内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』

ひとりでは生きられないのも芸のうちひとりでは生きられないのも芸のうち
(2008/01/30)
内田 樹

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 内田樹著『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋/1470円)読了。

 内田さんにインタビューするため、取材テーマに即した著作ということで読んだもの。
 台風真っ只中を、都内某所へ取材に赴く。雨男を通り越して「台風男」なのかどうか、私は台風の日の取材というのも少なからず経験している。

 内田さんへの取材は、2年ぶりくらいで3回目。私の取材以外に、同じ日にあと3件取材と対談が入っているとか。
 そのようにメディアに引っぱりだこであるのも、よくわかる。取材する側の印象として、「何をテーマにお話をうかがっても、打てば響くように卓見が返ってくる。しかも、記事の見出しになるような“決めのフレーズ”を随所に織り込んで」という感じなのだ。談話やコメントを求める側としては、これほどありがたい論者もいない。

 ここ数年、怒濤のように著作を出されている内田さんなので、私もそのすべては読めていないが、おおよそ3分の2は読んでいるはずで、物事のとらえ方・考え方の面でかなり影響も受けていると思う。ブログもいつも読んでいるし。

 この『ひとりでは生きられないのも芸のうち』もブログ・コンピ本なので、ブログで一度は読んでいるはずだが、それでもすごく面白かった。

 書名のとおり、“社会のあらゆる面で「孤立化」が進むいま、人はどう生きるべきか?”をテーマに掲げた文章を中心にしたもの。
 「人はひとりでは生きられないし、ひとりでは幸せになれない」ということをくり返し訴えている本なのだが、そのことをモラルや精神論からではなく、合理性の面から諄々と説いて目からウロコ。

 私がたくさん赤線を引いたうちから、任意の一ヶ所を引用しよう。

 ほとんどの時代、人間たちは恒常的に飢えており、集団的に行動しない限り生き延びられなかった。だから、人間の身体組成は「飢餓ベース」であり、精神は「集団ベース」に作られている。
 現代日本は「飽食ベース」「孤立ベース」での生存が可能になった人類史上希有の社会である。だから、飢餓ベース、集団ベースで構築された身体運用技法や儀礼や習慣との間でフリクションが起こるのは当然なのである。
 私はそのフリクションは日本の繁栄と平和のコストだと思っている。



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ギル・スコット・ヘロン『ピーセス・オブ・ア・マン』ほか

Pieces of a ManPieces of a Man
(1995/05/23)
Gil Scott-Heron

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 ギル・スコット・ヘロンの『ピーセス・オブ・ア・マン』『フリー・ウィル』『スモール・トーク・アット・125&レノックス』を聴く。

 ギル・スコット・ヘロンは、1970年代を中心に活躍した、「黒いボブ・ディラン」とも呼ばれる米国の「ジャズ・ファンク詩人」。シンガー/ミュージシャンとしてデビューするより先に小説と詩集を出版していたくらい、文学的資質に恵まれたアーティストである。
 ……と、知ったふうなことを書いたが、じつは私は彼のアルバムを聴くのは初めて。

 「黒いボブ・ディラン」というあだ名だけは知っていて、フォークっぽい音楽をやっている人なのだとばかり思っていた。
 実際に聴いてみたら、思いのほかポップで聴きやすく、カッコイイ音楽だった。ファンクとジャズとソウルとブルースをシェイクして、その上澄みをすくったような歌の数々。

 ヴォーカルもいい。なにより声質がいい。深みのある甘い声なのに、セクシュアルな感じはあまりなく、知的で清潔な印象の声なのだ。

 今回3枚聴いたうちでは、1971年発表のセカンド・アルバム『ピーセス・オブ・ア・マン』が突出して素晴らしい。
 これは捨て曲なしの名盤。ロン・カーター(ベース)、バーナード・パーディ(ドラムス)、ヒューバート・ローズ(フルート)といった、ジャズ/ファンク系の一流ミュージシャンが参加したサウンドも質が高い。

 『スモール・トーク・アット・125&レノックス』はデビュー・アルバムだが、これはポエトリー・リーディングにパーカッションなど最小限の音を添えただけのもので、音楽としては退屈。収録曲のうち3曲だけはピアノが入った“歌もの”になっていて、これは渋いのだけれど……。

 『フリー・ウィル』は、前半5曲はポップな仕上がりなのだが、後半はやはりポエトリー・リーディングで、これも退屈。
 ギル・スコット・ヘロンはラップの元祖の1人と目されるそうで、ポエトリー・リーディング系の曲を聴くとなるほどと思う。思うけれども、『スモール・トーク・アット・125&レノックス』は1回聴けば十分だと思った。日本盤にも原詩や対訳がついておらず、私には詩の内容もよくわからないし……。

 しかし、『ピーセス・オブ・ア・マン』はじつによい。ギル・スコット・ヘロンのアルバムから、こっち系の作品を少し漁ってみようと思う。


↑エスター・フィリップスの素晴らしいカヴァーでも知られる名曲

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中島啓江さんを取材

答えは、YES!―ビッグ・ママからのメッセージ答えは、YES!―ビッグ・ママからのメッセージ
(2008/02)
中島 啓江

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 今日は、歌手・声楽家の中島啓江(けいこ)さんを取材。中島さんの事務所のスタジオにて。

 私はオペラやミュージカルについては門外漢なので、専門的な取材では当然なく、中島さんのライフストーリーをうかがうもの。
 中島さんの著書『答えは、YES!――ビッグ・ママからのメッセージ』(岩波書店)や、関連雑誌記事多数を読んで臨む。

 中島さんとお母様がいちばんたいせつにしてこられた言葉――「ありがとう」をめぐる感動的なドラマをうかがった。
 いつも明るくパワフルな中島さんだが、少女時代に受けたいじめなど、すさまじい人生の波浪を乗りきってこられた方でもある。そのための支えとなったのが、亡くなったお母様との絆であり、「ありがとう」という「魔法の言葉」であった、と……。

 また、「千の風になって」を歌うことになるまでのいきさつをめぐる、これまた感動的なエピソードなども。

 インタビュー後の写真撮影中の雑談で、「イカ天」(「いかすバンド天国」)審査員時代の面白いエピソードをいくつかうかがう。
 仕事で出会う編集者などの中にも、「じつはボク、昔『イカ天』に出たことがありまして」という人がけっこういるそうだ(笑)。

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鎌田慧『橋の上の「殺意」』


橋の上の「殺意」―畠山鈴香はどう裁かれたか橋の上の「殺意」―畠山鈴香はどう裁かれたか
(2009/06)
鎌田 慧

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 鎌田慧『橋の上の「殺意」――畠山鈴香はどう裁かれたか』(平凡社/1890円)読了。

 ベテラン・ルポライターが、2年半におよぶ取材をふまえて書き下ろした、畠山鈴香事件(秋田連続児童殺害事件)のルポルタージュ。中心となるのは、さる5月に鈴香の無期懲役が確定した裁判の記録である。

 この事件については週刊誌・夕刊紙等がずいぶんいいかげんな記事を書き飛ばしており、根拠のないデマの数々――鈴香が男を家に連れ込んでは売春していたとか、被害男児の父親と不倫していたとか、彩香ちゃんを虐待していたとか――が、事実であるかのように一人歩きしている。
 さすがに本書は、そうしたスキャンダリズムとは無縁の真摯な内容となっている。むしろ、この事件の報道に対する批判の書にもなっているのだ。

 著者は死刑反対の姿勢を旗幟鮮明にしており、本書も一貫してその立場から書かれている。そのため、裁判についての記述では偏向が目に余る部分もある。
 著者の目から見ると、死刑を求めていた検察側はつねに“悪しき国家権力”であり、彼らが法廷でなす主張は「舌なめずりするように」などというネガティヴな形容詞つきで描写される。このへん、ちょっとあからさますぎやしないか。

 また、著者が鈴香に対して終始同情的でありすぎる点も気になる。
 たしかに、彼女は病んだ心をもつ「哀れな加害者」(著者の形容)であり、その生い立ちを見れば同情の余地も山ほどあるのだが(父親から虐待を受けていたり、少女期に学校で激しいいじめを経験していたり)……。

 もっとも、世論の大勢が鈴香糾弾に傾いたなかにあっては、このような本が1冊くらいあったほうがバランス上好ましい、ともいえる。

 不可解なこの事件だが、本書を読んでもその不可解さは払拭されない。
 ただ、鈴香の精神鑑定に当たった精神科医の一人・西脇医師による解釈は、私にとって「なるほど」と腑に落ちるものだった。

