『二十歳の原点』

二十歳の原点(+2)(紙ジャケット仕様)二十歳の原点(+2)(紙ジャケット仕様)
(2007/04/11)
四人囃子

商品詳細を見る


 ケーブルテレビで録画しておいた『二十歳の原点』を観た。1969年に20歳で鉄道自殺した立命館大学の学生・高野悦子の同名手記を映画化した、1973年作品。
 現在に至るまでビデオ化もDVD化もされていないこの映画は、このようにケーブルテレビで観るくらいしか接する機会がない。

 高野悦子の『二十歳の原点』といえば、私は少年時代、不吉な黒い表紙の単行本を古本屋で買って読んだことがある。本のカバーそでや口絵に載っていた著者のポートレイトの、淋しげな美しさに心惹かれた。

 しかし、私自身に高校生の娘がいるいまの時点でこの映画を観ると、ヒロインよりもその父親のほうに感情移入してしまう。逆に、学生運動をしながらさまざまな矛盾を感じるヒロインの苦悩には、微塵も共感できない。

 親のスネをかじって大学に通いながら「革命ごっこ」に興じているだけのくせして、ヒロインは何を深刻ぶっているのか。……と、死者に鞭打つようなそんな感想しか抱けない。

 私が思うに、高野悦子という人は典型的な文学少女であって、政治活動になどおよそ不向きな女性だった。しかし、60年代末の熱い「政治の季節」に青春をすごしたばかりに、否応なしに政治の渦に呑み込まれてしまった。そこに悲劇があった。
 もう10年遅く生まれていたら、彼女は美人作家として一世を風靡したかもしれないのに……。

 主演の角(すみ)ゆり子が、たいへんよい。ストレートな黒髪の真面目そうな美人で、高野悦子のイメージにぴったりである。絵に描いたような明眸皓歯。真っ白い歯と澄んだ瞳が、キラキラ輝くようだ。
 映画の中のほかの大学生がみんなオジサン・オバサンにしか見えない(まあ、そういう時代だったのだ)こともあって、角ゆり子がいっそう光って見える。

 だが、角ゆり子の美しさ以外の美点は見当たらない。
 プログレッシヴ・ロック・グループ「四人囃子」が音楽を担当したことでも知られる作品だが、音楽もパッとしない。言われなければ四人囃子の演奏だとは気づかないくらい、ごくフツーのどうってことない音楽である。

関連記事

小谷野敦『美人好きは罪悪か?』

美人好きは罪悪か? (ちくま新書)美人好きは罪悪か? (ちくま新書)
(2009/06)
小谷野 敦

商品詳細を見る


 小谷野敦著『美人好きは罪悪か?』(ちくま新書/818円)読了。
 
 「美人好き」として知られる著者が、歴史・文学・絵画・映画の中の美人や、往年のアイドルや美人作家たち、果てはラブドールの美人顔に至るまで、さまざまな分野の“美人をめぐるあれこれ”を綴った、肩の凝らないエッセイ集。「美人論」というほどかしこまった内容ではない。

 私もまあ、人並みに美人は好きだし、美人について語る愉しさもわかるので、面白く読めた。
 「知的美人の居場所」「不美人ヌードの味わい」「ならば美人作家はふんだんに美を利用すべし!」とか、目次の小見出しを見ただけでニヤリとしてしまう。

 第7章「歴史のなかの美人」が途中から美人とは関係ないトリヴィアルな歴史論争ネタになっていたり(「淀君」と「淀殿」はどちらの表記が正しいか、とか)、すぐに余談に走ったりして、なんだかまとまりのない本である。でもまあ、余談部分も含めて楽しめる。

 次の一節のように、「そうそう、そのとおり」と同意するツボがたくさんある。

 『AERA』という週刊誌は、表紙にでかでかと有名人の写真を載せている。電車内の中吊り広告でもその写真が中央にあって、時おり、美女が登場していることがある。私など、「お、誰だ誰だ」と近寄って見て、女優の名があると「なんだ、女優か」と思う。



 『AERA』は文化人をよく表紙に据えるから、文化人の中の新たな美人を「発見」する楽しさがある。しかし女優の場合、美人なのがあたりまえだから「発見」の楽しさには結びつかない……というところかな、この「なんだ」の中身は。

 著者は本書で、まだ自分の美人観を語り尽くしていないのではないか、との印象をもった。

 たとえば、美人作家についてのくだりでは、かつて某誌で「三大美人作家てい談」なるものをやったこともある高樹のぶ子・鷺沢萠・松本侑子や、一時期は美人作家の代名詞的存在であった松浦理英子らにまったく言及していない(たんに好みじゃないのかもしれないが)。
 また、高学歴知的美人がめっぽう好きな著者のわりには、高学歴知的美人の宝庫であるニュースキャスター/アナウンサー系美人についてまったく言及していない。

