『手帳300%活用術』

手帳300%活用術手帳300%活用術
(2009/10/23)
日本能率協会マネジメントセンター

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 日本能率協会マネジメントセンター編『手帳300%活用術――仕事とプライベートが楽しくなる117のワザ』(日本能率協会マネジメントセンター/1050円)読了。

 毎年、暮れ近くの「来年の手帳をどうしようか?」という季節になると、書店にこの手の本がずらりと並ぶ。その多くは似たり寄ったりの内容なのだが、本書はさまざまな角度の“手帳ハックス”がぎっしりと詰まっていて、なかなかよい。使える。

 ……と、書店でパラパラ立ち読みしたときにはそう思って買ってきたのだが、全部読んでみたら大した内容ではなかった。

 小田嶋隆がかつて書店について述べた苦い警句を思い出す。

 ふだん、私は本に関しては衝動買いをしない。最低でも20ページ程度は立ち読みをしてみてからでないと買わないようにしている。それでも月に2冊や3冊のクズ本に出くわすのであるから、本屋というのは恐ろしい場所だ。置いてある商品の9割以上が不良品であるような商店がほかにあるだろうか。(『翻訳の世界』1989年1月号)



 まあそれでも、基本的な手帳術が網羅されている印象だし、ほぼ文庫サイズでコンパクトな点も好ましいから、手帳に凝る人なら持っておいてもよい本だ。

 私も手帳に凝るタチなので、年末には半日かけて“手帳替え”を行なう。今年の手帳の記録をまとめ、来年の手帳に年間計画などを書き出すのである。

 たとえば年賀状については、手帳に「年賀状送付先リスト」のページを作り、出すべき相手を分野別に書き出す。
 で、実際に年賀状を書き終えた人の名前を赤丸で囲む。これで出し忘れがなくなる(ついでに言うと、返事が来たら名前の上に青い斜線を引くようにしているので、「年賀状を出したのに返事が来なかった人」もわかるw)。

 また、当ブログで今年書いた全エントリのタイトルだけをプリントアウトし、縮小コピーして今年の手帳に貼りつけておく。こうすると、今年がどんな年で、どんな本を読みどんな映画を観たか、どんな音楽を聴いたかなどが、一目瞭然となる。
 「それがなんの役に立つの?」と問われると困ってしまうが(笑)、一年間の記録をコンパクトにまとめておくと、なんとなく気分がスッキリとするものなのである。

 来年の手帳には、来年読みたい本のリストや観たい映画のリストも書き出す。そして、実際に読んだ本、観た映画については順次リストに赤線を引いて消してゆく。こうすると達成感があるし、赤線を引いても文字は見えるから記録として残る。

■関連エントリ→ 私の手帳術

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『シン・シティ』ほか

シン・シティ [DVD]シン・シティ [DVD]
(2009/07/08)
ブルース・ウィリスジェシカ・アルバ

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 風邪で寝込んでいる間に、寝床でDVD鑑賞した映画の感想をメモ。

 先日急逝してしまったブリタニー・マーフィーが出ている『シン・シティ』を、“追悼鑑賞”として観た。
 フランク・ミラーのアメコミを、ロバート・ロドリゲスが原作のテイストをストレートに活かして映画化した作品。

 好きだなあ、ロドリゲス。あの『グラインドハウス』でも、タランティーノ監督の『デス・プルーフ』より、ロドリゲスの『プラネット・テラー』のほうが、私は断然気に入ったものだ。
 アクションとグロテスクとエロティシズムが、ロドリゲスならではの美学で緊密に結びつけられ、絶妙のバランスで同居している。刺激たっぷりなのだけれど、グロすぎず、エロすぎない。そして、めくるめくスピード感。

 ブリタニー・マーフィーは、「ヤクザな元カレにつきまとわれて困っているが、いまの彼もヤバイ系」という、典型的だめんず・うぉーかーの女性を演じている。
 実生活のパートナーだった脚本家サイモン・モンジャックもかなりアブナイ男のようだから(→「急死のブリタニー・マーフィー、夫への疑いと非難が集中!」)、ハマリ役だったのかも。

 もっとも、私はこの映画ではジェシカ・アルバやデヴォン青木のほうに心惹かれてしまったが……。

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 『ソウ Saw』と『笑の大学』も観た。
 『ソウ』はすでに第6作まで作られている人気シリーズだが、これまで観たことがなかった。

 私はグロい映画も暗い映画もサイコ・サスペンスも嫌いではないが、これにはちょっとウンザリ。映画のどの部分を観ても登場人物がギャーギャーわめいているばかりで、耳障りだし、一本調子でめりはりがまったくない。第2作以降を観る気が失せた。

 『笑の大学』は、いまさらの鑑賞。三谷幸喜の才気が輝く、いかにも彼らしい脚本だ。

 2人芝居の映画化というと、どうしても『探偵スルース』を思い出してしまう。ローレンス・オリビエとマイケル・ケインの火花散る演技合戦で魅せた『探偵スルース』に比べると、こちらは役所広司と稲垣吾郎の演技力に差がありすぎ。
 いや、吾郎ちゃんもがんばってはいるのだ。が、いかんせん、その演技には微妙なニュアンスというものが欠落している。「黒か白か」の演技しか出来ず、その間にある“グレイゾーンの感情”をまるで表現できない印象なのだ。

 その点、役所広司はさすがにうまいなあ。「チャーチルの握った寿司が食えますか!?」とか、いくつかのセリフを、観終わってからも思い出し笑いしてしまうほど。

 ただ、終わり方が“感動の押し売り”のようで、くどすぎ。「さあ感動しろ! しろったらしろ!」みたいな。もっとサラっと洒脱に終われなかったものか。

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藤田庄市『宗教事件の内側』

宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと
(2008/11)
藤田 庄市

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 藤田庄市著『宗教事件の内側――精神を呪縛される人びと』(岩波書店/2940円)読了。

 宗教をおもなフィールドに取材活動をつづけるフォト・ジャーナリストが、1990年代以降の代表的な「宗教事件」(ここではカルト教団による犯罪を指す)を描いたルポルタージュ集。
 ただし、第1章は1980年代後半のおもな宗教事件について考察する内容になっており、最終章(第6章)「宗教的理想と世俗」はルポというより論考だ。多少論文色も加味されたルポ集といったところ。

 第2章「遺体と暮らす」は、「定説です」で知られる「ライフスペース」事件など、カルト教団のメンバーが遺体と暮らしつづけた特異な事件をまとめて扱っている(90年代には、その手の事件がなぜか頻発した)。
 第3章「祈りの値段」は、「法の華三法行」事件など、救済を名目に信徒から高額な布施を取り、刑事事件となったケースを扱ったもの。
 そして、第4章では統一教会問題を、第5章ではオウム真理教事件を、それぞれじっくり掘り下げている。そしていずれの章でも、著者は事件の裁判傍聴に足繁く通っているほか、関係者への綿密な取材を重ねている。

