ジョセフ・S・ナイ『リーダー・パワー』

リーダー・パワーリーダー・パワー
(2008/12/17)
ジョセフ S ナイ

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 ジョセフ・S・ナイ著、北沢格訳『リーダー・パワー/21世紀型組織の主導者のために』(日本経済新聞社/2100円)読了。

 次期駐日米国大使に内定したことで、日本でも注目度が高まっている国際政治学者による指導者論。すでに汗牛充棟の観がある指導者論の中にあって、本書を類書から分かつのは、リーダーシップを論ずるにこれ以上ないほどふさわしい著者の経歴だ。

 著者は米ハーバード大学で40数年にわたって教鞭をとり、同大ケネディスクール(行政大学院)の院長もつとめ、各界のリーダーを数多く教育してきた。また、自らも米政府の要職を歴任し、国際政治の現場で多くの指導者とも接してきた。長年の研鑽と経験をふまえて書かれた本書は、これからの時代に求められる指導者像を的確に分析した内容となっている。

 著者は「ソフト・パワー」(自国の魅力によって他国を味方につける力)という概念の提唱者として知られるが、本書においても、ソフト・パワーがリーダーの資質を読み解く要因として重視されている。本来は国力を測る概念であるものを、リーダーの力量を測るために援用しているのだ。
 自らの魅力で他者を動かす力がリーダーとしてのソフト・パワーであり、権威や報酬などによって他者を強制的に動かすハード・パワーと区別される。

 リーダーシップにおけるソフト・パワーの重要性は、年々高まりつつある。「今日の人々は組織や政治の権威に対して、あまり敬意を払わない」からだ。
 そう認識したうえで、著者は「優秀なリーダーは、ソフト・パワーとハード・パワーの両方のスキルを必要とする」と言う。そして、その時々の状況に応じて2つの力をどう使い分けるかを瞬時に判断する「状況把握の知性」こそ、リーダーに不可欠な最重要の資質だとしている。

 著者は、「リーダーシップは学習可能だ」とも指摘する。
 リーダーが広く分散して存在する現代民主主義社会にあって、リーダーシップは政治家や経営者などのみならず、誰もが身につけるべきスキルといえる。
 古今東西の指導者論のエッセンスをちりばめ、よいリーダーと悪いリーダーの違いを豊富な実例から平明に示した本書は、そのための格好の“教科書”でもある。

 タイトルだけ見ると安直なビジネス書のようだが、内容は凡百の「ビジネスマン向けリーダー論」よりはるかに深く、示唆に富んでいる。再読、三読に値する本だ。
 
■関連エントリ→ ジョセフ・ナイ著 『ソフト・パワー』の書評

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菊地章太『悪魔という救い』

悪魔という救い (朝日新書 (098) (朝日新書)悪魔という救い (朝日新書 (098) (朝日新書)
(2008/02/13)
菊地 章太

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 菊地章太(のりたか)著『悪魔という救い』(朝日新書/756円)読了。「悪魔祓い」についての、本邦初の学術的入門書である。

 「悪魔祓いなんて、前近代の遺物だ」――と、そんなふうに思うのは認識不足。悪魔祓いはカトリック世界で正式に教理として定められ、教会の許可を得た「エクソシスト」によっていまも行なわれているのだ。
 しかもそれは、「まさに教会の聖務であって、決して異端的なものでも邪道なものでもない」、「教会における厳粛な儀式」なのだという。

 本書はその「悪魔祓い」について、オカルトの立場からではなく、澁澤龍彦のようにペダンティックなお遊びとしてでもなく、真面目に、かつシロウトにもわかるように概説したものだ。
 学者(著者は比較宗教史家で、東洋大教授)らしからぬ平明な文章に好感がもてるし、門外漢の私には目からウロコの記述も多く、わりと愉しめた。

 『デビルマン』から『デスノート』に至るマンガや、『エクソシスト』から『ダークナイト』に至る映画のように、悪魔の存在がベースにあるカルチャー/サブカルチャー(『デスノート』は悪魔というより死神だが)に親しんできた者なら、本書によってそれらの作品をいっそう深く味わえるだろう。「そうか。あの場面にはそういう意味があったのか」と……。
 
 たとえば、キリストが悪魔祓いに際して悪魔の名を問いただす聖書のワンシーンについての、次のような記述。

 悪魔に名まえなんか聞いてどうするのか、と思われるかもしれないが、それは現代人の発想である。
 名を知るということは今の私たちには想像もつかないほど昔は重要な意味をもっていた。しかもこれはヨーロッパにかぎったことではない。
 名はその人を他人と分かつものであり、その人にとってかけがえのないもの、いわば自分という存在の一部である。むやみに他人に教えるものではない。
 呪いをかけるときがそうである。髪の毛一本でもその人の一部が手に入れば呪いをかけることができる。名がその人の一部である以上、ほんとうの名を知られると呪いをかけられる可能性が生じる。



 「うーむ、『デスノート』というのはそういうことをふまえて発想されたのかなあ」とか思えて、興味深い。
 
 著者は本書の後半で、悪魔祓いに精神病理学からアプローチし、その謎解きも試みている。著者によれば、悪魔憑きの代表的症例はいずれも「精神疾患の症状として説明可能」なのだという。

 たとえば、異なるいくつもの声を出すのは「多重人格障害のごくふつうの症状」であり、全身を弓なりにして反り返るのも「神経症の発作としてはとくにめずらしい症状ではない」という。その症状は「後弓反張」もしくは「ヒステリー弓」と呼ばれるとか。 
 悪魔に憑かれた者が「他人の心を読む」とされる点についても、「ヒステリー患者が無意識のうちに発揮する感覚というのは、想像を絶するほどにとぎすまされるというから、それを発揮すればどんなささいな情報からも相手の心のうちを推量するのは不可能ではない」としている。

 まあ、そんなふうに理詰めで悪魔憑きを解説することについて、げんなりする読者もいるだろう。私は面白く読んだけど。

 もっとも、著者は大槻某のように反オカルトの旗幟を鮮明にしているわけではない。悪魔憑きを合理的に説明したうえでなお、終章「救いのありか」では、悪魔憑きや悪魔祓いのもつ“合理性を超越した意味”について、宗教史家らしい考察を展開しているのだ。 

