樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』

さらば雑司ヶ谷さらば雑司ヶ谷
(2009/08/22)
樋口 毅宏

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 妻と子ども2人が順番に風邪を引き(息子のクラスはただいま学級閉鎖中)、とうとう最後に私が引いてしまった。
 仕事にならないので、寝床に入って樋口毅宏著『さらば雑司ヶ谷』(新潮社/1365円)を読んだ。

 町山智浩氏がブログで紹介していたのを読んで、手を伸ばしてみた本。著者は『ブブカ』などの編集者を経て、本作で小説家デビューを果たした人。

 いちおうハードボイルド・ミステリの体裁をとっているが、定型に収まらない独創的な作品である。

 馳星周と原りょうへのリスペクトから生まれた小説とのことだが、2人の作風は同じハードボイルド系とはいえ水と油ほど隔たっているわけで、本来なら両者のテイストを併せ持った作品など生まれようもない。にもかかわらず、本書には馳星周風のノワールなエログロ・バイオレンスと、原りょう風の都会派ダンディズムが違和感なく共存しているのである。

 ただし、「馳星周と原りょうを足して二で割ったような小説」という言い方では、まだ本作の魅力の半分しか表現し得ない。巻末に開高健、タランティーノ、つかこうへい、高倉健、渋谷陽一、松本隆etc.からの影響が表明してあるように、ジャンルを超えたカルチャー要素がごちゃまぜに取り入れられ、パロディとパスティーシュがちりばめられた、おもちゃ箱のような小説なのである。

 たとえば、ストーリーの流れとはまったく関係なく、登場人物の1人が“オザケン(小沢健二)こそ史上最高の音楽家だ”と、延々と自説を熱く語る部分があったりする。そして、そのようなペダンティックなこだわりのくだりが、じつに面白いのだ。

 巻末のリスペクト・リストには出てこないものの、私は、矢作俊彦のディレッタンティズムと、戸梶圭太のスラップスティックなセンスからの影響も強く感じた。

 ストーリーはかなり強引でムチャクチャだが、一気に読ませる力量はなかなかのもの。何より、すっかり定型が完成されたかに見えるハードボイルドというジャンルに、なお新しい方法論を見出した点が、この著者のスゴイところだ。巻末で予告されている続編『雑司ヶ谷R.I.P.』にも期待したい。

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ジョーン・オズボーン『レリッシュ』

RelishRelish
(1995/03/21)
Joan Osborne

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 米国のシンガー・ソングライター、ジョーン・オズボーンの『レリッシュ』を聴いた。
 1995年に発表された、彼女のメジャー・デビュー作。

 私は、このアルバムに入っているヒット曲「ワン・オブ・アス」は知っていたものの、アルバムは聴いたことがなかった。アマゾンのマーケットプレイスで激安品を見つけたので、手を伸ばしてみたしだい。帯付きで盤の状態もいい日本盤が、送料込み341円。これはお買い得だった。


↑映画『バニラ・スカイ』でも使われた大ヒット曲「ワン・オブ・アス」

 「ワン・オブ・アス」以外にもいい曲が多かった。
 ボニー・レイットの流れを汲む、ブルースとソウルとロックを併せのんだ渋い音楽性。少しハスキーなヴォーカルがソウルフルでセクシー。
 フーターズのエリック・バジリアンとロブ・ハイマンが全面バックアップしており、とくにバジリアンの渋いギターはサウンドの核をなしている。

 多彩な曲が収められているが、ロック色の強い2曲――「クレイジー・ベイビー」と「ライト・ハンド・マン」がじつにカッコイイ。


↑「クレイジー・ベイビー」。ややニール・ヤングっぽいギターの音にゾクゾク。

 歌詞の内容はけっこうシリアスでヘビー。

 たとえば、「St.テレサ」は、ベビーカーに赤ん坊を乗せて夜の街角に立ち、ドラッグの売人をしている女性に恋をしてしまう男の歌。突飛な設定のように思えるが、ニューヨークのイースト・ヴィレッジにあるジョーンのアパートの窓から見える光景(夜になるとドラッグの売人が群がり、中には赤ん坊を連れた女性もいるという)に想を得た曲だそうだ。

 また、「クレイジー・ベイビー」は、禁断症状に苦しむジャンキーの恋人を見守る女性の歌だ(と、私は解釈した)。 「私のクレイジー・ベイビー、明かりを消さないで」 というリフレインが切ない。

 一曲一曲が、映画のように豊かな物語を内包している――そんな印象の傑作アルバムである。

 
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『パコと魔法の絵本』

パコと魔法の絵本 通常版 [DVD]パコと魔法の絵本 通常版 [DVD]
(2009/03/06)
役所広司アヤカ・ウィルソン

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 ケーブルテレビで録画しておいた『パコと魔法の絵本』を観た。
 『下妻物語』『嫌われ松子の一生』の中島哲也監督が、舞台劇『MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人』を映画化した作品。

■公式サイト→ http://www.paco-magic.com/index.html

 悪くはなかったが、『下妻物語』の痛快さに比べると一段落ちる感じ。とくに前半、登場人物のほとんどがギャーギャー金切り声を上げて大芝居をするのが耳障りで仕方なかった。

 私は最近のテレビのバラエティやドラマで芸人や俳優が下卑た大声で叫んだり笑ったりするのがキライで、いつも「もっと普通に、静かにしゃべれ!」と思っている(だから、最近テレビはあまり観ない)。
 