 どの事件の裁判においても、検察側はきまって宗教性を否定することで一般の犯罪の枠内に無理やり収め、被告を裁こうとする(判決も、多くは検察のそうした姿勢に沿ったもの)。すなわち、“被告の犯罪は、宗教の装いをこらしてはいるものの、金銭欲・権力欲などの世俗的欲望を満たそうとしたものにすぎない”という論理が用いられるのだ。

 なるほどたしかに、「法の華三法行」事件の福永法源あたりには金銭欲しか感じられない。だが、カルトによる宗教事件には、世俗の論理の枠組みにはとうてい収まりきらないものも多い。だからこそ、著者は検察とは異なるスタンスで宗教事件に迫っていく。

 オウムをはじめカルトは従来の社会常識、行政の対応、法の解釈や運用では手に負えない現象なのである。
(中略)
 中川(智正)に話を戻そう。彼の神秘体験、神秘状態を偽りと無視してしまえば、従来の刑事裁判として形は整う。しかし、中川を含めたオウム真理教事件を、従来の枠組みが通用しない宗教現象、宗教犯罪と捉え直さねば事件の核心に迫ることはできないだろう。そしてこれは、裁判のみのことではない。



 著者のそうした姿勢は、「あんなものは宗教ではない」という論理でオウムなどを切り捨てて事足れりとした一部既成宗教の姿勢とは対照的だ。

 真に人間を見つめるには人間のなす悪も見つめねばならないように、宗教について深く考察するには、宗教の微温的側面だけ見ているわけにはいかない。宗教の危険な側面、恐ろしさをも知ってこそ、その反面にある宗教の尊さも理解できるのだ。著者は、そのことをよくわきまえた人だと思う。

 ただし、著者は「世俗」を「宗教」より一段低くとらえているわけではない。むしろ逆だ。
 終章「宗教的理想と世俗」では、オウムに殺害された被害者たちが「世俗」の中で懸命に生きたその輝きを示すことで、世俗を超越した気になっていたオウム幹部たちの増上慢を、著者は鋭く衝いてみせる。

 本書の圧巻は、オウム事件の意味を改めて問い直した第5章だ。
 著者はこの章で、麻原彰晃でも上祐史浩でもなく、新実智光(地下鉄サリン事件等の一連の犯罪にすべてかかわった古参幹部)に的を絞ることで、事件に新たな光を投げかけている。
 優しく善良な青年だった新実が、グル(導師)の命令のまま殺人を犯す「宗教確信殺人犯」に変貌するまでの心の軌跡をつぶさに追い、すごい迫力。あたかも、新実を主人公とした重厚な文学作品を読んだような読後感が味わえる。

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阿部彩『子どもの貧困』

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)
(2008/11)
阿部 彩

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 風邪で熱を出してしまった。昨晩が38度で、今夜が37.8度。高熱というほどではないが、けっこうしんどい。
 なんだか、年末押し迫った時期に風邪を引くのが恒例のようになっている。ライターが一年でいちばん忙しい「年末進行」が終わってホッとすると、張りつめていた気持ちが弛緩して一気に免疫力が低下するのかも。

 で、仕方なく寝床でボーッとあれこれ本を読む。

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 阿部彩著『子どもの貧困――日本の不公平を考える』(岩波新書/819円)読了。貧困研究者が、日本の貧困問題を「子どもの貧困」に的を絞って考察した本。

 著者は国立社会保障・人口問題研究所国際関係部第2室長という役職にある人で、湯浅誠や東海林智のように「貧困の現場」に直接かかわっているわけではない。ゆえに、湯浅らの著作にあるような生々しい人間ドラマは、本書にはない。それに、データや図表を駆使した内容はどちらかというと政府が出す白書のようで、無味乾燥な感じがしないでもない。

 それでも、アカデミックな場で貧困問題がどのように論じられてきたのかが概観できる点では有益な本だ。また、著者自身がまえがきで「本書の目的は、日本の子どもの貧困について、できるだけ客観的なデータを読者に提供することである」と書いているとおり、資料的価値も高い。

 日本は痩せても枯れても経済大国であるし、もともと「子どもをたいせつにする国」だと思われていた(江戸から明治期にかけて来日した海外の識者たちがこぞって、「日本人ほど子どもをかわいがる民族はいない」と、驚きをもって書き記している)。

 が、じつはその日本が、子どもの貧困対策においては先進諸外国に比べて大きく立ち後れていることを、著者はさまざまな角度から論証していく。

 日本の家族政策の多くは、子どもの貧困の削減を目的としていない。その理由は、日本は、長い間、欧米諸国に比べて低い失業率を保っており、「国民総中流」などというキャッチフレーズが浸透していたこともあって、貧困そのもの、ましてや子どもの貧困は、政策課題となってこなかったからである。



 その結果、日本の家族関連の社会支出はGDPの0.75%、教育への公的支出はGDPの3.4%と、いずれも先進諸外国に比べて少ない。
 日本でとくに深刻なのは、母子家庭の貧困である。

 日本の母子世帯の状況は、国際的にみても非常に特異である。その特異性を、一文にまとめるのであれば、「母親の就労率が非常に高いのにもかかわらず、経済状況が厳しく、政府や子どもの父親からの援助も少ない」ということができる。



 そして著者は、「子どもの必需品」(「子どもが育つうえでなくてはならない」と人々が考えるもの)をめぐる調査の国際比較をふまえ、次のように喝破する。

 日本の一般市民は、子どもが最低限にこれだけは享受すべきであるという生活の期待値が低いのである。このような考えが大多数を占める国で、子どもに対する社会支出が先進諸国の中で最低レベルであるのは、当然といえば当然のことである。ほかの先進諸国では、すべての子どもに必要であると思われている項目でさえも、日本では「与えられなくても、仕方ない」という認識なのである。



 日本における「子どもの貧困問題」が思いのほか深刻になっていることを示して、驚きの一冊。最終章では、著者が考える子どもの貧困対策も提示されている。

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三橋貴明『マスゴミ崩壊』

マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~
(2009/09/17)
三橋 貴明

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 三橋貴明著『マスゴミ崩壊 ~さらばレガシーメディア~』(扶桑社/1470円)読了。

 大新聞やテレビといった「レガシーメディア」(※)が、恐竜のように滅びつつある現状を分析した一書。
 マスコミならぬ「マスゴミ」と表記した書名からわかるように、レガシーメディアに対する著者の姿勢は一貫して批判的・攻撃的で、逆にネットに対しては視線があたたかい。この著者は「2ちゃんねる」から登場した(!)新世代の論客だそうだから、それも当然だろう。

※元は、フロッピーディスクのような「古くなって使われなくなった記録媒体(メディア)」を意味するコンピュータ用語。転じて、ネット時代の到来で役割を終えつつある新聞、地上波テレビ等のオールドメディアを指す

 これは、意外な拾いもの。私は職業柄(守備範囲柄)マスコミ批判の書もかなり読んでいるが、それらの類書では見たことがないような斬新な批判の切り口が、本書には多数見られるのだ。