 ただ、紙数もかぎられた新書のことゆえ、“悪魔祓いについて、一通りの知識と著者の思うところをざっと書いてみました”という程度のものでしかなく、深みには乏しい。

 中身も、少々薄い。
 たとえば、悪魔祓いを扱った映画の代表格『エクソシスト』『エミリー・ローズ』『尼僧ヨアンナ』に言及するのはよいとしても、その3本のあらすじを延々と紹介するのはやりすぎ。「これってただのページ稼ぎちゃうんかい」と思ってしまった。

 著者が同じテーマで、この2~3倍の分量でがっちりと書き込んだ大著が読んでみたい。

P.S.
佐藤史生の初期短編に「レギオン」というのがあるのだが、この本を読んだあとで読み返してみると、悪魔について調べ上げたうえで描かれた作品であることがよくわかる。「悪魔マンガ」の傑作である。いまは入手困難かもしれないが(『金星樹』という短編集に入っている)、『ダークナイト』とかに感銘を受けた人なら一読の価値あり。

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メイ・パン『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』

ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド Instamatic Karmaジョン・レノン ロスト・ウィークエンド Instamatic Karma
(2008/11/15)
メイ パン

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 メイ・パン著、山川真理訳『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』(河出書房新社/2940円)読了。

 1973年秋から75年初頭にかけ、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと別居生活を送った、いわゆる「失われた週末」。その時期をジョンとともに暮らした中国系アメリカ人女性の著者が、多数の未公開写真とともに当時の思い出を綴った本だ。

 文章は写真の合間に挟まれている程度で分量も少ないので、あっという間に読み終わる。基本は写真集である。

 「失われた週末」といえば、従来の評伝などでは、「ジョンが愛するヨーコと仲違いしたことでうちひしがれ、酒に溺れて無為に暮らした日々」として扱われている。本書は、そうしたイメージをくつがえす内容だ。

 ジョンがこの時期酒に溺れぎみだったのはたしかだが、彼はメイ・パンと楽しく暮らしていたようだし(古女房と別居して若い愛人と暮らしていたのだから、楽しくないはずがない……なんて言ったら怒られるか)、音楽活動の面でも充実した日々を送っていた。『心の壁、愛の橋』や『ロックン・ロール』も、この時期に生み出されたアルバムなのである。
 何より、本書に掲載された多数のオフショットに見るジョンの自然な笑顔が、「失われた週末」が不幸な日々ではなかったことを雄弁に物語っている。

 そもそも、本書の「はじめに」で明かされているが、「失われた週末」期にメイ・パンとジョンをくっつけたのは、ほかならぬヨーコ自身なのである。
 ヨーコは、レノン夫妻のアシスタントとして働いていたメイ・パンに対して、「ジョンは誰かほかの人と一緒に暮らすことになるだろう、その相手は『ジョンをうまく扱うことのできる人』であってほしい」と言い、「あなたがジョンと一緒になるといいと思うの」と言ったのだという(!)。

 本書の随所に登場するメイ・パンの写真を見ると、美人ではないしキュートでもない。そして、タイプとしてはやはりオノ・ヨーコを少女っぽくしたような感じだ。メイ・パンはヨーコにとって、「安心して夫にあてがうことのできる愛人」であったということか。

 まあ、そういう舞台裏のドロドロはともかく、本書は秘蔵エピソード満載で興趣尽きないし、写真集としてもなかなかよい。

 とくに強い印象を残すのは、ジョンのもとに、当時10歳だった息子のジュリアン・レノンが遊びにきたときの写真。ジュリアンの写真は多数掲載されており、本書のもう1人の主役といってよいのだが、その表情はなんとも愛らしく、しかも寂しげなのだ。
 前妻シンシアとの間に生まれたジュリアンが、生前のジョンと過ごすことのできた日々はごくわずかだった。数少ない父子の交流の一つが、本書には刻みつけられているのである。

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松尾里央『あの映画は何人みれば儲かるのか?』

あの映画は何人みれば儲かるのか?あの映画は何人みれば儲かるのか?
(2008/10)
松尾 里央

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 松尾里央著『あの映画は何人みれば儲かるのか?』(TAC出版/1365円)読了。

 税理士の著者が、映画・音楽・出版業界の「儲けの仕組み」を現実の大ヒット作を例に説明し、そのことを通じて会計の初歩をレクチャーする本。一時期よくあった“エンタメ系会計入門”の亜流である。

 企画としてはよいのだが、内容はまるで期待外れだった。

 入門書とはいえ、著者はあまりにも読者レベルを低く設定しすぎていて、「そんなのあたりまえだろ!」という話がてんこ盛り。
 たとえば、「映画は劇場だけでなく、そのあとDVDの販売や、テレビ放映などの2次利用によりさらに儲かる」という記述があって、その部分だけゴチックで強調されている。そんな、いまどき小学生でも知っていることをわざわざ強調されても困ってしまうのである。

 かと思えば、音楽業界についての章では宇多田ヒカルのデビュー・アルバムが例に挙げられている。事例が古すぎるのもどうかと思うが、内容も失笑もの。

「これだけの収入が得られるのなら、私も歌手を目指そうかな」と思った方もいるかもしれない。しかしながら、宇多田ヒカル級の大物になるには、それなりの歌唱力やセンス、才能、その他いろいろな要素が必要になる。
 いくら儲かるからといっても、私たちが宇多田ヒカル級の歌手になるのは、宝クジで1億円当たるより難しいかもしれない。



 そんな死ぬほどあたりまえのこと、わざわざ税理士センセイに教えてもらわなくてもわかるのである。

 まあ、全部のページがこれほどクダラナイわけではなく、勉強になる部分もある。
 音楽コンサートの予算管理の話は「へーっ」と思ったし、「広告収入モデルのフリーペーパーで儲けるには」の章で『ホットペッパー』と『R25』の儲けを比べたくだりもわりと面白かった。

 しかし、全体的にはかなり内容の薄い本だ。同じテーマで山田真哉(『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の著者)が書いたとしたら、もっともっと面白い本になっただろう。