 中島哲也はもともとテレビCMの世界で一流になった人だから、どうしてもテレビの悪いところを無意識に取り入れてしまうのだろうか。『下妻物語』はあんなに笑えたのに、この映画のギャグはやかましいばかりでほとんど笑えなかったし……。

 ただし、後半、怒濤の泣き展開になってからはとてもよかった。
 薄幸の美少女(交通事故で両親を亡くし、自らも後遺症で1日しか記憶が持たない)のイノセンスに触れて、因業ジジイが少しずつ心を開いていくという物語は、『クリスマス・キャロル』『小公子』などの王道パターンの焼き直しだが、ポップな演出が脱臭作用を果たしているので、クッサイお涙ちょうだいにはなっていない。
 クライマックスの見せ場――CGアニメ・キャラと実写映像のコラボレーションにもまったく違和感がなく、見事。
 ラストにもうひとひねりほしかったけれど……。

■関連エントリ→ 『下妻物語』レビュー

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門倉貴史『人にいえない仕事はなぜ儲かるのか?』

人にいえない仕事はなぜ儲かるのか?  角川oneテーマ21人にいえない仕事はなぜ儲かるのか? 角川oneテーマ21
(2005/11/10)
門倉 貴史

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 門倉貴史著『人にいえない仕事はなぜ儲かるのか?』(角川oneテーマ21新書/720円)読了。
 4年前に出た本だが、古書店で100円で売っていたので手を伸ばしてみた。

 タイトルに難あり。
 このタイトルでは、非合法アングラ・ビジネスの実態を解き明かした内容だと誰もが思うことだろう。しかし実際に読んでみれば、非合法ビジネスを論じているのは全9章中の1章にすぎないのだ(ほかにも部分的言及はあるが)。これはちょっと読者に対して不誠実だなあ。

 では、残りの大部分はどんな内容かといえば、“下世話な事例をちりばめて面白く読める税制入門”という感じ。
 「プロ野球選手が個人会社を作るのはなぜか?」とか、「すごく稼いでいるのに長者番付に載らない人がいるのはなぜか?」など、興味を引くトピックを織りまぜながら、税の仕組みから副業で上手に節税するコツまでが学べる。わりと実用的でもある内容だ。

 新書だから税の仕組みのAtoZというわけにはいかず、“税をめぐる雑学”程度の内容だが、けっこう面白く読める。
 第八章「どのような税制が最も望ましいか」での、“所得税を廃止して「支出税」(一定期間の所得から貯蓄を控除して求めた消費額に課税する、というもの。消費税とは違う)を導入せよ”という提言も、実現可能性はともかく、たいへん興味深い。

 なお、著者の門倉氏はマスコミに引っぱりだこの売れっ子エコノミストだが、『世界の下半身経済が儲かる理由』とか『「夜のオンナ」はいくら稼ぐか?』などという下世話な内容の一般書を多数出している。
 本書にも、「筆者のヒアリング調査によれば、そもそも、ソープランドで働く女性のほとんどが確定申告という言葉すら知らなかった」なんて一節が出てくる。どんな「ヒアリング調査」をしているのやら。

 私はてっきり氏は“フーゾクが趣味”なのかと思っていたが(笑)、本書によれば、もともと「『地下経済(アンダーグラウンドエコノミー)』を専門に研究」している人なのだそうだ。
 エコノミストにもいろんな専門があるもんですなあ。

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大前仁・木村由香里『ライターになるには』

ライターになるには (なるにはBOOKS)ライターになるには (なるにはBOOKS)
(2009/08)
大前 仁木村 由香里

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 大前仁・木村由香里著『ライターになるには』(ぺりかん社/1260円)読了。

 職業ガイドシリーズの定番「なるにはBOOKS」の1冊。
 私はかねがね、このシリーズに『ライターになるには』がないのを不思議に思っていた。「私に書かせてくれないかな」と、売り込みを考えたこともある(しなかったけど)。第135巻に至って、やっと『ライターになるには』が登場である。

 中高生くらいを対象に、その職業の概要をわかりやすく説くシリーズなので、ライター生活20年超の私が読んでも参考になる点は一つもない。それに、著者たちの文章の質が低く、面白みもまるでない。
 同じ「なるにはBOOKS」でも、評論家の呉智英が書いた『マンガ家になるには』などは非常によくできていたのだが……。
 
 とはいえ、各分野の第一線で活躍するライターたちにインタビューした「ドキュメント」の部分(全体の3分の1程度を占める)は、わりと面白く読めた。

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島田裕巳『無宗教こそ日本人の宗教である』

無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)
(2009/01/10)
島田 裕巳

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 今日は、企業取材で愛知県豊田市へ――。  

 新幹線の車中で、島田裕巳著『無宗教こそ日本人の宗教である』(角川oneテーマ21新書/740円)を読了。

 近年の島田氏がハイペースで刊行している一般向け著作を読むと、氏は宗教学者というより、宗教学の世界と一般人を結ぶ「インタープリター」の役割を目指しているように思える。

 科学の世界には「サイエンス・ライター」という職種があって、難解な科学知識を一般向けに咀嚼するインタープリターとしての役割を果たしているわけだが、宗教学の世界にはそれにあたる人がほとんどいない(「宗教ライター」という肩書きもあまり聞かないし)。
 ゆえに、島田氏がそのような役割を果たすことには、それなりの社会的意義もあろう。

 本書もしかり。宗教にくわしくない一般人に向けて、“無宗教であることを恥ずかしく思ったりする必要はない。むしろ、いまや無宗教には積極的価値がある”と説いた本なのである。