 何が斬新かというと、著者の本職が中小企業診断士・経済評論家であることから、マスコミを「時代遅れのビジネスモデル」ととらえて分析している点。「いまのマスコミはジャーナリズムの理想からかけ離れているからケシカラン!」などという紋切り型の批判(も、少しはあるが)ではなく、“大新聞もテレビ局も、もはやビジネスモデルとしてダメダメだから、早晩滅びるよ。自業自得だね”と、突き放すように冷徹に批判していく内容なのだ。

 新聞産業にせよテレビ産業にせよ、新聞特殊指定や電波利権という利権構造に守られ、高収益を上げてきたわけだ。
 様々な「参入障壁」を築き、寡占構造を維持するのは、そうすることで儲けを最大化するためである。他産業の寡占構造は鬼の顔で批判するマスメディアが、自らは規制に保護された寡占構造に甘えきっていたわけだ。ここ数年、マスメディアの経営が一気に悪化したのも、当たり前に思えてならない。



 ……というふうに、レガシーメディアの旧態依然ぶりや傲岸さをさまざまな角度から叩く鋭い筆鋒が痛快。「大新聞にもテレビ局にも、もう未来がないなあ」と改めて感じさせる。

 難をいえば、文章がやや生硬で、言葉遣いがときどき不自然。ふだんくだけた文章ばかり書いている人が、背伸びして「よそ行き」の書き方をしている感じ。
 いっそのこと、著者にとってなじみ深い2ちゃんねる文体で書いてしまえばよかったのに。「マスゴミざまあ!www」みたいな。

 それにしても、大新聞とテレビ局を叩く本書が、よくまあフジサンケイグループの扶桑社から出たものである。
 
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北芝健『「落とし」の技術』

「落とし」の技術―いかにして、相手の本心を見破るか「落とし」の技術―いかにして、相手の本心を見破るか
(2004/07)
北芝 健

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 北芝健著『「落とし」の技術――いかにして、相手の本心を見破るか』(双葉社/1470円)読了。

 先日読んだ『空気の読み方』の中で、取材の参考になる本として紹介されていたので、読んでみた。
 コメンテイターなどとしても活躍している元刑事の著者が、刑事時代の取り調べでいかに被疑者を「落とし」た(=自白させた)かを明かした本。

 被疑者との駆け引きには「心理戦」の趣もあって、読み物としてはそこそこ面白い。刑事ドラマの取り調べシーンなどよりも、もっと泥臭く人間臭いドラマが展開されるのである。

 しかし、著者が明かす「落とし」の技術が、ライターの取材やビジネスの交渉ごと、あるいは女性を口説き落とすテク(笑)に応用できるかといえば、かなり疑問。なにしろシチュエーションが特殊すぎるので、我々の日常とはかけ離れた世界であり、「これは使える!」という感じにはならないのだ。

 というわけで、実用書としては役立たずな本。単純に読み物として楽しむべし。

 ただ、かなりいいかげんなことも書かれている。たとえば――。

 水玉模様のネクタイをしている被疑者は、「自己顕示欲が強い」という証拠。
 レジメンタル・ストライプが好みという被疑者は、「オーソドックスな感覚だが、少しレトロ派」。生き方をガラッと方向転換するのが苦手で、あまり変われないというタイプ。
 一方、あまり多くはないが、無地のネクタイが好きだという被疑者もいる。このタイプこそ要注意人物だ。(中略)犯罪者でいえば、用意周到、冷酷非道な犯罪を犯すタイプだ。



 豊富な取り調べ経験から得た経験則なのだろうが、こんな占いまがいのくだりがあると、本書全体も眉唾で読みたくなる。

 本筋と離れた部分で興味深かったのは、「昭和の名刑事」として知られる平塚八兵衛(ちなみに、私は石川球太の劇画『ザ・のら犬』でこの人のことを知った)が、じつは取調室で被疑者に暴力をふるう常習者だったことを明かしたくだり。

 平塚刑事の取り調べを受ける被疑者は、誰もが恐怖で顔面蒼白になって取調室に入っていった。そしてしばらくして部屋を出てきたときには、体のあちらこちらに殴られた痕を残していたのだ。



 ううむ……。「なーにが名刑事だ!」という感じですね。

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神足裕司『空気の読み方』

空気の読み方?「できるヤツ」と言わせる「取材力」講座? (小学館101新書)空気の読み方?「できるヤツ」と言わせる「取材力」講座? (小学館101新書)
(2008/10/01)
神足 裕司

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 神足(こうたり)裕司著『空気の読み方――できるヤツと言わせる「取材力」講座』(小学館101新書/756円)読了。

 誤解を招きやすいタイトルだが、中身は副題のとおり。西原理恵子との共著『恨ミシュラン』などで知られるベテラン・コラムニスト「コータリン」による、“取材力強化講座”である。

 この手の本は、実際にはライターや記者向けの内容なのに、「取材力はあらゆる職種に要求されるスキルです」と、ビジネス書の装いをまとうことが多い。
 ライター志望者だけが対象では部数が見込めないので、「ビジネスマンのスキルアップに役立つ本ですよ」と言って間口を広げようとするわけだ。

 多くの場合、それは営業サイドの要請によるもので、著者側は本気でビジネス書にしようとは思っていない。ゆえに、まえがきで「この本はビジネスにも役立つ」とほのめかすだけでお茶を濁し、本文はごく普通のライター入門になる例が多い。

 だが、本書は違う。ビジネス関係の著作も多い神足裕司だけに、本気で「ビジネスにも役立つ取材入門」にしようとして書かれているのだ。だから、本書はライターのみならず、一般のビジネスマンにとっても一読の価値がある。

 「ライターのための取材力強化講座」として読んでも、かなり質の高い内容である。それも、ライターの卵たちより、すでにライターとして一本立ちしている人が読んで参考になるアドバイスが多い。

 ライターをやっていくための大前提ともいうべき心構えから、取材現場における微に入り細を穿った実践的アドバイスまで、傾聴に値する指摘が随所にちりばめられている。しかも、それらがすべて著者の豊富な取材体験をふまえて語られるので、説得力もある。

 一例を挙げよう。取材相手の警戒心を解くためのテクニックの一つ――。

 大概の人は「自分は悪い人間ではない」と思っている。それゆえ、「自分と似ている人も、決して悪い人間ではないだろう」と予測してしまうのだ。
 だからこそ、予備取材の段階で自分と相手との共通点や類似点を見つけたら、それは有効な武器になる。
 最初の頃に、
「そう言えば○○さんは広島出身なんですね。実は私もそうなんです」
 と切り出してみよう。



 このようなテクニックの数々が、惜しげもなく披露されている、一般ビジネスマンの場合、とくに営業職なら得るところが大きい本だと思う。

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島田裕巳『教養としての日本宗教事件史』

教養としての日本宗教事件史 (河出ブックス)教養としての日本宗教事件史 (河出ブックス)
(2009/10/09)
島田 裕巳

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 島田裕巳著『教養としての日本宗教事件史』(河出ブックス/1260円)読了。