 それに、著者がブログでたまに書いているような、古い特撮番組の中の美人の魅力とか、「わかる人にだけわかる」マニアック美人について語った章があってもよかった気がする。

 美人の写真をふんだんに掲載した第2弾を期待したい。

 それにしても、著者にとっての「美人」のストライクゾーンは、ちょっと変わってるなあ。
 著者は「夏目雅子も美人だとは思わない」、「原節子も、私には美人に見えない」などと書くいっぽうで、ノンフィクション作家の最相葉月について「そこそこの美人である」などと書いている。ううむ……。
 そういえば、著者のブログには「どこそこの大学教授が美人である」といった記述がよくあって、私はそのつど画像検索とかしてみるのだが(笑)、2回に1回くらいはガッカリする。

 まあ、私自身の美人基準もかなり偏ってる(自覚アリ)から人のことは言えないし、そうしたズレも含めてこの手の本は面白いのだが……。

関連記事

『濹東綺譚』

墨東綺譚 [DVD]墨東綺譚 [DVD]
(2001/10/10)
津川雅彦墨田ユキ

商品詳細を見る


 ケーブルテレビで録画しておいた『濹東綺譚』を観た。永井荷風の代表作を新藤兼人監督が映画化(脚本も新藤)した1992年作品。

 荷風の原作は10代のころに一度読んだことがあるきりで、もう細部の記憶もおぼろげだが、「つまらない小説だなあ」と思ったことだけはよく覚えている。期待していたエロい描写もなかったし(笑)。

 しかし、この映画版はたいへん面白かった。『濹東綺譚』のストーリーをベースにしたうえで、荷風の日記『断腸亭日乗』の内容を随所に織り込み、主人公を荷風自身に置き換えて、まったく新しい作品に生まれ変わらせている。

 津川雅彦の荷風もよいが、なんといっても、ヒロインの娼婦・お雪を演ずる墨田ユキが素晴らしい。演技はけっしてうまくないのだが、典型的うりざね顔の絵に描いたような和風美人で、これ以上ないハマり役。
 「気立ての優しい子でね。それに、この稼業を少しも苦にしていません」と私娼窟の女将(乙羽信子が好演)が言うとおり、明るくけなげで、しかも哀しみを内に秘めた儚げなヒロインのキャラクターを、十全に表現している。
 墨田ユキのジャパネスクな美しさを堪能するための映画といってもよい。彼女に比べると、いまどきの女優はみんなすっかりバタ臭い顔になってしまったなあ、と思う。

 開巻から30分以上がすぎてようやくヒロインが登場してくる構成も、絶妙の効果を上げている。観客(の男)もまた、「やっと探し求めていた女と出会えた」という思いを主人公と共有するのだ。
 また、2人が別れていく終盤の深い哀感も心に残る。

関連記事

信田さよ子『共依存・からめとる愛』

苦しいけれど、離れられない 共依存・からめとる愛苦しいけれど、離れられない 共依存・からめとる愛
(2009/05/07)
信田 さよ子

商品詳細を見る


 信田さよ子著『共依存・からめとる愛――苦しいけれど、離れられない』(朝日新聞出版/1680円)読了。
 ベテラン臨床心理士の著者が、カウンセリングの現場で出合った実例をふまえ、夫婦や親子の「共依存」関係を読み解いた一冊である。 

 この著者の本を読むのは、『依存症』『アダルト・チルドレンという物語』『母が重くてたまらない』に次いでこれで4冊目。前3冊同様、すこぶる示唆に富む内容であった。誤解を恐れず言えば、彼女の本はヘタな小説よりも面白く、文学的感動に満ちているのだ。

 本書もしかり。共依存の事例を通して、著者は夫婦愛や親子愛の裏側にある支配・被支配関係を容赦なくえぐり出していく。そのさまが、一級の文学者が「人間を描く」手際の鮮やかさを思わせる。

 たとえば著者は、アルコール依存症の夫をもつ妻が、夫をケア(さまざまな形で面倒をみること)する過程で、じつは深い満足感とある種の快楽を得ていると指摘する。

 ケアすることでもたらされる満足は、彼女たちにとって希少な容認された満足である。何しろケアは、すればするほど評価が高まり、誰もが批判できない行為なのだ。(中略)女性というジェンダーゆえに強制された行為を逆手にとって、男性を巧妙に支配し、満足感を得るのである。
(中略)
 忍耐と苦労ばかりの生活にあって、これらの満足感だけが砂漠のオアシスのように感じられるとしたらどうだろう。結果としてもたらされた感覚を享受するだけでなく、能動的にケアの快感を獲得するようになるかもしれない。彼女たちは夫からふりまわされる存在から反転し、むしろケアを求めるように夫を操作するようになるだろう。絶えずアルコール依存症の夫が自分のケアを求めていなければ、ケアの与え手としての快楽を味わうことはできないのだから。夫が酒をやめようとすれば、それはケアの与え手としての自分が必要なくなることを意味するので、それとなく挑発して夫を再飲酒に追い込むこともあるだろう。私は何例かこのような妻の態度を目の当たりにした経験がある。