 先行する類書として、阿満利麿(あま・としまろ)の『日本人はなぜ無宗教なのか』がある(本書には同書に対する言及は一切なし)。10年以上前に読んだ本なので内容はほとんど記憶になく、本棚から引っぱり出してきてざっと読み返してみた。

 日本人が「無宗教」になった(=世論調査等で、「自分は特定の宗教を信じていない」と答える率が諸外国に比べ突出して高い)歴史的背景の分析、また「無宗教」の内実についての考察は、阿満の本のほうがはるかにていねいでアカデミックだ。
 
 ただ、本書の場合、日本人が「無宗教」であることに積極的意義を見出している点に独創性がある。

 “「9・11」テロの背景にキリスト教とイスラム教の対立があったように、宗教がむしろ平和の妨げになることも多い。グローバル化がますます進むこれからの社会にあっては、異なる宗教をもつ者が共生していかなければならない。
 その中にあって、「日本人が無宗教であることで、海外から異なる宗教を持つ人々がやってきても、対立や衝突が起こらない」ことには、大きな価値がある”
 ――と、著者は大要そのように主張するのである。

 「無宗教」という切り口からとらえた日本人論、日本社会論として、まあまあ面白い本だ。とくに、第四章「日本人はなぜ『無』に惹かれるのか?」は、もっと広げて一冊にまとめれば、阿部謹也の「世間論」に通ずる独創的な日本社会論になりそうである。

 なお、本書には、著者の偏見ないし底の浅い思い込みが目に余る点もあった。たとえば、次のような記述――。

 創価学会が排他的な信仰を持ち、自分たちだけで結束し、社会と対立関係に陥ったのは、彼らが社会的に差別され、経済的にも恵まれない環境におかれていたからである。彼らにとって、自分たちに豊かさや安定を与えない日本の社会は敵であったとも言える。



 日蓮思想にも通暁しているはずの島田氏が、「学会員は貧乏だから『社会は敵だ』と思っていた」などという浅薄な見方をしていることに、私はビックリしてしまった。

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宮崎哲弥『映画365本』

映画365本 DVDで世界を読む (朝日新書)映画365本 DVDで世界を読む (朝日新書)
(2009/05/13)
宮崎 哲弥

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 金・土・日と、取材で石川県、富山県へ――。
 仕事なので観光するヒマはないのだが、取材の合間に、金沢の兼六園を少しだけ散策。外国人観光客が多いことに驚く。

 今日帰ってきて、明日はまた別の取材で愛知県豊田市へ(日帰り)。なにやらすごく忙しいのである。
  
 行き帰りの飛行機で、宮崎哲弥著『映画365本―― DVDで世界を読む』(朝日新書/840円)を読了。

 宮崎哲弥が同じ朝日新書から出した『新書365冊』は、じつに素晴らしい書評集であった。 → 『新書365冊』レビュー
 本書は、その映画編という趣。TSUTAYAのサイトに連載されていたという、宮崎流映画DVDガイドの新書化である。

 「DVDで世界を読む」との副題のとおり、映画を映画として純粋に楽しむのではなく、何かを学ぶために映画を観るためのガイドになっている。各章は政治・メディア・法と秩序・文化と歴史・生と死・宗教と思想などというテーマに分けられ、そのテーマに沿った内容の映画が紹介される。

 いかにも宮崎哲弥らしい趣向だが、残念ながら、『新書365冊』に比べると読みごたえが一段も二段も落ちる。企画意図どおりにビシッと決まった回もあるものの、たんなるあらすじ紹介、作品情報紹介に終わっている回も少なくないのだ。
 映画のあらすじや作品情報なんて、ネットの中にいくらでも転がっているのであって、誰もそんなことを宮崎哲弥に求めてはいないのである。

 難しい熟語を頻出させる宮崎の悪癖は本書では払拭されていて、いつもの宮崎本よりもかなり読みやすい。そこは美点なのだが……。

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栗田伸子・佐藤育子『通商国家カルタゴ』

通商国家カルタゴ (興亡の世界史)通商国家カルタゴ (興亡の世界史)
(2009/09/18)
佐藤 育子栗田 伸子

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 栗田伸子・佐藤育子著『通商国家カルタゴ』(講談社/2415円)読了。

 全21巻のシリーズ「興亡の世界史」の、第18回配本(第3巻)。
 今巻は、紀元前の昔、地中海全域に通商ネットワークを広げたカルタゴの、日本人研究者による初の本格的通史である。折しもいま、「古代カルタゴとローマ展」が全国を巡回中であり、時宜を得た刊行だ。

 カルタゴはローマによって滅ぼされ、破壊しつくされたため、遺跡もほとんど残っていない。「史料のほとんどは、ある時は隣人であり、ある時は敵対者であった他者から見た『カルタゴ』像に他ならない」のだ。
 勝者の目を通した敗者の歴史にはとかく歪みが生じやすく、一般に知られてきたカルタゴ史もその例に漏れない。だが、著者によれば、「近年の考古学を中心とした学際的研究の成果」によって、「伝承と考古学的遺物との間に横たわる大きな溝は以前よりかなり修復されつつある」という。

 本書はそうした最新の研究成果をふんだんに盛り込み、古代に滅び去った国の歴史を鮮やかに再現したものである。

 著者たちは前半3章を費やし、カルタゴを作ったフェニキア人たちの起源にまで遡る。そのうえで、700年近くに及んだカルタゴの興亡史を格調高く描き出していく。

 とくに、「ローマ史上最大の敵」と謳われた名将ハンニバルによる「ハンニバル戦争」(第2次ポエニ戦争)については、1章を割いて詳細に綴られており、圧巻となっている。
 
 特筆すべきは、後半の随所にあるローマ軍との戦闘シーンの迫力である。とくに、カルタゴ滅亡に至る最後の戦いについては、歴史書であることの限界を踏み越えんばかりに、眼前で戦闘が展開されているかのような映像的描写がなされている。むろん、それは想像の産物ではなく、研鑽から把握した史実を精緻に積み上げたものであろう。

