそうだ。企業向けの研修などで、「また会いたい」と思われる人になるための極意をレクチャーしている人なのだ。本書はその極意を、一般向けにブレイクダウンしてまとめたもの。すでに14万部売れたとか。

 なぜこんな本を私が読んだかというと、初対面の人への印象を少しでもよくしたいから。
 私たちライターが日々行なっている取材は、基本的に「一期一会」である。「取材のときに一度しか会わない人」が多いのだ。したがって、「第一印象は最悪だったけれど、何度も会ううちにいい人だと思えてきた」などという「関係の深化」がない。最初の印象が悪ければ、悪いままで終わりなのだ。

 とはいえ、顔の造作や性格はいまさら変えようがないから、せめて少しでも第一印象をよくしたい。そのために役立てば、と思って本書に手を伸ばしたしだい。

 全3部構成で、Part1が「『また会いたい』と思われる人の考え方のルール」、Part2が「~見た目のルール」で、Part3が「~行動のルール」という構成。

 このうち、「~考え方のルール」はいわゆる「ポジティヴ・シンキング」のすすめで、ありふれた内容。
 「~行動のルール」も、「品がある人のお金の使い方」などという見出しからわかるように、あの『女性の品格』をもう少し若向け・一般向けにしたような内容で、イマイチ。

 ただ、Part2「『また会いたい』と思われる人の見た目のルール」は、たいへん参考になった。ここが本書の肝だと思う。

 著者によれば、人の表情は自分が思っているよりもずっと相手に伝わりにくいという。

 知っておきたいのは、自分が感じる「笑顔」と、人が感じる「笑顔」のものさしは極めて違うという事実です。さらに、自分で思い込んでいる表情は、客観的に見てみると、意外と中途半端だということです。



 つまり、自分では笑顔でいるつもりでも、相手にはあいまいな薄笑いくらいにしか見えない場合がままあるということだ。
 ゆえに、笑顔の素敵な人になるには、「自分が笑顔と思っている状態に、プラス30%の力を入れる」ことが必要なのだと著者はいう。
 「プラス30%」と言われても加減がわからないが、そのための基準として、著者は「口角を5ミリほど上げ」て微笑むことをすすめる。「相手に『この人は笑顔だ』と認識してもらえるための最低数値が」が5ミリなのだ、と……。
 これは、なかなか実践的で本質的なよいアドバイスだと思う。

 もう一つ印象に残ったのは、よいアイコンタクトの極意を説いたくだり。
 著者は、アイコンタクトは「信頼を深めること」が目的なのに、たんに「目を合わせればよい」と思っている人が多い、という。そして、よりよいアイコンタクトのためには、「会話がスタートして1分以内に、相手の目の素敵なところを2つ発見する」ことを心がけるとよい、という。そのことを通じて、ただ目を合わせるだけではなく、相手の目の動きを「観察」するのだ、と……。

 なるほどなるほど。
 コミュニケーションにおけるアイコンタクトの重要性を説く人は多くても、こんな形で「よいアイコンタクト」のコツを説く人はほかにいなかったように思う。

 また、人と接するとき、「あごを正面より1~2センチ内側へ入れる」と「目力がアップ」する、というアドバイスも有益だった。

 あごが上に向いていると、反発心や威嚇を意味してしまいます。さらに、あごが内側へ入りすぎていると、消極的で暗い印象を与えてしまいます。あごの位置は、目力がアップする「正面から1~2センチあごを引く」程度をおすすめします。



 この「Part2」の部分だけでも、私には十分価値ある一冊だった。

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岡崎武志『あなたより貧乏な人』

あなたより貧乏な人あなたより貧乏な人
(2009/10/14)
岡崎武志

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 今日は、参議院議員会館で参議院議員の松あきらさんを取材。
 松さんを取材するのは3回目。元宝塚トップスターなのに気取りがなく、カラッとサバけた方である。そして、舌鋒鋭い論客でもある。

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 行き帰りの電車で、岡崎武志著『あなたより貧乏な人』(メディアファクトリー/1260円)読了。
 著者は書評家として知られる人だが、本書は書評集ではなく、さまざまな著名人の「ビンボー話」を集めた雑学エッセイ集。

 「貧困本」のブームなのだそうだ。出版不況なのに「貧困本」が売れるというのは皮肉な話だ。かくいう私も、昨年から貧困問題を扱った本を意識して多数読んでいる。

 本書も「貧困本」ブームに便乗した一冊なのだろうが、社会派な視点は絶無。軽いノリでビンボー話を愉しもう、という感じの本だ。

 登場する古今の著名人や関係者を直接取材したわけではなく、分野を問わない著作からの膨大な引用で成り立っている。その合間に、著者の文章をちょこちょこっと入れていくだけ。申しわけ程度に著者自身の学生時代のビンボー話も書かれているが、基本は引用本。すなわち、「人のフンドシで相撲をとった本」である。