 

 まさに「共依存」。弱者と弱者が依存し合い、がんじがらめになった無惨な愛情関係。
 だが著者は、共依存をただ否定的にとらえるのみではない。もう一重立ち入って、弱者が「生き延びていくための有効なスキルの集積でもある」ととらえるのだ。「生き残っていくためには、時としてそんなスキルを用いるしかないときもあるだろう」と……。

 文芸誌『小説トリッパー』に連載されたものであるため、本書は信田氏のほかの著作よりもいっそう文学的香気が強い。
 また、映画や小説、テレビドラマを例に共依存関係を読み解いた章もある。そのうち、『冬のソナタ』に描かれた恋愛を共依存関係として解釈した回はこじつけ臭かったが、映画『ジョゼと虎と魚たち』や山田詠美の小説「間食」(『風味絶佳』の一編)を例にした回はたいへん面白かった。
 私は山田あかねの『まじめなわたしの不まじめな愛情』こそ共依存を描いた最高の小説だと思っているが、信田氏はあの小説を読んだだろうか? ぜひ感想を聞いてみたい。

 そのほか、印象に残った一節をメモ。

 アルコール依存症はアルコールへの依存なのではないか、と思われるかもしれない。確かに彼らは「酒さえあれば妻なんかいらない」と日常的に放言している。しかし大草原のパオの中でひとりで酒を飲めれば天国かといえばそうでもないのだ。自分の飲酒によって影響を受けてくれる人がいること、自己破壊の淵まで追い詰められそうになったときそこから引き戻してくれる人がいることで、彼らは「安心」してアルコールに依存するのだ。



 息子のために尽くす母親は社会から立派な母としての称号を与えられている。それは彼女にとって、誰からも責められることのない防御壁として機能する。ましてその息子が引きこもりであれば、Bさんは誰よりも不幸な母として同情されこそすれ、ねたんだり批判されたりすることはない。こうして不幸な母という符丁と引き換えにBさんは世間を味方につけたのである。



 共依存の特徴は、このよりかかる他者が必ず自分より弱者であることだ。強者であれば単なる依存に過ぎない。(中略)
 共依存は、弱者を救う、弱者を助けるという人間としての正しさを隠れ蓑にした支配である。多くは愛情と混同され(支配される弱者も愛情と思わされ)、だからこそ共依存の対象はその関係から逃れられなくなる。



 かわいそうな他者をわざわざ選ぶ人、なんらかの障害をもった他者に近づく人は珍しくない。これらは、ヒューマニズムあふれる自己犠牲的選択に見えるが、「かけがえのなさ」が非対称的であれば、そこから容易に共依存という対象支配が生まれる。ところが相手に尽くしているとしか考えないひとたちは、支配していることに無自覚である。



 不幸な事態はひとを意気消沈させるだけではない。いっぽうで何かを発散させるのではないかと思う。それがしばしば興奮した語りとなり、Cさんのような満面の笑みだったりするのだろう。私にはその笑みの意味がよくわかる気がする。あきれるほど悲惨な現実に直面しているひとほど(特に子どものことで)、奇妙な笑顔とともにそれを語るのだ。
(中略)
 極度の飢餓状態に陥ると、時には異様な多幸感に襲われることもあるという。摂食障害の自助グループでは「やせぼけ」という隠語が用いられるほど、やせが進行すると精神状態が変容するのだ。このように過酷な状況を生きるために、さまざまな生体維持の反応が生み出されている。とすれば、夫婦の愛、夫への信頼という結婚生活の柱がぽっきり折れてしまった女性が、それでも結婚生活を維持していくためにどのような反応が生み出されるのだろうか。
 Cさんの異様なパワーは、なんの望みもない現実に対する生体維持の反応なのかもしれない。



関連記事

佐々木俊尚『3時間で「専門家」になる私の方法』

3時間で「専門家」になる私の方法3時間で「専門家」になる私の方法
(2007/09/11)
佐々木 俊尚

商品詳細を見る


 木曜から日曜にかけ、取材で宮崎へ。東国原知事とはなんの関係もない取材である。日帰り取材の多い昨今なので、3泊4日は久々。

 途中、昼間の時間がポッカリ空いた1日があったので、1人であちこち見て回る。「フローランテ宮崎」という、花いっぱいのテーマパークがなかなかよかった。よくある「○○フラワーパーク」とは違って、個人のガーデニングの手本をたくさん集めるような形で園内が構成されている。そのコンセプトが新鮮だ。
 平日昼間に行ったこともあり、客がほとんどいなかったのもよかった(笑)。ほぼ貸し切り状態で、花と緑の空間をゆっくり散策して癒された。