 そして、「カルタゴ『帝国』消滅の過程はそのままローマ帝国の成立過程に他なら」ないから、本書はカルタゴ側から逆照射された“ローマ帝国黎明史”としても読める。

 一国の歴史の再検討が、古代地中海史全体の再検討へと広がっていく――そのような史学の醍醐味が味わえる労作。

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清水義範『身もフタもない日本文学史』

身もフタもない日本文学史 (PHP新書)身もフタもない日本文学史 (PHP新書)
(2009/07/16)
清水 義範

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 清水義範『身もフタもない日本文学史』(PHP新書/735円)読了。

 パスティーシュ小説の名手が、『源氏物語』から現代に至るまでの日本文学史を駆け足でたどった概説書。
 
 まえがきには「日本文学について、気楽なよもやま話をしてみよう」とあり、各章は「雑談1」から「雑談10」と銘打たれている。
 つまり、“これは文学研究者ではない一作家が語る「雑談」にすぎないのだから、学問的厳密さなんて求めないでよ”という予防線が張ってあるわけだ(書名も予防線的)。

 学者ではない立場からの気楽な意見だからこそ、大胆不敵な卓見も随所にあり、なかなか面白い本になっている。

 私がとくに感心したのは、「雑談2 短歌のやりとりはメールである」と、「雑談3 エッセイは自慢話だ」 の2つの章。

 前者は、『源氏物語』に頻出する男女間の短歌のやりとりを、“あれは要するに現代の男女のメールのやりとりのようなものだ”と論じたもの。なるほど、とヒザを打った。

 後者は、現代日本のエッセイの原型は『枕草子』と『徒然草』にある、としたもの。
 そこまでならとくに目新しくもないが、面白いのは、“男性がエッセイを書くと無意識のうちに『徒然草』的になり、女性がエッセイを書くと無意識のうちに『枕草子』的になる、という指摘。

 若い頃に「徒然草」を読んだ日本の男性が、年を経て大人になり、エッセイを書いてくれと言われた時、あんなふうに世の中の愚かしさを叱っていいってことだな、と感じて、嬉しくなっちゃうのである。



 日本の女性が書くエッセイのお手本は、清少納言の「枕草子」なのである。つまり、何が書いてあろうが、そこで言っていることをまとめてみれば、私ってセンスがいいの、という自慢なのだ。



 日本のエッセイは、時流から外れて不遇をかこつ人が、だがしかし私にはこれがあると負け惜しみの自慢をするという伝統の中にある



 むろん、この指摘にあてはまらないエッセイだって山ほどあるはずだが、それでも、枝葉をバサバサ落として本質だけを見てみれば、「なるほど」と思わせる。著者の軽い語り口の中には、本質をグイっとつかみとる慧眼がひそんでいるのだ。

 ただし、最後の「雑談9」「雑談10」は、明治後期から現代までの日本文学をあまりに駆け足で語りすぎており、総花的でつまらない。「日本文学史」という体裁を整えるためだけにつけ加えた蛇足の章、という感じ。

 かつて私は、創刊当時の『SPA!』に連載されていた清水のコラム「勘違いメディア論」を読んで、「なんと面白い文章を書く人だろう」と感心した。「この人は小説が売れなくなってもエッセイスト/コラムニストとして食っていける」と思ったものだ(「勘違いメディア論」は現在、『パスティーシュと透明人間』という清水のエッセイ集に収録されている)。
 本書には、清水のユーモア・エッセイストとしての資質が躍如としている。

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今剛『2nd ALBUM』

2nd ALBUM2nd ALBUM
(2009/06/17)
今 剛Mark Cass

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 今日は、さいたま市で企業取材。
 日本電鍍工業の伊藤麻美社長に話をうかがう。

 お父様が創業された会社を継ぐまではFMラジオのDJをされていたという伊藤さんは、地味なものづくり業の経営者らしからぬ、華のある美人社長であった。 → 参考記事

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 今剛の『2nd ALBUM』(A&A/3150円)を聴いた。

 おそらく日本でも屈指のギャラの高いスタジオ・ミュージシャンであろう名ギタリストが、1980年の『Studio Cat』以来、じつに29年ぶりに放ったソロアルバム。

 たいへんよかった。
 テクニックをひけらかすような派手な早弾きなどは皆無だが、一つひとつのフレーズに今剛にしか出せない深い味わいがある。
 たとえばパット・メセニーあたりの出来のよいソロ・アルバムと比較しても、まったく遜色ないゴージャスなサウンド。

 ただ、全11曲中4曲を占めるヴォーカル・ナンバーについては、聴き手によって評価が分かれるところだろう。
 寺尾聰によるボズ・スキャッグスのカヴァーが1曲、「声優界の歌姫」(なのだそうだ)笠原弘子が歌う曲が1曲、マーク・キャスというシンガーが歌う曲が2曲……という内訳なのだが、個人的には全曲インストにしてほしかった気がする。
 とくに、寺尾と笠原弘子のヴォーカル曲は、全体から浮いている感じがして仕方ない。

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瀬川正仁『若者たち』

若者たち-夜間定時制高校から視えるニッポン若者たち-夜間定時制高校から視えるニッポン
(2009/06/05)
瀬川正仁

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 瀬川正仁著『若者たち――夜間定時制高校から視えるニッポン』(バジリコ/1680円)読了。