 10月に刊行開始された新しい選書「河出ブックス」の、創刊ラインナップの1冊。
 これまではおもに現代の宗教状況について評論活動を行なってきた島田氏が、日本史全体を鳥瞰しての宗教本に初挑戦したもの。

 版元による内容紹介には、「宗教の本質に迫るには、そのスキャンダラスな側面を無視することはできない。仏教伝来から宗教の『お一人様化』まで、24の事件を取り上げつつ、日本人と宗教の歴史をダイナミックに描く」とある。

 で、その「24の事件」とは何かといえば、目次には次のような見出しが並んでいる。

1 新しくやって来た仏教とそれを迎え撃つ神道との対決
2 大仏開眼という国際的イベントと環境破壊
3 命をかけて海を渡ってきた鑑真は本望をとげたのか
4 空海と最澄との戦いはけっきょくどちらが勝利したのか
5 往生への異様な情熱が時代を席捲する
6 日蓮の真の敵は空海だった
7 蓮如がいなかったら親鸞は生き残ったか
8 茶道はドラッグとして輸入された
9 禅寺で中国語が使われていた深いわけ
10 日本を一挙に近代化した織田信長の蛮行
11 キリシタンは日本をキリスト教化する可能性を持っていたのか
12 人を神として祀ることは冒涜ではないのか
13 出開帳という新しいビジネス・モデルの登場
14 宗教バブルとしてのお蔭参り
15 廃仏毀釈に飲み込まれた大寺院
16 宗教的原理主義の先駆けとしての明治政府
17 天理教は天皇制に対抗したのか
18 熱病のように広がった聖霊降臨
19 徹底して弾圧された大本の真の野望は
20 宗教国家としての満州国と日蓮主義
21 天皇の人間宣言は何を意味したのか
22 踊る宗教と戦う宗教が戦後日本を変える
23 地球温暖化と戦う明治神宮
24 お一人様宗教の時代



 これらの見出しを見て、「事件史」という書名との齟齬を感じるのは私だけではあるまい。むしろ、『教養としての日本宗教史』というタイトルでもかまわない内容だと思う。
 まあ、身もフタもない言い方をすれば、『教養としての日本宗教史』では平凡すぎて本が売れないから、アイキャッチとして「事件」の2文字と「宗教のスキャンダラスな側面」という惹句が必要だったわけだ。

 タイトルはさておき、内容は悪くない。むしろ、近年の島田氏の著作ではいちばんよいと思えるくらい。
 もともと氏の著作は、深みはないものの(失礼!)、宗教学の知見を一般向けにわかりやすく咀嚼することにかけては一貫して優れていたわけで、本書にはそうした美点がいかんなく発揮されている。

 1項目8ページでコンパクトにまとめられた内容は、日本宗教史をめぐる雑学集として気楽に楽しむこともできる。歴史教科書のような無味乾燥な記述ではなく、現代の状況に対比的に言及するなどして、読者の興味をそらさない工夫も随所に凝らされている。

 ただ、項目によって出来不出来にかなりバラツキがあって、「この項目はいらないなあ」と感じるものもある。
 たとえば、「茶道はドラッグとして輸入された」という項目など、内容も牽強付会だし、そもそも本書のテーマにそぐわない気がする。
 また、総じて後半はダレぎみである。たとえば、「踊る宗教と戦う宗教が戦後日本を変える」という項目など、事実を羅列しただけの内容になっている。

 しかし、目からウロコの鋭い指摘も多いし、「へーっ」と思わせる知見もちりばめられていて、全体としてはためになる良書であった。

 私がいちばん「おおっ!」と思ったのは「日本を一挙に近代化した織田信長の蛮行」の項。著者はここで、信長をルターやカルヴァンに匹敵する「宗教改革者」としてとらえている。この視点は(学問的当否はさておき)なかなか斬新だ。

 宗教的な権力が世俗的な権力の上にある限り、世俗的な権力が自立し、国民全体を支配する体制を敷くことはできない。それでは、中世の段階にとどまり、それに代わる新しい近世の社会を築くことには結びつかない。その点で、ルターなどの宗教改革が行なったことと、信長が行なったこととは共通した性格を持っていた。ともに、中世を打破し、近世への扉を開いた点で、時代を画する出来事となったのである。



 また、次のような指摘にも激しく同意。

 日蓮は、あまりに論理的、体系的であるがゆえに迫害を受け、弾圧を受けたのではないか。その姿勢は、論理や体系を重視しない日本の宗教界、思想界とは、どうしても齟齬を来さざるを得なかったのではないだろうか。



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ボブ・グリーン『父からもうすぐ逝ってしまう君へ』

父からもうすぐ逝ってしまう君へ 心を揺さぶる37話父からもうすぐ逝ってしまう君へ 心を揺さぶる37話
(2009/09/30)
ボブ・グリーン

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 ボブ・グリーン著、桜内篤子訳『父からもうすぐ逝ってしまう君へ/心を揺さぶる37話』(きこ書房/1470円)読了。

 ボブ・グリーンのコラム集を読むのは久しぶりだ。20年ぶりくらいかも。
 1980年代後半に日本で「アメリカン・コラム」のブームが起きたころ、ご多分にもれず、私も『アメリカン・ビート』や『チーズバーガーズ』といったグリーンのコラム集を愛読したものだ。

 だが、「20年ぶりのボブ・グリーン」はずいぶん色褪せて見えた。うーん、つまらない。副題には「心を揺さぶる37話」とあるが、ちっとも揺さぶられなかった(笑)。

 ボブ・グリーンのコラムって、こんなに陳腐で説教臭かったっけ? 何より、「昔のアメリカはよかった。いまのアメリカ人はたいせつなものを失ってしまった」みたいなトーンが全編に通底しており、それがじじむさくて鼻について仕方なかった。

 本書は、米国では1997年に刊行されたコラム集の邦訳であるようだ。私がかつて愛読した『アメリカン・ビート』のころに比べて、グリーンのコラムが劣化したのか、それとも、読む私の目が肥えたのか? 