-----------------------------------------------
 
 飛行機の中で、佐々木俊尚著『3時間で「専門家」になる私の方法――ITジャーナリストの超情報収集・整理術』(PHP研究所/1365円)読了。

 「3時間あれば、インターネット上に存在しているさまざまな情報を収集し、それを自分の知見として取り込んで、その分野に関して専門家に近い認識を得られるようになります」という著者が、そのための「具体的なメソッド」を開陳したもの。

 ……なのだが、思いっきり期待外れの内容だった。
 「ITジャーナリストだから、さぞかし先端IT技術を駆使してモノスゴイ情報収集をしているのだろう」と思いきや、著者の「メソッド」は私がふだんやっているのと変わらないことばかりだったのである。
 著者自身も、次のように書いている。

 わたしがここまでにやってきたような情報収集スキルは、実のところネットに精通している人であれば、誰でも無意識にやっているような作業に過ぎません。それを読んでわかるように可視化したのが、これまでわたしが説明してきた内容です。



 「可視化」といえば聞こえはいいが、言わずもがなのことが馬鹿ていねいに説明されているだけにすぎない。
 しかも、「○○で検索したところ、このような結果となりました」というふうに、いちいち検索結果を引用するページ稼ぎが多すぎ。その部分は「コピペで一丁あがり!」なわけで、なんともお手軽な作りの本である。たぶん、1週間くらいで書き上げていると思う。

 唯一「なるほど」とヒザを打ったのは、“新聞記事データベースで一つのテーマを調べる際、記事内容別にヒット件数を「マトリックス化」してみると、時代の潮目が見えてくる”という指摘。
 データベースのヒット件数の推移から時代の変化を感じることは私にもよくあるが、さすがに「マトリックス化」(=「○○分野の記事は1997年に何件、2007年には何件」などという経年変化を表にしてみる)まではしたことがなかった。

  
関連記事

『デトロイト・メタル・シティ』

デトロイト・メタル・シティ スタンダード・エディション [DVD]デトロイト・メタル・シティ スタンダード・エディション [DVD]
(2009/02/13)
松山ケンイチ加藤ローサ

商品詳細を見る


 『デトロイト・メタル・シティ』をケーブルテレビで観た。同名マンガを松山ケンイチ主演で映画化したもの。

 キワドイ原作を無難な「いい話」にソツなくまとめて、なかなかのもの。「親子で楽しめるデスメタル・コメディ」(笑)という感じ。じっさい、我が家の子ども2人(高1と小6)も大受けだった。

 次々にくり出されるギャグは「ドリフの大爆笑」並みにベタベタだが、それでも大いに笑えるし、映画にパワーがある。

 二枚目も三枚目もきっちりこなす松山ケンイチの器用さに脱帽。若くして、すでに日本映画の中に独自の立ち位置を確保している感じ。

 後半に登場するアメリカからやってきた「メタルの帝王」って、キッスのジーン・シモンズが演じていたのだね。ちょっとビックリ。キャストがムダに豪華(笑)。

 観たあとに何も残らないが、つかの間の娯楽としてハイクオリティーな映画。

関連記事

『忌野清志郎 青山ロックン・ロール・ショー 2009.5.9 オリジナル・サウンドトラック』

忌野清志郎 青山ロックン・ロール・ショー2009.5.9 オリジナルサウンドトラック忌野清志郎 青山ロックン・ロール・ショー2009.5.9 オリジナルサウンドトラック
(2009/07/29)
忌野清志郎RCサクセション


 
  『忌野清志郎 青山ロックン・ロール・ショー 2009.5.9 オリジナル・サウンドトラック』(マイルストーンクラウズ/通常盤3800円)を、サンプル盤を送ってもらってヘビロ中。7月29日発売予定。
 
 さる5月9日に東京・青山葬儀所で行なわれた清志郎の告別式は、「青山ロックン・ロール・ショー」と銘打たれた。4万人以上ものファンが弔問に訪れ、約12時間にも及んだ同式は、RCサクセション時代からの清志郎の代表曲を多数流す形で行なわれたのだ。

 このアルバムは、告別式で流された全33曲を、リマスタリングのうえSHM-CD仕様で、曲順まで当日のままに再現して2枚組にぎっしりと収録したもの。「オリジナルサウンドトラック」というタイトルがこころにくい。