 テレビ・ドキュメンタリーや報道番組を多く手がけてきた映像ジャーナリストの著者が、9ヶ月間にわたって2つの夜間定時制高校に通いつめ、生徒たちや教師、父兄たちに取材したノンフィクションである。

 味も素っ気もないタイトルはいただけないが、内容は素晴らしい。濃密で読みごたえのある良質なノンフィクションであった。

 夜間定時制の取材を始めてまず感じたのは、まるで野戦病院のような場所だということだった。夜間定時制高校は、学校という戦場で、あるいは家庭で、傷ついてきた若者たちが運び込まれてくる野戦病院である、そう思った。



 著者がそう書くとおり、本書で光を当てて描かれる約20人の生徒たちは、それぞれ深く傷ついた心をもっている。性的虐待やレイプ、イジメの被害者であったり、援助交際をくり返したり、リストカットの常習者であったり……。
 いっぽう、恐喝する側、暴力をふるう側の生徒も登場するが、彼らの暴力の背景にもまた、親などに深く傷つけられた体験がある。

 いわゆるケータイ小説はほとんどの場合絵空事だが、本書には、ケータイ小説に登場するような壮絶な青春を送る生身の若者たちが多数登場するのだ。彼らが語るエピソードのすさまじさに、読者は終始圧倒される。

 登場する生徒たちが、著者には心の傷をさらけ出して語っていることに驚かされる。著者が取材者としてきわめて優秀である証であろう。そして、彼らが心の傷について語る、血を流すような言葉の一つひとつが、深く胸を打つ。

 たとえば、生後間もなく親に捨てられ、乳児院に入れられたという少女が語る、こんな言葉――。

「本当のお母さんに会えたら、何をしてほしい?」
 私は彼女に尋ねた。
「名前を呼んでほしいんだ。『ヒカリ』って」
 彼女は間髪を入れずに答えた。
「それだけ?」
「ええ。それだけで充分よ」



 また、子どものころに母親の男友達から性的虐待を受け、母親からは暴力をふるわれ、イジメやレイプの被害者でもある少女との、こんなやりとり――。

「死にたいと思ったことはなかった?」
 私は思わず、ケイコに聞いてしまった。
 ケイコはちょっと考えてから、しっかりした声でこう答えた。
「死ぬ? 違うね。消えてなくなりたい。生まれてこなければよかった。そんな感じかな」
 それからケイコは挑発的にこちらを見た。



 日本の若者たちが抱えたさまざまな問題が凝縮された、夜間高校という場所。そこをフィルターとして教育問題を語った本だが、傷ついた若者たちの心に分け入ったルポルタージュとしても秀逸だ。



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パラドックス『ブロークン・バリケード』

ブロークン・バリケードブロークン・バリケード
(1993/09/26)
パラドックス

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 パラドックスの『ブロークン・バリケード』(ポリドール)を聴いた。
 1990年代に活動した日本のジャズ・ロック・バンドが、93年に発表したファースト・アルバム。彼らは4年後にセカンドアルバム『Ⅱ』を発表するも、それっきり自然消滅してしまったそうだ。

 帯の惹句にはこうある。

4人のスーパーテクニシャンがエレクトリックとアコースティックを駆使して、かつてないパワフルなサウンドを生み出した。これが噂のパラドックス=デビューアルバム!!



 「4人のスーパーテクニシャン」とは、棚部陽一(ギター)、松田真人(キーボード)、竹田弘樹(ベース)、菅沼孝三(ドラムス)のこと。それぞれ売れっ子スタジオ・ミュージシャンだ。
 
 けっこうよかった。 
 日本でいえばプリズム、洋楽でいえばアラン・ホールズワースに近い、ややプログレ色をにじませたクールでスペイシーなジャズ・ロックである。

 プリズムやアラホのソロの場合、当然ギターが前面に出るわけだが、このパラドックスの場合、ギターよりもリズム・セクション、とくにドラムスのほうが、サウンドに占める比重が高い(ただし、「レイン・ソング」「ミスター・デイヴィス」の2曲ではアラホばりの“ウネウネギター”弾きまくりが堪能できる)。

 ドラムスは一貫して手数が多く(※)、ベースの音も耳に残る。その意味では、プリズムよりもむしろ、フィル・コリンズのドラムスとパーシー・ジョーンズのベースが核をなしていたブランドXに近いサウンドといえようか。

 オープニングの「ダイヤグラム776」や、終盤の「インフィニット・モーメント」はメチャメチャかっこよく、プリズムやブランドXが好きな人ならこの2曲のために手に入れても損はない。
 すでに廃盤だが、アマゾンのマーケットプレイスでは送料込み数百円で手に入る。

※ドラムスの菅沼孝三は、「手数王」というニックネームで知られる人なのだそうだ(笑)。納得。 

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藤井誠二『大学生からの「取材学」』

大学生からの「取材学」-他人とつながるコミュニケーション力の育て方大学生からの「取材学」-他人とつながるコミュニケーション力の育て方
(2009/07/07)
藤井 誠二

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 藤井誠二著『大学生からの「取材学」――他人とつながるコミュニケーション力の育て方』(講談社/1470円)読了。

 ベテラン・ノンフィクションライターの著者が、いつくかの大学で担当してきた「ノンフィクション論」「取材学」の授業内容をベースにしたもの。ゆえにこの書名になっているが、けっして初心者向けの内容ではなく、私のようなライターが読んでも参考になる点が多々ある。