 まあ、収められた37編の中にはいいコラムもあるのだ。が、1冊の本として見たらかなり質が低い。
 だいたい、『父からもうすぐ逝ってしまう君へ』という邦題もいただけない。集中の一編の題をそのまま用いたものだが、当該コラムは本書の中ではむしろ質が低いほうだし、ボブ・グリーンは「お涙ちょうだい」的に売る書き手ではないはずだ。やっぱ「きこ書房」じゃダメだな(偏見)。

 市井の人々の人生の輝きを鮮やかな一閃で切り取るのがボブ・グリーンの作風であったはずだが、その手の本としては、たとえば藤原新也の最新エッセイ集『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』のほうが、本書よりも10倍上質で、はるかに深みもある。

  
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「The Water Is Wide」

 畠山美由紀のベストに入っていた「The Water Is Wide」が気に入って、YouTubeでいろいろなヴァージョンを探してみた。元はスコットランド民謡なのだそうで、ジャンルを超えたさまざまな歌手が取り上げている。海の向こうで暮らす恋人を想う、哀切で美しいラヴソングである。


↑これは、カーラ・ボノフが大ヒット・アルバム『ささやく夜』で取り上げたヴァージョン。「悲しみの水辺」という邦題がつけられている。畠山美由紀のヴァージョンはアカペラでゴスペル風に歌い上げていたが、このカーラ・ボノフのクセのないヴァージョンもよい。


↑「世界でひとつのピュア・ヴォイス」とのキャッチフレーズで知られるニュージーランドの歌姫、ヘイリー(ヘイリー・ウェステンラ)が歌うヴァージョン。


↑私がいちばん気に入ったのはこれ。ややテンポを上げてAOR風のアレンジにしていて、このままドラマの主題歌などにも使えそうなほどポップ。歌っているのは「アンナ」というよく知らない人。「尼崎競艇」のテレビCM用に作られたものだそうだが、とてもそうは思えない(笑)オシャレな仕上がり。

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畠山美由紀『CHRONICLE 2001-2009』

CHRONICLE 2001-2009CHRONICLE 2001-2009
(2009/06/24)
畠山美由紀リリー・フランキー

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 畠山美由紀のベスト・アルバム『CHRONICLE 2001-2009』(エイベックス)を聴いた。
 デビュー・シングル「輝く月が照らす夜」から、現時点での最新作『わたしのうた』収録曲まで、8年間の軌跡が凝縮された1枚。

■収録曲目
01. 輝く月が照らす夜
02. 愛にメロディ
03. 海が欲しいのに
04. ロマンスをもう一度
05. 星が咲いたよ
06. Don't Know Why
07. Summer Clouds, Summer Rain
08. So Far Away
09. 翳りゆく部屋
10. くちづけ
11. Somethin' stupid [feat.リリー・フランキー]
12. Diving into your mind
13. 若葉の頃や
14. This Is Goodbye
15. 浜辺の歌
16. Timeless
17. 遠い灯、遠い場所
18. The Water Is Wide


 
 畠山のヴォーカルは素晴らしく魅力的である。やさしくあたたかく、それでいて艶っぽい、ビロードのような声。

 畠山美由紀は一つのジャンルに収まりきらないシンガーだ。ジャズのスタンダードも歌っているからある意味でジャズ・シンガーでもあるのだが、自ら作詞作曲もしているからシンガー・ソングライターでもある。アメリカン・ポップスも歌えばゴスペルも歌い、かと思えば歌謡曲や昔の唱歌も歌う。また、オリジナル曲にはソウルやボサノヴァの色合いが強いものが多い。
 そして、どんなジャンルの曲を歌っても、そのヴォーカルにはどこか「和の心」を感じさせる。

 難をいえば、英詞の曲はいまいちピンとこない。ノラ・ジョーンズのカヴァーとか、キャロル・キングの「ソー・ファー・アウェイ」のカヴァーとかが入っているのだが、日本語詞の曲に比べて一段落ちる印象を受けた。英語の発音が悪いとかいう以前に、一つひとつの言葉をきっちりと発音する畠山美由紀のヴォーカル・スタイルには、英詞の曲は合わないのではないか。
 それと、傑作「罌粟(けし)」がなぜこのベストに収録されなかったのか、ちと納得いかない。

 ……と、ケチをつけてしまったが、充実した内容のベスト・アルバムだと思う。シックで落ち着いた大人のポップス満載だ。

 とくに、キリンジの堀米泰行が作曲した「若葉の頃や」、冨田恵一のアレンジが冴え渡る「海が欲しいのに」、ホーリーなムードが素晴らしい「星が咲いたよ」あたりは、最高の出来。

 なお、「Somethin' stupid」はリリー・フランキーとのデュエットなのだが、リリーのヴォーカルが意外によくてビックリ。歌唱力うんぬんを超越して、たゆたうような歌いぶりにすごく色気があるのだ。ジョアン・ジルベルトのボサノヴァとかを歌わせたらピッタリだと思う。

 それにしても、リリー・フランキーという人はなんと多才な人なのだろう。絵も文章もうまく、演技をさせればプロの俳優も顔負けで(映画『ぐるりのこと。』を観よ)、おまけに歌までうまいときている。加藤紀子が惚れたのもよくわかる。 





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徳川家広『バブルの興亡』


バブルの興亡 日本は破滅の未来を変えられるのか (講談社BIZ)バブルの興亡 日本は破滅の未来を変えられるのか (講談社BIZ)
(2009/10/16)
徳川 家広

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 昨夜は、新宿で仕事先の雑誌編集部の忘年会。2年つづいた私の連載が終わったので、その慰労を兼ねてということで呼んでいただいたもの。

 それにしても、昨夜の寒さはハンパなかった。人は寒くなると人恋しくなるものだから、忘年会もクリスマスも、寒さから人恋しくなった人々が群れ集うのではないか、という気がする。

「なんであんな奴と一緒になったんだい?」
「だって、寒いんだもん」
 という、五代目古今亭志ん生が枕に用いた言葉のように……。

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 徳川家広著『バブルの興亡――日本は破滅の未来を変えられるのか』(講談社/1680円)読了。
 非常に優れた経済啓蒙書。これほどわかりやすくて面白い経済解説書を、私は初めて読んだ。

 著者はおもに翻訳家として活躍してきた人で、これが初めての著書だが、只者ではないと見た。今後、経済評論の世界で名を成す人だと思う(名前からもわかるとおり、徳川将軍家直系の子孫だそうだ)。

 書名のとおり、バブル経済をテーマにした本である。

 前半は「バブル経済入門」というべき内容だ。
 第1章は、「バブルとは何か?」の解説。
 第2章は、過去の「4大バブル」(1929年の世界大恐慌前夜の「ジャズ・エイジ」バブル、1980年代日本のバブル、20世紀末の「歴史の終わり」バブル、直近のサブプライムバブル)の検証。
 第3章は、日本のバブル後の「失われた20年」の検証。

 各章とも簡にして要を得た解説となっており、しかも読んでいてすこぶる面白い。バブル経済のなんたるかが、私のような経済オンチにもすっきりと理解できる。

 以上の前半部分だけでも十分読むに値するが、後半はさらにすごい。日本経済がこれからたどる道を、まことに大胆に予測した内容になっているのだ。

 「世界経済危機はまだ終わりではなく、来年あたり二番底がやってくるぞ」てなことは多くの論者が言っているが、著者はさらにその先を“予言”する。経済危機が去ったあと、日本にバブルが復活し、しかもそのバブルが崩壊したあとには悲惨きわまりない「廃墟経済」の時代がやってくる、というのだ。

 終章(第6章)で著者が描き出す「廃墟経済」の地獄絵図はあまりにもすさまじく(失業率は最高30%、など)、さすがにちょっと大げさな気がする。しかし、バブルの復活とその崩壊を予測していく著者の筆は理路整然としており、すごい説得力がある。「なるほど。著者の言うとおりになりそうだ」と得心がいくのだ。