 RCのデビュー・シングル「宝くじは買わない」(1970年)から、逝去後に発売されたラスト・シングル「Oh! RADIO」までを網羅しており、40年近い清志郎の全キャリアを横断した実質的なオールタイム・ベストとなっている。坂本龍一とコラボしたヒット曲「い・け・な・いルージュマジック」もあれば、ザ・タイマーズの曲やTHE2・3Sの曲もある。アルバムの性質上、「お買い得」などという言葉を使うのは不謹慎だが、結果的に上出来のベスト・アルバムになっている。

 収録曲のいくつかは、歌詞の内容がまるでこの日のために用意されたかのようだ。たとえば、RCの曲「空がまた暗くなる」の次のような歌詞を聴いていると、「オレの死を悲しむな。前を向いて進め」と清志郎が天上から語りかけているようにも思えて、泣ける。

 おとなだろ 勇気をだせよ
 おとなだろ 知ってるはずさ
 悲しいときも 涙なんか
 誰にも 見せられない



 ラストを飾るのは、「雨上がりの夜空に」のライヴ・バージョン。
 「最後までこんなに盛り上がってくれて、どうもありがとう」などという清志郎のMCもそのまま収録されており、それがファンへの別れのあいさつのように聞こえる。制作者の粋なはからいだ。

 清志郎へのリスペクトが隅々にまであふれた、ファン必携の追悼アルバムに仕上がっている。
 なお、初回限定盤には、式当日にスタッフが着ていたTシャツの色違いヴァージョンが同梱されている(値段がちょっと高いけど)。

関連記事

田中明彦『ポスト・クライシスの世界』

ポスト・クライシスの世界―新多極時代を動かすパワー原理ポスト・クライシスの世界―新多極時代を動かすパワー原理
(2009/03)
田中 明彦

商品詳細を見る


 田中明彦著『ポスト・クライシスの世界――新多極時代を動かすパワー原理』(日本経済新聞社/1890円)読了。

 国際政治学者(東大大学院教授)の著者が、“昨年来の「100年に1度の経済危機」は、世界をどう変えるのか?”という問いに答えた本。

 この著者が2000年に上梓した『ワード・ポリティクス』読んだとき、「いかにも学者然とした読みにくくてまわりくどい文章を書く人だなあ」という印象を受けた。対照的に、本書には論文臭がなく、平明で読みやすい。版元の求めに応じて「集中講義のような形で口述」してまとめたものだそうだから、そのためだろう。

 著者は、1996年の『新しい「中世」』で、冷戦後の世界システムの見取り図を提示した。本書もその延長線上にある。著者は現在の危機を、「冷戦終結以来20年くらい続いてきたさまざまな危機の最終局面」としてとらえているのだ。

 第1章では、1930年代の金融・経済危機がナチスの台頭や日本の軍国主義化に結びついたことをふまえ、当時との対比によって、現在の危機が同様の破局につながる危険性が検討される。
 続く第2章では、危機以後の大国間のパワー・バランスの変化が予測される。著者は、中国・インドの台頭などによって、世界は新たな「多極の時代」に向かうと論ずる。

 第3章は、今後の国際政治を動かす「パワー原理」についての考察。
 著者は、危機以後の世界では国際政治において「知識をベースにした陳述能力」が重要になる、と指摘する。ジョセフ・ナイの提唱した「ソフト・パワー」とも通ずる認識であり、『ワード・ポリティクス』の主題をさらに深めた章といえる。これからの国際政治では、軍事力や経済力以上に「言力」が大きな意味を持つ、と著者は言うのだ。

 そして後半は、より具体的な各論。4章では危機以後の米オバマ政権の動向、5章ではアジア各国の動向がそれぞれ分析される。そして終章は、日本が危機以後の国際社会でいかなる役割を果たすべきかの提言となっている。

 著者は現今の経済危機を歴史の中に位置づけ、冷戦後の20年間に世界に起きたことを手際よく概観する。複雑で混沌として見える国際政治の「いま」と「これから」を、鋭利な知性の刃で鮮やかに腑分けした快著。

関連記事

荘司雅彦『六法で身につける荘司雅彦の法律力養成講座』

六法で身につける 荘司雅彦の法律力養成講座六法で身につける 荘司雅彦の法律力養成講座
(2009/01/24)
荘司 雅彦

商品詳細を見る


 荘司雅彦著『六法で身につける荘司雅彦の法律力養成講座』(日本実業出版社/1575円)読了。
 
 「平均的弁護士の約10倍のペースで」事件をこなしているという超・売れっ子カリスマ弁護士の著者が、おもに法律の素人向けに書き下ろした六法入門である。

 本書一冊で、私が4000以上もの「基本条文」である六法のキモを伝授いたします。それさえ知っておけば下手な法律家よりも法律家としての実力がつき、ビジネスでも家庭生活でも、はたまた資格試験でも、抜群の法律センスが身につきますから。