 西脇医師は、最初の彩香ちゃん殺害(鈴香は殺意を否定)は人生に絶望した鈴香による「無理心中未遂」であり、豪憲くん殺害は「混沌とした心理状態で、あの世(死後)の彩香ちゃんの遊び相手として豪憲くんをあの世に送り込んだ」ものだと解釈している。
 もっとも、著者は西脇鑑定を評価しつつも、「(動機を解釈した)結論部分については疑問を感じている」としているのだが……。

 ともあれ、著者によるバイアスが少し気になる以外は、読みごたえあるルポルタージュだ。

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上原ひろみ『ビヨンド・スタンダード』

ビヨンド・スタンダード(通常盤)ビヨンド・スタンダード(通常盤)
(2008/05/28)
上原ひろみ~HIROMI’S SONICBLOOM

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 上原ひろみの『ビヨンド・スタンダード』を聴いた。昨年発売された、バンド「HIROMI’S SONICBLOOM」名義としては2枚目のアルバム(次の新作『プレイス・トウ・ビー』がもう来月には発売されてしまうが)。

 HIROMI’S SONICBLOOM名義の前作にあたる『タイム・コントロール』は私の好みど真ん中のジャズ・ロックだったが、今回は前作よりはロック色が薄く、ややジャズ寄り。

 タイトルのとおり、これまでのアルバムでは取り上げなかったスタンダードナンバー中心の作品になっている。
 といっても、そこは上原ひろみのことだから、いろんな意味で一筋縄ではいかない。

 まず、選曲。
 「キャラヴァン」「朝日のようにさわやかに」などのジャズのスタンダードが何曲かあるかと思えば、坂本九の「上を向いて歩こう」、ジェフ・ベックの「レッド・ブーツ」、ドビュッシーの「月の光」なども取り上げており、ジャンルが見事にバラバラ。ジャズの枠に収まりきらない上原ひろみらしい選曲になっている。

 編曲、演奏もかなり型破りで、オーソドックスなスタンダード集を望むリスナーは顔をしかめるだろう。じっさい、アマゾンのカスタマーレビューなどを見ると、「こんなのジャズじゃない!」系の酷評も目立つ。

 私はといえば、「うーん、玉石混淆だなあ」という感想を抱いた。
 「上を向いて歩こう」は気の抜けたようなアレンジで少しもいいと思わなかったし、自作曲「XYZ」をギター入りでセルフカヴァーした「XYG」もいただけなかった(原曲のほうがはるかにカッコイイ)。

 しかしそのいっぽう、「月の光」と「マイ・フェイヴァリット・シングス」の2曲は、聴いていて陶然となるほど美しい。
 とくに、「月の光」のなんと素晴らしいこと。ドビュッシーの原曲が淡いパステルカラーだとしたら、こちらは極彩色の“音のカレイドスコープ”という趣。
 バンドのメンバーとの一糸乱れぬアンサンブルもすごい。複雑な演奏なのにゴツゴツしたぎこちなさは微塵もなく、水の流れのように流麗なのだ。

 上原ひろみには、この「月の光」のような曲ばかり集めたアルバムを作ってほしい。ドビュッシー、ラヴェル、サティらの曲だけ集めてひろみ流にアレンジした、『ビヨンド印象主義』ともいうべきアルバムを……。

 
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高瀬淳一『武器としての〈言葉政治〉』

武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法 (講談社選書メチエ)武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法 (講談社選書メチエ)
(2005/10)
高瀬 淳一

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 高瀬淳一著『武器としての〈言葉政治〉――不利益分配時代の政治手法』(講談社選書メチエ/1575円)読了。

 先日読んだ『不利益分配社会』が面白かったので、同じ著者の旧著を読んでみた。
 副題からわかるとおり、本書と『不利益分配社会』では扱うテーマが重なっている。ただ、本書は「不利益分配社会」そのものより、その社会にふさわしい政治手法である〈言葉政治〉のほうにウエートを置いているのだ。

 というわけで本書でも、『不利益分配社会』同様、小泉純一郎の政治手法の分析にかなりの紙数が割かれている。『不利益分配社会』を先に読んだ私は、そのへんはナナメに読み飛ばす(著者の主張は当然同じなのだから)。

 本書の3分の2ほどを占める「第一部」で、著者は戦後の歴代首相(吉田茂から小泉まで)の〈言葉政治〉能力を「査定」している。

 ここでいう〈言葉政治〉能力とは、たんに演説がうまいとか、話す内容が論理的だということではない。言葉の力を、国民の意識を変え、自身の政治目的達成の武器とする能力のことだ。

 歴代首相のうち、著者が〈言葉政治〉能力を高く評価するのは、小泉純一郎と中曽根康弘の2人である。
 というと、小泉と中曽根がキライな人は読む気を失うかもしれないが、著者にはとくに思想的な偏りはないので、政治に関心の高い人には食わず嫌いせずに読むことをオススメする。

 とくに面白いのは、著者が細川護煕と橋本龍太郎の〈言葉政治〉能力に辛い評価をつけ、“小泉と比較して2人はどこがダメだったのか?”を分析していくくだり。

 一般に、細川と橋龍は小泉に近いイメージでとらえられているだろう。細川は小泉的なパフォーマンス政治のハシリといえるし、橋龍は首相時代、小泉同様に“痛みを伴う構造改革”の必要性を強く訴えた。また、2人とも見た目のカッコよさに恵まれ、一時期までは国民的人気を博した。

 だが著者は、細川と橋龍には〈言葉政治〉能力が決定的に欠けていた、と結論づける。2人とも、国民を鼓舞する強い言葉を発しなかった、と……。

 首相時代の橋龍の演説を分析して、著者は次のように言う。

 橋本の演説は、突きつめると自分の目標の提示と自分が全力を尽くすとの宣言に終わっている。そこには、小泉のような聴衆を巻き込もうという呼びかけは見られない。



 〈言葉政治〉に無理解な人は、世論の支持など、かっこいい政治家がもっともな理屈を語れば簡単に得られると思っている。たしかに、顔と頭のよさは、ないよりあったほうがよい。だが、橋本を見てわかるように、この二つだけでは国民の心を政治的に引きつけるには不充分である。正確にいえば、風貌と知性と政策立案能力と党内基盤のすべてが揃っても、橋本にはまだ足りないものがあった。国民を鼓舞する言葉である。



 また、細川については、見栄えのする「パフォーマンス」(記者会見のときにペンで記者を指すような)だけがあって、「言葉による自己アピール」は乏しく、〈言葉政治〉能力は意外に低かった、と分析。そのうえで、次のように言う。

 政治的パフォーマンスについては誤解も多い。パフォーマンスさえうまければ政治リーダーとして有能であるというのも錯覚であるし、パフォーマンスに走る政治家はしょせん中身がないと決めつけるのも極論である。
 細川のケースから考えると、政治的パフォーマンスは、〈言葉政治〉の一環である場合にのみ、本当の有効性を発揮するといってよい。言葉で表現すべき政治的メッセージの一部がパフォーマンスによって代替されている場合はよいが、伝えるべきメッセージをもたないパフォーマンスはたんなる自己陶酔にすぎないからである。



 不利益分配時代の政治リーダー(とくに首相)のあるべき姿について説得的な議論を展開し、示唆に富む好著。

 東大教授の田中明彦は、2000年に本書の類書ともいうべき『ワード・ポリティクス』を上梓し、「ワード・ポリティクス」という造語に「言力政治」という訳をあてた。
 外交における言葉の重要性をおもに論じた『ワード・ポリティクス』に比べ、本書は首相の能力という身近なテーマを扱っているだけに、いっそうわかりやすく面白い。

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ゲッツ板谷『BESTっス!』

BESTっス!BESTっス!
(2007/08/22)
ゲッツ板谷

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 ゲッツ板谷著『BESTっス!』(小学館/1470円)読了。

 タイトルのとおり、ゲッツ氏のエッセイ集の中から「特に笑える話を抜き出して、それを1冊の本にまとめた」ベスト集として企画されたもの。

 とはいえ、過去に単行本未収録であったエッセイを5本、書き下ろしのエッセイも2本収録しているので、「ゲッツの本は全部読んでる」というディープなファンでも読む価値のある一冊。

 ワタシ的にはゲッツ氏の笑えるエッセイといえば『板谷バカ三代』がダントツなのだが、本書にはなぜか『板谷バカ三代』からのセレクトは一編もなし。
 『許してガリレオ!』『妄想シャーマンタンク』『直感サバンナ』『戦力外ポーク』『情熱チャンジャリータ』の5冊(それにしても、タイトルづけのセンスがぶっ飛んでるなあ)から選んだエッセイで編まれている。

 「特に笑える話」だけを抜き出すという当初の企画意図からは、ちょっとズレた感じのベスト集になっている。
 いや、たしかに爆笑のエッセイも多いのだが、ゲッツ氏の不良時代~青春時代の仲間たちとの友情をめぐる後日談が多く、どちらかといえば「その後の『ワルボロ』」という趣。笑えると同時に、破天荒な友情模様が感動を呼ぶ一冊なのだ。
 西原理恵子との友情についてマジに綴った一編もあるので、サイバラ・ファンなら一読の価値あり。