 むしろ、「このへんは大学生には高度すぎるのでは?」と思わせる部分も少なくない。なにしろ、著者の授業にはほとんど本を読まないような学生も参加しているそうだから……。

 取材のスキルには普遍性があり、メディア業界以外の日常でも「使える」ものなのです。営業の仕事であれ、人の悩みを聴く仕事であれ、介護の仕事であれ、犯罪をした疑いのある人を取り調べる仕事であれ、さまざまな職業で「使え」ます。



 ……と著者もいうとおり、本書はライター/ライター志望者にかぎらず、「人に話を聞く仕事」に就いている人なら一読の価値があると思う。 
 宮台真司、森達也、名越康文、永江朗などをゲストに招いた特別授業の内容も収録しており、著者一人の考え方/方法論のみに偏っていないところもよい。

 著者自身の取材の舞台裏を明かしたくだりも多く、それらのエピソードが総じて興味深い。たとえば――。

 ぼく自身も取材をした相手の怒りを買うことはあります。
 犯罪被害者遺族の取材をライフワークにしていますが、あるとき、ぼくは新著のお知らせを一斉メールで送ったことがあります。その文面の末尾に「皆様のご多幸をお祈りします」と書いたところ、ある遺族から「最大の不幸を味わった人に多幸などない」と罵倒されたことがあります。ぼくは勇気を出して、すぐに遺族のもとに赴き「至りませんでした」と謝罪しました。



 取材というものの奥深い魅力を伝える一冊だ。

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永江朗『暮らしの雑記帖』

暮らしの雑記帖―狭くて楽しい家の中暮らしの雑記帖―狭くて楽しい家の中
(2007/10)
永江 朗

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 永江朗著『暮らしの雑記帖――狭くて楽しい家の中』(ポプラ社/1575円)読了。
 売れっ子フリーライターのエッセイ集。意外に、といっては失礼だが、なかなか優れたエッセイ集であった。

 書名は雑誌『暮らしの手帖』を意識したもので、巻末には『暮らしの手帖』の編集長との対談も掲載されている。その対談の前振りにあるように、これは「大橋鎮子と花森安治が『暮らしの手帖』を創刊するときに考えたことを今やったらどうなるかを私なりに考えてみた」という本なのである。

 この本では日常生活の細部について考えてみました。世の中には、天下国家のことが一番上で、日常生活のことは下のほう、というイメージがあります。(中略)しかし、日々の生活の基本は政治でも国際関係でも経済でもなくて衣食住です。もちろん政治も国際関係も経済も衣食住に直結しています。直結してはいるけれども、どちらが主でどちらが従なのか。衣食住が主なんじゃないか(「まえがき」より)



 ……と、そのような「ラジカルな生活保守主義」をふまえて、著者自身の生活の細部が愉しく綴られていく。たとえば、愛用の筆記用具やルームシューズ、双眼鏡などについて、著者はそれに出合うまでの来歴を語り、道具についての蘊蓄を傾ける。
 とはいえ、「オレはこんなに『こだわり』をもってるんだぜ」的な自慢話のいやらしさはなく、日々の暮らしの細部をたいせつにすることの愉悦が伝わってくる。

 ベテラン・フリーライターは例外なく「雑学博士」だが(さまざまな分野の専門家に会って話を聞き、原稿を書く仕事だから、必然的にそうなる)、著者もしかりで、本書にも豊富な雑学が随所にちりばめられている。ハイブラウな「雑学本」としても愉しめる本だ。

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『山桜』

山桜 [DVD]山桜 [DVD]
(2008/12/24)
田中麗奈篠田三郎

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 ケーブルテレビで録画しておいた『山桜』を観た。藤沢周平の同名短編の映画化。

 ■公式サイト→ http://www.yamazakura-movie.com/

北の小国 海坂藩に生きた男と女
江戸後期、吟味役百二十石・浦井家の長女 野江は、最初の夫に先立たれ、勧められるままに磯村家に嫁いだが、家風になじめずつらい日々を送っていた。叔母の墓参りに帰り道、山桜の下で一人の武士に出会う。山桜を手折ってくれたその男は、かつて野江を妻に望んで果たせなかった手塚弥一郎であった。
この年も飢饉が続き、重い年貢で農民たちの生活は困窮していた。その窮状を目の当たりにした弥一郎はある決断をする…。それは野江の運命までも変えるものであった。(アマゾンの「内容紹介」から)



 ヒロイン・野江を演じるのが田中麗奈、手塚弥一郎役は東山紀之。
 地味な映画だが、たいへんよかった。同じく藤沢作品の映画化である『たそがれ清兵衛』などと比べても、少しも遜色ない仕上がり。公開時、大して話題にもならず、ヒットもしなかったことが不思議に思えるほど。

 主演の2人や檀ふみ、篠田三郎、南沢奈央など、登場人物がいずれも「昔ながらの日本人」に見える。イマ風のバタ臭い顔の俳優は注意深く避けてキャスティングされている感じ。時代劇初挑戦だという田中麗奈が清楚でチャーミングだ。

 山あいの四季折々の風景が美しく、江戸時代の人々の生活の手ざわりをていねいに描いた繊細なディテールも素晴らしい。

 野江と弥一郎の「ラブストーリー」ではあるのだが、ラブシーンはおろか、2人が対面する場面さえ冒頭にしかない。しかも、2人は作中で一度もストレートに愛を言葉にしない。
 「恋の至極は忍恋と見立て候。蓬ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死(じに)する事こそ恋の本意なれ」という『葉隠』の一節をそのまま体現したような、日本映画らしい清冽な「忍ぶ恋」の物語。