 著者は、第1章でそう豪語する。「抜群の法律センスが身につ」くうんぬんは大げさだが、「六法のキモ」がわかりやすくまとめられているのはたしか。
 これほどわかりやすい法律入門に、私は初めて出合った。笑いをちりばめ、的確なたとえ話を自在に駆使して、六法全書の形で読めばチンプンカンプンであろう事柄を、これ以上ないほどかみくだいてレクチャーしてくれる。

 本書に書かれていることは、大学の法学部を出た人から見れば「あたりまえ」のことがほとんどなのだろう。しかし、私のようなド素人には目からウロコの記述満載。再読・三読する価値のある入門書だと思う。

関連記事

『のら猫の日記』

のら猫の日記 [DVD]のら猫の日記 [DVD]
(2004/12/01)
スカーレット・ヨハンセンマリー・ケイ・プレイス

商品詳細を見る


 ケーブルテレビで録画しておいた『のら猫の日記』を観た。
 1996年に作られた、スカーレット・ヨハンソンの初主演作。いまをときめく人気女優も、当時は11歳か12歳。汚れを知らないういういしい美少女ぶりが見られる。

 最近の汚れを知ってしまった彼女(笑)もセクシーでよいのだが、この映画の彼女はロリロリでとてもカワイイ。『ユリイカ』のときの宮崎あおいを彷彿とさせる。

 『のら猫の日記』という邦題がとてもいい(原題は「MANNY & LO」で、主人公の姉妹の名前をそのままタイトルにしたそっけないもの)。みなしごの姉妹が盗みなどをくり返しながらあてどない二人旅をする物語に、この邦題はぴったりである。

 いかにも低予算という感じの小品だし、ストーリーはずいぶん強引だが、映像から音楽まで物寂しげなトーンで統一された風変わりなロード・ムービーで、なかなか心に残る。

関連記事

辺見じゅん『収容所から来た遺書』『ダモイ遥かに』

収容所(ラーゲリ)から来た遺書  文春文庫収容所(ラーゲリ)から来た遺書 文春文庫
(1992/06)
辺見 じゅん

商品詳細を見る


 辺見じゅん著『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫/530円)、『ダモイ遥かに』(メディアパル/1575円)読了。

 『収容所から来た遺書』は、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した1989年の作品。私は初読。

 仕事の資料として読んだのだが、途中から仕事を忘れて没頭。これは傑作。ノンフィクションの醍醐味を味わった。

 戦後、シベリアの抑留日本人収容所で亡くなった名もなき日本人――山本幡男を主人公にした作品。

 終戦後、山本の遺族が暮らす家に、彼と同じ収容所にいたという男が訪れ、山本に託された長文の遺書を届ける。遺書は、母親・妻・子どもたちにそれぞれ宛てられていた。
 収容所ではスパイ防止のための厳しい検閲があり、書いたものを持ち帰るなどできなかったはず。なのに、なぜ長文の遺書が……? そこには感動の人間ドラマがあった。男たちは、敬愛する山本が命の最後の火を燃やして綴った遺書を届けるため、分担してその内容を懸命に暗記したのだった。

 終盤に描かれる遺書をめぐるドラマだけでも十分感動的だが、そこまでの収容所生活を描いた章も胸を打つ。誰もが絶望に陥りがちな苛酷きわまる収容所生活。その中にあって、山本はほかの収容者たちに生きる希望を与える役割を果たした。彼らが必死で山本の遺書を遺族に届けたのは、そのことへの恩返しにほかならなかった。

 きわめて知的で文学にも造詣が深かった山本は、収容者からメンバーをつのって句会を始める。名づけて「アムール句会」(アムールは河の名)。日本語を紙に書くとスパイ行為を疑われるから、外に出た際に地面に棒きれで字を書いて句を詠み合った。
「ぼくたちはみんなで帰国するのです。その日まで美しい日本語を忘れぬようにしたい」
 ――山本は、句会の折にそう語ったという。

 俳句とは無縁な生活をしてきた竹田の心に、山本の語りかける話はいつもしみ入るように落ちた。牡丹江の憲兵だったために戦犯とされた竹田には、アムール句会が「ハバロフスク大学」のように思えた。


 
 極限状況にあっても、「文化の力」「人格の力」で周囲に希望を与え得る一群の人々がいる。
 ネルソン・マンデラは獄中でほかの囚人に勉強を教え、それは「マンデラ大学」と呼ばれたという。吉田松陰も、野山獄で荒くれ者の囚人たちに学問を教え、年長の彼らから「先生」と呼ばれ敬愛された。山本幡男もまた、彼らと同列の「偉人」と呼ばれてしかるべきだろう。
 世が世なら――極寒のシベリアで無惨なガン死を遂げることなく戦後日本に生きたなら、山本はアカデミズムの世界で名を成すか、あるいは優れた作家になったのではないか。