 バブル復活後とその崩壊後に個人がどのように生活防衛をしたらよいかも詳説されているので、実用的側面からも一読の価値がある本。

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青砥恭『ドキュメント高校中退』

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)
(2009/10)
青砥 恭

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 青砥恭(あおと・やすし)著『ドキュメント高校中退――いま、貧困が生まれる場所』(ちくま新書/777円)読了。

 先日読んだ夜間高校のルポ『若者たち』の類書といえる1冊。高校を中退していった若者たちの姿を追い、そこから日本の貧困問題を浮き彫りにしたものである。
 『若者たち』に比べると、かなり評論寄り。聞き取り調査でつかんだ事実とそれをふまえた論評・分析が、おおむね半々の割合になっているのだ。

 開巻劈頭の一行にいきなり「高校中退者のほとんどは日本社会の最下層で生きる若者たちである」とあり、「そこまで言い切るか」と驚く。だが、通読すればこの言葉に誇張がないことがわかる。
 たとえば――。

 中退していく生徒の親の多くは子どもの退学をあまり引きとめない。私の聞き取り調査でも、多くの親から「どうせやめるなら、早くやめてほしい」という言葉がよく聞かれたのは、この「すべて公立」という最も安上がりのコースでさえ、(年収)四○○万円以下世帯の親にとっては、負担し続けることがむずかしくなっているからだ。


 高校を中退した生徒は、小学校低学年程度の学力にとどまっていることが多く、小学二年生で学んだはずの算数の九九ができない生徒、アルファベットが書けない生徒はめずらしくない。


  
 「中退した若者たちの親もまた貧困の中で育ってきた。日本の貧困は特定の階層に固定化している」と著者がいうとおり、「格差社会」が流行語になるはるか以前から、日本はもうとっくに格差社会なのである。

 登場する中退者の多くが「この先どうなってしまうのだろう」と不安になる暮らしぶりだが、ただ1人、居酒屋の店長として立派に働いている「哲」という若者の事例のみが、明るい希望を感じさせる。
 では、「哲」はほかの中退者とどこが違ったのか? 著者は、「子どもがより良く育ってほしいと願う親と彼を支える兄たちの存在」「身近に生徒に寄り添っていこうとする教師がいたこと」の2つを要因として挙げる。
 親から子への貧困の連鎖――それを断ち切るには、周囲の「経済的レベルだけではないサポート」と学ぶ意欲を育む環境が不可欠なのである。

 本書は、高校中退者たちを通して日本の教育の底辺を見つめてきた著者が、独自の視点から展開した教育論、教育改革論としても読みごたえがある。
 印象に残った一節を引こう。

 中等教育の役割は、社会に安定した中間層を形成することだったが、現在の新自由主義化した教育政策は、逆に中間層の解体を進め、貧困層を拡大している。「教育は国家にとって安くつく防衛手段」といったのは、一八世紀のイギリスの政治家エドモンド・バークだが、いまの大阪府では子どもたちの貧困は主要な政策課題になっていない。社会全体で救われ、守られた子どもたちは将来、社会のために働き、尽くす大人に必ず育つ。教育とはそれを信じることによって成立する人間の営為である。



 終章には、子どもたちを貧困の連鎖から救うための改革案も提示されている。

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苫米地英人『洗脳支配』

洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて
(2008/02/21)
苫米地 英人

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 苫米地英人『洗脳支配――日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』(ビジネス社/1365円)読了。

 第1章の途中、著者はロスチャイルド家の名前を出し、そのあとでこう付け加える。

 こういった固有名詞で語ることは、いわゆる「陰謀論」の類いの著作と同様に読まれてしまう危惧がありますので、「人々」といった一般的な言い方を本書ではします。



 この本は「陰謀論」とは違うのだぞ、というわけだが、読み通して受ける印象は「思いっきり陰謀論だなあ」というものであった(笑)。なにしろ、いまの日本を実質的に支配しているのは「薩長勢力」の末裔だ、というのが著者の主張なのだから……。

 明治維新以来の日本経済を陰謀史観に沿って読み解き、“日本人は世界を支配する勢力に洗脳され、自分たちの富を貢がされつづけている”と警鐘乱打する内容。著者によれば、郵政民営化もそのためのカラクリの一つであったのだそうだ。

 そのようにアヤシゲな陰謀論ではあるのだが、つまらないかといえばまったく逆で、「苫米地本」の中でも屈指の面白さであった。「お話」としてすごくよくできているし、細部には傾聴に値する指摘も少なくないのだ。

 あまり真に受けず、小説を読むような気持ちで楽しむ分にはよい本。

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松本隆『新・風街図鑑』

新・風街図鑑新・風街図鑑
(2009/12/09)
松本隆パーランマウム

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 今日は、日本ハムファイターズの小谷野栄一選手を取材。千葉県鎌ヶ谷の「ファイターズスタジアム鎌ヶ谷」にて。これが今年の取材納めかな(急に取材仕事が入ってくる場合もあるのだが)。

 私はとくに野球にくわしいわけでもないのだが、なぜかプロ野球選手の取材をする機会が少なくない。
 もちろん、『Number』に載るような専門的な記事が私に書けるはずもなく、「ライフストーリーもの」記事の取材なのだが……。
 
 小谷野さんは、今年大活躍したことを鼻にかけるようところは微塵もなく、真面目で明るい好青年であった。

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 松本隆の作品を集めた『新・風街図鑑』(ソニー・ミュージックダイレクト/4400円)を、サンプル盤をもらってヘビロ中。松本の作詞活動40周年を記念して作られた2枚組オムニバスだ。心なごむイラストのジャケもいい感じ。

 松本隆が作詞した数多い楽曲の中から、本人選曲による34曲を集めている。1999年にも30周年を記念してCDボックス『風街図鑑』が発売されたため、続編として「新」の文字が冠されている。99年以降に発表された作品と、『風街図鑑』に収録されなかった曲から選曲されたものだ。

 全編を通して聴くと、松本の作詞家としてのレンジの広さに改めて驚かされる。フォークからロックまで、王道歌謡曲から先鋭的なオシャレ系アーティストまで、アイドルからアニメ主題歌まで、じつにさまざまなタイプの歌い手に詞を提供しているのだ。吉田拓郎、松田聖子、氷室京介、金沢明子、オリジナル・ラヴ、冨田ラボ、中島美嘉などなど……。ここまで守備範囲の広い一流作詞家は、ほかにいないだろう。

 そして、ジャンルと時代を超えた楽曲が並んでいるにもかかわらず、アルバム全体には不思議なほど統一感がある。「風街」というキーワードが象徴するように、都会的で繊細でロマンティックな詞世界が通底しており、どの曲にも見事に松本隆の個性が刻印されているのだ。

 私がこれまで知らなかった曲でとくに気に入ったのは、畠山美由紀の「罌粟(けし)」。これは、まさに大人のためのポップス。畠山美由紀は素晴らしいシンガーだ。


↑畠山美由紀「罌粟」(ライヴ・ヴァージョン)