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斎藤美奈子『文芸誤報』

 
文芸誤報文芸誤報
(2008/11/20)
斎藤 美奈子

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 斎藤美奈子著『文芸誤報』(朝日新聞出版/1680円)読了。
 『週刊朝日』に連載された、おもに文芸書の新刊を取り上げた書評コラムの単行本化(一部は朝日本紙掲載の書評)である。

 斎藤美奈子のコラムは相変わらず快調だ。わかりやすくて面白く、一見軽薄なタッチながらも、鋭い分析や思わず唸るツッコミ芸が随所にちりばめられている。
 かりにも文芸評論家を名乗るなら、これくらい「文の芸」がなくちゃね。ごく一部の人にしか届かない閉じた言葉をエラソーに振り回す文芸評論家に、彼女の芸とサービス精神を見習ってもらいたい。

 2005年1月から2008年5月までの文芸新刊書の定点観測でもあるので、新しい作家・作品との出会いを求める読書家にはブックガイドとしても有益。
 著者が絶賛しているのは取り上げたうちの1割程度なので、それらの作品を私もぼちぼち読んでみたい。

 以下、「うまいこと言うなあ」と感心し、付箋をつけた箇所を引用する。

 村上春樹の登場人物が村上龍の小説に入り込んだら、こんな感じかもしれない(三崎亜記の『となり町戦争』を評して)



 ケータイ小説サイトはしかし、私が思うに電脳版の巨大な同人誌ないしは投稿誌なのだ。音楽の世界でいえば一昔前のホコテンである。文芸の新しいジャンルだと期待するのも、文化破壊だと嘆くのも、だからやめておくのが賢明だろう。ブームが去ればインディーズ系のケータイ作家も減るからきっと。



 死んだ恋人(友人)っていうのはまことに便利な存在で、そんな空白があるだけで、平坦な物語に陰影らしきものが生まれ、2人の関係性にただの恋人以上の綾がついたりするのである。ただ、どうなのか。「涙が止まりませんでした」みたいな感想が読者から出てきたら、それはもう作家の敗北ではないのか(橋本紡の『流れ星が消えないうちに』を評して)



 彼女の小説には、そう、ヤンキーテイストがあるのだ(←褒め言葉です)。これは文学の世界では希有なことである。おバカさんの内面を嘘くさくなく描くのは、知的な人を描くよりずっと難しいからだ(内田春菊の『気がつけば彼女を見ている』を評して)



 チャームポイントとして、ところどころ(笑)を足すといい作品になると思う。ふざけているわけではない。批評性が必要ということである(中村文則の『土の中の子供』を評して)



 芥川賞・直木賞はますます入学試験に近づいて、「ひとまずあれを取っとかないとな。よしやるか」な領域に入っているのではないか。で、入学試験を突破したら思う存分羽を伸ばす……。次作は羽を伸ばしてほしいものである(伊藤たかみの『八月の路上に捨てる』を評して)



 なお、巻頭に置かれた「文学作品を10倍楽しく読む法」も、一読の価値あり。文学を楽しむ心構えが、10項目にわたって書かれた「まえがき」的文章である。そのうちの1項目を引いておく。

◆小説に感動を求めるな
 小説を読んで泣くのは自由です。しかし、泣ける作品が優れた作品であるとは限りません。泣くだけならばゼロ歳児にもできます。大人の感覚を磨きましょう。




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ジェイムズ・ガードナー『バイオコスム』

バイオコスム―生物学と宇宙論の来たるべき融合バイオコスム―生物学と宇宙論の来たるべき融合
(2008/11)
ジェイムズ ガードナー

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 ジェイムズ・ガードナー著、佐々木光俊訳『バイオコスム/生物学と宇宙論の来たるべき融合』(白揚社/3675円)読了。

 米国の科学エッセイストで、在野の複雑系科学研究者でもある著者が、宇宙論と生物学を架橋する壮大なヴィジョンを展開した思弁の書である。
 そのヴィジョンとは、著者が「利己的バイオコスム仮説」と名づけたもの。名称から見てとれるように、リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」をふまえた説だ。

 利己的遺伝子論は、 “生物は遺伝子の乗り物にすぎない”とし、生物進化を遺伝子中心の視点でとらえるものであった。同様に、著者は宇宙に生命が存在する意味を宇宙中心の視点からとらえ直す。遺伝子が生物を通じて自己複製するように、宇宙もまた自己複製(宇宙から新たな「ベイビー宇宙」を出現させる)という目的をもっているのではないか、と考えるのだ。

 著者は「結語」において、「生命と知性の出現は、この目的のための手段」だと喝破している。つまり、“宇宙は自らが発生させた知的生命を介して自己増殖していく”というのが、「利己的バイオコスム」というヴィジョンなのである。

 まるでSF小説のようだが、本書の主張には十分な科学的根拠があり、たんに荒唐無稽な話ではない。本書の原型は、複雑系科学の中心拠点として知られる米サンタフェ研究所の科学誌『コンプレクシティ』に発表された論文である。
 著者も、本書の主張に客観性を持たせるべく、幾重にも工夫を施している。工夫の一つは、高名な科学者たちの著書や論文からの膨大な引用に沿って論を進めていることだ。

 宇宙論の流れの一つに、「人間原理的宇宙論」と呼ばれるものがある。宇宙が人間のような高度生命を生み出しやすい構造をしていることについて、その理由を人間の存在それ自体に求めるものである。本書もその一つに位置づけられる。
 ただし著者の主張は、一部の「人間原理的宇宙論」が陥っている、宇宙を統べる超越者を想定するような神秘主義的偏りとは無縁だ。

 人間が古代から熱く問いつづけてきた、「宇宙はなんのためにあり、生命はなぜ生まれたのか?」との問いに一つの答えを提示する、ラジカルで刺激的な論考である。

 
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大前研一『サラリーマン「再起動」マニュアル』

サラリーマン「再起動」マニュアルサラリーマン「再起動」マニュアル
(2008/09/29)
大前 研一

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 大前研一著『サラリーマン「再起動」マニュアル』(小学館/1575円)読了。

 サラリーマンでもないくせに、私は大前のサラリーマン向け著作をけっこうコンスタントに読んでいる。なぜ読むかといえば、私にとってふだん縁のない最先端のビジネス環境についての「ブリーフィング」として役立つから。