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団鬼六『往きて還らず』

往きて還らず往きて還らず
(2009/07)
団 鬼六

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 団鬼六著『往きて還らず』(新潮社/1575円)読了。
 「往きて還らず――すみれ荘奇譚」と「夢のまた夢――道頓堀情歌」という中編2編を収録した最新小説集だ。

 「SM小説の巨匠」団鬼六には、一般小説の傑作も少なくない。『真剣師小池重明』や、自伝小説集『生きかた下手』に収められたいくつかの短編はまことに面白く、「SMの人でしょ」という色眼鏡で食わず嫌いしてしまうのはもったいない。

 本書に収められた2編も、いずれ劣らぬ傑作。一部に性描写はあるもののポルノではなく、太平洋戦争末期と終戦直後をそれぞれ舞台にした“異形のラブストーリー”として読みごたえ十分だ。

 「往きて還らず」は、タイトルが示すように「特攻隊もの」。ただし、団鬼六がフツーの「泣ける特攻隊もの」など書くはずはなく、前代未聞の“官能的な特攻隊物語”になっている。

 謎めいた美女が、1人の特攻隊員を愛したことからたどった数奇な運命を描いたストーリー。
 団の父が鹿屋航空基地に主計兵長として勤務していたときに見聞きした実話との触れ込みだが、あまりにも話がドラマティックなので、「じつは団の創作じゃないの?」と疑りたくなる。

 ま、どこまでが実話かという詮索はさておき、小説としてはじつに面白い。「愛とは何か?」を考えさせる作品になっている。

 「夢のまた夢」は、終戦直後の大阪を舞台に、若き日の団と父親と、米兵相手の公娼(いわゆる「パンパン」ではない)をしていた過去を持つ美女の奇妙な「三角関係」を描いた、自伝的青春小説。
 
 「復員後すっかり人間が変わったよう」になった父親は、息子を博奕打ちにしようと「博奕の家庭教師をつけさせ」たり、ヤクザでもないのに自宅の2階で賭場を開帳したりと、まことに型破りな人物であったようだ。

 そういえば、前に読んだ団の語り下ろしエッセイ集『快楽なくして何が人生』でも、この父親のことがかなりの紙数を割いて紹介されていた。
 私は当ブログで、「これまであまり書かれなかった両親のエピソードが数多く紹介されている。とくに、団以上の無頼派であった父親の奔放な人生は、団自身の手で小説化してもらいたいほどの面白さだ」と、同書の感想を記した。その願いが、この「夢のまた夢」でかなった思いだ。
 団父子がともに放つデカダンと無頼の匂いが全編に満ちた、“異形の青春小説”である。

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元木昌彦『週刊誌は死なず』

週刊誌は死なず (朝日新書)週刊誌は死なず (朝日新書)
(2009/08/07)
元木 昌彦

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 元木昌彦著『週刊誌は死なず』(朝日新書/819円)読了。

 『週刊現代』や『FRIDAY』の編集長をつとめた著者が、出版社系週刊誌が軒並み凋落の一途をたどる現状をふまえ、「がんばれ週刊誌ジャーナリズム!」とエールを送った一冊。

 これから書くことは、雑誌OBの都合のいい週刊誌弁護に聞こえるかもしれない。



 「はじめに」にはそうあるが、まさに私もそのような感想を抱いた。

 著者は“出版社系週刊誌は権力批判というたいせつな役割を担ってきた。新聞にはできないことをやってきた。週刊誌が力を失うことは日本の危機だ”とさかんに力説し、週刊誌の歴史に残るスクープ報道の例を列挙してみせる。

 なるほど、週刊誌ジャーナリズムにそういう「正の面」があるのはたしかだし、時には悪しき権力者を失墜させる力にもなったろう。しかし、そういう良質な記事は全体の1割にも満たないのではないか。週刊誌の「負の面」に目をつぶり、「正の面」だけ強調されても、「都合のいい週刊誌弁護」にしか聞こえない。

 著者の現役時代を振り返った記述についても同様で、「自分に都合のいいことしか書いてないなあ」という印象を受ける。“検察からたび重なる圧力を受けたが、屈せず記事化した”みたいな自慢話が並んでおり、本書だけ読むとすごく立派な「気骨の編集長」という感じだ。
 もっと失敗談とかがちりばめられていれば、好感もてたのに……。

 と、ケチをつけてしまったが、けっしてつまらない本ではない。

 本年5月に開催された「週刊誌シンポジウム」(おもな出版社系週刊誌の編集長らが集った)の内容が第1章を丸ごと割いて詳報されており、これは読みごたえがあり、資料的価値も高い。
 第6章「週刊誌が生き残る道」も、長年現場の最前線にいた者ならではの提言として、傾聴に値する。
 第7章として収録されている著者と佐藤優の対談は、佐藤の発言に卓見がちりばめられている。

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デイト・オブ・バース『グレイテスト・ヒッツ1989~1999』ほか

キング・オブ・ワルツ~デイト・オブ・バース・ベストキング・オブ・ワルツ~デイト・オブ・バース・ベスト
(1994/12/10)
DATE OF BIRTH

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 国立ディスクユニオンで100円(!)で買ったデイト・オブ・バースの『グレイテスト・ヒッツ1989~1999』が、思いのほかよかった。
 そこで、アマゾンのマーケットプレイスで彼らのベスト盤『キング・オブ・ワルツ』を購入。こちらも100円。つまり送料込みで440円。