 まあ、お手軽な作りの本ではある。
 とはいえ、くさす気にはなれない。というのも、私自身もこの手の本を(ゴーストの形で)たくさん書いてきたから、傍目で見るよりもずっと書くのに手間ヒマがかかるということを、身にしみて知っているからだ。
 そもそも、これだけの分量の「ビンボー・エビソード」を集めるだけでも、たいへんな労力だったはず。

 そつなく手際よくまとめられているし、著者のセンスで取捨選択された「ビンボー・エビソード」の数々を愉しむだけでも、価格分の価値は十分にある。

 笑った一節、感銘を受けた一節をいくつか孫引きしてみる。

 マンガ家の石坂啓は、20代前半のド貧乏時代、「引っ越しにお金がかけられないと、妹の部屋からふとんをかついで、電車に乗った」。「シーツでくくったふとんには、ナベやおタマが突っ込んであった」という。

 良家のお嬢様育ちのような印象がある吉永小百合は、じつは小学生時代、父親の事業の失敗から貧乏のどん底を経験していた。少女時代に芸能界を目指したのも、苦しい家計を助けるためだった。

 少女時代から青春期にかけて貧乏のどん底を経験した西原理恵子が、著書『この世でいちばん大事な「カネ」の話』に記した一節――。

 「どうしたら夢がかなうか?」って考えると、ぜんぶを諦めてしまいそうになるけど、そうじゃなくって、「どうしたらそれで稼げるか?」って考えてごらん。
 そうすると、必ず次の一手が見えてくるものなんだよ。



 古今亭志ん生の名言――。

「貧乏なんてするもんじゃありません。貧乏は味わうものですな……」



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ストリート・スライダーズ『ノー・ビッグ・ディール』ほか

ノー・ビッグ・ディールノー・ビッグ・ディール
(1996/11/21)
The Street Sliders

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 ストリート・スライダーズの『ノー・ビッグ・ディール』と『WRECAGE』を聴いた。
 14~15年前に出たアルバムなので思いっきり「いまさら」だが、聴くのは初めて。

 私は、スライダーズはサード・アルバム『JAG OUT』のころがいちばん好きで、『BAD INFLUENCE』(1987)を聴いて失望し、以後のアルバムは聴いていなかった。

 10枚のオリジナルアルバムを遺して解散した彼らだが、『ノー・ビッグ・ディール』は1996年発表の10枚目――つまりラスト・アルバムにあたる。『WRECAGE』は、その一つ前の第9作(1995年)だ。

 2枚とも、かなり地味で渋い内容である。初期のようなストーンズライクなゴキゲンなロックンロールはごく少ない。よりブルース寄りになり、レゲエ色やファンク色も加味したいぶし銀のロックという趣。
 だが、その渋さがなかなかよい。私自身が40代半ばのオッサンになったせいか、いまの耳で聴いてみると、初期のストレートなロックンロールよりこっちのほうが好ましい。

 とくに、『WRECAGE』はかなり暗いアルバムだ。「WRECAGE」(レッケイジ)とは「残骸」「破片」の意だが、そのタイトルどおり、ロックスター然としたきらびやかなイメージは微塵もなく、重い徒労感、もしくは喪失感のようなものが全編に底流している。
 ずっしりと重いリズム隊、粘っこくうねるギター……歌詞の内容もかなりヘビーだ。たとえば――。

Where Do I Go 手に入れたものさえ色褪せるのさ
Where Do I Go 手に入れたものさえ霞んでくるのさ(「Where Do I Go」)



 このアルバムは前作から4年半ぶりに発表されたものだが、痛快なロックンロールを待ち望んだファンは、当時さぞかし戸惑ったことだろう。

 でも、私にはその暗さと重さが好ましい。とくに、レゲエ色の濃い「日暮らし」など、すごく渋い。「都市の夜のレゲエ」という趣で、レゲエなのにトロピカル色が微塵もないのだ。デヴィッド・ボウイがレゲエを取り入れた名曲「ドント・ルック・ダウン」を彷彿とさせる仕上がり。

 『ノー・ビッグ・ディール』は、『WRECAGE』に比べれば暗さが薄れ、吹っ切れたような乾いた味わいのアルバム。しかし、やはり初期のロックンロール路線とは趣が異なり、かなり渋い。ギターの音色がこれまでになくファンキーになっており、曲によってはダンサブルでもある(「Can't Get Enough」など)。

 楽曲の質も高く、まさに「捨て曲なし」の印象。
 生ギターとピアノで渋く彩られた「手ブラで来いよ~センチメンタルジプシー」など、ストーンズの名曲「ワイルド・ホーシス」を彷彿とさせる素晴らしさだ。

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the band apart『quake and brook』

quake and brookquake and brook
(2005/05/11)
the band apart

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 the band apartの『quake and brook』を中古で購入。バンアパが2005年に発表したセカンド・フルアルバム。
 私は4枚目の『Adze of penguin』(2008)からバンアパを聴き始めた遅めのファンなのだが、これでようやく現時点での全アルバムを揃えたことになる。