 絶望を希望に変える「文化の力」の偉大さを、改めて思い知らされる作品。フランクルの『夜と霧』を彷彿とさせる部分もある。
 
 もう一冊の『ダモイ遥かに』は今年刊行されたもので、『収容所から来た遺書』と同じ話を小説仕立てにし、対象年齢を下げたもの。中高生でも読めるように書かれている。「ダモイ」とは帰国を意味するロシア語だ。

 山本と架空のソ連人少女・ミーシャとの塀越しの交流のエピソードなど、フィクションによる彩りが何点か加えられているが、基本はまったく同内容。なので、『収容所から来た遺書』をすでに読んだ大人の読者は読む必要なし。

 
関連記事

松岡正剛『多読術』

多読術 (ちくまプリマー新書)多読術 (ちくまプリマー新書)
(2009/04/08)
松岡正剛

商品詳細を見る


 松岡正剛著『多読術』(ちくまプリマー新書/840円)読了。
 ウェブ上の「千夜千冊」でも知られる読書の達人・セイゴオが、読書の悦楽とセイゴオ流読書術を語った本。

 ちくまプリマー新書は基本的に中高生対象だが、本書は中高生にはちとムズカシイのではないか。担当編集者がセイゴオにインタビューする形でまとめられたものなので語り口は平明だが、中身はかなりハイブラウな、ある程度の読書遍歴を経た人でなければわかりにくい読書論になっているのだ。

 『多読術』というタイトルは誤解を招きやすいと思う。このタイトルだと、巷にあふれる速読術の本のように、「いかに効率よく読書をするか?」を説いたビジネス書だと思われかねない。セイゴオがそんな本を書くはずがないのであって、本書はむしろ、ビジネス書的な「効率重視の読書論」の対極にある内容となっている。

 たとえば、セイゴオは次のように言う。

 ぼくはときどき読書シンポジウムのようなところへ引っ張りだされたり、「ビジネスマンに役立つ読書特集」といった雑誌企画につきあわされるんですが、これにはいつも困るだけです。「役に立つ読書」について聞かれるのがつまらない。それって、「役に立つ人生って何か」と聞くようなものですよ。そんなこと、人それぞれですよ。
 むしろ「読書は毒でもある」ということを認めていったほうが、かえって読書は面白くなると思います。これはとても大事なことで、本はウィルスでもあるし、劇薬でもあるんです。その一方で漢方薬でも抗生物質でもあるけれど、だからといってすべての読書において対症療法のように本を読もうとするのは、いささかおかしい。そんなことはムリです。そのことも勘定に入れておいたほうがいいですね。
 読書とはそもそもリスクを伴うものなんです。それが読書です。ですから、本を読めばその本が自分を応援してくれると思いすぎないことです。背信もする。裏切りもする。負担を負わせもする。それが読書です。だから、おもしろい。



 「何かの役に立てるための読書」ではなく、読書という行為そのものの愉しさと深みを、書物の大海原に漕ぎ出してさまざまな本と出合うスリルを、セイゴウはさまざまな角度から語る。
 読書好きなら「あー、わかるなあ、その感じ」とうなずきたくなる一節が随所にある、含蓄深い読書論。

関連記事

中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』


ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)
(2009/04/17)
中川淳一郎

商品詳細を見る


 中川淳一郎著『ウェブはバカと暇人のもの――現場からのネット敗北宣言』(光文社新書/798円)読了。

 ニュースサイトの編集者(「日刊アメーバニュース」編集責任者)をつとめる著者が、インターネットのネガティブな側面をグリグリとえぐり出す現場報告。本書の中でもくり返し言及される梅田望夫のベストセラー『ウェブ進化論』への、アンサーソングならぬ“アンサーブック”ともいうべき一冊。

 私はネットの使い方・発信情報について、「頭の良い人」「普通の人」「バカ」に分けて考えたい。梅田氏の話は「頭の良い人」にまつわる話であり、私は本書で「普通の人」「バカ」にまつわる話をする。



 ネットが育む「集合知」についての夢を語る梅田望夫に対し、著者はネットが増幅する「集合愚」を慨嘆する。リアル世界では平凡で無害な人間が、ネットの匿名世界で暴走し、集団クレーマーと化し、安全圏から弱者を吊し上げる例など、「集合愚」の例がこれでもかとばかり列挙されていく。

 90年代中盤までのネット黎明期はさておき、いまやネットは最も安価な娯楽と化し、バカと暇人ばかりが幅をきかせているではないか。なーにが「Web2・0」だ……という感じの本。