 『板谷バカ三代』などでは主役であったケンちゃん(板谷氏の父)、セージ(板谷氏の弟)の出番は少なめ。そのかわり、本書ではキャーム(板谷氏の親友。『キャームのお悩みヒットマン』なる著書まで出した)が俄然存在感を増し、くり返し登場する。

 それにしても、ゲッツ氏の周囲にはキャラが立ってる人が多いなあ。
 とくに、本書に何度か登場する遠縁のオバサン「直舌のケイコ」(毒舌を通り越し、思ったことをすべて口に出してしまう性格からこの名がある)のキャラは強烈無比だ。

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藤沼貴『トルストイ』

トルストイトルストイ
(2009/06)
藤沼 貴

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 藤沼貴著『トルストイ』(第三文明社/6300円)読了。

 明年の「トルストイ没後100年」を記念して出版された大著である。
 著者は高名なロシア文学者にして、我が国屈指のトルストイ研究者。最近刊行された新訳版『戦争と平和』(岩波文庫)の訳者でもある。本書は、著者が半生をかけたトルストイ研究の集大成だ。
 700ページ近いボリュームで、辞書のような分厚さ。布貼りの立派な装丁といい、6000円を超える価格でも納得がいく。

 本書は、トルストイの82年の生涯をたどった浩瀚な評伝であると同時に、『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などの代表作を解題した優れた作品ガイドでもある。
 また、明治以降の日本におけるトルストイ受容史を詳細に跡付けるなど、日本人研究者としての独自性も保っている。帯には「トルストイ研究の最高峰」との惹句があるが、その言葉に誇張はない。

 ただし、本書は専門書ではなく、「広い範囲の一般的な読者に向かって書いた」(あとがき)ものである。文章に過度の論文臭はなく、論の進め方にも観念を弄ぶところがなく、つねに具体的で明快だ。

 著者は、毎年の命日にはロシアへ墓参に赴くほどトルストイを畏敬してやまないのだが、さりとて本書は、トルストイを神話化するものではない。完全無欠の聖人としてではなく、欠点も弱点ももち、苦悩しつづけた一個の人間としてのトルストイを、あたたかく描き出すものなのだ。

 一般的読者の先入観をくつがえす指摘が、随所にちりばめられている。
 たとえば、「世界三大悪妻」の一人にも数えられるトルストイの妻ソフィアについて、著者は具体的例証を挙げて悪妻イメージを突き崩し、トルストイが最後まで彼女を愛しつづけたことを明らかにしている。

 そして、本書の大きな特長は、トルストイの文学以外の側面にかなりの紙数を割いていることだ。
 たとえば、民衆教育の理想を掲げて独自の学校を創立した教育者としての顔や、真実の宗教を求めて教会権力と対峙した姿である。

 創立した学校は官憲の弾圧で閉鎖に至り、ロシア正教会からは破門されたトルストイ。その生涯は、徹して民衆の側に立ちつづけた苛烈な闘争の連続でもあった。

 文豪としてのみならず、“闘う思想家”としての巨人の全体像を描き尽くした、畢生の大著。

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平原綾香『my Classics!』

my Classics!my Classics!
(2009/09/02)
平原綾香

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 平原綾香のニューアルバム『my Classics!』(ドリーミュージック/3045円)を、サンプル盤を送ってもらってヘビロ中。9月2日発売予定。

 タイトルが示すとおり、初の全曲クラシック・カヴァー集である。
 ホルストの『惑星』の一曲「木星」に日本語詞をつけて歌った「Jupiter」でデビューし、その後もを折々にクラシックのカヴァーを発表してきた彼女だが、全曲クラシック・カヴァーのアルバムはこれまでなかったのだ。

 どのサイトで見たのだったか忘れたが、平原綾香のクラシック・カヴァーについて、ネット上で「ぽっと出のJ-POP歌手なんかに、クラシックの名曲を歌ってほしくない。せっかくの名曲の格が落ちる気がする」と書いていた人がいた。いやはや、じつに狭量な物言いである。

 クラシックに思い入れがない私などから見ると、平原綾香は一般のJ-POPファンにクラシックの魅力を知らしめ、クラシック・ファンの裾野を広げた功績で表彰されてもいいくらいだと思うけれど……。

 さて、今回のこの新作、クラシック・ファンにとってどうかはわからぬが、私にとってはなかなかよい。
 「Jupiter」「カンパニュラの恋」「ノクターン」など、既発表のカヴァー曲を再収録しているほか、2曲の先行シングル「新世界」(原曲はドヴォルザーク。一般には「家路」「遠き山に日は落ちて」として知られる第2楽章)と「ミオ・アモーレ」(原曲はプッチーニ「誰も寝てはならぬ」)も収録しており、クラシック・カヴァーのベスト集にもなっている。
 
 クラシックばかり集めたとなると、一本調子の退屈なアルバムなのではないかと心配する向きもあるかもしれないが、けっしてそんなことはない。
 ピアノのみの静謐なアレンジでしみじみと聴かせる「Moldau」(原曲はスメタナ「わが祖国」)もあれば、ハードなギターが全編を彩るロック的アレンジの「ロミオとジュリエット」(原曲はプロコフィエフ)もあり……と、5人の編曲家が技を競い合うアレンジは多彩で、聴く者を飽きさせないのだ。
 「新世界」のドラマティックな盛り上がりも、“もう一つの「Jupiter」”という趣で素晴らしい。

 個人的にいちばん気に入ったのは、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」をカヴァーした「pavane」。夢幻的な美しさをもつ絶品である。
 アルバムのオープニングに据えられているところを見ると、きっと平原綾香およびスタッフもこの曲が気に入っているのだろう。
 「亡き王女のためのパヴァーヌ」といえば、ブラジルのエウミール・デオダートがセカンド・アルバム『ラプソディー・イン・ブルー』で披露したカヴァーも好きだったなあ。

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上杉隆『世襲議員のからくり』

世襲議員のからくり (文春新書)世襲議員のからくり (文春新書)
(2009/05)
上杉 隆

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 上杉隆著『世襲議員のからくり』(文春新書/746円)読了。

 いまや世界に類を見ない「世襲議員大国」となった日本。とくに、自民党は世襲率が4割弱にのぼる“世襲政党”と化した(民主党も約1割)。
 安倍、福田と2代つづいた世襲議員の政権投げ出し、それにつづく麻生首相のていたらくをみると、著者ならずとも、世襲議員こそ日本の政治を劣化させた元凶なのではないか、と言いたくなる。

 本書は、売れっ子政治ジャーナリストが、世襲議員を生み出す「からくり」と、代表的世襲議員たちの実態を明らかにしたレポートである。

 上杉隆の本はすこぶる明快で読みやすい。このようにわかりやすい言葉で政治を語れるジャーナリストは貴重だ。
 わかりやすさの大きな要因となっているのが、耳目を引くエピソードを連打して読者をぐいぐい引っぱっていくスタイル。エピソードと著者の意見の比率が、9:1くらいになっている印象がある。

 本書でも、最初の1~2章で、安倍・福田・麻生・鳩山兄弟といった代表的世襲議員たちの仰天(ときに爆笑)エピソードが列挙されており、それで「つかみはオーケイ」という感じだ。
 おそらく、著者が最も訴えたかったのは第3章「政治資金団体の非課税相続」の部分だと思うが、ここを最初にもってきたら多くの読者が読む気を失ってしまったことだろう。

 第3章は、「政治家の世襲が行なわれるとき、驚くべきことに子どもは、その親の政治資金を非課税で相続できる」という「政治家としての特権的優遇制度」を暴露した内容。これは、たしかに衝撃的。

 ただ、私自身は政治家の世襲それ自体が悪いことだとは思わない。相続における不公平な優遇だけは撤廃すべきだが、それを除けば、世襲にもよい面はいろいろある。

 そのように思うのは、最近仕事で中小企業経営者を取材する機会が多く、誠実で優秀な2代目・3代目経営者にしばしば出会うからである。
 「経営者と政治家は同列には論じられない」と言われるかもしれないが、枝葉を取り払えば同じことだと思う。

 要は「よい世襲」と「悪い世襲」があるのであって、安倍・福田・麻生あたりは「悪い世襲」の例であるにすぎない。にもかかわらず、3人とも首相になり、しかも“世襲劣化”ぶりがハンパなかったばかりに、世襲議員の存在自体が諸悪の根源みたいに言われてしまった。