 一時期までの立花隆の著作は、私のような文系人間にとって、脳科学や生命科学などといった理系世界の最先端をブリーフィングしてくれる本として有益であった。そのビジネス・バージョンとして大前本を読んでいるわけだ。

 本書もしかり。30~40代のサラリーマンに向け、グローバルな人材になるためのスキルアップを促す本だが、私は「ビジネス世界の最先端の概説書」として読んだ。

 「大前本」を楽しむためには、以下のような3つのコツがある。

1.内容の10%ほどは臆面もない自慢話で構成されている(しかも、過去の著作で何度も書かれた話が多い)ので、それらについては「あーハイハイ、百万回聞きました」と心でつぶやき、読み流すこと。

2.内容の5%ほどは大前がやっている経営塾やらビジネス・スクールやらの宣伝で構成されているので、それらについては無視すること。

3.眉唾なトンデモ話が含まれていることもある(とくに、ビジネス以外の事柄についての記述)ので、すべての内容を真に受けないこと。

 ……と、そのようにわりとノイズも含まれている大前本だが、それでも、残り部分のまっとうな情報と主張のために、読む価値は十分ある。

 本書の場合、全5章のうちの第4章「“新大陸エクセレントカンパニー”の条件」はたいへん面白かった。
 グーグルを筆頭とした「ウェブ2・0型企業」の何が画期的なのかを、実例を挙げて平明に解説しており、目からウロコ(もちろん、第一線のビジネスマンにとっては「何をいまさら」の話も多いのだろうが)。

 また、本書全体が優れた組織論にもなっているし、日本の将来を予見する書としても興味深い。
 以下、私が付箋をつけた箇所から4つほど引用する。

 会社を変革する時に組織全体を変革することはできない。なぜなら、古い人たちは変われといっても変われないからである。だから変われる若い人たちだけに変わってもらう。とくに新入社員のポテンシャルをフルに引き出して速く成長させれば会社の変革につながる。その“触媒”となることが、30代後半~40代の中堅世代の重要任務なのである。

 

 「業界」という言葉があるが、今やこの「業界」こそが会社のトップの目をおかしくしている元凶である。もはやカメラ業界はなくなった、と私はいっている。従来のフィルムカメラはデジタルカメラの登場によって趣味の道具になり、そのデジタルカメラもすでにパソコンの入力機器や携帯電話の部品になった。いわばデジタルカメラはパソコン業界や携帯電話業界の一部になってしまったわけである。
 まだ日本企業は従来の業界の枠にこだわっている。だが、先ほど新大陸企業の象徴として紹介したデルは、これから従来の業界の枠をどんどん超えていく可能性がある。



 世界のアパレル業界で「ウェブ2・0型企業」を実現しているのは、前述したスウェーデンのH&MとZARAを展開しているスペインのインディテックスの2社だ。両社についてはすでに紹介したように、他社の売れ筋商品などを参考に新商品をデザインして製造し、世界中の店に届けるまでの「ターン・アラウンド・タイム(TAT)」が2週間でしかない。
 したがって、H&MとZARAは在庫を抱える必要がない。需要予測をする必要もない、というか需要予測という概念さえない。(中略)
 一方、ユニクロのターン・アラウンド・タイムはおそらく1年近いだろう。



 要するに、大半の日本企業は発想が間違っているのだ。入社した人間は全員残っているべきだと思うから、新入社員の3割が辞めると焦ってしまう。しかし、発想を逆転させれば、入社した人間が全員残っている会社は不幸である。優秀でもないのに全員を置いておくのは、そもそも無理なのだ。しかも新大陸では、その学生が優秀かどうかは、いわゆる「よい大学」を出たかどうかとは全く関係がない。だからこそ大量に採用して、不要な人間は早めに辞めさせるべきであり、定着率で会社を計るのは間違いなのだ。



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スカーレット・ヨハンソン『レイ・マイ・ヘッド』

レイ・マイ・ヘッドレイ・マイ・ヘッド
(2008/06/25)
スカーレット・ヨハンソン

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 スカーレット・ヨハンソンの歌手としてのデビュー・アルバム『レイ・マイ・ヘッド』(ワーナー)を聴いた。

 いやー、これほどつまらないアルバムに久々に出合った。
 最後まで1回聴き通すだけでも苦痛を感じた。もう1度聴こうとはとても思えない。レンタルで済ませてよかった。私は、いまのハリウッド女優の中ではスカーレット・ヨハンソンがいちばん好きだ。その私が聴いてさえそう思う。

 このアルバムは、トム・ウェイツ作品のカヴァー集である。
 ハリウッド・ビューティーmeetsダミ声酔いどれフォーク――このミスマッチが異種交配の化学反応となって、意外な傑作が生まれたかも、と予想したのだが、その予想は外れた。トム・ウェイツのファンにとっても、ヨハンソンのファンにとっても不幸な遭遇となってしまった。

 ヨハンソンといえば、『ロスト・イン・トランスレーション』には彼女がカラオケで歌う場面があり、そのシーンだけ見てもオンチであることがうかがい知れた。なので、歌唱力勝負のアルバムではないとわかっていたが、それにしてもこのアルバムのヴォーカルはひどい。セクシーでもキュートでもクールでもない、たんに無愛想な声。しかもヘタ。どこにも美点がない。

 しいて好意的に評価するなら、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの歌姫であったニコが、のちに発表した一連のソロ・アルバムを彷彿とさせる“硬質なアンニュイ”がないでもない。だが、ニコのようなデカダンな凄みは望むべくもなく、単調で退屈なだけのアルバムになってしまった。

 アルバムの帯には、こんな惹句が躍っている。

 “ディープ”そして“アート”
 また聴きたくなる。聴き込むほどに味わい深くなる…忘れられない作品。



 ウソつけ(笑)。

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奥野宣之『読書は1冊のノートにまとめなさい』

読書は1冊のノートにまとめなさい 100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング読書は1冊のノートにまとめなさい 100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング
(2008/12/05)
奥野宣之

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 奥野宣之著『読書は1冊のノートにまとめなさい/100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング』(Nanaブックス/1365円)読了。