 4枚とも甲乙つけがたい素晴らしさだが、この『quake and brook』はほかの3枚に比べてギターの比重が高い印象で、私にとってはそこが好ましい。全編ギターの洪水。なのに、少しも暑苦しくない。ダンサブルなのにクールで理知的。アレンジは複雑で演奏はテクニカルなのに、抜群の聴きやすさとノリのよさ。

 彼らの「盟友バンド」、モック・オレンジのジョー・アッシャーが本作のライナーノーツに寄せたコメントによれば、「the band apartはある種の“CITY-FUNK”さ」ということになる。なるほど、バンアパの音はファンキーでもあるし、何よりまぎれもない「都市の音楽」でもある。

 ほかのアルバム同様、歌詞はすべて英語で、ちょっと聴いただけでは日本のバンドとは思えないほど垢抜けている。ポール・ウェラーをもう少し甘くしたような荒井岳史のヴォーカルも、相変わらず耳に心地よい。

 これほどハイクオリティーなバンドが、いまだにインディーズでありつづけているのが不思議だ。まあ、インディーズでのマイペースな活動だからこそ、ほんとうに作りたい音楽が思う存分作れるということもあるだろう。

 おりしも、私が気に入っていたユニット「二千花」が、セカンドアルバムを出すことなく昨年末で解散していたことを知った。ヘタにメジャー・デビューしてしまうと、CDの売れ行きが悪いことですぐに活動が行きづまってしまうのだろうな、と推察する。
 
 バンアパには、インディーズのままでもよいから末永く活動してほしい。


↑本作の中で私はこれがいちばん好きかも。「M.I.Y.A.」(ライヴ)


↑本作収録の「higher」のPV。金のかかってなさそうなところが泣かせる。


↑このアルバムのラストを飾る「real man's back」(ライヴ)。まさに「CITY-FUNK」という趣。

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鏑木蓮『東京ダモイ』

東京ダモイ (講談社文庫)東京ダモイ (講談社文庫)
(2009/08/12)
鏑木 蓮

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 鏑木蓮(かぶらぎ・れん)著『東京ダモイ』(講談社文庫/730円)読了。

 新進気鋭のミステリ作家が2006年に放ったデビュー作で、第52回江戸川乱歩賞受賞作。
 著者は大学の卒論も江戸川乱歩論だったそうだから、乱歩賞を受賞してのデビューはまさに夢の実現であったろう。

 旧ソ連軍による日本兵のシベリア抑留に材をとったミステリである。「ダモイ」とは、ロシア語で「帰国」の意。シベリア抑留者にとっては、地獄の収容所から日本に帰ることを意味する特別な言葉だ。

 収容所で起きた不可解な将校斬首事件(日本刀などあるはずもない状況で、日本刀で斬ったとしか思えない殺され方をする)と、60年余を経て21世紀の舞鶴で起きたロシア人老女殺害事件――。2つの事件を結ぶ点と線をめぐって謎解きがなされていく。ロシア人老女マリアは、将校斬首事件が起きた収容所で看護婦として働いていたのだ。

 おりしも、自費出版専門の出版社で編集者として働く主人公・槇野英治の元には、その収容所から生還した高津からの出版依頼が寄せられていた。それは、収容所生活の手記と当時作った俳句を集めた句集。だが、マリアが殺された直後、高津は槇野宛てに出版延期を求める謎めいた置き手紙を残し、失踪する。

 ……というような話。デビュー作とは思えない手慣れた巧さを感じさせる作品で、たいへん面白かった。
 作品内作品の形で挿入される高津の手記にも重いリアリティがあるし、高津が句集に入れた俳句の数々から事件の真相があぶり出されていく構成も卓抜。終盤に明かされる2つの事件の真相にも納得がいく。とくに、将校惨殺事件における凶器の謎を明かしたくだりには唸らされた。
 
 収容所で行なわれる句会のエピソードは、辺見じゅんのノンフィクション『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』で句会が重要な役割を果たすところから着想したものだろう(当然、『収容所から来た遺書』は参考文献の1つに挙げられている)。
 が、「パクった」という感じはなく、見事に鏑木蓮の作品として昇華されている。むしろ、「参考文献から得た情報は、こんなふうに作品に活かすものだ」というお手本のようだ。

 難をいえば、総じてダイアローグに魅力がない。とくに、主人公・槇野とその妹の会話はいかにも作り物めいていて稚拙。
 そもそも、この妹は登場人物として必要ないのではないか。妹とのやりとりが軽薄なせいで、作品の格が下がっている気がする。

 そのような瑕疵はあるものの、全体として見れば乱歩賞受賞も納得の傑作。ほかの鏑木作品も読んでみようと思う。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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