 「世襲議員が日本を滅ぼす!」というタイトルがふさわしいような内容の本書でも、著者は終章で、“二世議員全員がダメなわけではない。「他人の釜の飯」を食った経験のある二世は総じてしたたかだ”というエクスキューズを入れている。
 「他人の釜の飯」とは、父親以外の議員秘書をつとめて修行することを指す。小泉純一郎や鳩山邦夫などには、そうした修行の経験がある。
 それに対し、安倍や麻生には、父親の秘書をしたり家業の会社で働いたりした経験しかない。それではお坊ちゃま扱いされるだけで、修行にはならない。

 親の会社に入る前に他社で修行させるのは、経営者の世襲ではあたりまえに行なわれていることである。そのあたりまえがなされていないあたり、政界の世襲は企業の世襲より遅れている。
 世襲政治家の育成方法は、中小企業経営者に学ぶとよい。

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清水浩『脱「ひとり勝ち」文明論』

脱「ひとり勝ち」文明論脱「ひとり勝ち」文明論
(2009/06/05)
清水 浩

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 清水浩著『脱「ひとり勝ち」文明論』(ミシマ社/1575円)読了。

 最高時速370キロの夢の電気自動車「エリーカ」の開発者である著者(慶應大学教授)が、電気自動車と太陽電池の話を軸に、クリーンエネルギーがもたらす明るい未来への展望を語った本。


↑電気自動車「エリーカ」が加速でポルシェに勝つ(!)瞬間

 「文明論」という書名を見て「むずかしそう」と敬遠する人もいるかもしれないが、心配ご無用。聞き書きの形で構成された本書は、中学生でも読めるくらい平明である。
 そして、物心ついたころから明るい未来を夢見ることがほとんどなかったであろういまの中高生にこそ、ぜひ読ませたい内容だ。

 エリーカ開発までの舞台裏を語った部分も『プロジェクトX』的で面白いが、なんといってもワクワクするのは、太陽電池と電気自動車が本格普及したとき、地球文明そのものが明るい方向に大きくシフトするという指摘だ。たとえば――。

 太陽電池の効果は、「地球の地表面積の一・五パーセント」に、太陽電池パネルを貼れば、世界中の七十億人が「アメリカ人と同じくらいの裕福なエネルギーを使えるようになる」というものです。
 地球の地表面積の一・五パーセント。
 これは、アメリカ合衆国の面積の五分の一ほどです。
 大きいといえば大きいのですけれど、「地球の砂漠の中の約七パーセントに貼りめぐらせたら、それと同じ地表面積になります」と聞いたら、「それなら、できないことはないんじゃないかなぁ」と、思いませんか。
(中略)
 世界の七十億人が、平等に、「アメリカ人と同じくらいの裕福なエネルギーを使えるようになる」という世界の実現は、世界で最も問題になっている「貧困」がなくなる、ということでもあります。



 世界中に太陽電池が普及して、そのうちの相当の分量が日本でつくられるようになったら、日本のGDPも増えて、税収も大きくなって、その結果として、年金の問題も心配しなくたっていいことになる、なんて方向でも、とらえられることなのです。
(中略)
 電気が大量に作れて、冷房や暖房のいらない春と秋には電力がほとんど余るようになれば、その余った電力をアルミニウムを作るための電力に使って、アルミニウムの値段を安価にすることができる。そうしたら、鉄とコンクリートだけでない、「アルミの押し出し成形材」でもって住宅もできるようになるかもしれないのです。



 いま、全世界の二酸化炭素排出量の二○パーセント近くがクルマの排気ガスです。(中略)
 でも、それが電気自動車になれば、それこそ一気に二酸化炭素排出量は「ゼロ」です。



 新しい技術を使ったら、温暖化はなくなるどころか、さらに、エネルギーが行きわたって、人類は裕福になる、世界中でアメリカ人と同じようにエネルギーを使えるようになる……。
 そんな脱「ひとり勝ち」の文明が、すぐそこにあるんだということでもあります。


 
 これは、SFでもなければトンデモ論説でもない。過去30年間電気自動車の開発に携わってきた第一線の研究者による、ごく現実的なヴィジョンなのである。長年暗い未来の話ばかり聞かされてきただけに、本書が説く明るい未来は干天の慈雨のように心にしみる。

 こうなったら、著者のヴィジョンを早く実現するために、国を挙げて思いきった支援をしてほしい。
 「はらたいらさんに全部!」ならぬ「電気自動車と太陽電池に全部!」という勢いで、日本の未来を賭けて一点買い勝負だ。

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高瀬淳一『「不利益分配」社会』

「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係 (ちくま新書)「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係 (ちくま新書)
(2006/08)
高瀬 淳一

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 高瀬淳一著『「不利益分配」社会――個人と政治の新しい関係』(ちくま新書/714円)読了。

 小泉政権最終盤の2006年8月に刊行されたもので、小泉純一郎への評価にかなりの紙数が割かれているが、3年後のいま読んでも新鮮な内容だ。

 てゆーか、総選挙を目前に控えたいまこそ読まれるべき一書である。というのも、“小泉総理登場の前と後では、日本の政治がどう変わったか?”を、政治学者の著者がつぶさに分析した内容だからだ。

 田中角栄以後の日本政治は利益分配政治・バラマキ政治であったが、財政赤字の深刻化と少子高齢化の急速な進展、くわえて小選挙区制への移行によって、もはや利益分配政治をつづけることは不可能となった。
 これからの日本政治は、誰が首相となろうと、「不利益分配」政治とならざるを得ない。だからこそ、国民からの支持が従来以上に政治家の生命線となる。
 小泉はそのことを熟知していたからこそ、荒療治によって利益分配政治の時代を一気に終わらせた。「ポスト小泉時代」の政治家たちは、不利益分配政治の時代に突入したことをよくよくわきまえたうえで、国民を説得すること、国民の支持を集めることに力を注がなければならない。

 ……そのような認識に立ったうえで、著者は「不利益分配時代」に入ったことで政治がどう変わるか、これからの政治家はどのようにふるまうべきかを説いていく。
 著者によれば、それは「見せる政治」「魅せる政治」なのだという。言いかえれば「劇場政治」だ。

 古代ローマの時代から、政治の要諦は「パンとサーカス」であるといわれてきた。食料の確保と娯楽の提供が政権維持のツボだというのである。いまの言葉なら「食の安全」と「劇場政治」となる。歴史の知恵をあなどってはいけない。



 小泉純一郎が随所で“不利益分配時代の政治家のふるまいの模範”として称揚されるので、小泉ギライの人には不快な本だと思う。私も、著者は小泉に対して甘すぎるのではないかという気はする。
 しかし、小泉礼讃のくだりをナナメに読み飛ばせば、それ以外の部分には傾聴に値する卓見、思わずうなずく正論がちりばめられている本だ。たとえば――。

 政治を論じるさい、わけ知り顔で「だれがやっても同じ」などと吐き捨てる人がいるが、これでは能力の差異がわからないおのれの不見識を披露しているようなものである。



 日本では「事実上」の首相公選制が確立してきている、というのが私の見立てである。法律上はもちろんそんな制度はない。だから「デファクト首相公選制」とでも呼ぶのが適切だと考えている。
 すでに、「密室の話し合い」による党首選びは、よほどのことがないかぎり、もう許されなくなってきている。談合的決め方は「見せる政治」の時代にふさわしくない。そんなことをすれば、それだけで十分、党のイメージを低下させるだろう。



 私は「たんなる俳優」では困るが、俳優の素質がまったくない人に今後の政治リーダーはつとまらないと思っている。いや、いつの時代でも、有能な政治家には役者としての才能があったにちがいないと思っている。



 いまの時点で本書を読むと、「小泉という最高の手本がそばにいたのに、麻生首相は『見せる政治』『魅せる政治』がまるでわかっていなかったのだなあ」としみじみ思う。
 と同時に、マニフェストに「うまい話」ばかり並べている民主党は、時代遅れの利益分配政治をまだ引きずっているのだなあ、とも思う。

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村上たかし『星守る犬』

星守る犬星守る犬
(2009/07)
村上 たかし

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 村上たかしの『星守る犬』(双葉社/800円)を読んだ。 
 「21世紀の『ハチ公物語』」(ただしフィクションだけど)ともいうべき、感涙の傑作。

 村上たかしの作品といえば、私はB級動物ギャグマンガ『ナマケモノが見てた』しか読んだことがない。
 失礼ながら、村上にこんな作品が描けるとは思いもよらなかった。「大化けした」という感じ。昔、お下劣ギャグマンガ『トイレット博士』の作者・とりいかずよしが、ブランクを経て『トップはオレだ!! 』というサラリーマンものでカムバックしたときと同じくらい驚いた。