 読書術の本のベストセラーと聞いて脊髄反射的に手に取ってしまったのだが、これは私にとっては価値のない本だった。
 本書に書かれている「読書術」は、多くの読書家がすでにやっているようなあたりまえのことばかり。内容が薄いったらない。

 薄さの例を挙げよう。
 最終章が丸ごと読書に役立つグッズの紹介に充てられていて、ぺんてるの水性ボールペンとかイヤーウイスパーとかステンレスの定規(いわゆる「金尺」)とかが、1つにつき1ページも使って写真入りで紹介されている。
 いまさらそんなあたりまえのモノを「インストール・グッズ」とか称してオススメされても、「トホホ~」って感じである。

 そもそも、本書に書かれているノウハウのどれをとっても、「ノートでなければならない必然性」がまるで感じられない。
 読書ブログ、ないしはパソコンでつける読書メモにしたほうが、検索性も高いしモティベーション向上にも役立つ(読書ブログは人目に触れるからこそ読書意欲を高める。あたりまえだけど)。

 もっとも、本書にも読書ブログについての言及があるのだが、それは「ブログに書評を書く場合、読書ノートを参考にする」というもの。そんなメンドイ手順を踏まなくても、最初からブログに書けばよいではないか(笑)。

 「紙にペンで書くことが、記憶や体にすり込ませる役割を負っている」と、著者は言う。
 まだるっこしい書き方だが、「筆写すると、文章の内容がよく記憶できる」ということだろう。それはそのとおりだが、フツーの抜き書きまでいちいち手書きでやっていたら、非効率このうえない。

 手書きが意味を持つのは、自分にとっての「生涯の一冊」を血肉化するため再読したり、小説家の卵が畏敬する作家の名作を“写経”したりするような、特別な場合のみだろう。
 駄本や駄作にも山ほどぶつかる日常的読書など、逐一「記憶や体にすりこませる」ほどの価値はない。忘れるべき些末な情報はさっぱり忘れたほうが、脳のためにもよい。

 著者は、「読書ノートは『続けること』に意味がある」とも言う。これもそのとおりだが、継続のたやすさを考えてもノートよりブログのほうがよい。私自身、過去に何度も読書ノートをつけては挫折をくり返してきたが、このブログはもう数年間つづいている。 

 「インストール・リーディング」(笑)などと横文字が多用されているから新しげに見えるだけで、過去の読書術より優れている点はまったく見当たらない。呉智英の『読書家の新技術』(古いけど、いま読んでも十分有益)でも読んだほうがマシだ。

 まあ、「最近やっと読書習慣がついた」という若い人にとっては読む価値があるだろうけど……。

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相対性理論『ハイファイ新書』

ハイファイ新書ハイファイ新書
(2009/01/07)
相対性理論

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 相対性理論(というバンド)、いいですな~。
 国立のディスクユニオンに行ったら彼らのニューアルバム『ハイファイ新書』が店内で流れていて、妙に気になった。で、帰宅してからYou Tubeで検索して聴くうちにすっかりハマってしまった。

 アマゾンで注文しようと思ったら、現在在庫切れ。しかも音楽で30位。売れているのだ。
 で、近所の新星堂で買ってきたのだが、そこでもすごい枚数が並べられていた。

 スミスのジョニー・マーを彷彿とさせる清冽なギター、カヒミ・カリィをもっとロリロリにしたようなウィスパー・ヴォイスのヴォーカル、キャッチーなメロディ、独創的で面白い歌詞……ポップ・ミュージックとしての完成度が只事ではない。これでインディーズだというのだからビックリだ。

 → こちらでアルバム全曲が(一部ずつだけど)試聴できます。

 ジャケに描かれた「33:21」というのは何かと思えば、トータル・プレイング・タイムのことだった。「いまどきのフルアルバムで33分というのは短かすぎだろう」と思ったのだが、収録曲が全部よいので短かさが気にならない。まさに捨て曲なし。

 前作(ミニアルバム『シフォン主義』)がスミスばりのギター・ロックだったのに対し、この新作はロック色がかなり薄れている(ポストロック的になったというか)。ギターのフレーズとヴォーカルにはジャズやボサノヴァからの影響も感じられる、脱力感が心地よい「ゆるふわポップ」である。

 座標軸としては、やはりPerfumeに近い。
 「萌え文化」「オタク文化」に深く根差した音楽でありながら、とくにオタクではないフツーの音楽ファンにも十分アピールするキャパの広さをもっている、というあたりがPerfumeと共通なのだ。

 これほど心地よいポップスもめったにない。BGMにしてよし、歌詞カードを見ながらじっくり聴いてもよし。「四角革命」「学級崩壊」「さわやか会社員」「テレ東」「地獄先生」あたりの曲を、ここ何日かヘビロ中。
 バックの演奏は先鋭的かつ硬派なポストロックのそれなのに、ヴォーカルとメロディはいちごパフェのように甘いというギャップが強烈だ。その昔ナーヴ・カッツェのファースト(ポリスをバックに原田知世が歌っているようなサウンドだった)を聴いたときと同質の衝撃があった。

 Perfumeの『GAME』とともに、「萌え文化」から生まれたポップ・ミュージックの精華として語り継がれるであろう傑作アルバムだ。


↑「テレ東」。ジョニー・マーがウェス・モンゴメリーを意識したみたいなギターが心地よい。


↑ 「夏の黄金比」。スミスそっくり。「コーントレックス箱買いー♪」のリフレインがたまらん。


↑「地獄先生」。喫煙するナースを映しただけのPVがなんともヘンでよい。


↑「バーモント・キッス」。「わたしもうやめた 世界征服やめた 今日のごはん 考えるのでせいいっぱい」という歌詞が最高。

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信田さよ子『アダルト・チルドレンという物語』

アダルト・チルドレンという物語 (文春文庫)アダルト・チルドレンという物語 (文春文庫)
(2001/04)
信田 さよ子

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 信田さよ子著『アダルト・チルドレンという物語』(文春文庫/580円)読了。
 『母が重くてたまらない』と『依存症』がよかったので、同じ著者のべつの本を読んでみた。読む順番が逆になってしまったが、本書は著者にとって最初の著作である(元本は96年刊)。