 (吉本の)藤井隆の「代官山エレジー」も入っている。この曲のキリンジによるセルフ・カヴァー版(アルバム『Omnibus』所収)が私は大好きなのだが、元歌を聴くのは初めて。
 藤井は歌がドヘタで、せっかくのいい曲が台無しな印象。どうせならキリンジ版を収録すればよかったのに……って、そういうわけにもいかないか(笑)。

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『シリアナ』『ハンニバル・ライジング』ほか

シリアナ [DVD]シリアナ [DVD]
(2009/09/09)
ジョージ・クルーニーマット・デイモン

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 年末進行がようやく一区切りついた。年内はあと、レギュラー仕事数件を残すのみ。家族3人がかわるがわるインフルエンザになったので感染を覚悟していたのだが、感染しないまま年末進行を乗り切れてよかった。

 今日は完全オフにして、一日中ダラダラと映画を観てすごす。
 ケーブルテレビで録画しておいた『シリアナ』と、DVDを借りてきた『ハンニバル・ライジング』『レッド・ドラゴン』、そして『陽気なギャングが地球を回す』を前半分だけ。

 「前半分だけ」というのは、『陽気なギャングが地球を回す』があまりにもクダラナイので、半分だけ観てやめてしまったから。伊坂幸太郎の原作については読んでいないのでわからないが、映画版はなんともひどい出来である。お金もかかっているし、キャストも豪華なのに、最後まで観通すことすら苦痛なほど退屈。

 『シリアナ』は、ストーリーは複雑すぎ、登場人物は多すぎで、一回観ただけではよくわからない映画。
 観る側に中東情勢についての基礎知識も要求される映画だ。観終わったあとでネット上の解説を読んで「ああ、そういうことだったのか」とようやく概要がつかめた。元になっているノンフィクションを読んでから観るべきだった。

 『ハンニバル・ライジング』は、ハンニバル・レクターの少・青年期を描いた耽美的復讐譚。
 若き日のレクターが、妹を殺し(て食べ)た男たちを探し出して一人ずつ殺していくという、単純といえば単純なストーリー。

 映像が美しいし、青年レクターを演じるギャスパー・ウリエルの妖しい美青年ぶりがよい。
 そういえば、この役を『ホーム・アローン』のマコーレー・カルキンが演るというウワサがあったが(実際、候補の1人ではあったらしい)、カルキンくんだったら映画が台無しになっていたと思う。

 『レッド・ドラゴン』は、ブレット・ラトナー監督、アンソニー・ホプキンス主演のリメイク版のほう。
 これはよかった。シリーズ中、『羊たちの沈黙』に次ぐ秀作ではないか。とくに、ラスト近くのどんでん返しで一挙に興奮が高まる展開が素晴らしい。

 もっとも私は、駄作という評価が定着しているリドリー・スコット監督の『ハンニバル』もけっこう好きなのだけれど(ジュリアン・ムーアのクラリスも、あれはあれでよかったと思う)。

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苫米地英人『テレビは見てはいけない』

テレビは見てはいけない (PHP新書)テレビは見てはいけない (PHP新書)
(2009/09/16)
苫米地 英人

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 一昨日は参議院議員会館で、参議院議員の浮島とも子さんを取材。
 年末進行が一段落するまで、もう一息。

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 苫米地英人著『テレビは見てはいけない/脱・奴隷の生き方』(PHP新書/735円)読了。
 ここ数年著作を量産している苫米地だが、意外にも新書はこれが初だそうだ。

 最近の「苫米地本」の中では、わりとまっとうな本。
 いや、これだって相当うさんくさい部分は散見されるのだが、ほかの著作に比べたらまっとう。新書というフォーマットを意識してか、フォレスト出版とかから出している一連の著作よりも一般的で薄味な内容になっているのだ。

 全3章のうち、タイトルに対応した内容になっているのは1章のみ。個別のテレビ番組批判というより、「テレビという『洗脳装置』」の危険性に対する警鐘である。

 “我々は自分の好みで商品等を選んでいるように思っているが、じつはテレビによって選ばされている”などという話は、「何をいまさら」という感じで、あまり新鮮味がない。
 それに、苫米地が開発した「キーホールTV」なるサービスの宣伝と、彼がオーナーになっているという雑誌(そのことは知らなかった)『サイゾー』の宣伝が多いので、そのへんはナナメに読み飛ばすべし。

 豪快な自慢話が多いところといい、自分の商売の宣伝を自著で臆面もなくやるところといい、苫米地は大前研一に似てきた(笑)。

 1章よりもむしろ、副題の「脱・奴隷の生き方」が章題になっている2章のほうが面白く読めた。
 苫米地はこの章で、親などから押しつけられたステレオタイプの価値観に従って生きるのは「奴隷の生き方」だという(苫米地はほかの著作でも、“親こそが人間にとって最大の洗脳者であり、親による巧まざる洗脳を解くことこそ自由な生き方の要諦だ”と説いていた)。
 そして、逆に洗脳の手法を援用して、真に自由な「脱・奴隷の生き方」をするためのコツを説いていく。キーワードは「コンフォートゾーン」「ホメオスタシス」「スコトーマ」である。くわしくは本書を読まれたし。

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高任和夫『月華の銀橋』『青雲の梯』

月華の銀橋 勘定奉行と御用儒者月華の銀橋 勘定奉行と御用儒者
(2009/11/06)
高任 和夫

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 年末進行真っ只中でメチャメチャ忙しい。一昨日から3日連続で取材。取材の合間にほかの原稿も書かなければいけない。

 一昨日は、東大で姜尚中教授を取材。東大本郷キャンパスの銀杏並木が色づいて美しかった。
 姜さんを取材するのは2年ぶりくらいだが、その間に『悩む力』が90万部近い大ベストセラーになって一気に「姜尚中ブーム」(という記事が先日『読売新聞』に載っていた)が起きたので、ものすごくお忙しそう。革ジャン(!)を着て颯爽と登場されたお姿は、来年還暦とはとても思えぬ若々しさだった。

 昨日は、マンガ家のみなもと太郎さんを取材。みなもとさんに、「読者にすすめたいマンガ・ベスト10」を選んでいただくという内容。
 都内某所のご自宅にお邪魔し、マニア垂涎のお宝マンガ本が山と積まれた地下の書庫でお話をうかがった。私もマンガ・マニアのハシクレではあるのだが、さすがにみなもとさんのマンガ談義はものすごくディープで、目からウロコの連続。楽しい取材であった。

 今日は、千葉の柏(そういえば先月も別の取材で柏に行ったな)で、小説家の高任和夫さんを取材。先月刊行された最新作『月華の銀橋』(講談社)についての著者インタビューである。
 高任さんは30年にわたって一流商社マンとして働き、これまでは企業小説をおもに書いてこられた方。本年3月に刊行された前作『青雲の梯』で時代小説デビューを果たした。『月華の銀橋』は時代小説第2作である。