 病気で職を失い、妻子にも見捨てられた中年男が、愛犬とともにボロ車で故郷目指して「最後の旅」に出る物語。
 ギャグマンガ家として培ってきたユーモアのセンスがほどよい隠し味となっているため、「クッサイお涙ちょうだい」になることをギリギリでまぬかれている。

 犬好きの人、とくに犬を飼ったことのある人なら、まちがいなく泣ける作品。
 あとがきで「僕自身も愛犬にどれだけ救われてきたか知れません」と書いている村上が、犬好きの「泣きのツボ」を的確にツキまくりである。

 表題作は80ページに満たない中編で、後半にはその続編にあたる40ページほどの短編「日輪草(ひまわりそう)」を併録している。
 こちらは、「星守る犬」の主人公が放置車内で身元不明の遺体となって発見されたとき、引き取って弔ったケースワーカーの話。この続編が、「星守る犬」の物語に救いを与える役割を果たしている。
 カバーに描かれた、一面のヒマワリに囲まれた犬。その意味は、続編を最後まで読むとわかる。

 「日輪草」から、主人公のケースワーカーと警察官のやりとりを引く――。

「40代~50代の男性で死後一年から一年半。まあ車上生活者の行き倒れですな。(中略)それから――足元に男性が飼っておったと思われる犬の死体。こちらは死亡時期がずいぶんずれていて死後三ヵ月です」
「犬ですか?」
「ええ。飼い主の死亡が理解できず、ずっと起きてくるのを待ってたんでしょうな…」
「……そうですね。犬はいつだって待っていますから――」


 
 犬を飼っている四十男である私は、自分と愛犬のことがオーバーラップして、このやりとりだけでウルウルきてしまうのである。
 まあ、私は映画版『ハチ公物語』(仲代達矢主演のヤツ。あれは名作)を観ても泣けたくらいだから、犬好きでない人はそのへん差し引いて聞いてください。

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「アイデア本」読み比べ

アイデアのつくり方アイデアのつくり方
(1988/04/08)
ジェームス W.ヤング今井 茂雄

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※当ブログの「アイデア本」の感想を1つにまとめました。 

ジェームズ・W・ヤング『アイデアのつくり方』(阪急コミュニケーションズ/777円)
 竹熊健太郎氏のブログで「オススメ本」として挙げられていたので、取り寄せて読んでみた。広告業界で長く読み継がれてきたロングセラーなのだそうだ。なるほど、奥付を見ると、邦訳の初版は1988年で、昨年末で第49刷(!)を数えている。

 本文は60ページ足らずの薄い本なので、すぐに読める。
 著者が主張する「アイデアのつくり方」の根幹は、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」というもの。
 実用に耐える「新しい組み合わせ」を思いつくことこそが「ひらめき」だと著者は言い、「ひらめき」を得るためのコツをいくつか開陳してみせる。

 著者は、「新しい組み合わせ」をとことん考え抜いたら、そこで一度思考をやめて、アイデアが無意識層の中で「熟成」するのをまつことがたいせつだと説く。そうしてこそ、やがてアイデアが天啓のように生まれてくるのだ、と。

 この説明は首肯できる。
 アルキメデスが入浴中に浮力の定理を発見した「エウレカ!」の瞬間、あるいはニュートンがリンゴが落ちるのを見て引力の存在に気づいた瞬間など、大きな「ひらめき」の前には必ず、思索しぬいた果ての「思索の放棄」(リラックス)の段階があるのだと思う。

 推理作家のアガサ・クリスティーも、「新しい作品の構想を練る最高のチャンスは、お皿を洗っているとき」との言葉を遺している。
 これもまた、思索の果ての皿洗いだからこそ構想が生まれるのであって、何もせずに皿洗いだけしていればひらめくわけではない。

 皿洗いという軽い家事労働によって、脳内が適度な無意識状態になることが奏功するのだろう。古来、馬上・枕上・厠上の「三上」にいるときによい文章がひらめくとされているが、それと同じことである。

 また、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」ということについても、世の名高いアイデアマンたちの多くが言葉を替えて同じことを言っている。
 たとえば手塚治虫は、ストーリーのアイデアを得るコツについて、次のような言葉を遺している。

「ぼくね、ストーリーに困る人って、信じられないんですよ」(中略)
 「たとえば本棚を見ればね、すぐ出来るじゃない。本の背表紙を三つ選べば、いいんです」(中略)
 「それぞれのタイトルから水平思考していって、それをミックスさせてつくっちゃえば、もう何から発したかもわからないし、それなりの厚みが出るんですよ」(大下英治『手塚治虫――ロマン大宇宙』)



 「目からウロコが落ちまくる」(竹熊)というほどではないが、クリエイティヴな仕事をしている人間にとっては一読の価値ある本だ。 

ロバート・ワイスバーグ『創造性の研究/つくられた天才神話』(リクルート出版)
 「アイデア本」の“変種”。人間がアイデアを生むまでの心理メカニズムに、科学のメスを入れた本なのである。
 
 米国の心理学者である著者は、科学・芸術などさまざまな分野の名高い「創造」のプロセスを、精緻に分析していく。たとえば、モーツァルトが作曲をするプロセス、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を見出すまでのプロセス、ダーウィンが進化論にたどりつくまでのプロセスなどなど……。
 そしてその結果、“天からひらめきが降りてくるような創造など存在しない”という驚くべき結論に達するのである。

 我々は、天才たちは生まれつき抜きん出た創造性をもっていて、「何の準備もなく完全な作品を生み出」すものだと考えがちだ。また、創造は多くの場合漸進的ではなく、ある日突然ひらめきが“爆発”して起きるのだ、とも。

 ところが、著者はそうした見方を「創造性の神話」「天才神話」にすぎないという。どんな創造もじつは漸進的で、クリエイターたちは階段を上がるようにしてそこにたどりつく、というのだ。

 また、古今の天才たちもけっしてゼロから創造を行ったのではなく、先人たちの仕事を参考に、長い訓練と準備を経て才能を発揮したのだ、と著者はいう。
 そして、その天才性の内実も、じつは優れた技術や記憶力などの蓄積にすぎないという。凡人にはなく、天才だけがもっている「人格特性」など、どこにも存在しないのだ、と。

 ロマンティックな天才神話に冷水を浴びせる内容であり、同時に、凡百の「アイデア本」の主張をくつがえすものでもある。

 たとえば、多くの「アイデア本」がくり返してきた「アイデアは、考え抜いたあとに一度思考を放棄して寝かせておくと、無意識層で孵化する」という主張に、著者は異を唱える。
 一度考えるのをやめたあとによいアイデアが生まれることが多いのは、たんに頭の疲れが回復するからとも考えられる、と著者は皮肉る。無意識層で洞察の飛翔が生まれる、というのもまた「神話」にすぎない、と。

 広告業界などでいまも広く行われている「ブレスト(ブレーン・ストーミング)」が、じつは創造的思考を促進するためには役に立たないことを論証した章も、興味深い。集団で行うブレストより、じつは各個人で考えたほうがよいアイデアが浮かぶ率が高いことを、実験結果を基に立証してみせるのだ。

 私は以前イベント関係のライターをしていた(各種イベントの展示パネルの文章を書いたり、イベント内トーク・ショーの台本を書いたりした)時期があるのだが、あの業界の人たちが何かというと集まって長~いブレストを行うのが、時間の無駄に思えて仕方なかった。そんな経験から、ブレストに関する本書の主張には全面的に賛同。

 本書を読んでも発想が豊かになるわけではなく、むしろ従来の「発想法」を否定する内容だが、「創造性とは何か?」を考えるためには示唆に富む本である。
 なお、本書は1992年刊だが、すでに絶版のようだ。私は都立図書館から取り寄せて読んだ。

後藤尚久著『アイデアはいかに生まれるか』(講談社ブルーバックス)
アイデアはいかに生まれるか―これでキミも「独創」人間 (ブルーバックス)アイデアはいかに生まれるか―これでキミも「独創」人間 (ブルーバックス)
(1992/07)
後藤 尚久

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 アンテナと電磁波が専門である科学者が、自身の研究をふまえてアイデアを生み育むノウハウを説いた本。
 ……なのだが、肝心のアイデアについての記述の多くが、『アイデアのつくり方』などの先行書の引用で成り立っている。

 とくに、ロバート・ワイスバーグの『創造性の研究』本はくり返し引用されていて、「人のふんどしで相撲をとった」と言われても仕方ない内容だ。

 また、アイデアとはなんの関係もないただの思い出話も目立つ。
 困ったことに、その思い出話の部分がわりと面白いのだが、「アイデアのつくり方」の参考にはならない。副題は「これでキミも〈独創〉人間」というものだが、こんな本を読んで「独創人間」になれたら世話はない。