 本書の単行本時のタイトルは、『「アダルト・チルドレン」完全理解』というものだった。その書名のとおり、「アダルト・チルドレン(AC)」についての概説書である。 「AC」という概念が生まれた経緯から説き起こし、著者自身のカウンセリング経験をふまえて豊富な実例を示し、後半ではACの「生きづらさ」を克服する道筋まで示している。

 周知のとおり、ACはもともとは子ども時代にアルコール依存症の親のもとで育った人を指したが、しだいに裾野が広がり、「機能不全家族」の中で育って「生きづらさ」を抱えている人すべてを指すようになった。
 著者による概念規定はさらに簡潔で、「自分の生きづらさが親との関係に起因すると思う人」はみなACなのだという。

 信田さよ子の本は、わかりやすくて深い。本書もしかり。ACの概説書としても優れているし、現代の家族問題、親子問題を考えるにあたって示唆に富む好著であった。

 以下、印象に残った一節を抜き書きする。

 感情というものは、包丁のように、使わないと錆びてしまいます。



 実際問題として、子どもたちはどんなことで傷ついていたのでしょうか。父親に殴られることや、父親が昼間から飲んで暴れるというようなことだったのでしょうか。いいえ、違うのです。このような理由は、三番目か四番目でしかないのです。
 アルコール依存症の家族に育った子どもたちがいちばん傷ついているのは、夫婦のいさかいなのです。父と母とのあいだに繰り返されるドラマをずっと見ていること、その観客でいることのおびえ、自分のせいではないかという罪悪感。これらのほうが、直接殴られるより子どもにとってははるかに苦痛です。


 

 子どもにとって、家族の崩壊は世界の崩壊です。家族を離れては生きられません。世界そのものなのです。もし自分が維持しなければこの家族は壊れるのではないかという恐怖感にさらさられると、子どもが懸命に家族を、親を支え、守るという倒錯が生じます。



 記憶を重りにたとえた場合、重りで自分自身というはかりが壊れたら困るので、はかりが壊れてしまうような重りは乗らないようになっています。そのような記憶は、全部忘却、あるいは否認という形で底に沈んでいて、その人がだんだん力をつけてきて、はかりの耐える重量が上がってくると、底にある記憶が浮かんでくるのです。だから、新しいことを思い出すということは、その人がある記憶を抱えられるだけに回復したり、変化したことの証です。



 世の中に、よく親を殺したいと言う人がいますが、あの気持ちはどこから出てくるのでしょうか。これはまだ親との関係が清算されていないからです。殺したいというほどの憎悪は愛情の裏返しで、もっといい親になってもっと自分をなんとかしてほしいという“要求”がどこかに残っているのです。



 本当の自尊心とは幻想をはぎ取って自分を見つめ、その自分を愛していくことではないでしょうか。




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ジャズ・ロック名盤BEST20

 
内に秘めた炎内に秘めた炎
(1997/02/01)
ジョン・マクラフリン

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 極私的な「ジャズ・ロック名盤BEST20」を選んでみたい。

 私はジャズにはくわしくないし、ジャズ・ロックを体系的に聴き始めたのも最近のことなので、マニアな人々からは首をかしげられてしまうかもしれないが、いま日常的にいちばんよく聴いているのはジャズ・ロックなので、BEST20くらい選んでもバチは当たるまい。あくまで「私にとってのジャズ・ロック」である。

1.ジョン・マクラフリン&マハヴィシュヌ・オーケストラ『内に秘めた炎』
 個々のプレイヤーが超絶テクニックをぶつけ合う、精神性の高い“哲学的ジャズ・ロック”。もう一歩踏み込めば不協和音になってしまうほどの轟音の連打。なのに、少しも耳障りではなく、峻厳にして美しい。

2.リターン・トゥ・フォーエヴァー『浪漫の騎士』 → 関連エントリ
 流麗にして緻密なジャズ・ロック。ジャズ・ファンよりむしろプログレッシヴ・ロック・ファン必聴の名盤。

3.ジェフ・ベック『ワイアード』 → 関連エントリ
 ジェフ・ベックのジャズ・ロック路線の一連のアルバム中、最も知名度の高いアルバム。これと『ブロウ・バイ・ブロウ』『ゼア・アンド・バック』は甲乙つけ難いが、私自身がいちばんよく聴いたのはこれ。

 ……このへんまでは「ジャズ・ロック殿堂入り」というか、私の中では不動のベスト3。
 
4.ソフト・マシーン『バンドルズ(収束)』 → レビュー

5.トニー・ウィリアムス『ビリーヴ・イット』 → レビュー

6.ブランドX『アンオーソドックス・ビヘイヴィアー』 → 関連エントリ

7.渡辺香津美『KYLYN』
 日本が世界に誇るクロスオーバーの名盤だが、マイルスの「マイルストーンズ」をハイパー・フュージョン風味でカヴァーしていたりするから、ジャズ・ロックの傑作でもある。

8.ウェザー・リポート『ミスター・ゴーン』
 「これぞまさしくジャズ・ロック」という感じのジャコ・パストリアスの傑作「パンク・ジャズ」所収。WRの「裏名盤」ナンバーワンとも呼ばれるアルバム。 

9.ゴング『ガズース!』 → レビュー

10.ジョン・マクラフリン『インダストリアル・ゼン』 → レビュー

11.ビリー・コブハム『スペクトラム』 → レビュー

12.ブラッフォード『ワン・オブ・ア・カインド』 → 関連エントリ

13.ハットフィールド・アンド・ザ・ノース『ザ・ロッターズ・クラブ』

14.ジャン=リュック・ポンティ『エニグマティック・オーシャン(秘なる海)』 → 関連エントリ

15.サンタナ『キャラバンサライ』

16.サイモン・フィリップス『シンバイオシス』 → レビュー

17.プリズム『mju:(ミュー)』
 「日本のアラン・ホールズワース」和田アキラ率いるプリズムの2003年の作品。
 プリズムの初期作はいま聴くとけっこうショボイのだが、最近作の円熟ぶりはまことに素晴らしい。とくに、これは捨て曲なしの傑作。超絶の速弾きをしながらも、けっして歌心を忘れないギター。さらにはベースも絶品。とりわけ、M2「PRIME DIRECTIVE」のカッコよさは悶絶ものである。