 仕事でネットの現場最前線に立ち、「バカと暇人」からのクレーム等に日々さらされている人の言だけに、著者の主張には重い説得力がある。

 著者が言うネットの負の側面について、ネットを日常的に利用する者なら誰もが知っているわけだが、それでも「そんなの知ってらあ!」という感じにはならず、面白く読める。ネットの負の側面について、著者のように語った人はいそうでいなかったからである。
 著者は、眉根にシワ寄せて「ネットの闇が」うんぬんと正義を振りかざしたりはしない。もっと軽快かつアイロニカルに、梅田望夫に代表されるネット理想論を、論点ごとに反証を挙げて笑い飛ばしてみせるのだ。

 とくに面白いのは、第3章「ネットで流行るのは結局『テレビネタ』」と、第4章「企業はネットに期待しすぎるな」。

 前者は、「テレビの時代はもう終わった。いまはネットの時代だ」というしたり顔の通説に冷水をぶっかけて痛快。著者はネット最前線での見聞をふまえ、「最強メディアは地上波テレビ。彼らが最強である時代はしばらく続く」と断言する。

 後者は、企業等でネットにかかわる部署にいる人は必読の内容だ。
 著者は「ネットでブランディングはできない」「先にバカをした企業がライバルに勝利する」(以上、小見出しタイトル)と言い切り、次のように結論づける。

 (企業は)ネットでバカなこと、B級なことができないのであれば、ネットでは最低限の情報公開を除き、何もすべきではない。クリックされず、さらにリスクを恐れている状況では、ネットを使いこなせるわけがないのだ。



 書名から想像した内容よりもずっと面白く、深みもある本だった。

関連記事

上田正樹『FINAL FRONTIER』

FINAL FRONTIERFINAL FRONTIER
(2009/07/07)
上田正樹 with Reggae Rhythm

商品詳細を見る


 上田正樹のニューアルバム『FINAL FRONTIER』(ビクター/3000円)を、サンプル盤をもらってヘビロ中(7月7日発売)。

 今回は、ジャマイカが生んだ世界一のリズム・セクション「スライ&ロビー」をゲストに迎え、全編レゲエのアルバムになっている。

 全15曲中11曲までが、ロックなどの有名曲のカバー。
 ジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、ドアーズの「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」「ハートに火をつけて」、アニマルズの「朝日のあたる家」、バーズの「ミスター・タンブリン・マン」、ボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」、ブロンディのカバーヒットで知られる「タイド・イズ・ハイ」、ビギニング・オブ・ジ・エンドの「ファンキー・ナッソー」などが、ポップかつ洗練されたレゲエ・アレンジで披露される。きらびやかにはじける表情豊かなリズムも素晴らしい。

 「洋楽をカバーしてこれほどさまになる日本のシンガーが、ほかにいるだろうか?」と思わせる見事なヴォーカル。力んで歌い上げることのないリラックスした歌声の中に、ベテランらしいうまさが光る。

 そして、この新作のもう一つの特長は、多くのゲスト・シンガーが参加していること。日本、韓国、アフリカと、国/地域を超えて集ったシンガーたちがデュエット、ソロ、コーラスで上田と歌声を競い、曲ごとにさまざまな色合いのヴォーカルが楽しめるのだ。

 とくに素晴らしいのは、「サンシャイン」というオリジナル曲。
 公式ブログ2009年6月2日付エントリの次の記述は、この曲のことに違いない。

5月31日、スタジオに7人のシンガーが集まってくれる。

タンザニアのヒーロー、Fresh Jambe , アフリカはギニア出身の僕が大好きな、本当に心を癒してくれるAmara Camaraや韓国からMiss Jacyと友達でもあるJiNくん。そして、大親友の滝ともはるさん、米重優哉、Yoshie.N の7人で大コーラス!その後 一人一人のソロ&フェイクがあり、終了!

曲名は、アルバムが出るまで伏せておきます、シンガーの力を皆さんに味わってもらえる仕上がりです!!!



 この言葉のとおり、8人のシンガーの個性豊かなかけ合いが愉しい、スケールの大きな一曲だ。

 アジア各国でも高い人気をもち、ワールドワイドに活躍する上田正樹らしく、国際色豊かに仕上がった渾身作。これからの季節にふさわしい、極上の“サマー・ミュージック”でもある。

関連記事

Guide 

   →全記事インデックス

Profile 

前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。フリーライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

Counter 

メールフォーム

★私にご用の方はここからメールを下さい。

お名前
メールアドレス
件名
本文

最近の記事

マイ「神曲」ベスト100

カテゴリー

里親募集中

タイトルの由来

●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

Archives

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
28位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
20位
アクセスランキングを見る>>