 『月華の銀橋』と、前作『青雲の梯』を読んで臨む(本来なら過去の企業小説もすべて読破して臨むべきところだが、時間がなかったので4作だけナナメ読み)。

 2作とも、商社マンとしての長い経験が活かされた「歴史経済小説」になっている。活劇もなければ派手なラブロマンスもなく、地味といえば地味なのだが、それでもすごく面白い。企業小説的視点から江戸中期の財政改革や幕府の権力闘争などがリアルに描かれているのだ。「勧善懲悪」的単純さはなく、端正で知的興奮に満ちた時代小説。とくに、『月華の銀橋』は傑作だと思う。

 知的なビジネスマンには面白く読めるだろうし、『日本経済新聞』も、渡辺淳一の情痴小説なんか連載せず、こういう作品を連載すればよいのに……。

 
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増田美智子『福田君を殺して何になる』


福田君を殺して何になる福田君を殺して何になる
(2009/10/01)
増田 美智子

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 増田美智子著『福田君を殺して何になる――光市母子殺害事件の陥穽』(インシデンツ/1575円)読了。

 弁護団による出版差し止め請求などをめぐる一連の報道から、著者の売名のためのキワモノ本を想像していた。実際に読んでみたら、意外にまっとうで真摯な内容だった。

 著者は、「福田君」(=事件を起こした元少年)本人はもとより、その父親と継母、元同級生たち、弁護団、被害者遺族の本村氏など、さまざまな関係者に次々と取材をかける。そして、取材拒否にあってもめげずにアタックをくり返す。この敢闘精神は大したものだ。

 とくに、「福田君」が拘置所から友人に出した「不謹慎な手紙」(例の、「被害者さんのことですやろ?」うんぬんの手紙)について、手紙を受け取った友人に直接取材して舞台裏を解き明かしている点は、本書のスクープといってよいと思う。

 ただし、本書でつぶさに再現されている著者の取材過程を見ると、相手の心情への配慮に欠ける傍若無人ぶりにいささかウンザリさせられる。
 たとえば、著者が「福田君」の実家にアポなし取材をかけ、一人で留守番していた9歳の異母弟に「お兄ちゃんの写真見せて」と頼む場面がある。のちに「福田君」の父親がそのことで著者に怒るのだが、これは怒りを買って当然だろう。

 また、取材時のやりとりをテープ起こしのようにダラダラと書き連ねた部分が多く、完成したノンフィクション作品というより、たんなる取材メモに近い印象を受ける。
 本書について、ノンフィクション作家の奥野修司が「インタビューの結果を読者に放り投げている、レベルの低い本」と酷評していたが、その評価にもある程度うなずける。

 ただし、表現の稚拙さ、取材手法の問題点はあっても、突撃取材で得た関係者の膨大な発言自体がそれぞれ興味深く、一読の価値はある本だ。
 少なくとも、週刊誌等の報道では人間離れしたモンスターとしてしか描かれない「福田君」について、本書には一個の人間としての像がくっきりと刻みつけられている。
 といっても、それは読んでいて胸の悪くなるような人間像ではあるのだが……。

 何より気持ち悪いのは、「福田君」が(手紙や面会を通じて)取材に応じていたのは著者が若い女性だからだということが、行間から察せられるところ。
 著者が拘置所に送った最初の手紙に対し、「福田君」が書いた返事には次のような一節がある。

 心配してくれてありがと。外でデートとかしたかったね♡ なんて言ってみてもいい?
(中略)
 ぼくも美智子さんのこと知りたいなー。今日はお手紙のお礼までに。ありがとね 美智子さん。今日はゆっくり眠れそうです。次も書くね♡



 最初の「美智子さん」の上には、「みっちゃん」とルビが振ってある。この時点では面識のない相手に対して「みっちゃん」て……。

 福田君が女性に甘えようとする行為を、弁護団では「抱きつき行為」と呼んで、警戒している。マスコミ関係者の間では、福田君が女性と接したがることはすでに有名で、報道が過熱していた差し戻し控訴審の審理中など、あえて女性記者を選んで福田君に接触させていたという。(本書140ページ)

   

 で、妙齢の女性ライターである著者にも「福田君」は心を開くのだが、弁護団と支援者団体の横槍によって(著者は明言を避けているが、そう推察できる)、途中から面会できなくなるのだった。

 
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桐野夏生『対論集 発火点』

対論集 発火点対論集 発火点
(2009/09/12)
桐野 夏生

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 季節柄、「喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます」のハガキが続々と届く。その中で、驚いたものが2通。
 1つはうれしい驚きで、昔お世話になった元・編集者が、定年退職後にドイツの女性と再婚してドイツに移住するという知らせ。

 もう一つは悲しい驚き。以前よく一緒に仕事をした女性フォトグラファーのご両親からのもので、彼女がこの夏に亡くなったという知らせだったのである。
 ここ数年、うつ病で療養しているという話は聞いていたが、私とは同年代でもあったのでショック。折を見てお線香を上げに行こうと思う。

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 桐野夏生著『対論集 発火点』(文藝春秋/1400円)読了。

 人気作家キリノが、おもに同業者と編んだ対談集。佐藤優、斎藤環(精神科医)、西川美和(映画監督)、原武史(歴史家)の4人を除けば、残り8人は全員小説家。それも、林真理子、重松清、柳美里など、いずれ劣らぬ人気作家ばかりが並んでいる。

 『対論集 発火点』というタイトルを見れば、火花散る激しいやりとりを誰もが想像するだろう。だが、実際に読んでみればいささかタイトル負けで、対論どころか「なあなあ」のぬるい対談が目立つ。

 とはいえ、けっしてつまらなくはなく、桐野作品の愛読者なら楽しめる対談集である。
 桐野は作家デビュー前にライターをしていたことがあるそうで、そのせいか、対談にもしっかりと準備をして臨んでいることがわかる。相手の著作などをくまなく読み、質問も練り上げている印象なのだ。こうした誠実さは好ましい。

 ただ、対談の出来不出来はかなり激しい。
 松浦理英子、皆川博子、坂東眞砂子、西川美和との対談は、桐野流創作術の肝(そして、相手の創作術の肝も)が明かされている感じの濃密な内容。とくに、西川との対談はたいへんよい。桐野はインタビュアーとしても有能で、西川からよい言葉をたくさん引き出している。
 また、斎藤環、佐藤優との対談も、知的興奮に満ちた読ませる内容になっている。
 原武史との対談は、面白くはあるのだが、ほとんど原の独演に近く、対談の妙味はあまり感じられない。

 いちばんひどいのが小池真理子との対談で、「アタシはこういう男が好み」「アタシってこういう女なの」という話を互いにくり返しているだけ。2人が酒席で雑談しているような内容で、活字にして公開する価値なし。

 林真理子との対談は、互いを「おきれいですね」とヨイショするところから始まる不気味な内容。言葉はていねいだし、話も一見盛り上がっているのだが、どことなくささくれ立っている。
 たぶん、この2人は互いのことが嫌いなのだと思う(笑)。その思いが行間ににじみ出ているのだ。

 
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前原政之 
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前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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