18.ブレッカー・ブラザーズ『ヘビィ・メタル・ビ・バップ』

19.ディメンション『Sixth Dimension“LIVE”』 → レビュー

20.イアン・ギラン・バンド『Clear Air Turbulence(鋼鉄のロック魂)』 → レビュー

次点.パラドックス『ブロークン・バリケード』 → レビュー

 ジャズ・ロックの名盤とされているもので聴いたことのないものもあるので、今後また順位変動もあり。 
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フランツ・フェルディナンド『トゥナイト』

トゥナイト(発売予定)トゥナイト
(2009/01/21)
フランツ・フェルディナンド

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 フランツ・フェルディナンドのニュー・アルバム『トゥナイト』を、サンプル盤を送ってもらって聴いた。ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルより、1月21日発売予定(2520円)。

 英国グラスゴー出身の人気ロック・バンドが、前作から3年余を経て放つ待望のサード・アルバム。すでに世界的な成功を収めた彼らは、日本でもファースト18万枚、セカンド23万枚を売り上げ、着実にファン層を拡げてきた。

 ジャケットのアートワークが、相変わらず素晴らしい。前作のジャケットはロック史に残る名デザインだと思うが(↓このジャケ)、昔の犯罪現場写真のような演出がなされたこんどのジャケも、なかなか渋い。

 
ユー・クッド・ハヴ・イット・ソー・マッチ・ベターユー・クッド・ハヴ・イット・ソー・マッチ・ベター
(2005/09/14)
フランツ・フェルディナンド

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 フランツの音楽は、「ダンスとロックの垣根を取り払った」と評される。シャープなギターと複雑なリズム・パターン、陰影に富むヴォーカルと、個々の要素は通好みなUKギター・ロックのそれなのに、曲はあくまでポップで、一度聴いたら耳から離れないキャッチーなメロディをもつ。そして何より、極上のダンス・ミュージックでもあるのだ。

 この新作も、ダンサブルなロックである点は前作までと変わらない。ただ、大きな変化として、これまでよりもずっとダークな印象の曲が目立つ。

 ゆえに、つけられたキャッチコピーは「今度のフランツは危険で、甘い。」というもの。また、バンドのフロントマンであるアレックス・カプラノスも、新作を「『夜の音楽』が詰まった作品」と表現している。

 セカンドの「ディス・ボーイ」のような、はじけるように速いビートの曲はやや影を潜め、ゆっくりしたテンポの大人っぽい曲が目立つ。また、全体にシンセの比重が高まり、「フランツ流ディスコ・サウンド」という趣も強い。

 そうした変化のため、一聴しての印象は「なんか地味になっちゃったなあ」というものだった。しかし、何度も聴きこむうちに、「危険で、甘い」味わいにすっかり魅了されてしまった。フランツのポップ・センスは相変わらずバツグンである。

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ゴング『ガズース!』

Gazeuse!Gazeuse!
(1990/07/23)
Gong

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 ゴングの『ガズース!(Gazeuse!)』を輸入盤で購入。新品で1100円ほどなのだから、安い。

 ゴングは、フランスで結成されたプログレ/サイケデリック・ロック・バンド。メンバーの変動が激しく、中心者が変わるごとに音楽性も大きく変わる“玉虫色のバンド”である。
 パーカッショニストのピエール・ムーランが中心だった時期には、ジャズ・ロック色が強まった。そのうちとくに、ギターのアラン・ホールズワースがメンバーに加わったアルバムは、ジャズ・ロックの名盤として知られている。

 この『ガズース!』は1976年の作品で、ホールズワースが全面的に参加。曲も、全6曲中2曲がホールズワースのペンになるものだ。

 私はこのアルバムを初めて聴いたが、いやー、なかなかよい。ホールズワースの流麗でカッコいいギターと、ほかの楽器のサイケな音が一見ミスマッチなのだけれど、何度も聴くうちにそのミスマッチ感がむしろ快感になってくる。
 マリンバやヴィブラフォンなどという、ジャズ・ロック・アルバムではあまり使われない楽器が全面的に使われていて、他に類を見ない独創的なサウンドに仕上がっている。

 パーカッショニストが中心となって作り上げたアルバムだけに、リズムがすこぶる面白い。ドラムス、ヴィブラフォン、マリンバ、ティンパニ、鉄琴など、多彩な打楽器が構築する変幻自在のリズムの迷宮。その中を、ホールズワースのギターがウネウネと進んでいく。

 カッコイイだけではなく、ミステリアスでユーモラスでもある、味わい深いジャズ・ロック。

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『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』

岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 [DVD]岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説 [DVD]
(2001/08/25)
竹内力野村真美

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 ケーブルテレビの「チャンネルNECO」で、いま『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』シリーズの全作放映を行なっている。昨晩は第1作「EPISODE-1」を放映していたので、録画してDVDに保存。じつはこれ、私のお気に入り作品なのである。

 『岸和田少年愚連隊』は、中場利一の自伝的小説シリーズ。中場の分身「チュンバ」を主人公にした本編も、何作か映画化されている。「カオルちゃん最強伝説」はそのスピンオフ作品にあたり、「岸和田最強の男」村山薫(通称カオルちゃん)を主人公に、その高校時代を描いている。

 竹内力がカオルちゃんを演じたVシネマのシリーズは、2001年に第1作が作られ、現在までに8作を数えている。

 第1作の時点ですでに37歳であった竹内力が、圧倒的腕力をもつ「おっさん顔の高校生」を怪演。一度観たら忘れられない強烈なキャラを作り上げている。
 「全国総番」(=日本中の不良高校生を統率する総番長)を目指し、「高校行かな番長になられへんやろ」というだけの理由で進学したカオルちゃんが、たちまち学校中をシメ、地回りのヤクザすら震え上がらせる様子が描かれている。