 ただ、ある種のユーモア・エッセイとして愉しめる本である。たとえば、私が思わず吹き出した一節――。

 アイデアがひらめくのは、意識という岩盤が軟弱ならばよいのであって、「三上」が本質ではない。私の経験では、ある平面アンテナのアイデアが、不謹慎ではあるが、「腹上」でひらめいたことがある。



 「腹上」で思いがけずアイデアがひらめいてあわてる様子が、映像としてくっきり浮かんでしまった(笑)。

齋藤孝著『齋藤孝のアイデア革命』(ダイヤモンド社)
齋藤孝のアイデア革命齋藤孝のアイデア革命
(2004/02/06)
齋藤 孝

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 大ベストセラー『声に出して読みたい日本語』以来、ハイペースで著書を出しつづけている齋藤孝が出した「アイデア本」。

 「どうせやっつけ仕事だろう」とタカをくくって読んだのだが、意外にもなかなかの良書であった。
 アイデア本の多くが過去の類書のパクリで成り立っているのに対し、本書は著者の独創による指摘が多く、その一点だけでも貴重だ。

 思わず膝を打つ記述も多い。たとえば――。

 一般に「アイデア」というと、独創性が重要と思われがちだ。しかし、それが発案者個人の感覚だけに頼ったものになると、唯我独尊に陥りやすい。いいアイデアを生むためには、まず平均的な感覚を意識し、その延長線上で考えるというプロセスが重要なのである。



 言われてみればそのとおりだ。独創的すぎる発想から生まれた商品や作品は大衆の感覚から遊離してしまい、けっきょく売れないだろう。

 また、第1章で説明される“凡人でもアイデアを生むことのできる公式”「y=f(x)」も、目からウロコだ。
 「x」は既存のヒット商品・ヒット作。その本質「f」がなんであるかが見抜ければ、「f」の要素(スタイル)を他分野に移し変えることによって、独創性に欠ける凡人にもアイデア(y)を生むことができる、というのである。

 たとえば、「カラオケボックス」の「f」は「ボックススタイル」にあり、他分野にボックススタイルを応用できる隙間を探し出すことでアイデアが生まれる、と著者は言う。
 そして、応用例として、すでに実用化されているという「シネマボックス」(客がDVDを持ち込んで大画面・大音量で観られるボックス)などを挙げる。

 これは、ジェームズ・W・ヤングの「アイデアを生む5段階の公式」に匹敵するものではないか。

 ただ、後半はたんなる“ヒット商品開発物語”になってしまっていて、退屈。1、2章だけ読めば十分。

別冊宝島401『発明ひらめき読本』(宝島社)
 「アイデアの達人になるための99の知恵」という副題に惹かれて読むと、肩透かしを食う。知恵/ノウハウにあたる記述は皆無に等しく、過去の大発明家の紹介、古今の大ヒット商品の舞台裏紹介がメインになっているからだ(そこから「知恵」を読みとれ、と作り手側は言いたいのだろうが)。

 ただし、発明/ヒット商品開発に関する雑学集としてはよくできており、面白い読み物ではある。

外山滋比古著『アイデアのレッスン』(あさ出版/1400円)
 ひどい駄本。
 外山滋比古には過去に『思考の整理学』『知的創造のヒント』という同傾向の著作があるのだが、この本はその2冊の内容を薄めてくり返しただけの内容である。
 
 同じ著者が同じテーマで書く以上、多少の重複があるのはやむを得ないにしても、これはひどすぎる。

 しかも、本書の前半はライターが外山の談話をまとめたものであるらしく(問答形式になっている)、いつもの外山の文章にある上品なウイット/ユーモアも皆無。

 『思考の整理学』は私のお気に入りの“アイデア本”の一つなので本書にも期待したのだが、ガッカリ。

加藤昌治著『アイデアパーソン入門』(講談社BIZ/1575円)
アイデアパーソン入門 (講談社BIZ)アイデアパーソン入門 (講談社BIZ)
(2009/01/08)
加藤 昌治

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 著者は博報堂勤務で、企画やアイデアについてのプロ。ロングセラーとなった『考具』(2003年)で知られる。

 『考具』は、マンダラート、カラーバスなど、アイデアを出しつづけるためのツール(=考具)をまとめて紹介した本で、わりと面白かった。その著者が新たに出した「アイデア本」なので期待して読んでみたのだが、本書はイマイチ。

 イマイチの印象を受けたいちばんの理由は、内容が総じて抽象的・感覚的にすぎること。
 たとえば、「自分の記憶を24時間循環風呂にする」という項目があって、そこには次のような一節がある。

 理想はと云えば、脳はいつでも24時間循環風呂。誰かが入っていようといまいと、お風呂の中でお湯をぐるぐるとかき混ぜながら、新しいお湯はそのままに、古いお湯もきれいにしながら対流させている。お風呂の表面(そのときの顕在意識)に、いろんな記憶が押し流されていくように。

 そしてそれぞれの体験、知識は芋づる式ではなく(一本の蔓だけでつながっているようなイメージありませんか?)、「網づる式」で四方八方につながっている。網のどこかに重みがかかければ、網全体がボヨンと揺れる。しぶとい記憶、とでも云いましょうか。同じネタであってもリピートして構いません。組み合わせる相手が違えば、別のアイデアになるんですから。



 具体的にどういうことなのかさっぱりわからない。ほとんど“長嶋茂雄の打撃コーチ状態”である。
 本書は、終始そんな調子で話が進む。「たのむからもっと具体的に、具体例を通して説明してくれ」と言いたくなる。

 著者は生き馬の目を抜く広告業界の第一線でバリバリがんばっているのだろうから、広告のアイデア出しの具体例を入れてほしかった。自身が手がけたものでなくても、「みなさんもよくご存じのあのCMのアイデアは、こんなふうに生まれたんですよ」という例とか、成功例や失敗例をふんだんに盛り込んでほしかった。そうした具体例が、本書にはただの一つも出てこないのである。

 著者略歴にも「大手広告会社勤務」とだけあって博報堂の名は出していないから、具体例を出さないスタイルは著者自身が意図して選んだのだろう。
 が、その選択は本書にかぎっては失敗だと思う。抽象的・感覚的な話ばかりだから、「言いたいことがおぼろげにしかわからない」という隔靴掻痒感がずっとつきまとうのだ。

 具体性の欠如に目をつぶったとしても、著者の主張の多くはアイデア本としてはごくあたりまえのことで、新鮮味に欠ける。たとえば、「浮かんだアイデアは必ずメモる!」なんて項目があるのだが、わざわざ一項目立てるほどのこととは思えない。

 ……と、いろいろケチをつけてしまったが、「なるほど」と膝を打った記述もある。3つほどピックアップしてみよう。

 アイデア初心者は、昨日見た自分にとって新鮮だった体験をそのままアイデアだとしてしまいがちです。サーカスが面白かったから、次のイベントはサーカスやりましょうよ、みたいなパターンですね。一つのアイデアとしては決して悪くないです。でも、たぶん通らない。

 理由はいくつかありますが、まずは“旬すぎる”ことが挙げられます。今流行っていることが、来月でも効果的なのか。タイミングがずれてしまうリスク、結構大きいですよね。(中略)
 二つ目は、事の本質を捕まえていない(ように見える)からですね。サーカスが受けているのは事実ですが、なぜ受けているのか、どこが受けているのか、をちょっとでもよいから考察してからアイデアとしているかどうか。何で面白いと思ったの? と聞いてみた答えで分かりますね。



 本格的なプロフェッショナル・アイデアパーソンになりたいのなら、どこかで練習しましょう。(中略)「アイデアを考えること」は練習可能ですし、練習量に応じて上達します。



 プロフェッショナルな仕事って、スポーツの世界に喩えるなら、リーグ戦を戦っていくようなものではないか、と思っています。(中略)トーナメントと違って、全部を勝つ必要はないわけです。あまりいい言葉ではないでしょうが、“捨て試合”なんて云い方もあるくらいですから、要は勝ったり負けたりがあるなかで、全体としての勝率をどうやって高めていくか、の競争なわけです。



山名宏和著『アイデアを盗む技術』(幻冬舎新書/798円)

アイデアを盗む技術 (幻冬舎新書)アイデアを盗む技術 (幻冬舎新書)
(2010/03)
山名 宏和

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 テレビのバラエティ番組をおもに手がけている放送作家が、自らの経験をふまえ、アイデアを得るノウハウを説いた本。
 私がこれまでに読んだ「アイデア本」の中でも、阿刀田高の『アイデアを捜せ』などとともに、上位に位置づけたい一冊。たいへん参考になった。

 タイトルに難あり。これではまるで、アイデアの盗用を推奨しているかのようだ。むろん、実際にはそうではない。他者の発想や視点を参考に“アイデアのアンテナ”を磨くノウハウが、さまざまな角度から説かれたものなのである。