 デイト・オブ・バースは、80年代後半から90年代にかけて活躍した日本のポップ・グループ。
 一般には、最大のヒット曲となった「ユー・アー・マイ・シークレット」(テレビドラマ『あなただけ見えない』の主題歌)で知られる。いまは活動休止状態だが、3年ほど前に2枚組のベスト盤も出た。

 英語詞中心のハイセンスで洋楽ライクなサウンドは、ラヴ・サイケデリコやブリリアント・グリーンのような「洋楽テイストのJ-POP」の先駆といえよう。

 『グレイテスト・ヒッツ1989~1999』は、タイトルとは裏腹にベスト盤ではない。1989年に発表されたもので、「10年後に発売される架空のアーティストのベストアルバム」というコンセプトのオリジナル・アルバムなのである(ややこしい)。
 そういえば、ラヴ・サイケデリコのファーストも『グレイテスト・ヒッツ』というタイトルだったが、あれはこのアルバムを意識したのかも。

 ややサイケデリックで緻密な音作りに、キャッチーなメロディ。Noricoの癖のないヴォーカルも心地よい。もっと再評価されてしかるべき名グループだと思う。


↑日本人離れしたサウンドを聴かせる最初期の傑作「PACK MY BAG」


↑ストリングスが美しい名バラード「エコーズ・オブ・ラヴ」。『ゴジラV.S.スペースゴジラ』の主題歌だったそうだ。


↑「ユー・アー・マイ・シークレット」。『あなただけ見えない』の内容はほとんど忘れたが、多重人格者役・三上博史の怪演だけは鮮明に覚えている。

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『狂った果実』

狂った果実 [DVD]狂った果実 [DVD]
(2003/05/23)
本間優二

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 ケーブルテレビで録画しておいた『狂った果実』を観た。

 つい先週に中平康/石原裕次郎の『狂った果実』(1956)を観たばかりだが、こちらは1981年に根岸吉太郎が監督した「日活ロマンポルノ」の一作。
 タイトルが同じであるだけで、内容はまったく無関係(ただ、いずれも凄惨な悲劇に終わるラストの雰囲気は似ている)。こちらの『狂った果実』は、アリスの同名ヒット曲にインスパイアされたオリジナルストーリーである。



 ポルノとはいえ、過激なAVに慣れた21世紀の我々の目から見れば、その性描写はおとなしいものである。当時のワカモノたちはこんなので興奮していたのだろうか?

 日活ロマンポルノからは「ポルノを超えた青春映画の秀作」が数多く生まれたが、本作もその一つに数えられるそうだ。私は初見だが、けっこうよかった。

 昼間はガソリンスタンドで、夜は新宿歌舞伎町のボッタクリ・ピンサロで店員として働く主人公(本間優二)が、奔放な富豪令嬢(蜷川有紀)と出会い、彼女に翻弄され運命を変えられてしまう物語。
 ファムファタール役の蜷川有紀は、演出家の蜷川幸雄の姪なのだそうだ(つまり、写真家の蜷川実花とはいとこ同士)。顔つきから何から思いっきり「猫科の女」という印象で、とてもセクシー。

 全編に満ちた暴力の匂いのなか、青春の鬱屈がパワフルに描かれる。その点では、本間優二のもう一つの主演作『十九歳の地図』に通ずるものがある。
 そういえば、本間優二は最近めっきり顔を見ないが、もう役者はやめてしまったのだろうか? ネット上では根拠のあいまいな死亡説まで流れているが……。

 日活ロマンポルノにかぎらず、低予算日本映画の共通の弱点だが、貧しい人々を描くとすごくリアルなのに、金持ちの世界を描くとまるでリアリティがない。
 本作もしかり。主人公と兄貴分(ボッタクリ・ピンサロの「上司」/益富信孝)とのやりとりとか、兄貴分の妻(永島暎子)との交情などはリアルでしみじみとよいのに、富豪令嬢の家族や友人を描くシーンはたちまち薄っぺらい絵空事になる。

 永島暎子が、ヒロインと拮抗するほどの存在感を見せて好演。『竜二』での主人公の妻役とか、「ヤクザな男に惚れて苦労する哀しい女」を演らせると右に出る者のない女優だと思う。

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永江朗『本の現場』

本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか
(2009/07/14)
永江 朗

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 永江朗著『本の現場――本はどう生まれ、だれに読まれているか』(ポット出版/1890円)読了。

 洋書店員、編集者のキャリアをもち、書店ルポをライフワークとしているベテラン・フリーライターが、本をめぐるさまざまな「現場」(ライティングや編集の現場から、売る側・読む側の現場まで)のいまを、取材をふまえて素描したノンフィクション。

 読者を選ぶ本だが、なんらかの「本の現場」に身を置く者にとっては面白い本。一ライターとして、書き手・作り手の置かれた厳しい現状を改めて認識させられ、「うーん」と唸った。

 たとえば、「編プロのいま」と題された章にはこんな一節がある。

 売れる部数が半減したのだから、出版社から編プロに支払われる編集料も年々減っている。それでも編プロがやっていけるのは、ライターやデザイナーへの原稿料を減らすからだ。(中略)昨日まで1枚5千円で書いていたライターに「明日から3千円で」と告げるのではない。5千円のライターから3千円で書くライターに乗り換えるのである。コストダウンのしわ寄せが末端にいくのは、自動車や繊維と同じだ。



 「末端」の一員としてはものすごく身につまされる話である。

 佐野眞一あたりがこういう本を書いたらもっと大仰に「出版危機」を煽りまくるのだろうが、永江朗の飄々とした個性ゆえ、深刻な話も軽いタッチで書かれており、サラッと読める。

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Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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