 ものすごく馬鹿馬鹿しい映画なのだが、何度観ても面白く、観ると元気が出る。ただし、シリーズのうち第1作が突出して面白く、あとはイマイチである。

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小田嶋隆『テレビ救急箱』

テレビ救急箱 (中公新書ラクレ)テレビ救急箱 (中公新書ラクレ)
(2008/04)
小田嶋 隆

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 小田嶋隆著『テレビ救急箱』(中公新書ラクレ/777円)読了。
 小田嶋氏が『ヨミウリ・ウイークリー』に連載していたテレビ批評コラム「ワイドシャッター」の書籍化第2弾。『ヨミウリ・ウイークリー』がさきごろ休刊してしまったので、このシリーズはこれにて打ち止めだろう。

 書籍化第1弾『テレビ標本箱』を読んだとき、私は当ブログにこう書いた。

 

 ナンシー関の衣鉢を継ぐ、シニカルな観察眼が光るコラム芸の連打。対象者のウイークポイントを一言で斬る毒に満ちた人物評、笑える「レッテル貼り」芸……短いコラムの中に高度な文章テクが駆使されている。くわえて、良質なテレビ論としても読める。



 本書の感想も基本は同じだが、『テレビ標本箱』に比べるとコラムの切れ味がやや落ち、玉石混淆度が高まったかな。

 第1弾が4年分(2002~2006)の連載からセレクトしたものだったのに対し、本書は2006年9月から2008年1月までの一年余の連載分をそっくり収録している。切れ味が落ちたと感じるのは、そうした違いのせいもあるだろう。

 だがそれ以上に、小田嶋氏が現今のテレビ番組に心底ウンザリしている様子が各コラムから伝わってきて、ちょっと痛々しい印象なのだ。なにしろ、収録コラムのほぼすべてが、取り上げた番組や出演者などへの批判なのだから。
 もちろん、小田嶋氏のことだから、批判とはいっても高度な「悪口芸」にはなっているのだが……。

 つまらない、くだらないテレビ番組を仕事として見つづけて、それについて週1本のコラムを仕上げるというのは、かなりの苦行だろう。
 故・ナンシー関は、いろいろ文句をつけつつもテレビを見ること自体を楽しんでいたように思う。そのへんの差が、オダジマが「ポスト・ナンシー関」になりきれなかった(てゆーかタイプが違う)理由なのだろう。

 小田嶋氏がモノの値段をネタに書きつづけてきたコラム「無資本主義商品論」は、連載誌が休刊するたびに他誌に引き取られ、いまなお書きつづけられている(いまは、朝日のPR誌『一冊の本』に「ナンボのもんじゃい」として連載中)。
 それに対し、「ワイドシャッター」はいまのところ他誌に引き継がれる様子がない。まあ、当然だと思う。

 本書は、小田嶋氏によるテレビへの「訣別宣言」、ないしは「最後通告」のごときものだと思う。

 なお、小田嶋氏が現在「NB(日経ビジネス)オンライン」に連載中のコラム「ア・ピース・オブ・警句」は、ものすごく面白い。オダジマ、本領発揮。いまのクオリティが維持できれば、単行本化のあかつきには氏のマスターピースになるだろう。


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阿部真央『ふりぃ』

ふりぃ(期間限定生産盤)ふりぃ(期間限定生産盤)
(2009/01/21)
阿部真央

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 1月21日発売予定の阿部真央のファースト・アルバム『ふりぃ』(ポニーキャニオン/2625円)を、予約注文した。

 このシンガー・ソングライターについてはまったく予備知識がなかったのだが、「Yahoo!ミュージック/サウンドステーション」の「All Time阿部真央」という番組をなんの気なしに聴いて、たちまち気に入ってしまった。

 いやー、これはスゴイ。ヴォーカルといい曲作りといい、まだ18歳だというのにすでに完成されている。
 最近は日本でもやたらと歌のうまい新人女性シンガーがポコポコ登場してきて、ただ歌がうまいというだけではもはやセールスポイントにならないわけだが、阿部真央のヴォーカルはうまいうえにパワフルでコケティッシュ、そして確固たる個性をそなえている。

 音楽サイト「BARKS」の紹介記事では、彼女の音楽が「誤解を恐れずに言えば、YUIと椎名林檎を足して、2で割らずに足しっぱなしと記しておきたい」と表現されていた。

 なるほど、パンキッシュな曲は椎名林檎風だし、おとなしめの曲はYUIを彷彿とさせる。
 だが、それだけではない。「MY BABY」のように、YUKIからの影響を色濃く感じさせる曲もある。「17歳の唄 」は、オルタナ系轟音サウンドを乙女心で包んだ曲作りがチャットモンチーを彷彿とさせる。さらに、男視点で歌われる切なさバリバリの極上ラブバラード「Don’t leave me」など、もろラッドウィンプスなのである。
 そして何よりすごいのは、それら先行アーティストからの影響を見事に消化して、誰の真似でもない阿部真央のサウンドを確立していることだ。ううむ、恐るべき18歳!

 阿部真央の公式MySpaceで主要曲が試聴できるのだが、「人見知りの唄」の「AG(アコースティック・ギター)ヴァージョン」がとくにすごい。アコギだけのシンプルな演奏なのに十二分に「ロックしてる」し、グルーヴに満ちている。ヴォーカルと曲が素晴らしい証拠だ。
 
 あとはCDが届いてからつけくわえよう。


↑「ふりぃ」。初期の椎名林檎を彷彿とさせる爆裂ポップチューン


↑「want you DARLING」(ドラマ「鉄道むすめ」主題歌)。こちらはYUKI風。

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前原政之 
イラスト/ジョージマ・ヒトシ

前原政之(まえはら・まさゆき)
1964年3月16日、栃木県生まれ。53歳。
1年のみの編プロ勤務(ライターとして)を経て、87年、23歳でフリーに。ライター歴30年。
東京・立川市在住。妻、娘、息子の4人家族。

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●「mm(ミリメートル)」は、私のイニシャル「MM」のもじりです。

●私の大好きなギタリスト・渡辺香津美氏は、ご自身のイニシャル「KW」をもじった「KW(キロワット)」を、公式サイトのタイトルにしておられます(同名のアルバムもあり)。それにあやかったというわけです。

●あと、「1日に1ミリメートルずつでもいいから、前進しよう」という思いもこめられています(こじつけっぽいなあ)。

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