 本書の第一の美点は、アイデアのノウハウがすべて具体例を通して説明されている点。一つのノウハウを示したあとに、「たとえば、~ということがありました」というふうに、日常や仕事の中でそのノウハウが発揮された具体例が、逐一添えられているのだ。
 ゆえにわかりやすいし、例として挙げられたエピソード自体がそれぞれ面白いので、読み物としても楽しめる。たとえば――。

 著者は、新聞記事で見つけた「学校のノーチャイム制」(チャイムをなくしたら、かえって時間どおりに授業が始められるようになったという)と“センターラインのない道路”(愛知県のある道路でセンターラインをなくしたら、事故が半減したという)という2つの事例を、次のようにアイデアのノウハウにブレイクダウンしてみせる。

 なくすことで意識を向けさせる。この方法は、いろいろと応用ができそうです。たとえば、僕の仕事なら、テレビ番組で必ず効果音をつける部分にあえてなにも音をつけない、というのも違和感を生み出し、視聴者の意識を向かせることができる気がします。
(中略)
「足すばかりがアイデアではない。引くこともアイデア」
 既存のものをいじって新しいアイデアを出すときは、どうしてもなにかをプラスしがちです。しかし、マイナスすることで新しいアイデアが生まれることもある。プラス方向だけでなく、マイナス方向についても考えをめぐらせてみた方がいい。



 少し前に読んだ『アイデアパーソン入門』という本には具体例が一つも登場せず、それゆえのわかりにくさにウンザリしたものだったが、本書は対照的だ。

 ただ本書には、「これを読めばアイデアがポンポン出てくる」というような即効性はないと思う。説かれたノウハウを読者がそれぞれの立場で応用するためには、かなりの知的咀嚼力を要する書き方がされているからだ。
 明日やあさっての企画会議に役立つわけではなく、アイデアを生むための心構えを変えることで、ゆっくりと発想力を鍛えていくための本なのだ。

 バラエティ系放送作家だけに軽いタッチで書かれてはいるが、内容はかなり本質的で深い。アイデアというものの本質に迫っている。

さとう秀徳著『アイデア発想の基本』(日本能率協会マネジメントセンター)
 まれに見るクズ本。「仕事にすぐ役立つノウハウ集」と副題にあるが、微塵も役に立たない。
 著者が言っているのはあたりまえのことばかり。にもかかわらず、それらがあたかも独自の見解であるかのように誇らしげなのだからタマラナイ。
 小見出しをいくつか拾ってみると――。

「『ダメだ』とはじめから諦めず、一度はチャレンジする」
「テーマを具体的にしぼり込むと、いいアイデアが出る」
「広眼・視転、つまりさまざまな視点から広く柔軟に考える」
「グッドアイデアとは、テーマを達成するアイデアである」
「行動の基本は、今やるべきことに全力集中すること」
「問題はむしろ歓迎すべきである、逆手にとれ」

 あ、あのなあ……。
 これらのどこが「仕事にすぐ役立つノウハウ」なわけ?
 「そうか! はじめからあきらめずに一度はチャレンジすることが大切なのか! いやあ、知らなかった」と感心するような読者が一人でもいるとは思えない。ある意味「トンデモ本」。
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上原隆『友がみな我よりえらく見える日は』

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)
(1999/12)
上原 隆

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 上原隆著『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫/520円)読了。
 
 この人の本を読むのはこれが初めて。「日本のボブ・グリーン」と呼ばれている人なのだそうだ。たしかに、市井の人々を取材し、その人生ドラマを鮮やかな一閃で切り取る作風はボブ・グリーンに通じる。
 本書を「短編ルポルタージュ集」として紹介しているブログ等も散見されるが、ルポという感じではなく、あくまで「コラム」だと思う。ボブ・グリーンの作品を、「コラム」とは呼んでも「ルポ」とは呼ばないように。

 まあ、ジャンル分けなんてどうでもいいっちゃいいのだが、私の感覚では「ルポ」はジャーナリズム側に属するもので、「コラム」は文芸側に属する。上原隆は本書でジャーナリスティックに何かを告発したり、社会正義を振りかざしたりするわけではなく、ただ淡々と人々の人生をスケッチしているのだから、やはりこれはルポではない(ノンフィクションではあっても)。

 本書は、一般には「敗者」ないし「弱者」に分類されるであろう人々の、ミゼラブルな暮らしをおもに取り上げている。
 竹中工務店を退職していまはホームレスの男性、30代で芥川賞をとりながらいまはホームレス同然の暮らしをしている作家・東峰夫、容貌の醜さから一度も男性とつきあったことがない46歳の独身OL、離婚して独身生活を送る中高年男性たち、元不登校の高校生など……。

 彼ら彼女らの孤独な暮らしに、著者はただ静かに寄り添う。そして、観察記録でもつけるような淡々とした筆致で、人生の1ページを素描する。社会の歪みを糾弾したり、その人の生き方をさかしらに批評したりする言葉は、注意深く避けられている。

 上原隆の作風を一語で表現するなら、「寸止め」だと思う。ほかの作家ならもっと書き込んでしまうところを、書かずに禁欲する人なのだ。
 読みながらたびたび、「私ならこのシーンでもっと言葉を費やして彼の気持ちを表現するのに」とか、「この話、もっと長くてもいいのに」と思った。しかし、書き込みたい気持ちをぐっとこらえて「寸止め」するからこそ、深い余韻が生まれ、豊かなイメージが広がるのだ。

 玉石混淆で印象の薄い作品もあるが、出来のよいものはヘタな短編小説よりもずっと濃密な感動を与える。
 私は、東峰夫を取り上げた「芥川賞作家」と、「ネガ編集者」の女性を描いた「職人気質」、女優の卵の苦悩と葛藤を活写した「女優志願」の3編がとくに面白かった。

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小山龍介『整理HACKS!』

整理HACKS!―1分でスッキリする整理のコツと習慣整理HACKS!―1分でスッキリする整理のコツと習慣
(2009/06)
小山 龍介

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 小山龍介著『整理HACKS!――1分でスッキリする整理のコツと習慣』(東洋経済新報社/1575円)読了。

 この手の「整理術本」「知的生産の技術本」を見ると、脊髄反射的についつい買ってしまう。で、たいていはガッカリするのだが、これはよかった。
 図や脚注の入れ方など、隅々までていねいに作られている印象。先日読んでガッカリした『3時間で「専門家」になる私の方法』(佐々木俊尚)の「やっつけ仕事」感とは対照的だ。

 紹介されている計89の「ライフハック」の中には一部首をかしげるものもあるが、玉と石に分ければ玉(=「これは使える!」と思わせるハック)のほうが多く、それだけでもこの手の本の中では上出来の部類だと思う。一冊の中に使えるハックが一つもないような駄本だって少なくないのだから……。

 ただ、著者が提唱するハックの多くがiPhoneとScanSnap、SugarSyncを活用したものであるため、現時点ではいずれも使用していない私にはそれらは取り入れられない。そこが残念。

 うーむ。iPhone、ScanSnap、SugarSyncの3つくらい自在に使いこなせないと、いまどきの知的生産技術にはついていけないのだろうか。

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笠井紀美子『TOKYO SPECIAL』

TOKYO SPECIAL(紙ジャケット仕様)TOKYO SPECIAL(紙ジャケット仕様)
(2007/08/22)
笠井紀美子

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 笠井紀美子の『TOKYO SPECIAL』紙ジャケ盤を購入。1977年発表作を、2007年に復刻リリースしたものだ。

 笠井は日本の女性ジャズ・ヴォーカリストの草分けの1人だが、このアルバムはジャズというより「ジャズ寄りのAOR」という趣。ジャズのスタンダードは一曲もなく、収録曲はすべて本作のためのオリジナルで、歌詞はすべて日本語だ。彼女のキャリアの中でも異彩を放つ一枚なのだろう。

■収録曲目
01. バイブレイション
02. やりかけの人生
03. 夏の初めのイメージ
04. ベリー・スペシャル・モーメント
05. 人はそれぞれ・・・
06. TOKYO SPECIAL
07. 木もれ陽
08. テイク・ミー
09. 待ってて



 作詞は全曲とも故・安井かずみ。作曲陣には山下達郎、矢野顕子、筒美京平、横倉裕など錚々たる面々が並んでいる。編曲は故・鈴木宏昌で、演奏も鈴木率いる「コルゲン・バンド」(のちの「ザ・プレイヤーズ」)によるもの。
 
 1977年といえば、私はまだ中学生。そろそろ意識的に音楽を聴き始めたころである。このアルバムの一曲目「バイブレイション」は、ラジオでよくかかっていたのを覚えているが、当時の私には「ヘンな曲」としか思えなかった。
 しかし、30年以上を経たいま、YouTubeでふと検索して聴いてみたら、じつにカッコイイ曲ではないか。これって山下達郎作曲だったのかあ。

 しかも、達郎の曲「ラブ・セレブレイション」は、この「バイブレイション」のセルフ・カヴァーだというではないか。「ラブ・セレブレイション」は達郎の78年作『ゴー・アヘッド!』の冒頭を飾った曲で、私も大好きな曲だ。が、歌詞もアレンジもまるで違うし、あの曲が「バイブレイション」と同じ曲だとは、これまでまるで気づかなかった。

 いまの耳で聴いてみれば、「バイブレイション」はもろに初期の達郎サウンドである。私は、山下達郎はメジャー・ブレイク以前の初期ソロ・アルバム(『サーカス・タウン』『SPACY』とか)のほうが好きだ。まさに「あのころの達郎」そのままの曲。

 ……というわけで、「バイブレイション」のカッコよさにKOされて、このアルバムを注文したしだい。
 現在ヘビロ中なのだが、「バイブレイション」以外にもいい曲がいっぱい。AORといっても甘ったるさはまったくない。ジャズ、ソウル、フュージョンの要素をそれぞれちりばめた、クールでビターな大人のAORである。
 このアルバムと比較すべきは女性ジャズ・ヴォーカリストの諸作ではなく、アルファレコード時代の吉田美奈子あたりだろう。

 鈴木宏昌のアレンジがまことに素晴らしい。
 たとえば、M3「夏の初めのイメージ」は筒美京平作曲で、俗なアレンジを施したらただの歌謡曲になってしまうところ。それが、鈴木の洗練されたアレンジによって、「東京湾岸ボッサ」という趣の涼やかで上品な佳曲に仕上がっている。

 いうまでもなく、ヴォーカルもよい。すごくうまいのにさりげない、うまさをひけらかさないコケティッシュなヴォーカル。
 なお、笠井紀美子はのちにミニー・リパートンの元夫(音楽プロデューサー)と結婚し、音楽界を引退。いまは米国でジュエリー・デザイナーをしているらしい(!)。

 こんなにいいアルバムだとは思わなかった。1970年代後半の日本の音楽シーンは、じつに宝の山だなあ。

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佐倉統『進化論の挑戦』

進化論の挑戦 (角川ソフィア文庫)進化論の挑戦 (角川ソフィア文庫)
(2003/01)
佐倉 統

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 佐倉統(おさむ)著『進化論の挑戦』(角川ソフィア文庫/660円)読了。

 少し前に読んだ『新しい人間像を求めて』という論文集にこの著者も寄稿していて、その論文がすごく面白かった。で、「この人、只者じゃないなあ」と思って、旧著に手を伸ばしてみたしだい。

 この本も素晴らしい。第一級の科学啓蒙書である。進化論の歴史といまを手際よく概観したうえで、進化論をフィルターとして差別思想・フェミニズム・自然保護などを論じ、スリリングな知的冒険に読者を誘う快著。

(つづきます)

 
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「夢のみずうみ村」

 一昨日から仕事で山口県に行っていた。ユニークなデイサービスを提供している通所介護事業所「夢のみずうみ村」の取材である。

 湯田温泉というところにある「山口デイサービスセンター」と、瀬戸内海に面した「防府デイサービスセンター」をそれぞれ訪問。そのうえで、代表の藤原茂さん(作業療法士)にインタビューをした。熱いハートをもつ魅力的な方だった。

 「夢のみずうみ村」は最近テレビなどでもしばしば取り上げられているから、ご存じの方も多いだろう。「人生の現役養成道場」たることをモットーに、利用者の自己決定・自助努力を重んじる独自のリハビリ手法を展開している施設である。

 たとえば、全員一律でいっせいに行なうプログラムはここには存在しない。たくさんあるプログラムの中から利用者自身がやりたいことを選び、自由に行なっていくのだ。
 施設内では独自通貨「ユーメ」が用いられ、どのサービスを受けるにもこのユーメが必要になる。逆に、利用者は施設内でユーメを「稼ぐ」こともできる。利用者が一つの目標ををクリアしたら何ユーメが支給される、などというふうに、さまざまな「稼ぎ方」が用意されているのだ。

 払うユーメを計算したり、「稼ぎ方」を考えたりするプロセスそれ自体が、計算力や記憶力などのトレーニングになっている。しかも、中には「カジノ」というプログラムもあり、利用者同士がユーメを賭けてマージャンを楽しむ姿も見られる。

 「訓練のための訓練」は一つもなく、利用者がさまざまなプログラムを自由に楽しむうち、おのずと自立への意欲が引き出されていく。……そんな、まことに型破りな介護施設なのである。
 通い始める前は寝たきり状態だった利用者が自力歩行できるようになるなど、利用者の要介護度が劇的に改善する例も非常に多いという。

 高齢化社会の希望の光を見た思いがした取材であった。

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 翌日、飛行機の時間までに余裕があったので、湯田温泉の街を散策。のどかでたいへんよいところである。
 湯田温泉は詩人・中原中也の生まれ故郷でもあって、「中原中也記念館」もある。生家跡地に建てられたというこの記念館にも入ってみた。

 建物も展示レイアウトもすこぶる洗練されていてカッコイイのだが、いかんせん、ケースの中の展示物がパッとしない。中也の自筆原稿くらいしか見るべきものがないのだ。
 もっとなんかこう、「オオッ!」と思わせるブツはなかったものかね。いちばん有名な写真で中也がかぶっていた帽子の実物とか。

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ゲッツ板谷『真・板谷番付!』

真・板谷番付!真・板谷番付!
(2009/05/26)
ゲッツ板谷

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 ゲッツ板谷著『真・板谷番付!』(扶桑社/1365円)読了。

 『SPA!』に連載していた「板谷番付!」の単行本化第2弾。
 担当編集者から毎回出される「お題」に沿ってゲッツ氏が「ベスト10」を選出し、それにからめてコラムを書くという内容だ。
 
 同じ趣向のコラムとして、1980年代中盤に泉麻人が『ポパイ』に連載していた「街のオキテ」というのがあった。
 「迷惑なオミヤゲ」「ゲロのカッコイイ吐き方」「披露宴における迷惑ユーモア」「都市郊外に現れるアブネー看板」「いま危険な宴会芸」「東京23区の偉い順」などというお題に沿って、泉麻人がシニカルなランキングをつけていくコラムであった。

 「街のオキテ」はすこぶる面白いコラムで、私はいまでもあれこそ泉麻人のマスターピースだと思っている。80年代の流行を知らないいまどきの若者にも十分笑えると思うので、未読の方は新潮文庫版などを古書店で探されたし。

 この『真・板谷番付!』は、「街のオキテ」と比べるといまいち笑いのボルテージが低い。
 それは一つには、ゲッツ氏が脳内出血から復帰してリハビリ中だった時期に書かれたからだろう。本書でも、後半に行くに従ってだんだん復調している印象がある。

 あと、担当編集者が出すお題が、あまりにもつまらなすぎ。
 「よく間違える漢字」「好きな四文字熟語」「嫌いな生き物」「座右の銘にしたい言葉」「好きなマンガ」「つい見てしまうTV番組」「どうしても苦手な食べ物」「ガッカリした映画」……。
 こんなひねりのないお題を出されて、お笑いコラムにするのは至難の業だろう。ゲッツ氏に同情してしまう。
 とくに、「好きな調味料」というわけのわからぬお題を出された回には、ゲッツ氏も文中で「まったく出題者のシンボさんも何を考えてんだよ」とあきれた様子で、お題とは1ミリも関係ない内容のコラムにしていた(笑)。お題そのものが笑えた「街のオキテ」を見習えと言いたい(唯一、「七曲署に配属されたら付けられそうなアダ名」というお題はよかったが)。
 
 なお、毎回のコラムに天久聖一画伯がカラー1ページのマンガを添えているのだが、これがものすごくシュールで笑えてサイコー。すべてカラーのままで収録された天久聖一のマンガのためだけに、本書を買う価値がある(キョーレツなカバーイラストも天久によるもの)。

 それから、「フリーライターで良かったと思う点」というお題が出された回があって、そのときのランキングに同業者としていたく共感したので、以下に引用しておく。

お題32/フリーライターで良かったと思う点
1位/目が覚めた時が朝!
2位/バカな上司も使えない部下もいない
3位/通勤時間がゼロ
4位/1年に1回ぐらいしか人に怒られない
5位/書きたくないことは書かなくてもいい
6位/書きたくない日は書かなくてもいい
7位/家族のバカを目撃した瞬間、(はい、いただきっ!)とガッツポーズ
8位/飯を食いながら書いても、途中でオナニーしても自由
9位/仕事をするのにお金がかからない
10位/何となく利口そうな感じが漂う



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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

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